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2017年3月21日(火)
浜渦元副知事が生出演 豊洲移転問題の全真相

ゲスト

濱渦武生
元東京都副知事
鈴木哲夫
ジャーナリスト

濱渦元副知事&石原元知事 豊洲移転検証で証人喚問
秋元キャスター
「東京都の豊洲市場移転問題を検証する都議会百条委員会で19日、濱渦さんに対する証人喚問が行われたわけですけれども、およそ5時間に渡って証人喚問が行われました結果、終わってみて、どんなことを感じましたか?」
濱渦氏
「全部言い切れなかった。ですから、ここに出ているんです。言い足りなかった」
反町キャスター
「それは、議会側の質問がどうしても同じ質問があったり、被ったりすると。もうちょっと振り分けしてほしいみたいな、そんな感じもありますか?」
濱渦氏
「振り分けもありますね。もう少し突っ込んで具体的にお尋ねいただければいいのですけれど、ストーリーがあって、当てはまるかどうかだけをお尋ねになっていましたので、だから、なかなか違うよと言っても、そこでちょん切れてしまったんですよね」
反町キャスター
「昨日は石原さんの証言がありました。どんな想いで見ていましたか?」
濱渦氏
「なかなか言いづらいですけれども、石原さんは高齢なんですよ、84歳。この前、亡くなった船村徹さんと同い年ですか。高齢というよりももっと大きな問題は、脳梗塞を患ったわけですよ。まだリハビリをしている最中で、実はあまり覚えていないと思いますよ。昨年、盛り土の問題で、石原邸の周りにメディアの方々がお尋ねになって、東京ガスとの交渉でハンコを押しているのは濱渦ではないかということがあったんです。その話で私のところに連絡がありまして、なぜ、お前が東京ガスと交渉して基本合意でハンコを押しているのだと言うので、えっ、まったく覚えていない?何をおっしゃっているのですか、石原さん、あなたが私にやれと言ったんですと。そうだったかということで、だから、脳梗塞が起こる前のことはほとんど覚えていないのではないかと思っていたんですよ。ふぁから、なかなか無理して思い出そうとしても難しいなという感じがありました。それから、朝、昼、晩と対象が斑になっているんですね。表現することも、です。ですから、1時間余ってお勤めになりましたけれども、自分が病気になられて以降のことは鮮明に言いたいこともわかると思うのですが、その前のことを尋ねられても、せいぜい立派に答えられるのが、記憶にない、と言うしかないというのが私の実感でした。だから、私に聞けば、余計にわかるのにと思いながら見ていました」

豊洲移転は『規定路線』? 石原元知事と東京ガス
秋元キャスター
「東京ガスから提出されたメモによりますと1999年11月に当時の石原都知事と東京ガスの上原社長の会談があったとされています。しかし証人喚問で、石原さんは上原氏と面会したことは覚えていないと答えています。濱渦さんは当時、石原都知事の特別秘書をされていましたけれども、石原さんが上原さんと会談をされたという話は知っていましたか?」
濱渦氏
「会談はしていないですよ。上原さんの方もしていないと言っていますし。ただ、私が承知していますのは、特別秘書の時にこの市場の問題を、市場長、時の政策報道室、現在の知事本局ですけれども。その理事がおいでになったんですよ。それから、担当の副知事がその席で、当時の石原知事が、この前、東京ガスの幹部に会った時に、俺の土地に、勝手に東京都は線を引いて、市場をつくるだの、何かを言っている、俺の方に話がないと言っているぞと。こういう話が出されたんですよ。どこで言ったのかといったら、一橋大学のOBの会合があって、そこで声をかけられてそういう抗議を受けたようです。その話をテーブルでした時に、政策報道室の理事の高橋さんが、そもそも都市計画というのは人の土地に線を引くことから始まるのだというので、私はそれを聞いて、へー、東京都の幹部さんはそういう上から目線のおっ被せるようなことをよく言うな、こんなことでは民間とえらい差があるので、これは大変だという感じがありまして、その時に、まさか私が東京ガスの用地取得の担当になるとは思っていないから、こんな人達とお付き合いするのは大変だと思った印象はありますね」
反町キャスター
「そうすると、石原さんは東ガスの上原さんと2人で会ったのではなく、一橋大学のOB会の席上で、軽く、急に来てくれと言われても困るんだよ、俺は聞いていないと、こういうやりとりがあったということですね?」
濱渦氏
「はい」
反町キャスター
「ただ、先日、この番組に迎えた大矢市場長はそれを受けて、石原さんから呼び出しを受けて、君は何をやっているのだと、東京ガスに対して、まだ挨拶をしていないではないかと。すぐ行けと言われて、強烈に怒られた印象を、記憶を持っているというのですけれども、それは濱渦さんから見ても、思い出しますか?」
濱渦氏
「気短な石原さんとしてはあったでしょうね。すぐ行けと。まして後輩に何だと言われると、それはあっただろうと思いますね。ただ、面談したのではないと思いますよ」
反町キャスター
「会合の場において言われたことを言ってしまったということですね?」
濱渦氏
「はい」
反町キャスター
「当時、豊洲の土地というのは、用地買収というのは民間の土地に線を引くようなものだよと言ったぐらいだから、東京ガスの土地を都が買い上げることというのはまだ全然、スケジュールには登っていなかった?」
濱渦氏
「いや、交渉はしていました」
反町キャスター
「それは規定路線として、そこは狙っていたのですね?」
濱渦氏
「上原社長さんには上がっていないでしょうけれど、もう幹部さんと当時の担当の方々とは話を進めていましたし、青島都知事時代から交渉というのか、話がありましたから。新市場というのはダメですかということで。交渉をしていましたから」
反町キャスター
「交渉していたにもかかわらず、東ガストップの上原さんには話がいっていなかった。そういうこともあるのですか?」
濱渦氏
「ある。向こうもあるし、こちらもあるでしょう」

用地交渉『一任』の実態
反町キャスター
「濱渦さんは2000年の7月に副知事に就任されました。就任されたあとの用地の買収交渉、取得交渉に関してですが、石原さんは百条委員会で、『濱渦氏に一任していた。報告は受けていない。いちいち詮索する立場にない』と、石原さんはこう言っていたのですけれども、一任という言葉ですが、濱渦さんは石原さんから用地取得に関しての一任をどう受けられたのですか?」
濱渦氏
「いや、交渉がうまくいっていないので、交渉を進めてくれと。東京ガスに用地取得、東京都に譲るという、そういうテーブルに乗っけて話を進めてくれ、こういうことと私は受け取ったわけです」
反町キャスター
「それは先ほど、高橋理事が行って、話の中で、用地買収というのは民間の土地に線を引くものだと。これでは民間、向こうが売りたがらない土地を買うのは難しいというのは気持ちにあった?」
濱渦氏
「ある」
反町キャスター
「その前提の中で、一任と言われてどう思いましたか?」
濱渦氏
「やるしかないですかね。石原さんの政策を実現するのが、私の立場であるし、やれと言われれば、何でもやるんですよ」
反町キャスター
「濱渦さん的に、これはいつまでやらなければいけないなとか、予算はこれぐらいあるなというような肌触りは持っていましたか?」
濱渦氏
「ありました」
反町キャスター
「それはいつ頃までに、いくらぐらいというのは?」
濱渦氏
「それは平成9年ですか、豊洲・晴海整備計画というのが東京都から東京ガスに提案をして、合意をして、港湾局、港湾、臨海開発部ののちに関係者ばかりになっていくんです、港湾の局長とか、臨海開発部長とか。そういう人達との間でもう話ができて、開発の話が進んでいた。東京ガスの方は、そこに夢のある街づくりをしたいと。こういうことがあったわけです。それを実現するのは平成17年というのが提案されていたんです。ですから、平成17年までにその話は決めないといけないのかなという、私なりの期日というのは持っていましたね」
反町キャスター
「予算はどうだったのですか?」
濱渦氏
「予算は当時、市場会計というのがあって、市場の皆さんから会費をとって、貯めてあった。それが3000億円あったんです。で、大矢市場長に3000億円、うちに隠しているのか、どこにあるのと。こう尋ねた。そうすると、財務局が管理をしていると。会計は別だけれども、財務局が管理している。市場が管理していない。だったら市場会計、市場責任者にしてもとられないように、早く何とかしたいという本音は言っていました。ですから、土地を購入して、新市場を建て、その他、諸々の整備をするために、3000億円が上限かなというのが私の感触でした」
反町キャスター
「鈴木さん、このへんの経緯、どう見ていますか?」
鈴木氏
「副知事に就任された時に、石原さんから、豊洲がぐちゃぐちゃになっていると。これまでの交渉では全然ダメだから、やれと言われたのだと。これはなかなか大変だということを、記者クラブのソファのところで漏らしていたのを覚えているんですよ。だから、濱渦さんは当時、いろいろなことをやっていたのだけれども、その中でも敢えてこれを口に出したということは、たぶん濱渦さんの中で、これは結構、難しい交渉が必要だなという思いがあったのだろうなと。僕はソファで話をしたのを覚えていますよね」
秋元キャスター
「それだけ難しい案件でも、濱渦さんなら大丈夫と思って、石原さんは信頼して任せたのかなという感じですかね?」
鈴木氏
「投げる方は簡単ですよね、1人でやれと。だけど、そうです。確かに信頼して」
濱渦氏
「石原さんにしてみれば、こういう交渉は役人では無理だと思ったのでしょうね」

『水面下交渉』の真相
秋元キャスター
「売却に難色を示す東京ガスに、濱渦さんが2000年10月に『水面下でやりましょう』と提案したとされることについて濱渦さんは証人喚問の場で、このように話されています。『水面下と言う言葉は東京ガスから提案があった。悪い言葉だとは思わない』ということなのですが」
反町キャスター
「悪い言葉だとは思わないとはどういう意味だったのですか?今回は」
濱渦氏
「前段はありますけれども、初めてご挨拶に行ったというのがありました。前段の話はとっておいて、水面下だけで言いますと、東京ガスの方から既にいろいろな交渉を、東京都が表面でやったと。でも、うまくいかないし、個別に詰めたいこともあると。自分達には株主もいるのだし、そういうことも含めて全部オープンでできる話ではないから、水面下で議論をさせてくれないかと言うから、交渉相手ですから、そちらがそういうことをおっしゃるなら、それは大変結構なことだと思いますから。結構ですと。そうしましょうと。こうお答えをしたんです。だから、東京ガスさんの方から、何も役員会でも、経営会議でも決まっていない。株主さんにもお話をしていないこと。東京都側からボコボコ出されたのでは自分達が潰れてしまうからやめてくれと。個別に、それもいろんな案件があるから、個別に交渉を、打ち合わせをしましょうねと。それを水面下でお願いできませんかと言うので、そうしましょうと、こういう話です」
反町キャスター
「それは濱渦さんにしてみれば、先方から水面下でと言われた時には、これはやる気があると、売る気があるなと。そう感じましたか?」
濱渦氏
「そういうことよりも、個別の話で論破して、丁寧に説得していけば、話は成り立つなという感触は得ました」
反町キャスター
「水面下というのは、たとえば、株主のこともあると言いました、ないしは、東京ガスは東京ガスで、先ほどの豊洲・晴海総合開発計画に則って、いろんな開発計画がありました。それとの向き合いとか、株主に対する説明、東ガスとしてのその土地の計画の、どこの部分を諦めるのかということも含めて、1つ1つ交渉していく、こういう経緯だったということですか?」
濱渦氏
「そうです。同時に、向い合っている役員さんの、役員というポジションがどうなるかということを私は心配したわけです。まだ全体の合意になっていないことが、東京都と交渉をして、それは進めましょうということを言えるかどうか。それは大変なことだと思うんですよね」
反町キャスター
「それは、たとえば、要するに、東京ガスが豊洲・晴海総合開発計画に則って、開発計画を持っている。株主に説明をしている中で一部の役員が東京都に対して、豊洲の敷地全部を売却する計画をしていたと。たとえば、それがテレビとか、新聞とかに抜かれたら、これはその時点で話はチャラになるどころか、その役員の責任も一気に出てくるんですよね?その意味においての水面下が必要だった?」
濱渦氏
「私はそういう受け取りをしましたので、結構です、やりましょうということですということを言いました」
反町キャスター
「たとえば、公文書は、アメリカのアーカイブなどもそうですけれども、交渉の過程のメモなどは10年とか、20年が経ったあとに公表されるという基本的なルールがあるではないですか。今回の豊洲の買収に関して、東ガスとどうやり取りをしていったのかという記録を残して、数年後、数十年後、歴史の批判というか、歴史の評価に応えるように記録を残そうという気持ちにはならなかったのですか?」
濱渦氏
「私が都庁を辞めなければ残していました、経緯は全部。追い出されましたからね。10月に最初のご挨拶に行ったわけですよ。その時、役員室から、東京ガスから見たんですよ、豊洲を。ずっと目の前に見えるわけ。広大なものが。そこに自分達の街ができるという、役員さん達のワクワクした気持ちというのはよくわかったんですよ。東京都というのは、無茶なことを言うなと私は思いましたよ。だから、そういう感触を役員さんに、それはあなた方の気持ちもわかると。だから、それはなかなか難しい。それはお話し合いをしていこうと。社会貢献度の高い1200万人、当時ね。台所は生鮮を食べるものにするけれども、それを料理するのはあなた方の会社が供給するでしょう。だから、一体の話だから、私達、東京都も入って、一体で豊洲・晴海の開発を、整備を一緒にやりましょうと。それは一緒に打ち合わせをしましょうねということを申し上げました」
反町キャスター
「それが水面下の骨子?」
濱渦氏
「最初の話で、後々決まっているわけですから。開発事業というのは、向こうは。東京都の提案で新しくしようとなっているわけですから、それを全部やめろということはできないから、それを修正して、上書きをして、そこ市場を放り込めばいいわけで」
反町キャスター
「かなり無理がありますよ」
濱渦氏
「それをやったわけですから」
反町キャスター
「そこの部分というのは、ある程度、水面下でやらなければいけない部分もあった?」
濱渦氏
「そういうことを直接、言われて、困ると思いました。もう1つは、顔を真っ赤にして、役員さんが東京都は嘘つきだと、約束を全然守らないではないか、と怒ったわけですよ。私のことではないかと。東京都が以前に交渉した人に向かって顔を真っ赤にして、口悪く、上品な役員さんと思えないぐらいお怒りになっていて、ふと見ますと顔を真っ赤にして顔を伏せている人がいまして、これは人間関係が破綻しているなと。だから、過去のことは一切、なくして、新たな提案としてやらないといけない。そのために丁寧に話を聞かないと、何を希望していることであるか。どうなれば物事が成就するのか。それは提案をよく聞かないといけない。そのためにおっしゃったのが個別に、水面下でやりたいという、個別交渉もあると思うし、あまりオープンにしてくれるなということもあったのかもしれないですよ。だから、はい、わかりました。水面下でいいです、という話になってくるんです。前段があっての話」
反町キャスター
「それは全体の計画を見直すという部分も水面下かもしれないし、担当した役員が万が一何かあった時に苦しい立場に追い込まれないようにするという水面下の配慮もあったでしょうし、あと金銭的な部分における配慮、要するに、東ガスがそこにある程度、街をつくって、会社のイメージもあるだろうし、そこから利益も当然得ようと思っていた。それを一括で都に売ることによって、終わってしまうわけではないですか。その行って来いの部分においても東京ガスにしても、東京都にいろいろ言われたけれども、計画も捨てたけれども、売って良かったと思うだけの利益も相手にあげなければいけない、そういう理解でよろしいですか?」
濱渦氏
「いや、それは、金額、金銭の話ではまったくないです。まったくありません。売買というよりも、計画、一緒に都市の開発をしましょうというのがポイントですよ。変に聞こえるのですが、それをしましょう。そこに東京都が入れていないわけですよ。東京都は、俺達が一部は持っていくから、受け入れろという言い方だから。だから、私の前任者の交渉もそういう言い方ですよね。でも、既に向こうの方は決まっているんです、開発事業というのが。それを小さくしないといけないとか、何を持ってくるから、外さないといけないとか、そこにいかにして市場を入れてもらえるかという、費用の話までいく手前の話ですよ」

『水面下交渉』と汚染対策
秋元キャスター
「先ほどの『水面下でやりましょう』というやり取りの後の話ですけれども、2001年2月、東京都と東京ガスの間で覚書が結ばれまして、7月6日に東京ガスが移転の協力することを盛り込んだ基本合意が取り交わされました。この一連の動きに関しまして、濱渦さんは土壌汚染対策費用について、このように証言をされています。『私の時は汚染については、東京ガスがやります。わかりました、ということになっていた』ということですけれども、東京ガスがやることになっていたとしても、その汚染対策費が膨大にかかるというのは、当時はなかったのですか?」
濱渦氏
「まったくありません。汚染対策費ということもないし、今頃になって瑕疵担保責任と言うけれど、そんな単語も存在していませんでした。汚い物はきれいにしましょうということで。なぜかと言いますと、東京都の価格の話をしましたね、財産価格審議会というものが土地を購入する場合は地下の埋設物、あるいは汚染があるとそれは買えません。評価になってこないから、土地値の。だから、土地の売買をするのだったら、まずそこはきれいにしないといけないですね。それによって審議会が、いくらの値落ちがあるから、いくらで購入をしてくださいと、こういう話になってくるわけですよね。だから、そこのことは東京ガスもよく承知していまして、わかりました、それはそうですね、と言うことですから、東京ガスが土地の方はきれいにしますということでした。それから、時代感で言いますと、ディーゼル規制とかを石原都政でやりました。その時に大気とか、土壌とかの規制を始めた。より強くしたわけですよ。その時に都民の健康を確保する条例ができてくるわけです。それは既に提案をされて、健康確保条例というようですが、それは汚い物があると、あとで発見されても、もともとの地権者、地主さんが整理をしなさいと。こういう条例です。そういうのが既に審議をされていたから、そのことも東京ガスはわかっていたから、豊洲開発は現場で見てわかっているものだから、それは私達がやらないと前に進まないから、私達がやりましょうと。これは1つの話だと」
反町キャスター
「濱渦さんの話を聞いていると、濱渦さんが担当していた東京ガスとの交渉においては、土地をきれいにするのは東京ガスの仕事?」
濱渦氏
「仕事」
反町キャスター
「その後、様々な経緯を経て、最終的に、都が800億円を負担することになったというのは、なぜだというのはおわかりになるのですか?」
濱渦氏
「わからないですよ。誰が約束して、私の時の約束とまったく違う方向になっていますので。でも、時代的なところから考えると石原さんが選挙、3選の時だったか、豊洲の土地をきれいにしますと」
反町キャスター
「選挙公約ですね?」
濱渦氏
「そう。その時に選挙公約の中で飲めるぐらいきれいにするというようなことを言っていましたから。石原慎太郎さんというのは環境庁長官もやり、水俣病の川本さんを相手に水俣病を解決するだとか、国道45号線の大気汚染をなくすと、環境庁長官の時に。環境についてはとても厳しく、それは文明が文化を駆逐するような話はないかと、人間がつくった文明や人間が文化を蝕んでいくからと言って環境は非常に厳しくやろう。そういうお考えを若い頃からお持ちだったんですよ。だから、それが3期目の選挙公約の時に余計のお金がかかり過ぎて、マグロは地下水で洗わないけれども、きれいにしようというのは、そのへんの石原さんの選挙公約から出てきた話ではないかと推論していますけれども」
反町キャスター
「3期目の選挙は、2007年ですよね。豊洲の汚染の処理費用というのが2007年、2008年ぐらいからワーッと増えているんです。それはもしかしたら選挙公約と絡んで以降、3期目以降の部分で、豊洲に関する、土壌汚染に関する対策費が急激に増えた。それは石原さんの公約の裏づけがあったからだと、こういう理解でよろしいのですか?」
濱渦氏
「そうではないかと思いますね。現場にいないけれどもね」
鈴木氏
「あくまでも私の取材です。2007年の選挙、濱渦さんはあるホテルの部屋に1人で陣取って、要するに石原さんのメインの選対から、どちらが善いか悪いかは別ですが、うまくいかなくて、どうするのかと思ったらご自身でホテルの部屋で1人選対をやっていました。支援者とか、いろんな人と話をしていた。つまり、本体の公約だとか、選挙の進め方には濱渦さん関わっていないですよ。別班で、1人でやっていたと。こんな感じだった。その中で豊洲の安全性については、通常の法令以上に厳しく適用して徹底してやると。ニュアンスとしてこの選挙をきっかけに石原さんが表明をしていったという流れはあります。だから、選挙をかなり意識したアレだったと思いますね」
反町キャスター
「そうすると、濱渦さん、公約に引っ張られたとは言いませんが、濱渦さんが用地買収の契約を結んだ時は、東京ガスがきれいにするということがあったけれど、その後いろいろな公約も経て、徐々に東京都の持ち出しが増えていった?」
鈴木氏
「それで結局、調べたら、4万倍が出てきたんですよ。確か、選挙の翌年だった」
反町キャスター
「2008年ですね」
鈴木氏
「そこまでだったら石原さんが徹底的にやるぞと言って、調べて出てきちゃったから何とかしなければいけないと自分で自分を追い込んでいくような流れができていったと見た方がいいですね」
反町キャスター
「そこは濱渦さんとしては、汚染の部分というのは東京ガスがやるはずだったのではないかという想いで、この現象を見ていたのですか?」
濱渦氏
「いや、私は豊洲の移転自体に興味を持っていませんでしたから、既に。私の仕事、豊洲新市場の建設は終わってるから。だから、あとはあまり興味を持っていない」
反町キャスター
「その後、たとえば、石原さんの3期目の選挙において豊洲のことを謳い、実際4万3000倍ベンゼンが出てきたことによって、豊洲の土壌汚染処理費というのが増えていくことについては、これは都のお金でやる問題ではなくて、問題の汚い物が出てきたら、それは東京ガスの負担だよと言ってもよかったのではないですか?」
濱渦氏
「よかったかもしれないけれども、私にそういう興味はなかった、まったく」
秋元キャスター
「でも、石原さんとあれだけの関係を持っていたから言いたくなるとか」
濱渦氏
「それは、また、違うことを仰せつかっているんです。参与でやったんです。東京都の参与であるのは、国との関係、国とその他の関係機関との連絡交渉、調整をするので。他のことをやっていましたから」

『水面下交渉』『2者間合意』
反町キャスター
「2001年の4月6日に基本合意ができました。そうなると、濱渦さんは豊洲に関しての仕事は、そこで終わりになってということになるのですか?」
濱渦氏
「はい」
反町キャスター
「合意があったということについては、石原都知事には当然、報告をされていますよね。どういう報告を、いつ頃、どんな報告をされたのですか?」
濱渦氏
「2001年7月6日ですね。それは、私の名前と東京ガスの伊藤副社長との名前で調停されたわけですね。合意が取り交わされた。でも、最初に会った以外は伊藤さんと私は会ったことがないですよ。だから、役所と東京ガスとが調整して、お互いにハンコを押したものを持って行って日を書き込んだのが6日であって、7月の。その前の6月のうちにできあがっている話。東京都のことだけを言いますと、7月1日が局長級の人事なんですよ。全部の局長さんが変わるわけですよ。だから、それまでに合意書ができ、これでいいですねということになって、担当者が持って行ったのが6日。それから、2者間合意という、私はまったく知らないけれど、これは不愉快な話ですね。実はこれも18日という話がありますけれども、7月15日が部長、課長、その他の人事ですよ。そのあとに行われているということも変だなと思っていますけれども。石原さんに対しては、6月の時点で、前の覚書の時もそうですが、また、覚書の話をするとして、基本合意の前に、いよいよ基本合意、こういうことでできました、これでと。よくわかった、御苦労だったなと。そのことで、私は終わり。次の、お前、このことがあるのだから、こちらやってくれと、こういう話」
反町キャスター
「その場で次の仕事が下りてしまった?」
濱渦氏
「下りている。次はこれやってくれ、はいわかりましたとこういうことですから」
反町キャスター
「2001年6月下旬に、石原さんのところにご報告に行かれました。知事、こういうことで固まりましたと。はい、御苦労。次、羽田の第4やってくれというところで、濱渦さんとしてはそこでスイッチはカチッと入れ替えて、豊洲のことは全て忘れる。そういう感じになるものですか?その後、たとえば、いろいろな問題が発生してきました。自分が手がけた豊洲問題、東京ガスが、要するに、汚染の部分は面倒を見る、都側はそれまでの護岸工事やら何やらの工事を見る。それで納得したと思っていたものが、ドンドンよれていっている部分というのは、それは気にならないものなのですか?」
濱渦氏
「いや、そんなものはなかった。よれていなかったもの。スイッチしたあと、よれていないですよ、辞めるまでは。私が辞めてからよれているのですよ。
反町キャスター
「辞められたのは2005年7月ですね?」
濱渦氏
「よれていたら気になるのですけれど、よれていなくずっと進んでいましたから。東京ガスがきれいにいましょうねというお話。それから、お約束した護岸の方は港湾局からお金も頂戴しないといけいない計画をやり替えましょう。それは進んでいましたから。私が辞める前、2005年の春だと思うのですが、ゆりかもめがいよいよ完成するわけです。その視察に市場前という駅で豊洲を視察させていただいたんです。井口さんとおっしゃる社長さんは作業服でちゃんと迎えていただいて、どうなっているかと。現在ここに杭を打って、メッシュ狭くして、杭を打って調査をしていると。まだその時には土壌の汚染処理までいっていない。まだ調査している段階がそのへんだったんです。だから、それは進んでいるなと思っていましたから」

『瑕疵担保責任の放棄』
秋元キャスター
「18日の証人喚問で岡田元市場長は3月22日に知事に説明した資料があると証言されている。しかし、石原元都知事は昨日の証人喚問で『覚えていない。担当者に一任していた。記憶にないものはない』と主張されています。石原さんのこの発言をどう聞きましたか?」
濱渦氏
「私はその時いないからわからないけれど、たぶん岡田さんはそうおっしゃっているから、説明したというのは説明したのでしょうけど、記憶にないというものは記憶にないです。最初に申し上げたように、そういう体調ですので。でも、傍にいた人は、本当は聞いているかもしれんですよね。陪席している人がいると思いますから」
反町キャスター
「特別秘書ですね?」
濱渦氏
「はい」
反町キャスター
「チーム石原の意思決定はどう行われていたのか。高井さんという特別秘書もいれば、兵藤さんという特別秘書もいた。他にもいっぱいいた。特別秘書の皆さん、都庁の官僚ではない人達、そういう人達と石原さんの間の意思決定というのは、都の官僚とは別の次元で決めていたのですか?」
鈴木氏
「何々奉行と言って、フリーのジャーナリストの上杉隆君が書いていましたけど、濱渦さんもその中のお一人です。それぞれに個性があるし、役目もある。つまり、知事に意見する人もいれば、知事の言う通りに従ってやる人もいる。いろいろなタイプがある。ただ確実に言えることは、浜渦さんは2005年に辞職と書いてありますが、クビを切られたものですよ。そこまでは濱渦さんが副知事でいるから、石原さんも濱渦さんに任せ、濱渦さんがガバナンスというか、それをやっていたわけです。それで濱渦さんがいなくなった。意思の疎通、どうやって決定するのかが結構バラバラになってきたんです。それでランチミーティングというのが始まった。これは毎週金曜日に石原さん、都庁の幹部、副知事も入っています。それから、局長クラス、特別秘書も入って、金曜日にご飯を食べながら情報交換です。何が現在の問題か意思の疎通なしに濱渦さんがいなくなってうまくまわらなくなってしまったから、これができた、こう考えてください。そうすると、仕事の重み軽さがあるけれど、ランチミーティングのメンバーがだいたい石原都政における側近グループと見ていいと思うんですね。そこでいろいろ議論があって、なぜ金曜日かというと、石原さん、その日に石原さんの記者会見があるでしょう。よくあったのはランチミーティングで意見が出た。それを石原さんがいいではないかと会見でポンと言ってしまうということもよくあったと。そのメンバー、つまり、2007年に選挙があって、2008年にベンゼンが出てきた。そのあとに瑕疵担保責任がどうなってしまったのという、そのあたりをこのランチミーティング参加していたメンバーの皆さん、全員から聞けば話が前に進む可能性があります。現在は第3期の人達を外して、その流れをつくったのは、浜渦さんだという1つのストーリーだという中で議論が進んでいるから、結果はどうなるかは別として、第3期の人からしっかり聞く、おそらく見えてくる可能性が高いかなと思います」
反町キャスター
「第3期というと、特別秘書の兵藤さんとか、高井さんとか、副知事も何人か。猪瀬さんも入ります?」
鈴木氏
「猪瀬さんも時期は重なっていますよね」
濱渦氏
「重要な役割をしていると思いますよ」
反町キャスター
「そういう人達が瑕疵担保責任というものを、東京ガスに免除を認めた、その場にいて、その事実を了承しているミーティングにいたはずだということですよね?」
鈴木氏
「いたはずだというよりもその時期の人だから。でも、実際はそこに出なかったかもしれない。第3者がいて、その人がやっていたかもしれない。だけど、少なくとも、石原さんを支える当時の中心メンバーというか、その人達からも話を聞くべきだと思うということですよね」
濱渦氏
「瑕疵担保責任という言葉は私がいる時にありませんでしたので、ただ、政策決定をするのは私がいなくなって、ランチミーティングで、その場で意見集約をしていたのは事実だし、私がいなくなって、就任したのが猪瀬副知事ですから、私の代わる役割を石原知事の傍でやったのは猪瀬さんですから。知っているはずですね」

濱渦武生 元東京都副知事の提言
濱渦氏
「考えたくないね、実際のところは。小池さんの政治手法というのは、現在に限らず、過去大臣をやった時も、前の行政、前行ったことをほじくって、いろいろ言って、改革もありましたでしょう。だけれど、知事は、自分がリーダーシップを持ってものを決めないといけないわけでしょう。オリンピックのこともあーだ、こーだ言いながら、お金を圧縮したのはいいけれども、オリンピックの費用なんて終わってから支払いをして金額が、総額が決まるのを、予算を削ったからって削ったとはならない話ですね、実態としては。この度の、豊洲の新市場の話も築地の方がダメだからなんとかしてくれと言うので出ている話ですから、ダメだったらダメで、豊洲がダメならどうするかというのをはっきり政治姿勢を示さなければいけないと思いますよ。石原さんが不作為と言ったけれども、不作為とか、そんなことではなく、都民ファーストという都民を返上して、自分ファーストと変えてほしいと思います」

ジャーナリスト 鈴木哲夫氏の提言
鈴木氏
「濱渦さんと少し違う見方をしているのだけれど、スピーディにと。この問題は政争の具に使わないで、小池さんは都民から選ばれた知事ですから、この計画をどうするのかというのを、自信を持って、できる限りいろいろなことを調べて、早く、小池さんはキチッと決める資格があると思うんです。だから、早く決める。延ばせば延ばすほど政治に使われる。現に百条委員会も真実を追求するはずなのに、どうもこの場を使って、自分達のアピールに使っているなという質問も出てきたりするわけですよ。だから、小池さんは自信を持ってスピーディに決めるということ。1つ、小池さんの評価するとすれば、小池さんが蓋を開けないと、この話は永遠に出てこなかった。森友学園なども同じような国有地の問題だけれど、いろいろあります。こういうふうにオープンにした。行政はこういうことではいけないよねと、情報公開も含めて、そういうことを開示したというのは、そこは評価していいのではないか。でも、スピーディに、政局に使わないでほしいということですね」