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2017年6月30日(金)
研究…『臨床宗教師』 高齢多死時代の死生観

ゲスト

長妻昭
元厚生労働大臣 民進党衆議院議員
鈴木岩弓
東北大学総長特命教授
金田諦晃
東北大学病院緩和医療科臨床宗教師

『超高齢多死時代』… 研究『臨床宗教師』
松村キャスター
「皆さん、こちらの臨床宗教師という言葉を御存知でしょうか?死期が迫った患者や遺族に対して専門的な心のケアを行う宗教者のことで、東日本大震災をきっかけに養成が始まりました。高齢化の先に待っている、多死時代を迎えようとしている日本において現在、臨床宗教師の役割が期待されています。今夜は臨床宗教師の可能性と課題を議論すると共に日本人の死生観についてゲストとあらためて考えます。まずは、臨床宗教師とは、死期が迫った患者や遺族に対して、宗教や宗派にかかわらず、また布教伝道をすることもなく、公共性のある立場からの専門的な心のケアを行う宗教者、とあります。鈴木さん、まず臨床宗教師はどのようにして始まったものなのでしょうか?」
鈴木特命教授
「震災のあった仙台で始まったのですけれど、結局多くの方が亡くなって、火葬場の方にご遺体は集まるのだけれども、そこに住職と会えない方達もいっぱいいたりして、お弔いができないということがあったわけです。そういうところで自然発生的に、仏教だ、キリスト教だ、神道だ、そういう方達、宗教者がそこに集まって、ボランティアで、最後のお別れをする、お弔いを引き受けていたんです。それを仙台市が許してくれていたのですけれど、とりあえず4月いっぱいと。4月いっぱいまでやっているうちに、せっかく宗派・宗教を超えて人が集まってきて人々の力になったという実績があって、これをなんとかしようということで、心の相談室が始まったんですね。その心の相談室というところの事務局を、私、東北大の宗教学が引き受けました。その時は岡部健という在宅ホスピスで有名なお医者さん、我々宗教学者、宗教者が集まって、そういう形でやってきました。そういう形でやっていくうちに、実際に被災地に入って行った時に曹洞宗が多いのですが、そこに日蓮宗の人が入って、南無妙法蓮華経がいいのだよ、とは言えないわけですよね、布教になっちゃいますから。だから、そこを布教ではなくて、人々の心のケアをするにはどうしたらいいかと考えた時に、キリスト教国ではチャプレンという制度が既にあって、そういう制度が日本にもないだろうかと言うと、ちょっとそういうのは見当たらないと。これは我々がチャプレンなども参考にしながら、考えていかなくてはいけないだろうと。これをどうしたらいいかとなると、大学で勉強するしかないかなということで、東北大に寄付講座、いろいろなところからお金を寄付いただいて、スタートしたのが2012年4月ということになります。そこで養成していくのを、チャプレンと言っちゃうと、キリスト教になっちゃう、ビハーラ僧と言うと仏教の影響が強い、そこで皆でいろいろ名前を考えたんですね。考えていった挙句、岡部が最終的に決断したのが臨床宗教師という言葉になりました。そのような経緯で始まりました」
松村キャスター
「長妻さんは、衆議院の厚生労働委員会でこのように発言されています。『臨床宗教師は、亡くなる方に寄り添って話を聞いて、気づきを求めていくもの。政府もよくよく研究していく必要があると思う』と。長妻さん、なぜこの場で臨床宗教師を取り上げようと思ったのでしょうか?」
長妻議員
「私は生きるということと、死ぬということ、看取るということが人間の3つの役割だと思うのですが、戦後、死ぬとか、看取るとか、こういうものが隠されてきて、戦前は死ぬことばかり考えていた時代だと思うのですけれども。そういう弊害が医療現場の中に出てきて、そういうニーズが現在、非常に強いと私も感じまして、スピリチュアルケアと言うのですけれど、精神的ケアなのですが、別に宗教だけではないのですけれども、そういうような役割をされる方々というのがこれは絶対に必要になってくる時代だというような問題意識を持っています」
反町キャスター
「厚生労働大臣まで経験された長妻さんなので敢えてそういう角度で聞きますけれども。政治のやることというのは、要するに、たとえば、予算を組んで、医療行政をやり、高度な医療サービス、安価な医療サービスを国民に提供し、長生きしてもらおうという、文化的な生活を長続きしてもらいたいというたぶんこれですよね。それと、たとえば、今日の臨床宗教師、長妻さんがそれに興味を持たれている、ないし国会における質問までされて、政府に検討を促したということは、これは違っていると思うのですけれども、敢えて聞くならば、それは医療の技術の進歩とか、革新みたいなものとは違う形の政府からの国民に対するオファー、医療技術ではないものでも、我々はちょっと考えないといけないという、そういう問題提起をしたかったという部分があるのですか?」
長妻議員
「そこも確かにありますね。たとえば、現在クオリティ・オブ・ライフという言葉があります、生きる質。現在は先進国では、クオリティ・オブ・デスという質の高い死という言葉もあって。現在の医療はご存知のように、死を死と闘うということで、もちろん、死を避けるように先進医療を、一刻も長く生きるために闘っていく医療ですけれども。ただ、本当に末期の患者さん、意識がはっきりしている方が増えた時代には、そういう方々、死を医療関係も受け入れながら、質の高い死をどうやって迎えていただくのか。あるいはどういうプロセスをたどっていくのか。在宅を希望される方に在宅を提供して、サービスも提供し、あるいは相当、痛みを伴う治療でなかなかそれで延命効果が得られないようなものについて、その延命治療についての患者さんのご意見もキチッと聞くような体制を持つとか、そういうことがこれから重要になってくるのではないか。つまり、生かすためだけの医療、一直線で進んできた日本の医療現場ですけれども、緩和ケア病棟の中で、本当に悩み苦しんでおられるお医者さん、看護師さん、たくさんおられますので、そういう方々の意見も聞きながら、答えを見いだしていくと。私もはっきりこれが答えだというものが現在、あるわけではありませんけれども、そういうことを政府も、国民の皆さんも含めて、考えていく時がやってきているという問題意識です」
反町キャスター
「臨床宗教師の仕事、具体的な中身について金田さんに聞いていきたいのですけれども。金田さん、現在は東北大学の緩和医療科にいるんですよね?」
金田氏
「はい」
反町キャスター
「具体的に、患者さん、家族とどういう話をされるのですか?」
金田氏
「お話する内容は、本当に多種多様ですけれども、現在の時点では、入院されてくる患者さんがいますと、看護師さんとか、看護師のリーダーさんにこういう臨床宗教師という立場の方がいると、それを患者さんにお伝えしていただいて…」
反町キャスター
「かなり具合の悪い方に限った話ですか?それとも、骨折で入った人にもそういう…」
金田氏
「それは、体調の差は関係なく、入ってこられた方々、特に状態が危なく、お話をするのも大変だという時は、その時点で看護師さんと相談をしたうえで、控えておこうかというようなこともあるのですけれど。多くの場合、まず看護師さんの方から臨床宗教師がいますということをご紹介いただいて、会ってみます、という方のところにご挨拶にうかがわせていただきます」
反町キャスター
「たとえば、医学的な話で、医者や看護師に、僕の具合はどうですか?あとどのくらいですか?どういう治療がありますか?とか、そういうのはわかりますよ。スピリチュアルな関係を求める患者さんというのは、金田さんに対して、どういう訴えをされるのですか?」
金田氏
「必ずしも臨床宗教師にだけにスピリチュアルな問題を話さなければいけない、宗教的なというわけではなくて、現場の看護師さんも、お医者さんも、答えの出ない問いですね。人生の…」
反町キャスター
「どういう問いですか?」
金田氏
「たとえば、よく心を許してお話してくださった患者さんの言葉を思い出しますと、生きたいのに、なぜ生きられないのだ?なぜ私なのだ?あるいはこの先に希望はないと、生きていてもジワジワと悪くなっていくだけで、この先に何にも良いことがないのに、なぜ生きていかなければならないのだと、金田さんとお話をしていて、たとえば、ここにお薬が3錠あって、これを飲んで、今ここで命を終えられるならば、もしくはここにボタンがあって、それを押してすぐに終えられるならば、現在、終えてもいいと。でも、日本ではそういうこと許されていないし、お医者さんも鎮静は決して許してくれないと、なぜ生きてなければいけないのだ、生きていてほしいというのは、健康な人達のエゴなのではないか、そういうことを問いかけてくださる患者さん、本当に答えの出ない解決できないような、そういった想いを中にはずっと抱えているままの方もいらっしゃいますし、吐露してくださる方もいて。それこそ私達も答えをもっているのではありませんので、一緒に悩んでいくしかないことですね」
反町キャスター
「答えがないと言われても、たとえば、なぜ私だけ私がこの病気なのだとか、なぜ私はこの状態で生きていかなくてはいけないのだという問いに対して、答えがないと言いながらも、黙っているわけにはいきませんよね?」
金田氏
「はい」
反町キャスター
「どうされるのですか?どういう言葉をかけることができるのですか、そういう人に対して?」
金田氏
「それも初めは一生懸命、自分の知っている知識であったり、経験であったり、そういったところから、どちらかと言うと、励ますというか、そういった言葉を必死に探していた自分がいたのですけれど。結局それは実際に死に向き合って、そういう苦しみを抱えている方々には響かないというか。その方自身こういうことに答えがないし、仕方がないということは受け止めていらっしゃって。いくらこちらの知識とか、見聞の中で何かを伝えてもなかなか、それが良いお薬のように効いていくというわけではなくて。なので、一緒に悩んで、つらいね、苦しいねと悩んでいくしかないような…」
反町キャスター
「患者の方は、ある程度、自分の理解者がいたということで、楽とは言わない、気が少し軽くなるかもしれないけれども。金田さんにしてみたらたぶんそういう患者さんを何人も持っているんですよね?同時で3人、4人、5人ぐらいの患者さんを平行でケアされるということになるのではないのですか、違うのですか?」
金田氏
「そういう日もあります。必ずしも患者の皆さん、常に死に向き合って深刻な…」
反町キャスター
「軽いトークだけで終わっちゃう人も当然いるわけですよね?」
金田氏
「はい」
反町キャスター
「ただ、たとえば、重い人を1日に3人も、4人も、ないし同時に3人も4人も抱えている。僕は、金田さんの方のお気持ちがグーッと低いまま、ずっといっちゃうのではないかなと、余計な心配だと思われたら、それまでだけれども。そこは自身のケアはどうされているのですか?」
金田氏
「非常にこれも悩んでいるところではあるのですけれども。初めは全部を抱えて、ちょうど今、雇用していただいてから1年になるのですけれども、初めは本当にそれを全て抱えて、そのことを考えていない自分が許せなくなってしまうというのか、気持ちを離してしまう自分が、ちょっと生真面目な性格が自分でもあると思っていますので。ただ、それは抱えきれないし、抱えきれないものは、人間だけで抱えられないものはお預けしてしまおうと」
反町キャスター
「お預け?」
金田氏
「お預け、これも実は…」
反町キャスター
「神様、仏様の意味ですか?」
金田氏
「そうですね。あまりスタッフの方々にも言っていないのですけれど、私のお部屋に、ちょっとお地蔵さんのような、民芸品ですけれども、布でつくったお人形が置いてありまして、そこでいったんお預けして、そこでスイッチと言いますか、お任せしますというような。そういうことをボチボチと初め…、それであるとか、あと自坊に帰ってから切り替えと言いますか、お願いしますとお任せして、できるだけ平安に過ごしていただけるようにお導きくださいというような、そういう思いにいったんなって、そこでなんとか抱え過ぎないようにと言うんですか。そういう、いわゆる自分自身に対するケアというものを悩みながら現在やっているところではあります」
反町キャスター
「亡くなる時、ご臨終の時です。どうされるのですか?一緒にその場にいるのですか?」
金田氏
「そうですね、なかなかお話をすることが大変になってきて…」
反町キャスター
「ですよね」
金田氏
「そうなってくると、関わりを持つことができなくなってしまって。そうなってくると、ある意味、臨終という1番緊張の高まる時期に、傍にいらっしゃるのは、看護師さん、ドクターの方々なので、本当にそういった場面で、看護師さん、ドクターの方々が非常につらい思いでその場にいらっしゃるのだろうなというのを見ながら。なかなかそこまで関われるという機会は少ないのですけれど。ただ、だからと言って、すごくこれまで長くいろいろなことをお話してくださった患者さんがだんだん衰え、体力が落ちていって、ご挨拶に行っていいのかというのはすごく…、お部屋の前でノックをするか、しないかで、ウロウロ、ウロウロしている時、本当に行ったり、来たりしているのですけれども」
反町キャスター
「中には、医師と看護師と家族がいるわけですよね?」
金田氏
「そうですね。あと患者さんお1人でいらっしゃる場合もありますし。その時はそれもそこまでの関係のつくり方ということもあるのですけれども、本当に傍にいさせていただいて、15分なり、20分なり、じっと無言のまま傍で手を握るなり、ずっと患者さんの表情を見て、いろいろなことを思うなり、そういう形で、傍にいさせていただくというような、そういうような関わりになりますね」

『臨床宗教師』の課題
松村キャスター
「ここから臨床宗教師の課題について聞いていきたいと思います。主な課題として挙げられているのが報酬とカルトということでカルトの人達が入り込むおそれということですね。まず報酬ですが、鈴木さん、現在は臨床宗教師の活動場所ですとか、勤務体系、報酬などはどのようになっているのですか?」
鈴木特命教授
「大きく分ければ3つあると思うのですけれども、たぶん数で1番多いのは自分のお寺に、たとえば、お寺にいてその地域の人達に臨床宗教師としての活動をするというような感じ。緩和ケアに入ってやるとか、そういうような感じではなく、もっと言えば、苦しみというのが死だけではない、いろいろな生活の苦しみにも対応するような、そういうようなことをやっていらっしゃる方が数としては多いです。それから、あとは、たとえば、NPO(特定非営利活動法人)を立ち上げて、地域に積極的に、そういう相談、よろず相談を受けつけますみたいな形のことをやっていらっしゃる方もいます」
反町キャスター
「それは宗教家ですか?お坊さん?」
鈴木特命教授
「もちろん、臨床宗教師として、そういうことをやっている方もいます」
反町キャスター
「お坊さんがNPOを立てて、よろず相談を承ります、だったら本業で…。敢えてNPOにしなくてはいけない理由が何かあるのですか?」
鈴木特命教授
「そのへんの組織の問題はちょっとそこははっきりわかりませんけど。個人でやっていると言うよりは、そういう組織にしてやっていきたいということが、たぶん1番大きいのだと思いますね。それで、あと金田さんのような形で緩和ケア病棟に入っていくというようなのがまた1つの塊であるかと思います。ただ、数としてそこは1番多いわけではなく、1番多いのは、自分のお寺、牧師さんとかが自分の近所でやるというのがたぶん多いと思います。ですから、報酬に関しては常勤で雇われているという方はすごく少なく、ボランティア、あるいは非常勤で雇われるというくらいが1番多いと思います。特に1番問題になるのは病院で働く時に保険の対象にはならないという。だから…」
反町キャスター
「なっていないですものね。病院からしてみたら持ち出しになるわけですよね、ある意味で言うと?」
鈴木特命教授
「だから、いろいろな形で、事務職として雇るとか、いろいろ工夫をしてくださっているのですけれども、このへんがたぶん課題にはなると思います」
反町キャスター
「そうかと言って、患者さんに対して、では、あなた、臨床宗教師を呼んだのだから、1回5000円ねとか、そういうわけにはいかないでしょう?」
鈴木特命教授
「いかないです。はい。そう思いますね」
反町キャスター
「たとえば、非常勤の場合は1回いくらと言っても、1万円とか、5万円とか、10万円と言うと、どのくらい出るものですか?金額はあまり言えないものですか?」
鈴木特命教授
「いろいろではないかと思いますけれども、そんなに多くはないですよね」
反町キャスター
「つまり、本業というか、本拠地、たとえば、寺だったら、寺を持っている人ではないと、現在これはできない。要するに、職業として独立していないわけですよね、おそらくは?」
鈴木特命教授
「はい」
反町キャスター
「そこは、たとえば、話を聞いていると、そこにニーズがあるとすれば、そこに専門性と、ちゃんとした待遇を整えないと…」
鈴木特命教授
「その通りです、はい」
反町キャスター
「その問題は現在どうなっているのですか?」
鈴木特命教授
「そこのところはまだなかなか形ができていなくて。この間、長妻さんが国会でああいう質問をしてくださったりしたことはすごく歓迎すべきことだと思っているのですけれども。社会で受け付けてくださるような、そういう窓口ができてくるといいなとは思っています」
反町キャスター
「効果があるとか、その部分はなかなかこの手の話は数値化しにくいし」
鈴木特命教授
「しにくいですね」
反町キャスター
「よかったという人は亡くなっちゃったり、悲しみにくれていたりするものだから、よかったよという、社会的な声に反映しにくいシステムですよね?」
鈴木特命教授
「それは死にゆく人だとか、あるいは身近に死者が出た家族だけではなく、病院の中の、医療者自体のある意味ではガス抜きのためにも、こういう方がいらっしゃるというのはありがたくて。病院機能評価ということの中でも、他職種に連携をしているということで、臨床宗教師を非常勤で雇用している病院が、ちょっと高い評価をもらったという話も聞いています」
松村キャスター
「2つ目の課題、カルトが入り込むおそれ、これはどのように?」
鈴木特命教授
「これは結局、我々は臨床宗教師を養成する時には、宗教者であることというのが第1の前提になるんです。宗教者ではない人は採り入れないということになった。そうなった次の段階、どの宗教でもいいのかと、そういう話になるわけですよね。それで、確かに震災直後にはカルトと呼ばれるような宗教の方達から、これに是非、私達も加えてほしいと、そういう話があったんですね」
反町キャスター
「そうですか」
鈴木特命教授
「ただ、それは、私も宗教学やっているので、カルトと言われているその情勢はわかっているので。我々としてその時は宮城県宗教連絡協議会ということを母体にしてやっていましたので、そこに入っていない人はお断りする。その次にちょっと規模が大きくなった時には、WCRPという世界宗教者平和会議というところから、だいぶ資金もいただいたりして活動していましたので、そこの中に入っているということを最低要件にしてやっていました」
反町キャスター
「長妻さん、現在のカルトが入るか、入らないかという、この線引き、予防法、どう見ていますか?」
長妻議員
「先生がおっしゃったことに加えて、新宗教というものをどこまでの時期、認めるのか。本当に5、6年前にできたものを認める、認めないとか、これから、基準づくりというのも必要になってくると思うんですね。台湾が実はアジアで相当、先進国で、この臨床宗教師とか、ケアについて。台湾も初めはいろいろな宗教団体が入ってきて、布教をしまくって相当、問題が発生して、一応、キチッとした教育プログラム、ルール、これがつくられて、先ほども、QOD、クオリティ・オブ・デスについて上位にランクされるようになったわけです。ですから、そういうものもキチッと今後まだ途上にあるとは思いますので、そういうものもつくっていく。あと先ほど、鈴木先生もおっしゃったように東北大では倫理委員会があって、倫理規定があって、そこに自分の信仰とか、信念、価値観を押しつけてはダメだとか、伝道してはいけないと、順守義務がある、これをキチッと守ってもらうようなルールづくりというのも今後、必要になってくる。まだまだ試行錯誤の面はありますけれども、こういうニーズというのは間違いなく医療現場にあるので、どうするのが1番適切なのか、死生観をつくりあげていくということだと思います。それによって、医療の質も、延命治療、ムダな延命治療が必要か、必要でないか、そう判断できる方が増えていくのではないかと思います」
反町キャスター
「それは臨床宗教師制度を導入することによって終末期医療コストをカットする、それとこれとがリンクしていると見ていいのですか?」
長妻議員
「いや、これはリンク論というのはまったくよくないわけです」
反町キャスター
「危険でしょう?これは僕も危険だと思う」
長妻議員
「結果としては、私は緩和ケアをやっているお医者さんに多く話を聞くと自分なりの死生観を持って、自分なりにどういう死が1番いい死なのかを考えた時に、結果として延命治療を拒絶する人は多いけれども、ただ、逆に延命治療を望む人もそれによって出てくるということなので、多様性を認めないといけない。一律に現在、よくない風潮で、お金がかかるから、延命治療をドンドンやめていきましょうというような話には絶対、与してはならないと思います」

日本人の死生観
松村キャスター
「ここからは日本人の死生観についてです。鈴木さん、日本人の死に対する考え方というのは今と昔では変わってきているのですか?」
鈴木特命教授
「はい、だいぶ変わっています。1番わかりやすいことは、要は、人の死に方が変わったと、グラフですけれど、5歳刻みで年齢が下に書いてあるのですけれど。1920年、大正年間の死に方ですね。全部で100人死んでいるとなると、37人ぐらいは5歳未満の子供が亡くなっていた、こういう時代で。それでそれ以降の年代はどれも5%ぐらいです。ちょっと私は老少不定という言い方をして、歳を老いていろうが、少なかろうが定まらずと、老少不定という日本的メメントモリが言えたのであると。つまり、5歳以上になったら、いつ死ぬかはわからないよ、そういう時代だったのが。2015年を見ますと現在亡くなっている方の60%は80歳以上の人ですね。だから、言葉を替えて言うと、たとえば、20歳代では亡くならない、統計的には。亡くならないというような、こういうような形に。それでも亡くなるから、その死をどう考えるかというのが、先ほどの金田さんの話になるわけですね」
反町キャスター
「なるほど」
鈴木特命教授
「こういうようなところがあって、死に方というものの背後に、このまた裏っ返しのところの方ですけれども、脳死の問題が出て以降、一般の人は死という問題を、死というのが選べると考え出した、わかったのがちょうど脳死のこと。それ以降、死というのを自分の問題として考える風潮が出て、1990年代以降そういうのがずっと続いてきている。そのあたりがだいぶ変化してきている兆候かなと思っています」
反町キャスター
「なるほど。長妻さん、現在の日本人の死生観ですよ、現在の日本人、死との向き合い、どうなっていると感じますか?」
長妻議員
「今のお話の通り、昔はどの年代も死亡率がほぼ一緒だということは、日常的に周りの方が亡くなるケースがあるわけですが、現在は先生がおっしゃったように、80歳以上がほとんどであると、日常的に死が隠されていて、いざ、それが目の前に迫ってくると非常にうろたえると。私も緩和ケアをされているお医者さんの何人かにお会いしましたけれども、潜在的も含めて、表に出す、出さないを含めて、ほとんどの方が末期になるとうろたえてしまって、時々は暴言が出るとか、いろいろ外に出る方もいらっしゃるのですけれども。そういう荒んだ現場を、医者や看護師さんだけのチームではできないのだと。そういうケアをする専門職がなんとしても必要だというような話もあるわけでありまして。ですから、そういう意味では、本当は国会でも質問して、塩崎大臣は、死生観は健康的な時にもキチッと養っていくような、そういうようなことが日本人は苦手だけれども、そういうことも後押しする必要があるのではないかというようなことも言っていましたけれど。そういう死生観が確立しつつあるとその後の治療方針とか、家族との関係とか、そういうものも健康な時に考えるということがこれから必要になってくるのかもしれません」
反町キャスター
「金田さん、日本人の死との向き合い方をどう感じますか?」
金田氏
「長妻先生のお話をおうかがいしていて、いわゆる荒んだ現場を、医師、看護師、それから、医療スタッフがなんとかしたいと、そこで私達だけでできないところに、臨床宗教師という新しい立場の方々を入れ、なんとかしていこう、そういった動きも見られるということだと思うのですけれども。臨床宗教師も神様、仏様ではなくて、魔法が使えるわけでもありませんので、臨床宗教師がその場に入ったからと言って、なんとかできるという問題ではないこともあると思うんです。それはもっと個々人の、個々の問題ではなく、文化であったり、社会であったり、もっと広い社会がどう死と向き合っているのかとか、そういう問題がすごく根深いところにあると思いますし。そういった意味では、実は今日、紹介させていただきたかった出会い、こういった問題を考えるのに象徴的関わりがあったのですけれども。実は男性の患者さんで50代ぐらいの比較的、定年前の、まだお仕事を続けられていた方が末期の状態になって入院してこられて、看護師さんからスピリチュアルなことで悩んでいるみたいなので、行ってみてくれませんかというご依頼をいただいて、ご挨拶に伺ったんです。その時、初めての対面でしたのですぐにお話してくださらなくて、ベッドサイドに腰かけて、10分から15分、お互い無言のまま、患者さんはずっと天井を眺められていたんですね。私としてはいつでもどんなお話でもしてきてくださいというようなことをすごく思いながら、ただ、いること自体が負担になってしまうのではないかなと、すごく葛藤の中でいたのですけれども。口を開いてくださって、患者さんがおっしゃったのは、俺はすごく迷惑をかけて生きてきたのだと」
反町キャスター
「家族に?」
金田氏
「…どなたにですかとお聞きしたら、実は妻だと。いろいろと妻に、奥さんに対して酷いことをしてきたということをふつふつと振り返られたんです。会いたいけれども、会えないのだと。メールも、電話も、手紙も送っていろいろなメッセージを送ったけれど、口先だけだと呆れられて、それで返事も返ってこない、面会にも来てくれないと。すごくそういった後悔をされていて…」
反町キャスター
「その気持ちを伝えてほしいということですか?それとも、妻をここに呼んでほしいということを言いたかったのですか?」
金田氏
「そのあとに、私はこのあとどう過ごせばいいですかねというような、そういうことを問いかけていただいたのですけれども、詰まってしまうんです。もしよろしければ奥さんに対する想いをいろいろお聞かせいただけますかと?そうしたら、一言、償いたいと言葉をいただいて、たくさん涙を流されて。ただご自身の抱えている問題に向き合って、償いたいという想いを言ってくださったことはすごく尊いことのように思えたんですね。そういう償いたいという想いがあるのであれば、その想いをずっと思いながら最後の時間を過ごされるのも私は間違ってないような気がしますということをお伝えしたんですね。そうしたら、ゆっくり手が伸びてきて、握手をして、その日はお別れしたのですけれども。次の勤務の日にお会いした時に、前日に高熱を出して、かなり危ない状態だったと、ただ、その時に看護師さんが一生懸命、遅くまで介抱してくれて、お医者さんも一生懸命やってくれて、なぜこんな僕のためにやってくれるのだ。また、涙を流されるんです。ちょっと違う涙だったんですね、その時の涙は。ボランティアさんがたくさん病棟にいて、ティータイムサービスをしてくださるのですけれども、ボランティアさんも、いつもお部屋に入ってきてくれて、声をかけてくれるのだと、こんな僕のためにという言葉を繰り返されていたんですね。たまたまその翌日に、自坊で寺子屋合宿を、そこで毎年、命の授業というのをウチの住職が始めて、ずっと続けているんですけれども。あっ、いい機会があるから、明日、子供達にお話をする時間があるのだけれども、何か伝えたいことはありますかとお聞きしたら、暫く考えられて、人は人に助けられて生きているのだと、そう伝えてくださいという言葉が落ちてきたんですね。非常にこちらが救われると言いますか、人に迷惑をかけて生きてきた、償いたいと、そういう後悔をされていた方が、そういう答えに行き着いたと。わかりましたと、確かに預かりましたからと言って、翌日、子供達の前で話してきたんですね。小学生の子供達なのでどこまで伝わるかわからないのですけれども、この患者さんだけでなく、どうやって人が亡くなっていくのか。だんだん息をすることもいっぱいいっぱいになってきて、今当たり前に会話をしていることも難しくなってきて、美味しいものも食べられなくなって、ドンドン体が動かなくなっていくのだよと。ただ、そういう状態にある患者さんが、君達に伝えたいことがあると言って、預かってきた言葉があるからと、この言葉をその時にお伝えしたんですね、子供達に。どこまで伝わったかなというような思いを残しながら、その時間は終わったのですけれども。また、患者さんにお会いした時には酸素マスクをつけて、目も開いたままで、間もなくだなというような。ただ、しっかり子供達に話したということは、伝えないといけないなという思いがあったので、寺子屋合宿で私がお話している時の写真を大きく印刷して、目の前に持っていって、無理やりこう見ていただいたんですね。ちゃんと話しましたからねと、どこまでわかったかはわからないけれど、一生懸命、聞いていましたと、誰も姿勢を崩していませんでしたよ、ほらっ、誰も目をそらさないで。そうしたら、かすかに頷いてくださったんですね。間もなく息を引き取られたんですけれども」
反町キャスター
「奥様とは会えなかったのですか、最後まで?」
金田氏
「実はこれもあまり細かく言ってしまうとアレですけれど、お別れにはいらしたみたいです。ただ、お看取りの場面にはいらっしゃらなかったみたいです。非常に切ないと言うか、苦しい時間だったのですけれども。そういうもどかしさ、どうだったのだろうなと、あの関わりは、私自身が言った、償う気持ちで過ごしてもいいのではないか、その言葉というのはその患者さんをより苦しめていたのではないのか、そういうことも残しながら。ただ、その1か月後に、寺子屋に参加していたお子さんの1人が小学校で詩を書いて、それが特選になったと、それをお寺にわざわざ持ってきてくださったんです。その詩を読んで、今日、実はちょっとその詩を持ってきているのですけれども…」
松村キャスター
「紹介させていただきます。『寺子屋で学んだ"生と死"―"寺子屋で学んだこと それは生きるということ みんなと話ができる みんなと遊ぶことができる 息をしていられる それが今を生きている証明 寺子屋で学んだこと それは死ぬということ 人は死ぬと生き返らない でも生きている間に その人がしてきたことで みんなの心にその人の事が 残るか 残らないかが決まる 寺子屋で学んだこと 死ぬと全てが無になる訳ではないこと 生きている間 私たちがしたことが 死んだ後まで残るのならば 私は今を くいのないよう生きていく 精いっぱい 力強く"』」
金田氏
「この詩を聞いた時にあの患者さんが苦しんでいた意味というのはここにあったのだという思いがすごく強くわいてきたんですね。苦しむ姿しか見せてくださらなかったんです、確かに、笑顔もなく。苦しまないという選択ももしかしたら、あったのかもしれないですね、その患者さんにとっては。ただ、苦しみに向き合う中で見出した答えが今度は子供達に伝わって。私はこの『精いっぱい 力強く』という言葉がすごく好きなのですけれども。その方が苦しんだ意味が生きるエネルギーに替わって伝わっていったと、そのことがすごく大事なことなのではないかなと。死に向きあう現場というのはいろいろあると思うのですけれど、その中で関わる人が感じる虚しさであるとか、どうせ死んでしまうのに、火葬になって、骨になって、灰になって、すごくお世話をしてきた人がそうなると、虚しさとか、無力感、を感じると思うんですね。私達のやってきたことは意味のあることなのだろうかと。こういった形で死の現場から生まれたものが、生きる意味につながっていく、そこに私達が癒されるものというのか、そういったものが重なっていく中で、死を受け止める社会とか、文化というものが生まれていけば、もっと何か変わっていくのではないのかというような感触があった、実感を持った出会いだったんですね」

長妻昭 元厚生労働大臣の提言 『死生観の確立』
長妻議員
「死生観の確立ということだと思います。偉そうなことは言えませんけれども、死生観を確立していく必要があると。現在、終活というのが1つブームになっていると思うんですね、終わりの活動。お墓のこととか、あるいは相続のこととか、そういうことが中心だと思うのですけれども。いざ、自分が死を迎えた時に、どういう心構えでそれを受け入れていくのか。残された人にどういう対応をとっていくのか、そういうような死生観というものを確立することが非常に、元気な時に、健康な時に、それが相当必要になってくるのではないかと思っています」

鈴木岩弓 東北大学総長特命教授の提言 『死へ向けて、身も心も不安のない社会に!』
鈴木特命教授
「死へ向けて、身も心も不安のない社会にということです。要は、死を迎える、先ほど、申し上げた言い方からすると、ダイイングのところ、デスではなく、ダイイングのところで身体の痛みもとってほしいし、心の不安、そういうものもとってもらう。だから、臨床宗教師が必要ですよということを一言、申し上げたいと思います」

金田諦晃 東北大学病院緩和医療科臨床宗教師の提言 『死の現場から生をみつめる』
金田氏
「死の現場から生を見つめる。人生の最後のすごく濃い時間の中で、その時間だけで向き合い切れないものというのがたくさんあって、それまでの積み重ね、あとは生の方ばかりを見ないで、死の現場で起きていることが何なのか。そういうところから、私達が向かっていかなければいけない方向というのか、社会のあり方、そういったものが見えてくるのではないのかなと感じています」