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第24回ゲスト:半藤一利
3月5日(金) 22:00〜22:55
| 【再放送】 |
3月10日(水) 8:30〜9:25、 |
3月17日(水) 8:30〜9:25 |
今回は、作家・半藤一利さんが登場。
「文藝春秋」「週刊文春」の編集長を歴任し、作家として歴史ノンフィクション「日本のいちばん長い日」「昭和史」などのヒット作を生み出し続ける半藤さん。
79歳の今も"昭和のことを残していかなきゃいけない"と執筆活動を続ける、半藤さんの「歴史への探究心」と今、伝えておきたい「現代の若者へのメッセージ」とは?
【東京大空襲】
1945年(昭和20年)自宅で東京大空襲にあう。
"午前12時をちょっと過ぎたくらいに空襲警報が鳴り、いつもの通り支度をして表へ出たらもう南の方(深川)は真っ赤でした。 "どうしようかと南の方へ逃げていってちょうど十字路があって、それを右の方へ行くと隅田川、左へ行くと中川へ出るんですが、中川の方が少し狭いから中川の方がいいと思ったんですね、子供心に。隅田川へ行った人はずいぶん死んでますね"
【「絶対」はない!】
"焼け跡でボーと立ちながら、子供心に「『絶対日本は勝つ、絶対神風は吹く、絶対に自分のうちは焼けない』」なんて言っているけれど全部嘘だ」と。そのことだけを思ったのを鮮明に覚えてます""「もうこれからは「絶対」は使わないぞ」と"
【1953年、文藝春秋入社 歴史探究に目覚め作家の道へ】
"最初は「遊軍」というか見習いでしたが、「桐生の坂口安吾のところに原稿を取りに行ってくれ」と言うので「お前酒飲むな?」「飲みます」と言ったら、「じゃあお前が適当だ」と安吾さんのところへ""ただ(原稿を)もらって帰ってくればいいと思ったら、「そんな原稿あったか!?」なんて言って「泊っていけ、一晩で書くから」と""その頃の安吾さんは、『信長』という小説を書いた後くらいで、日本の古代史に関心があり、毎晩二人で大酒飲んで、日本の歴史の見方を教わったんです。いかに日本の歴史が嘘で固められているかというような話を"半藤さんの心の中に歴史への探求心が生まれ始める。
【『日本のいちばん長い日』】
1965年(昭和40年)、大宅壮一名義で執筆。
"2年前の昭和38年、文藝春秋で『夏の終戦特集号』を作ろうという時に、「どうしてあの大戦争は終わったのか?」という事を僕らはあまりよく知らないから徹底的にやろう、と""当時の人で生き残っている人と、中央ばかりじゃなく地方も含めて大座談会やりましょうよと、28人集めちゃったんです""座談会は雑誌に出ましたけど、さらに取材をして""「終戦」のことを書いた本は今なら間に合うんじゃないかと思ったんですね"
【記憶に残る軍人】
半藤さんがかつて出会った軍人の中で、尊敬する数少ない1人が陸軍大将の今村均だという。今村といえば、部下の戦犯裁判に「裁くなら私を裁け」と連合国軍に主張し続けた人物である。歴史的に評価の高い今村との対談の中で、半藤さんが心打たれた理由とは?
この後も、昭和史秘話、歴史研究者の立場から見た現代の日本。今の出版界のみならず「マスメディアに対しての提言」、そして「現代の若者へのメッセージ」など半藤さんの心温まるインタビューが続きます。
どうぞお楽しみに!!
第21回ゲスト:船村徹
2月26日(金) 22:00〜22:55 【再放送】3月3日(水) 8:30〜9:25
今回は、4000曲以上の楽曲を世に送り出した「作曲界の巨匠」船村徹さんが登場。日本音楽著作権協会会長や横綱審議委員会委員も務める船村さんは、今の歌謡界を、どう見ているのか?そして名曲誕生の裏に隠された秘話とは?...船村さんが語るメッセージとは?
【栃木県生まれ】
1932年、栃木県船生村(現在の塩谷町)生まれ。父は獣医。
"変な獣医で、あんまり牛や馬に触りたくないんです。
それで朝昼晩、酒を飲んでるんですよね。
【音楽との出合い】
父親が音楽好きで、もの心ついた頃には家にレコードがあった。
よく聞いていたのはクラシック。
"それで小学校に入ると小さな吹奏楽団があって、そこで先生にトランペットを大分特訓してもらいましてね"作曲家・船村氏の原点がここにある。
【作曲家を志す】
"歌ったりすることには全然興味がなかったんです""敗戦後日光とか鬼怒川とかにいち早く外国人が入ってきて、バンド連れて行くと本当に重宝がられて" "その頃からラジオを聞いて採譜したり、自分で作曲したりしてるうちにいつの間にか..."作曲家への夢が膨らみ始める。
【二人三脚】
東京の音楽学校で出会った盟友・高野公男氏が1956年(昭和31年)9月8日26歳の若さで亡くなる。
"何かにつけて、「こうやって汗水たらして、食うや食わずの焼け野原を復興させている人たちの為になる歌が生きた音楽なんだから」と言われ、「お前は俺が作った詩だけ作曲してればちゃんと作曲家になれるから」「俺は茨城弁で詩を書くから、お前はとにかく栃木弁で作曲すればいいんだよ」と" "二人三脚みたいな、一人じゃ生きられないけれども二人だと生きられるような" この高野氏の言葉が船村氏のその後の作曲家としての人生を大きく変えていくことになる。
【数々のヒット曲】
戦後初のミリオンセラーと言われる『王将』(村田英雄)をはじめ、
『なみだ船』(北島三郎)
『東京だヨおっ母さん』(島倉千代子)
『矢切の渡し』(細川たかし)
『兄弟船』(鳥羽一郎)
『みだれ髪』(美空ひばり)など数々の名曲を世に送り出す。
"村田英雄の歌舞伎座でリサイタルをやって、オープニングが『王将』で、真ん中で『王将』歌って。"
"それでフィナーレが『王将』なんですよ。それでもういっぺんアンコールで歌わないとお客さんが帰ってくれないんですよね。"
今も全国各地をギター 一本で巡り、大衆の歌を歌い続けている船村さんの、【現代の若者たちへのメッセージ】とは!?
どうぞお楽しみに!!
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