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今も解けていない番組の謎のひとつといえば、もちろんザ・スティグですよね。 世界中の人が、ずっと正体を暴こうとしています。暴かれるかどうかは、重要な問題ですか。スティグのままでいるほうがいいですか。 |
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スティグはスティグだからね。誰かがスティグだと宣言された瞬間に、それはスティグじゃなくなるから、ある意味、正体を暴くのは永遠に無理だとも言えるね。 スティグの定義は、今のようなミステリアスなキャラクターであって、これからもそれは変わらない。名前も顔もない正体不明のものじゃないとだめなんだ。名前や顔を持った瞬間、それはもうスティグじゃなくなる。スティグは、一種の幻の世界というか、ほんとうは恐ろしい世界に存在していて、その世界の核心が「トップ・ギア」なんだ。だから、そう、スティグは幻想の生き物なんだ。そういうことにしておくと、いつまでも安泰だしね。 |
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つまり、正体が暴かれた瞬間に、存在しなくなるわけですね。 |
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そのとおり。つまり、誰も人前に立って「自分がスティグだ」と言うことはできない、というのが絶対的な事実なんだ。そう言ってしまえば、もうスティグじゃなくなるだろ。だからそれはスティグじゃない。 そういうふうに、スティグの正体は永遠に暴けないようになっている。なんというか、魔法みたいなものだね。 |
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どんな男のなかにも、誰のなかにも、スティグがいる。こちらが望むままの、どんな人物にもなりうるというわけですね。 |
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そう、まさにそういうこと。それって、誰のなかにもある子供の部分にアピールするじゃない? それに正直な話、「トップ・ギア」ではみんな、 自分のなかの自覚してはいないが子供の部分をすっかり忘れてしまうことはないんだ。それがウケる理由だと思う。それもやっぱり、シニカルに、意識的にしているわけじゃなく、自然にそうなんだ。 だからこそこういう「実在する伝説の生き物」というアイデアも生まれた。スティグは実在していて、「トップ・ギア」が存続する限り、スティグも存在し続ける。それも、顔も名前もない生き物としてね。伝説の生物なんて、エキサイティングだろ? |
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以前、あなたとスティグが一緒に映ることが全然ないように思えたシーズンがありましたが。 |
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うん、よくそう言われているけど、ぼくはかなりきっぱりと否定したし、みんなもぼくのはずはないと気づいたんだ。「あいつならどの車もクラッシュさせてしまうだろう」とね。そう、明らかにぼくはスティグじゃない。ほかのふたりのはずもないね。はっきり言って、ふたりとも体型が違う。スティグがとつぜん妊娠したり、身長18フィート(約5.5メートル)になったりしたら、気づくだろ。 番組としても、車を比較するにはいつも同じスティグであることがとても大切なんだ。その点に関しては、ぼくらみんな、すごくオープンで正直でストレートな態度でいる。なぜかというと、スティグに車を任せられるからこそ、ジェレミーは「パワー」と叫びながらドリフトができるし、ジェームズはちんたら運転しながら灰皿まわりの仕上げについて文句を言えるし、ぼくも座席に逆向きに座ってオロオロとしたりできるわけだよね。 スティグがそれぞれの車のパワーを極限まで引きだした運転をできるからこそ、テストトラックでのタイムが、誰かが極限のレベルで運転したロードカーのタイムの比較として、実質的に意味をもち、有効なものになる。その一貫性が必要で、大切なんだ。でもキャラクターとしてのスティグは神秘の生き物で、なんと言うか、スティグになれるのはスティグしかいない。 |
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番組にとって、比較するということはとても重要なんじゃないでしょうか。 結局のところあなたたちは、スーパーカーを運転できて、スティグみたいなドライバーがそれを運転するところを見せて、そこのところで夢がかなえられているかもしれませんが、視聴者は、車選びの参考として、番組を見ているわけでもありますよね。 |
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そんなことはないんじゃない? いや、確かに、今では番組は大きな影響力を持っている、と言うか、みんなが車に対して持っている意見を反映しているよね。ジャーナリストとして、それは忘れちゃいけない。 また仰々しいことを言うようだけど、ジャーナリストにとって、車というのは無限に心惹かれる対象なんだ。みんなの垂涎の的だから。みんな、収入に見合わないほどの大金を車に注ぎこんで、世間に自分をアピールしようとしたり、互いに値踏みをしたりする。子供を学校まで送るのにも使うし、食料品の宅配も車で運ばれて来るし、自分が全然運転しないとしても、なんらかの形であらゆる人の生活に関わっていて、そこがジャーナリストとして無限の興味を感じる点なんだ。 「トップ・ギア」もその全体の流れの一部なわけで、誰かがある車を選ぶうえで、影響を与えたり、意見を反映したりする。ぼくらは必ずしも、2台のハッチバックのディーゼル車のうちで、絶対にこっちを買え、とか言おうと思っているわけじゃない。みんな大人なわけで、自分で決められるはずだから。でもその決断は、ぼくらが伝えることに影響を受けるかもしれないね。 こういうことを話しているとまたナーバスになってしまうんだけど、それはやっぱり「『トップ・ギア』とは」という問いに答えるのと同じことになるからだろうね。そうしようとすると、答えは物質と反物質が衝突するみたいにあっという間に消滅してしまうだろう。だから、答えは知りたくない。 |