八代亜紀 ロングインタビュー
八代亜紀 ロングインタビュー
 上京のきっかけは、父親に勘当されたからです。
 私が12歳の時に父がジュリー・ロンドンのレコードを買ってきてくれて、彼女のジャズを聴いてクラブシンガーに憧れました。当時、父の事業が軌道に乗る前の大変な時期だったので、一流のクラブシンガーになればたくさん稼いで父を助けられると思ったんです。
 それで父に内緒でクラブで歌っていたら、3日でバレてしまいました。ものすごく叱られて、勘当されて家を追い出されて(笑)。
 上京して音楽学校に通って勉強をしているうちに、スカウトされて銀座で歌えることになりました。クラブシンガーの時、レコードを出そう出そうってたくさんスカウトされたんですけど全部断って。小生意気な女の子だったかも(笑)。10代だったし、男の人ってイヤ、っていう感情があったんです。でもクラブのお姉さんたちに背中を押されて、それでレコードを出すことになりました。

八代亜紀 ロングインタビュー1
八代亜紀『愛は死んでも』  クラブのお姉さんたちの気持ちに応えなきゃっていう思いでレコードを出しましたけど、全然売れませんでした。テレビもラジオにも、一本もかからない。
 その頃、キャンペーンと題して、ひと月に28日はキャバレーで歌ってましたね。でも、辛くないんです。夢を追いかける気持ちが勝ってますから。「今日のゲスト知らないね」っていう会話が聞こえても、「絶対に振り向かせてやる!」って、逆に意欲が湧くんです(笑)。クラブシンガーだった頃は電話にすら出てくれませんでしたけど、レコードデビューしてからは、父はすごく応援してくれました。

 その頃「全日本歌謡選手権」に出場したのは、けじめですね。レコードを出しても、ただレコード抱えてキャンペーンして歌って…なんとなくな日々が続いて、これでいいのかなって思ったんです。
 10週勝ち抜けなかったら、歌手を辞めるつもりで出場しました。その10週間は何度も胃痙攣を起こしたり、緊張のあまり水も喉に通らない、低音も出ない。何度も落ちると思いましたね。10週勝ち抜いた時は、頭が真っ白でした。


八代亜紀 ロングインタビュー2
八代亜紀『なみだ恋』  おじさんがお酒に酔って街で「夜の新宿~」って歌ってるのを見て、すごいなって思いました。そういう風に、口から自然と歌が出るのがヒットしてることなんだって実感したんです。
 「なみだ恋」で日本レコード大賞歌唱賞をいただいたんですけど、もう1票入っていたら歌唱賞と新人賞の両方を獲れたかもしれないって、後から審査員の先生に言われました。中々ないことなので惜しかったなぁって思いましたけど(笑)、そういうのがすごく自信につながりました。とても嬉しかったですね。
 ヒットが出て、環境は劇的に変わりました。1年に休みが2日しかなかったですし、シングル曲3曲に対して、カセットテープやLPなど色々なソフトが発売されて、それが全部売れてました。
 でもちょうどその頃、百恵ちゃんとかアイドルブームでしたから、歌謡界の若手では私だけちょっと年上で浮いてましたね(笑)。


八代亜紀 ロングインタビュー3
八代亜紀『もう一度逢いたい』  「もう一度逢いたい」、「おんな港町」を歌ったことで、“リズム演歌”ということを言われるようになりましたけど、新曲は、毎曲全く違うテイストの作品にトライしてました。クラブシンガーの頃も、リズム感を出せる曲が好きでしたし。そしたら、トラック野郎たちからは「運転するのにすごくいい」と大好評で。当時、八代観音とか、“八代亜紀命”って描かれたトラックの台数がすごかったですね。
 車での移動中ぐったり疲れてても、そんなトラックとどんどんすれ違うし、八代が描かれたデコトラを見ると、「ありがとう」って、疲れも吹き飛びました。