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2016年5月6日(金)
金正日の料理人と見る 36年ぶり北朝鮮党大会

ゲスト

山本一太
自由民主党参議院議員
藤本健二
金正日総書記の元専属料理人
平井久志
ジャーナリスト 立命館大学客員教授

『金正日の料理人』に聞く 党大会『36年の空白期』に何が
松村キャスター
「朝鮮労働党大会ですが、これまでの党大会は1946年から6回全て、金日成国家主席時代に行われています。金正日総書記時代は1度も党大会は開催されませんでした。今回は36年ぶりに開催されたことになります。平井さん、この36年間、開催されなかったのには、どういう事情があったと考えますか?」
平井氏
「党大会というのは、今回も言われていますけれども、北朝鮮では勝利者の大会、栄光の大会ですね。だから、成果がないと開きにくい。過去の大会のほとんどというのは、長期経済計画が発表されているわけですね。ですから、今回も輝かしい設計図が人民に示されるのだということを金正恩さんもおっしゃっているので、本来はそういう新しい経済計画、5年後に、こう生活水準が上がるのだということを提示しなければいけないわけですね。ところが、お父さん、金日成主席が亡くなって、金正日総書記が権力を継承した際に、苦難の行軍と言われる大量の餓死者が出るような、そういう経済的には、極めて凄まじい状況になったわけで、到底、成果が示せるような状況ではなかったわけですね。ただ、2000年に開こうとしたのですけれど、それがまた南北関係の急速な、南北首脳会談が実現して、環境が変わってできなくなった。そのあとは先軍政治という、むしろ、党の力の方が弱くなったんですね。軍の力が強くなって。ですから、党の機能を回復する必要がなくなった。ところが、現在の政権というのは、党を中心に動いていく。軍よりも党中心の国家運営をしている政権ですから、いずれは早く党大会を開いて、その党大会で、金正恩体制というものを公式に出発させる必要性はあったのだと思いますね」
反町キャスター
「藤本さん、現在、平井さんが言われたように党大会というのは、勝利の大会であるというのならば、金正恩、金日成総書記の時代というのは勝利がなかったのかどうかと、こういう話になってくるわけですよね。藤本さんが平壌に、いわゆる料理人として、ずっと平壌によく行かれるようになった時代というのが、まさに金正日総書記が、総書記に、実権を握るようになって、現在言われた非常に飢饉の時代で、厳しい時代に、その時代に藤本さんは何回も何回も北朝鮮に入っていたと。勝利の大会が開かれなかった背景を考えた時、藤本さん、その時代、平壌に行かれています。北朝鮮のその頃というのは現在に比べると、実はあの頃、非常に皆さん、苦しい、国民の人達は苦しんでいたんだなというのを感じる部分はありましたか?」
藤本氏
「我々が中にいる時にはまったくそういうものは感じませんけれども、ただ、私の家族もいるんです、嫁の家族が。妹とか、母親とか。国から送られたものを取りにくるのですから。いついつ、何曜日というのをわかっていますでしょう。わざわざお母さんが取りにくる」
反町キャスター
「それは、配給?」
藤本氏
「配給です。配給を、我々2人では食べられませんからね。子供2人で、4人で、小さかったから。だから、半分ぐらい袋に入れて持っていかせるんですよ」
反町キャスター
「そのぐらい、でも、奥様のご家族も平壌在住だったのですか?」
藤本氏
「そう、平壌在住ですよ」
反町キャスター
「都市部と平壌における経済格差がすごくあると言われるので、平壌の中においても、しかも、金正日総書記の料理人を務める人の親族と言えば、ぞんざいに扱われる筋ではないと思いながらも、家族までいっちゃうと配給は十分ではなかった?」
藤本氏
「そうです。十分ではないですね、本当に」
反町キャスター
「その意味で言うと、敢えてお尋ねすると、では、この時代というのは、藤本さんから見た時は金正日総書記にとっては苦しい時代だったのではないかという感じはしますか?」
藤本氏
「ええ。確かにそうでしょうね」
反町キャスター
「傍から見て、経済のこととか、安全保障の件もあったかもしれません。南北関係とか、総書記がすごく悩まれているような雰囲気というのをお感じになる部分も多かったですか?」
藤本氏
「そうですね。悩まれている時はあります。飲んでいる最中でも、2、3分黙っている時もありますからね。本当にそれは考えていらっしゃるのでしょうね、自分でね」
反町キャスター
「平井さん、この状態、つまり、金ファミリー3代ですけれど、こういう形で続いているわけですけれども、先ほど言われた、先軍、軍の時代、党の時代から軍の時代になって、また、党の時代に来ている。この流れですけれども、党、軍、党という権力基盤の変化というのは、これはなぜそういうことが起きてきているのですか?」
平井氏
「1990年代の苦難の行軍時代に、北朝鮮を動かしている党の行政機能がマヒするわけです。皆、自分の、たとえば、配給は自分で解決をしなければならない。そうすると、末端の党員も、そういうことをケアする余裕がなくなってくると。そうすると、北朝鮮の国内の組織で、ちゃんと規律が成立して、命令が命令として、ちゃんと機能するというのは、軍の組織しか残らなかったわけですよ。ですから、国家というものを運営し、国家を自分達の思う方向に動かしていこうとすれば軍に依拠しないと権力を掌握できないという、そういう必然性があったと思いますね」
反町キャスター
「国家主席は、要するに、カリスマですよ。誰もが知っている。この人がいる限りにおいては党をきちんと指導し、誰もがこの人の考えに従うだろうという中で、2代目になりました。2代目はカリスマ性がない分、軍の力に頼った。こういう理解でいいですか?」
平井氏
「と言うか、経済状況は非常に悲惨な状況になりましたから、そこで党が、しかも、機能しなくなっている。皆生活に追われている。そういう中で、ちゃんと指示が指示として通る組織というのは党ではなく、その状況では軍になっていたわけですよね」
反町キャスター
「党が自分の意のままにならない状況があったのですか?」
平井氏
「命令をしたくても、もはやちゃんと行政的にも、たとえば、指示を遂行できるような機能を失っていたということですよね、党が」
反町キャスター
「その状況は、平井さんから見て、金正恩第1書記の時代になっても、党の組織的な機能性の創出というのは未だに続いていたと見ていますか?」
平井氏
「ですから、金正日さんは、自分の健康が2008年に悪化した。後継者を考えざるを得なくなった。2009年の最初に、金正日さん、候補者を決めて、その翌年の2010年に第3回党代表者会というのを開いて、党の中央委員であるとか、そういう人をもう1度、選び直して、党の再建にかかるわけですね。そこで初めて金正恩さんが登場するわけです。ですから、自分は長い間、独裁者でやってきたから、党の威光というものを借りなくても国家運営はできる独裁者だけれども、息子はそういうシステムがないと動かないだろうと、おそらく金正日さんは考えたから、国内的には党の組織をもう1度、機能を回復させて、党代表者会を通じて朝鮮労働党というものを機能回復させ、もう1つ、国際的には中国のサポートが必要だと思いましたから、晩年、足繁く中国を訪問して、非常に政権末期の頃に行きましたよね。それは国際的に中国のサポートを獲得しようと。それは、金正日さんなりの対外的な問題、対内的な問題で、後継体制というものが彼の準備だったと思いますね」

金正恩第1書記の『素顔』
松村キャスター
「今日のゲスト藤本さんの経歴です。1982年に平壌のレストランに寿司職人として勤務。元山招待所で金正日総書記の前で寿司を握りました。翌年一時帰国しています。再び1987年に訪朝。高麗ホテル料理人として勤務しています。1988年、月3回ペースで金正日総書記に呼ばれ、家族とも交流。この時、幼い金正恩氏らとも交流しています。金正日総書記の紹介で1989年に結婚。2001年に帰国。2012年、金正恩第1書記と11年ぶりに再会します。これはその時の写真です。先月、訪朝します。金正恩第1書記と4年ぶりに再会と。経歴を見ると、長年交流があると思うんですけれども、藤本さん、なぜ金一家に信頼されていると思いますか?」
藤本氏
「初めての金正恩氏にお目通りですよね、向こうで言えば。知っているのは亡くなられた張成徳氏です。あの人はファミリーですからね。他の幹部達は一切、見たことがないですから。会ったこともない。それを今日は皆にちょっと紹介をしよう、と。それで2人の男性が来ましたよ。軍服を着ていましたよ。2人とも。それで1番、私が最後尾ですよね。幹部達から握手をして、私は最後尾。金正哲大将と私は握手しました。私はちょっと力を入れたんです。そうしたら正哲大将も力を入れてくれました。それで金正恩氏になりました。次、そうしたら、じっと見ているだけですよ。手を出そうともしないですよ」
反町キャスター
「その時、いくつですか?」
藤本氏
「7歳です」
反町キャスター
「7歳の子供が、年長者が握手をしようと手を出すことに対して、手を出さずに相手の目を見る」
藤本氏
「睨みつけられましたからね」
反町キャスター
「それはどういう印象ですか?この子供はという感じですか」
藤本氏
「私を日本帝国軍の輩かという目で睨みつけたんですよ。そうしたら、後ろから将軍が、ほら、ほら、藤本さんだよと。要するに、寿司を何回か皿に盛って、2、3人前、ちょっとつくってくれよ、ということで持って行ったんですよ。食べたんですよ。わさび抜きでね。わさび抜きでつくったことがありましたからね、何回か。それを食べているんですよ。これが日本人の日本職人の藤本がつくったやつだと食べたんです。それで、私を日本人だとわかるわけですよ。それから、全員握手して、嫌々手を出しましたよ、その時は。力を入れても全然反応ないです。反応なし。それでその会、別れまして、握手会が終わりで、それから、1週間か10日頃に金正日将軍から電話があったんです。現在ちょっと運転手が行くから、ちょっと乗って来いと。それで官邸まで行ったんですね。どこの招待所でも官邸というのはありますからね。そうしたら、相当な人数だったんですよ、その時、出ていたのが。奥さんも出ているし、技術者がいるわけですよ。皆、出ていて、凧揚げ、将軍が凧を上げて、眺めるのだと。日本人だから上げてくれよと、子供達のために。無茶ぶりですよ。それで大きい凧、日本の凧ですよ。歌舞伎か何かが出ている。それで下に尻尾がついていないですよ。日本で尻尾が付いた凧上げ大会ありますね、どこかで。あれは技術がいるんです。それですぐ模造紙とハサミと糊とセロテープと全部すぐ用意してきてくれまして、それで1m50cmぐらいのを、2本つくりまして、この凧は私を睨みつけた金正恩氏に持ってもらおうと思い、それで号令をかけたら離してください。ちょうど風がちょうどいい風で、OKと言ったんですよ」
反町キャスター
「紐を引っ張るのは藤本さんで、凧を持っていたのは?」
藤本氏
「金正恩氏です」
反町キャスター
「当時、7歳か8歳?」
藤本氏
「7歳です」
反町キャスター
「指示したわけですね。お前、これを持っていろと?」
藤本氏
「通訳いますからね。お前、これ持っていろと言えませんよ。大将ですからね。それで上げて、OKと言ったら、風がちょうど吹いて、上げたら、本当に招待所の上に、高々と上がりましたね。皆、首が痛くなるのではないかと思ったぐらい」
反町キャスター
「そこの最初の出会いが、金正恩少年の気持ちを掴んだのですか?」
藤本氏
「心開きましたね、その時は」
反町キャスター
「凧で掴んだ?」
藤本氏
「凧で」
反町キャスター
「そうすると、藤本さんは、金正日総書記に最初に入っていったのではなく、正恩少年の心を凧でわし掴みにして、そこから上に遡っていったみたいな。こんなイメージですか?」
藤本氏
「そうですね。でも、金正日将軍の心も掴みましたからね」
反町キャスター
「それは寿司で?」
藤本氏
「終わると、必ずチップをくれるんですよ」
反町キャスター
「それは料理のあとですか?凧のあとですか?」
藤本氏
「凧のあとですね。その時も金正日将軍の心は掴んでいませんでしたから。そうしたら、今日はご苦労さんと言うんですよ。通訳を通じてね。それで、白い封筒、目の前に置いてありますから、封筒を持って、ちょっと腰を上げたんです、取れよと、軽く私に渡そうと思って、官邸が広いですからね。広くて。それが私の目の前にひらひらと落ちたんですよ。私はカチンときまして、私は拾おうとしませんでした」
反町キャスター
「金を投げつけたという意味ですよね?」
藤本氏
「私は外国まで行く、そういう人間であるけれど、投げられたチップは拾えないと、私は思いましたよ」
反町キャスター
「それでも、刃向う相手としてはまずくないですか?」
藤本氏
「本当にまずかったですね。周りの幹部達はピリピリしていましたからね」
反町キャスター
「何で喜んで拾わないのかと?」
藤本氏
「皆、カムサハムニダとやるんです、拾って。私は投げつけられた、要らないと。それですぐ隣にいる通訳がすぐに拾って、私にチップだよ、ということで貰って。それで目の前で、この顔です。カムサハムニダと。金将軍、人の顔を見るのすごく判断早いですからね。こいつは怒ったなと。気分が悪いのだなと。周りの人間と全然カラーが違うと。それで私はカムサハムニダと言って厨房へ戻ったんです。その1週間後です。同じ場所で、同じシチュエーションで。そうすると、入ってきたら金正日将軍が藤本、先週は悪かったと、許せと謝るわけです。いえ、とんでもございませんと。私こそふざけた態度でしたと、逆に謝りました、私は」
反町キャスター
「それは、逆に、藤本さんが金正日総書記に掴まれてしまった瞬間ですよね。掴んだあとに、掴まれたみたいな。そういう感じですよね?」
藤本氏
「そうそう」
反町キャスター
「山本さん、このやり取りをどう感じますか?小泉さんが、金正日総書記とお会いになった時の拉致を認めるか認めないかの件を思い出しながら、話を聞いていたのですけれど、どう感じますか?」
山本議員
「まず藤本さんが金正日総書記に対して不愉快な態度を見せられたというのはすごいなと。それは凧を通じて、心を、ハートをつかんだ、金正恩第1書記、後年、この間も会われたということですけれど。日本についてのインタビューを見たら、日本の印象についてどうだというふうに聞かれた時に、最悪ですねと、はっきりおっしゃっていると。それは相当信頼関係がないとできないのかなと思うのと、今日是非お聞きしたかったのは、金正恩第1書記にちゃんと会って、プライベートに話をされているのは藤本さんだけだと思うので、1つ聞きたかったのは、この人がどういう人なのか。世界中の人が知りたがっていると思うんですけれども、二面性ですよね。たとえば、1月6日に核実験をやったではないですか。平井先生もそうですけれど、私も核実験はないと思ったんですよ。なぜかと言うと、昨年10月の北朝鮮労働党創建70周年の軍事パレードの時に、閲兵式で演説をしたんですよね。非常に融和的演説であって、並進路線のことは言ったけれども、核とか、ミサイルのことは言っていないですよ。青年重視とか、人民重視と言って。なるほどそういう流れなのかなと思ったら、今度1月1日の演説でも非常に融和的で、この時も核とか、ミサイルは言っていなし、確か朝鮮半島の統一問題についても民族の結束のために胸襟を開いて誰とでも話し合うみたいなことを言って、中朝の関係も何となく良くなってきたと。韓国とも関係も決して悪くないわけではないですか。昨年の8月ぐらいの騒ぎもあったけれど、あれも収まって、離散家族の事業もやったわけではないですか。それなのに1月6日に核実験をやったわけですね。それから、もう1つ言うならば、たとえば、先ほどから金正日政権との違いについていろいろありますけれど、ある意味で言うと、金正日政権時代には考えられなかったことをいろいろとやっているんですね。たとえば、ミサイルの発射場を見せるとか、視察の映像を流す、あるいは平壌のマンションが崩れたら大臣に謝らせるとか、あるいはNBAのロッドマンを呼ぶ。お父さんとは違うオープンネスがあるにもかかわらず情報統制して、今回みたいに外国のメディアを呼んでも、またこれをシャットアウトしちゃうみたいな。こういう二面性のある人なのですか?」
藤本氏
「二面性だか、何だかは、私にはわからないけど、ただ、私に対して、要するに、ストレートに話をしますね。私を何のことはない政治家になったみたいだねと。そういうことを言うんですよ。私が、とんでもございませんと言うと、そのあと、ロケットを飛ばしたり、ミサイルを飛ばしたりしているけれども、日本はどう(思っているか)というから、私は最悪ですよと言うわけですよ。私はこの話は日本へ帰った時にマスコミへ公表してもいいよと。公表しろとは言わずに、公表をしてもいいよと。日本で公表をすれば、全世界へ伝わりますよね。マスコミに言えば。ですから、そういう狙いからして、何か託しているなとは思いましたよ」
反町キャスター
「平井さん、なぜ今回、金正恩第1書記は、藤本さんを平壌まで呼んで、何らかのメッセージを託し、そういうことを言ったか。彼のモチベーションをどのように見ていますか?」
平井氏
「僕は2つ、両面あると思います。だから、子供の時に一緒に過ごした藤本さんに対する懐かしさや、そういうもので人間的に、また、会いたいという気持ち。そういう側面も間違いなくあると思いますし、もう1つは金正恩さんとしては若いというのが自分にとって非常にコンプレックスになっていると思うんですね。それが、国際社会が相手にしてくれないという、普通の国家指導者として、海外にいる、指導者達がまともな対話の相手としてまだ認めていない、そういうことに対する不満が非常に大きいと思いますよ。だから、たとえば、アメリカのロッドマンさんに対し、私はオバマさんと電話で話したいのだと。電話をしてくれと言っているわけですね。だから、たぶん彼は、自分は北朝鮮の最高指導者であるし、そういう地位、ポジションにあるのだから、私とちゃんと対話してほしいということを海外の目に対して、自分をちゃんと対話の相手として認める、指導者だとわかってもらいたいという、欲求があるのではないのかなという気がしますけれども」
反町キャスター
「藤本さん、そのあたりの感じというのは第1書記から感じますか?皆、海外の連中は、安倍総理にしても、オバマ大統領にしても、俺ときちんと話しようとしていない。俺をきちんと認知して、一国の指導者としてきちんと話をしろよという」
藤本氏
「それはありますね。そういう気持ちでいますよ、本当に」

先月訪朝時の金正恩第1書記
山本議員
「藤本さんのインタビューの報道も拝見していますけれど、何と言っても1番大きいのはアメリカについて、金正恩第一書記がアメリカと戦争をするつもりはないと。向こうがいろいろ無理難題を突きつけてくるから困っているみたいなお話をされたと伺っている。それは是非お聞きしたいなと」
藤本氏
「ですから、現在、ロケット上げたり、ミサイルを上げたりしているけれども、我が外交の人間が話を持っていくと、無理難題をぶつけてくるぞと。無理難題、すなわち核でしょう。核を放棄しろなんていうことを言うわけですよ。放棄するわけがないですよ、北朝鮮側は。自分の国を守るためだけのあれですから。だから、金正日将軍時代からそうですよ。我が国が核を持つことに賛成か反対かと。私が、全世界で(日本は)たった1つの被爆国ですと、日本は。ですから、私は反対ですよと。核をつくらなければ、外国が攻めてくるのだ。外国すなわちアメリカですよね。攻めてこられるのだ。せっせせっせと核をつくっているわけですよ。それを手放すわけがないです。ですから、北朝鮮と外交するには核を放棄しろなんてことを言ったら全然進みません、話が。あくまであれは国を守るための策ですからね」
反町キャスター
「第1書記の対米観をどう感じますか?」
平井氏
「私はまだちょっとわからないですね。まさか本気で戦争しようという気はないと思いますけれど、ただ、普通の挑発の仕方というのが、対話が成立しているような挑発の仕方ではないので、そこが少し下手というか、外交になっていないということですよね。ちょっと感じるのは非常に早く結果を出そうとする、せっかちだ。だから、短期間で結果が出ないとダメだという判断を下すような性格がちょっとあるのではないかということと、外交というのは51%と49%の折り合いみたいなもので、どちらかが一方的に勝利することはないわけですから、そういうところの駆け引き。今回は負けるけれども、次は獲るのだというふうな、そういう思考方式のトレーニングがあまりないのではないかなという気はするんですけれど。特におそらく次のアメリカの大統領選、誰になるかはわかりませんが、次の大統領の任期中に北朝鮮の核というのはさらに発展して、おそらくアメリカ政府は、好きであろうと嫌いであろうと交渉せざるを得なくなると思うんです。その時に彼がどういう交渉戦術を組み立てるのかということが非常に大きな問題になってくるので、側近の中でそういう外交的思考方式みたいなことをちゃんとアドバイスできる人がいるのかなと。それが不安ですね。現在の人員を見ていると、現在のところはいない。お父さんの時代は金日成がまだ生きていたわけですよね。だから、第1次核危機の時は金日成主席が生きていて、外部社会にカーターさんというある種のホワイト騎士のような方がいらっしゃって、そのことによって第1回核危機は回避ができたわけですが、現在の挑発と圧迫というものが本当に行き着くところに行っちゃったら非常に危険なので、そういう意味で、国内的にも彼に助言できる人は必要だと思います」

金正恩第1書記の『中国観』
山本議員
「これから対北朝鮮戦略を転換していくうえで、国連安保理決議を有効なものにするためにも、あるいは日本がこれから拉致の問題、核の問題、ミサイルの問題を解決していくためにも、キーワードは中国ですね。あらためて国連安保理決議の中身を読んできたのですが、中国が本気にならないと抜け穴がいっぱいあるので、そういう意味で言うと、本当に中朝関係が、たとえば、金正恩第1書記が中国をどう見ているのかというのを知りたかった」
反町キャスター
「第1書記から中国についてのコメントは出たりするのですか?」
藤本氏
「今回はなかったですね」
反町キャスター
「2012年に行った時は?」
藤本氏
「2012年も中国系は何もなかったですね」
反町キャスター
「第1書記は中朝関係を気にしていないわけではないですよね?」
藤本氏
「4時間の金正恩氏と対談というわけではないけれども(話をした)、タバコの話も全然なくて、何かお話があるのですかと、私が聞いたら、向こうへ行こうと、娯楽室があるんですよ、専用列車には。そこへ行ったら、受話器をとってウォッカを1、2本持ってこいと、藤本とちょっと話があるからと。その時はいろいろな話をしましたけれど、私の国にはウラン鉱石しかないと、その時、私は朝鮮語が上手ではなかったから、朝鮮語が理解できますかと私に聞きながら、私は日本の昔話をし、日本にはこういう昔話がありますよと、亀と兎の話をしたわけです。日本にそんな話があるのかと。スタートが遅れただけですから、いいではないですか、これからどんどん変えていけばいいではないですかと。それで、その時に、中国と言っていました。中国は何でも成功しているなと、デパートも、農業もそうだし、いろんなものが成功していると。中国の真似をしなければいけないのかなと、そんな話をしていました」
反町キャスター
「正恩氏が何歳の時ですか?」
藤本氏
「17歳」

『金正日の料理人』と考える 『暴走』北朝鮮への対応策
反町キャスター
「北朝鮮の地下資源の将来性はどう感じていますか?」
平井氏
「それはあると思いますよ。特に、いわゆるレアメタルだけでなくても他の希少金属が非常に多いですから。ちゃんと開発すれば、随分な地下資源だと思いますね」
反町キャスター
「第1書記は外資を導入して、日朝平壌宣言の時の延長線上に日本からの資本が入って国内の開発をし、北朝鮮からウラン、タングステン、ニッケルとか、そういうやつですよ、北朝鮮から出るのは。そういったものを輸出していくという、そういうビジョンは彼の中には現在もあるのですか?」
藤本氏
「あると思いますね」
平井氏
「それは経済開発特区というのを彼がいろんなところで取って、特にタンチョンという地下資源の多いところは、そういう地下資源の特区をつくると言ったわけですよ。ところが、それは外国資本が入ってこなければいけないわけで、ですから、まさしくここ1年ぐらいの間は逆に経済開発区の話が全然出てこないですね。だから、それは現在の路線、この1月以降の路線とは完全に合わないですね」
反町キャスター
「外資が必要でありながら、外資を追いやる政策、実験だ、ミサイルだと。そればかりではないですか。そこの矛盾というのは解決できていませんよね?」
平井氏
「そう思いますね」

金正恩第1書記の『日本観』
松村キャスター
「日本について金正恩第1書記はどのように思っていると思いますか?」
藤本氏
「それは素晴らしいと、お母さんは素晴らしいと言っていますからね。ですから、お母さんの遺言ですよ、いろんなパークをつくっているのは。本当にそのパークも、私達が視察に最初行ったんです。私ともう1人いたのだけれども、その彼が任務を受けたんです。任務を受けると同行する人間だって教えないからね。同行の私にも言いませんからね。ディズニーランドに行って、切符を買ったけれども、入ろうとしないんですよ。どうしたのですかと聞いたら、ちょっと仕事があるからと。その当時は7件ホテルがあったんですね。それでスイートルームのパンフレットを全部取って、ポケットに入れて、仕事が終わった、中に入ろうと。何か乗りましょうと言ったんです。そうしたら、ずっと長い列だったんです。これでは相当、時間がかかるからすぐ乗れるところで乗った方がいいのではないのと言ったら、面白いから並んでいるのだと。乗ったところ、これは面白かったなと。それを報告するんですよ。奥様も正恩氏もそれに乗ったと。喜んでいましたから。奥さんがこれを平壌市内につくったら、どれだけ子供達が喜ぶだろうと。それですぐ見積もりを聞かなければいけない。それで1か月ぐらいあとに見積もりが出てきたと。とんでもない金額で北朝鮮も断念しましたよ。そういう乗り物だったんですよね。(北朝鮮の)パークでそういう乗り物はないでしょう。ジェットコースターみたいなものばかりつくっているでしょう」
反町キャスター
「日本に対する想いというのは、豊かな暮らしをしている国だと。そういう見方ですか?」
藤本氏
「私に聞くんですよ、日本は戦争に負けたんだよね?と。アメリカに負けましたよと。復活だねと感心することもありますね。(総書記の)奥さんが話していたのは日本のタクシーは最高だと、世界一だと思うよと。運転手さんは帽子被って、白い手袋し、ネクタイまで締めて。そういう話を聞いてますでしょう。日本という国を悪く思っていません」

金正日総書記の元専属料理人 藤本健二氏の提言:『拉致を解決しよう』
藤本氏
「まったく現在動いていませんから、どんな方が行っても。ですから、私は日本の安倍総理に、私に力を貸してくれるなら、私は拉致を解決しますとはっきり断言します。そうして力を貸していただけなければ私は、私の役目は今回で終わりでしょうと。終わりになるかもしれませんと。そういうことを言いたいですね」

ジャーナリスト 平井久志氏の提言:『何を考えているのかの把握』
平井氏
「金正恩さんという人に対してあまりにもデータがないですね。本当のところ、今日、藤本さんからいろいろ面白いお話を伺いましたけれども、北朝鮮という独裁者の国では彼が何を考えているのかを把握する必要があるので、核問題も含め、日朝の問題も含めて、少しまともに金正恩さんとの対話というものを国際社会も考えるべきではないのかなと私は思っています」

山本一太 自由民主党参議院議員の提言:『現実を直視する』
山本議員
「金正日政権の時にこの体制は崩壊すると結構世界の多くの人が信じていたんですけれども、金正恩政権も崩壊しないと。核開発も簡単には諦めないと。だから、まずは核の開発プログラムを凍結していくと。対話と圧力ですけれども、圧力なら圧力で国際社会とも連携しながらキチッとかけていくと。中国も巻き込んで。現実も踏まえて先ほどの平井先生の方から金正恩第1書記の考え方の把握がありましたけれど、現実を踏まえて政策を打ち出していくことが大事だと思います」