世界でも指折りの鉄道王国である日本は、最も路線が多かった昭和50年前後には、20000キロを超える路線を誇っていた。
また、それ以前の昭和39年には世界初の高速鉄道・新幹線を開通。日本の鉄道技術が現代にいたるまで最先端を走っていることは疑いようがない。
そんな鉄道王国・日本の国鉄において新幹線開通のわずか10年前まで主役の座を担っていたのは、蒸気機関車だった。
このまま、エネルギー効率の悪い蒸気機関車に頼っていては、日本の鉄道は世界から遅れをとってしまう。
そんな危機感を抱いた国鉄は、世界でも類を見ないスピードで、動力を蒸気から、電気やディーゼルに転換する大方針を打ち出した。
それが昭和34年にまとめられた「動力近代化計画」である。
わずか15年の間に、国産の優秀な電車や新幹線などが生まれ、日本の鉄道技術は瞬く間に急成長を遂げた。
今回は、そんな「動力近代化計画」の伝説を紹介する。






