1月
#4 小劇団クロニクル

アングラと呼ばれた時代から現代まで、街の片隅で小劇団は無数のTOKYOストーリーを紡いできた。60年代の寺山修司、唐十郎。70年代のつかこうへいといった演劇人たちの時代から連綿と続く東京の演劇の世界。「東京乾電池」の柄本明や「第三舞台」の筧利夫らのその時代の証言とともに、あらたな自分たちの表現を求める小劇団の若き演劇人の今の姿をモンタージュする。
<出演者>
柄本明 筧利夫 ほか

第7回 前編:小劇場クロニクル 1月12日放送

柄本明 東京乾電池

■ 始めの物語
毒にも薬にもならないモノを作ろうと思いましたね。学生運動していたお兄さん、お姉さん達を見ていたから、「そういうのはやめようよ(笑)」という世代でしたから。
(東京乾電池は)人気がありましたが、すぐにダメになると思っていましたよ。始まって2~3年は、稽古場に勢いもありましたし、面白かったですけど、即興で芝居を作るのが苦しくてね。
■ 転機 「お茶と説教」(1986年)
実際にお客さんも減っていきましたし、稽古場が疲弊していって・・・。その時に劇作家の岩松了さんがいて。この人が天才で、「絶対に笑わせない芝居を作ろう」とか、「芝居やっている最中、お客さんが帰ったら面白いよね」とか(笑)。こういう相談の仕方をすると勇気が沸きますよね。「面白いモノ作ろう」っていうと、いいアイディアが出てこないけど「絶対につまらないモノをつろう」ってね(笑)。それは言葉遊びではあるけど岩松了の筆力があるから成立したと思いますね。
「お茶と説教」(1986年)は、面白かったですね。お客さんがどんどんシーンとしてきて。言葉は悪いですけど「(お客に)復讐できた」と思いましたね(笑)。でも会場には、ちらほらクスクス笑っている人がいて、こちらの悪意を分かったんでしょうね。
■ 夢 「分からない面白さ」を追求し追及し続ける
テネシー・ウィリアムズの「ガラスの動物園」はやりたいと思いますね。僕は、しちめんどくさい芝居が好きなんですね。難しくて全く分からないのに(笑)。でも分からないから「つまらないか」って言われたら、つまらなくはない。

劇の街 新宿

60年~70年代。新宿は演劇の街だった。新宿文化ビル、シネマアート新宿、紀伊国屋ホール。寺山修司、唐十郎、つかこうへいといった著名人を輩出した。

筧利夫 第三舞台

■ 始めの物語
大学を卒業するにあたり、座長から「(卒業後)どうするんだ?」と言われましてね。
僕は残りたいって言ったんですけど、座長から「お前は東京思考があるから一度離れて、劇団を外から見ろ」と言われまして。そうこうしていたら「早大の演劇研究会の劇団・第三舞台のオーディションがあるから受けろ」って事になりまして、オーディションには受かりましたが、僕、第三舞台って知らなくて(笑)。
第三舞台ってすごい劇団で、台本もらって読み合わせの翌日には立稽古が始まるので、セリフを全部覚えないといけないんです(笑)。台本は20ページずつ出てくるんですけど、やっぱりセリフを忘れるじゃないですか。でも「お前、なに止まっているんだ。何かやれ」って(笑)。やりようがないし、セリフも続かないから、みんな奇声をあげて、ドッタンバッタンやって。傍から見たら“地獄絵図”ですよ(笑)

初舞台 劇団「かるがも団地」

■ 藤田恭輔(22歳)
藤田は大学卒業後、写真関係の会社に勤める会社員。入社と共に大学時代の仲間と劇団を立ち上げた。劇団員は3名、女性2人は社会人と大学院生。藤田は初舞台の脚本・演出・主演を務める。会場は新宿眼科画廊。

第8回 後編:小劇場クロニクル 1月26日放送

筧利夫 第三舞台

■ 転機 つかこうへい
まずは、第三舞台に入ったことが転機ですね。あとは、つかこうへいさんのお芝居に出た事ですね。つかさんの舞台は面白かったですね。台本がない“口立て”なんですよね。すごく刺激的でしたね。
好きなんですよ。自分を突き詰めていくのが(笑)。演劇好きな人は、そういう人多いですよね。自分を見つめて、昨日と違う何かを見つけていきたい。だから共演者にも「もっとこうすれば」とアドバイスしたり・・・それが好きですし、まぁ、性分ですかね。

伊藤正宏(元「第三舞台」・放送作家)

■ 舞台を去るとき
オーディションで筧ちゃん(筧利夫)が入ってきて、1ヶ月したら筧ちゃんの役が増えていて、2か月したら僕の役がなくなっていて、筧ちゃんがほぼ主役なんです(苦笑)。
「えー、こんなオーディションで入ってきたばかりの人間に負けちゃうなんて、俺ってダメな奴だな~」って、落ち込みましたね。
第三舞台の調子はよかったですが、僕は同じ速度でのぼっていたわけではなく、食えるほどのお金をいただいていたわけではないので、放送作家のアルバイトをしていました。役者を10年くらいやっていたから、辞めるというのは“考えられない”けど、“考えなきゃいけない”時期に、第三舞台がお休みになりました。いいタイミングだと思ったんで、アルバイトだった放送作家に専念する事にしたんです。
反動で10年くらいは舞台が見られなかったですね(苦笑)。仲間が劇団をやっているからお誘いは来るんですが、光が当たっている所に行きたいのに、行けないというジレンマがあって、見たら自分をコントロールできなくなるんじゃないかという恐怖がありました。
■ 舞台に立ちたい?
舞台には立ちたいと、たまに思いますね。でも身体がなぁ~。いつも頭の中で小さい僕が戦っていますよ(笑)

演劇ジャーナリスト 徳永京子「演劇との出会い」

岩松了作「鳩を買う姉妹」(1993年 演劇集団 円)ですね。お年寄りが主人公の恋愛劇で、それがすごく新鮮で、ビックリしました。何かそこに豊かモノがあるような気がして演劇を見るようになりました。

演劇ジャーナリスト 徳永京子/「下北沢ザ・スズナリ」

もともとアパートだったところを劇場に改装した所で、私も好きな劇場です。狭いですけど、ちゃんと座席に傾斜が付いていて良い劇場だと思います。演劇を作っている側もスズナリで公演することで、「自分たちの何かが確かめられる」とインタビューでも話しています。お芝居も見やすいですし、作る方にも魅力的な劇場なんでしょうね。

北千住 アートセンターBUoY(ブイ)/「BUoY」芸術監督(立ち上げメンバー)岸本佳子

元銭湯をオープン・スペースにしました。浴槽や洗い場も残しています。第一印象はビックリしましたが、「すごいポテンシャルの大きい場所だな」と。一目惚れですね(笑)。
一度壊してしまうと時間蓄積は再現できないので浴槽や柱は、あえて残しました。これを邪魔と思うか、クリエティブに利用するかは、作家さん次第ですね(笑)。
空間の真ん中に、柱がある事って常識的にはありえないんですけど、若いアーティストさんは使い方を発見してくれますね。

進気鋭 演劇カンパニー「ヌトミック」

■ 主宰:額田大志
額田は「第16回AAF戯曲賞」大賞、去年「こまばアゴラ演出家コンクール」最優秀演出家賞を受賞。また、8人組バンド「東京塩麹」のリーダー兼作曲担当。去年の「FUJI ROCK FESTIVAL」にも出演。演劇と音楽の二刀流で活動中。
■ 始めるきっかけ
もともと、音楽をやっていたのですが、演奏者が自由に演奏してしまったり、衣装にこだわりがなかったりするのが気になっていて、そういうのを含めて時間や空間を操作できるフォーマットの演劇を作ったのがきっかけです。

演劇カンパニー「ヌトミック」/五線譜のような台本

額田の台本は、横書き。
音楽のスコアみたいに、楽器ごとに並んでいるイメージですね。自分としては言葉を音符のように捉えられるので、把握がしやすいです。

柄本明 「演劇でいちばん大切なこと」

やっている人が楽しいというのが、いちばんだと思います。やっている僕が楽しい、一緒にやっている人も楽しい。そのことが無いと見ている人も楽しくない。でも楽しいとは何か?これは大変難しい。
「辛いのは楽しくないのか?」、「分からないのは楽しくないのか?」・・・。これは分からない。やっている人が楽しければ、あとはどうでもいい(笑)。お客がいなくてもいい(笑)。

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