4月
#7 平成上京物語

著名人たちの上京物語を紡ぐ。前編は渡辺直美と向井秀徳、後編はパックンマックンのパックンとBiSHのアイナ・ジ・エンドの物語を本人のインタビューで描く。

第12回 前編:向井秀徳 渡辺直美 4月9日放送

■渡辺直美

1987年 茨城県生まれ 
2006年NSCに入学するため上京。
【NSC時代】
NSCの入学式に間に合わなくて、後で校長に電話して入学する事ができました(笑)
全校生徒のトップ5に入り、卒業公演でネタを披露したんですけど、その後コンビは解散しちゃいましたね。
【ビヨンセのモノマネ~いいとも少女隊】
コンビ時代にもビヨンセのモノマネをしていたので、次の相方が見つかるまでの繋ぎとしてネタをやってところ、「さんまのまんま」の出演が決まり、その後「いいとも少女隊」のオファーがきました。最初、「世界が違う」と思いオファーを断ろうと思ったんですけど、周囲の説得もあり出演することになりました(笑)。
【いいとも少女隊~『笑っていいとも!』終了】
2014年3月に「笑っていいとも!」が終了しまして、番組が終わる時、自分にとって、それまで『笑っていいとも!』は、芸人人生の一部だったので、(終わった時)自分で何とかしようと考えましたね。それまではタモリさんや先輩の芸能人の方々の中で好きな事やらせてもらっていたので。『これから一人で戦わなきゃ!』って思いましたね」

■向井秀徳

1973年 佐賀県生まれ
1995年、福岡でNUMBER GIRLを結成し、1998年に上京
【SCHOOL GIRL BYE BYBリリース】
1997年 Automatic Kiss Recordsより、CDをリリースしまして、東京から福岡に担当者の方が訪れてきました。東京の印象は「この輝きに対抗できるのか」という思いがありました。
【東京初ライブ~上京】
1998年3月、東京で初ライブをしました。ライブのパフォーマンスは覚えていませんが、「迷いながら」、「ビビりながら」東京に突入した事は覚えています。その後、バントメンバーと上京しました。
【NUMBER GIRL再結成の心境】
共演したバンドの人達に『聞いています!』って言われるけど、『NUMBER GIRLを見たことがない、活動中生まれてなかった』と。俺も、メンバーも生きているし、生きている間に見せようと。その他、理由はありますが、もう一回やってみたいと思いました。
再結成して最初に音合わせした時、福岡で最初に音合わせした時のキラメキと変わらなかった。やっぱりキラメキっていいですね。キラメキをずっと追い求めるのかもしれませんね。

第13回 後編:パトリック・ハーラン(パックンマックン) アイナ・ジ・エンド(BiSH) 4月23日放送

■パトリック・ハーラン(パックンマックン)

1970年アメリカ コロラド州生まれ
福井県の英会話講師を経て 上京
【福井県の英会話講師から俳優を目指して上京】
英会話講師はライフワークと思っていなかったですね。やはり俳優をやりたかった。でもハリウッドを目指すのではなく、東京で俳優をやろうと。「日本は甘いだろう」と思っていましたが、その考えが甘かったですね(笑)。
【ボキャブラ天国ブーム】
ちょうどブームになった時にお笑い芸人になりました。ブームが終息していたり、トップの人が決まっていたら難しかったと思います。また、今みたいに若手芸人が多いわけではないので、競争率が低くて、チャンスが多かったので助かりました。
【外国人タレント】
芸能界って外国人タレントの需要に波があるんです。日本の芸能界って思っているより甘くないので僕も日々、謙虚に精進していますよ。

■アイナ・ジ・エンド(BiSH)

大阪出身
【中野の桜】
私が上京した時、中野の桜が満開で、家族で家具を買いに行ったんです。その時、凄く寂しくなって。桜を見ると「悲しいな」って思い出します。
【バイトしならの歌手活動】
渋谷の109のアパレルでバイトしましたね。ライブもしていましたが、チケットのノルマがあって、自腹きってやっていたんです。でも、突然仕事が入ってくるのでバイトのシフトはガツガツ入れられないので生きているか死んでるかわからない日々を送っていました。
【BiSH】
これがダメだったら、大阪帰ろうと思っていました。初ライブは、楽しみでした。でも実際は人が多くて、お客さんとの距離も凄く近くて驚きのほうが多くて嬉しいというよりは初体験みたな気持ちが強かったですね。

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