日本の鉄道路線は、地形上の問題から勾配や急カーブが多く出力の増大によるスピードアップには限界がきていた。高速化の袋小路に追い込まれていた当時、一筋の光明をもたらしたのは、鉄道省から小田急電鉄に移った山本利三郎が提案し開発した振子式車両であった。それは、カーブで自ら車体を傾けることによって速度を落とさず走行できる列車である。振子式は、彼が少年時代に親しんだスキーにその発想の原点があった。カーブの時、体を内傾させることで遠心力の影響を弱めるその体験が、振子式車両開発に一役を買った。TR96台車、クモハ591系を始め数々の試験車を経て生み出された日本最初の振子式車両、それが「381系電車」である。