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2016年12月23日(金)
日本国憲法とは『退位』 象徴天皇とは何か

ゲスト

御厨貴
東京大学名誉教授
石川健治
東京大学法学部教授

御厨貴×石川健治 天皇『退位』と日本国憲法
松村キャスター
「御厨さんが座長代理を務める有識者会議は退位を容認する方針で一致したと伝えられています。天皇陛下の退位について、16人の専門家にヒアリングを行ったところ、賛成は8人、反対は7人、見送り1人と、賛否が拮抗していました。また、退位に賛成した専門家のうち、6人は特別法に賛成しました。御厨さん、有識者会議では半数近い7人が反対する中、退位を容認する方向となったのはなぜなのでしょうか?」
御厨名誉教授
「有識者会議ではなくて、いわゆるヒアリング、専門家は数が分かれたという。これは、私達は最初から何対何、だからこちらの勢力が優勢とか、あるいは、時々出たのが拮抗しているとか、そういう形の考え方をとらなかった。最初から。要するに、僕達がやらなくてはいけないのは、最初から賛成、反対が分かれているのは想像がつくんですよ。賛成するにしても方法についていろいろ出るであろうということも想像がつくわけです。だから、それをいちいち人々の数でカウントをしていったのでは、どこまでいったって、おそらく話が終わらない、進まない。それをずっとやっていくと最終的に日本がやるタイプで、両論併記にしましょうとか、両論併記をしたら、我々の任務はないわけですよ。政府としてどう考えていくかということの基本的なことを検討するわけですから、そこにある程度の傾向性をつけなければいけないねというのは、最初から会議の人達が、全ての人達が言ったわけではありませんけれども、気分としては持っていたと思いますね。私が記者会見の度に、これは何対何という数で見ないですよと言ったのは、まずその議論を、全部1つの叩き台、平台に乗せた時に、賛成の議論、反対の議論、結果は違ってもそのプロセスのところでは、天皇陛下への想いのあり方とか、そういうものを含めて、極めて似ている部分があるわけ。最後の結論はご本人達の判断なのだから、だけど、退位に反対だとか。だから、退位に賛成であると分かれるケースは結構あるんです。そうすると、そこだけ見てもしょうがないので、その論理構成、ないしそこにいくまでの、その方達の議論の立て方の部分というものを重視して、なるべく議論を寄せていこうと。実論をしている部分だったら、それを寄せていって、そうすると見えてくるものがあるということをずっと言っていたわけですね。確かにそうは言っても、最終的に退位に賛成か、反対かは大きいことは大きい。退位に反対の方の多くの方は、天皇陛下というのは、現実の陛下ではなくて、ご存在自体が重要なのであると。だから、歴史上、ずっと存在ということできているわけだから、現在の陛下がされていること、特に多かった議論は、陛下の国事行為ではない方、いわゆる象徴としてのお務め。それはご存在を主張される方々はあまり重要ではないと、そこは。そこが僕らから見た時に、アレッと思ったところだったんですよ」
反町キャスター
「陛下のお仕事がたくさんある中で、敢えて2つから取り出しました。国事行為と呼ばれているものと、象徴としての行為があるとおっしゃいました。今、御厨さんが言われたのが、有識者会議の中で専門家にヒアリングをした中での意見でも、いわゆる存在しているだけで、ありがたいです。これが大切なのだという人々は陛下のお仕事としては、ここが大切だという話だと。象徴としての行為、特に我々が注目をしているのは被災地訪問である、戦没者の慰霊というところについてはあまり重きを置いていない?」
御厨名誉教授
「置いていないです、基本的に。要するに、憲法に書いている国事行為だけをやっていればよろしいと。だから、そう読む者は、憲法にも書いていないのだし、これについて、とても全身全霊の務めができなくなったから、今回、退位をしたいというのが、その議論からすると門前払いなわけ」
反町キャスター
「つまり、有識者会議というのは、退位かどうかというより、陛下のお務めというか、お役目というか、お仕事というか、そこの部分が1番大切なことだった?」
御厨名誉教授
「と言うのが、最初はそうであったわけでもなくて、今回こういうことがあったから、いろいろと勉強をしてみると、この象徴としての行為と国事行為というのが明らかに憲法に規定されているか、規定されていないかという違いはある。だけども、陛下自身の象徴としての行為が、いかに重大であるかということをお気持ちの中で相当、強調しておられますからね。それをどう捉えるかというところで捉え方がはっきり分かれるようになっているのは、この16人の方の話を聞いて、わかったわけ。私達が最終的に、そういう意味で言うと、陛下が象徴としてのお務めをなさってきて、でも、いわば全身全霊で務められなくなったからという議論の方に理があるのかなと。もう1つの理由は、多くの世論調査の中で、基本的には陛下に早くお休みをいただきたいということに8割、9割賛成でしょう。陛下自身が国民と共に歩むと言われて、そうすると、我々も国民とともに歩んでおられる陛下というものを直視しないわけにはいかないわけですよ。何度も言うけれど、存在とかそういうもの、もちろん、自由ですよ。だけどそこには生身の陛下がいないわけ。だけど、生身の陛下というのがここにおられるのであれば、お話というのをきちんと考えなければいけないのだと」

『特別法』か? 『恒久法』か?
松村キャスター
「一代限りの特別法の制定が望ましいという認識で一致したということですけれども、この一代限りの特別法になぜ収斂していったのでしょうか?」
御厨名誉教授
「これは、とにかく皇室典範。この皇室典範に手をつけるかどうかという問題。これが非常に難しいのは、皇室典範に手をつけるとなると単に退位の問題のみならず、実はそれ以前に、緊急の問題とされているのは、女性の宮家をどうするのか。それから、もう1つは先の小泉内閣の時に検討をされたような女性天皇の問題とかですね。そういう問題に間違いなくいかざるを得ない。そうすると、そこまで範囲に入れて議論をすると、おそらくなかなか結論に至らないということが、1つありました。だから、できたら特別法という、そのスタイルでやった方がいいのではないかということが事のスタートでした。しかし、それについては批判もこれありで、このヒアリングの中の方でも特別法で処理するというのはおかしいので、これは真正面から典範改正で恒常的に退位できるようにした方がいいという議論は結構、ありました。ただ、我々も多少それを検討したわけです。そうすると、恒久法でやる場合に、こういう場合とか、ああいう場合とか、要件を入れなければいけない。その要件を入れる時に、もし現在やるとしたら、次の天皇がご退位という事態が起きるということを想像しなくてはいけない。その次もだけど、とりあえずは次。そうすると、それを要件に入れて、典範の中に入れるというのは到底できない作業だと。これを入れちゃうと、逆にその規定によって、強制退位の方にいっちゃうとか」
反町キャスター
「そこにたぶん年齢とか、体調とか、様々なそういう状況を巻き込まざるを得なくなっている?」
御厨名誉教授
「高齢であって、要するに、執務に耐えられなくなる状況というのを、それを医学的に書けるかと。無理ですよ、それは個性差によると言われてしまうのだから。個性差によるものをそこに入れられないでしょう。それから、もう1つ、年齢で切る。よく言われているのは85歳で切ると言う話もあったんですよ。85歳定年制とも言われている。ただ定年制と言うと、85歳になったら皆、辞めるのですかと。これは強制退位です。それから、85歳を一応のメルクマークにすると言っても、85歳というのが1人歩きしますよ。そうすると、すごく元気な天皇陛下が85歳になって辞めないではないのかと。辞めた方がいいのではないのと。85歳のメルクマークだからと言ったら、これは強制退位ですから。そういうようなことがあり、今度は逆に年齢条項を入れないで、それでも退位できるような規定にすると、天皇陛下が仮に、もっと若い年齢の時に、ああ、これで自由になりたい、というので退位申し出をするようになれば、これは恣意的な退位を認めることになるでしょう。だから、法文の中に全部、そういうのを書き込んで、そういう恐れのないようにすることを本要件としてやるにはまず難しいという、まだ詰めていませんけれども、少なくとも前回までの詰めで言うと、そういう感じになったわけですよ。だから、これだったら特別法の方が、特別法はその時の陛下の状況に合わせてやりますと。今回みたいにこれだけの支持があって、しかも、誰かが現在の天皇をやめさせようと暗躍をしているわけでもなくて、ご本人が辞めたいと言っても、それは恣意的に辞めたいのではなく、本当にこういう状況で苦衷を吐露されたわけでしょう。そういう状況があれば、初めてそうやって特別法をつくって退位を認めるということができるのではないか。だから、よく言われているように、恒久法にするために時間がかかるからという話ではなく、この要件化のところで引っかかるよねというのが、これまでのところの議論で、これはこれからのところをもっと詰めますけれども。もう1つ、その時に出てきたのは、その分け方を僕らは一代限りの特別法と言い過ぎているのではないか。つまり、一代限りでお終いよと言っているからいけないのであって、恒久法があると、とにかく決めるわけですから退位できるわけです。特別法の方も今度のものができたとします。そうすると、次の天皇が譲位されたい、退位されたいという時には、明らかに今回できた法律が先例になるわけですね。それを参考にしないでやるわけもなくて。これを先例にして続いていくということになるなら、ある種、要するに、今回の1回限りと言わなくても、我々はもちろん、今度の天皇陛下のためにという意味では1回限りですけれども、しかし、そうやって今後起こり得るものに対しても、先例として残っていくのだから、一代限りを無理に言わなくてもこれは適用可能なものではないのかと。その方がフレキシブルに事に対応できるし、その時、その時の、陛下の状況というのは違うと思うし、また、国民世論もその時、その時で動くから、そうだとすれば、そういうところは考える余地を残しておいて、一方でそういう時に、いや、そうすると、なかなか陛下は退位できないではないかという議論もあるのだけれども、でも、陛下が退位と言い出せるのは、よくせきのことですよ。それを認めるというのもよっぽどのことです。だから、そういうことを考えたらそう軽々にもともとなるものではないですから。だから、その時の状況で新しい特別法を決めていくということは、今回、否定はしていませんから、それは。だから、そういうことを展望するみたいな話というのはあるのではないかということは、前回の我々の議論の中でも、大概の方がそれに対して、そうだね、という一致の方向があったと」
松村キャスター
「石川さんはどういう立場ですか?」
石川教授
「御厨さんが、これが1つの先例として今後も考えていくというおっしゃり方をしまして、そういうのであれば有り得ることではないかと。一代限りというのは結局、退位を容認するか、あるいは否認するかということでやれば、退位論を否定する立場ですね。つまり、天皇陛下のお言葉に対して真っ向から否定するという選択になるということが、まず1つあると思う。それから、この問題と言うのは1度限りではなくて、これから繰り返し、繰り返し起こっていくということを私言いたいのですけれども、だとすると1回限りという解決では解決にならないですね。だから、確かにおっしゃったように難しい論点がたくさんありますので、いわば拙速で恒久法をつくりたくないというのは、これはわかるはずですけれど、しかし、長いスパンでこの問題を解決していくということを見通した上での議論をしていかなければいけないのではないかと申し上げたいと思います」
反町キャスター
「御厨さん、先ほど言われた特例法にする根拠として、陛下の個性差という話をされました。定年制を引くのも難しいだろうと。それは85歳になってお元気な、やる気まんまんの陛下がいらっしゃった時にどうするのだと。強制的に退位させるのかという話もありました。先例法という話もありましたが、先例法と位置づけることに関しては、石川さん、それならば、という話だったのですけれども、前の2つ。陛下の個性差があるのではないか。もう1つの、定年制を引くことの論点、これはいかがですか?」
石川教授
「個性差ということではなくて、この場合、自由意思による退位を認めるのかどうかが第1の問題なわけです。それから、2つ目は、仮に自由意思による退位を認めないのであれば、どういう客観的な退位の条件というものが考えられるのか。この2つだと思うんですよ。それでまず前者の方から申し上げますと、象徴の仕事というのはある意味、24時間象徴でいなくてはいけない、極めて重たい務めですね。たとえば、これが一般国民ですと、有権者ということなのですけれども、これは選挙の時だけ働けばいいということになるわけで、業務自体は臨時的、一時的なわけです。だけれど、こうやっていったん引き受けた以上は24時間、生涯かけてというような極めて重いと。そうしますと、これは通常の立憲主義のルールから言えば、重たい分、そこに就任する際の自由意思がポイントなわけですよ。自分で引き受けたのだから我慢しなさいという話になる。だから、天皇のお話に持っていくと、日本固有の話になってしまうので、広く西洋の王室法の話に持っていきますと、王室法における即位とか退位の議論というのは自由意思がフィクショナルであれ、介在しているということを前提にして構成するんです。なぜかと言うといったん引き受けたらずっと引き受け続けなければいけないからですね。有権者は有権者の資格を放棄できないのですけれど、本当に働くのは限られた時間だけ。だから、それでいいと。それとのつり合いでは、あまりに負担が大き過ぎるのだから、自由意思で引き受けたのだということにしなければいけないし、自由意思でやめられるということにしなければいけないというのが、これが西洋の王室法の普通の論理です。それを物差しにして考えますと、象徴というお務めというのは、一時的ではない恒常的なお務めなわけですよね。ですから、それを押しつけるというのは非人道的であるわけですよ。だから、本来はフィクションであれ、自由意思が介在しているのだということにしないと立憲主義のルールとしてはつり合いがとれないということがあると。これは評価の物差しだったと思うんですね。現実に日本の天皇についてそういう設定をするかということではなくて、評価の座標軸として置いておかなくてはいけないということがありますね。そうすると、普通の君主と同じように自由意思による退位の可能性を留保しておかないといけないのではないかというのが1つの選択肢ですけれど。ただ、それが日本の天皇にとって相応しいのかどうか。ここは別途議論する必要があるということですね。憲法の4条で日本の君主というのは統治権に一切関わらないわけです。1つの物差しとして考える必要がある。自由意思による退位を認めないという選択肢になるとすると現状では崩御意外にないわけですよ、退位の条件というのが。しかしそれ以外に、客観的な条件というものがあるのか、ないのかと議論していくことになると、その中で定年制というのは1つのアイデアとして出てくるだろうと思います。要は、自由意思による退位を認めないとなると、崩御だけでというのはいかがなものか。いつかは楽になると、いつかは引退して悠々自適になるという条件を用意しておくことは大事なことになってくるのではないか。私は定年制を主張しているというわけではないですけれど、仮に自由意思による退位を認めないのであれば、そういったアイデアを真剣に考えていかないとつり合いがとれなくなるということがあると思います」

『国事行為』と『象徴の務め』
松村キャスター
「天皇陛下は象徴としてのお考えについて『即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごしてきました』と述べられました。石川さん、どのように感じましたか?」
石川教授
「私は、今回のお言葉を伺って知性の高さに舌を巻いたわけです。知性主義の権化だなと思いましたね。もちろんこれは内閣とか、その他の人とすり合わせたうえでの産物ですけれども、非常に咀嚼してお話になってらっしゃいますから、ご自身はよくよくわかってらっしゃるわけです。まず感じたのは、たとえば、清宮四郎先生の憲法の教科書であるとか、ご自身で憲法の本を読んでおられるのは明らかですね。ですから、その意味では、知性主義の権化だなと思いました。それが第一の印象です。象徴の話なのですけれど、憲法は具体的には国事行為の定めしかおいていないですよね。国事行為以外はやらないと書いてあるわけです。しかし、それでいいのかが問題になったわけですね。今年はちょうど日本国憲法の公布70周年ですけれども、それ以前に人間宣言の70周年なわけですよ。人間宣言のプロセスはなかなかデリケートな問題があるのですけど、現在の目から見ると、現人神であることをやめて、人間であるということをご自身で昭和天皇がおっしゃったという、そういう宣言になっています。人間になってから70年、古希であると。その人間宣言の時に憲法学者がそれをどう受け止めたのかというのがおもしろい話ですけれども、宮沢俊義という東大の代表的な憲法学者ですけれども、この方は別に驚かなかったと。戦前あるいは戦中はどう言われていたのかというと、旧憲法3条で、天皇は神聖にして侵すべからず、と書かれていた。神聖にして侵すべからずというのは、いわゆる天皇機関説の理解では西洋の立憲君主制の標準装備を書いただけで、どんな君主であっても立憲君主であれば、神聖不可侵の条項はあったんです。政治責任と刑事責任と民事責任を免除するという意味合いがあったわけです。そうやって君主の権威を守る、あるいは尊厳を守っていくと。そういう条項として必ずつきものだったんですね。日本も立憲君主制の憲法なのだから、つきものだと考えて読むというのは天皇機関説系統の立憲主義的な憲法学だったのですが、それが1935年に、いわば政治的に倒され、これからはそんなことを言ってはいかん、国体の本義を説けと。そうなると、この神聖にして侵すべからずというのは、神聖と書いてありますように、天皇の神としての性質を言っているのだと。現人神というのは日本民族に固有のあり方であって、ですから、神聖不可侵条項というのは立憲君主制の標準装備ではなく、日本固有の民族精神の表れだという説明に突然変わってしまったわけです。それで1935年から1945年までやってきたと。ところが突然、天皇ご自身で実は人間なのだ、とおっしゃった。これは違和感が当然ありますよね。宮沢先生は、神聖不可侵というのはただの形容詞だと思っていたから我々実証主義的な法学者は何とも思わなかったと。もともとは人間だったのが、形容詞として神聖不可侵なだけなのだ。非常に冷めた、それでいいのかということをおっしゃっていた。ところが、清宮先生の方は、不信を抱いたとおっしゃった。天皇は現人神であるから天皇だったのであって現人神でなくなったら天皇ではなくなってしまうではないか、という反応をされたわけですけれど、両者が非常に対照的な反応を示したと。宮沢先生は天皇機関説を戦後もあてはめまして、天皇というのは国事行為を行う国家機関であると説明したわけですけれど、清宮先生はそこにこだわり続けまして、ただ単に国家機関である前に象徴だ。象徴としての地位がまずあって、そのあと憲法は国家機関として。結局、象徴というものは何らかの価値を目に見えるようにすると。実はこういう形で象徴天皇とかを説明してきたのが、法哲学者で戦前は京城帝国大学で清宮の同僚だった尾高朝雄先生というのは、戦前、戦中、戦後を通じて合理的な天皇論を展開してきた方で。天皇というのは日本の意味的全体性の体現者と。それを優しく言うために苦心して説明を変えてきたのですが、正しい統治の理念の体現者であるとか、あるいは政治の規の体現者であるとか、あるいは戦後はノモス(道徳的観念)というものの体現者であるとか、いろいろな形で説明されたのですけれども、説明は一貫しているわけですよ。それで要は、正しい統治の理念みたいなものを体現する存在が日本の政治には必要なのだと」
反町キャスター
「戦後においてもそういう意見が主流なのですか?」
石川教授
「主流ではないです」
反町キャスター
「政治の実権から離れる形でやっているにもかかわらず、理念の体言化とかはどうなのですか?」
石川教授
「結局、天皇機関説というのは潰されてしまって、立憲主義を支える枠組みがなくなってしまったんです。立憲主義を支えるための新たな枠組みとして、尾高先生は考えられて、当時、天皇が主権者だと言われたけれど、厳密にいうと主権者は天皇ではないと、日本国の理念が主権者なのであって、それを体現するのが天皇であると」
反町キャスター
「それは戦後の議論ですか?」
石川教授
「戦前です。それを戦後も一貫しようとされたんです。それは無理でしょうということで、宮沢先生と論争になりまして、政治的には宮沢先生が勝ったんです。しかし、天皇の説明として説得力があるのかという問題があって、正しい理念とか、政治の規とか、踏み外してはいけない何ものかがあるということを示す体現者として天皇があることで、日本のデモクラシーは良いデモクラシーになるのではないかという説明にこだわった一部の人達がいるわけですよ。その流れを汲んだのが清宮先生で、この局面では通説になって、宮内庁を支配しているんですよ。天皇陛下もこれでお考えになっている。こういうことになっているわけで、国家機関として国事行為をやる前に、象徴としてあるのだと。象徴である以上は、人間が象徴になっている。旗や歌ではありませんので動くわけですね。動くことを通じて象徴性を維持していくということになる。だから、この場合の行為というのは、国事行為という国家機関としての天皇の行為ではなくて、象徴として出てくる行為であるということで」
反町キャスター
「でも、限りなく政治ですよね?」
石川教授
「政治的になり得るので、そこで解釈上、憲法3条を使って内閣が助言と承認をしようと、それで天皇のメッセージが独走しないようにしようとしてきた。昨日の発言もよく考えられていまして、内閣とよく相談して、とおっしゃったでしょう。これは3条を意識して象徴としての行為は決して野放しなのではなく、ちゃんと内閣のコントロールがかかっているのだとおっしゃった。極めて周到ですよね」
反町キャスター
「政治とは離れた存在であるとなっているはずなのに、極めて精緻なシステムの下で、一定の政治的な発信力をずっと持ち続けていると見た方がいいと?」
御厨名誉教授
「政治というか、そういうものはずっと持っておられるでしょう。いろんなところで発言をされることもあり、発言されるのだけれども、最後のところでタグの引っかけはあって、要するに、内閣が保証しているところにあるわけでしょう。現在の陛下はその中で、限りなく自らの活動領域を広げてこられたわけで、活動域を広げることに関して、タグかけをしていた方は一切文句を言わなかったはずです。だから、ここまできっちゃったのだもの。ここまできて、なかなか難しいのは、いくら何でもこれは膨れ上がり過ぎましたと。全身全霊でできませんと言った時に、やってくださいとは言えないし、やめてくださいとも言えないし、タグを引っかけるだけで、そのことについての評価はしないし、見て見ぬふりをすると言ったら悪いけれども、それがずっと日本の統治のあり方だった。そこは非常に非政治的な政治ですよ。結局、私は今回の有識者会議を引き受けた時の感じでもあるのだけれども、国民は一方的に陛下のなさることを、国民としては評価をしたんですね。評価したのだけれども、高齢になって体の動きが悪くなって、高齢者としての陛下に対する配慮を国民の側はしなかったわけです。いつまでもなさってくださるだろうと思って。ところが、今回は私も限界がありますよと言ったわけですね。だから、今回の問題に対して我々が積極的に取り組まなくてはいけないのは国民の側に不作為の責任があるんです。一方的に陛下を享受してきた。しかし、陛下の方は生身の人間ですから限界があると。これはわかっていなかったと言えば?になる。薄々は感じていたはずなのだけれども、そんなことを我々が定義するのはあり得ない、誰かがやってくれるだろうと、そうしたら誰もやらなかった。そうしたら遂に陛下自らがお声を発せられたという、こういう状況ですよ」
石川教授
「2点だけ言わせてください。憲法が想定している象徴というのが国事行為だけを行う国家機関に限定されるのかどうかということですね。そういう問題があると、そうすると、何らかの意味で動かざるを得ない。動かなければ象徴性を保てないのが、日本国憲法の天皇であるという問題が出てきてしまうんですよ。それを封じ込めるかどうかがという問題なのですが、昭和天皇の時は現人神を封じ込めたいという気持ちから、どちらかと言うと、象徴としての動きを徹底的に防ごうというような宮沢流の議論が、それなりに意味を持っていたわけですが、純粋に憲法が想定した象徴として動くということになれば、現在の天皇以降の天皇はまた話が違ってくるかもしれないという論点があるということ」
反町キャスター
「安倍政権になってから、憲法改正の動きが具体的に胎動してきていると。そういう中において陛下は憲法改正の動きに対するアンチとして、象徴としての行為をやらなくてはいけない、こういう意味で言っていますか?」
石川教授
「鋭いご指摘ですね。その点について2つ目の問題を申し上げますけれども、宮沢、尾高と2人の名前を出しましたけれども、宮沢先生はこの議論を突き詰めていくと結局は憲法が想定した多数決による政治が民主制だという議論になるわけです。ところが、天皇の位置づけをもう少し積極的にやろうという尾高説、清宮説の場合ですと、多数決がいいわけではないと。多数決には限界があると、多数決であっても踏み外してはいけない政治の筋道とか、規があるはずであって、それを体現してみせる存在が日本の政治過程にあるということが非常に大事だという議論になるわけです。尾高先生が急逝した時に、清宮先生が手向けに書いた論文が『数と理』ですよね。理がなくてはいけないというメッセージが、実は天皇の積極的な位置づけには込められているということがあるわけですね。多数決の限界ですよね。多数決であれば何を決めてはいいものではないのだということを示す存在が日本にいるということが大事であると。こう考える人が天皇を盛り上げてきたんです、当初から。この問題が現在出てきていると。一方では多数決万能と、あるいは選挙の結果が全てだという選挙独裁主義みたいなものが立ち上がってきている時、これは天皇ご自身の意思によってではなくて、日本国憲法の構造上、相対的に天皇の存在が浮上するようにできているわけです。ですから、天皇が何か政治に関与しようとしているとか、あるいは護憲派であるというようなことではなくて、バランスが偏った時に必ず象徴の位置というのが浮上してくるように日本国憲法は仕組んである。そのことをどう考えるか。浮上してくるものを最初から潰してしまおうという議論も戦後は強かったんです。封じ込めなくてもいいのではないかということに、もしなってくるとすると、天皇に一定の積極的位置づけを、象徴としての、非政治的な、そういうことになると。その手の議論がおのずから浮上してくるように日本国憲法は枠組みとしてできているんですよ。だから、まさにそういうことになるのではないか」
反町キャスター
「埋め込まれているという話だけれど、同じ憲法でも、こちらから見るのとあちらから見るのとでは解釈が違うということもある中で、石川さんの立場からすると、そういうものだと読める話ではないのですか?反対側の人から見たら、陛下のお仕事は埋め込まれていないよと言う人はいないのですか?」
石川教授
「結局、どちらの立場にもあるわけですよ。相対としてこれでいいのかという議論はしなくてはいけません。理の政治の体現者として天皇が浮上するようにつくられてしまっているのも日本国憲法で、これが良くないという考え方はあり得るかもしれませんが、現に出てくるべくして出てきたのだと。出てくるべくして出てきた象徴論として今度は身体的な限界が必ず出てくる。動かなくてはいけないけれど、体が動かないということが必ず起こってくるわけで、ですから、これはこれから先の天皇が全て抱える問題。必ず出てくる問題。だから、1度きりの問題ではなくて、あるいは現在の天皇陛下がわがままをおっしゃっているわけではなくて、これから繰り返し、繰り返し出てくる問題の第1回目と捉えるべきだと」

御厨貴 東京大学名誉教授の提言:『常に象徴の意味を考え続けること』
御厨名誉教授
「天皇陛下にとって必要なのは常に自分自身の象徴としての意味づけは何であるかということを時代に応じて考えて、行動していくと。これはたぶん次代の天皇に移っていっても同じことと思いますので、これを是非やっていただけるといいのではないかと思います」

石川健治 東京大学法学部教授の提言:『“近代”と“憲法”を読み解く』
石川教授
「たとえば、天皇陛下はご高齢でお気の毒とか、そういう話ではなくて、開国以来の日本近代がどのようなものであったのか、その下で憲法というものがどういうものであるべきなのかいう広い視野から問題を捉えて、大局的に議論していく必要があるのではないかということを申し上げたいと思います」