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2016年8月11日(木)
陸海空元幕僚長が語る 戦争の教訓と戦後の平和

ゲスト

火箱芳文
元陸上幕僚長
杉本正彦
元海上幕僚長
外薗健一朗
元航空幕僚長

陸海空元幕僚長 『戦争と平和』
秋元キャスター
「先の大戦の反省と教訓は、自衛隊という組織にどのように活かされているのかを聞いていきます。まずは旧日本軍が、当時の日本でどのような存在だったのか、人員、予算面から見てみますと、旧日本軍は、陸軍がおよそ547万人、海軍が242万人という規模でした。当時の人口がおよそ7200万人でしたので、単純計算で9人に1人が兵役に就いていたということになります。また、当時の軍事費は太平洋戦争末期、国家予算比の85.5%と日本の持てる力のほとんどを軍事に注いでいたことがわかるわけですが、火箱さん、ここまで国の力を注ぎこむことになった先の大戦の方針をどう見ていますか?」
火箱氏
「今と全然時代が違うと思うんですね。その当時、明治の時に建軍をし、陸海軍をつくった。その時には、基本的にはソ連というか、ロシアですね。ロシアという国が非常に脅威になってきて、日本の独立というものが危うい状況になってきた。その時、自衛の戦いということで日清、日露と戦って、そのうち第一次世界大戦で、領土が太平洋にも拡大したという状況で、満州というところにも拡張していったということで、日本の領土というのが相当な部分で、大きい状況にある。今度は、それを守るという形になると相当な人員と、それから、陸軍、海軍の力が必要だということになると思うんですよね。そういう中で、いろんなところで西洋列強との権益がぶつかったということで、先の大戦というのは、政経、それから、外交が行き詰ったと。こういったものが最終的には生じてきたと捉えているんですけれども。最後はそれを力の行使によって解決をしようとした。このところで最終的には敗戦になってしまったという、大きな流れではないかと思うんです。それは非常に反省すべきところが多々あったと思うんです。先の大戦の教訓というのは力によって外交やこの行き詰まりを解決しようとしたというところに、最終的には負けたという、私は自衛官ですので、勝った、負けたというのは、負けたというのが1番大きな要素ですね。負ける戦をするというのが、これは1番、私は反省すべきだということですね」

戦争の教訓と『自衛隊』
秋元キャスター
「そうした苦い経験のもと、戦後、自衛隊が発足したわけですけれども、その経緯もおさらいしておきます。敗戦によって日本は武装解除されたわけですけれども、そうした中、1950年に朝鮮戦争が勃発します。これを受けてGHQのもと国内の治安維持のため警察予備隊と海上保安庁が発足します。翌年には、サンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約が調印され、日本は主権を回復します。これを受けて翌1952年に海上の緊急事態対処のために、旧海軍経験者を中心に、海上警備隊が海上保安庁の中に設けられます。その後、警察予備隊と海上警備隊を合わせて保安隊が発足し、1954年には、保安隊に直接侵略への対処を任務に付け加える形で、陸・海・空の自衛隊が発足しました。杉本さん、先の大戦の教訓、戦後の自衛隊にどう活かされていると考えていますか?」
杉本氏
「戦後の先の大戦の教訓として1番活かされているのは、大東亜戦争の前、統帥権の独立、あるいは内閣の制度、いわゆる現役武官制度。そういったことによって非常に政治が混乱したと。政府として混乱をしたと。そういった現在でいうところのシビリアンコントロール(文民統制)というものが戦前は無視をされたと。それが、戦後、防衛庁、自衛隊が発足する時に、いわゆる文民統制、シビリアンコントロールということで教訓が活かされたのかなと。それと陸軍、あるいは海軍が大本営という組織をつくりましたけど、連携がうまくあまりいかなかったのかなと。従って、陸・海・空の幹部を目指す防衛大学校で4年間の生活をするという、防衛大学校の創立も教訓として活かされているのかなと思います」
反町キャスター
「確かに、防衛大学というのは、陸・海・空の全ての行く人が集まって、アメリカだと陸軍士官学校、海軍士官学校、空軍士官学校、別々です。これはまとまっていることによっての大きな違い、実際にどういう効果が表れているか。感じる部分はありますか?」
杉本氏
「それは東日本大震災の時、統合幕僚長が、私の2年先輩の折木さんという人。陸上幕僚長が火箱君、海上幕僚長は私、航空自衛隊は1つ下の岩崎君が航空幕僚長でした。お互い防衛大学校の生活の4年間の中でダブっているわけですね。そうすると、統合幕僚長、折木さんは今こういう考えだろうな、この人の性格はこうだからと。そこまでだいたいわかるわけですね。火箱君は、私に対し、たとえば、北海道の陸上自衛隊員を運んでほしいと。それはすぐ電話でかかってくる。それは普通、幕僚を通じてどんどん上がってくるのではなく、来るわけですね。従って、現在、輸送艦はここで使っているので、送るには1週間待ってくれとか、そういう話がすぐできる。そういう雰囲気がある。そういうことが1番、同じ4年間、防衛大学校の釜の飯を食べたということはメリットがあったと思います」
秋元キャスター
「外薗さん、先の戦争の教訓というのは、たとえば、教育指導の場では、防衛大学校ですとか、自衛隊でどのように活かされていますか?」
外薗氏
「先の大戦の教訓という形で、防大とか、幹部学校での教育の中では結構、部隊運用という形、それから、指揮統率という形で、まとめた形で、教訓的事項を学生に教育しています」
秋元キャスター
「再軍備に対して理解が十分でなかった時代に創設された自衛隊ですが、吉田茂元総理は、自宅を訪問した防衛大学校1期生にこのような言葉を送っているんですね。『君達は自衛隊在職中、決して感謝されたり、歓迎されることなく自衛隊を終えるかもしれない。きっと、非難とか、誹謗ばかりの一生かも知れない。御苦労だと思う。しかし、自衛隊が国民から歓迎され、ちやほやされる事態とは、外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。言葉を換えれば、君達が日蔭者である時の方が、国民や日本が幸せなのだ。どうか耐えてもらいたい』といった言葉をかけたということですけれど、火箱さん、あらためて自衛隊の幹部を目指す1期生の若者に向けられた、こういった言葉をどう受け止められますか?」
火箱氏
「それは、私が防衛大学校の副校長みたいな幹事という職をした時に、いろいろ調べまして、我々もこの学校をつくったのは吉田茂だということ、ずっと前から承知していたんですけれども、そういう言葉が残っているということを勉強しまして、私は素直に、あっ、私どもの先輩の、1期生以下の先輩達は、こんな気持ちで、ずっと平和を願いながら、いつも下支えの中でやっていたんだなと思いました。それで黙々と国民、国のために働くのだということを思いました。若い時に、ポンとそれを聞いた時に、お前、日陰者でいいという、いい気分はしないのですが。だけれども、よく考えてみますと、これは本質を突いている話だなと思いました」
杉本氏
「この言葉は、私が防衛大学校に入った頃は18期生ですので、人づてには聞いているんですけれども、逆に、我々が入った時は、税金泥棒とか、そういった言葉を、町を歩いている時、電車に乗っている時に言われることはなかったんです。だけれども、1期生から10期生ぐらいまでですかね、そういう言葉をかけられた、税金泥棒と。そういったことに対して、吉田茂総理も当時、いろんな意味で耐えてもらいたいと言ったのかなと思いますね」
反町キャスター
「納得できますか?」
杉本氏
「言われた若い時は、何でという話になると思うんですね。国を守るという崇高な使命のために、この大学に入ってきて、それで訓練をしてという、自分が努力したことを使わない方が、君達、日本の国民に対していいんだよという話、表面的になりますからね。だけど、深く考えると自衛隊が表に出るといった時は、日本が大規模災害に遇うとか、あるいは安全保障上の危機に立っているとか、そういったことなので、我々が、表に出る機会がない方が日本にとっては平和で、安全だということだろうと思います」
外薗氏
「私がこの吉田茂総理の1期生に対するメッセージに接したのは確か一等空尉で、幹部学校の学生の時に先輩から聞いて、コピーをいただいた覚えがあるのですが、どの国でも国が平和である時というのは、軍隊は厄介者扱いされるというのはだいたいそういうことなんですね。そういった意味では、自衛隊が国民から邪魔者扱いされるような状況というのは国が平和な時で、国民が幸せな時だと。そういう吉田総理のご指摘というのは、正鵠を得ていると私は思いました。ただ、一方で、これが自衛隊としての立場、逆に言えば、完全な国の軍隊という立場ではなくて、もう1つ違った、自衛隊という立場におって、この平和な時に耐えなさいということはやや違和感を覚えていました。と言うのは、1951年にサンフランシスコ条約の調印をして、まさにその時に米国は日本に対して再軍備しないのかということを打診したわけですね。それを吉田総理はまず経済の発展が最初だということで、当面は自衛隊のままで軍隊にはしませんと。ただ、装備は軍隊と同じですけれども、そういう決断をされたのですが、その状況が現在になっても続いているということを考えれば、その時点の判断には、私は1つ、問題があったのではないかと。現在の時点で考えれば、という感じがします」

『特攻』の教訓と『命』
秋元キャスター
「旧日本軍では国を守るためとして多くの命が失われました。その教訓はどう活かされているのかを聞いていきます。まず命を懸けて国を守った象徴的な事例として挙げられるのが特攻です。いわゆる日本軍の戦死者、およそ230万人。様々な集計の仕方があるんですけれども、戦死と前提とした体当たり攻撃、特攻を敢行し、亡くなった方々がおよそ6400人とも言われています。火箱さん、大変多くの若者の命が失われたこういった歴史をどう受け止められていますか?」
火箱氏
「止むに止まれず、亡くなった、こういう最後、何もない状況になってきて、国を守る時に本当の苦肉の作戦として特攻をやったわけですけれども、人の命を懸けてやるということはたぶん当時の軍隊も、軍人によって、後の後ろの国民、国家を守らないといかん。国民を守らなければいかんという一念で最終的にやった。その気持ちはいいですけれども、これは、特攻、人の命を死に投ずる。確実に死ぬわけです。これは、私はやってはいけない。二度とそういうことはやってはいけないと思います。ただ、やっていく人達は、国の将来を心配しながら、俺達が盾になっていくという尊い気持ちだと思います。だから、政治家や軍の命令者としてはやってはいけないですけれど、ただ、行った人達の気持ちというのは、非常に純粋な気持ちがあったのではないのかと私は思うので、是非そういう英霊に対しては、日本国民とともに、その方達に対しては、英霊を弔うということは是非やらなければならないと思います」
反町キャスター
「外薗さん、特攻と言うと、航空特攻が主な形になるんですけれども、命の軽視という批判も一部にはある、その特攻に対する評価、教訓。戦後の自衛隊、特に航空自衛隊においては何か引き継がれている批判、材料として、教訓としてありますか?」
外薗氏
「まず特攻に関しては、特攻に至った経緯、大きな経緯というのは負け戦の中で、何とかして立ち直るという、起死回生ではないですけれど、そういう捨て身の戦法に近いような状況であったと思います。その中でも、しかし、指揮官によっては、美濃部正海軍少佐の芙蓉部隊のように、飛行隊長として、特攻には行きませんと。我が部隊は、夜襲で敵をやっつけますということで、それを貫き通したという事例もあるわけですね。これは一律にやったわけではなくて、指揮官としては、そういう特攻という手段をとるだけではないと人もいたというのも事実だと思うんです。そういった意味で、特攻の教訓を、航空自衛隊が現在の時点でどう活かすかという話になりますと、私は特攻というよりも訓練中の事故。これは自ら死を覚悟して行くわけではないけれども、戦後の航空自衛隊の中では、ほとんどが事故で死んでいるということで、いわゆるパイロットの命を大事にして、無駄死にさせないという思想は徹底して継承されていると感じています」

『シビリアンコントロール』
秋元キャスター
「かつて日本が戦争に突き進んでしまった背景には当時の軍部の暴走があったと言われています。太平洋戦争開戦時の東条内閣の顔ぶれですけれど、陸軍軍人であった東条英機総理大臣はじめ、7人の大臣が軍部の出身者で占められていました。軍部を最終的に指揮する統帥権は天皇にあったわけですけれど、軍部の暴走は止められなかったということでした。外薗さん、この開戦時の政治体制をどう見ていますか?」
外薗氏
「開戦の直前の日本の政府は東条首相をヘッドとして、軍人が率いていたというのが事実なわけですね。日本だけが特殊かと言うと、目を転じれば、ソ連はスターリン、軍人です。それから、ドイツはヒトラー、軍人。イタリアはムッソリーニ。中国は蒋介石と、だいたいこの時期の、いわゆる戦争華やかなというか、戦いが盛んな時期というのは、どうしても政治は軍人の声が強くなるというような傾向があったのではないかと思います。これは決して良いことではない。まさにシビリアンコントロール、軍人は政治のもとに、コントロールを受けて任務を粛々と遂行するという形が望ましいと思いますけれど、時代を経て、戦争が終わって現在を見ると、時々、軍事クーデターが起きる国はありますが、現在は世界全体にシビリアンコントロールという考え方が定着していると感じています」
反町キャスター
「今、外薗さんが言われたシビリアンコントロール。文民統制ですが、外薗さんの考えるシビリアンコントロールというのは政治家が軍をきちんとコントロール下に置く。行くのか、行かないのか、どういう活動をするのかというのが、国民によって選ばれた政治家の指揮下に完全に置かれること。こういう理解でよろしいのですか?」
外薗氏
「おっしゃる通りです」
反町キャスター
「その状況というのが、たとえば、現在の日本においてきちんとできているのかどうか。そこについては、どう感じていますか?」
外薗氏
「私は、昭和63年の防衛白書の制作に携わったんですが、その時、いわゆる防衛白書の項目の中でシビリアンコントロールについて記述をする部分があるんですね。その中では、まさにその時の防衛庁設置法16条。この中で官房長、局長と各幕僚長との関係という一文が条項があるのですが、ここで何を言っているのかというと、防衛庁長官が統幕議長、陸海空幕僚長に指示をしたり、承認をしたりする時、その行為について局長、官房長がこれを補佐するということで総論、体制がシビリアンコントロールである。それだけではないですよ、防衛白書で書いてあるのは。政治の軍事に対するコントロールというのももちろん、ありますけれど。そういう要素が入っていまして、防衛白書の防衛庁設置法16条の条文を申し上げたのはジャパンユニーク。日本ユニークのシビリアンコントロールの考え方であろうと思います。まさによく言われている文官統制ということですね。これについて、ずっとこれはおかしいだろうという議論はしてきたのですが、まさに昨年ですね。現在は防衛省設置法第12条になっていますが、そこで陸海空統幕長、陸海空幕僚長の大臣補佐を局長、官房長が相まって、一緒になって補佐すると、こう変わりました。これは大変、我々としては喜ばしいことだなと感じています」
反町キャスター
「中の話になって、なかなか見ている人、僕も含めてわかりづらいので、火箱さん、今の話、文民統制と文官統制。文民統制は僕が通常言っているような、国民の代表者たる政治のグリップが軍にきちんと効いていることをシビリアンコントロールと言いますよね。現在、外薗さんの言われた文官統制、この場合の文官というのは、官僚という意味ですよね?」
火箱氏
「そうですね。今の言ったのはそういう意味でしょう」
外薗氏
「そうです」
反町キャスター
「文官統制と文民統制というのは、たとえば、自衛隊の陸海空自衛隊の皆さん、要するに、現場の皆さんからすると、これはシビリアンコントロール、文民統制はいいけれども、文官統制はおかしいのではないかという気持ち、皆さん、持っているんですね?」
火箱氏
「それは、おかしいと思いましたね」
反町キャスター
「具体的にはどういうことですか?文官統制というのはどういうもので、それは何がどういう問題があるのですか?」
火箱氏
「ただ、設置法に、そう書かれていて、それを、大臣を補佐するのに、局長から補佐をするということは基本的にはおかしいのではないか。両輪で補佐をするというのが、今度、変わりましたので、両輪でしっかりと補佐をするのが1番大事だと思うんですよ。先ほど、反町さんが言われるように、文民統制というシビリアンコントロールの真の意味は軍に対する政治の優先ということが、シビリアンコントロールという本来の意味なのでしょうけれども、戦後の、非常に軍隊に対する排斥と言いますか、こういうことが非常に強い時期がありましたので、軍隊は放っておくと何をするかわからないということがあるので、しっかり政治がコントロールしなければいかん。これは一面として正しいですね。国が滅びましたので、いったん敗戦したということで、シビリアンコントロールの意味は、軍隊からの国民の安全ということを、シビリアンコントロールですね。だけど、だからこそしっかり管理するということをしなければいかんということはあるんですけど。一方、もう1つ、シビリアンコントロールの大事な意味は、これからの時代というのは、軍隊による国民の安全。軍隊がどのようにしたら国民の安全を守るのかというシビリアンコントロールであるべきだと思うんですね。要するに、どれぐらいの規模で、国を、国民を守るために、どういう形で、適正な軍備をし、防衛力を整備し、どのように運用するかということのシビリアンコントロールであるべきだと思うんですね。だから、両輪は、先ほど、言ったように絶対必要ですけれど、もう少し、あまりにもシビリアンコントロール、シビリアンコントロールということで、自衛隊をとにかく管理して、ただ存在しておけばいいというのは、そういうシビリアンコントロールは、私は行き過ぎだと思うんですね。だから、たぶん外薗君も先ほど言ったように、官僚が自衛隊の部隊を…」
反町キャスター
「その場合の官僚というのは、いわゆる霞が関の官僚というよりも防衛省の背広組のことですね?」
火箱氏
「背広組はそういう形でやっていたということも、事実ですけれども、しかし、それはおかしいと言いながら、しかし、ずっと長い間やってきて、ようやくこの前の改正が出されたということで、非常にあるべき姿になってきていると思うんですね。それから、本来のシビリアンコントロールという意味は、いわゆる国民が政治と言いますか、国民が、軍をしっかり管理し、国民がどのぐらいの規模で、どういう運用をしたらいいかという、そういうシビリアンコントロールに持っていくべきではなかったかと思っているんです」
反町キャスター
「杉本さん、今の話、日本のシビリアンコントロールは歪んだままにここまで来てしまったという気持ちはありますか?」
杉本氏
「大東亜戦争の時の軍人、そういったことから、国民を軍から守るというスタンスが、防衛庁、自衛隊の創設時は大きく影響したと。それから、現在は軍を使って国民を守ると、そう変わってきたと思うんです。それは、冷戦終了までは米ソのいわゆる冷戦下にあって、がっちりとした全体として効いていた。自衛隊というのは、日米安全保障条約によって米軍と一緒にやるのだと。それで冷戦の一役を担ったわけですね、相手はソ連。それが冷戦が終わったら今度、1991年、ペルシャ湾の派遣。掃海の派遣ということになっていますが。冷戦終結と同時にいろんな意味で、活躍というか、日本にとって活動の要求が出てきたと。要するに、湾岸戦争の時にお金だけ出しちゃダメですよと、そういうことを教訓として学んだ。それが、PKO(国連平和維持活動)とか、国際緊急援助活動の、国際協力活動への参加ということで膨らんでいった。それが今度、2001年、同時多発テロ、米国における。そうすると、いわゆるテロとか、海賊とか、マルチな脅威に対して日本も何とかしなければいけない。そういうことになってくる。そういった流れの中で部隊を運用することになりますと部隊の実情をよくわかっているユニフォーム、制服の意見をよく聞くという雰囲気がずっと出てきたと思っている。そういう流れの中で大臣をサポートするということが、制服の意見を聞くことも重要であると。それが、参事官制度の、変えるとか、そういう話につながっていったと思います。それで…」
反町キャスター
「現場の意見を聞くというのは、テレビの仕事で言うと当たり前のことですけれども、これまでそれが自衛隊においては、現場の意見を聞くと言うのが必要量に達していなかったという、こういう理解でよろしいのですか?」
杉本氏
「先ほど言った参事官制度の中で、各幕僚長が直接大臣に意見を述べる前に、途中の段階で噛んでいた。それが率直に伝わったかというのが」
反町キャスター
「シビリアンコントロールの名のもとに防衛大臣が部隊に対して指示、命令を出したい時に、間に一枚入るわけですよね。上がる情報も、下りる命令も、一枚噛むことの不安というのは現場の指揮官として皆さん、持っていたのではないですか?」
火箱氏
「そんなことはないですけれども、基本をつくるとか、いろいろなところの意見ですね。直接言いにくいというような雰囲気もあったんですけど、それは現在ありません。それについては問題ないんですけれども、先輩達の話を聞くとそういう形もあったということですね。ですから、本来の文民統制ということを現在、議論しているわけですから、そういう意味ですよ、ということを申し上げたわけです」
秋元キャスター
「自衛隊の求められる役割も国際貢献における駆けつけ警護など刻々と変化をしているわけですが、現場の自衛官が確実に任務を遂行して、日本の平和を守っていくために何が必要なのですか?」
火箱氏
「自衛隊全体をどの規模で整備するかという量の問題ですね。人員の問題、それが1つあるかと思います。もう1つは運用の体制、法律ですね。法律がどのような部分でスムースに適用できるかということが、任務がかかった時にスムースに体制に移行できると。防衛力の整備の中に、私どもで言う、兵站ですか、そういうものを全部含んだうえで、陸海空どのくらいあれば、この国を守り、安倍政権が言う、積極的平和主義を具現化するためには、どのくらいの量と、人員と、適切な法律がないと動けませんので、そこが必要になってくると思います」
反町キャスター
「現場の皆さんは安保法制によってスムースに対応できるようになったのか?かえってここの部分がわかりづらくなっているとか評価はどうなのですか?」
杉本氏
「たぶん現場の人達はこれまでいろいろなオペレーション、PKOとか、国際緊急援助活動とか、そういうオペレーションの中で出た、任務として駆けつけ警護の事例ですけれども、そこに困っている日本人がいる。だけど、任務としてそういうものがなかった。やろうと思ってもできない。そうした時にどうするかと、そうすると自分がその人の近くに行って盾となって、相手が撃ってきたら正当防衛として対処すると、そういった問題点が過去あったんですね。それを今回の安保法制で改善をした。それは大きな前進だと思います。ただ、前進なのだけれども、平時から有事の間というのは、日本は平時と有事しかない。だけれども、この間、グレーのゾーンはあります。そのグレーゾーンの自衛隊が活動しようとした時の法的権限、法的根拠というのがまだ不十分なのかなと思いますね」
反町キャスター
「尖閣の話で言うと、たとえば、台風避難の名目で漁船が大量に来て、中国人の漁民を名乗り上陸して、近づいてよく見てみると武装しているようだよと。武装漁民だね、民兵ではないか。この人達を尖閣から排除するためにはどうしたらいいのかと、海保の手には負えないね、自衛隊に行ってもらおう。ここのプロセスはどうですか?」
杉本氏
「その時に、海上自衛隊に対して、海上警備行動という命令が出ます。ただし、海上警備行動の命令が出た場合でも、海上保安庁ができないので海上自衛隊が行くということですけれども、できる権限というのは、警察官の、治安維持を執行するだけの権限です。極端なことを言うと、警察官職務執行に準ずる武器の使用というのは犯人を捕まえるための、裁判にかけるための武器の使用。そういう武器の使用では民兵を捕まえるどころか、逆に撃たれちゃう。海上自衛隊が海上警備行動を発令されて行った場合でも、それは海上保安庁の代わりに行くのだけれど、法的権限としては同じなんです。そこのところはグレーのところをキチッと法的整備を、日本が有事の時に発動される自衛権というものをある程度小さくしたような自衛権という権限を与えないと、海上自衛隊に行けと言われても(海上保安庁と)同じことです」

火箱芳文 元陸上幕僚長の提言:『服従の誇りと戦争に備え続ける忍耐』
火箱氏
「あくまでも国民に対する服従というものをしっかりして、矜持と言いますか、誇りにし、誰にどう言われようと、我々が国家の危機に対してしっかり備える、平和の時こそ忍耐力を持って続けてもらいたい、今後の自衛隊もそうあってもらいたいと思います」

杉本正彦 元海上幕僚長の提言:『精強』
杉本氏
「精強というのは、我々が若い時、自衛隊に入ってから、先輩から精強、即応だとずっと言われ続けてきたのですけれども、これからはまた、いろいろなミッション、任務が付与されます。その任務を達成できる精強さというものを組織、人の面、装備、そういうものを含めて、維持するということが大事ではないかと考えます」

外薗健一朗 元航空幕僚長の提言:『自主憲法』
外薗氏
「自衛隊に対する要望というよりは、自衛隊を精強にして、しっかり任務が遂行できる環境を国家がつくるべしということを主張したいと思います。軍隊として認知をし、国際法規に基づいて任務が遂行できるような環境を自衛隊に整えてやるということが大事だろう思います」