11月
#2 サヨナラ渋谷90s

第2回目に切り取るのは若者カルチャーの発信地・渋谷。平成という時代もまもなく終わりを迎える今、日本のカルチャー(音楽・芸術・文学・ファッションetc)へ「渋谷」という街がもたらしたものとは?
番組では主に「90年代の渋谷カルチャー」にスポットをあて、渋谷に所縁のある著名人にインタビュー。
時代は変わっても常に若者が集まり続ける街・渋谷の90年代~現在までの30年を“ガン見”しながら次の世代へ向けて渋谷が果たす役割とは?そして新たなカルチャーが育つヒントとは?に迫る。
<出演者>
石川涼(株式会社せーの代表取締役社長)/カジヒデキ(シンガーソングライター)/鈴木涼美(作家)/藤田晋(株式会社サイバーエージェント代表取締役社長)/牧村憲一(音楽プロデューサー)/谷中敦(東京スカパラダイスオーケストラ)/Licaxxx(DJ) ※五十音順

第3回 前編:サヨナラ渋谷90s 11月3日放送

センター街

■ 石川涼(株式会社せーの代表取締役社長)
「当時は、気合い入れないと歩けない街でしたね。今とは全然違う。お金も隠して歩かないといけない。路上には、勝手に物を売っているロン毛のチーマーみたいな兄ちゃんがいて、その人をチラっと見ると『買わねぇーんだったら、見んじゃねぇーよ』って(笑)
ちょっとねぇ。まぁ~悪い感じが恐いんだけど、それに皆が憧れて来ていた感じはありましたね」。

フリッパーズ・ギター

■ カジヒデキ(シンガーソングライター)
渋谷が文化的な街になったのは、小沢君、小山田君っていうカリスマ性がある人がいたから、大きなムーブメントになったと思いますね。93年くらいから渋谷系という言葉が生まれたと思いますが、『前の時代を潰してやれ』っていう感じはありましたね」。
■ 牧村憲一(音楽プロデューサー)
「フリッパーズ・ギターはSHIBUYA CLUB QUATTROでコンサートデビューをしました。歌っている内容は、血も汗も涙もでないような感じですが、実際はギターを弾くときのアップダウンが凄くて、指が切れているんです。その内面的なパンク性を2人は共有していた。それを見せないから、謎めいて見えて、沢山の解釈ができて、面白かったですね」。

HIPHOP

■ 藤田晋(株式会社サイバーエージェント代表取締役社長)
「95年くらいからヒップホップにハマりましたね。なんで95年ってすぐに出てくるかというと、当時のキングギドラやライムスターが曲の中で『95年』って言っているんですよ。当時、ちとせ会館の安い居酒屋でラッパーが騒いでいるのを見ましたね(笑)
アンダーグランドでしたけど、確実に大きくなるなという期待感が渦巻いていましたね」。

レコードショップ

■ カジヒデキ(シンガーソングライター)
「僕は、ZESTっていうレコードショップでアルバイトしていました。当時のお客さんは高校生とか大学生くらいの女の子が多くて、レコードショップでレコードを買って、その袋を下げて渋谷を歩くことがファッショナブルな事で。夕方はお店に人がぎっしりでした」。
■ 谷中敦(東京スカパラダイスオーケストラ)
「レコードショップはかなり行きましたね。JAZZ、FUNK、などの高いレコードを頑張って1枚1枚買っていましたね(笑)」

公園通り

■ 牧村憲一(音楽プロデューサー)
「昔は区役所通りって名前で、なんにもなかったんですが、西武デパートやPARCOが出来て、街並みが変わりましたね。ある時、若い宣伝マンが『公園通りのビルボードにフリッパーズ・ギターの広告を出したい』って言って。ここで何かを発信すると渋谷、東京、もしかする各都市に伝わるんだなと思いましたね。今は、正直失速した感じはありますが、ある時期までは渋谷を引っ張ってきたのは公園通りだと思いますね」。
■ 谷中敦(東京スカパラダイスオーケストラ)
「渋谷PARCOが最終営業日に路上ライブをやらせていただきまして、一時代が終わった感じはしましたね。PARCOが渋谷を明るくしていましたよね。寂しいですね。同じ建物が立てばいいのにね(笑)」

第4回 後編:サヨナラ渋谷90s 11月17日放送

渋谷系

■ カジヒデキ(シンガーソングライター)
「所謂、渋谷系って言われている音楽をする人は“レコードが好きな人達”。あんまりレコードを買わない人は渋谷系ではないと思っていました。ジャンルは関係ないですね」。
■ 鈴木涼美(作家)
「私が思う渋谷系の音楽は、deepsとか安室奈美恵の事ですね」。

安室奈美恵

■ 石川涼(株式会社せーの代表取締役社長)
「相当大きい存在じゃないですか。男は皆キムタク、女は安室ちゃんでしたね」
■ 鈴木涼美(作家)
「彼女自体が、完全の女子ウケするコンテンツだったんだと思うんです。美人だし、セクシーだけど別に男に媚びているわけでもないし。自分が楽しいと思う事や自分が輝いている事が大事っていうメッセージがあった気がします。当時はまだ身近なアイドルみたいな感じがあったんでアイドル雑誌のインタビューも出ていたんですけど、その中で安室さんがSHIBUYA109とかで買い物しているって書いてあって。『この世で安室奈美恵みたいな素敵な人になれる場所があるんだ』って思いましたね」。

SHIBUYA 109

■ 鈴木涼美(作家)
「もともとギャル向けに作られた商業施設ではなかったんですけど、バブルの終焉とともに高価な宝飾品が売れなくなったんです。そんな時に大きなスペースが空いたので、比較的安い値段で、それまでマンションの一室で売られていたインディーズのブランドを入れたんです。無敵感・全能感がありましたね(笑)『私達が時代を変えている』っていう」。

ビットバレーの萌芽

■ 藤田晋(株式会社サイバーエージェント代表取締役社長)
「大学が渋谷だったんで、採用面も考えてこの場所に会社を作ったんです。渋谷にIT系の会社が集まっていることが2000年ごろに話題になって、それがビットバレーの始まりですね。ちょっと前だと大手町に本社を構えると“立派な会社”っていう感じはありましたけど、それのアンチテーゼみたいなところですかね」。

現在の渋谷

■ 石川涼(株式会社せーの代表取締役社長)
「ここ最近、外国人観光客が増えて、スクランブル交差点で写真撮っている人いるじゃないですか。あれは凄い良いことだと思っていたんです」。
■ Licaxxx(DJ)
「大きい箱から小さい箱まで、沢山のクラブがあって、そこがちゃんとしたアーティストを呼んでいて。しっかり音楽している所がありますね。小さい波がいっぱい起きている感じがありますね」

TOP