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2018年8月6日(月)
古賀誠×秦郁彦の直言 『靖國問題』を考える

ゲスト

古賀誠
元自由民主党幹事長 日本遺族会元会長
秦郁彦
現代史家

平成最後の夏『靖國』考察
竹内キャスター
「今日は広島原爆の日、木曜日には長崎原爆の日、来週15日は終戦記念日と平成最後の終戦の夏を迎えています。戦争の体験談を聞く機会が年々減っていく中、私達は何を語り継いでいくべきなのか。多くの英霊が祀られている靖國神社をめぐる様々な問題についてじっくりと話を聞いていきます。今日は73回目の広島原爆の日ということですが、古賀さん、体験談を聞く機会というのが年々減ってきている中ですが…」
古賀氏
「そうですね」
竹内キャスター
「どのように受け止めていますか?」
古賀氏
「もう戦後生まれの方が85%以上ですから、ドンドン戦争というものが風化してきておりますね。73回目の今日は広島の原爆の日、本当に大事な日ですね。私達は世界で初めての被爆国として1日も早く核のない世界をつくっていく最善の努力を誓わなければいけない日だと思いますね。大事にする日だと思います」
松山キャスター
「そうした中で、東アジアの情勢を見ると、核兵器というのは眼前と大きな問題として残っていると。北朝鮮の核問題もありますけれど、戦後を振り返って現在に至るこれまでの経緯、あらためてどう感じていますか?」
古賀氏
「うん、日本はもっと積極的に被爆国としての世界への発信、こういった努力が必要なのではないでしょうか」
松山キャスター
「秦さん、今日、広島の原爆の日を迎えるにあたってどういう考えを持っていますか?」
秦氏
「そうですね、もう七十何年経ちます、原爆に対する見方・考え方というのも世代によってだんだん変わってきますね。それは自然に衰えていくと言いますか、軽くなっていくというのは必ずしも悪いことではないと思うんですね。現在いろいろな人達が、これは覚えておけよと、語り伝えよという、ちょっとそれが多過ぎまして、言われた方はまた言われたかというような感じも受けてきますので。そのあたり、もうちょっとスムーズに歴史の一コマとして語れるということでないと、向こうも身構えるし、こちらも身構えて、必ずしも良いことだけではないと思います」

天皇陛下『慰霊』のお姿
竹内キャスター
「天皇陛下は戦後者の慰霊について今日を含め、忘れてはならない4つの日をお心に刻まれているとおっしゃっています。それが6月23日の沖縄慰霊の日、8月6日、今日、広島原爆の日、木曜日の8月9日、長崎原爆の日、来週水曜日、15日の終戦記念日。陛下は毎年、15日には日本武道館での国戦没者追悼式にご臨席され、さらにサイパン、パラオ、フィリピンなど先の大戦の激戦地を訪れる慰霊の旅を続けてこられました。こちらのお写真は2015年のパラオのペレリュー島に行かれた時のですが。古賀さん、遺族の1人として陛下の戦後者に対するお気持ちをどのように受け止めていますか?」
古賀氏
「もう遺族会のお世話を長いことやらせていただいたのですけれども、それには日本遺族会の創立記念、必ずご出席をいただく、節目の記念日には。それから、ご案内の通り、全国の戦没者追悼式にはご出席をいただく、ただ1つ、今上天皇がまだ一度も靖國神社にお参りできていない。極めて死者の遺族に対する思いやり、お参りしてあげたいというお気持ちは、私は戦没者の遺族の1人だからわかるのかもわからないけれども、痛いほど伝わってくると。早く今上天皇に靖國神社にお参りをいただいておければよかったと。靖國神社に祀られているご祭神は天皇陛下がお参りをいただくということを、待ち望んでいると思うんですね。靖國神社に対して様々な国民の意見や議論がある、学識者の方々にもある。しかし、それは…生きている我々の議論であって、大事なのは、靖國の神社にお参りいただいている、祀られている、英霊の御霊が何を望まれると。そこに私達は思いを寄せるということが靖國神社問題を語る時に1番大事なことではないかなという気がするんですね」

天皇陛下の『靖國』御親拝
松山キャスター
「まさに天皇陛下が御親拝ということでは、1975年の昭和天皇御親拝が最後になっているという状況なのですけれど、遺族の方々も含め、だんだんその数もドンドン少なくなっているという状況の中で、誰でも自由に、天皇陛下も含めて、参拝できる施設、そういうものを靖國神社は目指すべきだと考えますか?」
古賀氏
「今日の国の礎、それは、平和と繁栄、まさに命を国のために捧げられた英霊の御霊のおかげだというのは誰もが否定しない。象徴は天皇陛下にお参りをいただくことができる施設でなければならない。それがなぜできなくなったのか。お話いただいたように、戦後30年、1975年、昭和天皇が靖國神社にご参拝をいただいた…、その後、途絶えた。それには何かの理由があるはずだと。A級戦犯の合祀だと、それ以外にないと。靖國神社の松平宮司による、A級戦犯、靖國神社は昭和殉難者と呼んでいますが、14柱、これの合祀がなぜあのような状態で極めに誠実さに欠く、謙虚な姿勢を持たない、たった1人の独断で、それも昭和天皇から引き継いだその年の秋の大祭の前夜、10月17日、1978年、密かに誰にも知らせずに合祀をされた。私はその誠実さのなさ、極めて残念であると同時に、まったくあの合祀は無効だったと。A級戦犯の分祀と言うけれども、それより大事なことはあの合祀に至る松平宮司の独断性、そうしたものを認めるわけにはいかないと。もう一度元の形に返してください。筑波宮司は、A級戦犯、昭和殉難者の祭神名標が来た時に、この問題は極めて大事で慎重を要するものだと。とりわけ近隣諸国、こういった国々も影響を及ぼす問題だからということで、宮司預かりとして祭神名標を合祀されなかった。だから、昭和天皇もお参りできたし、また同時に歴代の総理も公人としてお参りすることができた。近隣諸国の国々も騒ぐことはなかったと。A級戦犯が合祀されたことによって靖國神社が変わったのだと、靖国神社の持つ性格が変わってきているという意識を持っています。そういう認識です」

首相『靖國参拝』と海外の反発
竹内キャスター
「戦後初めて現職総理として8月15日に参拝しました三木総理は『内閣総理大臣としてではなく、三木武夫個人としての参拝である』と説明しました。その後、いわゆるA級戦犯の合祀問題が浮上した後に1985年、中曽根総理は『内閣総理大臣の資格で参拝をした。いわゆる公式参拝である』とコメント。さらに、在任中たびたび靖國参拝を行っていました小泉総理は『総理大臣である人間・小泉純一郎が参拝した。職務として参拝しているものではない』とコメント。第2次安倍政権での靖國参拝は2013年の12月、参拝後の会見では、公的か私的かについては明言せず、『人々が戦争の惨禍に苦しむことがない時代をつくる決意をお伝えするために参拝した。中国、韓国の人々の気持ちを傷つけるつもりはない。国内外の人々を慰霊する鎮霊社も参拝した』と発言しました。古賀さん、現職の総理の靖國参拝が近隣諸国、中国や韓国等との間で政治問題となってしまった経緯をどのように受け止めていますか?」
古賀氏
「先ほども申し上げましたように、松平宮司の誠に謙虚さのない不誠実な合祀によって、靖国神社は変わったと私は申し上げましたけれども。1番変わったところは何かと言われたら、総理のご参拝が難しくなったということに尽きると思うんですね。まさに先生も触れていただいたけど、東京裁判史観を否定したわけですから。そのことによって近隣諸国、特に中国・韓国、政治状況に極めて困難な状況、穏やかでない状況をつくり上げてきたということですから。総理大臣がご参拝になるということになると、様々な近隣諸国の国々の政治状況が動き出してくる、この状況だと思いますね」

『A級戦犯』合祀の真実は
竹内キャスター
「ここからは、いわゆるA級戦犯の合祀についてあらためて考えます。当時の経緯は1966年2月、厚生省から戦死者に関する名簿、祭神名票が靖國神社に送られ、その中に東京裁判関係として、いわゆるA級戦犯の死没者12名も含まれていました。当時の筑波藤麿宮司が『合祀の時期は慎重に考慮したい』と宮司預かりの形で事実上保留の扱いにしていました。1975年11月、昭和天皇の最後の御親拝、1978年に松平永芳氏が宮司に就任し、3か月後の10月17日に執り行われた霊璽奉安祭で病死の2名を追加した14名のA級戦犯を合祀したとされています。その事実が明らかになったのは1年後でしたが、後に松平宮司は『国から名簿が来たら行使する。それが筋だ』と合祀の理由を説明したと言われています」
古賀氏
「本来、靖國神社にお祀りする、祭神は戦死公報をもらった人、要するに、戦争で亡くなった人。だから、日露戦争の時の乃木大将も、海軍大将ですか、アレは…」
秦氏
「東郷…」
古賀氏
「東郷平八郎大将もお祀りになられていない。本来、東條総理も、これは厳格にしなさいと通達も出してあるんです。戦死した人、これに限るんだと。だから、おそらく東條さんなんてあそこに祀られて、なんて余分なことをしたんだと、俺がこんなところに祀られるっちゅうことはねおかしいよと思っているのではないかと」
秦氏
「私もそう思いますね」
古賀氏
「ええ、間違いではないかと。なぜ俺がここに祀られるのだと」
秦氏
「と言うのは、松平さんは神社の職員には全部緘口令を敷きまして、こっそり10月17日に合祀したわけですよね」
松山キャスター
「なぜ裏でこうやるような形になっちゃったわけですか?」
秦氏
「いや、遺族に、まず合祀いたします、あるいは合祀いたしましたというのを直後に、事前の了解というのを普通はするものだと思うんです。これを一切しなかった。なぜしなかったかというと、知らせると遺族の中には、祀られたくない、あるいはご遠慮するというのが出てくる可能性があると。だから、それを防ぐために伏せたというんですね。だから、その点、非常にざっくりご本人はあけすけにそういうことを言っているわけです」
松山キャスター
「ただ、その事前に皇室側、宮内庁側にも事前の打診はあったと…」
秦氏
「ええ、そうですね。言行録がこの前後残っているのですけれども、御親拝は絶対にお願いしないという文章が残っています。これは彼が雑誌に書いているんです、あとで。それから、もう1つは、天皇に逆らってやったと…」
松山キャスター
「いわゆる富田メモの存在なのですけれども…」
秦氏
「そう、そう…」
松山キャスター
「これは、1988年4月28日の記述ということで、昭和天皇がこういうふうに語ったというふうに富田、当時宮内庁長官が残したメモに残っていると」
秦氏
「はい、ええ」
松山キャスター
「『私はある時にA級が合祀され、そのうえで、松岡、白取、これはおそらく鳥という字の白鳥、当時イタリア大使だったと思うのですけれど、白鳥さんまでもが一緒に合祀されてしまった』と。筑波は、というのは、当時の筑波…」
秦氏
「宮司ですね」
松山キャスター
「…1つ前の宮司ですね、『筑波宮司は慎重に対処してくれたと聞いたが、松平の子の今の宮司、その時の松平宮司ですね、その宮司がどう考えたのか易々と、松平は平和に強い考があったと思うのに親の心子知らずと思っている。だから、私はあれ以来参拝していない、それが私の心だ』というふうに昭和天皇の語ったとされるメモですね。このメモをどう秦さんは見ていますか?」
秦氏
「これは、出た時の反応が面白いですよ。非常にネガティブな反応が多かったのは、私はびっくりしたんですよね。1番、たとえば、こんなのがあるんですよ。私は信じない…」
松山キャスター
「このメモの存在そのものを信じないということですか?」
秦氏
「…富田メモを読んで。こういうことを天皇が言ったということを私は信じない、信じたくないと言うんですね。だから、要するに、薄々これは本当らしいと思ってもね、これを認めたくないという気持ちの方が先に立つんですね。それから、さらに富田さんはけしからんと、なぜこんなものを残したのだと。生前に焼いておくべきではなかったかということで。富田氏を攻める人、それから、これは全部偽物だと、国会で調査せよというような、いろいろありまして。ネガティブな人が非常に多かったですね。その時に面白いのは新右翼の一水会の代表という人が、これは靖國神社につくか、天皇陛下につくかと言ったら、私は天皇陛下につくと、これが1番明快でした。…非常にこれ私も感銘しましたけれども。他の人は右往左往、こんなものが出たら困ると言うのだけれども、その困るというのをいろいろな形で表現をしていると。ただ、このあと卜部侍従の日記なんていうのも出まして、この裏づけはほぼできているんですね。しかし、現在でも靖國神社はこれに対してはノーコメント」
松山キャスター
「ノーコメント?」
秦氏
「ええ」
松山キャスター
「いろいろ議論は現在も続いていますが、どう受け止めていますか?」
古賀氏
「秦先生からおっしゃっていただいたように、非常に政治的な配慮をして宮内庁も、もちろん、昭和天皇も、このことには具体的にお触れになっていませんよね。それは政治的なご配慮だろうというふうに思いますが。事実だろうと思うし、現在も申し上げているように、あの靖國神社にお祀りする、祭神は、御霊というのは、戦争で亡くなった方ですよ。これは白鳥さんも、松岡さんも文官ですよ」
秦氏
「ええ、外交官ですね」
古賀氏
「…外交官、外務大臣」
松山キャスター
「しかも、軍人でもないし、死刑になったわけでもないということで、そこに批判があるようですけれど」
古賀氏
「だから、本当にどういう基準があってお祀りしてあるのかも定かでない」
秦氏
「うん」
古賀氏
「それと現在も申し上げているように再三、一心同体である遺族会は完全に無視されている。そこには謙虚さも誠実さも何も微塵も感じない、私はとんでもないことだと思っています」
秦氏
「死没者12名が厚生省から名票がきました。これがいつの間にか2名増えちゃっているんですよ。つまり、白鳥と松岡ですね、それが入っちゃった。これがよくわからないんですよ、いったい誰が入れたのか、あとから。いよいよ祀る時には2人増えちゃったと」
松山キャスター
「この2人増えた分、白鳥大使と松岡洋右、当時の外務大臣ですけれど、いわゆる普通の合祀の基準にこの2人は当てはまらないのではという意見がありますよね?」
秦氏
「うん、まったくそうですね」
松山キャスター
「もともとの合祀の基準というのはどういうものだったのですか?戦場で亡くなられた軍人とか、そういったことがまず基準になるということですか?」
秦氏
「そうですね、ええ。だから、昭和19年に、非常に詳しい靖國神社に関する規則を、陸軍大臣の名前で出しているんですよ。それは東條さんですよ。東條首相兼陸軍大臣が出しているんですね。だから、それから見ましても、この人達は全然、当てはまりません。だから、これはもうまさに宗教法人のトップである宮司が、私がこの人達を祀る、これ、これ、これと言ったら、もうそれで終わりで誰もそれを止めることができない。しかも、唯一抑えられる可能性があるのは、それは昭和天皇ですよね。だけど、逆らってやるのだという人には…。だから、宮内庁も随分研究したらしいですよ、どうやって止めさせるか。しかし、結局、法的には、独立した宗教法人には誰も命令できない」

靖國神社『合祀の基準』は
竹内キャスター
「番組前半はA 級戦犯などの話を中心に聞いてきましたが、その一方で、靖國神社に合祀されていない歴史上の人物もいます。たとえば、明治政府樹立へ尽力したもののその後、反旗を翻す形で新政府と戦った西郷隆盛や江藤新平、新撰組の局長でのちに幕臣に取り立てられた近藤勇や、戊辰戦争で官軍と戦った会津藩の白虎隊、さらに初代内閣総理大臣の伊藤博文、幕末の動乱期に人斬り以蔵の異名で知られました土佐藩の岡田以蔵などです。秦さん、これらの人々はなぜ靖國神社には合祀されていないのでしょう?」
秦氏
「要するに、賊軍に属しているということで、天皇の命令で行動したのではないという、それは裏の意味になりますけれども。だけど、それを実質的に決めるのは戊辰戦争で勝った官軍側ですね、そちらがまず勝手に決めるわけですよ。戊辰戦争でも戦闘、戦場で死んだ人は、これは非常に明確なわけですね。その中に女性が1人入っているんです。これは秋田県の女性で、中年の女性なのですが、秋田藩は最初、官軍に属していたんです。ですから、南部藩とか、周辺の、いわゆる賊軍の人達から攻撃を受けて、その時に秋田藩のために兵糧や、おにぎりなんかを運んでいる途中に、なんか死んじゃったんです。これが唯一の、戊辰戦争三千何人の戦死者のうち、ただ1人の女性なのですけれど。それ以外は国事殉難者ということで、幕末の志士活動で死んだ人。それで、その基準はと言いますと、戦死と違って非常に難しいわけです。たとえば、会津藩は、長州が蛤御門の変の時に大砲を引きずって攻めよせてきて…」
松山キャスター
「京都御所で…」
秦氏
「京都御所を砲撃したでしょう。それを防いだのが、会津藩士と、それから、西郷隆盛の薩摩藩、その他いくつかありましたけれども。それで、ところが、長州藩の方は、その時攻めて、久坂玄瑞だとか、そういう人達が死んだわけですね、結局負けたものですから。それは真っ先に明治21年に大量に合祀されて、吉田松陰も含めて。そうすると…」
松山キャスター
「長州側の人、いわゆる蛤御門の変だけ見ると、いわゆる朝敵側が長州だったわけですよね」
秦氏
「そうです」
松山キャスター
「その長州の久坂玄瑞を含めて、何人かが合祀された?」
秦氏
「はい」
松山キャスター
「いわゆる官軍が基本的に合祀されている靖國神社の精神とはちょっと違うという指摘がありますよね?」
秦氏
「うん。だから、あとになって、いろいろとこれはおかしいやないか。少なくとも蛤御門は、防いだ方は現在から追祀してくれと。それで最初は逃げていたんですよ。いろいろな理屈を当時は言っていまして、殺した者と殺された者が同時に祀られると、黄泉の世界でまた斬り合いが始まると、そんなに理屈をつけて。だから、かなり考慮していますね。つまり、だから、岡田以蔵が外れるのは岡田以蔵に殺された方、テロの対象になって。それは祀られているわけです。そうすると、殺した岡田以蔵はダメだと。それから、岡田以蔵は人切りという名前がついたくらい非常にガラが悪いと。でも、実際は、岡田以蔵は、自分で判断して殺していたのではなくて、親分の武市半平太、土佐の、それがアレを殺れと言ったら、この岡田以蔵がやって殺していたわけですよ。武市半平太はというと土佐藩の筆頭で…」
松山キャスター
「合祀されていますよね」
秦氏
「合祀されている。だから、矛盾がいろいろ出てくるわけですね。とうとうそれを支えきれなくなって大正時代に入ってから蛤御門の会津藩主は祀られたと。ただし、会津若松市の城で戦った連中は対象にしないというようなことになってきましたね。ところが、例外をいろいろ認めているうちに、例外のまた例外というのが出てくるわけです。だから、かなりあとの方ではゴチャゴチャになりましたよね」
松山キャスター
「基準がかなり難しくなっていると。古賀さん、靖國神社に合祀される基準、そのところどころで時代、時代で節目があると思いますけれども。現在の段階ではどういう基準が1番スタンダードな基準としてあるのですか?」
古賀氏
「基準と言っても、秦先生がおっしゃるように、戊辰戦争で官軍・賊軍でもなかなかキチッとした基準がない。だから、亀井先生や石原慎太郎先生が、同じように国を想った人達ではないかと。ただ、官軍は天皇の錦の旗を持ったから官軍であって、幕府軍はそれに反旗を翻した、それと戦ったと。おかしいではないかと、国への想いは同じだろうと。だから、一緒にお祀りしたらどうかと。ちょうど徳川さんが宮司だったのかな、現在の前の宮司。徳川さんも、うん、それはそうだ、歴史修正ちゅうのは必要なのだと。そうやっておっしゃったものだから、靖國神社は大騒動になっちゃった。徳川さんに対しての排斥運動みたいなものが起きちゃって、結果的によくわかりませんが、徳川さんはお辞めになっている。そういう一宗教法人だからトップの考え方で全てが決まるというのはよくわかるけど、徳川さんみたいな、そういう歴史修正なんて柔軟な姿勢があって然るべきだと思いますよ、もっと開かれた神社であってほしいなという気がします、正直言って」

『A級戦犯』分祀は可能か?
松山キャスター
「第2次安倍内閣が発足したあと、2013年の12月ですか、靖國神社を訪問した際に、記者団にその質問を受けて訪問の趣旨について答えた時に、最後の部分で鎮霊社というものを訪れたと言ったんです。その文言についてもう一度確認したいのですけれども…」
竹内キャスター
「『国内外の人々を慰霊する鎮霊社も参拝した』ということですよね」
松山キャスター
「いわゆる靖國神社、本殿そのものではなくて、その靖國に合祀されていない人が祀られている、国内、また国外の人も合わせた霊を慰霊する鎮霊社も参拝したということで。鎮霊社というのが実際に本殿の横のこの位置に位置しているとのことで。明治維新以来の戦争・事変に起因して死没し、靖國神社に合祀されていない人々の霊を慰めるため、昭和40年7月に建立され、万邦諸国の戦没者も共に鎮斎するということで規定されている祠なのですけれども。この鎮霊社というのは、秦さん、どういう施設ですか?」
秦氏
「これは小さな、それこそ祠みたいなものだったんですよ。それで、筑波元宮司が、筑波さんが昭和40年頃に、各国をまわった時に、いろいろ見聞をして、それで戻ってきてこういうものをつくりたいと。それに対して靖國、スタッフは全員と言ってもいいぐらい、皆、反対したわけです。と言うのは、靖國神社は皆さんの名前がはっきりわかっている人ですよね。彼の構想では、万国の戦没者達ということになると調べようもないし、だから、名前のわからない人達を…。これは千鳥ヶ淵の、アレは無名戦士ですよね…」
松山キャスター
「戦没者墓地…」
秦氏
「だから、アレも名前がわからない人があそこに入っているというようなことで、全然趣旨が違うということと。それから、時期区分、そこでスタッフが非常にがんばって、せめて時期区分を入れてくださいということで、嘉永6年以降ということにしたのですが。これはペリーが来航した年ですよ。だから、日本を本位にしているのか、諸外国を本位にしているのかわけがわからないのですが。ただ、これはもうちょっと筑波さんは深い含意があったという解釈があるんです。権宮司をやってきた人から聞いたことあるのですが、A 級戦犯を祀れ、祀れ、という圧力がかかってくるわけですね」
松山キャスター
「はい、筑波さんに…」
秦氏
「それを何とか逃げる方法はないかということで、ここにいるんだよと。西郷隆盛もいるし、東條さんもいるんだよということで。現在は、靖國神社の公式見解は、それは認めないと言っているんですね。それで相殿というのが靖國神社の本殿の中にありまして、一時待っている人はそこにいることになると。皆、霊魂の話ですから、誰も見ているわけではないのですが。そこで正殿に既に入っていると。だから、鎮霊社に行ったことはないと言うのだけれど。その元の権宮司の人なので、それは知恵だと、筑波さんの。とにかくここへ迎え入れる。だから、私はここにいたと」
松山キャスター
「古賀さんは、この鎮霊社を訪れたという安倍総理の判断が、いわゆる中国とか、韓国とかの反発を和らげるという意味も含めて、そういう訪問したということを言ったのではないかという見方もあるようですけども…」
古賀氏
「安倍総理の意図がどこにあったかは、私はわかりませんけれども、お参りすることは決して悪いことではないというふうに思います。ただ、秦先生がおっしゃっているように、A級戦犯のそういう考えがあったかどうか、私は勉強しておりませんけれど、そういうことを議論しなければいけないこと自体、A級戦犯の扱いというのは靖國にとって最も大事で、最もキチッとした責任ある結果を出していくということが求められていると思いますよ、このA級戦犯の問題は」
松山キャスター
「あとA級戦犯の合祀を解消する、問題を解消する手段として、よく言われるのは別の形で国立の追悼施設をつくったらどうか。すぐ近くにある千鳥ヶ淵の戦没者墓苑、そこを利用する手もあるのではないかという議論もずっとありますけれども」
古賀氏
「うん」
松山キャスター
「こういった意見について古賀さんはどういうふうに?」
古賀氏
「どんなに分霊したって元の神霊は残っているのだということですから。新たな追悼施設だとか、千鳥ヶ淵になんて、こんな議論というのは、我々戦没者遺族にとっては到底認められる問題ではありません」

『靖國神社』の決着点は
竹内キャスター
「靖國神社の今後について2006年に麻生太郎氏が私見としてこのような提案をしています。『国家がなすべき戦死者慰霊という仕事を、戦後日本は靖國神社という一宗教法人にいわば丸投げして民営化してしまった。氏子を持たない靖國神社にとって、カスタマーはご遺族・戦友・近親者などで、平和な時代が続くほど細っていく運命にある。解決策は自発的な任意解散手続きによって、靖國神社が招魂社の姿に回帰すること』と述べていますが。古賀さんに聞きたいのですが、この『招魂社の姿に回帰すること』というのは、つまり、何らかの形で国の関与が入るということかと思うのですけれども」
古賀キャスター
「当然、入っていくでしょうね」
竹内キャスター
「はい、そのことについて…」
古賀氏
「前から麻生先生も、私、遺族会の会長をやったりとか、そういうお知恵をいただいたりして、こういう考えもあるのかと思ったけれど、現在の段階ではなかなか難しい。もう靖國神社というものが1つの、どう言ったらいいのかな、そこで甘い汁という言い方は変だけれど、そこで生きている人達が根づいているから、非常に難しくなってきている」
松山キャスター
「先ほど、古賀さんはA級戦犯の分祀とまでは言わないけれども、元の形に戻すのがよいという話を…」
古賀氏
「だって、分祀というのは靖國神社の見解ではないとおっしゃっているのだから。分霊も、これまであった神霊も同じ神格を持っているんですよ、というのが、靖國神社のお答えだから。それでは分祀と言いませんよと、元の姿に1回、宮司預かりにして戻していただけませんかと。それは廃祀としてできるでしょうと。廃祀っちゅうのはどこにでもよくある話ですから」
松山キャスター
「廃祀というのは、いったん合祀したものを1回なかったことにして、ということですか?」
古賀氏
「お祀りをやめるっちゅうことです」
松山キャスター
「なるほど」
古賀氏
「たとえば、横井…、何と言ったか…」
松山キャスター
「横井庄一さん」
古賀氏
「…庄一さんだって、戦死広報が出ていたのだから。いったん祀られたんです、祀ってあったはずですよ。それでお帰りになったものだから、それは外したわけでしょう」
秦氏
「ええ。戸籍抄本を抹消します。復活させるでしょう。それを持っていけば、靖國神社はハイと言って。しかし、その原本がありますよね、それは直さないらしいですよ。ただ、コンピューターで検索しますと、この人は生還につき、いつ復活だと、抹消だと…」
古賀氏
「そうなっていますよね?」
秦氏
「うん。だから、抹消という手続きはあるんですよ」
古賀氏
「だから、廃祀はあるんですよ、と思うんです」
松山キャスター
「なるほど」
古賀氏
「そういうことを、確か國學院の井上先生か誰かがどこかテレビでおっしゃっていたことがありますよ」
秦氏
「ただ、廃祀しなさい、と誰か命令できる人はいないですよ、問題は。これもそうですよね。『自発的な任意解散』と言うのだけれども、自発的に解散を待っていたら、いつになるやらわからないでしょう」
松山キャスター
「宗教法人なだけに政府が何かしら関与することがなかなか難しいと…」
秦氏
「そう。解散命令なんてできませんよ」
古賀氏
「いや、だから…」
秦氏
「裁判になったら負けますよ」
古賀氏
「秦先生、廃祀という以上は、宮司がそれを言ってくれなければいけないんです」
秦氏
「そう、そうです。宮司が決断しないといけない」
古賀氏
「だから、だって、宮司が合祀もできたのだから」
秦氏
「そう」
古賀氏
「だから、宮司の決断さえあれば、これは廃祀だと言ってもらえれば廃祀は可能だと」
秦氏
「そうです」
松山キャスター
「あと全国の神社の中では、たとえば、その分霊という形で、祀られているものを分けるという手続きをやることはよくあるという話を聞きますけれども、同じようなことを靖國神社でも行うことというのは難しいのですか?」
古賀氏
「いや、それを分霊はダメだとおっしゃっているんですよ、靖國神社が。分霊はしても、元の英霊の御霊というのは残っておる。それが、だから、神格というのは残っていると。だから、それは意味がないと。だから、分祀はしないんだよ、ということが靖國神社の公式の見解と私は受け止めているんです。だから、わかった。では、元の姿にだけは戻していただいて、廃祀してくださいと。だって、合祀ができたのだから、宮司さんの決断ができれば、廃祀はできるでしょうと」
秦氏
「そのためには、あらかじめ、それをやってくれそうな、宮司を選んで…」
古賀氏
「そうです」
秦氏
「…送り込むということが必要なのでしょう。だから、ただこれまでも、そういう働きかけは随分、各宮司、皆一度は受けていると思うんです。だけど、靖國、宮司だって、下の職員、権宮司とか、そういう人達の意向に逆らって、1人で私はやりますという、そういう剛勇の人はいませんよ。松平さんぐらいですよ、皆が反対しても俺はやるのだと断行する人は」
松山キャスター
「古賀さん、最後に御親拝を実現するために1番カギになることというのはどういうことだと考えますか?」
古賀氏
「うーん、先ほども最初に触れたと思うけれども、我々がああだ、こうだと議論しているわけでしょう。だけど…」
松山キャスター
「ずっとこの議論は続いていますよね」
古賀氏
「1番大事なのは、尊い命を国に捧げて靖國の森に英霊の御霊として祀られている方は何を望むかではないか、と言っているんです。絶対、国民のわだかまりのない参拝のできる靖國神社、今上天皇も総理大臣も近隣諸国にいろいろな問題を提起されることなく堂々とめぐれる施設。あなたのおかげですよということを、尊崇の念を持っていただける、お眠りになっている英霊の御霊はそれだけが望みではないかと。わかっているではないかと、それは。なぜできないのだと。あまり難しい、ああでもない、こうでもない、議論もいいけれども、生きている我々がこんな幸せな国に生きていることができているのは全部、御霊のおかげではないですか。だったら、御霊の気持ちに応えようよというのが私の哲学です」

古賀誠 元自由民主党幹事長の提言:『永遠(とわ)の平和』
古賀氏
「明快ですけれども『永遠の平和』と。これは靖國神社の象徴的なものだろうと思いますね」
松山キャスター
「それは、平和が永続的に続くことがまず何よりも重要だと」
古賀氏
「はい」

現代史家 秦郁彦氏の提言:『天皇にさからって 合祀したヤスクニから “アイサツ”がまず必要だ』
秦氏
「天皇ご参拝の条件づくりということで言いますと、とにかく昭和天皇の意向に逆らって、合祀したわけですから。それについて靖國神社が挨拶をしないと全て始まらないと思うんですよね」
松山キャスター
「挨拶がまず必要?」
秦氏
「まずは必要だと思う、ええ」
松山キャスター
「最初は、天皇陛下に逆らって合祀した靖國だからと…」
秦氏
「靖國からまず挨拶が必要、それは全て、ご参拝を実現するための最初の条件だと思っています」