毎週金曜日 22:00~22:55 【再放送】翌週水曜日 08:30~09:25
4月23日(金)の本放送と4月28日(水)の再放送は、編成事情により休止させていただきます。
予め、ご了承ください。
【再放送】 2010年5月 5日(水)
【三人兄弟の末っ子】
1937年大阪府生まれ。両親は農業。"僕が一番末っ子で、兄貴と12~3才離れてますので、一人っ子みたいなもんで。家の手伝いも何もせずに、学校へは遊びに行ってね。自由自在。自分の道をひたすら歩いてきたというか、勝手放題" しかし、家は裕福ではなく、そうした生活環境が杉原少年を自立の道へ向かわせる。
【ゴルフとの出会い】
ゴルフとの出会いは偶然だった。"小学校5年の時に、キャディをしていた先輩に大阪の茨木カンツリーに一緒に連れられ、バックを担いだのが初めてで""キャディさせてもろうてると、面白そうだし、道端に穴掘ったり、友達とボール取りっこしたり。そういうことをして、友達が持っているクラブでコースの隅っこで打たせてもらったり、内緒でね"次第に、杉原少年の心の中に、プロゴルファーになって金持ちになりたいとの夢が膨らみ始める。
【プロテスト】
1957年、20歳の時にプロテスト合格。"月例というのがあって、プロの三人の中に一人入って、2回ラウンドするんですけど、その5ヶ月間の平均が150台であればプロになれたんですよ。(1ラウンド)80切れば、そういう優しい時代だから僕はプロになれた"
しかし、現実は甘くはなかった。この時から杉原プロの苦悩が始まる。
【デビュー戦で失格】
1958年、関西オープンでデビューも失格。"初日はね、ベスト10ぐらいに入ったんですよ。上位に入っているということは(翌日の)スタートが後のほうだと思って。電車乗ってクラブバスで行って、そしたら僕の組はティーショット終わってセカンド地点を歩いてるんですよ。当然そら失格ですよね"プロの世界を甘く見ていた杉原さんの象徴的な出来事である。
【宮本留吉の一言】
しかし、この失格事件がきっかけとなって、杉原プロの態度が一変する。練習に明け暮れる日々、そして、ついに憧れのプロ、宮本留吉さんと出会うことになる。
"プロになって2~3年目に、(宮本)留吉さんと回るチャンスがあって。教えて欲しいですけど、やっぱ怖いしね。聞こう聞こうと思って17番ホールのティーショット終わって、ここで聞かなきゃ最後で聞けないしね。あの不格好なスイングやってると、他からも耳にするし不安もあったからね。で伺ったら「それでいい」とおっしゃった。これは有り難いですね"
【初優勝&結婚】
1962年日本オープンで念願の初優勝、そして同年12月に結婚。"お父さんが宮本留吉さんのクラブ作りをしていて、その手伝いに来ていたのが今の家内なんですよ""男として幸せにしなきゃいけないし、僕らの時代はお金を稼いで、そういうことが幸せの大きなポイントだと思ってたから。家のことはまかせっきりで、自分は好きにさせてもらって頑張れたというか"
【ジャンボ尾崎の存在】
マムシの杉原と恐れられるようになり、プロとして一時代を築き上げようとしていた矢先、杉原プロの前に一人の新人プロゴルファーが立ちはだかる。"野球からプロ(ゴルファー)になって、翌年からすぐに活躍してね。10勝くらいしたのかな?このガキャと思って""尾崎と茨木(カンツリー)で試合やったとき、これはえらいことになったなと。僕の安全なスライスボールじゃ間に合わないと。10アンダーくらいださないと生きていけない。それには距離が必要だ。それでフック系というか、僕のゴルフを変えたというか、変えさせられたというか"
その尾崎選手と2度のプレーオフを争う杉原さん。1972年の日本シリーズでは、後味の悪い敗戦も、2度目の対戦となった1979年の読売オープンでは、見事リベンジを果たす。「日本プロゴルフ界のドン」杉原さんが明かす「勝負強さの秘訣」とは?
どうぞお楽しみに!!







