嘉永6年、1853年6月3日、浦賀沖にペリー提督率いるアメリカ東インド艦隊が現れる。世にいう、ペリーの黒船来航。艦隊の空砲に幕府は震えあがり、大統領の親書を受け取らざるを得なかった。幕府は急遽、海防会議を開く。その席で、ひとりの男がアメリカとの戦争を避けるため、江戸湾の防衛強化を説く。その男が、幕末の知られざる偉人、台場を築き、日本を危機から救った伊豆韮山の代官、江川英龍だった。 戦後70年教科書から消されたこの英雄、江川英龍の残したものとは一体何だったのか?
 番組は、英龍が成し遂げた偉業を、ナビゲーターの玉木宏が台場からスタートし、紐解いていく。国の重要文化財に指定されている伊豆韮山の江川邸では、42代目現当主に案内され、英龍の人物像に迫る。
 一方、リポーターの平田璃香子は長崎にある出島から日本橋まで、タイムトリップビューを体験、日本の海防の歴史と大砲ロードを辿る。

 江川英龍(えがわひでたつ)は、江戸時代後期の幕臣で伊豆韮山代官。江川家36代目当主。
 ペリー来航により、外国の脅威にさらされた日本を、自らの人生をかけて守ろうと奔走する。
 その住居は現在、国の重要文化財に指定されている。江戸幕府開設から、幕府直轄の旗本として世襲代官を務めた江川家の住居は1600年頃作られたもの。現存する邸宅建築としては日本最古のものと言われている。
 1958年(昭和33年)に主屋が、1993年(平成5年)に書院、仏間、蔵、門、塀、神社が、国の重要文化財に追加指定され、大規模修理が行われた。

 反射炉とは、銑鉄(せんてつ:鉄鉱石から直接製造した鉄で、不純物を多く含む)を溶かして良質な鉄を得るための解炉。銑鉄を溶かすためには千数百度の高温が必要であり、反射炉の場合、その炎や熱をドーム型になった天井部分に熱を反射させ、銑鉄に集中させることでその高温を実現する構造となっている。そこから、反射炉という名称となった。

 明治41年以降、鉄筋で補強され現在の姿となった韮山反射炉。創立当時は、漆喰で塗られた白亜の塔だった。実際に稼働した反射炉が残っているのは世界でもここだけ。
古地図によると、反射炉の周囲大砲の身をくり抜く抜錐台や付属品の細工小屋などが建ちならび、多くの職人が働いていた。

 鎖国下の日本で、唯一諸外国のことを知ることができた街、長崎。台場建設と反射炉築造の起点となった出島周辺と、江戸の中心地である日本橋など、平田璃香子がタイムトリップビューを使ってリポートする。

 『タイムトリップビュー』とは、タブレットやスマートフォンを通じて、「江戸の時代や昔の景色を見てみたい」そんな人々の普遍的な願いを叶える新しいコンテンツです!
  例えば日本橋で『タイムトリップビュー』を眺めれば、江戸時代の木で出来た橋や魚河岸の賑わう様子、明治時代のガス灯がきらめく町並みや路面電車が走る姿など、現代では決して見ることの出来ない風景が360度パノラマムービーで蘇ります。


フジテレビ『タイムトリップビュー』のページはこちら!
▲ TOPに戻る