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2017年4月11日(火)
徹底検証『教育勅語』 道徳教材としての是非

ゲスト

馳浩
前文部科学大臣 自由民主党衆議院議員
大串博志
民進党政務調査会長 衆議院議員
長谷川三千子
埼玉大学名誉教授
尾木直樹
教育評論家

徹底検証『教育勅語』 教材使用の是非&道徳教育
秋元キャスター
「今回、教育勅語が論争になる1つのきっかけになったのが、森友学園が運営する園児達による教育勅語の暗唱でした。7日の衆議院内閣委員会で幼稚園児に教育勅語を暗唱させる教育の是非を問われました義家弘介文部科学副大臣は『教育基本法に反しない限り問題ない。戦前のような形で指導するなど、法令の趣旨に反するなら適切ではない』と述べています」
反町キャスター
「幼稚園児が教育勅語を暗唱する、これに対して一般的な視聴者の人は違和感があるという…」
馳議員
「私も違和感がありますよ。私だったら百人一首でも読ませようかなと思います よ」
反町キャスター
「幼稚園児に教育勅語を暗唱させるのになんらかの意味があるのか?」
馳議員
「そこはなんとなく流行っている言葉で言えば、忖度ではないですか。籠池さんが何か考えているのではないのとつながってしまって、それを教えられている幼稚園児は意味がわかっているの?と、この意味を。『朕惟うに』から始まることの意味をわかっているのというところに突っ込みたくなりますよね」
反町キャスター
「理解できない幼稚園児に暗記させることには意味は感じない?」
馳議員
「違う意味を申し上げると、国語の教員として申し上げると、古文調、漢文調の文学に馴染む1つのリズム感として覚えさせるという、無理な言い方ですけれど、言おうと思えば言える。ただ、個人として、と断わって言ったように、基本的には幼稚園の場合は都道府県の教育の、総務部か、私学の場合は、学校法人はそちらの方が所管していますから、国会議員とか、大臣を経験した人とか、大臣そのものが介入するようなことを言ってはいけないですね」
大串議員
「教育勅語が歴史的に果たした役割、それがその後、それが戦後、国会で排除され、失効を確認されたと、こういった経緯を考えると、それを現在、園児達に毎朝唱和させるというのは刷り込みに近い教育になるのではないですか。園児が内容を全部わかると言うと、わからないと思いますが、しかし、それを毎朝毎朝唱和するというのは刷り込みに近いという効果を生み得る可能性がある。その幼稚園で毎朝唱和するというのが教育方針であるということを、先週の金曜日の国会で義家副大臣の答弁がありましたけれども、私はその場にいましたけれども、問題ないとしていること自体、教育勅語が失効を確認され、排除されたという歴史をまたここで復活させようとしているのではないかとすら思われるものですから、私は違和感を覚えます」
馳議員
「私も大串さんも違和感を覚えるという言葉を使ったでしょう。同時にまだ大串さんは教材として否定していないですよ」
大串議員
「教材として使うことは、私はあまり適切ではないと思います。明確に政府は言うべきだと思っていて、たとえば、歴史の教科書の中で過去こういうことがありました。教育勅語、かくなるものがあって、こういうことがあったという事実の歴史的検証の中で出てくるのならばわからないでもない。しかし、道徳の教材として使うことを政府はこの段階で否定していないですよね。道徳として使うというのであれば、この教育勅語をまた再生させるのではないかという気が私はしますので、そこまであるとすると、私は教材として使うのはよくないと思います。昭和58年、島根県のある私立高等学校で、教育勅語を建国記念日に唱和させていたという事例があって、その時の大臣は、これは適切ではないと言って、やめるべし、ということで島根県を通じて、私学なので自由の精神があるので、限度があるけれども、これは適切ではないということで、島根県に是正をお願いしているんですね。それが現在変わってしまうとしたら、私はおかしなことだと思います」

記載内容&果たした役割
秋元キャスター
「教育勅語は、内容的には3つの部分で構成されています。教育勅語の内容をどう評価されますか?」
長谷川名誉教授
「まず『朕惟うに 我が皇祖皇宗 国を肇むること宏遠に 徳を樹つること深厚なり…』という大人が聞いたってわからないですよね。この翻訳をきちんとするということが大事だと思うんです、最初の部分と最後の部分がいわば額縁の部分ですけど、確か大串さんのTwitterに、真ん中のところを取り出して、こんないいことがある、あんないいところがあるという、そういうことを言う人がいるけれども、そういうつまみ食いはダメしょうと、全体を見なくてはダメでしょうと。ああ、いいことを言う方だなと思って、感心したのですけれども、そういう意味では、額縁をしっかりと押えるということが大事だと思うんです。試みに大事なポイントだけまず翻訳してみたいと思うのですが、最初のところ、『我が皇祖皇宗 国を肇むること宏遠に』、これは建国記念日に暗唱させたところがあったというのですが、要するに、日本書紀の、神武天皇の建国の詔を意識しているんですね。ついでに言うと、これを起草したのは井上毅。哲次郎さんが解説したと。井上毅という人は国学をすごく勉強して、日本思想というものもよくわかって、同時にもともと彼はフランスの法思想を学んで、明治の帝国憲法起草の中心者ですけれども、彼は人権条項をしっかり書かないとダメだというのをいつも起草の時に主張していた人です。そういう民主主義思想と、この日本語とも思われない『我が皇祖皇宗…』という建国思想とがどう結びつくかというそこがポイントだったと思うのですが、間違っていたら申し訳ないですが、神武天皇の建国の詔の1番大事な部分というのは、自分はもう、そろそろ文化をしっかり建てるべき時期だと思うので、都を建てようと思う。それにあたっては、なんぞ聖のわざに違わんと。これを日本語に翻訳する必要があるのですけれども、とにかく人民のためにあることだったら、天皇はなんでもやらなくてはいけない、これが我が国の国体の中心思想だというのを日本書紀の神武天皇の言葉としてバンと打ちだしているんですね。ある時、建国記念日の式典で元民主党の階さんという方とご一緒したら、これは我が党の党是ですと胸を張っていらっしゃいましたのですけれど、戦前も戦後もなくて、神のための政治という、それがこの『国を肇むること宏遠に』のバックにあるんですね。政策的目的というより、日本の神話の構造の面白いところですが、日本の天皇は絶対君主ではないんですね。いつも上にもっと偉い人がいる。それが自分の、遡れば、天照大神なんですが、自分の祖先の神々、あるいは自分の祖先の天皇達、それが皆、何を教えているのかと言うと、1番大事なのは国民だよと。国民のための政治をしなければいけないのだよという、政治道徳を代々の天皇が身に沁みて教えられているという、それが井上毅の帝国憲法の思想でもあるし、それから、教育勅語を書く時の1番ベースになっている思想でもあるんです」
反町キャスター
「真ん中に12の徳目が列挙されています。国民に対して求められているということでよろしいですよね?」
長谷川名誉教授
「…と思うでしょう。ところが、1番、最後のところで、こういう徳目を私は恭しく拝して、それに従っています、皆さんもどうぞと。つまり、これは天皇自身の徳目ですよね。徳というのに王様の徳も、庶民の徳もない、人類、皆、徳は同じ。自分は直接、皇祖皇宗から、お前は正しく身を過たずに暮らさないといかんぞと、中でも1番大事なのは、民を大切にすることだぞと言われている。で、その民が、たとえば、俺の知ったことかい、ぐれてやる、というのでは、本当に幸せになりませんよね。本当に正しく生きて幸せになれる。実はこの建国の詔にも最後の方に、上は皇祖皇宗からいただいた、その徳に応えて、下の庶民達にも正しい心を広めようと私は思っているという、神武天皇の詔を頭において徳を広めるためにはどうしたらいいかということで、中身は平々凡々ですよね」
反町キャスター
「そうすると、教育勅語というものは明治天皇ご自身が自分もこういうことを心がけているけれど、皆も心がけてこういうことをやりなさいよと呼びかけているものだとすれば、問題にしているのは『以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし』という部分というのは、国民に対して、臣民に対して、何か国家に一大事があった場合には、永久不滅の皇室のために身を捨ててがんばりなさいと言っているように僕には読める」
長谷川名誉教授
「これは、だから、前の、全部の徳をきちんと収めることで、国の運というものも栄えていくと」
尾木氏
「1つ疑問というか、歴史的に言うと、戦前の奉安殿なんかで写しなんか祭って、戦災で焼けそうになると校長先生が命よりも大事にして守りましたね。それから、戦争に行った若者達が『きけ わだつみの声』を読むと天皇陛下万歳とか、言わなかった人もいるけども、そんなことで亡くなっていったりとか、いわゆる軍国主義教育と言われる、そこにグッと入っていくのにすごく使われてしまった。それは解釈の間違いなのか、実践現場がおかしかったということにはならない?」
長谷川名誉教授
「これも後段でお話しようと思っていたのですけれど、井上毅がこれを起草した時の第1のコンセプトはそういうふうに上から押しつけるという、そういうことではなくて、天皇が自分を拳拳服膺して、実際に中身も非常に真っ当でしょうと、皆さん一緒にこれを実践しましょうよと、そういうコンセプトで。押しつけてはいけないというのがもう1つあらわれているのは、最後は御名、御璽で終わっていて、これは正式の勅語だとこの後ろに大臣が署名しないと正式にはならないですよね。だけど、わざと、大臣が署名したら、正式の一種の政令になって、命令になってしまう。道徳を命令するっておかしいでしょう。道徳というのは、うん、そうだね、これがいいよね、と国民が納得したら、では、一緒にやりましょう、ということになるので、だから、正式の勅語のかっこうをとったら、まずいと。だから、現在で言ったら、天皇のつぶやきとして出すのが望ましいと」
反町キャスター
「それが軍国主義教育の後ろ盾に、理念的柱になってしまった経緯についてはどう考えますか?」
長谷川名誉教授
「それが教育勅語の歴史の残念な部分なのですが、井上毅の基本のコンセプトからドンドン外れていく。最初に発布する時も井上毅は、これは文部省の人が心得ていてくれればいいよと思っていたらしいのですが、これが麗々しくバンと発表されて、これが各学校にこれはありがたい勅語であるぞと言って、つまり、形骸化していくんですね。こういうものというのは形骸化していくと、皆、何も考えずに、ほら、教育勅語はこう言っているから、こうしなければ…みたいなかっこうになって、これは井上毅が考えていたのとはむしろ正反対の方向だったのではないかと思うんですね」
尾木氏
「先生がおっしゃる通りだとしたなら、もっと早期に軌道修正をするなり何かをしなければいけなかったけれども、軍部などの力があって、ずっと進んでしまったという見方ですか?」
長谷川名誉教授
「どういう力学があったか、少なくとも井上毅自身はこれを書いた1年後ぐらいに亡くなっているんですよね。彼が80歳ぐらいまで矍鑠として生きていたなら、あれだけの能力のある人だから、こういう使い方はすべきでないと言ったと思いますね」

現行憲法下では…
秋元キャスター
「教育勅語が排除・失効された国会決議がなされたことについてどう考えますか?」
馳議員
「その背景に何があったのかということ、これは歴史を勉強しておいた方がいいのですけれども、その時、我が国は、主権は連合国軍側にあったわけですよね。連合国軍の中でも民間教育機関と連合国と、教育勅語に関する考え方にお互いぶつかり合うところがあったんです。最終的にGHQが勝つのですけれども、そうなった時に、CIEの方は守ろうとしたのですけれども、それはダメだということで、戦前の教育の唯一無二の価値観は失効だと、効力を失う。ただ、面白いのは国会決議ですよね。法律にはなっていないですね。なぜ法律にしなかったのかというところです。ここから先は長谷川先生、どうぞ」
長谷川名誉教授
「要するに、主権がない状態で…」
反町キャスター
「当時は」
長谷川名誉教授
「ええ。これだけ見ると日本は当時、国会もあったし、決議もしているから、日本人の責任ではないかと思ってしまいますよね。この頃、忖度という言葉が流行っていて、忖度という言葉は自分から、これはヤバイかなという、本当の忖度なのですが、当時は、言ってみれば背中にピストルを突きつけられて、でも、観客からはピストルは見えない。お前、口頭で言っておけよな、失効決議とか、排除決議とか、してくれよと。ウイリアムスさんがおっしゃったという、それでできているわけですよ。難しいのは、日本の占領下のいろいろな国会で決議したことというのは一応、記録として残っているわけですよね。だから、大串さんもこれは決議したことなのだから、きちんと受け止めなくてはという、これも1つ、当然出てくる考え方だと思うんです。ただ、1番大事なのは、馳さんがおっしゃった日本は主権を持っていない。主権を持っていないということはすごいことなので、つまり、自分の国の政治に対して、責任を持った決定が下せないという…」
反町キャスター
「その話をし出すと、現行憲法も何もかにも全部…」
長谷川名誉教授
「そう、全部。だから、本当に難しいの」
反町キャスター
「長谷川さんの考えでは全てがアメリカの圧力によって押しつけられたものであるから、日本独自の判断で決めたものではないという論陣のうえの話になるわけですか?」
長谷川名誉教授
「これを貫くととんでもないことになってしまうのですよ。と言うのは、日本の戦後はほぼ70年になりますよね。この日本国憲法の下で、いろいろな法律をつくり、行政の実績をあげ、それで歴史ができている。でも、70年前を振り返って、これは無効と言ったら、論理的にはスジが通っているのだけれど、この70年って何ということになってしまう。日本の歴史が全部ガタガタになってしまうぐらい大変なので、これをどう考えるかというのは難しいですね。馳さんがおっしゃったのは、そういう難しいところに踏み込もうということではなくて、これは法律ではなく、国会決議だと。国会決議は他にもいろいろやっているんですよね。米の自由化はいかんとか、国会決議をして。でも、状況が変わると自由化OKと言っちゃう。決議というかっこうでとどめているので、これは法律と違うんだよという、これが馳さんの阿吽の呼吸ですね」
反町キャスター
「大串さんは、その阿吽の呼吸に乗るわけですか?」
大串議員
「いや、乗りません。と言うのは、決議があって確かに法律になっていませんけれども、決議であろうが、法律であろうが、その後、国会が違う決定を決議、法律に関してすれば、変えられますから。と言う意味においては同じです。大切なことは、その時の決議が変わっていない、ずっと70年間、決議の下で…。私はこの決議が行われた昭和23年の17年後に生まれました。その後の教育を受けて育ってきた世代でありますけれども、教育勅語が排除された世の中の教育を受けてきましたけれども、自分でも適切な教育を受けてきたと思いますし、当時いろいろな経緯の中で、排除決議、失効決議ができたのかもしれないけれど、私は戦後の日本の教育というものを肯定的に受け止めて育ってきています。よって、この決議はこの決議のまま変えられていない以上、現在の政治においても受け止める必要があるのではないかと思います」

教材として使用の是非
反町キャスター
「大串さん、1947年、当時の高橋誠一郎文部大臣の国会答弁では、教育基本法の施行と同時にこれと抵触する部分は効力を失うと。そうすると教育勅語の中で、抵触する部分があるのか、ないのかという話に当然なるわけですよ。『以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし…』というあたりが抵触する部分と思っているのかどうか、その部分というのはどう感じますか?」
大串議員
「そこがはっきりしないものだから、難しさがあると思うんですね。高橋文部大臣の国会答弁と、現在の政府答弁書、基本的な構造は一緒だと思うんです。憲法や教育基本法に反しないような形であるのであれば教材として使ってもいいと。問題は、憲法や教育基本法に反しないような形で教材に使うというのはどういうものかということで、ここは教材をどういうものを使うかは学校自治の中で決めるべきことなので、あまり政府が言えることではない。ただ、歴史の教材で使うというのは私もおかしくないと思うのですが、道徳を教えるために使うのであれば、なぜわざわざ教育勅語を今使わなければいけないのかという疑念もわいてくるし、先ほど申し上げたように、学校で、皆で朗読・唱和していたものを、昔はダメだと言っていたものを現在はダメだと言わなくなってきたところからも疑問が生じるようなことがないように、たとえば、歴史の教材として使うことはおかしくないとだけ言ってしまえば、この問題は解決すると思います」
馳議員
「素直に日本国憲法を読めば、主権在民でしょう。基本的人権の尊重でしょう。平和主義でしょう。これは当たり前の話ですね。これに反するような形で使ってはダメよというのが当たり前だと思います」
反町キャスター
「抵触する部分を排除する…」
長谷川名誉教授
「部分はあります。『一旦緩急あれば義勇公に奉じ』と、これは、つまり、侵略されたら日本国民たるもの、とにかく何を使ってでも、竹槍でもいいから、侵略者に立ち向かえという内容ですよね。ところが、日本国憲法第9条2項というのは、国は交戦権を否認すると言っているんです。これはどういうことかと言うと、普通の国際法の常識だと、その国に敵の侵略が来て、それに住民達が竹槍で応戦して、相手を、侵略してきた兵士を殺しても、これは殺人罪にはならないですね。ところが、交戦権が否認されていると、そこで正当防衛か、殺人かという問題になってしまう。だから、日本国憲法を本当に厳密に適用すると、これはアウトですよね。ついでに言いますと、これとそっくりな文言がパナマ憲法にあるんです。パナマ憲法というのは、軍隊を禁止している憲法として有名です。コスタリカの憲法とパナマ憲法、そのパナマ憲法には、もし領土が侵されたり、我が国の独立が侵される時にはパナマ国民は武器を持って戦わなければならないという条文があるんです。これはまさに『一旦緩急あれば』」
反町キャスター
「昭和22年の高橋文部大臣の発言における、憲法と抵触する部分は効力を失うという言葉、これは当時の解釈であって、現在のような自衛権の部分が認められている…」
長谷川名誉教授
「だいぶ違ってくると」
反町キャスター
「長谷川さんの解釈では教育勅語が現在の憲法解釈と齟齬をきたす部分というのはない?」
長谷川名誉教授
「それは、憲法学者によっては本当に厳しく、これは交戦権もばっちり否認されていると言う憲法学者も結構いますね」

道徳教材としての是非
秋元キャスター
「現在、小中学校で行われている道徳の授業というのは小学校では来年度から、中学校では再来年度から正式な教科に格上げされます。政府は道徳の教材としてこの教育勅語を使うことを否定していないのですけれども、憲法や教育基本法に反しない適切な配慮というのは、具体的にはどういうことが挙げられるのでしょうか?」
馳議員
「まさしくこれこそ現場で教える先生方の教え方だと思うのですけれども、基本的に憲法と教育基本法に反しないような解釈の中で使いなさいよとなってくると、古典の題材として確定している教育勅語というものの、明治23年という社会的背景と共に教えるということは、総合的な教育の観点からあり得るなと個人的に思います。高校生段階で、教育勅語というテーマを与えた時に、教育勅語が生まれた時代、その背景は何か、井上毅が起草したという部分と同時に、当時の明治天皇によって政治的にどのように扱われたか、それによっての国家総動員体制であったり、敗戦を挟んで、連合国軍に支配されている時にどう国会が取り扱ったかということを踏まえる、歴史的な中で、古典の1つの題材として、歴史の教材として教えることは、私はひとつは意味があると思います。そういったことを踏まえ、教え方はそれぞれ現場に委ねられていますので、あまり大臣が使ってはダメだと明言するような表現は絶対にしてはダメです」
反町キャスター
「国語教育、歴史教育としての話だと思うのですけれども、道徳の教材としてはどうですか?」
馳議員
「まさしく道徳は学校の教育活動全てを通じて伝えていく。従って、道徳の時間だから、古典や歴史のことをやってはいけないということでもないし、学校の朝礼から、給食の時間を含めて、掃除の時間まで、こういったことを道徳的に活用しようというのが我が国の特徴のある道徳教育ですから。従って、道徳という特別な科目の中で教え方にもよると。それは日本国憲法や教育基本法の精神に反しないように教えなければいけません。特に現行の教育基本法の第2条は5項目に渡って教育の目的が明文化されていますから、それに反しないように活用すれば、それでいいのではないですかと」

道徳の教科化&課題
反町キャスター
「尾木さん、教育現場において、教育勅語を道徳の素材として使ってもいいよと言われたら、どう使うのですか?」
尾木氏
「使ってもいいよと言われても、実践的な感覚で言えば、徳目を教えていくだけでも、この間、教育問題で話題になりましたけれど、すごく現場では神経を使って、どういうふうに子供達が、皆が考えあえて、深まっていくかというのは苦労するわけですよ。今度は教科ですから、成績をつけるようになるわけですよ。責任があるわけですよ。そういう意味で、真剣勝負なわけですよ、ある意味。だから、敢えてこの論争になっている教育勅語の中身を持ってきてなんていう先生は少ないと思います、人数的にも。それはちょっと怖くて、もうちょっと時間が経ってからでなければ、動きが出てこないのではないのかなという気がするんですよね」
反町キャスター
「成績をつける素材としてはリスクがある?現場の教師としては?」
尾木氏
「教師自身が、今日の議論ではないですけれども、ここのところを熟知してからでないと入れないですよ。善意であっても間違った方向へいってしまったら、批判もあり得ますし、火中の栗を拾うようなことはしなくて、道徳の22の項目、あるいは18の項目のところを皆で議論してやる方が、馳先生がおっしゃるような、現在の学びに入っていくのにピタッと合っているわけですよ」
馳議員
「答えは1つではないよねと、皆で議論しましょう、題材を出し合いましょうというのが1つの道徳教育のあり方ですし。数字の点数という評価はしないです。どのような学びを、経緯をたどったかということを教職員が観察をし、そのうえで文言として評価を出すということです。私がここまで言っていいかはわからないですけれども、大変な技術を要する授業になるので、私は専門の教員がいてもいいのではないかという議論が与野党からむしろわきあがってきてもいいのではないのかなと」
反町キャスター
「教育勅語とは別に道徳の教科化という点において?」
馳議員
「そういうことです」
尾木氏
「道徳というのは、日本の場合2刀流を使っているんですね。つまり、総合的な生活全体を通して道徳的な律を教えていくと。アメリカもそうですけれども、それだけで終わっている国もたくさんあるのですけれど、日本の場合は1つの特設の道徳というか、教科の授業として、コマとして時間割の中にやる、というダブルだし、しかも、全教科を通してやっていこうという3重構造みたいになっているんですよ」
馳議員
「イギリスやフランス、ドイツはまさしく市民教育的な授業は確かにあるんですよ。アメリカにおいてもあるのですけれども、我が国は学校教育全体を通じて道徳教育をしようと。プラス特別な教科として、道徳を通じてお互いに学びあい、特にいじめの問題であるとか、社会的な包摂の問題であるとか、配慮するべきは配慮しようということを、子供達が参加をし、議論をし、その価値観を学びあっていきましょうとなっているので、そういう意味では手厚いと言えば、手厚い体制になると思います」
尾木氏
「世界一だと思いますよ。僕も道徳教育を授業で教えていましたけれども、最高ですよ。だけど、たいして効果があがっていないです」
大串議員
「私は特別の教科に格上げされたことには懐疑的で、やはり道徳は課外、学校生活全体で身に着けるものであって、特別な教科として、格上げして、ここには教科書もある、教科書の検定もつく、かつ評価まで行われる。こういった環境で行われるべきものなのだろうかという懐疑心があります。そうではなくて、例えば部活動の中で学ぶ、学校の中で子供達の触れ合いの中で自然と学ぶ、あるいは教師との付き合いの中で自然と学ぶ、そういったものではないか、こういうものが道徳としてあって、教え方が難しいかと思いますけれども、上から目線で教えるものが道徳なのかなと。そこは非常に懐疑心があります」

馳浩 自由民主党衆議院議員の提言 『歴史の教材』
馳議員
「歴史の教材、以上です」

大串博志 民進党衆議院議員の提言 『"いつか来た道"にならぬよう』
大串議員
「教育勅語が軍国主義教育の中で活用されてきたという歴史は直面しなければならない歴史なので、それを踏まえていつか来た道にならぬよう、これから道徳の教育を行うのであれば、十分ケアをしたうえでやらなければならないと。そういう意味において、教育勅語を教材として使うのは、私は歴史の教材として使うのはいいと思いますけれども、それ以外だと非常に問題があるのではないかと思います」

長谷川三千子 埼玉大学名誉教授の提言 『自分で考えよう!』
長谷川名誉教授
「自分で考えよう、これは道徳の基本ですね。だけれど、先ほど、お話したように、教育勅語を起草した井上毅はこれを考えて教育勅語を書いたのだろうと思います。ですから、原点に戻って、自分でなんでもとことん考えようと」

教育評論家 尾木直樹氏の提言 『新時代の道徳律を』
尾木氏
「歴史の教材としては賛成です。しかし、そこに戻るのではなく、新時代の道徳律を打ち出していこうと。国際社会、グローバルな社会の中で共に生きていけるような、そういう市民教育をやっていきたいなと思います。シチズンシップと言われていますよね。そちらに入っていった方がいいだろうと思います」