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2017年7月19日(水)
2025年…超高齢時代へ 現役医師が語る終末期

ゲスト

清水哲郎
岩手保健医療大学学長
長尾和宏
医療法人社団裕和会理事長

超高齢社会の終末期医療 延命措置の現状と課題
秋元キャスター
「今夜は、終末期医療のあり方について考えます。日本は超高齢化社会に突入し、人生の最終段階で受ける医療のあり方が課題になっています。今日は終末期における延命措置の現実や、その是非など、現場を見つめる医師と研究者とともに考えます。 まずは患者自身ですとか、その家族が直面する終末期医療を考える際に、近い将来の死が避けられないという患者に施される延命措置の問題があります。長尾さんの著書では、3大延命措置として、この3つを挙げられています。胃ろうや点滴などの人工栄養、人工呼吸、人工透析の3つなのですが。長尾さん、医学界ではこの延命措置、どう定義されているのでしょうか?」
長尾氏
「そもそも医療は全て延命を目的としていると思うんですね。たとえば、血圧の治療をする、糖尿病の治療をするのも延命だし、ガンの治療をする抗ガン剤も命が延びる延命だと思うんです。その中で機械とか、人工的な色彩が強いものを3大延命措置と従来呼ばれていたのですけれど、しかし、たとえば、それ以外でも補助人工心臓と言いまして、ポンプみたいな心臓を、あるいはiPS細胞による再生医療も、命を延ばすという意味では延命治療・延命措置に入っていくかと思うんです。古典的にはこの3つが俗に延命措置とか延命治療と言われているんだと思います」
反町キャスター
「なるほど。今日みたいなテーマは言葉を選ばないとなかなか難しいのですけれど、確実に亡くなるというのが見えている状態における延命治療、ないしは措置というものは、特にその部分というのは特別に切り分けて議論の対象になったりはするのですか?」
長尾氏
「もちろん、最近は医療が発達して、いろいろなことができますので、現在確実に死が迫っていると言っても、そこからリカバリーすることがあるんですね。たとえば、ガンでも、余命1か月と言っていて、分子標的薬で7、8年生きる人、生き返るような人もいるし…」
反町キャスター
「よく議論の中で、終末期における延命措置と言うと、これは財政的にもムダではないかという議論がいろいろなところで出てきますけれど、まずそのスタンスは我々、とらない方がいいのですか?」
長尾氏
「まず前提として、人間の尊厳と医療経済は分けて考えるべきだというのが私の持論ですね。人間の尊厳を大事にすれば、たとえば、ここからは本人を苦しめるだけだということで止めると、中止するという選択肢も認めたならば、むしろ医療経済と延命措置と言うか、人間の尊厳と医療経済っていうのは両立するものだと私は考えます。だいたい相反すると考えるから、いきなりお金の話…」
反町キャスター
「相反するというのは、まさに何でもかんでも延命措置をやると終末期になればなるほどお金が、データとしてはワーッと伸びるというデータを、我々よく目にしますよ」
長尾氏
「私は逆だと思っていて、人間の尊厳を大切にすればいろいろな延命措置やっていいのですけれども、やめ時というのがあるのだと。やめ時を皆で話し合うことできて、やめることができたら。いつまでもできませんから、その方がその人の尊厳が守られる、すると、医療経済も良くなるということで、両立するものだと、相反するものではないのだと考えています」
反町キャスター
「たとえば、栄養・呼吸・透析の3つの延命措置という世界において、質問させていただくと、やるべきと言っていいのか、やるべき延命措置と先ほど言われたやめ時という言葉を含めるのだったら、やるべきでない延命措置、その線というのは自身、どう引かれているのですか?」
長尾氏
「そんなに簡単ではないと思いますけれども、確かに、こういうものをやるか、やらないかという開始・不開始という1つの問題があります。やったとして、次いつやめるのか、どのようにやめるのかという中止の問題があるわけですね。ご質問のやるかどうか、これは非常に迷う時、ありますよね。たとえば、老衰で、たとえば、105歳の先生がやってくれと言われた場合に非常に迷いますよね、もうかなりの高齢でありますからね。だから、そんなに単純に線は引けないと思います。患者さんの意思を尊重するということが日本でも大原則ですし、世界の、ユネスコの生命倫理の大原則でもありますから、それを優先しながら、尊重しながら、皆で、医者と家族と皆で話し合って、開始も決める、中止と言うか、緩やかに撤退する時期も決めて、皆で話し合っていこうというのが現在の動向だと思いますよ」
反町キャスター
「清水さん、いかがですか?」
清水氏
「中止という言葉はあまり好きではありませんね。中止というと、なんとなく本当は続けるところを途中でやめちゃうみたいに。でも、現在、長尾さんが言われたような、皆で話し合ってどうするのがこの患者さんにとって1番良いか、この患者さんの人生にとって良いかということを考えて、ここが、おっしゃる、やめ時だとなった時には、これは、終わりにするのがこの方にとって最善なのであって。たとえば、その方がやり続けるよりも、この方は楽になるとか、体の負担が少なくなるからやめると、そういうような考えになるかと思います」
長尾氏
「中止と言うと確かにキツイと思うんですね。だから、徐々に差し控えるという表現を使うのですけれども、差し控え…」
反町キャスター
「差し控えるとは人工呼吸を徐々に差し控えるのがあるのですか、現実的に?」
長尾氏
「呼吸はなかなかないかもしれませんけれども、いろいろな設定を変えることはあります。栄養でもちょっとずつ減らしていく、胃ろうの栄養でも半分とか、4分の1に減らしていくということはあって、段階的に階段を下りるよう緩めていくということはある。半分、4分の1でも差し控えになってくると思います。0か100という話ではなくて、車で言ったらスタートがあるわけです、走り始める、次、止まる時にゆっくりと止まっていきます、いきなりバンと止まらないですね。だから、ブレーキをかけて自然に止まる時期があるのではないかと、いつまでも事故で衝突してバンと車が止まるまで行くのではなくて、どこかの時点からスピードを緩めてあげた方が、その人が楽で、しかも、長生きする場合があるんですね。ご飯がまた食べられるようになって。点滴し過ぎてご飯が食べられなくなっている人がたくさんいます。点滴をやめたら、ご飯が食べられるようになりました、それでその人の尊厳が保てるようになったというので。差し控えイコール死とも限らないですよ」

延命措置の選択と家族
秋元キャスター
「長尾さん、病院で延命措置を受けた患者さんというのは具体的にどういう人生の最期を迎えることになるのでしょうか?」
長尾氏
「延命措置と言っても、いろいろありますし…」
反町キャスター
「基本的にこの3つだと思って」
長尾氏
「どういう終末期か、それぞれ皆、物語が100人あったら100人とも違うので、簡単には言えないですけれども。たとえば、人工呼吸器なんか、肺炎で入院して1晩、2晩だけ人工呼吸器を受け、また生き返って、それを何度か繰り返したりする人もいるんですね。誤嚥性肺炎を100回ぐらい、繰り返した人もいて、最期はさすがに本人も家族ももうダメだろうと、病院の先生ももうダメだなということで、入院もせず家で看取ったという方もいらっしゃいます。あるいは人工透析も、ずっとやっていたのですけれども、本人、要介護がもう5になって認知症も進んでいて、高齢のせいもあって、もうやめたいみたいなことを家族も言い出して、やめてすぐ亡くなるかなと思ったら結構、長生きしたりですね、ビックリするぐらい、20年長生きしたという人もいて…」
反町キャスター
「ちょっと待ってください、人工透析をやめて、20年生きる方がいるのですか?」
長尾氏
「人工透析を、これは非開者だったのですけれども、紹介状を…」
反町キャスター
「非開者?」
長尾氏
「開始しないということです。紹介状を見たら、この患者さんは慢性腎不全で、人工透析を20年間拒否しているんですがと、それはおかしいでしょう、20年間拒否しているのだったら…」
反町キャスター
「20年間、生きている?」
長尾氏
「そうそう、生きているということは、要らなかったのではないかと思うんですけれども。さまざまですね。それでも、その方は拒否して、最期まで在宅で、何か月か過ごされて、拒否したまま、ビックリするような値ですよ、生きているのが不思議なぐらいの検査データですけれども、順応したんです、人間の生命力はすごいなと。僕ら在宅医療でたくさん見ていますから、ちょっと病院では見ないぐらいの検査値の方が家でゆっくりゆっくり弱っていって、生きている、生き延びているという方もいる。だから、拒否したからすぐ死とは限らない。病院ではあまりそういう人は見ません、在宅では結構そういう方が…」
反町キャスター
「それはどういうことですか?数値のうえでは病院だったら亡くなっているけれども、自宅だと生きていると、これどういうことなのですか?」
長尾氏
「不思議でしょう。でも、それはよくあります。病院で、たとえば、点滴したら良いと思ったら、点滴をし過ぎたら早く死にます。たとえば、ガンの終末期の方が、栄養失調みたいに痩せてきました、高カロリー輸液をします、私も30年前やっていましたが、そうしたら全部そのブドウ糖はガンにいって、すぐ亡くなっちゃう。それで自然に痩せていくけれども、自然…、ガンにとって栄養がないことが1番困ります、だから、その方が長生きする。1番、我々は、生活の質が高くて長生きできる、その1番総和が大きい状態を見つけ出すのが在宅医療の目的で。だから、延命治療をやらないから早く死ぬと、皆さん思っている方が多いのですけれども、やらない方がずっと快適で長生きできる場合も多々あるんです。これは病院と在宅の両方でたくさん経験したから、言えるのですけれども…」
反町キャスター
「それは、場所の違いではなくて何の違い?要するに、精神的なものではないのでしょう、話を聞いていると…」
長尾氏
「違います、違います。やり過ぎたらガンの場合でも良くないし、ガン細胞を…」
反町キャスター
「病院だと、ついやり過ぎてしまうものなのですか?」
長尾氏
「その通りです。ちょっと食べられないから点滴をし過ぎてしまう、栄養不足だと栄養を入れ過ぎてしまったら、いろいろなおかしなことが、血糖値も上がったり、活性酸素が発生したり、かえって寿命を縮める。水分を入れ過ぎたら、心不全や肺水腫、腹水、胸水、抜いたりしないと、私は病院でもう10年間、家でいろいろなガンの人を見ていますけれども、抜くこともありません。ガンの場合であると、枯れていくのをじっと見守る、見守る、これを平穏死と名づけて、石飛幸三先生が名づけられましたけれども、そういう本を書いていますけれど、枯れていくのをずっと見ている勇気と言うか、そういうものが大事な場合もある」
反町キャスター
「患者本人が意識のある場合とない場合、延命措置をやるべきか、やるべきでないかは違ってきますか?」
長尾氏
「はい。大きく分けて、ガンの場合、認知症とか、老衰の場合、あと臓器不全症と言うのですけれども、慢性心不全とか、肝硬変とか、COPD・肺気腫の場合があるのですけれども、いずれにせよ、直前まで自然に任せていると意識があります。真央さんも、愛していると言って亡くなられたと海老蔵さんが言っていましたね、日野原先生も直前まで家族と話していた。だから、意識がないというのは逆にいろいろなことをやり過ぎるわけですね、点滴とか。やり過ぎたら、心不全になるとか、息が苦しくなる、簡単に言えば、痰や咳で苦しむから暴れるわけです、暴れるから鎮静剤で寝かそうということで、鎮静ということで入ってくるんですね、多くの場合、病院の場合、かつてそうやっていました」
反町キャスター
「意識がないというのはこの場合…」
長尾氏
「それは意思をなくしているんです」
反町キャスター
「薬によって意識をなくしている?」
長尾氏
「その通りです」
反町キャスター
「徐々に病気等々によって体の状態が悪化していく時に、ある段階を過ぎたならば、これ以上、栄養状況が悪化した時には、胃ろうか点滴をしなくてはいけないですねという、その線があるわけですよね、おそらく?」
長尾氏
「そうでしょうね」
反町キャスター
「その線を超えるか、超えないかというタイミングで、家族の方から、ここは人工栄養にしてください、ないしはいいですと、判断は家族にも求めていくことになるわけですよね?」
長尾氏
「まあ」
反町キャスター
「ご本人の判断ができる場合、できない場合、あるわけではないですか?」
長尾氏
「いろいろなケースがありますけれども、認知症の場合は、本人が判断できない場合があります。だから、家族の判断に委ねるというか、家族の判断に従わざるを得ないです。家族の判断に従わなかった場合、訴えられます」
反町キャスター
「訴えられる?」
長尾氏
「訴えられたら負けます」
反町キャスター
「なるほど」
長尾氏
「訴訟で負けるんですね。現に最近、鹿児島県で、老健に、施設に入所中の方が、熱が出て、肺炎の診断が1日遅れて、肺炎と診断がついて数日間、抗生物質の治療をしたそうですけれど、亡くなれた。裁判で訴えられました。1870万円の賠償命令が施設側のお医者さんに課せられました。こういった誤嚥性肺炎の裁判とか、あるいは転倒する場合、施設内で転倒して訴えられるということで、訴えてくるのは本人ではありません、常にご家族ですね」
清水氏
「おっしゃっている例というのは、延命措置をした、しないという話とは…」
長尾氏
「ちょっと違いますね」
清水氏
「もうちょっと違った感じですね。それでだんだん、たとえば、食が細くなっていて、食べなくなった、もしこれこのままだと亡くなるので人工的な成分栄養補給しますかと聞くお医者さんもいますけれども、たとえば、長尾先生のような、在宅をよくやっていらっしゃる先生達は、むしろこの場合はこのままスッと、なんて言うのかな、余計なことをしない方が、ご本人は楽なのではないでしょうかというお勧めもするのだと思うんですね。ウチはそうでした。私の身内で高齢になって、だんだん食べられなくなってきた人がいたけれども、在宅の結構有力な医師と訪問看護ステーションの方が来ていて、こういう場合にウチとしては、自分達の考え方としては、何かをしない方が、ご本人が楽に最期を過ごすことができる、それこそ長尾先生が先ほど、おっしゃっていた…」
反町キャスター
「それは、でも、医療サイドからそのアドバイスをすることは、非常に勇気がいることではないですか?」
清水氏
「でも、平穏死の方達は皆さんいらっしゃるし」
長尾氏
「あまり強烈に言うのは良くないと思いますね。しかし、緩やかに、お勧めすることは、清水先生がおっしゃった通りです」
清水氏
「私は、緩和医療学会では、そういうことを、終末期の、特に点滴ですよね、についてどうするかというようなガイドラインもつくっていて、下手に点滴をするよりは、しない方が、本人が楽なのだということは、これは医学的には明らかになっていることだと思います」
反町キャスター
「先ほどの長尾さんの話だと、点滴をすることによって逆にガンが元気になっちゃうという…」
清水氏
「ですから、それは終末期の話ではなくて、しない方が…、たとえば、することによって、ご本人の体の方は水分をいくら入れられても、それを吸収して新陳代謝、そのサイクルに乗せるような力が残っていなかったら貯まるだけでしょう、体に。それは医学的にはもうちょっと適切におっしゃっていただけるかと思いますけれど、それはご本人の体にとって負担になるわけですね。ですから、自分の体の中に残っている栄養とか、水分、それを使って最期の命を生きるというのが1番ご本人にとって…」
反町キャスター
「長尾さんの言うような話だと延命措置は命を縮めることになっているという、この話になるんです」
長尾氏
「そうです、その通りです。延命のはずがどこかから縮命、命を縮めてしまう、延命と縮命の分水嶺がある、見えにくいのですが…」
反町キャスター
「どこなのですか?それを知りたいです」
長尾氏
「わからない。それを、まさにいっぱい本に書いているのですけれども、それは見えない。だから、よく話し合い…」
反町キャスター
「人によっても違います?」
長尾氏
「違います。でも、概ね清水先生おっしゃったように、点滴をしない方が長生きする、元気で長生きする…」
反町キャスター
「えっ?」
長尾氏
「えっ、でしょう」
秋元キャスター
「昨日、105歳で亡くなられました聖路加国際病院名誉院長の日野原重明さんですけれども、胃ろうによる延命措置を断られて、自宅療養を経て最期を迎えられているわけですが。長尾さん、一般的に自宅療養というと、どんなふうに過ごすことになるのでしょう?」
長尾氏
「まずは在宅医療と在宅介護、介護保険を用いた訪問介護と組み合わせることになります。在宅医療は、医師の訪問診療です、週に1回とか、2週間に1回。あと訪問看護ですね、これが1番大事で、実際、看護師さんがほとんどやっていただいていると。もちろん、悪くなれば、連日で訪問したりということがあって、訪問ヘルパーさんが入ったりして、病態によっても違いますけれども、末期ガンの場合は、在宅期間は平均1.5か月です。非常に短い間、真央さんも1か月でしたね。本当にあっという間ですね。かたや臓器不全症とか、心不全の場合は何年と及ぶ場合もありますし、認知症になると10年とかいうスパンになってきて。どんな感じかと言いますと最期は皆、枯れていきます。ガンでも、認知症でも、だんだん水分含量が減って枯れていくと。これを放置してもよい脱水と私は呼んでいるのですけれども」
反町キャスター
「放置してもよい脱水?」
長尾氏
「脱水です。脱水は、我々は急になったらこれは熱中症で、すぐ治療しなければいかん。だけど、人生とは脱水への旅ですね。生まれた時の人間、体重の8割が水分です、成人したら6割、高齢者は5割です。もう終末期は4割です。人生とは80年という長い年月をかけて、ガンになるか、認知症になるのかはわからないけれども、最期は4割まで。8割から4割へゆっくり減っていく。枯れているから心臓も負担が少なくてゆっくり動ける、だから、その方が長生きできる」
反町キャスター
「たとえば、自宅で療養をする方、特に毎日毎日、点滴とか、人工栄養をしない形で、徐々に徐々に緩やかな脱水を進めていく方の周りには家族がいますよね?」
長尾氏
「はい。家族は辛いですね」
反町キャスター
「家族の皆さんは、それをどういう思いで見ているのですか?」
長尾氏
「それはもしかしたら、餓死させているのではないかという思いに駆られる家族もいるんです」
清水氏
「私の家族の場合は、あっ、こういうものなのだという感じですよね。それから、毎日見ていると、確かに痩せていくということはあるのですけれども、それは家族によるのでしょうけれども、ウチの家族は大丈夫でしたよ」
反町キャスター
「受け入れられるものですか?」
清水氏
「そうです。それから、その時に、訪問看護師の方とか、在宅の医師とか、そういう方がちゃんと説明してくれるといいですよ」
反町キャスター
「それは家族にですか?本人にですか?」
清水氏
「いや、家族に対して…」
反町キャスター
「本人はそれをわかっているのですか?」
清水氏
「認知症が進んでいるから、わかっていません、ウチの場合、わかっていませんでしたけれども、家族に対して、こうやって自分の体の中のものを使って少しずつ痩せていくかもしれないけれども、そうしながら生きていくのが、最期の命を燃やすのが、本人にとっては1番楽ですよということを、繰り返して言ってくれると、私は研究者ですから、1990年代から、そういうことは医学的には言われていたことなので、納得していました。ただ、それを実際に、目の前の患者さんを前に、たくさん看取ってきたお医者さんとか、看護師さんが我々に言ってくれると、家族に言ってくれると、適切に説明してくれると、ああ、そうなのだ、とわかるわけですよ」
反町キャスター
「長尾さん、全ての患者さんが清水さんみたいに冷静に受け止められるのですか?」
長尾氏
「1度、たとえば、ご両親がいて、お父さんは病院で敢えて点滴をし過ぎてアップアップして泡を吹くような感じで、咳、痰に苦しめられて、溺れ死にと呼んでいますけど、溺れ死んで、苦しんで、もがき苦しんで死んだのを見たと。かたやアレが嫌で、お母さんは自宅で見て、枯れていくのを見た。枯れていく方が平穏死と言っていますが、溺れ死の反対ですけれども、これの方が、皆さん言います、こんなに楽に逝けるのですかと」
反町キャスター
「それは家族が?本人が?」
長尾氏
「家族が。本人は言えないです」
反町キャスター
「本人はもう完全に…」
長尾氏
「本人は、でも、結構、普通…」
反町キャスター
「どういう状況?だって痛みとかはないのですか?」
長尾氏
「痛みも、老衰の場合はもちろんありませんけれど、ガンの場合でもそうやった方が痛みが少ないです。一般的に、若い人でも、それは老衰の人でもそうですけれども、枯れていった方が圧倒的に、いろいろな、さまざまな苦痛、呼吸困難とか、痛みは少ないですね。でも、残念ながら、それを私もわかるまでに10年かかりました。石飛先生という、平穏死という言葉を編み出した先生も、たぶん50年ぐらいかけて気がついた。経験して初めて、実感としてわかるのですけれども、私も勤務医の時はわからなかったです。だから、そういう実感というか、経験を持っているお医者さん、そこにまでなるまでかなり時間がかかります」

延命措置とガイドライン
秋元キャスター
「厚生労働省は2007年に人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドラインというのを出しています。その中にこのような原則が書かれています。医師等の医療従事者から適切な情報の提供と説明がなされて、それに基づいて患者が医療従事者と話し合いを行って、患者本人による決定を基本としたうえで、人生の最終段階における医療を進めることが最も重要な原則であるということなのですが。長尾さん、このガイドライン、医療の現場でどのように受け止められているのでしょうか?」
長尾氏
「こういうガイドラインがあるということは皆さん、なんとなく知っているドクターが多いと思うのですけれども、実際これを具体的にどう適用していくかとなると、先ほど、お話にあった、話題になった、家族の存在というのが、権力が大きいわけです」
反町キャスター
「このガイドラインの中にあまり家族というのが書かれていない…」
長尾氏
「この時はたぶん、10年前はなかったのでしょうね」
反町キャスター
「ないですよ」
清水氏
「いや、これは本人の意思決定、本人の意思表明がわかる時という、3つのうちの1つですね。このあとに、本人の意思がわからない時というところに家族と話し合うという項目があって。それから、3番目に、家族もいないとか、あるいは家族も話し合いに参加ができない、しない場合は、医療ケアチームでよく話し合ってという、3つある、これは患者本人がまだ…」
反町キャスター
「なるほど。これは本人がちゃんと決められる場合?」
清水氏
「意思表明できる…、ただし、これは患者本人による決定を基本としたうえでと言いますけれども、このガイドラインの本文をちゃんと読むと、ただ、本人が決めているだけではないということがわかるんですよ」
反町キャスター
「どういうことですか?」
清水氏
「と言うのは、たとえば、これをこのまま真面目に受けとった医療者は、自分達はこういうことはしない方がいいのではないかと思っても、本人がこれやりたいのだとか、これはしたくないのだとか言ったら、本人が決めたのだから、我々はそれに従わなければならないのかという話にこれなっちゃうと思うのですが。ガイドラインの中には、合意という言葉があるんですね。つまり、もし患者さんと医療チームとで合意できなかった時に、合意に達しなかった時には、専門家委員会というのをつくれと言っているのですが、その専門家委員会に助言を求めなさいと言っているんですよ。ですから、現在ここに出ているような、本人における決定を基本としたうえで医療を進めるという、これがスッといくのは、本人もこれがいいと言っていますけれども、医療ケアチームもそうだ、それがいいと合意が成り立っている場合のことです。ところが…」
反町キャスター
「レアケースと聞こえてきます、だんだん。そうでもないですか?」
清水氏
「そうでもないです。だって、だいたいの場合は、たとえば、本人の選択の範囲で、余程とんでもないことを本人が言わない限りは、医療者としては許容範囲というか。それからよく話を…、これからあとで、またそういう話に戻るかもしれませんけれども、よく話し合えと言っていますが、話し合いの中で、ああ、この人はこういう人生を生きている人だとか、こういう価値観を持っている人だとかがわかって、ああ、そういうふうに生きている人だったら、これを嫌がるのは無理もないねとか、そんなふうに医療側も本人による決定というのを支持しているとか、そうだそうだと同意しているとか、本人がそう言うのだから、それに従っていいのではないかとか、なにしろ何らかの合意があるから、ここに進めるのですよ。ただし、それをこういうふうに、本人による意思決定が大事だ、大事だとそこのところだけ強調するものですから、逆に今度は本人の意思決定ができない時とか、家族もいない時に、現在、医療側が保守的と言うか、あるいは及び腰になって、本人の気持ちがわからないし、家族もいないから、この場合は続けるしかないねとか、パーセンテージから言うと、本人は嫌だと言うだろうと思っても命を延ばすという、本当に延ばすかどうかはわかりませんけれども、延ばすという…」
反町キャスター
「先ほどの話ですね」
清水氏
「そうです、そちらの方に傾く傾向があるんですね。その3つのうちの、1つ目のここの、何しろ本人の意思決定が大事という、そこのところが強過ぎて。日本の現場は、実際には家族が、先ほどから長尾先生も現場の先生としておっしゃっているように、家族の意向というのが強いですし、本人がいたって家族がアンタこうしなさいよというようなことを、いくらでも言うわけですから。そういう時に、家族を抜きにして、建前としては本人の意思決定とか、だけど、本音としては家族が反対しているから本人も黙っちゃったとか、そんなようなことだって起こっているので。患者本人による決定を基本としてとは、これは理念としてはそうなのだけれども、それを現実の現場で臨床現場に持っていくためには、家族をどう意思決定の中に位置づけるかというようなことがないと建前のうえでは家族は関係なしに本人が決めますと言っているけれども、実際には家族が参加しないと決まらないということがありますので」
反町キャスター
「それが実態だということですか?」
清水氏
「ええ」
反町キャスター
「長尾さん、このガイドラインをどう評価されるのですか?」
長尾氏
「これは、もう正直、いろいろ普段、各患者さん距離が近いので、正直、阿吽の呼吸という言葉があるけれども、そういう感じでいきますから、こんな難しいことまで考えません。しかし、2年前の厚生労働省のちゃんとした調査では、人生の最終段階の医療を、今日のテーマですね、誰が決定したのか。本人が決定したというのはだいたい2~3%」
反町キャスター
「パーセント?」
長尾氏
「はい、わずかです。3分の2は家族が決定しています。3分の1はお医者さんが決定している。これは日本の現実です。だから、ガイドラインがあるのだけれども、なかなか実際には家族の意向に左右されているというのが現実だと思います」
反町キャスター
「こうしたガイドラインというのは、たとえば、現場の医者、ないしは医療サービスに従事する皆さんというのは、このガイドラインを意識するものですか?」
長尾氏
「いや、正直あまり意識しません」
反町キャスター
「なるほど」
長尾氏
「でも、本人の意思を尊重するというのは医療の原則、当たり前なことで、本人に害になることはやっちゃいけないというのはヒポクラテスの誓いに書いてあるんですよ。大学の時、何度も言われました、校歌にもあるのですけれども。だから、それは当たり前のことなので、ただ、その当たり前のことが、当たり前にできなくなっているから、このガイドラインができたのだと思うんです。しかし、家族の方を乗り越えるためには、このガイドラインに基づいて、よく話し合うということですかね、先生?」
清水氏
「そうですね」
反町キャスター
「ガイドラインというのは、そもそも何かと言うと、法律とかでカチッとこれは良い悪いというのが決めきれない時に、目安として、たとえば、役所とか、公の機関に対して、目安がほしいという現場の声に対して、法律で定めることまではちょっとできないのだけれども、こういう目安でどうかなという。拘束力や罰則規定はないけれど、こういうのが望ましいよという、いわば物差しを提示する、その趣旨ですよね?」
清水氏
「専門家の間での申し合わせというか。ですから、法的に上からこうしなければいかんと言うのではなくて、いわゆるハード・ローじゃなくて、ソフト・ローの一部で。だたし、それは専門家とか、それから、実際に携わっているのは医師だけではなく、看護師さんや、それから、介護の代表の方も携わって、参加してつくったのですけれど、そういう形で、こうすることで、我々としては、しようではないかというのが私としては1番、この手の中身にあっているものなのではないかと思うんですね」
反町キャスター
「ガイドラインという位置づけには意味はあるのですか?」
清水氏
「あると思います」
反町キャスター
「嫌味な言い方をすると、要するに、決めきれないからガイドラインでとどまったという見方ではないのですか?」
清水氏
「決めきれないから留まったというよりは…」
反町キャスター
「たとえば、本人の意思、本人の決定にすべきであると法律はできないですよ、こんなこと。だから、ガイドラインというところで留めておこうかと、そういうものでもないのですか?」
清水氏
「確かに法律の条文にすると、ちょっとマズいということはあるかもしれません。それから、曖昧さがあるんですよね。患者本人と家族もできればと言うけれど、その場合に家族だっていろいろな家族がいますから、一律に家族は入らなければとか、言うわけにはいかないというようなこともありますので。確かにガイドラインは指針であって、それを守らなければ、あなたは除名だとか、そういうことにすぐにはならないとは思いますが。考え方、こう考えていけば倫理的にも適切な結論になるよと。法を盾にそんなことしたらダメではないかとかと言われる筋合いではないよと老年医学会のガイドラインをつくった時には…」
反町キャスター
「老年医学会の…」
秋元キャスター
「2012年に日本老年医学会が出したガイドラインですけれど、清水さん、検討委員を務められていました。人工的に水分・栄養を補給する処置が、本人の益にならない、つまり、生命維持の効果がない場合だけでなく、生命維持はできても苦痛を与えるだけの場合や、本人の人生の物語にとって益とならない場合も含む、と判断される場合、導入しない、と書かれているのですけれども。清水さん、この本人の人生の物語にとって益となるかどうかという部分、どう判断するのでしょう?」
清水氏
「そのためには、できるだけご本人が元気なうちにご本人が自分はどう生きたいとか、どういうふうに生きてきたかということを聞きとるとか、ということが大事ですし。それから、ご家族に胃ろうをつけますか、つけませんかと言う前、この方はどういう人生を生きてきて、どういうような考え方をしていた方ですかと、そのことを話題にすることによって、家族が、ただ自分で、長く生かさなければとか、もう生かさなくてもいいやと思うのではなくて、たとえば、ウチの母親はこう生きてきた人なのだと、そこを意識して、その母親のためにはどうしたらいいかと、家族にも考えてもらうというのが大事だと思うんですよね。だから、人生の物語にとって益かどうかというのは本人の人生を周りの人が知るということが大事だと思います」
反町キャスター
「検証プロセスに当然、医療従事者、医師や看護師も参加してほしいというのが、このガイドラインであるわけですよね?」
清水氏
「そうです、そのプロセスガイドライン、老年医学会のヤツは、そういう意味で、本人の益になるか、ならないかということを皆さん、皆で話し合ってみましょうと。その時には関係する人達が一緒にご本人について考える時を持ちましょう。お医者さんも含め、全員が何時間もかかれないかもしれませんけど、家族に聞きとる役の人がいたり、それで一緒に考える時間があったり、そういうようなことが特にこの場合、人工的な水分・栄養を補給するか、しないかというので、だんだん、たとえば、食べられなくなってきたとか、誤嚥性肺炎を繰り返しているという時に、どうしようかというものですから。救急車で運ばれてきて、さあ、どうするかというのとちょっと違いますけど、ですから、やりやすいかもしれませんが。これはどういう時にするか、しないかということに踏み込んだのは、この老年医学会のガイドラインが初めてなのではないかと思うんですね」
反町キャスター
「長尾さん、このガイドラインをどう感じになりますか」
長尾氏
「このガイドラインを評価するならば、導入しないと、しない、ない、否定形を、これまでやるという開始、こういう場合はやるというガイドラインしかなかったのが、初めて日本の国で、しない、という否定形のガイドラインができた、初めてだと思うので。非常に高く、こういう選択肢もあるのだということを示したということは高く評価できるのですけれども。ただ、これは他の医学会も全部、ガイドライン、しない、というガイドラインをドンドン出しているので、続々と。しかし、最大の問題はお医者さんも知らない人がいる、それから、介護施設の方があまり知らないです」
反町キャスター
「何を?」
長尾氏
「こういうガイドラインがあること、内容。最大の問題は、国民のほとんどが知らない。これが、新聞には一応載っているのだけれども、具体的にどう適用していいのか、だから、具体論として、抽象論と言うか一般論としては倫理指針があるわけですけれども、具体的な物語の中で、これをどうやって使っていくのかということを話し合っていかないと、深まっていかないのではないかなと、そのへんが課題として…」
反町キャスター
「でも、あまりこういう議論をきれいごとで終わらせたくないですが、医療サービスに従事している人達が、たとえば、医者、看護師が全ての患者さんに対してこれをやれと言われたら、僕は無理だと思う」
長尾氏
「もちろん、医療は延命産業という側面もあるんですね。言っていいですかね?」
反町キャスター
「産業ですからね」
長尾氏
「そうです。極端な話、亡くなったらそこでもう医療は終わってしまう。だから、延命してナンボやと、大阪弁で言ったら。だから、そういうお考えの先生もいらっしゃる、医療経営上、あるかもしれません。しかし、どう考えても、これだけ超高齢化社会、今日のまさにテーマ、いろいろなことができる中で、本人の利益とは何かを皆で考えるということが、それは本当に大事なことです、だと思いますよ。だから、きれいごとではなくて、これは大事な大原則だと私は思います」

尊厳ある最期のために… 『リビング・ウイル』
秋元キャスター
「本人の意思が尊重されるような終末期医療を受けるために、どういう準備が必要なのかということですけれども。たとえば、延命措置を望まない場合、できる準備の1つとして前もって紙に意思を記しておく、残しておくという方法があるわけです。たとえば、日本尊厳死協会が出しているものは、このようなフォーマットです。この中にはリビング・ウイル、終末期医療における事前指示書というタイトルがありますけれども、この中に、たとえば、死期を引き延ばすためだけの延命措置はお断りいたします、とか、十分な緩和医療を行ってくださいとか、持続的植物状態に陥った時は生命維持措置を取りやめてください、などの項目があって、ここに自分の意思でチェックをする項目があるのですけれども。長尾さん、これを書いていれば望まない延命措置はされないということでしょうか?」
長尾氏
「はい、これは日本尊厳死協会という、40年前にできた市民団体です。私はそこの副理事長でもあるのですけれども、今年のリビング・ウイル、毎年改定していますので、最新のものですけれども。この特徴は、現在、言ったような延命措置はやらないでほしいということと、緩和医療、緩和ケアはしっかりやってほしいということ…」
反町キャスター
「痛みをとってほしい」
長尾氏
「そうです、痛みはとってくれと、精神的な痛みも含めてとってくれ。あと今年から、代理人ですね、認知症になって、これを書いていることを忘れちゃうので、代理人、これは家族、誰か他の人かもしれません、その代理人の署名もあるということで、事前指示書型のリビング・ウイルですね。こういうものを書いておけば、オーダーメイド、ではない、レディメイドになるのですけれども、もちろん、公証役場でオーダーメイド、自分の自筆で書いてもいいですけれども、とりあえずこれを書いている人が、現在11万人強いまして、たくさんいると思います。日本国内、国民の中では0.1%程度なのだけれども、これを書いていた場合に、毎年アンケートをとっていまして、これを書いていてこの通りになりましたかと、遺族にアンケートをとっています、家族に。そうしたらだいたい97、98%の方が役に立ちましたと、この通りになりましたと答えています」
反町キャスター
「尊厳死協会に登録して、自分はこういう延命措置は受けたくない、受けないですということを…、IDカードか何かを持つのですか?」
長尾氏
「あるんです。こういうカードを持って、持参して、医療機関に行って渡して、それをコピーしてもらったり、普段も持ち歩いたり。中には、こうやって吊るして、パッと脱いだら出てくるようにしている人もいますよ」
反町キャスター
「自分が登録していることを、IDみたいなものを持ち歩いていないと、いざという時に誰もわからないからですよね?」
長尾氏
「そうです、わからないです。照会があった場合は、本部にこの原本が保存してありまして、残念ながら日本では法的な担保はされていません、日本だけですけれども、世界中で。しかし、これを書くことで、お医者さんがなるほど、こういう方なのかということで理解もされ、また、リビング・ウイル需要医と言いまして、あっ、そうかと、本人の希望を尊重した医療をしましょうと、ドンドンたくさんいまして、増えています。ですから、ほとんど、これを書いておれば、その願いは叶うわけですね」
清水氏
「ここに書いてあること自体は、常識的と言うのか、普通のちゃんと緩和ケアのことをわかっているお医者さんだったら、いたずらに死期を引き延ばすだけの延命処置はしないとか、死期が迫っている場合に。かなり十分な緩和医療を行うということは、ごもっともなことで、これがなくても…」
反町キャスター
「やるものだと」
清水氏
「やるものではないかと思うんです。遷延性意識障害の場合は回復不能になっているかどうかの見極めが難しいところがあるかもしれませんけれど、言っていること自体はそんなにおかしなことではなくて。ただ、こういうのについて自著していても、今回、他の方がちゃんとした状態で書きましたということを証明してくれる人がいるとか、そう補ってだんだん良くしてきていると思いますけれども。私は特に法律にしなくてもやっていけるのではないかという立場でいますので」

長尾和宏 医療法人社団裕和会理事長の提言 『和』
長尾氏
「本当に最期を考えるのは辛いことだと思うのですけど、敢えてまずリビング・ウイルを書いていただき、家族とよく話し合う、お医者さんともよく話し合う、皆の意見を、和という言葉をやりました。私の和宏という名前でもあるのですけれども、私の医療のモットーでもあるのですが。皆で何度も話し合って、納得のいく、満足のいく、最期を皆でつくっていこうではないかと。死をタブーにしない、元気なうちからこれを考えるということが大事だと思います」

清水哲郎 岩手保健医療大学学長の提言 『今から終わりまでの"心積もり"を!』
清水氏
「提言ですが、リビング・ウイルの話に続きますと、ただ、最期のところをどうするかということだけではなくて、特に自分が高齢に近くなってきたなという方は、現在からずっとだんだん弱っていって終わりになるぞという最期までのことを見通して、心積もりを皆さんで話し合いながらしてきましょうと、そういう提言です」