旅する音楽放送日時 BSフジ
番組概要第1回第2回第3回第4回キューバ編ペルー編

 1982年、移民たちの玄関口として設けられたニューヨーク湾に浮かぶエリス島移民局。現在は博物館となり、当時の様子を垣間見ることが出来る。移民たちは、ここから新たにアメリカ人としての歴史を歩み始めたのだ。
 移民たちと共にやってきた音楽は、新天地アメリカでどう変化していくのか。


 3月17日「セントパトリックス・デー2014」。アイルランドにキリスト教を広めた聖人セントパトリックの命日にアイルランド移民たちがニューヨークを行進したことが始まりと言われる。
 パレードで演奏されるのはバグパイプを使ったアイルランド音楽。マンハッタンの街を行進する警官や消防士には、アイルランド系アメリカ人が多い。それは、先に入植したイギリスからの移民に対し、遅く移民してきたアイルランド人は地位が低く、仕事がなかった。そのため、彼らは命がけの仕事である警官や消防士、軍人に就くしかなかった。新天地で待ち受けた過酷な現実。彼らの心を癒したのが、祖国から携えた音楽だった。
 今回は、カントリーを巡る旅から始まる。




 ヴァージニア州にあるフロイド。この町の雑貨屋では、いつの頃からか金曜の夜に人々が集まり、音楽が演奏されるようになった。ここで演奏されるのは、カントリーの原型である、「マウンテン・ミュージック」。
 このフロイドを含む全長407キロメートルに及ぶ道路は「クロックド・ロード」と呼ばれ、さらに、この道沿いの町では今も伝統的な音楽が受け継がれ、「音楽遺産トレイル」と呼ばれている。
 そして、ノースカロライナとの国境に近い町ゲイラクス。ここは「マウンテンミュージックの首都」と呼ばれる場所。長くアメリカの発展から隔絶されていたアパラチアだからこそ、移民たちが祖国を想い、奏でた音楽が今も受け継がれている。




 19世紀後半、イギリスを抜いて世界第1の工業国となったアメリカ。かつては数多くの炭鉱で賑わっていた町が、今はゴーストタウンとなっている。この町で危険な炭鉱の仕事をした多くがアイルランドやスコットランドをルーツに持つ人々。しかし、当時のアイルランド労働者の日給は1ドルを下回っていた。華やかに見えるアメリカの歴史。その陰には、過酷な環境で苦しみながら生きた人々の存在があった。
 彼らがアパラチアで育んだ音楽は、全米に広がり、様々な人の手によって「カントリー・ミュージック」として花開く。




 カントリー・ミュージックを広めた中心地、アメリカ音楽の聖地とも呼ばれている町「ナッシュビル」。ここは、1925年、アメリカ最古のラジオ番組「グランド・オール・オプリ」が開設し、コメディと共にカントリー音楽が全米に放送され大人気となった。そして、この番組への出演を夢見て、ミュージシャンがこの町へ集まったのである。若き日のエルベス・プレスリーもその一人。こうして、多くのミュージシャンがカントリー音楽の影響を受けてきた。
 数多くのアーティストの名盤が生まれたスタジオで、ある若きミュージシャンのアルバム作りに立ち会う。新しいカントリー音楽、それはどんなものなのか。




 無数の劇場が連なるブロードウェイ。このブロードウェイ・ミュージカルの礎を築いたのは、ユダヤの人々だった。ニューヨーク市立大学構内にあるNagelberg Theaterで上演されるイディッシュ演劇。ステージからは「イディッシュ語」という東ヨーロッパに住むユダヤ人の言葉が聞こえる。1880年代東欧でユダヤ人の迫害の風潮が高まり、彼らはアメリカへと渡る。独自の文化と音楽をそのまま新天地へと持ち込んだのだ。
 ユダヤの音楽は、アメリカ音楽にどんな影響を与えていったのか?
 そして、ニューヨークといえば、「ジャズ」。20世紀初頭にヨーロッパ音楽と黒人のリズムが融合して生まれたと言われる。その聖地「ヴィレッジバンガード」を訪れる。




 旅はジャズ発祥の地ニューオーリンズへ。ここは、かつてフランスの植民地だったこともあり、町の一角フレンチクウォーターには瀟洒な町並みが続く。また、メキシコ湾に通じる港湾都市で、かつては多くの黒人奴隷が連れてこられた悲しい歴史もある。様々な人と文化が入り混じったこのニューオーリンズで、自由で全く新しい音楽「ジャズ」はどのようにして生まれたのか?
 有名なジャズのコンサートホール「プリザベーションホール」を訪れる。音楽好きが、音楽を聞くだけに集まってくるライブハウス。これまでの旅で初めて触れる黒人文化の一端だった。




 世界最大規模のカーニバルとも言われる、ニューオーリンズの祭り「ニューオーリンズ・マルディグラ」。キリストの復活を祝うイースターの前にカトリック教徒は、キリストが40日間断食修行をしたことに習って肉食を断った。その断食前に多いに食べて大騒ぎをするのが「マルディグラ」のルーツだ。このような色とりどりのフロートによるパレード、舞踏会が始まったのは、180年ほど前だが、何がこの祭りを作りだしたのか?
 マルディグラの期間は、フレンチクウォーターがいつにも増して賑わう。観光客目当てに、大道芸人などのエンターテイナーたちが集まってくのだ。音楽の町だけあり、ストリート・ミュージシャンの演奏もハイレベル。




 ニューオーリンズのダウンタウンで「マルディグラ・インディアン」と呼ばれるアフリカ系の人々を尋ねる。彼らがインディアンと名乗っているのはどうしてだろうか?
 マルディグラ・インディアンのパレードは、100年以上の歴史がある。トライブと呼ばれる黒人のグループ同士の抗争を、マルディグラデーで決着をつけるところから始まったが、対立はいつしかコスチュームや踊り、歌での主張へと変化していき、より派手なコスチューム、歌、踊りの競走となった。殴り合いは、平和なダンスバトルになったのだ。




ヨーロッパから移民してきた人々、奴隷として運ばれてきたアフリカの人々、ネイティブ・アメリカン。
音楽はあらゆる垣根を越えて変化していく。
音楽の旅は人類の旅。それは果てしなく続く旅なのだ。



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