第27回 岡田茉莉子

前編 2014年4月5日(土)23:00~23:30

 今回のゲストは岡田茉莉子。
 今年81歳になる岡田は東京生まれ。タカラジェンヌの母の血を引いたのか歌が好きな子どもだった。小学生のとき、戦況が悪化し新潟に疎開。演技に目覚めたのは疎開先で入った女学校の演劇部でのこと。ある日、その演劇部の仲間と町の映画館に入った。そこで見た映画は?そして映画のタイトルを聞いた母親の口から出た衝撃の言葉は…。
 戦後、東京に戻り、叔父である東宝のプロデューサー山本紫朗宅に下宿するようになる。やがて、彼の勧めで東宝演劇研究所に入所したが、なんと入所わずか20日目にして、「舞姫」に出演。初主役は21歳の時、その出演料で買ったレコードプレーヤーで初めて針を落とした曲は“Nat King Cole”のナンバーだった。当時、東宝の俳優は「日劇」で歌やダンスのショーにも出演するのが常だった。
 スタジオでは、そのころ岡田が日劇で唄っていたジャズナンバーから“It’s a Sin to Tell a Lie”を披露。前篇のフィナーレは“想い出の Nat King Cole”のナンバー。

後編 2014年4月12日(土)23:00~23:30

 前回に引き続き、ゲストは岡田茉莉子。先週は高校卒業後、映画界に入った彼女が21歳で主役作品をゲットするまでを、エピソードを交え話してくれた。
 その後、多くの作品に恵まれ日本を代表する映画女優になる。26歳までの出演作品数は100本にものぼり、その百本目の記念映画は、岡田自身が惚れ込んだ原作を自身の手でプロデュースした「秋津温泉」。その作品で岡田が指名した監督が、後の夫となる吉田喜重だった。当時まだ若手だった吉田監督を指名したエピソードも興味深い。
 この「秋津温泉」は大ヒットとなり数々の賞を受賞。岡田の代表作となるとともに、吉田監督との結婚のきっかけともなった。1964年、結婚にこぎつけたが、当時では珍しい海外での挙式だった。このイベントをアレンジしてくれたのは吉田の師匠、木下恵介監督、結婚式だけでなく、ヨーロッパでの新婚旅行すべてを手配してくれたのだという。その後、ふたりで制作プロダクションを作って独立するが、この独立プロ発足が日本映画衰退の時期と重なり、多くの困難に直面したという。そんな人知れぬ労苦を味わったふたりだったが、2001年、岡田の女優50年記念に監督からお祝いが贈られた。そのお祝いの品は、監督と女優という夫婦にしか成立しないお品。
 81歳になっても週3回は肉体のトレーニングに励む岡田。「どうして?」と聞く堺に、「いい球が来たとき、ホームラン打てるように!」と答える岡田。次の堺の質問は「岡田さんにとって女優とは?」。その答えは是非、番組で…。

出演者