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2016年7月26日(火)
臨床医と病理医が語る 『がん患者』との対話

ゲスト

石飛幸三
特別養護老人ホーム 「芦花ホーム」医師
樋野興夫
順天堂大学医学部教授 「がん哲学外来」理事長

自分らしく生きるために…『メディカル・カフェ』とは
秋元キャスター
「まずは樋野さんに聞きます。樋野さんが中心となって主催されているメディカル・カフェ、これはがん患者の方達が集まる集会ということになるわけですか?」
樋野教授
「そうですね。がん哲学外来カフェということですから、がん患者が中心ですけれども、がんだけでなく、いろんな人が来られますね。がん患者は60%ぐらいですかね」
秋元キャスター
「それ以外の方というのは?」
樋野教授
「普通の人でもいいですし、家族であっても、いろんながんでない悩みも病気もありますからね。そういう人が来られますね」
秋元キャスター
「2008年に、がん哲学外来というのを開設されていますけれど、これとメディカル・カフェというのはどういう関係にあるのですか?」
樋野教授
「がん哲学外来は、大学で個人面談としてやりましたけれども、カフェというのは、皆でテーブルに座って時間を費やす。だから、がん哲学外来は個人面談。がん哲学カフェは皆と一緒にカフェスタイルでやると。そういうことですね」
反町キャスター
「そこは自身の悩みを、皆と共有する場になるわけですか?カフェは」
樋野教授
「そうです。人前で話したくない人もいますから。ただ、お茶を飲んで1時間とか、1時間半、同じテーブルに座って、お互いが苦痛にならない存在になるという、そういう訓練の場ですね」
反町キャスター
「訓練?」
樋野教授
「そうです」
反町キャスター
「訓練とはどういう意味ですか?」
樋野教授
「人間、日々、勉強ですから。毎日勉強ですから。そういう沈黙の世界で、黙っていても自分が苦痛にならない。相手も苦痛にならない、そういう人間になることですね」
反町キャスター
「いきなり難しくて…、どういうことですか?それは。お互いに苦痛にならない存在というのは?」
樋野教授
「現在、日本は冷たい家族に悩んでいますから。あたたかい他人を求めていますけれどもね。要するに、同じ部屋で30分間、沈黙の世界でお互いが苦痛にならない人間になるかですね。これが病気であっても、がんになっても、そういうのが大切ですね」
反町キャスター
「断酒の会みたいなのがあるではないですか?皆で輪になって、私は、何年から酒を飲んでいません、みたいなことを皆で言いながら、がんばろう、がんばろうとお互いを元気づける会とかありますよね。僕はそういうものに類似しているものかなと思ったので、今の話は全然違いますよね?」
樋野教授
「そうですね。人間というのは一見、華やいだ生活をしていても夜6時ぐらいに無性に寂しくなりますからね。だから、何て言うか、自分が、要するに、1人になっても、空しく、寂しくならない人間になるにはどうしたらいいかですね。皆、ハッピーを求めているから、いつでも失望に終わっていますね。だから、心からジョイフルを持たないと。そういうものの訓練ですね?」
反町キャスター
「カフェで訓練をして、1人になっても耐えられるメンタリティを訓練する?」
樋野教授
「そう」
反町キャスター
「こういう理解でよろしいですか?」
樋野教授
「そう。病気もがんも慢性病ですからね。そういう意味では、がんであっても、がんでなくても、皆、悩んでいますからね。そういう人間としての人間学ですね」

『がん哲学外来』とは
反町キャスター
「実際のがん哲学外来というところでは何をされるのですか?グル―プの方ではなくて、1対1の方ですよね。何をされるのですか?」
樋野教授
「何もしていないですよ。ただお茶を飲んでいるだけで。60分間、一緒にお茶を飲む。それだけですね。だから、今、医療中の馬の上から花を見ているというのか、医療者はまだ馬の上から花を見ているから、馬を降りて、同じ目線で花を見ていませんね。まだ医療維新来たらずだから。そういう意味では、人間として付き合う。医者とか、患者という目線ではないから。同じ目線で、人間として60分間、お茶を飲んで、相手が苦痛にならないにはどうしたらいいかということですね」
反町キャスター
「言葉で痛みをとるのですか?痛みというのか、たぶんこの患者さんは肉体的な痛みではなく、精神的な痛みを持ってくるわけではないですか?」
樋野教授
「言葉の処方箋というか、人間は言葉によっても傷つきますからね。同じ言葉を言っても、あの人が言ったら腹が立った。あの人が言ったら慰められた。人間は何を言ったかではないから、誰が言ったかですからね。そういう誰が言ったかによって同じ言葉でも慰められますから。そういう訓練の場が必要ですね」
反町キャスター
「それは患者の訓練ですよね?」
樋野教授
「患者も、我々も皆」
反町キャスター
「樋野さんも、その場に臨んで訓練を受けているんですね?」
樋野教授
「日々、勉強ですね。だから、がん哲学、僕がやって、既に8年ぐらいで、3000人ぐらいの人と話しましたけれど、自分の勉強にもなりますね」
反町キャスター
「それは医療行為ですか?」
樋野教授
「医療ではない。医療ではなくて、人間学だから。人と人の接する対話学ですね」
秋元キャスター
「医師の立場として話を聞いているよりも1人の人間として?」
樋野教授
「そう、医者ではなくてもいいんですよ」
反町キャスター
「ただ、医学的なバックグラウンドがなければダメだと、そういうことはないのですか?」
樋野教授
「なくてもいいね。人間と接する時は、我々は玄関でいかに対話するかだから。専門的なのは、中2階に上げればいいからね。その時に専門家を呼べばいいから、人間はもっと以前の問題で悩んでいますからね」
反町キャスター
「でも、相談に来る人は相談する対象者が、いわゆる医者であり、医学のバックグラウンドがあると思えばこそ相談に来るという部分、ハードルが下がるというのはないのですかね?」
樋野教授
「それもありますが、現在がん哲学外来は全国で95か所でやっていますけども、医者ではない人もスタッフでやっていますよ」
反町キャスター
「それは、いわゆるカウンセリングのプロフェッショナルの方ですかね?」
樋野教授
「いやいや、主婦であるとか、普通の人間ですよ。人間は、そういう困った人間の人と一緒に時間を費やせる人間の訓練が必要だから。専門、肩書ではないからね。皆、看板かじりだから。肩書でなく、人間として接するわけですからね。そうすると、慰められたりしますよね」

『言葉の処方せん』とは
秋元キャスター
「樋野さんが出された言葉の処方箋をまとめました。人間には必ず役割と使命が与えられている。1年くらい探しに行くんですよとか、全力を尽くしてあとのことは心の中でそっと心配をしていれば良い。どうせなるようにしかならないからとか、病気は単なる個性。雨が誰にでも降る。ただ、人間がどう反応するかは自由意志だから。樋野さん、その時かける言葉というのはどうやって考え、その場で思いついていくのですか?」
樋野教授
「これは若き日に読んだ本を暗記しているから。それを言っているだけだから、ある意味では、言葉の処方箋でしょうかね。そういうことです。自分で考えた言葉を言うと人を傷つけたりするからね。自分も慰められた言葉だったら、それは言っていいと思うからね。そういう意味では、若き日に本を読んで赤線を引いているのを暗記しているだけですね」
反町キャスター
「役割、使命を見出していかないといけないよ。1年ぐらい探しに行くんだねという話、これはどういう意味でかけられているのですか?」
樋野教授
「何が良いか、悪いかは、そう簡単に答えられないけれども、探しに行けば、どこかにあるというか、それは1年ぐらいかかりますよね。そういうのを継続的にやる。それが大切ですね」
反町キャスター
「それは、要するに、病気を抱えて相談に来る人というのは、1年かけて何かを探そうという気持ちを皆さん、全然、お持ちではないということですか?」
樋野教授
「そういう意識はなかったからね。がんも慢性病ですからね、今はね」
反町キャスター
「慢性病というのはどういう意味ですか?長期的にお付き合いしていくこと?」
樋野教授
「そう。だから、人間、寿命があるけれども、そういう意味では、天寿を全うして、がんで死亡しているんですね。だから、天寿がんですね」
反町キャスター
「それは老衰と同じような意味で言っています?天寿を全うするというのは、僕は老衰かなと思うんですけれども」
樋野教授
「人間の天寿が何歳かは人によって違うけれども、70年健やかにして、80年、生きて、120年ですね。だから、天寿って何歳かわかりませんけれども。だけど、そういう天寿を自分に与えられた天寿を全うして、がんで死ぬ。これが良いですよね」
反町キャスター
「それがいいのですか?」
樋野教授
「認知症かがんですからね、人間は。それは認知症もいいかもしれないけれど、人に迷惑をかけたりすることもあるし、がんは自分が苦しいけれども、人に迷惑はあまりかけない。そういう意味では、がんの方がある意味では、いいかもしれない」
反町キャスター
「そういう話を外来で来た人にします?」
樋野教授
「しますね」
反町キャスター
「つまり、僕はがんだ。もう大変だという人に対して、あなた認知症で死ぬよりはがんで死ぬ方がいいんだよと、こういう話をするのですか?」
樋野教授
「しますね」
反町キャスター
「これは、僕は自分がそうなってみないとわからないだろうけれども、そう言われて人は救われるものですか?良かった、俺がんだった、ラッキーと思います?」
樋野教授
「笑いますね。だから、冗談を本気で言う人間が必要です、今ね。冗談を本気で言う。そういう人間が現在、日本は必要ではないですか。だから、どうせ皆、死ぬから、生きる、死ぬという大切な仕事が残っていますからね。人生、いばらの道にもかかわらず、宴会ですね、毎日が宴会。だから、誰にも雨は降りますけど。傘をさすか、レインコートを着るか、家の中に入るか。自由意思だから。自分でこの分かれ道に立っていて。どちらの道に行くかは自由意思ですからね。そういうのを覚悟して、そういう人生を学ぶというか、日々そういう訓練ですね」
反町キャスター
「石飛さん、今の話、僕そもそも、先ほどの、樋野さんが言われたがん患者に対して、あなた認知症で死ぬよりはがんで死ぬ方が幸せだよという、ロジック、どうですか?」
石飛氏
「先生のおっしゃる、これはものすごい改革だよ。だって、オープンに、そのことについて、患者や家族と話をするということだけとったって、えらい違いではないの。俺達が隠していたのだから、皆。問題を先送りしていたのだから。一緒に隠蔽して責任逃れをしていたのだから。何も本人のためになっていないよね。それと比較して見てくださいよ。先生のやっている話がいかに一種の突破口を開く大きな扉であるか、わかると思うね」
反町キャスター
「告知するかどうかという話は、現在の日本の医学界において解決済みの問題ですか?告知はすべきだということで、皆さんまとまっているのですか?」
石飛氏
「まだですね。まだ完全には解決していないとは思う。いや、そんなの知りたくないという人はいっぱいいると思うよね」
反町キャスター
「僕の周りにもたくさんいる。本当に何も言わずに、楽しくそのまま過ごさせて、死なせてくれという」
石飛氏
「そうそう。気持ちの優しいおばさんほど、いやいや、知らせない方がいいよというよね。自立していないのだよ、日本人は」
反町キャスター
「厳しいな。そうですか?」
石飛氏
「そうよ。今日の話の最大のテーマだと思うけれど、結局、俺達の人生は行き止まりだよ。いくら長くたって、せいぜい100年ちょっとの一コマだよ。俺達の人生は。がんだって、何だって、がんは最もはっきりした行き止まりじゃないの。行き止まりで、行き止まり、大変だなんて大騒動するなら、それこそ人生なんて全部行き止まりだよ。そのへんのことをもっと日本人はもともとわかっていたはずだよ、武士道は。アフリカの方から発生した生命がとうとう東の島の突端まできて、1つの文化を開いて、武士が、西行が、歌を詠んで。あの歌なんてすごいじゃないね。願わくばって。だから、日本にはそういう文化がもともとあったんだよ。そこまで言っていいかどうかわからないけど。戦後、日本人は堕落したんだよ。物質的に豊かになって、精神を見失ったんだよ。本当に大事な生き方を見失ったんだよ。それを先生は一生懸命に取り戻そうとしているんだよ」
反町キャスター
「ただ、がんだから行き止まりということと、でも、実際これまで医学関係の皆さんがやってきたことというのはがんを克服しようということでやってきたわけですよね?」
石飛氏
「いや、俺だってそうだよ。部品修理屋だよ。部品修理屋、やればやったって、結局、治せないのが出てきたわけだよ。治せないやつのところへ、足が向かない自分が嫌になってきた。医者としても嫌だし、人間としても嫌になってきたから。それで治せた人も、治せなかった人も、いずれは時が過ぎると老いて衰えていくじゃない。その先、医者は何をやっているだろう。皆は何をやっているだろうと思って、それで70歳の時に、特別養護老人ホームの医者になって、今10年経って、こんなことを言い出しているわけですよ。1番言いたいのは、余計なことをしなければ、静かに食べなくなって、眠って、静かに逝けるように、自然の摂理はできているんだよね。生き物だから、俺達も。それを忘れて、何かをしなければいけない。命を延ばす方法があるなら、やらなければいけない。そうやってかえって本人の最期の楽な閉め方を無理やり点滴漬けにして、胃瘻漬けにして、苦しめているじゃない。これは医療の意味をまったく失っているわけだよ。科学を過信して見失っているわけだよ。物質だけ、部品交換屋だった俺達もバカでないから、やっと気がついてきたんだよね。その大きな警鐘を鳴らしているのが樋野先生だよ」
反町キャスター
「樋野さん、現在の石飛さんの話、まったく同じですか?僕はちょっと違う感じがするんですよ。気持ちは同じですか?今の石飛さんの話というのはスーッとお腹に入っていきますか。ご自身の考え、今後、がん哲学外来に臨まれるご自身の気持ちと、今の石飛さんの気持ちとちょっと乖離はありませんか?」
樋野教授
「それは、表現はあっても、求めるものはあるのではないですかね。一緒に。人間的な責任を持って、手を差し伸べるというのが、これが医師の2つの使命の1つですから。それは最先端の治療をもって病気を治すというのは医師の使命だけのもの。もう1つの使命は、人間的な責任をもって手を差し伸べる。これを失いつつありますね。そういう意味では、石飛先生が言われたのも、人間的な責任を持って手を差し伸べる。そういうことではないですかね」

がん患者と家族関係
秋元キャスター
「がん哲学外来の個人面談では、家族関係の悩みが多く寄せられると聞きますが、どういった相談があるのでしょうか?」
樋野教授
「がん哲学外来の相談は3つに分かれて、3分の1は病気そのものの悩み、3分の2は人間関係、そのうち半分は家族の人間関係。残りは職場の人間関係。この8年間で職場の人間関係の悩みは少なくなりましたが、家族の人間関係は一向に減りませんね」
反町キャスター
「それはどういうことですか?家族の人間関係というのは?」
樋野教授
「それは普通の健康の時から訓練されていないから。だから、先ほど、言ったように、30分間一緒にいるということが苦痛になっていますね」
反町キャスター
「黙って一緒に30分いられるかどうかというのが1つの人間関係の目印みたいな、そういうことなのですか?」
樋野教授
「そういうことですね。沈黙の世界でテレビを観たり、新聞を読んだり、食事したり、別々のことをやって会話がなくても、同じ部屋で顔が見られる距離で、お互いが苦痛にならない。そういうことですよね」
反町キャスター
「それができるようになっていると、どうなのですか?」
樋野教授
「それはがん患者も慰められますね。奥さんががんになった時には旦那の心の冷たさで悩んでいるし、旦那さんががんになれば奥さんの余計なおせっかいで悩んでいますからね。これは日本の特徴ですね」
反町キャスター
「旦那の冷たさとは何ですか?」
樋野教授
「それは旦那さんが元気な時は夜遅くまで仕事して、何も家庭のことはせずに、奥さんががんになったら、ちょっと早く帰って、旅行でもしようかとか、買い物でも一緒に行こうかと言うけれども、今更何を言っていますか、ですね」
反町キャスター
「それはダメなの?」
樋野教授
「ダメではないけれど、言い方ですね。本当にその人のことを想っているのか。相手の必要に共感、要するに、余計なおせっかいと相手の偉大なるおせっかいの違いですね。相手の必要に共感することで自分の気持ちで接しない。これが余計なおせっかいではなくて、偉大なるおせっかい。皆、自分の気持ちで人に接していますね。だから、最初は同情で来るし、憐れんで来るし、言うことを聞かないと注意するし、怒ってくるし、これが人間のパターンですね。だから、そういう意味で、人間関係の悩みというのはありますね」
反町キャスター
「そういう関係はダメだという意味で言っていますよね?」
樋野教授
「そう」
反町キャスター
「そうすると、妻が病気になった時に、夫はどうすればいいのですか?」
樋野教授
「歯を食いしばって人を褒めるんですね」
反町キャスター
「妻を褒める?」
樋野教授
「そう。歯を食いしばって人を褒める。相手を非難したり、相手を解釈したり、相手のあら探しをしたり、正論よりも配慮ですね。相手が間違っていても認めないと」
反町キャスター
「相手ががんと闘っているということを考えた時に…」
樋野教授
「それはがんになると、いろんな自分の意見を言ったり、いろんなことされるじゃない。間違ったことを言うかもしれない。間違っていても正論よりも配慮だから」
反町キャスター
「肯定してあげること?」
樋野教授
「相手が間違っていても認める。これですね」
反町キャスター
「妻のおせっかいというのは?」
樋野教授
「たとえば、旦那ががんになったら、これを食べなさいとか。週刊誌とかね、ネットでこういうのがあるとか言うじゃない。旦那は食べられないから、病気で、胃がんは。これが余計なおせっかいだね。相手の必要に共感していない」
反町キャスター
「自分が幸せか、不幸せかを考える時に、自分より不幸な人がいれば、幸せだと思うという意味ですか」
樋野教授
「それはハッピーだから。ハッピーは外面的なものだから。いつでも失望に終わる。ジョイフルは心から湧き出るものだから、これがないと。ハッピーとジョイフルの違いがわかっていないね」
秋元キャスター
「どう違うのですか?」
樋野教授
「ジョイフルは心から湧き出るものだから、ベッドで寝たきりでも、笑う人はいますよ。境遇に関わらず、その方が人間として高尚ですね」

看取りの場で家族は…
秋元キャスター
「看取りの現場で家族ともめるということはあるのでしょうか?」
石飛氏
「本来もめる話ではないのだけど、家族が迷うんだよね。まだ何かしてあげられるのではないか。命を延ばす方法があるなら、やらなければいけないのではないかって。日頃、あまり介護してない人は余計なこと言うからね。遠くの親戚がいきなり駆けつけてきてさ。このまま何もしないで国民皆保険があって、一部負担で、救急車はタダだしさ、日本はそういう点はまったく何でもやっとけばいいという、かつてのここ50年ばかりの迷い道に入っているからね。本来は役立つならやればいいよ。方法があるなら、やらなければいけないのではないかと、変なことを言い出している。それは真剣に介護していない人こそ言うよ。格好つけたことを言うよ。最期、楽に今は自然の摂理、いかにゆっくり穏やかに最期を迎えさせてあげたいかと、本当に最終章がわかっている連中は言うよ。たとえば、3年前になるか、理学療法士が来たよ。優秀なやつだった。俺はバカだから言ったよね。お前は何しに来たのだって。PT、理学療法士は右肩上がりの仕事だろと。これから回復させる仕事だろ。ここは坂を下って皆、死んでいくところだぞと。お前は何しに来たのだって。そうしたらガツンとやられたよ。先生、私はゆっくり着陸させるのも、もう1つの大事な理学療法士の仕事だと思ってここへ来ましたと言われた時は、俺は本当に目が覚めたね。いや、そういう連中のいるところですよ。いろんな職種が皆結局そのへんがわかってきているよ。管理栄養士だって、ほら、戦後の食料難をひきずって、栄養をしっかりつけなければいけない、食べさせなければ死んじゃうと、もうほしくない人に無理やり食べさせなければ、死んじゃうなんて迷い道に入って、肺炎製造工場やっていたのだから。皆変わってきたよ。わかってきたよ。真剣に介護していた家族ほどわかるからね。職員だって本当がわかってきたよ。俺は芦花ホームに行って良かったなと、つくづく思う」

『生活の質』と『死の質』
秋元キャスター
「おふたりから打ち合わせの時に、クオリティー・オブ・ライフ(生活の質)とクオリティー・オブ・デス(死の質)という言葉が出てきました。クオリティー・オブ・デスという言葉はあまり耳にしたことがない言葉です。どのように意味があるのでしょうか?」
樋野教授
「人間は、最期の5年間が勝負ですからね。そういう意味でいけば死について、臨終の間際に、これでお終いというか、もう行きますと天国に行くか、人間はこの2つですね。どういう言葉を発するかは。そういうのがクオリティー・オブ・デスというか、死についての考えというか、をやるという、そういうことですかね」
反町キャスター
「最期の5年間が勝負というのは、どういう意味ですか?」
樋野教授
「人間は若い時に華やいだ生活をし、苦しんだ生活をしていても、最期の5年間がどういう生活であったかというのは残された人間から見ればプレゼントになりますね」
反町キャスター
「周りの人間にとって、という意味ですか?」
樋野教授
「人間は贈り物だから、自分の人生は人へのプレゼントですから。良いプレゼントを残して去っていくということですね」
反町キャスター
「それがクオリティー・オブ・デスですか?」
樋野教授
「そう」
反町キャスター
「物的なものではないですね?」
樋野教授
「そう。お金とか、地位、名誉ではないですね。勇ましき、高尚なる生涯と言いますか。誰にもできますね」
反町キャスター
「どうすればいいのですか?」
樋野教授
「日々、勉強ですね」
反町キャスター
「難しいですよ」
樋野教授
「自分に与えられた役割、性格を完成させるかということですね。人生の完成は性格の完成だから。皆それぞれ性格を与えられているではないですか。我々は良い性格になって去っていくんですね。それが最期の5年間ですね」
反町キャスター
「それは努力しなければダメだと?」
樋野教授
「意識してやらないと」
反町キャスター
「病気に向き合う様を周りの人間に見せることが…」
樋野教授
「それも泰然と。あの人はこういう人生を送ったというのが残された人の思い出になるではないですか」
反町キャスター
「弱音を吐くなと言っているように聞こえます」
樋野教授
「弱音を吐いていいけれども、人間として誠実に生きるということはそういうことですね」
石飛氏
「要は、クオリティーというのは自分の人生のクオリティーのことだから。それは生きて最期は死ぬんだよ。それが人生だ。そのクオリティー。それは一連のことだよね。いずれ最期が来ることをしっかり見据えて、今生きているのだから。生きている今をしっかり生きようという覚悟をすれば、それは最期があるのだということをちゃんと認識してれば、今を真剣に生きるよ。それがクオリティー・オブ・ライフの生きている方だ。それを戦後、俺も兄貴を戦争で亡くしたから、皆、戦後はとにかく命は地球よりも重いんだって。いいよ、その言葉自体は。だけど、間違いだよ、あれ。命より大切なものがあるんだよ。どうせ命は終わるのだから。生きている今を真剣に生きようと。それで最期に幕を引く時には、あーこれで良かったと。ねかはくは 花のしたにて 春しなん。と西行だよ。あれは日本人の魂だよ。それを取り戻そうよと、私は思うね」

医師 石飛幸三氏の提言:『自ずから然り』
石飛氏
「自分の一生ですから。自分で、これで良かったのだと思って、最期を迎えたい。これは、自然とも読めますよ。英語のネイチャー。それとはひと味違うんだよ、これは。もともと自然という漢字は自ずから然り。自分らしく、自然になるがままに生きていこうと。あーこれで良かったと思いたい。そういう意味です」

樋野興夫 順天堂大学医学部教授の提言:『病気であっても、病人ではない』
樋野教授
「病気は誰にも起こりますから、しかし、自分で病人と思っているというか、人間には自由意志があるから、どちらの道に行くか、いつも分かれ道に立っていますから。どちらの方向に行くか、病気であっても、病人でないというのはそういうことですよね」