11月
#14 中野ネクスト

今回のテーマは『中野』。新宿に隣接する東京随一のベッドタウン。この街にはディープなカルチャーが根付き、 住民たちと共存している。全国的にも有名な駅前のランドマーク「中野サンプラザ」、サブカルチャーの聖地「中 野ブロードウェイ」。昭和の匂いを今でも漂わせるこの街にも、近年、大規模な再開発の波がやってくる。緩やか に変わりゆく街を、中野に所縁のある著名人のインタビューからひも解いた。
<ナレーション> 橋本愛(女優)
<出演者> 大槻ケンヂ、中川翔子、藤田玲、ブッチャーブラザーズ、古川益蔵(まんだらけ社長)、宮島茂明(中野観光協会理事長)、やついいちろう ※五十音順

第27回 前編:中野ネクスト 11月5日放送

中野サンプラザ

■ 藤田玲(俳優)
「14 歳、デビューの時の『仮面ライダーファイズ』最後のトークショーが中野サンプラザ。中野区民の成人式も、堀越の入学式も卒業式もここなので、節目節目にお世話になっている」

■ 大槻ケンヂ(ミュージシャン・作家)
「ライブ終わってスタスタって行ったらそのままミスドでお茶できる感じ好き。最初に出たのは筋肉少女帯のワンマンで、再結成の最初のライブも。入り待ちの人がいるか見に来たら結構いたので、『今日はいいライブになりそうだ』って帰ったこともありましたよ。」

■ 宮島茂明(中野区観光協会 理事長)
「南北通路を通して、ロータリーを設置して…。改札口前を様々な形で開発するために、区役所、サンプラザを巻き込んでの一体開発を行う必要があるということで、区にも納得してもらい、購入に踏み切りました。」

麦酒大学

■ やついいちろう(芸人)
「『ここ行ってみな』って言われて入ったら本当にうまかった。一種類のビールで注ぎ方だけで味を変えるっていうコンセプトがめちゃくちゃ面白い。ビールって喉ごしで飲んでたんですけど、よくよく飲んで見ると甘いとか苦いがわかるようになって面白かったです」。

なかの小劇場

■ ブッチャーブラザーズ(芸人)
ぶっちゃあ「今日の10月で23年目に入りました。当時中野に住んでいて、できたばかりだから、是非使ってもらえないかと言われて」
リッキー「ここは鍛える場であり、初めて舞台に立つ晴れの場であり、勝負の場。早いとこ卒業する場所で、安住の地になっては困る。芸人の踏み台、一歩目の場所だと思ってもらえれば」

中野と映画館

■ 藤田玲(俳優)
「中野は個人商店が多いイメージだったけど、最近は減ってきてる。新宿、東京は大都会、というイメージだったけど、中野はそうでもない感じ。それでも今は再開発で、無いものは無いくらいになって。無いのは映画館くらいかな?」

■ 大槻ケンヂ(ミュージシャン)
「中野には映画を観に行くんですよ。自転車に乗って。僕の中学ぐらいの頃は3巻ぐらい。名だたる監督が若い頃に撮っていたピンク映画なんかを浴びるように観たということが、僕の創作する上においてとても素晴らしい経験だったと思う」

自分にとって『中野』とは

■ 中川翔子(ミュージシャン)
「私の人生を作ってくれた心の原風景です。中野の夕暮れ、優しい季節の風の匂いが大好きです。郷愁がたまらないです。古き良きものと、サブカルと、未来を全部手に入れた最強の街に進化してほしいと思います」

■ 大槻ケンヂ(ミュージシャン)
「下北沢とか渋谷とか本当に変わった。再開発でどんどん面白い街になるのは重要で素晴らしいことだけど、幼少期の思い出の風景が全部なくなってしまうのは悲しい。だから、写真とかいっぱい撮っておこうと思う。変わらないところは変わらないでほしい、勝手なことを言えば。」

第28回 後編:中野ネクスト 11月12日放送

中野ブロードウェイ

■ 大槻ケンヂ(ミュージシャン)
「中野ブロードウェイとは同い年。今でこそオタクの聖地として外国の方もたくさん来ますが、当時はもっと怪しい感じがありました。サブカル、オタクな奴にはいつも心にブロードウェイがある。12時より前はお店開いてないとか、水曜は休みが多いとか、海外の方へも教えてあげたい!」

■ 中川翔子(ミュージシャン)
「記憶にない頃から行ってます。『中野ブロードウェイはすごいぞ』っていう刷り込が体に流れていて、それでオタクになった感じ。DNAですね笑 小さい頃から中野ブロードウェイでお店をやりたかったから、自分のブランドショップで叶うとは思わなかった。全てに感謝です。」

まんだらけ

■ 古川益蔵(まんだらけ社長)
「それまでも調布で古本屋やっていて、僕の頭では繁華街って言ったらここしかなかった。水木しげる、石ノ森章太郎とかのマニアはたくさんいたので、それに値段つけたら売れた。市場はあったんですよ」

■ 藤田玲(俳優)
「仮面ライダーでデビューさせていただいたんですけど、自分のフィギュアを探しに行きましたね。見つけたのもまんだらけ。やっぱり自分のキャラがいると嬉しいですよね」

酒道場 味吉/哲学堂公園

■ ブッチャーブラザーズ(芸人)
リッキー「(お気に入りの店について)最近だと食楽。メニューがとにかく多かった」
ぶっちゃあ「もう閉店してしまったが、味吉。超安い。牛たたきが100円なんです!江頭2:50の芸名もそこで付いた」

■ 大槻ケンヂ(ミュージシャン)
リッキー「哲学堂は、井上円了先生が作った哲学心理アミュズメントパーク。入り口にある幽霊像がすごくリアルで怖かったんだけど、今フィギュアみたいにカラーリングされてて、それがすごくショックだった(笑)」

中野セントラルパーク

■ 宮島茂明(中野区観光協会 理事長)
「明治以降100年間、民間人が入れない土地だった。学校と寮とグラウンドがあり、塀で囲まれていた。最初は警察病院が飯田橋から移転、手狭になったということで大学が移転し、空いた時を区に払い下げた。開発は避難場所の確保、プラス賑わいと住民を増やすという目的で行われた。」

■ 中川翔子(ミュージシャン)
「いつのまにかあんなに新しくなった。セントラルパークのオフィスに通っている皆さんが溌剌としだして、ビジネスの場としても中野が盛り上がってきているのが誇らしい」

中野ネクスト

■ 藤田玲(俳優)
「もっと便利になるとは思うが、人情あふれる感じは残してほしい。」

■ 中川翔子(ミュージシャン)
「とにかく老舗、古いもの、昭和を残してほしい。外観は守りながら、中だけ新しくしていくのが一番いい方法。守ることの素晴らしさを大事にしてほしい」

■ 宮島茂明(中野区観光協会 理事長)
「再開発の完成は7、8年後。サンプラザを残してほしいという方々も多くいる。ごちゃまぜ、なんでも受け入れる、来るもの拒まず、そんなイメージが中野の特色だと思っている」

■ 古川益蔵(まんだらけ社長)
「時間を隔てて生き残ったものがやはりいいもの。滅びるものは滅びる瞬間がいい。時代を経てなおいきいきしているものの価値は何物にも変えがたい」

■ やついいちろう(芸人)
「おじさんが家庭料理出している居酒屋がなくなってきた。やたらズッキーニ出すなっていうか笑 ピーマンだったのに」

■ ブッチャーブラザーズ(芸人)
「暮らしむき、芸人の生き方、という目線から見た街はあまり変わらないと思う。便利にはなるが、中野にくれば落ち着ける。家、職場、買い物するところが全部揃った街」

■ 大槻ケンヂ(ミュージシャン)
「実家が下宿やっていたので、2階に住んでいる学生のお兄さんたちを見て育ってきた。将来への夢と不安を抱えた若者がまず到着する街として中野は在り続けると思う」

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