アートフルトウキョウ

#5 2021.07.17 /
#6 2021.07.24

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変わり続ける東京の街並みの中で、時にひっそりと、時に独特の存在感を放つアート作品たち。誰でもいつでも見ることができるこれらの作品はパブリックアートと呼ばれ、都市の重要な役割を担っている。

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今回アートの冒険に出かけるのは、ご自身で作品を作り、展覧会に出品するなど美術へのアプローチが大事な時間と話す女優の若月佑美さん。実用的で機能的なもので埋め尽くされた現代の街の中でパブリックアートに出会って感じ取ることとは?

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若月佑美さん おじいちゃんが絵の先生をやっていたんですが、幼稚園の頃、そのおじいちゃんに絵を描いて持っていくと、喜んでくれたんです。それがきっかけで好きになりました。今は移動中にも描けるのでiPadで描くことが多いですね。ルドンやゴヤなど、ダークでちょっと不気味と思われるような作品に惹かれます。女優業は、ならなきゃいけないキャラクターがあるものですけど、絵を描くのは、悲しかったら悲しい絵、嬉しかったら嬉しい絵を描くことができるので、心のバランスが取れるんです。

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1.パビリオン・トウキョウ2021

若月さんがまず訪れたのは、開幕したばかりの『パビリオン・トウキョウ2021』。ワタリウム美術館館長で『パビリオン・トウキョウ2021』実行委員長の和多利恵津子さんの案内で、会田誠作「東京城」の前に。ダンボールでできた城と、ブルーシートでできた城がそびえ立つ。雨が降っても風が強くても大丈夫なつくりになっていて、この日は傘をさしていても濡れてしまうような天候の中で、揺るがぬ存在感を誇っていた。

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『パビリオン・トウキョウ2021』▶ 新国立競技場を中心とする複数の場所に建物やオブジェを製作し、東京の新しいランドスケープを作る試み。6名の建築家と2名のアーティストが作った作品を無料で誰でも見ることができる。

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会田さんは、この作品に関して、「ダンボールとブルーシートはデビュー以来何度も使っている素材。ダンボールとブルーシートというものが持つ意味性が好きで扱っています」と語り、「震災や災害、あるいは経済的な貧困をイメージさせる物質を使ったこの作品が通った、置くことができたというのは日本も東京都もまだ大丈夫だな、という思いもあります」とコメントした。

ただ、和多利さんによると、ここまでたどり着くのは苦労をされたそうで「いろんなお役所に許可を取って2年ぐらい。とっても大変でした」とのこと。若月さんは「地元が静岡なんですけど、駿府城(の石垣)が3.11で崩れてしまって、それを思い出しました」と、かつての震災の記憶をよみがえらせた。「それ、とっても大事なことですよね。もしかしたら東京だって、いつそうなるか…。そういうことを忘れないで、っていう作品でもある」と作品の意味合いを和多利さんも語った。

2.丸の内ストリートギャラリー

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次に向かったのは、東京駅近くにある「丸の内ストリートギャラリー」。若月さんも「ここにアートがあるんですか?」と思わず口にするほど、林立するのはオフィスビルばかり。

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東京駅北口から出て目の前にある丸の内仲通り。この街にアート作品が置かれるようになったのは1972年。「丸の内ストリートギャラリー」として、歩行者中心の街づくりが行われるようになった。この丸の内を案内してくださったのは、三菱地所エリアマネジメント企画部 副主事の謝質淳さん。

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加藤泉さんの作品「無題」の前では、謝さんから「だるま落としのような感じで石が積み重なってできてる作品です。石切場で切り出された石をそのままの状態で使って、その上に絵を描いています。石の個性と創作が組み合わさって、石の作品とも絵画の作品ともいえるものに仕上がっています」という説明を受け、「男性にも女性にも子供にも見えてくる『無題』の魅力。絶妙な表情してますよね。かわいい」と若月さんも思わず笑顔に。
さらに、草間彌生さんの『われは南瓜』も案内。「草間彌生さんというと南瓜と水玉ですが、石で作った南瓜の作品はこれが初めてです」と紹介。独特の質感とあふれ出るかわいらしさに思わず目が止まる。

また、各作品の台座にはQRコードのプレートがあり、ニッポン放送『オールナイトニッポン』のパーソナルティによる音声ガイドを聴くことができるようになっている。

これまで大きな破損や盗難などなく、安心して作品の展示ができていることが、この「丸の内ストリートギャラリー」を長く続けられた理由の一つ。「パブリックアートというのは、室内の展示と違い、その時の天気だったり、観る方の心境で観え方が変わってきます。また、夜見るとライトアップされているので、昼観た印象とは違うんです」と謝さん。作品と人との距離、街のシチュエーションが同じ作品に違う輝きを与えるパブリックアートの魅力が詰まった空間だ。

Q.作品選びの基準は?

【三菱地所エリアマネジメント企画部 副主事の謝質淳さん】

入れ替えの前に、世の中のトレンドに合わせてコンセプトを決めています。今展示されている作品は2019年からオリンピック、パラリンピックのインバウンド客が増加することを見越して、海外と日本国内で高い評価を受けている日本の作家で、ということで決めました。
現在は人気アーティストの作品が16作品展示されています。定期的に清掃を行って、観る方がきれいな作品に出会えるように努めています。

若月さん 今まで見てなかったことを後悔してます(苦笑)。ちょいちょいショッピングなどで来ていたんですけど、お店を見ることに集中していて、こんなにも面白い作品があったんだと知りました。

3.銀座・数寄屋橋公園

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次に訪れたのは、銀座・数寄屋橋公園。岡本太郎さんの「若い時計台」がそびえたつ空間。1966年、奉仕団体の東京数寄屋橋ライオンズクラブが岡本太郎さんに依頼し、完成した作品で、設置されてから55年。昭和、平成、令和と時を刻み続けている。「岡本太郎さんって、パブリックアートをすごくたくさん手掛けているんです」と説明をしてくださったのは、美術史家・美術評論家の山下裕二さん。「1950年代から岡本太郎はパブリックアートを手掛けています。地下鉄の日本橋の駅の壁画、旧都庁の壁画『日の壁』など」。

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しかし、その『日の壁』は都庁の移転とともに廃棄されてしまうなど、当時のパブリックアートは捨てられてしまっている例もあるという。「でも、太郎さんはそういうものをどうしても保存しないと、という人ではなかった。ある時期それが公共の場所に設置されて、多くの人の目に触れたらそれでいいじゃないか、という考えの人でした」と山下さん。岡本太郎さんならではの思考だ。

Q.なぜ岡本太郎にパブリックアートの依頼が集まったのでしょうか?

山下さん 「岡本太郎さんが記した1954年刊行の『今日の芸術』というベストセラーは大きな影響を与えました。芸術は広く開かれたものじゃなきゃいけない、お金持ちが高いお金を払って応接間に置いておくものであってはならないと、という主張をしたんです。一般の人に可能な限り開かれたものであれ、と」

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1970年の日本万国博覧会でつくられ、現在も万博記念公園に設置されている「太陽の塔」。山下さんによると「なんで岡本太郎は国家に協力するんだ、と周りから反対された」という。しかし、「反対されればされるほど“やってやろうじゃないか”というのが太郎さん。万博のテーマ『人類の進歩と調和』だったのですが、そのテーマと反対のものを会場に立ててやるんだ、と意気込んだ」と。

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「岡本太郎の本を読むと人生変わるよ」と山下さん。若月さんも「読んでから観る街の作品。全然違って見えると思います」と目を輝かせ、岡本太郎の持つパワーに惹きつけられていた。

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岡本太郎(1911-1996)
▶ 日本を代表する芸術家。絵画・彫刻・執筆など精力的に活動を展開。中でも多くのパブリックアートを製作し、今でも日本中に太郎の作品が残っている。

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岡本太郎さんが生前住み続け、作品を作り続けたアトリエが『岡本太郎記念館』として公開されている。2021年7月14日(水)~2021年11月14日(日)まで『顔は宇宙だ。』という展示が行われている。

4.ファーレ立川

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最後に訪れたのは立川。「静かで落ち着いた場所って感じですね」と若月さん。立川駅前に100点以上のアート作品が並ぶ「ファーレ立川」を案内してくださったのは、ボランティアスタッフでファーレ倶楽部の皆さん。まず最初に目の前に現れたのは、ニキ・ド・サンファル(フランス)作の『会話』。二人で座ると向き合っておしゃべりができるベンチ。また、ロバート・ラウシェンバーグ(アメリカ)作『自転車もどきⅥ』、いらなくなった自転車にネオンがつけられ、夜になると街の中で光りを放つ作品。

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ファーレ立川
▶ 立川駅を出て11棟のビル群に囲まれているエリアに展開。36ヶ国、92人のアーティストによるパブリックアートがそこかしこに広がる。

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戦後、立川飛行場が米軍に接収され、基地の町として復興した立川。1977年に米軍基地が返還され、1992年くらいから新たな試みとしてアートの街として開発され1994年に完成。この「ファーレ立川」のアートディレクター北川フラムさんは、この立ち上げに際して、次の3つを大事な要素にしたという。
「できるだけ違う国(の作家)を集めて」
「考え方が違う人を選んで」
「技法が違う人を選ぶ」
ベルリンの壁が崩壊し、ソビエト連邦も崩壊といった世界の激変の中で、1990年代前半に作り上げたコンセプトは今も生き続けている。また、この「ファーレ立川」では、街頭や車止め、換気口や散水栓のカバーなど街に溶け込んだ都市機能がアートになっている。

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「おでこをつけて体をつけて瞑想してください」とスタッフが案内してくれたのは、『黒い竜-家族用』というマリーナ・アブラモヴィッチ(旧ユーゴスラビア/オランダ)の作品。「こっち向いたら何もすることないから“無”になりますね」と体感した若月さん。作品との接近で得られる不思議な経験となった。

Q.この「ファーレ立川」は住民にどう受け入れられいったのでしょう?

【ファーレ立川 アートディレクター北川フラムさん】

約200回のツアーでやって案内していく中で、興味を持ってもらいました。それを地元の方が引き継いでくださいました。これは世界でも奇跡的なことですが、住民と行政とその建物の持ち主たち、共同でメンテナンスの仕組みをつくるようになりました。世界のモデルのようなパブリックアートになってきたと思います。
アートはそれを伝えていく人たちが重要だし、作品の面白さ、強さもあるけど、作品を作っていく、あるいはそれを運営していく、観ていただく中でできてくる人間の動きがものすごく重要。アートっていうものは好き嫌いはあっていい。人間そういうもの。アートそのものが世界の縮図だと思っています。

若月さん こんなに心を動かして1日、いろいろなところを回ったことはなかったので、すごく幸せです。いつもゴールがあって、そのゴールに向かって歩いているので、そうじゃなくて、それまでの過程で周りをキョロキョロして観るっていうのも大事なことだな、と思いました。

人々の営みの中にアートが溶け込み、また、アートが人々に力や癒しを与え、思わぬ表情見せてくれる。パブリックアートと人の幸せな関係を感じる1日となった。

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出演者

若月佑美