趣味/教育
『東京の散歩道』
「千住~日暮里 下町食べ歩き街道をゆく」
毎週日曜日 6:00~6:55
【今回の放送日時】 2010年7月11日(日)06:00~06:55
平成の水戸街道ともいえる筑波エキスプレスまで開通し、ますます便利になった北千住駅から散歩はスタートします。大きな駅ビルがあり駅前は賑やかです。西口から宿場町通りを北へ向かいます。
まずは千住宿本陣跡。千住が江戸時代宿場だった証です。通りを歩いていると、いいにおいが漂ってきます。かまぼこ屋さんの店先でおいしいおでんを煮込んでいます。新鮮なさつま揚げもあり地元グルメの有名店です。
さらに歩くと、槍かけ団子の看板が目に入ります。昭和27年創業のお団子屋かどやさんの看板です。槍かけ団子は備長炭で一本一本丁寧に焼き上げています。
かどやさんのすぐ先から煙突が見えます。銭湯です。千住界隈は立派な銭湯が何軒もあり、銭湯王国として知られています。その一翼を担う梅の湯。昭和初期の建築のように見えます。散歩の途中にひとっ風呂もいいものです。
そして、かつては千住のファッションをリードしてきた、ヤマダヤ洋品店へ。現在はふくよかサイズLL専門店となっています。マネキンもふくよかで下町のゆったり感が漂います。
やがて商店街はとぎれ、荒川土手のそばには、立派な木造の建物があります、ほねつぎ名倉医院です。明治7年名倉直賢がこの地でほねつぎ(骨折、打撲、捻挫などの治療)を始め、名倉医院は関東一円に展開。その後"ほねつぎといえば名倉"名倉といえばほねつぎ"と言われるほど有名になりました。
駅前に戻り南へ向かうと、千住の台所「やっちゃ場」の跡が。創設は天正四年(1576年)の頃まで遡ります。文祿三年(1595年)隅田川に千住大橋が架けられました。芭蕉が奥の細道に旅立ったのもここ千住大橋の袂です。この千住大橋は江戸で最も古く、東北地方への起点の地として発展しました。そして、下って享保年間(1720年時代)、千住・神田・駒込は江戸三大市場といわれ、幕府御用品調達の命を受け卸売市場となりました。せり師が立会うセリ声が威勢よく「ヤッチャイ」、「ヤッチャイ」と聞こえたことから、「ヤッチャ場」といわれるようになったそうです。いまは、昭和54年9月開設の北足立市場となり、野菜・果物・花などを扱っています。
そして、下町商店街の極み!三ノ輪の商店街から、三河島の元祖コリアンタウンへ。
ウマイものを探しながら散歩は続き、日暮里のゴールを目指します。
まずは千住宿本陣跡。千住が江戸時代宿場だった証です。通りを歩いていると、いいにおいが漂ってきます。かまぼこ屋さんの店先でおいしいおでんを煮込んでいます。新鮮なさつま揚げもあり地元グルメの有名店です。
さらに歩くと、槍かけ団子の看板が目に入ります。昭和27年創業のお団子屋かどやさんの看板です。槍かけ団子は備長炭で一本一本丁寧に焼き上げています。
かどやさんのすぐ先から煙突が見えます。銭湯です。千住界隈は立派な銭湯が何軒もあり、銭湯王国として知られています。その一翼を担う梅の湯。昭和初期の建築のように見えます。散歩の途中にひとっ風呂もいいものです。
そして、かつては千住のファッションをリードしてきた、ヤマダヤ洋品店へ。現在はふくよかサイズLL専門店となっています。マネキンもふくよかで下町のゆったり感が漂います。
やがて商店街はとぎれ、荒川土手のそばには、立派な木造の建物があります、ほねつぎ名倉医院です。明治7年名倉直賢がこの地でほねつぎ(骨折、打撲、捻挫などの治療)を始め、名倉医院は関東一円に展開。その後"ほねつぎといえば名倉"名倉といえばほねつぎ"と言われるほど有名になりました。
駅前に戻り南へ向かうと、千住の台所「やっちゃ場」の跡が。創設は天正四年(1576年)の頃まで遡ります。文祿三年(1595年)隅田川に千住大橋が架けられました。芭蕉が奥の細道に旅立ったのもここ千住大橋の袂です。この千住大橋は江戸で最も古く、東北地方への起点の地として発展しました。そして、下って享保年間(1720年時代)、千住・神田・駒込は江戸三大市場といわれ、幕府御用品調達の命を受け卸売市場となりました。せり師が立会うセリ声が威勢よく「ヤッチャイ」、「ヤッチャイ」と聞こえたことから、「ヤッチャ場」といわれるようになったそうです。いまは、昭和54年9月開設の北足立市場となり、野菜・果物・花などを扱っています。
そして、下町商店街の極み!三ノ輪の商店街から、三河島の元祖コリアンタウンへ。
ウマイものを探しながら散歩は続き、日暮里のゴールを目指します。









