フィギュアはアートなのか?

#3 2021.06.19 /
#4 2021.06.26

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今世界規模で注目を集める現代アーティストKAWS。7月には20年ぶりに東京での展覧会が開催(「KAWS TOKYO FIRST」7月16日(金)~10月11日(月):森アーツセンターギャラリー)され、その規模は国内最大級となり、最新作を含む150点以上の作品が展示され大きな反響を呼んだ。今回はそんなKAWSのルーツを中心に、フィギュアの世界を巡る旅へ。
今回アートの冒険に出かけるのは、女優・モデルとして活躍する玉城ティナさん。十代の頃から海外の美術館などにも通っていたそうで、「美術館の空間が好きなんです。ああいう押し付けられてる感じもなく、自分が見たいものの前に立って感覚が研ぎ澄まされていく感じがいいなと思います」と話すほどのアート好き。そんな玉城さんが見つめるフィギュアの世界とは。

KAWS▶(1974-)NYを基盤に活躍。90年代前半NYで描いていたストリートアートで一躍有名に。1997年、初来日。1999年、アパレルブランド「バウンティーハンター」と一緒にフィギュア作品を発表し大ヒット。

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玉城さんが、最初に訪れたのは、原宿の古着屋さん「Stay246」。KAWSコレクターたちが足しげく訪れるこちらのお店。案内してくださったのは、「Stay246」の大庭翔さん。この店で10年以上働き、KAWS好きで知識も豊富な大庭さん、「KAWSさんのフィギュアの始まりは1999年のコンパニオン(REALMAD HECTIC×BOUNTY HUNTER1999 1st COMPANION)。その5年後、KAWS×MEDICOM TOY Five Years Later Companionが大きな注目を集めたんです」と基本から解説。

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様々なKAWS作品を前に「触っちゃっていいんですか?」と玉城さん。「いいですよ、気になるものがあれば」と大庭さんに促され、「このくしゃくしゃ…くしゃくしゃって言ったらなんですけど、これはなんですか?」と興味を示したのは、「KAWS COMPANION(ROBERT LAZZARINI version)」。「これはなかなか市場にも出回ってないものなんですよ」と大庭さん。玉城さんは、「安定感がない感じが素敵です(笑)」と気に入った様子。KAWS作品を満喫するひと時となった。

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Stay246▶ 2000年からストリートファッションを中心に国内外問わず希少価値の高い古着を販売。中には500万円を超えるKAWS作品も販売している。

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KAWS COMPANION(ROBERT LAZZARINI version)
▶2010年発売。Stay246では44万円で販売。資格と空間でねじ曲がった「歪み」を表現する作家ラッザリーニとの共同制作。

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REALMAD HECTIC×BOUNTY HUNTER1999 1st COMPANION
▶KAWSが世界で初めて制作したフィギュア。Stay246では3体セットで110万円で販売。※現在は取り扱いがありません

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KAWS×MEDICOM TOY Five Years Later Companion
▶2004年販売。KAWSフィギュア作品を数多く展開しているメディコム・トイと制作。Stay246では現在44万円で販売。

そして、ここからはフィギュアの歴史とフィギュアとはアートなのか、という話題に突入。「その人がおもちゃだって思ったらおもちゃだろうし、アートだって演出で思わせることが出来たらアートだろうし、演出方法の違いなのかなって思いますね」と観る人の意識によって違うと捉えるのは玉城さん。
まずは、フィギュアにはどんな定義があるのか、が気になるところ。現在、スタジオジブリが発行している雑誌『熱風』の編集長で、フィギュアコレクターでもある額田久徳さんが丁寧に語ってくださった。

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雑誌『熱風』の編集長・フィギュアコレクター 額田久徳さん

額田さん フィギュアの定義ってすごく難しいんです。ソフトビニール(ソフビフィギュア)とか、食玩とか、スタチューとか、着せ替え人形とか…。エジプトのピラミッドに入っているものもあれもフィギュアだとか。日本の縄文時代にもあった、ということにもなっちゃうんですけど、現在イメージされている一般的なフィギュアという意味では、1960年代のG.I.ジョーが一番一番最初なんじゃないかなと思うんです。そして、一般的にフィギュアという言葉が出てきたのは1990年代なんですね。それはアクションフィギュアだったと思います。

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G.I.ジョー ▶1960年代アメリカで放送された戦争映画シリーズの兵隊のフィギュア

様々なジャンルが混在しているフィギュアの世界。このフィギュアをアートに持ち込んだのはなんだったのか。語ってくださったのは、雑誌ブルータスの元副編集長、鈴木芳雄さん。

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雑誌「ブルータス」元副編集長・鈴木芳雄さん

鈴木さん 1991年に中原浩大というアーティストが展示したのが最初。中原さんは彫刻とは何か、を追求してる方で、生の果物を串刺しにして展示してこれも彫刻である、というような形で80年代から追及してた方で、そのうちのひとつとして、既存のフィギュアキット(1990年から91年に放送されたアニメ『ふしぎの海のナディア』の主人公・ナディアのフィギュア)をもとに製作したんです。ただ、(発表当時は)これが現代美術なの?と理解されなかったと思います。

中原浩大(1961-)▶美術家・彫刻家。京都市立大学教授。日本で初めてフィギュアをアートに持ち込んだ第一人者。

発表当時理解を得られなかった中原さんの作品。しかし、この作品に大きく影響を受けたのが世界的に活躍する現代アーティスト、村上隆さんだったと鈴木さん。

鈴木さん 『マイ・ロンサム・カウボーイ』という作品が2008年、NYのサザビーズのオークションで16億円ぐらいになるんです。作品自体も挑発的だし、それを高値で買うことの意味というものが出てくる。こうして現代美術の新しいページが重ねられていく痛快さみたいなものがある。また、村上さんのこうした作品は、20世紀のアーティストたちが提唱した美術の考えの上に乗っかって世界に打って出たという見方もできるんです。マルセル・デュシャンを既存のものを見立てて美術品とするという考え方の文脈にも乗っかってるし、アンディ・ウォーホルの反復する複製するという文脈にも乗っかっているともいえるんです。

マルセル・デュシャン(1887-1968)▶フランス出身・現代アートの創始者。アート作品は目前にある作品を鑑賞者が見て初めて作品は完成する、と唱えた。

アンディ・ウォーホル(1928-1987)▶アメリカ出身・ポップアートの巨匠。広告や新聞など大衆文化を主題とした作品でアート界に影響を与えた人物。

ただ、フィギュアコレクターである額田さんによると、フィギュア好きの観点からすると、受け入れがたかったそうで、「みんなストーリーが好きで、例えばウルトラマンのストーリーが好きでウルトラマンのフィギュアを買うわけで、クリエイターが作ったものはストーリーがないのでそこは受け入れられない」と感じたそう。しかし村上さんの作品はセンセーショナルなだけでなく、20世紀のアートの歴史を踏襲したうえで評価をされていくことになる。

続いて玉城さんが向かったのは、現代美術品を集めているアートコレクター木本優さんの事務所。90年代に原宿のストリートファッションからKAWSにハマり、原宿に通い詰めていた木本さん。今やKAWSがきっかけで注目の現代アーティストの作品をコレクションするまでに。そんな木本さんが所有されているKAWS作品たちの中で玉城さんが目を奪われたのは、「先ほどフィギュアを取り扱ってるお店に行ってきたんですけど、私がこれが欲しい、と思ったものを木本さんが持たれてるなぁって」と、KAWS COMPANION(ROBERT LAZZARINI version)の存在。再び熱い視線を送ることに。

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アートコレクター木本優さん

木本さん KAWSがOriginal Fakeというお店を持っていたんですけど、そこにフィギュアも売られていて、その当時、ファッションを買いに行くのとともにフィギュアも買うという感じで通っていました。当時フィギュアは2万円、3万円で、並べば買えるという感じだったですね。

Original Fake(オリジナルフェイク)▶2006年KAWSと日本のトイメーカー、メディコム・トイとのコラボレーションで誕生したアパレルショップ。

KAWSがOriginalFakeでアパレルとフィギュアを販売するようになるなど、コラボレーションによる動きが盛んになり、アート系フィギュアへという流れには何があるのか。額田さんはフィギュアの歴史とともにこう捉える。

額田さん 1970年代の最初の「POPEYE」創刊ぐらいからの古着屋さん、アメカジのブームがあり、「スターウォーズ」などのフィギュアのブリスターパックを店内に飾り、それがおしゃれインテリアのひとつとして注目され、藤原ヒロシさんやNIGOⓇさんもいいなと。そんなことをしているうちに彼らが自分で作るようになったんです。バウンティハンターから始まった自分でキャラクターを作っていくというのが続いて、海外のコンベンションでも即売り切れになって、それがアート系フィギュアの走りはないですかと思います。

バウンティハンター ▶1995年にオープンしたアパレルブランド。デザイナー兼代表のヒカルは日本でオリジナルフィギュアを制作した第一人者。

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玉城さんが次に向かったのは、KAWSがアジア圏で初となる展覧会を行った場所、渋谷PARCO(「KAWS TOKYO FIRST」2001年3月~4月、渋谷PARCOで開催)。当時、KAWSは裏原ファッションに影響を受けており、個展の開催をこの場所にしたという。「渋谷はファッションカルチャーもそうですし、そういう影響を与えていたっていうのもあって、東京独自の、渋谷独自の文化っていうのも発達してる」と玉城さん。ファッション、アート、カルチャーが融合している渋谷PARCOでKAWSはどうして初展覧会を行うことになるのか。KAWSの初展覧会を企画した編集者の飯田昭雄さんが語ってくださった。

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編集者・飯田昭雄さん

飯田さん 90年代半ばから、NYやロンドンなど、海外の人たちが半径何百メートルの原宿で起こってることに対して、すごく注目してたので、東京がだんだん世界に注目され、世界的に広がっていったんです。一方で、KAWSの活動をNYやロンドンなど情報に敏感な人たちが騒ぎ始めてて、その噂が東京に飛んできていて、KAWSより前に東京で活動を進めてたフューチュラ2000、スタッシュというレジェンドといわれるグラフィティアーティストたちがNYに戻って「原宿面白いよ」という話になってKAWSも興味を持って…という形で自然とつながっていったんです。

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飯田さんは、「物作りのメソッドだったり、クリエイティブのヒントを彼自身も東京から吸収してし、メディコム・トイとつながっていく中で、この20年の間、クリエイティブメソッドを積み上げてきた」と語る。また、木本さんも「裏原のど真ん中を彼と一緒に育ってきた人間が彼の周りで彼の作品について魅了されている。彼が通ってきたファッションシーンとの連動性が大きくて、創作性、デザインの意匠性を緻密に考えてるところがアートとして評価されてるところじゃないか」と分析する。

メディコム・トイ ▶今年創業25周年を迎える日本のトイメーカー。テディベアをモチーフにした「ベアブリック」が有名。

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そして、最後に巡るのはアジア圏で人気を集めるフィギュアと世界の関係。そしてこれから。お話をうかがったのは、滋賀県を拠点にオリジナルフィギュアを製造し、販売するINSTINCTOY代表の大久保博人さん。額田さんによると、「INSTINCTOYはここ何年もすごく人気があって、ソフビをきめ細やかに作って色も綺麗」と評価が高い。独学で会社を立ち上げた大久保さんは、2002年にトイショップという形で始め、3年問屋から商品を仕入れて自分の好きなものを販売する、何が売れて何が売れないのか、需要と供給を学び、その3年の実務経験、経験値をもとに独自のブランディング、マーケティングで2005年、INSTINCTOYを設立。2008年に初めてINSTINCTOYのオリジナルフィギュア「インク」を発売することに。今や世界中のコレクターが求めるまでに成長し、最近では注目の現代アーティストとコラボ作品を生み出すなど活動の幅を広げている。

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INSTINCTOY(2002-)▶滋賀県を拠点にオリジナルフィギュアを製造・販売。

そんなINSTINCTOYとともにフィギュア製作をしている今注目の現代アーティスト上野陽介さんと大久保さんにリモートで玉城さんが話をうかがった。

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上野陽介(1977-)▶現代美術家。色彩豊かな表現と可愛いキャラクターHAPICOが人気。

大久保 「イキイキとした魅力的なHAPICOというキャラクターを描かれていて絵からそのまんまフィギュアとして取り出すような、作品を生み出せる自信があって、その熱意を上野さんにお伝えしたところ、“ぜひ、やりましょう”ということで」

玉城 「色合いとかフォルムもかわいいなと。…確かに、フィギュアとして欲しくなっちゃいますね(笑)」

上野 「大久保さんが声を掛けてくれた時、初対面だったんですけど、今ならこのHAPICOを実現することができます、と具体的に示してくれてそこから始まりました。すごいのはこれだけ頭が大きくてバランスが取れるという。ホントにすごいクオリティで仕上がってビックリしました」

大久保 「フィギュアの価値とクオリティを追求した完全に新ジャンルのマーケットで、歴史を重ねることで、もっともっと深みのある世界に成長していくんじゃないかと期待しています」

上野 「僕も今までアメリカヨーロッパが主な舞台だったんですけど、アジアのほうでも活動してて、今、中東のほうでも発表の場を広げているので、フィギュア文化みたいなものを広げていきたいと思っています」

玉城 「日本でアイディアが重なっていくっていうのがプラスだなって感じるんですけど、それがどんどん世界に広がっていって、価値がどんどん上がっていくんだろうなっていうのは私も思いましたし、アートとまた違う、一つのジャンルとして、どんどん成長していくんだろうなと思いました」

フィギュアの未来はどうなっていくのか。雑誌ブルータス元副編集長・鈴木芳雄さんは「大げさに考えなくても、元々(人々は)仏像みたいなものは好きだったわけで、そこから革命的なことがあって、流れが一気に変わって、その流れを追求していくと、さらに精巧になって技術も高まっていく。革命と熟成を繰り返してる感じがあるから、まだまだ熟成していくかもしれないですね」と話す。アートとフィギュアの関係は日本のカルチャーが大きな役割を果たしながら大きくなっていったことをまざまざと感じることとなった今回のアートの冒険。玉城さんは「アートに対してもっともっと知りたいな、という知識欲が高まりました」と充実の表情でしめくくってくれた。

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出演者

玉城ティナ