アート夏期講習入門編
日本画のギモン

#7 2021.08.21

「アート夏期講習入門編」と題して日本画の世界を覗く今回。題して「日本画のギモン」。

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そもそも日本画とは一体どんなものなのか。江戸時代のスター画家は?など、日本画の基礎をアート好きアイドルの和田彩花さんとともに学んでいく。

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Q.日本画の定義とは?

最初にお話をうかがうのは、大規模な小早川秋聲展が開かれていた京都文化博物館の植田彩芳子さん。<日本画>とは何か。植田さんによると、「日本画の定義はややこしいんですけど、ごく簡単にいうと、明治以降に西洋画が日本に入ってきて、日本の伝統的な画法で描かれた作品を日本画と呼ぶようになったんです。つまり邦楽と洋楽、邦画と洋画のようなものです」とのこと。

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これを聞いた和田さん、「日本画って聞くと、(江戸時代の)伊藤若冲とかがパッと思い浮かびますよね。でも、この理解の仕方だと、若冲は<日本画>とは呼ばないのかな…」と話すと、スタッフから「“日本の絵画”ですね」との声。「確かにそういういい方自分もしてたかもしれないです」と和田さん。この辺の微妙なボーダーは難しいところ。
また、日本画の定義として植田さんは「岩絵具を使って膠(にかわ)で定着させる作品のことを主に日本画と呼び、専門家は近代以降の絵画作品を日本画と呼ぶことが多い」とも。では、「岩絵具」と「膠」とは?

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Q.画材の「岩絵具」と「膠」とは?

この「岩絵具」などの日本画材を見せてくださったのは、大学で日本画を学び、現在京都を拠点に活躍するアーティスト・松平莉奈さん。

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「(岩絵具は)岩を砕いたものもありますし、赤い色なんかは水銀でできています」と松平さん。さらに、実際の絵を紹介しつつ「このように塗ったところが凹凸になっていて、粒子のキラキラした感じが見えると思います」と独特な質感の魅力を説明してくれた。一方、「膠は、動物の骨や皮などを煮出して固めたもので、かなり硬くて凶器です(笑)」と紹介。

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岩絵具 ▶ 主に鉱石を砕いてつくられた粒子状の日本画絵具。天然の鉱石や近代に入り、人工に作られたものなどがある。

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膠 ▶ 絵具と画面を接着するために必要な素材。動物の骨や皮など、煮出しコラーゲンを固めたもの。

アーティスト・松平莉奈さん 「美術の世界に興味を持ち始めた中学~高校の頃にちょうど日本美術ブームがあったんです。高校の美術の先生が“最近、伊藤若冲っていう江戸時代の画家がブームなんだよ”っていうことを教えてくれまして、本屋さんに行くと曽我蕭白などがクローズアップされていて、こんな絵があるんだとビックリしました。同時に2005年の『美術手帖』の『日本画特集』で日本美術を活かしたり、引用したり、逆手に取ったりして新しい美術をつくる作家たちが取り上げられていたので、興味を持ちました」

松平さんにとって、日本の絵というと「どちらかというとおとなしいイメージがあった」という。しかし実際には、「インパクトがあってカッコいい。“こんなのあるんだ!”と驚きました」という。

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Q.江戸時代の絵画のスターは?

江戸時代の京都の絵画のスターたちについて、福田美術館の岡田秀之さんに案内していただくことに。まずは若冲の貴重作「蕪に双鶏図」を紹介。蕪の畑の中に雄鶏と牝鶏がいる絵。「細かいところを描くというのが若冲の特徴。また、普通の人が考え付かないような構図、描き方の作品が多いので、“奇想”の画家とも言われています」と岡田さん。

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また、植田さんによると、「若冲は知られている存在ではあったんですが、戦後、忘れられていた画家でもあり、その過程で辻惟雄先生が1970年に『奇想の系譜』という本を出して個性的な画家、忘れられた画家を改めて注目するようになりました。2000年ぐらいに、京都の国立博物館で『若冲・没後200年』という大きな展覧会が開かれ、その後空前の若冲ブームがおとずれました」とのこと。2016年の東京都芸術美術館の『生誕300年記念 若冲展』では、入場5時間以上待ちの大人気となり、大きな話題となった。

辻惟雄『奇想の系譜』▶ 1970年。伊藤若冲、岩佐又兵衛、狩野山雪、曽我蕭白、長澤蘆雪、歌川国芳。自由で斬新な発想を持った江戸時代の6人の画家たちを取り上げた。

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一方で、岡田さんは、与謝蕪村の『猛虎飛瀑図』も紹介。「毛の細かさ、緻密に描かれている」というこの作品。ただ、この前年に若冲が自身の代表作となる『動植綵絵』を発表し、さらに緻密に描いた巨大な作品30幅を出していたため、「蕪村は(以後)細かい絵を描かなくなっていった」という。
その与謝蕪村と伊藤若冲は同い年、しかも徒歩15分の距離に住んでいたという。多くのスター画家が同じ町で生活していた江戸時代の京都。

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そんな京都画壇の中でも当時人気ナンバー1画家だったのが、円山応挙。とくに応挙の作品でも「人気だったのは子犬の絵とか、可愛い絵」と岡田さん。

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円山応挙の『竹に狗児図』(1779年)は、「コロコロっとした愛らしさみたいなものをうまく書いています」と解説するように、現代の目線で観ても「かわいい」があふれている。「一方で若冲にも子犬の絵(『百犬図』)あるんですけど、ちょっと目がキリッとしていて怖いんですよね」と岡田さん。和田さんも「若冲の犬はすごい構図で描かれていて、好きですけど、かわいらしいという感覚とは違うような感じですね。ここに作家の個性って出てるなと改めて気づきました」と、当時の絵画に生まれた個性に惹きつけられていた。

Q.円山応挙人気の秘密とは?

福田美術館・岡田秀之さん 「狩野派の描き方、鶴はこう描きなさい、牛はこうですよ、という当時の常識というのがあって、決まりがたくさんあり、その決まり通りに描くのが一般的な絵だったんですけど、円山応挙は、当時のパトロンから“見たまま描いたらどうだ”というアドバイスをもらって、ホントに見たまま描いたんです。それが当時の人たちにすごく新鮮で、大人気になりました。<写生>を本格的に打ち出して、追求し、たくさん描いた人です」

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狩野派 ▶ 日本美術界に君臨した絵師集団。室町時代から江戸時代末まで400年以上にわたり活躍した。

福田美術館・岡田秀之さん 「円山応挙は重要な人物で、応挙以降、写生、スケッチを重視した絵が大流行します。江戸時代から明治時代に受け継がれていきました」

京都文化博物館・植田彩芳子さん 「近代京都の日本画家のルーツともいえる円山応挙になっていて。“先生の先生の先生”とたどっていくとみんな円山応挙となる感じなんです」

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そんな京都の街には、今も当時の日本画家たちのアートを見ることができる。まず訪れたのは「宮脇賣扇庵」さん。1823年創業の扇子店で、その2階には明治時代につくられた京都画壇の作品として天井画が現存する。

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宮脇賣扇庵・代表取締役の南忠政さんによると、「明治35年完成した天井画で、当時の京都画壇、48画伯によるもの。店内のシンボル的な存在だと思っています」という。

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また、弘源寺にうかがうと、そこには、ズラリと竹内栖鳳、そして竹内栖鳳の弟子たちの絵が飾られている。弘源寺の住職の田原義宣さんによると、「画家の人たちはお寺に絵を寄贈するというのは、一つのステータスみたいなもの。寄贈すると、永遠に残る。自分の絵を残したいというお気持ちからでしょうね」と当時の画家たちの思いを語る。このように京都画壇を支えたのは、寺院や商人。京都のアートはいわば「街場のアート」といってもいいようだ。

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和田彩花さん 「こう描くべき、というのが決まってる中で応挙がもっと“見たままでいいんじゃないか”っていう視点だとか、そういった個人というものがそこから始まったんだなというのも感じて、だからこそ個性的なものが京都にこんなに集まっているんだというのを改めて感じました」

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歴史に寄り添いながら、街の生活の中にも息づいている京都のアート。日本の絵画を観るうえで欠かすことのできないエッセンスが溢れた京都。その懐の深さを感じさせるアートの旅となった。

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出演者

和田彩花