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2016年10月4日(火)
河野洋平・太郎初共演 父と子が語る自民政治

ゲスト

河野洋平
元自由民主党総裁
河野太郎
自由民主党衆議院議員 前行政改革担当大臣

父と子が語る『政治の理想』
秋元キャスター
「まず洋平さんと言えば、新自由クラブ、1976年に反金権政治を掲げ、自民党を離党し、結成されました。そして護憲・リベラルと。憲法の平和主義を重視する護憲派の代表的な存在です。一方、息子の太郎さんの方ですけれど、超党派の国会議員でつくる原発ゼロの会の共同代表を務められるなど、脱原発を主張されていて、親子で、それぞれ筋を通した政治活動をされてきたわけですけれども、ここは似ている、ここは似ていないという部分はあるのか、まずは洋平さんから、いかがですか?」
河野洋平氏
「私にはよくわかりません。わかりませんが、似ているか、似ていないかというよりは、親父の政治行動を見ていたと思います。親父が失敗したところはやらないという用心深さはあるかもしれません」
反町キャスター
「1976年に新自由クラブに行かれた時の年齢は?」
河野洋平氏
「40ですかね」
反町キャスター
「40歳の時というのは、太郎さんは、40歳になった時に親父が離党して、新自由クラブを立てた年だと何か感じる部分はあったのですか?」
河野太郎氏
「親父が初当選して10年目で新自由クラブをやりましたから、40の時というよりは、私、初当選が33の時なので、43になった時に、この年に親父は離党したのだなと。私はよく自民党の異端児とか言われますけど、親父は枠を超えて出て行ってしまいましたから、よっぽど過激なことをやっていた。確かに新自由クラブの、1回目の選挙は大ブームで、それが2度目の時には4人ぐらいに萎んで、あれを見ていて、新党というのは、そう楽ではないなと。簡単ではないなというのは確かに学びましたね。よく自民党からお前は出ないのかと言われるのですが、家族で1人失敗していますから同じことを2度やる必要はないでしょうと」
反町キャスター
「政治家としての歩みですけれども、洋平さんから見て、太郎さんは脱原発とか、自民党の国会議員としては比較的体制に迎合しないみたいな評価というか、評判というのは、これはどうですか?」
河野洋平氏
「よく割と、気楽に使う言葉で、何のしがらみもありません。というようなこと言いますよね。選挙に出て、この人は何もしがらみもなくてとか言うけれども、何のしがらみもなくてやるというというのは大変なことです。本当はね。強いて言えば、この人は何のしがらみもなくやっていると思いますね。それが全部正しいかどうかということにはいろいろ問題があるかもしれないけれども、だけど、誰に言われたから、そうするとか、どういうことでお世話になったから、これをやるのだという話は、この人はあまりしない人ですよね。だから、とっても付き合いにくいと思っている人もいると思いますよ」
反町キャスター
「それは、たとえば、河野さんは派閥の領袖として、仲間を持ち、離党するぐらいだから運命を共にする仲間ができて、それで党を出たり、仲間ができた、派閥をつくって総裁選に出たり、そういうことをされたではないですか。自民党という政党を考えた時にそれなりのポジションに登っていくためには、要するに、しがらみがなければ登れないでしょうということが言いたいわけですよ。そこはどう見ていますか?」
河野洋平氏
「それはしがらみという言葉で言わないですね。主張に共鳴してくれる人。あるいは同じ考えを持つ人が集まればいいので。つまり、何か、貸し借りでいくというのとちょっと違うんです。だから、彼も1人では何もできない。実際は具体的に何かやろうと思えば、1人ではできないので仲間の力が要る。できれば、その過半数の人の理解が必要になるわけですから、そういうことはだんだんわかってきているというと、子供扱いしているように思いますけれど、当然のことながらやっているうちにそうでなければできないなというのがわかってきていると思いますよ」
反町キャスター
「太郎さん、総裁選に出られましたよね?」
河野太郎氏
「野党の時でしたから、こういう時少し自民党を変えないといけないと思った仲間が結構、しっかりとやれと言って応援してくださったというのはあったと思います。それとありがたいのは、地元でそれなりに皆さんに応援をしていただいて、いろんな主張をしても、それは、あいつはそういうやつで、1から10まで賛成はしないけれども、主張するところはちゃんと主張するのがいいから応援をするのだと言ってくださる方が、結構いらっしゃる。だから、多少、そこはお前とは意見が違うけれども、それは言えと、こう言ってくださる方が地元に多いものですから、そういう意味では、主張はしますという、それはある。だから、最初、自民党の議員は原発反対していいのかというのはありましたけれども、だんだんお前の言っていることが正しいかもしれんと言ってくださる方が、少なくとも私の選挙区は、自民党は皆、脱原発みたいな感じになってきているのではないかなと思いますね」

父と子と『生体肝移植』
秋元キャスター
「河野さん親子と言えば、2002年に生体間移植をされていますけれども、そういった手術を通して、親子の絆が深まったということはありましたか?」
河野洋平氏
「それはありますよね」
河野太郎氏
「うちは父が、子供の頃は叱られる前にげんこつでぶん殴られてたという家だったので」
反町キャスター
「お父さんが」
河野太郎氏
「はい。だから、とにかく親父は殴る人というイメージが」
反町キャスター
「護憲・リベラルの家庭で、げんこつなんですか?」
河野洋平氏
「家庭は違います」
河野太郎氏
「それは一方的に」
河野洋平氏
「これは教育問題ですから」
河野太郎氏
「その親父が、手術の前の日に僕の部屋に来てありがとうみたいな、お礼を言われたので。これは人間関係が変わったら、やばいなと、正直思ったのですが、手術が終わって暫くして、あれは金利が戻ってきたようなものだ、というのを聞いて、大丈夫だなと思いました。そこは良かったなという、人間関係が変わらなくて良かったなというのはありました」

『新自由クラブ』と保守政治
反町キャスター
「新自由クラブの掲げた旗というのは、たとえば、きれいな保守とか、新たな保守政治という言葉。今も残っているのですけれど、何を目指されたのですか?」
河野洋平氏
「それは有権者に選択肢を持ってほしいと。つまり、あの当時は自民党以外には、社会党には大変、ご無礼ですけれども、自民党以外には民主主義、資本主義社会を育てていこうと思ったら、選択肢がないわけですね。どうやったって自民党に投票せざるを得ない。だから、自民党がどんなにだらしがなく、あるいは自民党がどんなに横着な態度でいても結局、投票所に行けば、自民党の公認候補に投票するしかなかった。そういう状況の中で、自民党は本当に有権者が何を考えているかということを一生懸命に見るよりも、自分達がどうすると楽にいけるかということに思いがいってしまったような気がしていたんですね」
反町キャスター
「それは、外部、要するに、自民党を出ることによって外部から自民党に対する、警鐘を鳴らす、その役割を果たしたかったのか、ないしは保守、2党論?」
河野洋平氏
「そこに新自由クラブの大論争が起こるわけです。新自由クラブの中で西岡さんという、私の1番のパートナーですね。その西岡さんと2人で、彼が幹事長、私が代表になったのですけれども、ものすごい論争を何日も何日もやり続けたんです、結党のあと。もっと言えば、ひと選挙終わってからですね。ブームが大躍進になる。それは西岡さんは、反町さんが言われたように、我々はこれで自民党に大きなショックを与えることができた。これで自民党の目が覚めれば、自民党に戻ってもいいのではないか、我々の役割はまさにそこにあったのだと。見てごらん、日本中見渡したって、日本の政治を責任を持ってやれる政党は自民党しかいないよと。他にはない。それから、我々がやると言ったって、あそこに行くまでに何年かかるかわからない。と言うことになれば自民党に衝撃を与えて自民党がもう1度、かつての緊張を取り戻した以上は戻っても良いと西岡君が言ったんですね。私は、それは違うと。我々が目指しているのは保守2党論だと。もう1つの保守をつくるのが大事なのであって、恒久的に自民党に緊張感を与え続けていく。国民に、有権者に選択肢を与えて、向こうがダメなら、こちらという、もう1つの保守をつくるのが大事だ。ここががんばりところではないかというので代表と幹事長は連日、連夜、大激論になったんですよ」

『新自由クラブ』の教訓
反町キャスター
「新自由クラブができる時というのは、金権政治とか、党の体質とか、政治体質とか、手法を批判して出られた部分があったかと思います。その時の、具体的に名前を挙げられたかどうか別にしても、田中角栄的な政治を批判して出られたと僕らには見えます」
河野洋平氏
「それはあります。ロッキード事件があって、田中逮捕なんてこともあって。ロッキード事件なんかは離党の引き金になったことは間違いないですね」
反町キャスター
「当番組でも田中角栄はどんな人だったのかみたいな振り返りの番組を放送するとか、本などもいっぱい出ているではないですか。河野さんから見て、ブームとまでは言いません、でも、田中角栄という人間に対する見直しというか、興味が世間で沸いている。どう見ていますか?」
河野洋平氏
「田中さんを知っている人はほとんどいないですからね。だから、出版とか、そういうもので虚像ができている部分も多いと思いますね。ただし、私はよく存じ上げていますから、政治的には異常なぐらい能力のある人ではあったけれど、あの人の政治家としての責任は大きなものがあって、決して田中政治を褒めるわけにはいかない。田中さんの実績を褒めるわけには、私はいかないと思いますね。ただし、人間としては面白い人であるということは間違いないと思います、人間としてね。今まで私が一番苦労したのは、新自由クラブを結党するにあたって自民党を離党する時ですよね。自民党離党の時に、先輩からいろんなことを言われて、引き留める人もいれば、励ます人もいれば、いろんなことがあったのですけれども、今でも記憶に残っているのは3つあるんです。1つは石田博英という人ですね。石橋湛山内閣をつくった知恵者と言われた。早稲田の先輩ですが、石田さんから私は呼ばれて、君、何かやるようだな、何かやるなら、お前に言っておくけれど、短期決戦で何かをやろうと言うなら、いろいろな悩み事、多少の矛盾を抱えていたとしても短期決戦ならそれを飲み込んで突っ走れと。しかし、長期戦でいこうというなら、そういうものは全部、皆の前に吐き出して、皆で議論をしたうえで、納得して走らなきゃダメだぞ。だから、短期決戦でいくのか、長期戦でいくのか。それによって勝負の仕方が違うんだよ、ということを石田さんから言われた」
反町キャスター
「その時はどちらだったのですか?」
河野洋平氏
「長期戦だったんです。長期戦だったんですけれども、そういうことが1つありました。それから、もう1つは、田中角栄さんです。私は直接会いませんでしたが、その時は田中批判をやっているわけですからね。大変な田中批判をやっている時ですけれど、我々、離党した6人の中には2人、田中派の人がいたんです。この人はよく勇気を持って田中派を離脱して、離党までいかれたと思いますけれども、その人達が、田中さんに最後、自分はこれで離党する決心をしましたからと挨拶に行くんですね。挨拶に行くと田中さんは、いい歳をして立派な政治家がいろいろ考えてやるというのだから俺は止めない。しっかりやれと言って励まして、河野に言っておけと。6人か7人の小さな所帯だから朝に晩に一緒に集まって飯を食えよと、それをよく言っておけよと言われましたと言って、私に託がありました。角さんの託。もう1つは、名前は忘れましたが、三井三池炭鉱のストがありました。大変な規模の大ストライキでした。三井三池の炭鉱ストの指揮を執った組合の委員長のセリフで、目の前の敵と戦うのは自分の持っている力の4割、40%だよと。あとの60%は自分の後ろにその力を使えと。つまり、身内に使えと言うわけですね。敵と戦うのは4割の力だと知れというセリフがあるんですよ。それが私に伝わってきた。3つとも私は笑い飛ばしたというか、軽視しましたね。そんなこと言ったって、6人でね、今日、私は北海道に行くから、あなたは九州行ってください、あなたが大阪の大会に行くなら私は金沢に行きますからと。1日どころから1分も惜しんで、手分けして飛んで歩いているわけですから。朝に、晩に飯を食えと言ったって、集まることは1週間に1回あるかないか。下手するとなかったでしょうね。それから、短期か長期かと言って、極端なことを言うと、やってみなければわからないわけですよ。とりあえずは短期だけれども、しかし、戦いはずっと続くわけですからね。石田さん、先輩の言うことはわかるけれども、そんなことは言っていられない。ただし、とにかく当面やらなければいけないから、飲み込んで走る以外にない。それから、目の前の敵と4割、身内に6割と言うけれども、目の前の敵と100%で戦わなければ、戦えないわけですから。全力で目の前の敵と戦わなければならない、とやったわけですけれども、1年、2年後にはまったく先輩のアドバイスはその通り聞きましたね」
反町キャスター
「たとえば、最初の総選挙で躍進したあと、西岡さんと深刻な路線論争があったという話。河野さんが飲み込まずに吐き出して、戦い、朝に、晩に、飯を食っていて、敵に4割、身内に6割という配分のやり方をやっていれば、西岡さんとの関係は…」
河野洋平氏
「それはうまくいったと思います。それは第一にこういうことがあったんですね。先ほど言われたように、自民党の体質を批判して離党をするわけですけれども、新党をつくる以上は、政策綱領が必要だろうと。それから、政策の合意。仲間うちの合意が必要ではないだろうかということを、どうも最近の新党は政策綱領なんてない新党がありますけれども、私達は律儀で、それで箱根の旅館に2日、3日、籠って、いろいろな議論をしたわけです。その中で憲法論争もやりました。それから、外交問題もやりました。すると、憲法は、私は護憲だと言うけれども、仲間うちには護憲でいけるかい?という思いがあるわけですよ。特に西岡さんは、護憲で、河野さん、どこまでいけるかなと。直すべきところは直さないとダメなのではないかと、彼は当初、言っていたのですけれども、私が護憲だと言ったものだから、彼は途中から、わかった、憲法については国民の議論を待とうと。国民に憲法問題についての議論を巻き起こすようにやろうということで、護憲か改憲かという議論はしまっちゃったんです。そういう妥協があるんですね。外交問題についてもいくつかの妥協をして、風呂敷に包んで政策綱領を出したわけです。それはすぐにほどけちゃうんですよ。綻びちゃうんですよ」
反町キャスター
「でも、妥協しないとまとまりませんよね?」
河野洋平氏
「そうです。だけど、そこで徹底的に議論をして、どちらか議論、論争で勝った方が引っ張っていけば良かったんだけれど、途中でまとめたわけです。それは古い党の体質があったのかもしれませんね」
反町キャスター
「自民党的な、自民党総務会とは言いませんけれど、とりあえずくるんで進んでいこうという。そういうところがあった?」
河野洋平氏
「そうではないかと思いますね」
反町キャスター
「新党立ち上げ、ないし新自由クラブの立ち上げの経緯とか、そのへんの苦しい思いとかというのは、僕はここで聞いていても、政治の記者の端くれにいる者としてはすごいなと思って聞いている話ですけれども、そういう話というのは、太郎さんにはされるのですか?こういう時はああなんだよという。出るのだったら、こうしろみたいな、出るとは言いませんけれども」
河野洋平氏
「断片的には聞いているかもしれないけど、あまり体系的には」
反町キャスター
「太郎さん、この話を河野さんから聞いた?」
河野太郎氏
「まったくないですね。何もないです。ただ、新自由クラブの時には『拍手は要らない』と親父が書いた本があって、ちょうど中学校だったんですけれども、読んで非常によくわかって。だから、自民党というのは、敵だと思って育った。気づいたら自民党にいますという」

憲法改正と安倍政権
秋元キャスター
「安倍総理は、先月26日の所信表明演説で、憲法改正について、憲法はどうあるべきか。その案を国民に提示するのは国会議員の責任だ。与野党の立場を超え、憲法審査会での議論を深めていこうではないかと強調されているんですけれども、衆参で改憲勢力が3分の2を超えている中、河野洋平さん、安倍政権、このまま憲法改正に突き進んでいくと考えますか?」
河野洋平氏
「憲法改正の議論は、これもちょっと納得がいかないんです。それは今、国民の中で、現行憲法に何か不自由があるのでしょうか。国民が、現行憲法で、これがうまくいかないのだよという、不自由と言いますか、不満、不十分だという気持ちがあるだろうかと。そういうものがあって、あるんだよと、それがあって、それが吹き出てくるのだと。その圧力がすごく強いよというなら、これはやったらいいですよ。だけど今、現行憲法で不自由だから、この憲法では困るんだよと言っているようには私には聞こえないんですね。環境問題で憲法が十分でないとおっしゃる方もあるけれども、それでも憲法には書いていないけれど、法律でそれはクリアしているわけですね。ほとんど不自由がないように私には思えます。それなのに国会の特別な何人かの人が、意欲的で、憲法改正やろう、憲法改正やろうと。よくよく聞いてみると、どこをやるかについても国民に聞いてみるのだと言うのですから。これはちょっと憲法改正論としてはやや不純ではないかという気が私はするんですけど」
反町キャスター
「不純とはどういう意味ですか?」
河野洋平氏
「いや、自分の私的な気持ちを満足させるためにやっているのではないか。たとえば、お爺さんがやっていたからとか、あるいは自分の名を残したい、そんなことで政治的な労力を使ってはいけません。もっと政治的にやらなければいけないところがたくさんあるのですから」
秋元キャスター
「外交とか、安全保障の面で、国民から不自由が出てくるという事態はちょっと手遅れのような気もしちゃうのですけれども。そのあたりはいかがですか?」
河野洋平氏
「何かありますか、心配が?」
秋元キャスター
「国民からそういう声が出てきた時というのは…」
河野洋平氏
「私はそうは思わないですけれどね」
反町キャスター
「現行憲法でやっていける。河野太郎さんはいかがですか?」
河野太郎氏
「たとえば、憲法の私学助成のところで、公の支配に服さない教育に公金は出してはいけませんというルールがあるのですが、普通に読んだら、私学助成ダメだよねと。ところが、文部省はそれを自分達の都合のいいように解釈して、学校法人には出してもいいけれども、株式会社がつくった学校には出してはいけないですよと。都合良く憲法解釈をしている部分があって、こういうものは国民からふつふつとは沸き上らないけれど、変なところで教育にねじれを生じさせている。だから、そういうものは解消をして、公の監督に服さないものはダメよと直せば、それは株式会社立の学校にも出せるようにもなりますから、そういうファインチューニングはやるべきだと私は思います」
反町キャスター
「9条についてはどう考えますか?」
河野太郎氏
「9条は自衛隊をしっかり位置づけたらいいと思いますね」
反町キャスター
「そのぐらいの改正というのはあってもいいのではないかということ?」
河野太郎氏
「そこは、自衛隊というのはかなり世の中に定着をしてきて、しっかりと支持をされている。しかし、あの9条を普通に日本語で読んだら、あれ、自衛隊はどうなるのという議論を、何だかよくわからないガラス細工を積み上げたような憲法解釈で、ここにはこう書いてあるけれども、これはこういうふうに理解をするのだと言って教わらないと理解できない9条というのはあまり良くないと。だったら、あそこの中に国を守るために自衛隊を置きますということをしっかり書くというのは、私はやった方がいいのではないかと思います」
河野洋平氏
「実際の仕事をしてみると、そこはそう簡単ではないと思いますね。つまり、今の9条がここできちんとしているから、確かに彼が言うように9条を、少しオーバーフロートして出ていますね。実態があるとか。それは実態があることも認めなければいけない。実態があることは認めるけれど、その実態があそこで止まっているのは9条がそこで止まっているからですよ。実態に合わせて9条がそこまで進めばさらに進みますよ、事態は。そうではなくて、今の9条は、9条としてきちんと、これはそれなりの歴史、必然性があって9条というのがあるのですから。あの9条を動かさずに、自衛隊は確かに今の存在というのはあるのだけれども、国際的に見ても自衛のための必要最小限度の力ということで、国際社会が認める存在ですから。だから、それはこの9条をきちんとして、その外側に出てしまっているかもしれないけれども、これがある限り、これ以上は進まないという、碇の役になっている。これを実態に合わせた方がいいと言って、9条をこちら、実態に合わせて進めれば実態はさらに進むと思いますね」
反町キャスター
「前回も聞いて、今回、もう1回、聞かせてください。自民党の党是って自主憲法制定ですよね。その総裁を務めた方ですよね。矛盾と言っていいのか、いけないのか、そこですが」
河野洋平氏
「そこはあまり乱暴に議論はできないと思います。自由民主党という政党は、自由党と民主党が合併してできたんです。自由民主党というのは最初のところで吉田自由党、鳩山民主党。自由党の吉田さんは護憲論ですよ。民主党の鳩山さん達は改憲論ですよ。どちらかというと戦前派の議員がいっぱいいたわけですから。それで1つにしようというので、そこは激しい議論をしていたというのは資料で残っていますね。その結果、できた自民党です。ですから、3つぐらい大事な文書があるんですね。政策綱領とか、立党の精神とか、何とか。その中で自主憲法制定というのはちらっと書いてあるだけですね。私に言わせれば。それはそんなに、あんなに我が党の精神は自主憲法制定だと言って、拳を振り上げて、飛んで歩くほど、書いてあるわけではない。しかも、政策綱領はその後、20年、30年、40年でずっと政策綱領を見直して変わっているわけですよ。その変わっている中で、私が自民党総裁だった時には、党の文書をつくる責任者を後藤田正晴さんにお願いをして、後藤田さんがしっかり、そこはハンドリングをして、国民の議論に待とうと。国民の理解が必要だという文章に変わっているんですよ。それをそのあとさらに変えているところがあるのだけれど、1本でずっと自主憲法制定で自民党はきたわけではないです。ですから、それはそれぞれの時代に国民が何を望んでいるか、あるいは何か不安があるか、あるいはこういう新しい国家像というものを求めているか。そういうことをよく聞いて、考えるべきであって、とにかく我々がやるのが自主憲法制定だと。そればかりで自主憲法制定が何ですかと言うと、あまりよくわからない。苦し紛れに自民党は何とかかんとかというのをつくっているけれども、その自民党の憲法草案たるや、おそらく支持する人は少ないだろうと言われている。そういう状況下で、憲法論争というものをやる余裕があれば、もっと緊急性の高い政治課題があるのではないかと、私は思いますけどね」

政治改革と小選挙区制
秋元キャスター
「ここからは選挙制度改革について聞いていきますけれど、現在の衆議院の小選挙区比例代表並立制は1994年1月当時、自民党総裁でありました河野さんと細川総理との会談で導入が決まりました。小選挙区300、比例区200などが柱ですけれども、河野洋平さん、この当時どんな想いで、この導入に合意されたのですか?」
河野洋平氏
「当時は残念ながら政治不信が大変高まった時期でした。いったん収まっていたのですけれども、政治資金にまつわるスキャンダルが次々に出てきて、党の副総裁の大きなスキャンダルがあって、自民党は政権の座から降りるというところまでいったわけです。自民党が野党になる。その後、政権を獲ったのは細川内閣。非自民8党会派の連立政権ですけれども。その連立政権は、8つの会派が1つになったのは唯一、反自民というか、非自民ということだけで一致したわけですけれども。非自民で一致した連立政権は、政治改革をやるということが唯一の目的みたいな格好になって、予算の成立を横に置いてまで、政治改革をやるということで、永田町というか、国会を取り巻くものすごい渦が政治改革をやらなければダメだと。労働組合から、あらゆる団体が国会を取り巻いて、シュプレヒコールをする、あるいは政治臨調というのができて、それに財界人がトップになるとか、学者、評論家、皆出てきて、とにかく政治改革やれと言うわけです。わかりました、政治改革をやりましょうということだったのだけれども、それで政治改革はどこをやるのですかと言ったら結局、唯一、小選挙区制、選挙制度を変えること。それが政治改革と。それは私は必ずしもそうとは思いませんでしたけれど。とにかくそうだというわけですね。それで他に何を言っても、小選挙区にイエスかノーかと。その1点ですね。自民党の党内も真っ二つ。どうにもこうにもいかないような真っ二つ。そういう状況で、連立政権もよくよく見れば、社会党は小選挙区には反対、それ以外は賛成。向こうもぐちゃぐちゃで、そういう中で、しょうがない、これはやらざるを得ないなと思って、細川さんといろいろやりとりをして、随分、ああだの、こうだのやったのですけれども、最終的に、トップ会談をやった時には、自民党が出した案を細川さんもほとんど丸呑みですよね。全部呑まれちゃったら、やらないわけにいかないですから。そうしようということだったのがこの案ですね。政治改革法案の合意でもう1つ大事なことは、企業・団体の献金。政治献金ですね。それはやめると。その代わり政党助成をするという、これが1番大きな、ある意味で、政治改革だったと思うんですね、今にして思うと。だから、小選挙区制の導入と政党助成金、公費による政党助成と。この2つの政治改革があそこで行われたわけですけれども。私は細川さんと手を握りましたけれども、この結果何が起こったかというと政治の劣化、最近に至っても、公費による助成を受けながら、企業献金は相変わらずもらいっ放しという、非常に残念な政治状況だと思っています」
河野太郎氏
「小選挙区になったから政治が劣化したかと言うと、中選挙区の時には3人の自民党の中で誰を選ぶのですかという、意味のない選挙だったわけで、それに比べると、この10年で2回、政権交代が起きているというのは、私はこの選挙制度は機能しているのではないかと」

『慰安婦問題』と日韓関係
反町キャスター
「慰安婦問題について」
河野洋平氏
「昨年、安倍さんが合意をして、この問題決着をつけるという決断をされたことは、私は非常に評価しているんです。そういうやり方はとりたくないとおっしゃっていた安倍さんがここは合意をして決着をつけようという判断をされた立派な決断だったと思いました。その決断で外務省はこれで不可逆的にはならないよと。つまり、戻らないのだよということを、繰り返し念押しをして、それで合意ができて、10億円を渡して、その10億円の配り方については、韓国側が主体的に韓国側の判断で配る方法などを決められた。それでいいと思いますね。問題は総理のお詫びの手紙をつけろとこう言ってきたわけですけれども、個人的に今の国会のやり取りを見ていて、毛頭ないよとピシャッと言われた。戻らないと繰り返し言ったではないかという気持ちがきっとあるから、それが言葉に出たのでしょうけれど、私は慰安婦の人達の気持ちを癒し、和解をするための作業をしているのだと言うならば、そこはもう少し言い方があったのではないかと。歴代総理がお詫びの手紙をつけているわけですよね。そういうことまで考えれば、癒して差し上げる、お詫びをしようという相手方に対する態度としては、毛頭ないよと言い切ってしまうのは、言葉がきついけれど、人間性の問題かなと思いますね。もっと寄り添った言い方もあったかもしれない。もちろん、日韓の政府レベル、外務省同士の事務的な合意からすれば、確かに合意の外ですから、それはこれしかやりませんと言うのなら、やりませんと言ってもいいですけれども、言い方があったのではないかと思うんですね。安倍政治というものにもう少し愛情がほしい、温かみがほしいと、かねてから私は思っているところです」

河野洋平 元自由民主党総裁の提言:『人を先に己を後に』
河野洋平氏
「これは、昔、坂田道太という文部大臣がおられましたが、坂田先輩から諭された言葉ですね」

河野太郎 自民党衆議院議員の提言:『独立独歩』
河野太郎氏
「あまり群れないで、きちんと主張するところは主張できるという人が集まると強い自民党になるのではないのかなと思いますし、独立独歩というのは、常に自分でもそうなければいかんと心がけていることでもあります」