アート夏期講習入門編
戦争画のギモン

#8 2021.08.28

「アート夏期講習入門編」の第2弾は、「戦争画のギモン」。

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<戦争画>とは何なのか。どんな作品が残されてきたのか。そして戦後の歩みは。<戦争画>の基礎をアート好きアイドルの和田彩花さんとともに学んでいく。

「戦争画のギモン」

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京都の日本画の継承者でありながら「幻の画家」と言われる小早川秋聲。彼が残した『國之楯』(1944年)は、暗闇に横たわる一人の陸軍将校の遺体が描かれた<戦争画>。観る者を猛烈に惹きつける…。

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Q.<戦争画>とは何か?

そもそも<戦争画>とはなんなのか。<戦争画>について研究し、「戦争と芸術」という展覧会も開くなどこの分野に詳しい飯田高誉さん(スクールデレック芸術社会学研究所所長)によると、「基本的には軍部の命令によって“戦意高揚”のための戦争記録画」であり、日本では、日中戦争時の1938年より制作依頼されるようになったもの。当時の日本で将来有望と評価されていた画家たちが戦地に赴くことになったという。戦地に行かざるを得なかった画家たちが数多くいた中、藤田嗣治は自らすすんで赴いたという。藤田が目指したのは、フランスで見たスペクタクル溢れる西洋画。西洋画の技術への探求心から自ら戦争を描くことを選んだという。「一方で、日本兵が惨殺されている絵画も藤田は描いている。軍部としては非常に困った…つまり“戦意高揚”になるのか、と話し合われた経緯があります」と飯田さん。同様に、小早川秋聲の『國之楯』も軍を困惑させたという。

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京都文化博物館・植田彩芳子さん

「普通、<戦争画>というのは戦いの場面を描くんですが、この絵の場合、そういう前後のストーリーから切り離されて、どういう経緯で戦死することになったのかまではわからない。それによって“戦死”の事実だけが強調される。そこが普通の<戦争画>と違う特徴だったと思います」

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その特徴的だった『國之楯』は、結局、軍から受け取りを拒否されたという。「完成作には裏に『返却』と書いてあります。戦争に対するマイナスのイメージを起こさせる可能性が高いということからだろうと思われます」と植田さん。また、そもそも<戦争画>はそもそも写実性、リアリズムを求められて、西洋画家が起用されることが多かったというが、「秋聲は人物を描くのがうまかったので、西洋画家たちに負けず、戦っている人物を描くことができたんです」と植田さん。

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また、戦地へ赴き戦争画を描いた画家のひとりが川端龍子。川端龍子が描いた<戦争画>について、大田区立龍子記念館・木村拓也さんを迎え、アート好きアイドル・和田彩花さんが話をうかがった。

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川端龍子が描いた<戦争画>の一つ、『香炉峰』。戦闘機の機体がなぜかスケルトンに描かれている。
木村さんによるとこの『香炉峰』は、「中国の名峰をタイトルにしていて、戦争の時代じゃなかったら戦闘機を描かなくてもいいし、この大パノラマだけ描けばよかったのに、そんな思いも透けて見える一作」だという。この作品を目の前にした和田さんは、「戦時中の景色を描くことが必要だったけど、その中には自分の考え、思いをひそかに、どこかに込めている。半透明の機体、そういったものを現代でも観る機会があるといいなと思いました」と率直な感想を語った。

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Q.<戦争画>はどのように扱われたのか?

1945年 軍国主義のもとに描かれた。終戦後アメリカ軍が接収
1970年 東京国立近代美術館へ全153点をアメリカから永久貸与
1977年 大規模な戦争画の展覧会開催を準備→直前に中止

「(戦争画は)やはりタブーの存在なんです。政治的な問題がかぶさっている」と、飯田さん。東京国立近代美術館では、常設展として戦争画を公開。随時入れ替えられ鑑賞することが可能。ただ、永久貸与から51年、いまだすべての作品の公開には至っていない。「接収前に焼却された作品もあり、藤田嗣治は終戦を迎える時、自ら庭で燃やしたと聞いています」という。

Q.画家たちは戦後どうなったのか?

「画壇としては戦後、藤田嗣治に覆いかぶせたんです。画壇の永久戦犯として藤田に覆いかぶせたことによって、藤田は日本にいられなくなってパリへ行かざるを得なくなったという経緯があります」と飯田さん。また、植田さんによると、小早川秋聲は、「戦後は戦犯として逮捕されることも覚悟していた」そうで、「逃げたと思われるといけないので、旅行も控えていた」という。ただ、小早川は、戦後葛藤を抱え、画壇から遠ざかっていたものの、描くことはやめなかった。

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戦後描いた作品の一つが、『天下和順』(1956年)。満月の下で多くの人が楽しみながらお酒を飲んで踊っている絵。この作品に込めた思いを植田さんは「『天下和順』は、小早川秋聲が好んだ言葉で、人々が平和に暮らせるようにという祈りを込めた言葉。戦後の『天下和順』を観ると、秋聲の平和への強い祈りを感じます」と語る。戦後は、こうした『天下和順』などの平和への祈りを託して生きていたという。

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飯田高誉さんは、『戦争と芸術』という展覧会を2007年より4回にわたって開催。時代を超えた<戦争画>を扱った展覧会として話題を呼んだ。
「良い悪いだけでは判断できない。それが芸術作品だと思うので、<戦争画>も芸術的価値として紹介するのが私の使命だと思っています」と語る飯田さん。会田誠の『紐育空爆之図』(戦争画RETURNS)や、2001年の同時多発テロを描いた、ドイツのアーティストGerhard Richterさんによる『September(ED.139)』、さらに日露戦争の旅順の扮装から太平洋戦争の広島の原爆、さらに東日本大震災での原発事故という過去から現代への出来事を描いた風間サチコさんによる木版画『噫!怒涛の閉塞艦』などを紹介。現代でも描かれ続けている<戦争画>が問いかけるものは大きいという。

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「プロパガンダの一面もあるけれど、一方で藤田嗣治のような読み取ることがなかなかできない作品もある。そういう意味ではまだ研究が足りてないと思います」と飯田さん。
和田さんも「<戦争画>というのはプロパガンダということがあるので、私の口から“素晴らしい”と安易に言えないですが、でも、そういう背景にあるけれども、芸術作品の良さはそれを後世に残せることだと思うし、現代の人も観ることができることに意味がある」とその奥深さを語る。

また、「<戦争画>がタブーとされてしまっている状況があり、あまり多く語られなかった。でも、そこには今考えるべきことがたくさん詰まってるなと思いました」と和田さん。戦争という今では遠くにあるような出来事が、<戦争画>を通して、我々に語りかけるものがある、と伝えてくれるアートの旅となった。

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出演者

和田彩花