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2016年6月21日(火)
民主主義と選挙の意味 舛添氏辞職と大衆心理

ゲスト

片山杜秀
慶應義塾大学法学部教授
先﨑彰容
日本大学危機管理学部教授

日本思想史の論客に問う『民主主義』 舛添氏辞職を考察
秋元キャスター
「まずは舛添東京都知事の辞職を例に民主主義をあらためて考えていきたいと思います。今回、問題発覚から2か月あまりで辞職に至ったわけですけれど、日を追うごとに議会、マスコミも過熱していきました。まず先﨑さん、この一連の流れをどのように見ていましたか?」
先﨑教授
「そもそも都民は、この問題自体を本当に聞きたいのかというのが疑問としてあって。これは舛添さん以外の時もそうですけれど、たとえば、こういう言い方は失礼かもしれないけれども、そこまで巨額でないお金を巡って、都政であれ、国政であれが、ずっと議論をやっている。それ自体よりももうちょっときちんとしたことを政治家としてやってくれよというのがごく普通の人であれば最初に感じることだと思うんですね。そういうところが、僕としては最初に違和感があった。もう1つ、キャッチフレーズ的に言うと、現在、引きずりおろし民主主義なっているのではないかなという気が僕の中ではするんですよね。福沢諭吉が『学問のすすめ』という中で、人の嫉妬、御殿女中の嫉妬の話を書いているんですね。御殿の女中達というのは、どういう根拠で寵愛が受けられるか根拠がないから、いつも寵愛された人を引きずりおろすことによって、今度は自分が愛されるかもしれないということの繰り返し、繰り返しであると。この怨恨というか、嫉妬こそが、最も人間の行為の中で恐ろしいということだと『学問のすすめ』という有名な本の中で言っている。実はそれに近いような、フラストレーションを、そこにぶつけてしまうような傾向がひょっとしたら僕らの中にあるのもしれないですね」
反町キャスター
「世論調査を見る限りにおいて9割、97%の人達は納得をしないというとかね。辞めた後8割近い人が辞めて良かったという、まず現象として大きな流れとしてはあるという前提にした場合、実際に最後に舛添さんを辞任に追い込んだのは都議会議員の動きであり、自民党とか、公明党とか、政党の政治におけるダイナミズムです。ここにダイナミズムという言葉を使うのが適切かどうかはわかりません。政治の動きであり、政党の判断です。その政治の動きや政党の判断をどう見ていますか?」
先﨑教授
「ひょっとしたら世論というのがそのぐらいのものだったと考えている可能性があって。僕は何でそういうことを考えたかと言うと、少し前の話で今回の舛添さんの話ではないんだけれども、安保法制の法案が通る寸前の時に国会内のざわついていたシーンが何度か流れたんです。そうしたら、プラカードを持って騒いでいる国会議員達のプラカードの言葉がいかにも粗雑で、杜撰だったんですね。その時僕は1国民として少し腹が立ったの。なぜかと言ったら僕達国民はこのぐらいの人間だと、こいつら思っているのではないかと思ったんですよ。つまり、そんなワンフレーズとか、わかりやすい言葉をこうやって国会内で掲げていれば、何か国民に対してアピールになるともし僕らが思われているのだとしたら、プライドが傷つくべきだと思っているんですね」
反町キャスター
「国民が怒るべきだと」
先﨑教授
「そうですね」
秋元キャスター
「片山さんは舛添都知事が辞職に流れていく一連の流れをどのように見ていましたか?」
片山教授
「先﨑さんがおっしゃったような引きずりおろすというのはすごくあると思うんですね」
反町キャスター
「引きずり降ろし民主主義ですか?」
片山教授
「これは別に新しい現象でも何でもない、非常にクラシックな話で、いつの時代でも必ずある。そういう上に立っている、特に権力者というか、偉そうに見える者を引きずり降ろすことによって、大衆が得る快感というのはあると思うんですね。いつの時代でもあることの1つの例として出てきたわけだけれども、それが現在の時代と関係しているということで言うとすれば、現在も大きな選挙をやる時に、これが問題だと言った時もはっきりしないわけですね。つまり、確かに大きな論点はあるんだけれど、すぐ上手に解決できることではないし、どちらがやっていることがより正しいのかもよくわからない。安全保障の問題についても、経済の問題についても、どうすればどうなるかというのが見えない。現在の世界はグローバリズムで複雑化していて、これまでだったら、一国の経済の中で、中央銀行がこうすればこうなるとか、財政でこういう政策をとればこうなるとか、大企業がこういうことをすればこうなるとか、わかりやすいことがたくさんあったのが、現在では日本でこうしても、アメリカがこうなったから、中東でこうなったら、ヨーロッパでこうなったから、中国経済がこうなったからと、全部の敷居が低いから皆影響し合いますというような話になって、1番肝心なものについては皆わかっているのだけど、肝心な問題をどうすればいいのかについては、フラストレーションの溜まり方がすごい。その中で1番わかりやすい古典的な問題として、権力者が良くないお金の使い方をしているのではないかと。田中角栄だって誰だって、ずっとそうだったわけですね。しかも、先﨑さんもおっしゃったけど、ちょっと考えてみると金額の問題だとか使い方の問題に関しては、一国が揺らぐようなこととか、非常に大きな政策的なことで関与している様な、たとえば、贈収賄のこととかそういうのではないことだから、こんなに騒ぐことなのかと。現在、あまりにも世の中がわかりにくくなってしまって、テロとかが起きるのも何で起きるのだろうとか、どちらにどのぐらい利があるのか、非があるのかも見えなくなっている中で、わかりやすいドラマを皆が求めているのだけれども、なくなってしまった。そこに格好のネタとして、舛添さんの問題は投下されてきて。大したことではないと言い出したら、わかりやすさという点としては、舛添さんは褒められないということで皆が一致できる。だからこの問題については、これはおかしいよねということは言い易いから、やっと出たということでバーッといったというのが私の印象ですね」
反町キャスター
「この件では、このスケールの金額の問題で舛添知事を葬り去っていいのかどうかという議論とか、メディアの報道の仕方があまりにもワンサイドではないかとか。今回の舛添さんの件に関しても、議論を散らそうと思えば、舛添さんを失っていいのか、彼は知事としての職務はちゃんと果たしていたのではないかという議論とか。ないしはメディアの報道の仕方があまりにも一辺倒ではないかといった議論というのは。」
片山教授
「それは結構簡単な問題で、昔のようにマスメディアがたくさん視聴率がとれ、たくさん見ているような状況であれば、いろんな意見を供給しながら、バランスを取っていくという役割を果たせただろうと思うんです。現在は新聞も、テレビも、ネットも、皆が潰し合って、食い合って非常にメディアが小さくなっているわけですよ。なので、大局的な判断で皆を公論に導こうと。いろんな世論ですら引きずり降ろすとかね、非常に俗論的な下品なことを。いや、皆さん、そんな考えではおかしいでしょう、この舛添さんの問題は確かにダメだけれど、たった何百万円で、世の中には何千万円、何億円、何十億円の税金を使って、何兆円もみたいな話もたくさんあるわけだからと、バランスをとって冷静に考えましょうということを言う余裕は現在、私は新聞にも、テレビにもなくなってしまって、とにかくすぐ反応してくれて、喜んでくれる、読んでくれるところに行かないと生き残りが危ないわけでしょうと思うのです」
先﨑教授
「片山先生がおっしゃった重要な論点というのはメディアであれあらゆる組織がそうですけれども、その組織が、最高の状態から下降路線に入る時というのは必ず守りになります。守りになると何か生じるかというと、自分達が想定している最もコアだと思う読者に向かって話そうとするんですね。そうすると、左的なメディアはより左になってそこだけは押さえておきたいとなる。右のメディアはより右になって書こうとして。そうすると、逆に普通に読んでいたような若干政権批判の人とか、若干政権寄りだった人達があまりにどこかの、あるセクトの雑誌なのではないかというぐらいに過激な論点になっていく。それについていけませんから。そうすると、さらにその人達がこぼれ落ちていくことによって、さらに急進化していくという、どんどん煮詰まってコアなメンバーだけに純粋化しようとしているという。それがいろんなところで、ある旗印の下に乱立している状態というのが、片山先生がおっしゃりたいことですよね」
反町キャスター
「先﨑さん、現在の話聞いていると、党首討論中に野党の人達は、安倍政治の打破だという、こういう旗を立てたわけです。憲法改正の議論とかにしても、その安倍政権のもとの憲法改正論議には与しないとかね。そういう全てを安倍政治に、グッと貼り付け、こすり付けて、それでこれを倒せば、何かが広がるというキャンペーンを展開しているようにも僕には見える。これは現在の先﨑さんのロジックからいくと、最高から落ちていく時、その組織は守りになる、固定客に媚びを売るようになるという。ないしは1つのキャッチフレーズに拘泥しようというのは、野党の動きにそれが見えたのかなという感じを僕は受けたのですけれども。」
先﨑教授
「いや、まさに正しいと思うし、だから現在、1強多弱と言われているように、多弱ですよね。多数に分裂しているし、なぜ日本で二大政党制がつくりきれていないかということにも、もしかしたら繋がっているのかもしれないですけれどね」

『安保反対デモ』と『民主主義』
秋元キャスター
「次は、昨年の夏に起きました安保法制反対デモから民主主義を考えたいと思います。先﨑さんは違和感の正体の中でも安保法制反対デモをはじめ、集団的自衛権問題、つまり、安倍政権への評価などを巡り違和感があると書かれていますが、この違和感の正体は何だったのでしょうか?」
先﨑教授
「自分の本の宣伝するみたいで恐縮ですが、たとえば民主主義、結論から言いますと、僕達が民主主義という言葉をかなりいい加減に使っている可能性があって、ひょっとしたら信じていない可能性すらあるのではないか、というのが1番言いたいことですね。これから2つの例を使って簡潔に説明しますけれど、たとえば僕はデモ自身を批判するとか、何か意見を言うつもりはなくて、デモの中で彼らは我らこそが民主主義であると言っていたわけです。ところが、彼らはそれを安倍政権批判として使っていたのですが、同じ安倍政権批判の人達が全く正反対ととれることを言ったんですね。ヒトラーを見てみろと。民主主義の中からこそ独裁者が出てきたではないかと。これはカール・シュミットという法哲学者が言ったことですけれども、それを用いながら、民主主義こそ独裁者を生み、選挙結果が1強多弱の状態を変えることはできないから、だから、安倍政権というのは危険だと言ったんです。以上の2つをまとめると民主主義という言葉を自らの意思によってプラスで使っている側と、マイナスで使っている側が、両方、安倍政権を批判すると同じことをしているわけですね。ということは、この国のおいての民主主義というのは、ひょっとしたら自分が正しいと思ったことを言う時の、相手が批判できない1つの正義の御旗。たとえば平和主義という言葉もそうですけれど、集団的自衛権の問題でも、こういうことをしなければいけないといった瞬間に、ある種の人はお前は戦争をしたいのかと言うわけですね。そうすると、平和というのはどういうふうに構築していくのかという議論ができないですね。平和という言葉が錦の御旗で100%正しいと言ったら、それを握っている人はお前は平和にも劣ることをやっていると。他人を悪人にすることができるんです。だけど、この平和の中には毒もあれば薬もあるわけであって。場合によっては明日起きるかもしれない戦争を抑止するために、もしかしたら危険かもしれない道具を手に握らないといけないこともあるかもしれない。それによって相手とジリジリと緊張関係を保って、それが10秒続いたら10秒平和なわけですね。平和というのはそういう風に日々の弛まぬ努力によって構築されているかもしれないわけです。そうすると、平和いう言葉もそうだし、現在言った民主主義もそうですけれど、それは100%正しいと考える、その姿勢が少し危険な気がいたします」
秋元キャスター
「安保法制反対デモ、民主主義的な動きだったのでしょうか?」
片山教授
「私は、民主主義は民意の表明だから、意見のある人が表明するためにデモという形式をとるのは、1つあるべき選択であって、何の問題もないと思います。それはデモが暴力化すれば別ですけれども、ああいう形で行われている分には、まったく民主主義だと思います。ただ、民主主義を守ると、これは先﨑さんの議論に重なってきて、交錯してきますけれども、民主主義というのは結局、形式の問題であって、実質的には多様な価値観があって議論するという形が続くのが民主主義の1つの理想形であって。形式的には一応投票をし、あとは選挙の時でなければ世論調査、さらにうまく意思表明ができなければデモをするとか。とにかく意思表明が、政治家を支持する形、どこかの政党を支持する形、世論調査に答える形、デモに行く形など、何でもいいけれども表明している。それが守られていれば、民主主義なわけですね。そういうことを考えた場合、デモはとりあえず民主主義の1つの歴史だと思うけれども、ただ、民主主義を守れとか、そういうようなスローガンになってくるとこれは別で、むしろ憲法9条の絶対平和主義は大切だから、我々はこれを守りますとか、そういう言語表現でないと正確ではない。民主主義というのはいろんな意見の人がいるわけだから、日本の防衛が難しいからアメリカとの協力関係というものを、あるいは日米安保を保っていくためにはこれまでの日本の役まわりでは足りないから安保法制をそれぞれ変えていって、憲法9条も解釈改憲で、あるいはさらに改憲をしてみたいなことを考えないと、日本は現実的に生きていけないのだと思っている。それを民主的に表明している人もいるので、そういう人達と議論をしなくてはいけないわけです。そのための民主主義で、そのための1つの表明だったらデモでいいし、私はそう上手く論戦がかみ合ってくるような世の中を求めているんですけれども、安倍政権を批判する人は別に批判する意見が出ているようなメディアにしか接しないとかね、皆そうだと思っているのだと言うんですよ。そうではない人は皆、今度は支持している方だけを見て、皆そう思っているのだと。違う人はおかしいんだみたいなことで、昔みたいにメディアが強力であれば、大新聞でも、カラーはあっても両方の意見が出ていて、議論があって、私はこう思うみたいなのがあって、テレビのニュース番組ももっと皆が見ているような番組で、しかも、中立性を保てるようなことがあれば現在こんな感じかなと、落としどころが出てくるはずですね」
先﨑教授
「僕、毎週金曜日に大学生のゼミナールを持っているんです。先週やったのは何かと言うと、学生達に、たとえば、今回の選挙についてとか、あるいは増税の是非について、どういう意見を持つか議論してみなさいとやるわけですね。それについて僕はマックス・ウェバーを引くまでもなく、自らの意見はありますがそれに生徒にゴリ押しするとか、ある政治的立場を表明し学生達にそれを強要するとか、そんなことは絶対にしません。それこそが倫理だと思っているんです、教員として。その上で、その授業で僕はこう結論を言ったんですよ。現在、日本人の学生は皆そうだけれども、恥ずかしがり屋さんだから、誰か意見がないかと言うと、無くてシーンとしていて、そこからぼそぼそと喋り始めて、そして少し積極的に喋るんですね。それを総括して、僕は君達の選挙の内容については一切言っていない。何も言っていない。しかしながら、君達は現在、相手の意見、対立した意見を誰1人としてメモしていなかったんですね。1番大切なことは相手を論破する、あるいは自分の意見を表明している時には、相手が何を言っているかを、メモをして、それを自分なりに咀嚼したうえで、相手に対して俺はこう思うと言う、さらに勉強を一生懸命して、論理を積み立てていくわけです。つまり、1番大事なことというのはメモをとるという、極めて些細なことだったんですね。そこからわかること通り、僕にとって民主主義というのは極めて身近なものでなければならないし、それで手触りのあるものでなければならないんです。それがそういうこともできないにもかかわらず、いきなりワンフレーズとか、それから、何か政治的に大きな事柄として人々を誘導しようとし、引きずり込もうとしたって、普通の人はついてこないのだと思います。僕はそうではなく、民主主義を鍛え直すのであれば、そういう極めて些細なこと、自分で現在すぐにできること、そういうことの積み重ねに気づくことの中からしか、民主主義の復活はあり得ないと思いますよ」
反町キャスター
「自分で肌触りとしてわかっているわけではないです。要するに、日本の民主主義というのはそもそもの話で日本には歴史上、民主主義というものを勝ち獲った経緯がないのだよ、もらったもので、押しつけられたものであり、市民革命がどこにありましたかと、いや、明治維新がそうだという人もいれば、あれは違うだろうと。その意味で言うと、日本というのは市民革命からもたらされるであろう民主主義を目指した経緯というものがないから、我々のDNAというものがもしあれば、その中にもともと根づいていないよという、このロジックは外れていますか。飛び過ぎですか?」
先﨑教授
「もっと飛んで言いますと、福沢諭吉大先生が、三田に会館をつくったが、何でつくったかというと、日本人は議論する風習がなかったからと。だから、公議会と言って、演説というのをやったんですね。そういうふうに明治維新以来、日本人は福沢諭吉をはじめとして議論を積み上げていくという方法をやってこようとしたんだけれど、それがどうなのですかね」
片山教授
「確かに日本人は、民主主義というものを自力でちゃんと育てられたかというと大いに疑問があります。しかし戦後民主主義というだけで、もう70年ぐらいは一応やっているわけですし、その前の明治憲法の時代が民主主義ではなかったかというと、ちゃんと衆議院で選挙をし、ちゃんと選んで、演説もして、普通選挙になって、大正デモクラシーもあって、民主主義的に皆で議論して、いろんな違う人の意見も聞いて、ちゃんと話をまとめましょうねという伝統が、まったく蓄積されていないとは思わない。なので、確かに日本の民主主義は自力で育ってきたというわけではないかもしれないけれども、一応、公民教育もたくさんやってきて、民主主義に参加するためには、政治、社会、経済に対する判断力がなくてはいけないわけですから、そのためにわざわざ学校に行って、教育を受けて、選挙権をもらって、投票をして、人によっては立候補をして、政治家になるわけですね。その訓練というのはずっとやってきたから、しかし自前で判断しようと思っても、結局、正直言って、問題が難し過ぎますよ。地方銀行までマイナス金利と言われても、それがどういうことなのだろうと。これは普通に高等教育を受けていても簡単にはわからないし、専門家でさえそれが善いか悪いかで、これだけ議論が分かれているんですね。でも、それが善いか悪いかによって、我々の運命は大きく変わってしまうんです。大きく変わってしまうことなのによくわかりませんと。ちょっと結果を見てみたいということになってしまう。だから、アベノミクスはいつまでも道半ばですと言っている。やっているかもしれないけれども。でも、『うまくいっている』と言われれば、いっているのかなというデータもあると。しかしながら、『うまくいっていない』と思えば、いっていないようなデータもあると。どちらがより重要なのかということを、ちゃんと判断をしようと思っても判断できないと」

参院選・公示前日 日本思想史の論客に問う『民主主義』
秋元キャスター
「巨大与党が続いてしまう背景にはどのようなものがあるのですか?」
先﨑教授
「僕は今回の集団安全保障を巡る一連の騒ぎを、1960年代まですぐに遡るのに反対です。1990年代をもう1度見直す必要があると思っていまして、1993年に細川政権が誕生した前後に何が起こったかということを考えなければいけないと。この時に国内では55年体制が終わったと言われて、それより早く国際社会では冷戦構造が崩壊したわけですね。それに対して打って出たのが細川さんを担いだ小沢一郎さんですよね。その人が何をやったかというと、簡単に言えば現在まで引きずっていることを全てやった感があるんですよ。たとえば、憲法をその前の海部内閣の時に国内法が充実していないのにも関わらず海外派兵をやってしまった反省から、憲法9条に第3項を加えるべきだという憲法改正っぽいことも言ったし、2大政党制にしなければならないというのをアメリカの影響のもとに言ったのも彼だし、スパイスとして大前研一さんという人を引っ張って来てやった平成維新の会も加えると、さらに彼らが言っていたのは規制緩和と地方分権ですね。そうすると現在で言うと一時期騒がれた大阪の維新の会が出てくるわけであって、そう考えると現在の日本社会の状況というのは、1960年の騒ぎではなく、むしろ静かに変わっていった1993年前後からこの20年間の、集大成の選挙か、それとも未だに引きずっちゃっている選挙なのか。ここまでが僕の意見です」
片山教授
「この20年ぐらい日本の政治がすごく止まっているのと同じ問題の中でグルグルまわりながら、世界は変わってきていますけれど、その中で日本の政治というのは本当に失われた何十年になってしまったなという気がするんですね。55年体制が終わった、冷戦構造が崩壊した、アメリカ型の2大政党でいいのだ、2大保守制だ、討論だ、政策で対立すればいいのだ、それで良い方を選べばいいのだ、いい方を選んで政権が交代すれば阻害が起きないから金権政治が打破されるのだと、この理屈だけで行って、その結果刹那的に政策的なことしか考えないようになったというのが、ここ20年以上の習慣になっちゃっているんですね。私だとその前の時代の記憶がたくさんあるからおかしいなと思うのだけれども、現在の政治家はその感覚でしか育っていないから、本当にそういう意味でイデオロギー的な前提があって、その後イデオロギーを超えてもこれと戦わなくてはいけないとか、そういうような思想的にちゃんと固まって選択する習慣というのが政治家からなくなってしまって。非常に状況論的、戦術論的な話ばかりになって、それをもっと大袈裟な言葉で表すから、だんだん何なのかなというふうに見えてしまってくるところがあると思うんです。とにかく1990年代に冷戦構造崩壊後の政党政治のデザインを根本的に間違ったことがずっと尾を引いているので、結局はどう再編すればうまくいくのかと言うんだけれども、既に再編を繰り返しながらほとんどの政党が傷物になってしまって、その政治家が何をやっても信頼がうまくとれないのではないかというところで。自民党も変わらぬ名前の党なのだけれども、かなり中身が変わりましたよね。という中で、非常にちょっと簡単な処方箋は見えないのだけれど、とにかく今度の選挙で何か急に上手くいくということはなくて、おそらくもうここ20年の低迷の中であがきの時代が続いていると」

選挙のあり方
秋元キャスター
「参議院選挙では、1人区で野党が統一候補を立てましたが、前回の衆議院選挙から状況としては前進したのでしょうか?」
片山教授
「一応前進しているというか、とにかく現在の自民党のやり方を止めなくてはいけないということで政策を超えて一緒にならないと危機だと。自民党も盛んに危機の時代だからと言うけれども、野党もたぶん危機の論理で対応しているから、政策の合意形成がなくてもとにかく統一候補を出し、その後のことはどうなるかわからないけれどもとにかく与党の候補に勝つのだと。ただ、それを国民が皆危機というのを共有しているかは温度差があるので、野党のノリというのは、民主主義の危機だと言っているのと、いや、そうではないのではないかみたいなところの温度差のところで盛り上がることにはなかなかならないのかなとは思いますね。でも、小選挙区なのだから、党側が統一候補を出すことによって勝とうとするというのは、参議院ですけれども当然だと思います」
先﨑教授
「危機の論理という言葉がありましたけれど、ごくごく普通な僕も含めて人間というのは、危機の際にはそれこそ危機管理で、地元とかそういうものをどうにか地震の状況から立ち直らせたいとか、意外と人々は目先のことに冷静に対処しようとするんです。危機だ危機だと煽っても、しかも、そこのところを経済ではなくて立憲主義という政治的な課題で煽ったとしても、なかなか国民が実際にその危機を共有するということは、少し戦略としては厳しいのかなという見方です、現状では。政治問題がクローズアップされる時は必ず外側からの危機、外交上の危機が起きた時で、その際に国民はワッと1つのところに結びついていくのですが、そういうことが感覚として考えられていないので。」

片山杜秀 慶應義塾大学法学部教授の提言:『正語』
片山教授
「これは仏教の言葉で、八正道の中の悟りを開くためには正しい何かをしなければいけないというのが8つある中で正しい言葉を使いましょうというものですけれども、曖昧語とか、言い換え語とか、誇張語というのが現在の日本の政治には満ちているので、こういう言葉を使っている者は信用しないと皆さん徹底する。これが大事だと思います。正しい言葉を使いましょう」

先﨑彰容 日本大学危機管理学部教授の提言:『政治的人間』
先﨑教授
「これは江藤淳という評論家が、勝海舟を肯定するために使った言葉です。政治というのは、普通のイメージとは逆であって、黙々と秩序をつくり続ける人、そういう人を政治的人間と言って評価すべきだと。それが現在求められているのではないかと思います」