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2018年8月13日(月)
作家曽野綾子氏に問う 『現代日本の幸福論』

ゲスト

曽野綾子
作家
武永賢
医師

曽野綾子×元ベトナム難民 世界から見た日本の『豊かさ』
竹内キャスター
「8月15日は73回目の終戦記念日にあたります。敗戦の痛手から立ち上がり、成長を遂げた日本は世界有数の経済大国となりましたが、社会の豊かさを現在の日本人は本当に幸せと感じているのでしょうか。作家の曽野綾子さんを迎え、世界の貧困と照らし合わせながら、日本人の豊かさと幸福についてあらためて考えていきたいと思います。曽野さん、今日は武永さんと一緒に出演されることになって、どのようなテーマで話をされたいと?」
曽野氏
「人間というのは、どこから基本として考え出すか、歩み出すかということだと思うんですね。日本人は、非常に具体的なことを言うと、電気と水道があって当たり前だと思って、ご飯が食べられて当たり前だと…。そういうことは。世界的に見て当たり前ではないですよね、決して。そのことについて一度考えてみてもいいのではないかと思うんですよ。そうでないと、出発点を間違えると、あなたはどこから歩き出したのと。私は昔、砂漠に寝たことがあるんですね、夜…」
松山キャスター
「砂漠の砂のうえに、ですか?」
曽野氏
「砂漠の…まったく。はい、数百キロ何もないんですよ。それで夜、面白いけど、夜中に起きてちょっと夜中にトイレをするでしょう。その時に歩き出して、でも、なんとなくうっすらと山みたいなもの、丘があるのがわかるという、そこへリュックを置いて、こっちの方に50歩歩いていって、遠くまでいくようにして、あるいは100歩行くんです。でも、地面に穴がありますから危ないのですけれど。そこへ戻ってこられると思うんですよ。と言うのは、うっすら山があって、そこに何かススキみたいなのが生えて、ススキの根元に私の寝袋あるのだからそこへ戻ればいいと…、絶対に戻れないです、明かりがないと、ええ」
松山キャスター
「ちょっと行っただけでも、もう戻れない?」
曽野氏
「もう戻れない。角度が狂っちゃうんですね。ですから、懐中電灯が2つ要るんですね。足元を照らす懐中電灯と、自分が寝ていたところに置くんです。自分のスタートした地点というのを見誤ってはいけないという、とても私は教訓的なものに感じました」

騒乱の『ベトナム』で見たもの
竹内キャスター
「では、今日出演いただいた武永さんの生い立ちを紹介していきたいと思います。1965年7月、ベトナム共和国、いわゆる南ベトナムのサイゴンで政府高官の家に9人兄弟の次男として誕生しました。男2人、女7人の兄弟で、当時お兄さんは日本に留学中だったということです。1975年4月、武永さん9歳の時にサイゴン陥落によってベトナム戦争が終わりました。南側の政府関係者に対する弾圧が始まるなか、お父さんは三女を連れてジャングル奥地の農村で逃亡生活をします。残ったお母さんが懸命に働き、子供達を養ったそうです。小さなボートにベトナムからの難民が乗り合い国外へ逃亡するボートピープルとして武永さんも7回ベトナム脱出を試みましたが、全て失敗に終わっています」
松山キャスター
「経歴の説明の中ではお父さんと三女の方がそのままジャングルの方で生活されていたということで…」
武永氏
「はい」
松山キャスター
「残ったメンバー、お母さんと7人の子供達がまた別に生活されていたということなのですけれども、これはどういう事情からなのですか?」
武永氏
「父が昔の政府と関係がありまして、それで危険人物というか…」
松山キャスター
「いわゆる北ベトナムから見ると、旧南政府の高官なので、ということでターゲットにされてしまうと?」
武永氏
「はい。ターゲットにされていまして。ですから、それを本当に身の安全のために逃れたわけなのですけれども、国内のジャングルの中に、はい」
松山キャスター
「そのあとはお父さんとはどういう形でコミュニケーションというのはとっていたのですか?」
武永氏
「たとえば、向こうにずっと数か月、2、3か月いて、それで僕達が、誰か1人向こうに行ったりするというのはだいたい片道だけでも4時間か5時間かかる。それでバスですね、乗り合いのバスに乗って行って、4、5時間ぐらいかかりまして。また、さらに歩かなければならないですね。そういうような本当に数か月に1回ぐらい、手紙なり何なり便りをしたのですけれども」
竹内キャスター
「お母様が他の子供達を育てたということですよね?」
武永氏
「そうですね、はい」
竹内キャスター
「働きに出てということですか?」
武永氏
「と言うか、ちっちゃい店というか商売をしなければ、サイゴン陥落してからはほとんど国営になっちゃっているのですけれども、でも、本当に支給制度になっちゃっているわけですので、ですから、食料がすごく不足なんですよ」
曽野氏
「闇屋と言った…」
松山キャスター
「闇市…」
曽野氏
「闇市、闇商売でもって…」
武永氏
「まさに、闇市場」
曽野氏
「だから、そういう皆、闇商売でやったんですよね、食べるために」
武永氏
「はい、まったく…」
曽野氏
「日本と同じだと思うわ」
松山キャスター
「まさに終戦直後の日本に似たような状況ですよね?」
曽野氏
「そうです、ええ」
武永氏
「ですから、モノを買って、それでちょっとさばいて売るという形ですけれども」
松山キャスター
「なるほど。たとえば、食べ物とかがなかなか手に入らないということになると、たとえば、市内で略奪とか、勝手に食べ物持っていってしまったり、そういう事案というのも出てくるかと思うのですけれど。そういうのを実際に目の当たりにしたことは?」
武永氏
「ちょうどサイゴンが陥落した時に、大人は見ていないうちに私1人が街の中で歩いていたんです。その時に皆の流れによってというのか、彷徨っていった、気づいたらある建物の中に、それはすごくお金持ちの人の…、皆もう100人以上の人達がそこに入っていって、モノを奪ったりしていたんですね。ソファーからカーペットまで、ライトとか、全部持っていくんですね」
曽野氏
「たぶんその時は、持っている人が悪なんですよね。持っているということが平等、平等という言葉ではないですけれど、何か悪い人だ、だから、悪い人から盗ればいいという形…ことに自分を納得させるのだと思います」
松山キャスター
「心の中で、そういう理由をつけて?」
曽野氏
「はい。それは政治的なものというのは反対の立場の人は悪いと思いますから、いつでも」

戦後73年目の『豊かさ』は
松山キャスター
「日本の場合、いわゆる平和ボケとかよく言われますけれど、そういう現実、シリアスな面というのになかなか直視してこなかった国民性みたいなものもあるのですか?」
曽野氏
「私、終戦の時に13歳ですから一応、大人みたいな気持ちも持っていて。それで、周りの人達が、たとえば、ウチに玄関に長靴が脱ぎ捨ててあるんですよ。その当時、長靴は大変貴重品です。ある知人がいらっしゃって、その時にふっとお帰りになっているのを見ると長靴がなくなっているわけ。その方が持ってらっしゃったわけね。でも、その方はまともな時代だったら絶対に長靴を持っていくような人ではないの。私達はある意味で傷つかなかったけれども、あの人が長靴を盗んで逃げるのかと思った、そういうショックはありますね。でも、それで私はあまりその方が悪いと思わなかったのですけれど。あとで付き合うチャンスがなくなったから付き合わないので、付き合うチャンスがあったら付き合ったと思いますけれども」
竹内キャスター
「悪いとは思わなかったというのは、時代の背景がある?」
曽野氏
「ええ。その方なりのとっても長靴がいる理由があるんですね。食べ物にしても何しても。だから、東南アジアでいろいろな国の方を使っていらっしゃる方は、たとえば、メイドさんにしても貧しい家庭から出てくると今でも減っていくんですって、過剰に、食べ物が」
松山キャスター
「ああ、そうなんですね」
曽野氏
「はい。お米からお豆から、味の素に至るまで。お醤油も減っていくんですって。だけど、貧しいからなんですね。だから、それに対して、よくビンに印をつけるの、ここまでありましたよと、それとなく。それは皆わかっちゃっているから、逆さにして印をつけるんですって」
松山キャスター
「ああ、そうすると、減らなくなるのですか?」
曽野氏
「…いや、相手が、気がつかないから、それで試すんですって」
松山キャスター
「なるほど」
曽野氏
「ええ。だけど…、私達はそこまでやらなくても、皆を信頼してこられたというのは、幸せというか、日本が幸運であるのと、それから、私は政府もうまくやってくれたのだろうと思っています。悪口ばかり言いますけれども」

サイゴンから見た日本の姿
竹内キャスター
「1982年、武永さんは両親とお姉さん、妹さんの4人と一緒に合法難民として来日しました。これは、日本に家族がいる場合、呼び寄せることができる難民支援政策の一環で、武永さん一家は長男が日本に留学していたため許可が下りました。その後、来日後、難民支援センターで日本語を習ったあと、その年12月、神奈川県相模原市で中学2年に編入します。高校を受験し神奈川県立相武台高校に入学。1年浪人して杏林大学医学部に合格します。1994年4月、日本国籍を取得します。同じ年に医師免許も取り杏林大学附属病院で勤務します。その後、琉球大学救急部を経て現在は新宿の中井駅前クリニックに勤めていて、院長を務めています。武永さん、もしお兄さんが日本に留学してなければ、武永さんはそのままベトナムに残っていたという可能性もあるのですか?」
武永氏
「可能性が大きいと思いますね」
松山キャスター
「日本に実際に来て、初めて来た日本で1番驚いたこと、印象に残ったことはどういうことですか?」
武永氏
「水の話ですね」
松山キャスター
「ああ、そういうところですね」
武永氏
「私は…来た日に兄が水は水道水で飲んでと言うんですよ、アレは1番驚いたんですね。エッ?このまま飲めるのだという…」
竹内キャスター
「水道の水を…」
武永氏
「はい」
松山キャスター
「曽根さん、実際いろいろな途上国にもいっていると思いますけれども」
曽野氏
「はい」
松山キャスター
「水とか、電気とかというのが当たり前にある状況というのはなかなか日本のような状況というのはないということなのですか?」
曽野氏
「…全部、めったにないですね。水と電気というのはどんな人にも基本的生命の保障ですね。水は飲んで、汚い水だったら…、もしなくて、そのへんの水だったらコレラになるか、大腸カタルになるかでしょう。もう1つの電気というのは、医療全部、工業もアレだけれども、医学、医学というか、病院の仕事は全部電気ですから。そういうことが当たり前だと思ったらいけないと思うんですよ」

医師を目指したベトナム難民
松山キャスター
「武永さんは日本の学校に入られて勉強されるのですけれども…」
武永氏
「はい」
曽野氏
「偉いわねえ…」
松山キャスター
「日本での勉強は、それはそれでなかなかハードルが高い部分もあると思うのですけれども…」
曽野氏
「うん」
松山キャスター
「苦労されました?」
武永氏
「その時は若かったということもあって、勢いということだと思うのですけれど。あとは、この国に生活していて、越えなければならない、越えなければならないというのがすごく大きいと思うんですね」
松山キャスター
「たとえば、日本語は突然来たら、なかなか覚えるのが難しい言語ですよね?」
武永氏
「はい」
松山キャスター
「そういった面でも言葉の壁というのは感じましたか?」
武永氏
「大きかったです」
曽野氏
「大変ね、受験は?」
武永氏
「はい」
曽野氏
「受験は大変。だから、私…」
松山キャスター
「しかも、医学部ですよね?」
竹内キャスター
「医学部ですものね?」
曽野氏
「そうですよ。留学生は別の言語で受けさせてあげなければいけないと思う…、医学部でも。そういうのは、これまで彼が、その方が生きてきた言語で受けさせてあげるという便宜がはかられるべきだと思いますけれども。偉いですよ」
松山キャスター
「苦労されて、勉強されて、無事に医学部の試験に合格されたという話でしたけれども」
武永氏
「はい」
松山キャスター
「その時に、曽野さんと武永さんとの出会いのきっかけがあったという話ですけれども?」
曽野氏
「出会いでもないのですけれども、存在を知ったんです」
松山キャスター
「あぁ、それはどういう経緯で?」
曽野氏
「私の学校の私より1年の上のお歳の方でシスターがいらして、その方がこちらのお姉様を存じ上げて、優秀なご兄弟がいらっしゃるのよと言うわけで…。それで、私は少し途上国援助をやっていたんです、お金集めを。その中から、スカラシップというほどではないのよ、もう現在から言うと恥ずかしいのですけれども、暮らしになるものの、米、味噌、醤油だけお助けしましょうかという、その時、言葉が出ました」
松山キャスター
「なるほど」
曽野氏
「全額食費をお払いしたのではないです、何か苦労してやっていらした。ほんのちょっとだけ、アレしたのですけれども」
松山キャスター
「それは武永さんが合格をされて、大学に入られる…」
曽野氏
「前からだと…」
松山キャスター
「前からだということですか?」
曽野氏
「はい。あっ、その頃ちょうど」
松山キャスター
「ちょうどその頃?」
曽野氏
「うん」
松山キャスター
「支援がないとなかなかその大学に入れないという状況があって?」
曽野氏
「経済的なものより1番足りないのは語学でしょう。それはこちらの独自のアレだけれど。お金もかかるんですよね、きっと医学部は」
武永氏
「合格して、その時はお金がなかったということで、それで曽野先生が産経新聞に紹介してくださって、その産経新聞の社会部…」
曽野氏
「社会部ダネにしていただいた」
松山キャスター
「記事として流れたと、それが?」
曽野氏
「私達のところにも、少しお金があったんです、良いことのために使える、その頃。そんなもので、その時、医学部入るのにはお金が要るよね、忘れちゃいましたけれど、何百万という…」
松山キャスター
「そうですよね」
曽野氏
「それをもう少しお手伝いして、それであとは産経に見ていただいた」
松山キャスター
「なるほど」
武永氏
「あと、杏林大学も…」
曽野氏
「杏林大学でも、スカラシップをきっとお貰いになった…」
武永氏
「…応援してくださって」
松山キャスター
「曽野さんが何とか手助けしてあげようと思った1番の理由というのはどのあたりですか?」
曽野氏
「私と一緒に仕事をやっていた、そういう援助の仕事をやっていらしたシスターが、私の1年上級生で、やたらに褒める人ではないですよ、本当に善いと思う人は、この人は善い人だからと、そういう感じですね」
松山キャスター
「なるほど」
曽野氏
「我々の方としてもお金があったらそのお金を有効に使わしていただける相手を見つけるということが幸福ですから。こういう方を、この世でがんばっていらっしゃるということを知るのはとても幸せだと」
松山キャスター
「医師を目指された理由というのはあったのですか?」
武永氏
「私も普通の人の子なので、いろいろ子供の頃からいろいろ夢を持っていまして。1番印象に残ったのは、14、15歳の時に1人の女の方の、ベトナム人ですけれども…戦争の日記を書いていて、彼女が医療のボランティアをやって、戦場に行って、医療のボランティアをやっていた、それを読んでいて、どうしてもずっと頭の中にずっと残っていたんです。ですから、医療に関係するような仕事がしたいなと思って。本当は頭も悪いし、お金もないし、ですけれど、絶対に医学部に行けないと思いながら、でも、どうせ目指すのだったら高いハードルを設定して、それに向かって。たまたま運が良く達成できたという、ただ、それだけの話ですので」

豊かな社会と現代日本人
松山キャスター
「日本の学生が置かれている環境、ある意味、羨ましい部分というのもたくさん見られますか?」
武永氏
「最初からもう羨ましいと思っていますけれども、現在でもそうだと思いますね。本当に教育を受けることというのがすごく幸せなのですけれど、気づくか、気づかないかは別としては、すごくそれは、教育というのは本当に神様からのお土産だと思っています」
松山キャスター
「勉強したいという意欲がある人が自由に勉強できる環境は、そんなに世界各国を見てもたくさんあるものではない?」
武永氏
「はい、ない…、そうですね」
曽野氏
「そうですね。だから、ある意味では、気の毒で。モチベーションというのですか、これをやらなければいけないという力がないのね。なんとなく大学行くよと言えば、皆が出してくれる、社会も出してくれる、スカラシップもどこかから入ってくるという。私、時々ウチの息子にこういう善い方がいらっしゃって、お金がないと、お父さんが現在ちょっと病気だとか、いろいろあって、出ないと言うと、ウチの息子はずっと探せよと言いますよね、企業がいろいろ出しているよと」
松山キャスター
「ああ、そういうスカラシップを探す?」
曽野氏
「スカラシップを。私は、知らないけれども、息子はそう言って、それは無礼な意味ではないですよ、喜んでいたのですけれども。まずそこでお探しになったら出られるよと言っていますよね」
松山キャスター
「奨学金制度を探せばどこかにあるはずだと?」
曽野氏
「奨学金、ええ、たくさんあるんですって。私は育英会で出た…」
松山キャスター
「私も育英会ですけれども…」
曽野氏
「そうですよね。返しましたけれども、全部…」
松山キャスター
「そういう意味で、探せば何か助けてくれるシステムというのはあったりしますよね?」
曽野氏
「はい、そうですよね。そういうシステムができている国の日本に感謝しないといけないと私は思っています」

望まれる難民支援のあり方
竹内キャスター
「国連のUNHCR(国際連合難民高等弁務官事務所)がまとめた最新のレポートによりますと、国連が国際保護を必要としている難民のうち、過去10年間で祖国を追われているのは2540万人、パレスチナ・シリア・南スーダン、ミャンマーなど、年々増加する傾向にあります。こうした難民を受け入れているのは350万人のトルコをはじめとして、パキスタン・ウガンダなど。先進国ではドイツの97万人などです。一方、日本の状況は過去35年の累積でも定住を許可した難民は1万2179人。2017年の実績は1万人を超す申請を審査した結果、難民と認定されたのはわずか20人です。この他、人道的な配慮から残留を認めた人もいますが、いずれにしても積極的とは言い難い状況となっています。曽野さん、この日本の難民の受け入れに対する姿勢をどのように見ていますか?」
曽野氏
「この認定して20人は恥ずかしいですね」
松山キャスター
「少ないですよね?」
曽野氏
「うん、ケタ違いに。それで、私は甘い顔して…言葉が悪いわね、ドンドンお金出すのも反対なのですけれども、人の不幸にというか、その人が学びにくいとか、暮らしにくいということに関してはちゃんと出してあげて、もしアレだったら将来、返してもらえばいいではないですか。それでもちゃんと出してあげるべきだと思いますね」
松山キャスター
「一方で、日本は移民となるとたくさん入れることによって治安が悪化するのではないかとか…」
曽野氏
「そうでしょう」
松山キャスター
「あるいは社会不安定化するのではないかと、そういう考えを持つ方もかなりいるということなのですけれども。折り合いはどのあたりにつけていくべきだと考えますか?」
曽野氏
「どうでしょうね。私は一方において日本の警察というのは素晴らしいでしょう。そう言っちゃなんですけれども、外国の警察というのは賄賂で動いたりしていますよね、しばしば。だけど、日本の警察官は本当に立派なんですよ。だから、規則は規則、それから、いわゆる普通の官吏も賄賂が効く国が多いんです。お金を出せば何とかなると。そうではなくて、日本は書類がきちんとありすればというところですから、私は、これは馬鹿堅いようですけれども、好きですよね。書類上できちんとやって。だけど、そこにプラスちょっとした慈悲というか、優しさがあるともっと素晴らしい人間になると思うんですけどね」
松山キャスター
「なるほど。武永さんは現在のこの日本の難民の受入れ状況、まだまだ諸外国に比べると人数的にはかなり少ないという状況ですけれども…」
武永氏
「はい」
松山キャスター
「これ、どう感じますか?」
武永氏
「本当は心の中で、私と同じ境遇の人達がたくさんいらっしゃるということって、思っていますので。本当にこの国のきちんとした定住できた形で安定した仕事、安定した収入があれば、この国も非常に助かるのではないかなという気もするのですけれども」
松山キャスター
「一方で、たとえば、現在の日本の政府が行っている政策として、今後、外国人材の受入れ枠というのをドンドン広げていこうという動きもあると…」
曽野氏
「そうでしょうね、足りませんもの、日本人だけでは…」
松山キャスター
「どちらかと言うと経済面ですね」
曽野氏
「うん、そうです」
松山キャスター
「労働者不足とか、そういうことの色彩がちょっと強い感じがしますが」
曽野氏
「はい」
松山キャスター
「そういう意味でも外国人の数自体は今後広がってくる可能性があると」
曽野氏
「うん」
松山キャスター
「この将来像についてはどう感じますか?」
武永氏
「いや、それでも私はいいと思いますけれども。目的がどうであれ、住みたい、ここで定住したい、定住する環境を整えて、労働も必要とするわけです、だから、マッチしていると思うので。と言うか、もしそういうのが実現できればそれはすごく良いなとは、私個人的な考え方ですね」
曽野氏
「要は、つまり、技能がなくてもちゃんと受け入れなければいけない、そういう選り好みをしてはいけないと思うんです」
松山キャスター
「なるほど」
曽野氏
「それで、もし日本がちゃんとしてくれないと困る、工場労働者もちゃんとしてくれないと言うのなら、そこで教育すればいいわけ、日本好みに。だから、それはあまり人間の質とか、何とかで、労働力をとろうとか、そういうのはいけないような気がする」
松山キャスター
「あと1つ大きなハードルになっているのは、たとえば、日本語の能力ですね」
曽野氏
「そんなもの要りませんよ」
松山キャスター
「それはなくても大丈夫ですか?」
曽野氏
「大丈夫ですよ、ね、そう思いません?」
武永氏
「そうですね…、私のクリニックの中には、本当にもうずっともう十数年前からやっていまして、ある国の方々がたくさん、不法滞在だったのですけれども、でも、この近年ですね、4、5年前から彼ら達も難民として認められて、それで日本に安住できているわけですので。彼ら達もいろいろな仕事で…、だから、言葉のまったく…」
曽野氏
「できないでも平気」
武永氏
「そうですね。できなくても…」
曽野氏
「私も大丈夫と思いますよ」
武永氏
「できますね。本当に現在もきちんと生活して、本当の基盤ができて、きちんと幸せに暮らしている、何人も私は目で確認していたわけです」
松山キャスター
「現在の政府の方針として、単純労働も含めて、外国人材の受入れ拡大というのを今後進めていくという方針なのですけれども…」
曽野氏
「はい」
松山キャスター
「この政策についてはどう評価されていますか?」
曽野氏
「それはご都合主義みたいな面もありますね。日本で人手が足りなかったら近い外国から入っていただく。そうすると、その方達にはお休みの日や何かに祖国に帰るのに便利だし、常識的で…。それで、大抵の国の人がお米を食べてくれて、良いのではないかなんて思っていますけれども。同時に、日本人は労働移民として受け入れ、彼らが持っていて日本人が持っていないものがあるんですよ、才能というか、ひらめきというか、道徳というか、優しさというか。そういうものも学ぶべきだと思うの」
松山キャスター
「逆に、そういう交流を通じて日本社会の中でドンドン取り入れた方がいいと?」
曽野氏
「ええ、そうそう。だから、フィリピンの方は大家族なんですって。家に帰ると一族全部集まると30人も50人も従兄妹同士が集まるみたいな、そういう大家族の中で育った娘さんがいて、その人が海外に行くと温かいというんですね、おばあちゃんなんかに対して。日本は現在、おばあちゃんに対してもあまりそういう優しさ、昔はあったけどなくなってきて…」
松山キャスター
「核家族化が進みましたから…」
曽野氏
「そうそう、ええ。それで、そういう優しさを、いいですよ、失っているのなら、あらためて学んだらいいです。ああ、こういう面もあったんだなと思う。だから、年寄りの介護というのは実際にやることもあるけれども、言葉ですよね、言葉とそれから、目の色というか。今日は外で桜がきれいだったよとか。今日は甘酒が売っていたから、おばあちゃんに一口上げようと思ってと…そういうことですから。だから、その言葉を、そういうものを取り戻すようなことを外国人から学べばいいと思う。東南アジアには結構ありますよ、そういうお国が、温かいお国が」
松山キャスター
「なるほど。あと、日本がやろうとしている外国人材の受入れではまずは特定の分野ということで、5分野、農業とか、建設、宿泊、造船、介護…」
曽野氏
「介護、ええ」
松山キャスター
「この5分野について人をドンドンとろうと、外国人材をとろうということなのですけれど、たとえば、介護はかなり注目されている分野だと思うのですけれど、そういった分野では日本人と外国の方々がうまく折り合ってやっていける領域というのはかなり広いと感じますか?」
曽野氏
「…と思いますけれど。もう日本人が厳密だから、言葉が通じないと具合が悪いとか、そんなことを言っているんですよ、どうでもいいですよ、言葉なんて」
松山キャスター
「たとえば、腰が痛いというのがジェスチャーでわかればいいと、そういう部分もありますよね?」
曽野氏
「うん、そう。痛いという言葉を覚えるのは1日もかからない、たぶん彼女達は。もう日本人より本当に語学ができるから。だから、1日いればわかるんですよね。だから、手伝っていただいて、その方達がお国に近いことで国に帰れて、お金が送れるようにすると良いのではないですか」
松山キャスター
「武永さん、そのあたり、もっと日本は人を外国から受け入れてもいいのではないかという気持ちはありますか?」
武永氏
「もちろん、そう思っています」
松山キャスター
「あと武永さんのクリニックには多くの外国人労働者の方、日本にいる方が診療に訪れたりすることもあると思いますけれども、その人達から話を聞いて、その人達は日本で生活することについてはどういう受け止めをされているのですか?」
武永氏
「5年前までとかは不法滞在者だったのですけれども、現在は皆、ある程度、難民として認められていますので、そうすると、もう全然違うんですね」
曽野氏
「良かったな…」
武永氏
「もう子供達も学校に行けて、それで本人達は本当に好きなところで働けると。それで給料とかも交渉できるということで全然違うんですので。ですから、彼ら達も、私から見ると、非常に人生を楽しんでいるというふうに思っています」
松山キャスター
「たとえば、外国人の方で日本に住んでいる方で、なかなか日本の医療機関にダイレクトに行っても、たとえば、保険が効かないとか、そういったことで、武永さんのクリニックに敢えて来るという方もいるわけですか?」
武永氏
「結構いっぱいいました。はい、本当に本人達が日本語できなくても、助け合い精神がすごく強いんです。連れてくる友達も日本語があまりできない人も結構いるんですよ。ただ、1人より2人の方が安心ということで…」
曽野氏
「いつか武永さんにうかがった。『シクシク痛い』みたいな話は通じないでしょう」
松山キャスター
「言葉として難しいですよね」
曽野氏
「患者さんの中とか、待合室かに誰かいるんですって、そういうのがわかる人」
松山キャスター
「それを翻訳できる人?」
曽野氏
「だから、タダで通訳する…、世の中は良いですね」
竹内キャスター
「助け合いですね」
松山キャスター
「もちろん、ベトナムの方だけではないですよね?」
曽野氏
「うん」
武永氏
「結構、外国…、ベトナム人、最近は、この1年間は多くなったのですけれども、その前はもうほとんどベトナム人がいないです。だから、この制度が、ベトナム人が来る制度がなかった頃というのはほとんど外国の人達ばっかりだったので。まったく日本語が通じない2人がお互い、たとえば、ビルマの人とネパールの人が一緒に連れてくるんですね。お互いに何語で喋っているのか私が不思議に思っていたら、日本語ですよ」
松山キャスター
「ああ、日本語なのですか、共通言語が?」
武永氏
「…でも、日本語できない、お互いにできないのにそれでも連れてくるんですよね。すごく温かいなと思って、ウチのクリニック、すごく面白いなと思いました」
曽野氏
「そう、うん」
松山キャスター
「ある意味、そこの場が国際交流の場になっているみたいな形ですね?」
武永氏
「そうです」
曽野氏
「ねえ、本当に…」
武永氏
「それで、たとえば、病気になって…、病気になって来て、先生、何を食べればいいのですかと、いや、何でもいいですと。焼肉でいいのですかと言うんですよ。焼肉は、なぜ焼肉…、いや、僕は焼肉の仕事をしていますから、焼肉しか食べられない…」
曽野氏
「ああ、なるほど」
武永氏
「…あなた、私よりも良い食事をしていますよと言ったぐらいですので」
松山キャスター
「曽野さん、日本が現在とろうとしている外国人材の拡大策の背景には、日本の国自体が、日本人の人口減少というのが大きな課題としてある?」
曽野氏
「うん、はい」
松山キャスター
「これから先、この番組でいろいろなトピックを取り扱いますけれども、どの話をしても、日本の少子高齢化というのが1番の課題だという結論になるのですが」
曽野氏
「うん…」
松山キャスター
「曽野さん自身は、日本の人口減少とか、少子高齢化、どういうふうに捉えていますか?」
曽野氏
「私は、それを言うといつも笑われるのですけれど、ここで言ったら、怒られて帰り殴られそうだけれども、テレビをやめればいいと…」
松山キャスター
「テレビをやめる?」
曽野氏
「テレビの放送をやめればいいですよ」
松山キャスター
「テレビを観ちゃうことによって…」
曽野氏
「そうです、増えないです」
松山キャスター
「あっ、少子化も進んでしまうと?」
曽野氏
「そう、少子化になっちゃう、うん。退屈になって、夜になって何もすることがない…。だから、テレビをやめるのが1番良いと言った人、何人かいますよ、本気で」
松山キャスター
「あぁ、そうなのですか」
曽野氏
「ええ」
松山キャスター
「でも、最近テレビを観る方も減ってきているという状況もありますが」
曽野氏
「…」
松山キャスター
「ネットとか、そっちの方向に…」
曽野氏
「ネットか…、そうですね。でも、おもしろいですね、そういう見方。私はもう少し日本人が労働と、それから、知的な…」
松山キャスター
「活動…」
曽野氏
「うん、活動に、うまく従事しなければいけない。どっちかに偏り過ぎていると思うんですね。だから、イライラして、うまくいかないみたいなふうに思うわけでしょう。そうではなくて、労働…肉体労働して疲れて、疲れるということが必要なんですね、そうすると変な、余計なことを考えないし、知的なものに悩んだりしないです。もう少しそういう意味で、健全な動物になるべきだという気がしますね」

祖国を思う気持ちは現在
竹内キャスター
「武永さんの祖国・ベトナム共和国は、こちらの左側の国旗の国でしたが、ベトナム戦争の終結によって祖国はなくなり、南北統一によって現在のベトナム社会主義共和国となっています。武永さん、現在のベトナムをどのような気持ちで見ていますか?」
武永氏
「正直言いますと、現在のベトナムというのは、私の祖国ではないと思いますね。傍から見ると、祖国はもう1975年になくなったということですね」
松山キャスター
「実際、自分の人生の中で祖国を失うというのはすごい経験だと思うのですけれども。そのことがそのあとの人生に強い影響というのを残していると?」
武永氏
「常にもう意識しているんですね。現在は日本人になったのですけれども、この国は私の自分の故郷だと思っていますけれども」
松山キャスター
「なるほど。日本に帰化された時に、日本の国籍になるということに対する1つ大きな運命の選択だと思うのですけれども」
武永氏
「はい」
松山キャスター
「その時の気持ちというのは、どういう気持ちだったのですか?」
武永氏
「正直言って、もうなくなったものだったので。1975年…」
曽野氏
「祖国は…」
武永氏
「もう祖国はないです。ですから、日本人になったのは1994年、与えられたと思っていますね、祖国を神様からいただいた…」
松山キャスター
「新しい祖国を神様から…」
武永氏
「そうです」
松山
「…譲り受けたと?」
武永氏
「そうです」
曽野氏
「何でも持っているものは失います…」
武永氏
「はい」
曽野氏
「あらゆるものが。だから、たぶん武永さんが祖国をも取り上げられるものだとお思いになると思いますよ。信仰的に言っても、神は全てを与えてくださるけれど、全てを取り上げる…、こともあるんです」
松山キャスター
「なかなか日本人では歴史的にそういう祖国を失った…」
曽野氏
「うん、そう、いないです」
松山キャスター
「たとえば、戦後の一時期アメリカによる占領というのがありましたが、完全に祖国を失うという経験をした人というのは結局、ほとんどいないわけです。そういう意味では、なかなか日本人としては理解が難しい部分もありますよね?」
曽野氏
「そうですね」
松山キャスター
「祖国を失うという気持ち自体、曽野さんが推察するにどういう気持ちだと?」
曽野氏
「私は、人間というものの、あらゆる状況に耐えて生きろと、生きよと言われていると思うんですよ。だから、祖国を失った人間として生きる運命があるんですよ、武永さんには」
松山キャスター
「なるほど」
曽野氏
「ええ、それが彼の一生のたぶんテーマでいらっしゃると思う。そういうことにも人間はどういうふうに見事に耐えていくかということを、証してくださる一生なのだと思うんですよ。だって、いろいろな形で祖国に戻れなかった人がいるわけでしょう、こういう形でなくても。だから、我々は命も知恵も、もちろん、財産も、あらゆるものを失う可能性のもとに生きる…と思わなければいけないですよ」
松山キャスター
「なるほど」
曽野氏
「もちろん、不平は言いますよ、文句も言います、でも、そうなんですね」
松山キャスター
「世界各国いろいろな国がありますけれども、今日の番組のテーマでもある『幸せとは何か』という部分に関して言うと、曽野さんの目から見て、現在の日本というのは世界の各国と比べて、幸せな国と言えるかどうか?」
曽野氏
「大変に幸せな国ですね、大変に。私は全世界を見たわけではないので1番とは言いませんけれども、大変に、トップクラスですね。それはなぜかと言うと、まず平和を、偶然と幸運と、それから、政治的な力でしょうけれども、戦後、これだけ長い間、地震も何もある国なのに一応の平和を保てたということです。それから、日本人はお互い同士の善意というか、良識というものを私は信じているような気がする。だって、日本人だから信じるではないですけれども、ある人が東京駅に荷物を忘れたんですって、立ち話をしていたんだって。そうしたらあまり楽しくて下に置いたまま立ち話、じゃあ、と言って歩き出しちゃって、そこに荷物を置いてきたんですよ。それで、しまった!と言って30分後に行ったら、そこに荷物があったという。その男も間抜けは間抜けだけれど、その間抜けさをこうやって笑えるだけ、楽しい正直があるんですね、日本というのは。だから、私は、こういうのを日本人は続けていって、その中にそういう正直を保ちえなかった国に対する、1つ示唆があったらいいと思うんですよ、できたら。隣にいる人がスリだと思っている国もありますよね、だから、こうやってハンドバッグを握りしめて。それより日本の方がいいと思うんですね。それから、あまり金持ちがいない、貧乏人もいない、大金持ちもいないですよ。それで、全ての人が医療にかかれて、全ての人が義務教育に携われるんです。行けるよと言ったって、靴がなくて、服がなく、毎日毎日稼がなければいけないという子供がいる国がいっぱいあるのですから。そうすると、義務教育できないですよ、事実上ね。それから思ったら、日本の親はとにかく、義務教育に送れると思うんですよ。それと学校給食もあるし、それから、健診もあるし、それから、お医者さんの保険もあるし、良い国ですよ」
松山キャスター
「そこを日本人は自覚をちゃんと持った方がいいということなのですか?」
曽野氏
「そうですね。良い国であるためには同時に疑う精神がいるんですよ。隣の人はスリかもしれないと思わなければダメです。だから、自分がすられるようなことをしないということ。その悪い面の教育ができないですね、日本というのは。相手の人を悪く思うのは悪いことだって、そうではないですよ。人間というのはそういう悪も全部持っているもの、性格の中に」
松山キャスター
「武永さんの目から見て、日本は幸せな国だと見えますか?」
武永氏
「まさに夢の国だと私は思いますけれども。私だけでなく、最近よくベトナムのネットを見ているのですけれども、ほとんど毎日、日本について絶賛するんですよ。だから、曽野綾子先生がおっしゃっていた通り、たとえば、スリがいない、盗まれるという心配がない。それで、こんな環境が非常にいつも清潔な…」
曽野氏
「そうそう」
武永氏
「…環境の中に生きている」
曽野氏
「うん、そう」
武永氏
「それに学校、たとえば、教育、学校はきちんと教育していますので、ですから、子供達がすごく素直に、それは自分が学校の掃除をすること自体、もうベトナムの生活にとっては、それが夢の話と言うんですよ」
曽野氏
「そうです、本当に」
武永氏
「ここまでの教育ができる国というのは日本しかないというのは…」
曽野氏
「…夢ですよ、夢の国です、本当に」

医師 武永賢の提言:『納得』
武永氏
「『納得』ですね。どんな状況でも納得さえすれば、幸せに思えると思います」
松山キャスター
「幸せであるということをまず自分で自覚して、それに納得するということですか?」
武永氏
「そうですね、はい」

作家 曽野綾子氏の提言:『自分をとりもどせば幸福になる』
曽野氏
「ある意味でご一緒の部分があるのですけれど、現在いろいろな考えでも何でも世間の流れがあるんですね。それをやめたらいいです。あまり抗ってもいけませんけれど、自分は自分の考えだというふうにすればよろしいでしょう」
松山キャスター
「自分を取り戻せば幸福になると?」
曽野氏
「はい。流されちゃうんですね、世間が現在こういうのがいいという。それは、ちょっと日本人は弱いような気がする」