愛と笑いの関西発アート

#23 2022.04.16 /
#24 2022.04.30

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今年、大阪に新たなアートスポット、大阪中之島美術館が誕生。そして、京都でもアーティストのための全く新しいアートイベント『ARTISTS’ FAIR KYOTO 2022』が開催された。今、関西から生まれているアートの新たな動きを追う。

2022年2月、大阪市北区に開館した大阪中之島美術館。1990年に「準備室」が置かれて以来、幾度となく訪れた計画頓挫の危機を乗り越え、40年もの時を経て、ようやく開館にたどり着いた。アートファン待望の美術館には、実に約6000点もの膨大なコレクションが収められ、平面から立体、デザインまで、様々なジャンルを網羅した巨大なアートスペースとなっている。

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この大阪中之島美術館の入り口にそびえるのが大阪出身の世界的アーティスト・ヤノベケンジ氏によるパブリックアート「シップス・キャット(ミューズ)」(2021年)。

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《SHIP’S CAT》シリーズ ▶ 2017年より始まり、国内各地の宿泊施設に設置されたパブリックアート。のちに上海やパリでも展示

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「美術館をつくるに当たっては、何かちょっと象徴的な作品が欲しいと建築のほうから相談を受けていたんです。その中でヤノベケンジさんに声をかけました」と大阪中之島美術館・館長の菅谷富夫さん。「アイコンとして親しみが持てて、“行ってきたよ”、“おもろいやろ”って人に見せるものって必要なんだろうなと思っていて、皆さんがこの『シップス・キャット(ミューズ)』を親しんでもらってる状況を見ると、とっても良かったと思ってます」と話す。

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■ヤノベケンジさん(現代アーティスト 京都芸術大学教授)
30年という長い年月をかけて集めたコレクション、そのコレクションがベースとなって美術館の建物自体も建てられているんです。天井高の高さや、巨大なエレベーターも、「建物ありき」というよりも、「美術作品ありき」で設計されている。この場所があれば、文化を守ってくれるし、文化は場所によって作られていくんだろうな、と思いますし、クリエイターのイマジネーションを触発するような、世界に誇れる美術館が今、大阪に誕生したと思います。

そんな大阪中之島美術館の中でもとりわけ力を入れて収集されてきたのが、大阪にゆかりのある作品の数々。その代表といえるのが、佐伯祐三。約60点を超える佐伯祐三コレクションが収められている。

佐伯祐三(1898-1928)▶ 大阪府出身。生涯のうち2度、渡仏しパリの風景を多く描いた洋画家

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『郵便配達夫』(1928年)

■菅谷富夫さん(大阪中之島美術館・館長)
この作品(『郵便配達夫』)は撮影OKにしていますので、皆さん携帯で撮って、アップされてるようです。大阪という土地は、人口の大きさや経済の大きさに比べて、非常に美術館の数が少ない、美術に触れる機会の少ない場所であったと思っていますので、より多くの人たちが美術館に触れる機会が増えるように、あるいは気軽に触れたりすることができるように、ということで開かれた部分をかなり意識的に作っています。

佐伯祐三をはじめ、大阪のアートシーンにはどんな人が足跡を残したのかをこの美術館では堪能することができる。菅谷さんは、吉原治良を案内してくださった。

「吉原治良コーナーでは、彼の作品を10代の頃から最晩年に至るまでで約800点を収集しています」と菅谷さん。多くの作品が所蔵される吉原治良、彼がリーダーとなったグループ「具体美術協会」は、戦後の現代アートを語る上で避けては通れない関西発のムーブメントだった。

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吉原治良(1905-1972)▶ 大阪府出身。独学で絵画を学び、関西の前衛美術を育てた日本の抽象画のパイオニア

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具体美術協会▶1954年 吉原治良が創立した前衛的なアーティスト集団。1972年、吉原の逝去により解散

菅谷富夫さんによると、「吉原治良は“他人の真似をするな”とか、“今までにないものを作らなきゃいけない”いうようなことを盛んに言い、それを一つの方向として活動してきた。今までにない表現というものを求めて、大阪、関西発の前衛的な現代美術のグループを形作った」と解説。精神の自由を具体的に表現するという意味を持つ「具体」は、パフォーマンスから絵画に至るまで、あらゆる表現に挑戦し、72年の解散までに60名ほどの作家が参加。戦後初の前衛的アート集団として注目を集めた。

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■菅谷富夫さん(大阪中之島美術館・館長)
ただ、東京から見た時、美術ジャーナリズムから見た時に、「なんだかわからない」、つまり、そういうコンテクストからは外れていたということだったと思います。でも、海外との接点を持ってましたし、当時の最先端の世界の動向というものも知ってました。その中で自分たちの方向を作っていったこともあり、今になって海外からの評価が高くなったということなんだと思います。

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2010年代から海外での再評価が起こり、現在でも当時の作品がオークションで高額取引されている「具体」。そんな関西のアートシーンで、1960年代生まれのヤノベさんが影響を受けたものとは。

■ヤノベケンジさん(現代アーティスト 京都芸術大学教授)
僕が学生時代は関西ニューウェーブという形で、関西のアートシーンが非常に盛り上がってた時期でした。僕は大学1年生の時、大学院とか先生とか先輩たちがキラキラと輝いて、ものすごい勢いで作品をつくっておられた時代があって、その中の一人は森村泰昌さんでした。

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西高東低と言われるほど大きなムーブメントだったという当時の関西ニューウェーブ。当事者であった現代アーティスト椿昇さんはこう振り返る。

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■椿昇さん(現代アーティスト 京都芸術大学教授)
僕の時代は『もの派』全盛でした。大学院を出てからは、ジャンクパーツ使って作品作りだしたり、基本的に『アート・ナウ』っていうのがあったりして大きい作品が作れたりしました。まだステージがあったっていうことですね。元気があった、勢いがあったということだと思います。それと、僕が行ってた京都市立芸術大学は面白い伝統があって、あまりにもほったらかしなんです(笑)。あまりにも何もないので、最初から希望とか夢とか全部打ち砕かれるわけです(笑)。だから自分でやるしかない。そういう中でヤノベ(ケンジ)さん、名和(晃平)さんや、やなぎみわさんや僕や、そういう現代美術で活躍するような連中がたくさん出てきた風土っていうのは砂漠地帯やったからだと思います。

もの派 ▶ 1960年代後半~70年代前半、素材をあまり手を加えずに制作した作家グループ。「具体」と並ぶ戦後の日本美術史の重要動向のひとつ

アート・ナウ ▶ 関西在住の現代美術家を紹介する場として1975年~1988年まで行われていた展覧会

京都市立芸術大学 ▶ 1880年に日本初の公立の絵画専門学校を母体とする日本で最も長い歴史を持つ名門芸術大

■菅谷富夫さん(大阪中之島美術館・館長)
明治以降150年の間に日本の美術とはこういうものだという見方が固定化されてきた。例えば「具体美術協会」にしても30数名会員がいたと言われてますけども、美術大学を出てる人は1割ぐらい、3~4人だと思うんですね。そう考えると、今、美術大学を出ないで作家になるなんて考えられない状況ですけども、それが出来ちゃう、あるいは出来たんです。だから今僕たちが当たり前だと思っていることが当たり前ではない状況というのが大阪にはあった。それがある意味では「おもろい」という価値観かどうかはちょっとひと口には言えないんだけれども、どうも一般的に思われている美術のあり方とは違うあり方が関西や大阪にはありそうだ、というように今言われてるんじゃないでしょうか。

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■椿昇さん(現代アーティスト 京都芸術大学教授)
それまで江戸の時代には庶民のもんやったわけです。お芝居もそうですし、浮世絵も。だから開かれてたって民主的だった。町場では若冲とかみんなブイブイ言わしてたわけでしょ。だから日本というのはものすごいハイレベルなものがあった。その時に欧米から入ってきた価値観で「いや、そうじゃなくて芸術が大事なんだ」と言って権威化されていく。権威化されると必ず、芸術というのは命を失うんです。だからそれを「ダイレクトとトラスト」というんですけど、直接性の中に戻してあげる。そういうことを丁寧にやっていくことですね。

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そう語る椿さんが京都で手がけたのは、既存のシステムを飛び越えた新たな試み。それが、京都府などが主催となり開催された『ARTISTS’ FAIR KYOTO 2022』。
2018年から始まったこのイベント、所属するギャラリーを介して販売を行う旧来のアートフェアとは異なり、作家が鑑賞者に直接販売できる今までにないアートイベントとなっている。出品する若手アーティストはアドバイザリーボードと呼ばれる著名なアーティストたちからの推薦と公募によって選定、そこにはヤノベさんも名を連ねている。

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今年、5度目の開催となった『ARTISTS’ FAIR KYOTO』。今回は清水寺までもが協力するなど、大きなうねりとなっている。その始まりは何だったのか。

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■丸山雅樹さん(京都府文化芸術部)
若い人たちがちゃんと生活していけるということを、京都府としてしっかりと支えていかないといけないというところから生まれた発想で、京都府は美大が多くて、アートを志す人がすごく多いんですけど、なかなか作家活動だけでご飯を食べていけるという状況がなくて、そんな中で、京都府としてもどう支援していこうかということで、アートフェアを企画し、椿先生にお声掛けをして相談させていただきました。

■椿昇さん(現代アーティスト 京都芸術大学教授)
僕は卒展のアートフェアを12年ぐらい前からずっとやっていて、ロンドンのRCAとかセントマーチンと同じように、卒展をアートフェアに変えたんです。それで徐々に作品を売るようにしていって、好調な売れ行きというか、新しいファンもたくさんついて、いい感じになってたんです。それで京都府の担当者の方が来られて「アートフェアをやってもらえませんか」と依頼されたんですが、絶対失敗すると思ってたんです。というのはエンドユーザーがいない。現代美術を買う方がおられないんですよ。関西は世代交代に失敗していて、昔の、百貨店の外商さんが売っていくというあの世界から出て来られなかった。でも、「どうしても」とおっしゃるんで、いろいろと相談したんですけど、「先生やめたほうがいいですよ」と言われて、「どうしてですか」と聞くと、「お名前に傷がつきます」と。「お名前に傷がつきます」と言われたから「やろう」と。これ、関西人の変なところなんですよね(笑)。その代わり、京都府の担当の方に「僕を放し飼いにしてください」と話して、「好きにやってください」ということで引き受けました。

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そして椿さんが出した答えが、業界の既存のシステムをアップデートしたアーティストが直売できる場。ただし周りからは反対の声が多く、「最初は背中に後ろ指何本刺さってるか」というほどだったという。中には「神聖な芸術を売るのか」という声もあったものの「じゃあどうやって食っていくんですか」という問いに答えられる者はなく、さらに重ねる「皆、補助金で食ってるじゃないですか。美術館って皆補助金でしょ。恥ずかしくないですか」という椿さんの言葉をきっかけに前に進んで行ったそう。

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■椿昇さん(現代アーティスト 京都芸術大学教授)
僕がまずやったのは買う人、欲しいという人を連れてくること。「こんなお野菜があったら買いたい」という人に集まってもらい、そしてこんなお野菜を作る。フレッシュでオーガニックで変な農薬はかかってない、そういうピュアなものから売れていきます。画壇とかアート業界とかじゃなく、その人の持ってる物語を世界の人たちが待ってる物語に直結していくような作家からどんどん支持されていく。アートの構造をものすごくシンプルに戻したっていうだけなんです。

今では「買いたい」という人が増え、状況は大きく変わったという。椿さんは「プラットフォーム問題はいつも考えているんですけど、OSってしょっちゅうアップデートするでしょ。アップデートしないOSって考えられないですよ。だけど、国も大学も業界も全然アップデートしないことによって存在してるんです。それはもう死ぬことが見えるじゃないですか。でも、常にアップデートし続けるプラットフォームを作れば、その上のアプリケーションというのは、アーティストや学生たちもどんどんアップデートするんですよね」と、今の状況を明快に解きほぐす。

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今回、この『ARTISTS’ FAIR KYOTO 2022』で、名だたるアドバイザリーボードの作品が展示された会場はなんと清水寺。普段は一般公開されていない成就院をはじめ、4箇所の会場でダイナミックな展示を敢行した。

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清水寺・執事補の大西英玄さんは、「清水は歴史的文化遺産でもありますが、現在進行形の宗教施設である必要があると思っています。これまでの歴史に、こうした現代、今を預かる方々が多いなどエネルギーを足し算していただくことによって、より良き良縁が育まれるような出発地点となる、というイメージを持っています」と今回の試みに希望を描く。

こうして、回を追うごとにその規模を拡大させている『ARTISTS’ FAIR KYOTO』。ここからは、出品する若手アーティストたちの姿から、その試みの意義と役割に迫る。

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『ARTISTS’ FAIR』に向けて、最終作業を行っていたのは、日本古来の手法に、敗戦国日本人の器としてのゴジラを組み合わせた作品で注目を集めているアーティストの西垣肇也樹さん。作業が行われている「スタジオ・ハイデンバン」は、「ほぼDIYみたいな形で作りました」と話す西垣さん。2階建ての工場をリノベーションし、現在は10名のアーティストが所属する。

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スタジオ・ハイデンバン(京都府伏見区)▶ 2015年創設。現在は10名のアーティストが所属

■西垣肇也樹さん(ARTISTS’ FAIR KYOTO 2022 参加アーティスト)
需要が少なくて、供給過多なんです。芸大を卒業しても、売る・売らないじゃなく、そもそも展示機会がないし、そもそもどうやって作家として食べていくか、全然道がなかったんです。だから、孤独に描き続ける美学みたいなものが一人歩きしてるような暗い世界だったんですけど、それが(『ARTISTS’ FAIR』で)アーティスト個人で売っていいんだよ、ということになって、実際そこでは何千万というお金が動くっていう…シンプルに幸せですよね。お金があれば画材も買えるし、その分、仕事せずにもう1回次の作品を制作できると。関西で、というのがすごいですよね。関西って本当に現代美術とか全然需要がなかったっていうところから考えると、こういうことって起きるんだっていう。

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一方で、メイン協賛の株式会社マイナビ支援のもと、企業によるアワードも開催された『ARTISTS’ FAIR KYOTO 2022』。マイナビART AWARD最優秀賞を獲得したのは、公募で参加したGoh Uozumiさん。
Gohさんは、「我々人間は、文明が進歩して、質量のないものを資源として扱えるようになった、というふうに僕は見てるんです。例えば昔だったら、石油とか食料とか、質量のあるものを資源として経済活動を行っていますよね。もちろん今もそれは強いんだけども、例えば今だったらGoogleとかFacebookは何を資源にして経済活動するのかというとデータ。データというのは質量がないじゃないですか。データとか人間関係とか、あるいは真実とか、質量のないものを我々は資源にしていろんな経済活動を行っている。そしてそれをうまくやると、非常に強い力を持つことができる。お金であったり権力であったり、そういう影響力の中で我々生活していて、我々自身が支配されるとか、考え方を規定されたりしてるわけです」と、作品について熱く語る。

今回の作品のテーマは、新経済戦争(New Economic War)。質量のない資源によって、現代社会がどう動かされているのかを多面的に見せていくアートを制作。たとえば物事の決め方として市民権を得ている多数決が果たして本当に有効な手段なのか、多様な民意の集め方を提示することによって今日の民主主義の在りようを問うた。

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Gohさんの作品を椿さんは、「時代を捉えてる。今の電子化した世界の中で投票行為とか売買っていうのをどのように成立するかというそのシステム自体を乱雑なガジェットを並べながら照射してる」と解説。また、こうした新しいアーティストの出現に「常に自分がどう変化していくか、ということに対して決して今に満足しない、そういう姿勢を全員が持つことによって、クオリティの高い作品を作り続けられる」と期待を持つ。

現代的な作品群で最優秀賞を獲得したGohさん。しかし、喜んでばかりもいられないとも語る。

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■Goh Uozumiさん
僕みたいなタイプの作品っていうのは、どうやったら売れる状態にするか、アーカイビング可能な形態にすることができるかというのが、今回の僕はチャレンジしてることなんです。やはり、こういう作品を買って自分の手元に置いてく、という発想になる人はなかなかいないのかなというのが正直なところです。
新しい形式を発明したほうがいいのかもしれないし、これまで通り愚直に自分が作ることだけに専念していたら、いつか誰かが出てくるのかもしれない。僕はどっちが正しいのかっていうのが正直今わからないんですね。やるしかない。やるしかないんです。

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次に目に留まった作品は、魚の絵。なぜ生きている魚ではなく販売される状態の魚を描いたのか?

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<堀奏太郎さん>(推薦 ▶ 矢津吉隆さん)
「魚の表面がキラキラ光って見えるのを見て、普段ディスプレイ上で画像を見ている見え方に近いな、と思ったことがあって、魚を今描いたら、今描かれる静物画として面白いものができるんじゃないかなと思って、今回こういう形で作品を作りました。絵を売る場所っていうところが、お魚屋さんみたいな見た目になったら面白いかな、というのもちょっとユーモアとしてありまして。「鮭ください」とか「鰤ください」みたいな感じの話になるのはちょっと笑えるというか、面白いなと思います」

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続いて一見抽象画に見えるこちらの絵。絵画の隣には数字の書かれたメモ。よく見ると、このメモは、色や塗る位置など事前に細かく決めた指示書。しかし、その指示の中に作者である三浦さんの意思は一切入っていないという。

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<三浦光雅さん>(推薦 ▶ 鬼頭健吾さん)
「作家の意思が強く入る部分を、自分の意思以外のサイコロであったりとか、ビンゴマシンとか、そういうどっちかというと、運のほうに委ねちゃう。自分自身もその指示書がまず出来上がって、それを元にイメージを作り上げるまでどういうふうになるかわからないみたいな」

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メイン会場となっている京都文化博物館別館と京都新聞ビル地下1階。京都新聞社の地下スペースには巨大なペインティングやインスタレーションがひしめく。

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目を引く巨大な作品の名は『この場所に立つ』。会場に開いた1.5メートルの穴と同じサイズの木枠に地層のように重ねられた紙粘土。作者の谷口智美さんは、「空いてる穴の部分に自分が座っていって、そこから自分の腕を伸ばして、外側から中心に向かって粘土を伸ばしていくっていう方法で、作りました」と話す。

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また、そんな中で、とりわけ観客が集まっていたのが、倉知朋之介さんの『チョコチップクッキーアンドミルク』。倉知さんが気になったチョコチップクッキーという存在から、あらゆるイマジネーションを膨らませたという作品だ。

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<倉知朋之介さん>(推薦 ▶ Yottaさん)
「造形物と映像がリンクしているインスタレーションになっています。海外のYouTuberとか、映画のナレーションがすごく好きで、それを誇張して、自分なりにベラベラ喋ってるっていう、日本語でも英語でも何でも、意味のないことをずっと喋ってるものです」

そんな倉地さんが影響を受けた人物がお笑い芸人のハリウッド・ザコシショウ。「血となり肉となっている」という。

著名なアーティストたちからの推薦もしくは公募によって選ばれた個性的な若手アーティストたちの魅力的な作品が並ぶ『ARTISTS’ FAIR KYOTO』。ヤノベケンジさんも推薦者として、鳥居本顕史さんと星拳五さんを選出している。

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■ヤノベケンジさん(現代アーティスト 京都芸術大学教授)
版画という技術を用いながら作品を展開しているんですけど、従来の版画というよりも、版画技術を使いながら、社会自体の問題点を複製するような、メッセージ性を持った二人だったんです。ビジネスとして展開できる作品を作ってこられなかった二人なんだけれど、この『ARTISTS’ FAIR』という場で、新たな展開をしていただけるんではないかということで推薦しました。

そんなヤノベさんは10年以上にわたり、アーティスト育成のための試み『ULTRA FACTORY』を、教授を務める京都芸術大学内で続けている。

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■ヤノベケンジさん(現代アーティスト 京都芸術大学教授)
アナログもデジタルも揃えてて、学生はアイディアを持ち寄れば、テクニカルなことを教えてくれるスタッフからアドバイスをもらえる、そういう夢のような工房なんですけど、プロジェクトカリキュラム、実践教育という形で、プロフェッショナルが第一線で活躍するクリエイターを呼んで、学生と一緒に作品を作るプログラムを作りました。やなぎみわさん、や『ARTISTS’ FAIR』でも出品してる名和晃平さんもULTRAプロジェクトとして、ここで積極的に展開されています。

そしてヤノベさんもできる限りこの場所で制作を行っているという。

■ヤノベケンジさん(現代アーティスト 京都芸術大学教授)
いわば自分の全てを見せて、そこから学び取ってほしい。盗んでいってもいいぐらいの気持ちで挑んでてます。

■椿昇さん(現代アーティスト 京都芸術大学教授)
名和さんもヤノベさんも僕も、彼らと一緒に戦ってる指導者。教育と思ってなくて、(スキージャンプの)葛西紀明と一緒でね。「俺も飛ぶ」っていう、一緒に飛ぶ、まだ負けないぞみたいな心意気です。
こうして年々大きく成長している『ARTISTS’ FAIR』だが、驚いたことにコアスタッフは椿さんとアシスタントの二人だけだという。

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椿さんのアシスタントの柳生さんいわく、気づけば協力者が増え、大変だと思う暇もなかったあっという間の5年間。ひたすら目の前のものをひとつずつやっていくと自然と形って出来ていくものだと実感したと語る。

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今やメイン会場のみならず、サテライト会場として京都市内の様々な場所が展示スペースになっている。中には創業200年以上続く老舗湯葉屋までも協力。フェアから羽ばたいたアーティストの展示が行われた。

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『ARTISTS’ FAIR KYOTO 2022』が終了して1週間。全作品を完売したハイデンバンメンバーの西垣さんはカタールからの招聘を受け、海外での製作に旅立った。6月にはカタール×日本の交流展も東京で開催予定。関西からさらなる飛躍が期待される。

「終わった瞬間に次、始まる感じですかね」と椿さん。関西で渦巻くアートの躍動はますます大きなうねりとなりそうだ。

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