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2016年3月22日(火)
認知症700万人時代へ 事故での責任は賠償は

ゲスト

鴨下一郎
自由民主党社会保障制度に関する特命委員会委員長代理 衆議院議員
杉山孝博
川崎幸クリニック院長
上山泰
新潟大学法学部教授

認知症事故訴訟 『家族に監督義務なし』
秋元キャスター
「厚生労働省の研究班の推計によりますと認知症の人が今後、高齢者の急増とともに増える見通しとなっていまして、現在およそ517万人の認知症患者ですけど、2025年にはおよそ675万人に達すると見られています。これは65歳以上の5人の1人が認知症になる計算で、これに向けてどんな制度設計を考えなければならないかというのが今夜のテーマになるわけですが、まず今回の認知症の事故訴訟について振り返りたいと思います。2007年に愛知県大府市で当時91歳の認知症の男性が1人で外出し、線路に立ち入って列車に跳ねられ、死亡しました。JR東海は、列車に遅れが出たとして、当時85歳の男性の妻と長男におよそ720万円の支払いを求めました。最大の争点となったのが、妻と長男が死亡した男性に代わって賠償責任を負う、監督義務者にあたるのかどうかでしたけれど、最高裁は事故当時、妻自身85歳で要介護認定を受け、長男は20年以上同居しておらず、いずれも第3者への加害行為を防ぐために男性を監督することはできなかった。監督義務を引き受けていたとは言えず、監督義務者に準ずる者ではないとしました。まずはこの判決について、鴨下さん、どう見ていましたか?」
鴨下議員
「判決自体は、私は妥当だと思います。これは、たとえば、JR東海側でもなく、あるいは家族側でもなく、ある程度ニュートラルな立場ととったと。こういうような意味においては、私は最高裁の判決としてはしっかりとしたものを出していただいたと、こう思っています。ただ、それを今回の1つのケースとして、そういう判断はなさったけれど、普遍的でないというようなことについて、私はそれなりの意味があって、1つ1つのケースについて今回のようにきちんと判断していかないといけないのだろうと思って、たとえば、JR東海だからいいけれども、一般の市民の人達が被害を被った時に、それについては泣き寝入りになるのか、あるいは家族もしっかりと介護していればしているほど、そういう人達に監督義務を負わせるのか。こういうことについては1つ1つのケースについて丁寧に考えるべきだと思っているので、今回の最高裁の判決は、普遍的な価値を判断したものではないと思っています」
秋元キャスター
「上山さん、法律的に見て、どうなのでしょうか?」
上山教授
「まず問題を2つに分ける必要があるんです。1つは、まさに現在お話があったようにこの事件の解決として妥当だったのかどうかという点です。この事件については、基本的に家族の責任を否定したという点、この点は妥当だったと思っています。ただこれは最高裁判決ですので、これから将来にどういう影響があるのかというのを当然、考える必要があって、この点についても僕は2つ、実は大きな問題を残したと考えています。1つは認知症高齢者の方の、いわゆる法定監督義務者という人が法律上ほとんどいないという状況になってしまうわけです。そうすると加害行為を行ったご本人が責任能力ということで免責されてしまうと、先ほどお話が出たように被害者が泣き寝入りするしかないという可能性が高くなってしまうという、これがまず第1点目の問題です。もう1つ重要なのは、本当に家族一般の全責任を免責したのかどうかということですね。一般論として、介護に関わっている家族、その全てについて免責しますよということでは厳密に言うとないです。つまり、例外的なルールとして、ちょっとわかりにくいですけれども、法定監督義務者に準ずる人。準監督義務者という言葉を使っていますけれども、その人について例外的に、責任を負わされる可能性があるということも最高裁は言っているわけですね。ところが、この基準が非常に曖昧なので、ある意味では、以前よりも果たして自分が責任を負うのかどうかというのがわかりにくくなっているという状況もあるという意味です」
反町キャスター
「その基準というのが、6項目が基準に当てはまるということでよろしいですか?」
上山教授
「そうです。最高裁は基本的に家族を免責したかに見えるんですけれど、監督義務を引き受けたと見える特段の事情があった場合には。しかし、例外的に責任を負うと言っているんです。これは非常に抽象的な定義なので、では、具体的にどういう時に特段の事情とするのかというのを一応最高裁が示したのがこちらということになるわけです。ただ、これも正確に言うと、この6つに限定されるわけではなく、これは例示です。こうした状況を踏まえて、基本的には総合的に判断して監督義務を負っていたかどうかと考慮をするんだという話になるわけです」

責任・賠償はどうなる?
反町キャスター
「難しいですけれども、要するに、たとえば、誰か、認知症の親族が親を介護しているとします。面倒を見ている時にその人がどこかでトラブル。外に出ている時に何だかんだトラブルを起こした時に、賠償責任を負わされるかどうかについては、線引きというのはできたのですか?できていないのですか?」
上山教授
「できていないと思います」
反町キャスター
「そうすると、この6項目の、特段の事情だから、6項目の条件というのはこれを全部クリアしたらセーフなのか。1つでもクリアしていればセーフか。全部クリアしていないとダメなのか。そのへんの説明というのは最高裁の判決の中ではあったのですか?」
上山教授
「それもわからないです」
反町キャスター
「この6つの条件、監督する人の生活や心身の状況など諸々、財産管理への関与など諸々、介護の実態。これが全部、要するに、チェックリストの、しかも、例ですよね?」
上山教授
「そうです」
反町キャスター
「こういうものも含め、ケースバイケースでいろいろ検証をしたうえで、介護をしている人が、賠償責任まで負うほどの監督義務者であるかどうかは、ケースバイケースで議論をしましょうというのが最高裁の結論だったということでよろしいのですか?」
上山教授
「あと出しジャンケン的な論理ですね。つまり、高等裁判所のケースについて言うと、高等裁判所は、基本的に配偶者は法定監督義務者だという形式的な定義を出したわけです。これを最高裁は否定したんです。僕は、これ自体は正しかったと思っているんですけれども、一応、配偶者であれば、法律上、監督義務があるということは事前に明確になっているので、私は人様に迷惑をかけさせないように注意しなければいけないのだということが介護の段階で、あるいは監督の段階で事前にわかっているわけです。ところが、今回のように特段の事情があった時には例外的に責任を負いますよという話なので、現在、実際に介護なりに関わっている時、本当にこの状況で何かトラブルが生じたら自分が責任を負うのかどうかというのは、しかも、法律の素人なわけで、わからないわけです」
反町キャスター
「現在、たとえば、テレビを見ている人が、誰かの、自分の身内の介護をしているとします。そうすると、このおじいちゃん、おばあちゃんがどこかで問題を起こした時、私は賠償責任を問われるのかどうかを判断する物差し。たとえば、この6項目を見たところでもわからないですよね」
上山教授
「わからないですね。たぶん法律を知らない方が、この6項目から適切に判断できるかというと、それは難しいだろうと思います」
秋元キャスター
「例外はどちらですか?基本的には負うのだけれど、例外的に負わないなのか。基本的には負わないのだけれども、例外的に負うのか。どちらが基本ですか?」
上山教授
「ここは見方が実は分かれまして、一般的に特段の事情という言葉使いをする時にはレアケースのことを指すんです。ですから、最高裁、額面通りに読めば特段の事情という極めてレアケースがあった場合だけ責任を負いますというのが素直な読み方になるわけですが、しかし、実際にこのフリップに出ている6項目を見ていくと結構、一般的に、日常的に介護に携わっている方にとっては当てはまる可能性が高い項目になるわけです」
反町キャスター
「だって、今回の長男にしたって、財産管理とか、当然財産を引き継ぐ立場の方で管理もされている。いくつか当てはまるものも当然あると思うんですけれども、それでも今回は賠償責任なしだと判断をされた?」
上山教授
「そうです」
反町キャスター
「特段の事情にあたらないということですね?」
上山教授
「そうです」
反町キャスター
「自分が特段の事由に当たるかどうかということを、本当に、たとえば、私が面倒を見ているおじいちゃんが徘徊して何かトラブルを起こした時に、どうしようと心配する人は、でも、こんなことをいちいち心配していたら、何もできなくなっちゃうではないですか?」
上山教授
「そうですね」
反町キャスター
「非常に下品な言い方をすると、最高裁の判決によって、かえって介護をする人達は混乱することになりませんか?物差しを示したことになるのですかと、そこです」
上山教授
「それはそうだと思います。けれど、非常に不安定な状況にかえって置かれたと。これは実際に、これから地方裁判所の判決がいくつか積み重なってくれば、具体的なルールというのは確立してくるかもしれませんけれど、それには一定の時間がかかりますので、現状では非常に不安定な状況で、むしろ関われば関わるほど、この6項目を満たす可能性は高くなりますので、リスクを負いかねないという状況になっちゃった、そういうことです」

患者の責任能力
秋元キャスター
「認知症の人が起こした事故の責任の所在はどこにあるのかというのを考えていきます」
上山教授
「責任能力というのは一応、法的、法律的な概念ですけれども、単純に自分が悪いことしているというレベルの意識ではなくて、こういう行動をすると。自分が何らかの法的な責任を負うかもしれないということがわかる。平たく言うと、不法行為というのは、要するに、弁償の話ですので、たとえば、小学生が、小学校の1年生がほうきとかを教室で振りまわして窓ガラスを割ってしまったという時に、これは悪いことをしているということはわかるわけです。ところが、それが法律的に弁償しなければいけないというところまで、幼稚園とか、小学校の1年生でわかるかというと、これはちょっと難しいかなと。中学生レベルぐらいになれば教室のガラスを悪さして割ったら弁償しなければならないということはだいたい想像はつくわけです。なので、12歳から13歳ぐらいまでの判断能力の程度というのが責任能力の一般的な線引きの基準である。それはあくまで未成年者を想定にして徐々に能力が上がっていく人のことを想定する議論です。ところが、認知症、高齢者の方は、たとえば、まだらボケのような症状もあるわけで、調子の良い時もあれば、調子の悪い時もあるわけです。そうなってくると事後的に本当に実際に加害行為をしてしまった時に、どれだけ判断能力があったのかというのを、法律的にも後付けで評価をするというのは非常に難しい」
反町キャスター
「結局、全部後付けになるのですか?トラブルを起こした時に、この患者さんは12歳以上の意識があったのか、なかったのかみたいな。そういう話になってくるのですか?」
上山教授
「そういう話になります。具体的な加害行為の時に、十分に自分が法的な責任を負うかもしれない。それが判断できるレベルの判断能力があったのかどうかをあとから裁判の場で評価することになります」
反町キャスター
「誰が判断するのですか?」
上山教授
「基本的には裁判官です。ただ、裁判官は法律の専門家ですので、実際にその人にどれぐらい判断能力があったというのは、基本的にはお医者さんの、たとえば、医師の鑑定であったり、あるいは以前から認知症に罹患していましたよという診断書であったり、そういうものを通じて証明していくのが一般的な話」
反町キャスター
「いずれにしても現在このお話を聞いていると、徘徊して外でトラブルが起きないようにするための話ではなく、全部、起きたあとにどうするかという話ばかりですよね?」
上山教授
「法律の話はそうなります」
反町キャスター
「それを予防するために何かできることというのはあまり現状において、制度的にはあまりできていないという認識なりますか?」
上山教授
「いや、今回問題になっている不法行為というのは、後始末についての話です。現在何かに向かって加害行為、交通事故でも何でいいですけれど、加害行為が先行したと。被害者がいて、経済的な損害が発生している。では、これを誰に賠償しましょうかという、後始末の話なので、事前に予防する、しないという話とは少し違ってくるんです」
反町キャスター
「車の運転はどうですか?」
上山教授
「車の運転ですか?たとえば、認知症の方が?」
反町キャスター
「高速道路、逆走みたいな」
上山教授
「よくある話ですけれども、実は自動車事故についてだけは、法律の世界でも、ちょっと特別な取扱いができる可能性あがるんです。どういうことかというと、ご承知のように自動車に関しては自賠責保険というのがあります、強制保険。自動車を運転される方はあの保険があるので、実際には交通事故だとしても、不法行為の一種ですので、本来、事故を起こした時点で判断能力がなかった場合、これは認知症に限らず、たとえば、脳卒中とかで意識を失って事故を起こすというケースもありますけれども、こうした時に判断の能力がなければ、責任無能力になって、本来は免責されるはずです。ところが、本人は免責してしまうと、保険の仕組みというのは、自賠責であれ、民間の保険の仕組みであれ、本人に損害賠償責任になるという前提で保険会社が肩代わりをすることになっているわけです。つまり、最初から本人に法的責任、損害賠償責任がないということになってしまうとせっかくの自賠責も使えないということになってしまう。そこで、いくつかの下級審、地方裁判所レベルの裁判ですけれども、自動車事故に関しては自賠法が適用される事故に関しては、基本的には責任無能力による免責を適用しないと。民法をそのまま適用しない」
反町キャスター
「保険をちゃんと使いましょうと」
上山教授
「そうです。逆に言うと、だから、形式的にいったん本人の責任を認めているわけです。本人の損害賠償責任を」
反町キャスター
「それは非常に便宜的に保険からお金を出すためにと聞こえます。特に被害者が泣き寝入りしないために。やられ損にならないために、本人にその罪の意識を被せて、保険によってお金を出しましょうと、そういう理解でよろしいですか?」
上山教授
「もともと自賠責という仕組み自体が政策的に、交通事故の被害者、特に自賠責の場合は人身損害に特化した仕組みですけれども、その人身損害について、たとえば、加害者にお金がないから弁償できませんという事態を防ぐためにつくっているセーフティネットです。だとすると、特にこうした責任能力がないので自賠責が使われませんということになると、自賠責の主旨そのものが、おかしなことになってしまうので、おっしゃるように便宜的な側面はあるんですけれども、いったんご本人に形のうえで責任を認めて、保険の仕組みで流していくと。それで被害者が救済されるし、別にご本人自体も、形式的に取っ掛かりとして責任を取らせているわけですので自腹を痛めるという話ではないわけです。ここは重要なポイントだと思います」
反町キャスター
「杉山さん、医師として、認知症の方がトラブルを起こした時に、その人がちゃんと責任能力があるか、ないか、どうかという判断というのか、診断を下す側の仕事をされたことは?」
杉山氏
「あります。万引きが現在結構多いです。万引きというのは本人がポッと持って行って、レジを通らないで出てしまうのだけれど、認知症の方は自分が悪いことをやっていると思っていないわけです。ほしいから、それをレジを通さなければいけないという、判断ができないから自然に持っていくんです。でも、アルツハイマー型の認知症の場合は、案外万引きは見つからないんです。どうしてかと言うと、悪いことをしているという意識がないから。普通の人でしたら万引きしようとするとその挙動でちょっとおかしな人だなと。ベテランのスタッフがずっと追って、それでレジを通さないで出て行ってしまいます。ところが、認知症の人は悪いことをしていると思っていないから堂々としているわけです。だから、見つかりにくいです。でも、見つかった場合は結構、混乱が起きるんです。なぜなら本人は絶対自分にとって不利なことは認めませんから。自分はそんなことしていない。では、レシート見せてください。そのレシートはどこかに捨てたと、上手に言いくるめるわけ。しかも、認知症の人はよその人にはしっかりと対応をして、認知症の介護者に酷い、激しい症状を示します。周りの人は、その人の認知症がある程度進んでも、認知症と理解できないことが多いんです。そうすると、もう居直っているわけです。やっているのに、居直っている。けしからんと言って。事情を聞こうとする。すると、時には別なところへ連れて行くと、あんたはどういう権限があって拘束をするんだと、お巡りでもないのにということをポッと言うわけです。そうすると、ますます印象が悪くなって結局、警察沙汰になる。最近でも一審が有罪になったことがあります。それから現在一応、その裁判になりそうな件もありまして、お二人とも意見書を書きまして、典型的な認知症の症状であると。それで書いて、その意見書が影響をしているということはありますけども、裁判官にしても、警察にしても、お店の人にしても、その人が認知症であると、まずわからないです」
反町キャスター
「法廷においても、裁判官の質問に対する受け答えは?」
杉山氏
「しっかりしています。たとえば、万引きにしても、衣服が乱れ、おかしな状態で名前も言えないような人が持っていったら、これは認知症だなとわかりますよね。でも、かなりの人はしっかりしているんですよ。だから、わからなくて、一審も有罪になったりするわけです」

被害者救済のあり方
秋元キャスター
「今回の判決では、認知症から被害を受けた方をどう救済するかという課題が残されています。このことについて上山さん、どう考えますか?」
上山教授
「僕は、ちょっと難しい言葉になるかもしれませんけれども、このリスクを、まず社会化する必要性があるということです。その社会化に当たっても、1つの手段だけではなくて、複数の手段を組み合わせて、リスクを重複的に、あるいは重畳的に分散させていく。複合的に分散させていくということがポイントになるのだろうと思います。いくつか可能性があると思うんですけれども、1つは、先ほど、自賠責の話がちょうど出たのですが、実際民間の損害保険を使うと言う可能性があり得るわけです。これは加害者側の自己防衛である程度、最初からリスクを分散していく」
反町キャスター
「それは認知症になった人が入るのですか。それとも認知症患者の家族が入るのですか?」
上山教授
「両方可能性があるわけです。つまり、現在の日本の民法の仕組みからいくと、ご本人が免責をされてしまうと、ご本人が損害保険に入っていても使えないわけですね。だけど、ここを、たとえば、民法に関して、法改正を考えて少なくとも保険をワンセットにするという前提で、基本的に責任無能力という仕組みを縮減する代わりに廃止する可能性は十分にあり得るわけですね。もう1つ問題なのは、今回の最高裁で、家族が免責されやすくなった可能性はあるわけです。そうすると、今度はこの2、3年ぐらい、大手の損害保険も含めて、家族の損害保険の中で、こうしたケースを賠償していく、少し拡張した方向性があるんですけれども」
反町キャスター
「事実上の、認知症、家族認知症損害賠償特約みたいなものがあったのですか?」
上山教授
「いや、そういう形ではなくて、一般の火災保険とか、付帯条項とかで入れていくというような形ですけど、それも家族に法律的な損害賠償責任があるという前提での話なので、かえって今回のケースで家族が免責されてしまうと民間の損害保険のスキームが使いづらくなる可能性があるということです。ほかにも、たとえば、介護保険のような法的保険の仕組みの中に、こうした賠償のものを一部連結させていく。もちろん、これは財源の問題もありますので、そう簡単な話ではないですけれども、こうした問題がある。あるいは犯罪被害者給付金制度のような、まさに100%税ベースでの公的な、本当に最後のセーフティガード、セーフティーネット、そういうような仕組みを複数組み合わせる。JR東海のケース、このケースで言えば、JR東海が実は自衛できるはずと踏んだんです。保険を通じて。今回、人身損害ではなくて営業利益の損害です。しかも、こういう社会のもとにおいて、こういう事故というのは公共鉄道として、いつ巻き込まれるのかわからないし、ある程度その分のリスクというのは当然、背負って然るべきだということになれば、事前にその被害者側で、損害をかけて、保険をかけて、そこでリスクを分散させていくというのも被害者のタイプによってはあると思うんです、JR東海のケースでは」

老老介護と独居高齢者
秋元キャスター
「介護をしている側も65歳以上が51.2%、65歳以上の独居高齢者が595万9000人。こういったケースのケアというのはどう考えていったらいいのでしょうか?」
杉山氏
「私は現在、訪問診療しているんですけれど、36年前から、やっていまして、1人暮らしの方もたくさんいらっしゃいますね。特に最近は老老介護、それから、認認介護、認知症の方が認知症を見てというような、そういう事態とか、もちろん、一人暮らしの方もいますけれども、医療と介護が関わりますと、昔と比べたら随分支えられるようになりました。確かに、かつては介護のサービスがまったくなかった時には結局、とても地域では見られないからと言って、それで施設入ったり、病院入ったりしていた。当時はニーズが少なくって、しかも、いわゆる老人病院が多く、そちらに移れたんですね。現在ニーズが圧倒的に多くなりました。現実として80歳、90歳の方が介護を担当しているという現実もあるわけですね。抑えておかなければいけないことは、まず1つはどんな医療や介護が進歩しても、こういうケースはどんどん増えていく。高齢化がどんどん進んでいきますからね。それから、誰でもが、なりやすい。つまり、誰でもがこういう状態になる。またかつては、65歳ぐらいで定年退職で、何もできないと思われていたのが、現在75歳になっても80歳になっても結構、元気な方が多いわけです。だから、そういう人達が現実に介護に関わっているというのがかつてとは違っている状況あると思います。それから、介護保険を初めとしたサービスがかなりあって、訪問診療でも私が始めた頃はほとんどしている人がいなかった。現在では訪問診療をやっているドクターはたくさんいまして、24時間対応をして何かあれば、連絡すれば来てくれるような、こういう状況になったというのはだいぶ周りの環境が変わっていると思うんですね。その中で現実的に介護が行われているということだと思います」

事故責任の線引きはどこに?
秋元キャスター
「視聴者からですが、『国は在宅介護を推進していますが、それは施設のように24時間誰かが常に家にいて介護や徘徊防止を防げる体制が前提となってしまいます。しかし、家族にも睡眠は必要なのだから、深夜徘徊による事故を防ぐためには拘束して家から出られないようにする以外は難しいのではないでしょうか?』とのことですが」
杉山氏
「極端に言えば、もちろん、そうなるわけです。ただし、既にここでお話がありましたように、徘徊を止めるために拘束をするというのは認知症ケアの基本からはずれていることですよね。むしろ止めれば止めるほど興奮してしまうわけです。それはできないということを前提に考えてもらわなければいけないと思うんですね。だから、徘徊するというのはやむを得ないのではないか。その代わり、何か起こった時には社会で、たとえば、徘徊SOSネットワークをつくって、現在できているわけですけれども、そこに届ければ、探してもらえるという安心感、それから、もし携帯を持っておられる認知症の人であれば、GPSが付いたものだと位置がわかりますから、すごく安心できるわけです。隣近所の人に知らせておけば1人で歩いているのを見たら、現在そちらにいましたと伝えてもらえれば、それである程度は安心できるわけです。つまり、そういうネットワークや、地域の支えができるかどうかによって24時間誰か1人が見なければいけないという、負担が軽くなっていくわけです。私達家族の会は家族だけに負担をかけないで、皆で、地域で見守ろうと。たとえ、認知症になっても安心して暮らせる社会をつくろうというスローガンで、言っているんですけれども、だから、認知症の人をすぐに見られないから施設に入れればいい、精神病院に入れればいいとは思わないです。ある面では、初期の段階で初めから入れたら私達も認知症と言われた瞬間施設に入るわけですから、とても現実的ではありませんし、またそれが説得できるわけではないと思うんですね」

認知症700万人時代へ 社会はどう支えるべきか
秋元キャスター
「在宅介護を進めるうえで必要なことは?何を重視したらいいでしょうか?」
杉山氏
「まず認知症についての理解が1番大事だと思います。認知症の理解は非常に難しいですね。初めは認知症であることわからなくて、家族は混乱するわけですけれども、認知症を理解して、その特徴がわかりますと受け入れがよくなるわけですね。それから、家族は常に悩んでいます。その悩みを周りが受け止めて、支えるというシステムですね。これは公的なものもあります。インフォーマルな地域の理解、あるいは認知症サポーターとか、それから医療も入りますよね。こういったものが重層に整備されていきますと受け入れがよくなる。それから、認知症はどんどん変化していく。初めは元気であっても次第に動きが悪くなって、寝たきりになって、亡くなっていく病気でもあるわけです。だから、今度はいくら初めはしっかりしていても、どんどん変化していって、失禁が始まり、夜中また徘徊を始め、そうなった時にそれに適切に、その変化に対応するようなサービスの提供とか、あるいはいろいろな人への情報を出していかなければいけない。それから、私の経験では認知症の方と家族の声が、当事者との関わりを持つと、家族というのは本当に変わります。初めは集いというのがありまして、そこに家族が来られた時は泣きながら話していた方が2、3回参加しただけで冗談が言えるぐらい変わっていくこともあります。他の用件もまったく同じですよね、サービスの量も。でも、気持ちが変わることで変わっていくと。つまり、そういうことを自由に話し合えるような、相談できるようなシステムをつくっておかなければ、いくら在宅がご本人の意向に沿ったケアですよと言っても、家族は潰れてしまいますね。それから、現在から自分はどうなっていくのだろう、自分というのは家族の生活、仕事を辞めるとか、辞めざるを得ない人達も出てくるし、両立するのが非常に大変な人もいますよ。こういう意味では認知症というのは単にご本人だけではなく、家族の問題でもあります。これは施設に入れていても施設から連絡がじゃんじゃんきますから、家族の問題でもある。だから、家族がうまく理解して、地域が支えるという、こういった要素がなければまずいのではないかなと思っています」
反町キャスター
「本人の意向から考えたら、施設か、在宅か、どのように感じますか?」
鴨下議員
「これは、本人のご意向も、施設に入りたい人もいるし、在宅で最後まで自分の家で一生を全うしたいという、こう思っている人もいます。これまで、2000年まで介護保険が入るまでは、あまり選択肢がなかったわけですけれども、現在は施設という選択肢は非常に広がりました。特別養護老人ホームから始まって、サービス付き高齢者向け住宅、こういうふうなものも含めて、いろんな選択肢がありますし、負担能力に応じて、どこに入るというのも様々な選択肢はありますけれども、でも、私は、本人の意向を尊重するというような意味においては、1人暮らしでも在宅で、自分の家で住み慣れたところにいたいという人達もたくさんおいでになるので、そういう人達をどう支えるかというのは、これは逆にどちらがコストかかるかという形になりますけれども。でも、1番中心においている考えは、本人の意向、クライアント中心主義と言いますか、そういうようなところから発しないと、こういう問題は大問題になるんです。では、コストを中心にいけば、ベッドがたくさんある部屋に多くの人達を収容してと、こういうような話になるけど、そうすると、先ほどの話ではないですけれども、人権はどうなるの、アメニティはどうなるのと、こういうような話にもなりますから、私は社会の意向というのは、最終的には財源の話だと思いますけれども、では、現役世代の人達がどのくらい介護保険料を負担できるか、してもいいかというようなことをよく説明し、だって、明日は我が身ですから。そういうようなことを、社会的なコンセンサスをどうつくっていくかと、こういうことなのだろうと思います。家族の意向は、これは杉山先生がおっしゃっているようにきちんとした善意の家族に囲まれている人達は、私は、それはとても幸せだと思うけれども、残念ながら生涯独身の人だっていますし、それから、最終的に高齢になって、独居になってしまう、こういうような人もいます。ですから、家族の意向というようなことはできるだけ尊重するべきだけれども、だけど、本来は本人の考えに沿って介護というのはあるべきだと思っています」

杉山孝博 川崎幸クリニック院長の提言:『認知症を理解し地域で安心して暮らせる社会を!』
杉山氏
「認知症は私達、誰でもがなりうる病気である。どんなに頭が良くてもどんなに財産があっても、それは皆がなりうる病気であると。そうしたら、安心して過ごせる、施設まで含めてですよ、全てのところで安心できるというような、そういった社会をつくらなければいけないのではないかなと思うんですね。そういうことを皆で理解し、是非こういう社会をつくっていただきたい。こんなふうに思います」

上山泰 新潟大学法学部教授の提言:『合理的リスクの引受けと分散』
上山教授
「現在の話を受けるような形になるかと思いますけれども、合理的なリスクの引受けと分散。認知症高齢者の方を地域社会で支えていくことは、その人が何らかの加害行為をするというリスクもある程度、引き受けなくてはいけないということでもあるし、しかし、それを誰かが一手に引き受けるというわけにはいかないので、被害者救済のため、リスクの分散の仕組みを重層的につくっていく。これが重要なポイントだと思っています」

鴨下一郎 自由民主党社会保障制度に関する特命委員会委員長代理 衆議院議員の提言:『共助について国民的合意』
鴨下議員
「共助というのは言い換えれば、介護保険のようなものだと思います。お互いに助け合って、今回のある意味、リスクである認知症の様々な問題、こういうようなものを国民の皆さんの合意をいただければ、介護保険だとか、何かにたちまちそういうものを入れられると。こういうような意味では、これからこういう議論をもっともっとし、最終的にはセーフティーネットをどう張っていくかと、こういうことを国民的に合意するべきだと思っています」