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2016年5月5日(木)
元法制局長官と西部邁 憲法語る鳥の目虫の目

ゲスト

西部邁
評論家
阪田雅裕
元内閣法制局長官

西部邁×元法制局長官 今こそ憲法を考える
秋元キャスター
「まず二人が日本国憲法をどのように考えているのかというところから聞いていきたいと思います。憲法は国の最高法規と憲法で規定をされていたり、根本規範とも言われたりしますけれども、西部さん、この憲法は日本の中でどのような位置づけだと考えますか?」
西部氏
「昔から憲法観で2つの考え方があって、憲法はつくられるものか、つくるものか。それとも成るものかと。成る、成長の成。その意味は、後者は、憲法というのは長い時間をかけて、その国の歴史がもたらした、もちろん、成功、失敗、右往左往はあるけども、人々がおおよそ共有できるコモンセンスという意味での常識、あるいは良識ですね。そういうものを明文化して、制定法化したものが、成文憲法である。でも、根本は歴史の中から時間をかけて自ずと成長する、英語でスポンテニアスと言いますけれども、自生する植物のように、その国民が歴史をかけて、自ずと成長させてきた、そういう根本的な規範をたまたま成文でしたためてみたら、だいたいこうなるのではないのと。それに対してアメリカももともとはそうですが、典型的に崩壊したソビエトとか、現在姿、形を変えましたが、共産中国。ああいうのが実験国家ですよね。ある何か、この場合、ソ連の場合で言えば、マルクス主義という理念やイデオロギーの体系があって、ある種の価値観、固定した価値観があって、それに基づき、これは英語でコンストラクターイズムというんですけれども、設計主義ね。ちょうど新しい、何かこう、建築物を設計するようにして、過去から切り離されたところで新しいものを設計すると。それはつくる憲法と。日本の国はもちろん、戦争で大負けしましたけど、本当は、数千年の連続した、安定した、他の国と比べてても歴史を持っている以上に、日本人は基本的には前者の成る憲法(がある)、自然成長的な。ちょっと時間をとって悪いけれども、道徳というのは日本人、簡単に言うけれども、これは英語の方が説明しやすくて、英語で言うとモーラルでしょう。モーラルのもともとの意味は、モーレストというラテン語にあって、これは集団の慣習という意味ですよ。ただ、集団の慣習というのはちょっと時間をかけてできるものですけれども、そこから出てくるのがモーラル、道徳であると。誰かが勝手に頭の中でへ理屈を考えているんですね。これは正しいのだ、間違っているんだと。これは科学だとか、社会設計図だとかというの、そういうのをエクスペリメンタル、実験国家というんですけれども。歴史の知恵は、実験国家というのはおおよそ失敗しているなり、大混乱。アメリカはもともと実験国家ですけれど。大混乱に見舞われているんだと。日本の場合はあの時、思わず、知らずですよ、アメリカに大負けして、腰を抜かしたとか、いろんな理由があって、結局のところ、本当は歴史を持っているくせに、歴史を全部、忘れるなり、否定するなり、新たな国を設計するというアメリカの姿勢。アメリカはネイションビルディングですね。そう言えば、アメリカがイラク、バグダッドを攻略した時、イラクのネイションビルディングはGHQ方式でとやって、僕は甚だしい恥辱を感じた、日本人として。アメリカは現在でも、自分達が設計して、実験的に。それで歴史を切り離して、新しい国家をつくってやったのだと。自分達はイラクにも、だって、アメリカの唯一の成功例ですからね、日本はね。あとは朝鮮、ベトナムだろうが全部失敗しているのですから、アメリカは。忘れられない思い出で、それを思い出してイラクのネイションビルディングはGHQ方式で設計する。ビルディングですからね。と言って大失敗をして、現在、大困惑して、世界の警察はやめましょうなんて、それでトランプ氏が出てきて…」
反町キャスター
「西部さん、憲法の2つの定義。コミュニティなり、社会に営々と築き上げられてきたコンセンスを明文化したもので、いわば自生であるというもの、もう1つは実験国家において新しくつくったもので、過去との分裂、断絶があるという、この2つの定義からいくと、日本国憲法というのは、敗戦国、日本を実験国家として、アメリカが過去を切り離して、新しくつくったもの?」
西部氏
「そうなんです。ところが、日本人というのは、利口なところがあって、お世辞ではなくて、最高裁であれ、法制局であれ、いわゆる解釈改憲という言葉に典型化されるように、アメリカは何かしら厳格に、たとえば、前文の第3項、そこに書かれている政治道徳は普遍的なものであって、いいですか、政治というからには相当、具体的な事柄を含むわけです。それを普遍的だと、こう言ってみせるアメリカ人の傲慢さ。ところが、日本人は利口ですからね。状況に応じて、それから、解釈の幅を持たせてやってきたわけですよ。それを今更、忘れて、これを言葉の指示通りに、厳格に解釈するなどという、小さい声で言いますけれども、僕、2つのこと…1つでいいのかな、憲法学者、最高裁の判事、法制局長官なら、それは法律に従わなければいけない大前提はありますよ。もちろん、学者ももともとの学の意味は真似すると言う意味ですから、日本国憲法を真似しているなら、それでいいけれど。現在ふうにもし自分で起業精神を持って、自分なりの判断を下すことがあるなら、国会に呼ばれて自衛隊が違憲ですと言う。言っていいですよ。僕も違憲だと思っているのですから。言っていいけれども、そもそもの自分が基づいている法律が、自分の批評精神、解釈、態度からして何もいいか悪いか。ゼロかイチからの判断をしなくてもいいけれど、自分はこの憲法を、たとえば、9条の第2項を、おおよそ悪い憲法だと思いますという、態度を明らかにしたうえで何かを論じるのが学ぶ者の務めなのに、今時、平気で自分の解釈はさておいて合憲です、違憲ですなんてことを公の場で言っていると、裁判官でも、法制局員でもないのに、そういう学者達が、テレビ、新聞に溢れかえっているという」
反町キャスター
「阪田さん、現在の西部さんの憲法に対するスタンスというのか、評価。日本国憲法に対する立場も表明されたのだと思うんですけれども、どんなふうに感じますか?」
阪田氏
「現在の憲法、公務員というのは、憲法を尊重する義務がありますので、現在の憲法を云々するという知見というか能力は、私にはないので、ちょっと別の視点で憲法というのが何かという話をさせてもらいたいと思うんですけれど、現在の民主主義国家では、法律が万能ですね。と言うか、法律以外では統治できないわけですね。ですから、法律をつくって、執行する権利、権力。これは統治権力というわけですが、それが最高の権力者なわけです。その権力は国にいかなる義務を、また負担を課すこともできるということで、何者にも縛られないと。国家は無用だと、間違いがないということになって、国家が処罰されるということはないわけです、国内では。国家は何でもできちゃうわけです、放っておくと。そうではないですよと、統治はルールに従わなければいけないですと。ちゃんと裁判をやって、しかも、一審だけではなくて、最高裁までやって有罪だと。死刑だということにならなければ死刑にはできないというのが、憲法ですよ。ですから、ちょっと法律とは方向が違うといいますか、法律は国民が守るべきもの。それに対して憲法というのは、唯一と言っていいですけれども、国家権力が統治をするという時に守らなければいけないルールなわけでなんです。そういう意味で、最高法規と言っても、根本規範と言っても、ちょっと言い方が違うかと思うんですけれども、方向が違うということだろうと思います。そのうえで現在の憲法ということについて申し上げますと、西部先生がおっしゃっているように現在の社会の価値観と合っているものでなければいけないと思いますし、その憲法が求めている価値を実現するためにこれまで日本が歩んできたということだと思うんですね。歴史とか、伝統というお話もありましたけれども、現在の憲法というのは先の大戦の深い反省のうえに立ってできているというのは確かだろうと思います。その前というのは、明治憲法、大日本帝国憲法が唯一だったわけですが、これは国民主権でなかったわけです。主権は天皇だったわけです。もっと言えば官僚国家であったわけですね。国民が自分達のあり方を自分で決めるというスタイルなわけではなかった。それを、リビルディングということかも知れませんけれど。まさに反省によって、否定された、あるいは日本自身が現在のような天皇国家であるということをやめようということにして、国民主権というのが実現したわけですね。それから、基本的人権についても、民主憲法でもそれなりには守られていましたけれども、ご案内の通り、治安維持法があったりして、言論の自由なんかも最終的には抑圧されるようなこともあった。言論の自由は守るというような憲法、基本的な人権を尊重する憲法というのも、これはアメリカが求めたことかもしれないですけど、日本国民、その時の敗戦に共鳴した日本国民の多くが、共感をした価値観だと思います。さらに言えば、戦争はもうしないんだと。政府がやった戦争、これは日本国民として2度とやらせてはいけないという決意の下に9条もあったのだと思いますね。ですから、現在の憲法の基本原則、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義というのは現在の社会の価値観と合っていると思いますし、それの実現を目指して歩んできたのが、戦後70年だったと私は考えています」

戦後日本と『憲法9条』
秋元キャスター
「ここからは憲法9条と日本の自衛について考えていきたいと思います。阪田さん、戦後の日本の安全保障にとって、この憲法9条というのはどんな役割を果たしたと考えますか?」
阪田氏
「安全保障にとっての役割というのはわかりませんけれど、いわゆる平和を保つ。自衛隊が存在はしていますけれど、海外で武力行使をしたことがないということについては9条の役割は大きかったと思っています」
反町キャスター
「それはよく憲法改正を唱える方々の間からは、日本が戦後70年、平和だったのは9条のおかげと言う人はいるけれども、それは違うのだと。日米安保があり、アメリカの核の傘があり、そういうものがあったことであって、憲法9条で日本の平和が守られてきたというのはおかしいではないかと。その指摘についてはどのように感じますか?」
阪田氏
「それはそうかもしれません。私が現在、申し上げたのは、日本の軍隊が海外に出かけていって、外国人を殺戮したということがないということですし、また、自衛隊員が犠牲になったということもないということであって、攻められなかったことについて、憲法9条が役割を果たしたという意味では全然ないですよ」
反町キャスター
「自衛隊が、日本人がと言ってもいいかもしれないが、外に出て行って、外国人を殺傷しなかったこと」
阪田氏
「その結果として、それを契機として日本が攻撃をされるということもなかったということですよね」
反町キャスター
「それが9条のおかげであると」
阪田氏
「それはそうでしょう。9条がなければ、たとえば、ベトナム戦争を考えてみても、韓国は現に派兵をしているわけです。四千数百人の犠牲を出しているんですよ。あの時の日米関係を考えますと、現在より対米従属的であったと言わざるを得ないと思いますので、9条がなければ自衛隊は存在をしたわけですから、自衛隊がベトナムに行かなかったというのはちょっと考えにくいなと思いますね」
西部氏
「おっしゃったことはその通りですよ。僕に言わせれば、憲法を口実として日本は危ないところに行かずに済むんだと。よくわかります。でも、問題はベトナム戦争が起こった。米ソのいわゆる代理戦争である。これはそのことを日本人がはっきりわかっているので、アメリカにつくのは保守でソ連につくのは革新など、僕に言わせれば、両方とも実験国家ですから、小さい声で言いますがろくなものではないのだから。と言うことを、よくわかったうえで、もちろん、政治的な理由があって、アメリカに対して武器の修繕か何かで援助をしなければいけない。それはそれで政治の状況論の話です。そんなことまで言わないとしたらですよ、日本人に欠けているのは、この憲法があったおかげではなくて、自分達は、侵略はしないと。僕は侵略と自衛の区別は難しいが、努力をすればできるということをしなければ、国際社会も何も成り立たない。むしろその努力は大変な努力ですよ。でも、たとえば、アメリカのバグダッド攻撃。あの時、1年間、僕1人でしたが、これは紛れもなくアメリカの侵略である。大量破壊兵器をフセインは持っていないと。ところが、アメリカは酷いことを言って、ないことを証明するのはフセインの責任であるといって、それはあとで取り消しましたが、取り消していない国が1つだけあるわけです。日本と言う国ですよ。ということの延長であの文章を読むと、実は日本人というのは言葉にものすごく鈍感で、国際紛争と言いますでしょう。新聞を読んでいるとコソボ紛争とか。写真を見るとどんどん爆弾が飛び交っているわけです。戦争の定義は武力の衝突でしょう。コソボで戦争があるというのに、戦争解決する手段として戦争を放棄する、いったい何の話だと。こいつら頭がおかしいのではないかとなるわけ。草案を読むと紛争というのはディスピュートです。ディスピュートというのは、クオレルとは違うけども、口喧嘩です。すごく激しい口喧嘩、一触即発ね。いつ武器が出てくるかわからない。それがディスピュートと言って、そういう国際的な激しい口喧嘩。あわやという。それを解決する手段として武力を行使したら侵略と、アグレッションと呼びますよというのが、1928年に発効したパリ不戦条約の意義です」
反町キャスター
「それは、現在の話は筋が通っていますね」
西部氏
「ところが、紛争と言う言葉は違うでしょう。よくわからずに、ソマリア紛争、見たら爆弾が飛び交っています。そんなバカな調子でやっているから、問題は第2項の、最悪な文章ね。もちろん、これを僕、その時の状況は全部知っていますけれども、現在、そこをやると時間がかかるから結論だけを言うと、我々、憲法ができてから69年経っているのですから。69年、この日本語を見た時に、前項の目的というのは、侵略戦争をしないということでしょう。侵略しないために戦力は持たない、交戦はしない。このバカげている日本語を、それは法制局も解釈し、何と言ったって大変だとは思う。でも、我々は正直に認めなければいけない。これは最悪な文章であって前項の目的が侵略戦争をしないということならば、前項の目的に反するような陸、海、空、その他の戦力の使用の仕方。戦力に侵略も自衛もないでしょうから。前項の目的に反するような交戦はしないと書くべきであって」

自衛隊は『合憲』か『違憲』か?
秋元キャスター
「安倍総理は3日の憲法記念日に都内で開かれた憲法改正推進派の集会にビデオメッセージを寄せて、『現在の憲法には、自衛隊という言葉はない。自衛隊は、違憲かもしれないと思われているままでよいのかということは、国民的な議論に値するものだと思う』と発言しました。憲法9条改正に強い意欲を示したわけですけれど、自衛隊は合憲、違憲どちらなのでしょうか?」
阪田氏
「もちろん、合憲だと政府は考えてきたし、私もそう思っています。ただ、自衛隊ができることに限りがあるということも事実なので、昨年の安保法制のように、集団的自衛権の行使もできる自衛隊だとすれば、それはちょっと趣旨が違うということだと思いますね。これまでの自衛隊は少なくとも合憲だということですね」
反町キャスター
「安保法制によって多少質が変わってきている?」
阪田氏
「いや、安保法制論議にあったような集団的自衛権の行使もできるというような自衛隊になるということについての意味ですけれども」
反町キャスター
「自衛権というものは、憲法とは別のところから持ってきて、もともと認められているものであるから、自衛隊は認められているのだと?」
阪田氏
「そうですね」
反町キャスター
「そういうのは憲法に謳う必要はないのですか?」
阪田氏
「自衛権があるということをですか?それは人間で言えば、自然権的な権利とも言うべきものでありますから、国際法上どの国でも主権国家であれば持っていると。自衛権があると書いた憲法、全部知っているわけではありませんけれども、先進国の憲法の中にはないと思いますね」
西部氏
「安倍さんの発言は間違っていると思う。自衛隊は違憲に決まっているし、安保法制も違憲に決まっておると。ただし、憲法自体が悪法なのだから、正確に言うと、悪い憲法の条項に違反していますと。まともな国でしたら、政府がコントロールする、政府は国民がつくるものですよ、ともかくそれがコントロールする軍隊がなければダメと。この文章の酷いのは、他の公共の福祉、人権というのは、いろいろ解釈の幅があるんですよ。ここで使われていることは戦力でしょう。もう1つは交戦でしょう。これは解釈のしようがないと言っていいくらい非常に狭いですよ。武器と武器の衝突でしょうと。こんな解釈の幅のない文章を69年も守ってきたということ自体が、それで日本がベトナムに行かずに済んだとか何かというのは、それは済んでいるんです。でも、その結果が何かと言ったら、結論を簡単に言えば、国際社会からだらしない国だねという評価を受けるのが1つ。国際評価はどうでもいいや、自分達国民自身が自衛ということについて本気で考えなくなってしまった。たとえば、安保法制を戦争法と言う。戦争とは何か、平和がない状態でしょう。平和とは何か、戦争のない状態でしょう。戦争か平和かは、それは表裏一体のことですよ。そのことすらわからずに、戦争法と名づければ、皆がアレルギーを起こすだろうなということを期待して、戦争法、戦争法と言って、違憲だ、違憲だと言っているような、69年経ってこんなに体たらくな国は、はっきり申しますが、もう国家とは言えないんだと。安倍さん、かわいそうにねと」
阪田氏
「平和国家というのは1つの国際的なブランドでもあると言われていますよね。ですから、日本国民というだけで、中東のボランティアなど、あまり恐怖を抱かずに活動ができるとか、そういうところはあることはあるのだろうと思います。自衛というのは、武力によって必ず実践されなければならないということではない。それは総合力ですから、政治、外交、国民の不断の努力、いろいろな力の総合体。自衛というのは武力でなければできないという性質のものではないと。そういう意味で、平和を掲げることによって自衛ができるという人の主張にも一理はあると思います」
西部氏
「要するに、自衛は軍事力のみならず外交力、政治力、もっと言うと国民の文化力、その他も全部関係しての自衛ですよ。ただ、頷けないのは海外へ行くかどうか。たとえば、日本はアラブから石油を買っているわけですよ。その道として、シーレーンというものがマラッカ海峡に走っているわけですよ。仮にシーレーンが徹底的に脅かされることがあって、それでアメリカもアラブだ、ウクライナで忙しいとなった時に、日本が国の外に出て行かなければいけないことがあり得るだろうと。行けとかいっているわけではないですよ。専守防衛と言うと、国の中に留まっていれば専守防衛で、国の外に派兵というと角が立つから派遣と呼んだりして、派遣は鉄砲を持たずに、たとえば、包帯を持っているとか。そういうバカげた子供っぽい話でなく、大事なのは自衛なのですから、自衛は軍事力のみならず総合的な力。ただ、軍事力のことを考えない外交とか、軍事力のことを念頭から追い払うような文化というのは、それ自体が子供の文化なのだから、まともな説得力は持たないという意味において、軍事力のことも含めて考えれば、自衛のために、必要にして可能ならば、国の外に兵が行くこともあり得べしと。喜び勇んで行けとか言っているわけではないですよ。あるいは今度の安保法制で言えば、後方支援。支援するのでしょう。変なものなら支援してはいけませんよ。まあまあ認められると認定したから支援するのでしょう、後方から。前線にいる者達が自分達でやっていけなくなったら、また必要にして可能ならば、自分達が前線に行くことがあり得べしと。こんなこと常識があれば、すぐにわかる。極東に限らず、地球の反対側に…、皆、グローバル、グローバルと言っている。石油だってどこから来るか、アラブから来る、地球の反対側から来る。日本の製品をどこに売っているか。ヨーロッパで売っている、たとえば。そう言って、皆してグローバルの時代と言っておいて、極東の範囲から出たらよくないと。だけど、問題は、安倍さん達がやっていることと関係があるのは、単に自衛力の強化ではないのですよ。この場合は日米安全保障条約のもとでの安保法制です。問題はその相手であるアメリカが、ベトナム戦争の頃から顕著になっているのは次々とアグレッシブだなと、侵略的だなと、軽率だなと、愚劣だなと。しかも、結果は大失敗だなと。そういうことをやり続けているわけですよ。半世紀間に渡って。そういう国との、安保条約を破棄せよと言っているわけではないですよ。アメリカというのはそういう傾きを顕著に何十年にも渡って示しているということがあった。それを前提におけば、安保法制を簡単に認めたら、戦争に引きずり込まれると言っている、いわゆる左翼の言い分は正しいわけです。問題は引きずり込まれないためにはどうすればいいのと考えたら、安保法制をつくらない方がいいとか、そんなバカなことを言っているから、この人達は困ったものだと。日本は防衛力のことも含めて、外交力も含めてですよ、総合的な力。まあまあ反証があがっている事柄には、うちもデモクラシーな国でっせと、皆そんなことは知っていますよと。こんなことに簡単に自衛隊を派兵してはいけないと国民は言っていますよと。私達も国民の代表ですから、そんなことに簡単に乗れませんよと言う力が日本にあれば、アメリカの戦争に巻き込まれずに済むわけですよ」
阪田氏
「憲法9条で、日本が、自衛隊が実力の行使ができるのは、日本が武力攻撃を受けた時だけだということで線引きをしてきたわけですよね。武力攻撃を受けた時に、その侵略を排除するということが自衛であるということについては、おそらく異論がないわけですね。それを超えて、まだ武力攻撃を受けていないのに、石油を確保するために、天然資源を輸入するためにと言って海外に行ったのでは、これは自衛と侵略の区別がつかなくなることもありますよねと」

96条『憲法改正条項』の意義
反町キャスター
「手続きそのものの、憲法96条のプロセス、3分の2が多いから、たとえば、2分の1とか、5分の3にしたらいいではないかという議論もあります。どのように感じますか?」
西部氏
「これは考え方で、こういう硬い憲法、変えづらい。国会の多数決だけで憲法を変えることができる国もたくさんあるわけですよ。柔らかい憲法、変えやすい憲法。日本の憲法は変えづらい憲法だと。それがいいことだと、根本的なことだと思う人達が、憲法学者の中にどうもいるらしいと。それを昨日知った。この番組で。それならそれでいいんですよ。その人は、柔らかい憲法よりも硬い憲法、変えづらい憲法の方がいいのだということを、その主張が1つもなかった。ああいう人は学ぶ人ではないのではないかというのが第1。第2の意見は、憲法、憲法と言うが、その中に憲法の根幹部分と枝葉の部分があるはずだと。枝葉の部分はこの憲法の枠内で変えていいと。しかし、根幹部分は憲法の根幹を変えることはその憲法を否定することですから、それは革命だと。これが根幹だと言いたいのならば、これを変えるのは革命だと(学者は言っていた)。革命のどこが悪いのだと。革命という言葉を、人を脅かすために使ってはいけませんよ。革命を考えると、暴力状態と、世界的騒乱状態だと考えるけれども、この場合の革命の意味は、憲法の根本性格を根本的に変えてしまうのだから、この枠内でできないから、それなら憲法制定会議をつくって、新たに。そこでこの憲法は廃棄と。1条から99条まで、附則を入れれば100条か、全部入れ替えろという議論をその人がすればいいですよ。それがダメならば、この硬性がいいのだと。アメリカはアメンドメント、修正条項という意味ですよ。何百年のうちにどんどん状況も変わる、国内の人種構成も変わる。そうすると修正条項をどんどんつくっていくわけ」
反町キャスター
「日本国民が、この憲法を良い憲法だと思っている人もいます。いかがですか?」
西部氏
「何も読みもしない、考えもしないで、良いと思わされてきたから、良いねと言っているだけ。そんな人間を相手にして議論してどうするの」
阪田氏
「憲法96条も憲法の規定の1つでありますから、もちろん、このルールに従って、3分の2以上の賛成で発議をして、その中身を変えるということは許されるのだろうと思います。枝葉かどうかはわからないけれども、大事だから変えられないということではない。たとえば、憲法9条は絶対に変えられないかというと意見が分かれるところかと思いますけれども、私は変えられないことはない。普通の国になることはできると思います。そういう意味では、憲法96条は重い規定だけれど、国民主権を否定して、たとえば、男性主権の国にするのとかとはまったく次元は違うと思いますよ」

評論家 西部邁氏の提言:『国民の歴史的良識にもとづいて廃憲(or新憲法)』
西部氏
「廃憲。そもそもアメリカ人が書いた文章に自分の頭のチャンネルを合わせるという、その情けない国民性。まずそれを反省するのが先決だと。そのために言えば、憲法なんか、こう書いてあるから、こうしますなんてこと自体が、まず自分で考えて、これがいい、これが悪いということを自分で考えろと」

阪田雅裕 元内閣法制局長官の提言:『憲法では自衛できない』
阪田氏
「憲法というのは国内法であります。自衛というのは他国との関係を言っているのだと思います。ですから、憲法で自衛しますと、あるいは平和を守りますと書いても、それはもちろん、国を守ることはできないわけですね。どの国だって、憲法に自衛しますと書けばいいということになるわけですから。自衛というのは憲法と関係がない。むしろ外交、政治、全ての力を持って、国民が努力すべき性質のものだと思っています」