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2016年2月11日(木)
国の原点?十七条憲法 聖徳太子と設計の思想

ゲスト

渡部昇一
評論家 上智大学名誉教授
堺屋太一
作家 内閣官房参与

渡部昇一×堺屋太一 古代史で探る『国のかたち』
秋元キャスター
「聖徳太子のプロフィールから見ていきたいと思います。574年に生誕。48歳で亡くられたと言われています。日本書記には聖徳太子という名前でなく、厩戸皇子。それから、豊聡耳法大王など、幼少期の呼び名を含め、何人かの記述が、のちの聖徳太子を指すと類推されています。第三十一代用明天皇の第二王子で、叔母に当たる推古天皇が即位した時に政策の実務担当者、摂政に任命されました。役人の序列を定めた冠位十二階や十七条憲法制定など、当時の仕組みづくりに尽力する一方、遣隋使の派遣など外交面での功績もあとに伝えられています。その聖徳太子、摂政に任命された時の様子とされているのが、こちらの絵です。当時は氏姓制度という政治の仕組みで、天皇の下、氏と呼ばれる閣僚クラスが数名いました。有力な豪族が世襲しながら務めていて、この当時は、蘇我氏がその筆頭株でした。政策の実務は姓(かばね)という氏ごとの血縁者グループが担っていて、仕事の内容によって天皇が位を与えるという仕組みでした。まずは渡部さん、天皇、摂政、それから、豪族というパワーバランス。国政の決定する権力というのは誰が持っていたのでしょうか?」
渡部氏
「それは皇室ですよ、何と言ってもね」
反町キャスター
「ただ、その皇室にあるとは言いながらも、氏姓制度などを見ると、結構、複雑な、政治的なパワーバランスの上にあったのかどうか。当時のその政治の意思決定システム。それは確固たるものなのか、結構、脆弱なものだったのか。これは、我々はどう見たらよろしいのですか?」
渡部氏
「それは仏教が入って、仏教というのは、日本から見れば外国から来たものです。しかも、非常に高い文明を背負って入ってきたわけですから。仏教を入れた部族が、仏教を背景にして、朝廷に発言権を大きくしたというのが蘇我氏の例です」
反町キャスター
「その意味で言うと、決して、安定した状態ではなかった。要するに、聖徳太子が摂政として、天皇の補佐役として、力を発揮する。ないしは仕事をしていた頃というのは、日本の、今ふうで言うと、政局は安定していたのか、していなかったのか?」
渡部氏
「1番安定しなかった時代の1つだと思います」
反町キャスター
「不安定な時代だった」
渡部氏
「なぜかと言いますと、聖徳太子は用明天皇のお子さんですよ。用明天皇は蘇我氏の娘と結婚をされ、聖徳太子をお産みになりました。その次に用明天皇が亡くなられたあとに、どなたを天皇にするかという争いがあったんです。その時に、聖徳太子は、自ら武力で物部氏を征服されたんですよ。その時はなかなか勝てなくてね。自ら、これは仏教の力を借りなければダメだと言うので、四天王の像を頭に飾って戦って、ようやく4回目に勝ったんですよ。それで、この戦いに勝ったら四天王寺を建てますよと言って、四天王寺ができたんですよ」
反町キャスター
「当時、皇室の力と言っても、決して絶対的なものではなかった?」
渡部氏
「ないです」
反町キャスター
「豪族の力に脅かされながら、何とか国を統治していた?」
渡部氏
「そうです。その母親系の蘇我氏と一緒になって戦って、物部氏に勝って、崇峻天皇が即位されたわけです。ところが、崇峻天皇は暗殺されるんですよ。しかも、蘇我氏によってね。それで、聖徳太子は涙を流して何の呪いだろうと言って嘆かれたということがあります」
反町キャスター
「わかっている暗殺というのは、崇峻天皇の時だけですけれども、それ以外の、短命、短期間の在位期間の背景には、かなり政治の不安定な要因があったというふうに言われています」
渡部氏
「非常に不安定で、だから、聖徳太子は、自分が勝ちで、戦いで勝った。仰いだ崇峻天皇は暗殺されているぐらいですよ。それで、どうしようかということで結局、自分のお父さんの用明天皇と同じ母から生まれた女帝、推古天皇を仰いで、自分が摂政をやるわけです」
反町キャスター
「堺屋さん、いわゆる十七条憲法をつくられた時の時代背景。現在、聞いているんですけれども、暗殺とか、テロとか、かつてのいろいろな様々な時代に重なるような、非常に不安定な暗い時代に見えるんですけれども」
堺屋氏
「まず聖徳太子は出られた6世紀、7世紀の時代ですけれども、ちょうど日本が、モノをたくさんつくる時代。つまり、私はこの古代を、始めの時代、始代と古代に分けているんですけれども、始代というのは、灌漑がなくて、土地を加工することができない。だから、自然に灌漑のあるような、水が来るようなところだけつくっていて、非常に生産性が限られている。ところが、6世紀に聖徳太子が生まれられる頃に、中国の方から新しい灌漑技術が出てきて、どんどん土地が広がったんです。それで生産性がどっと増えまして、各豪族は豊かになった。それで豪族は豊かになると奴隷制度ができるわけですよ。1人を働かせて、働かせる以上に収穫があるわけですから、そういう奴隷制度、搾取制度ができる。そうすると、だんだん豪族の間にも格差が広がっていって、すごく格差が広がっていって、蘇我氏とか、ごく一部が非常に豊かになる。それに物部氏は立ち遅れた。それで、仏教はやめて、昔のようにした方がいいというのが仏教反対派、廃仏派の意見。一方、どんどん技術を入れて、ますます生産性を上げて、豊かになった方がいいというのが蘇我氏。この両方の対立があったわけですよ。そうしたら、豪族達は、豊かになる方に皆、味方して、だから、物部氏が孤立をして結局、皆、蘇我氏に集まってきたと。聖徳太子は、蘇我氏と一緒になって物部氏を潰して成功を収めたわけですけれども、そういう格差の社会というのが広がってくる。これをうまく統治するために官僚制度をつくらないといけないということになって、この十七条憲法が必要になってくるんです」

聖徳太子と『日本最古の憲法』
秋元キャスター
「十七条憲法の中身を見ていきたいと思います。1条から見ていきたいと思います。和を以って貴しと為し、忤うこと無きを 宗とせよ。人みな党あり、また達る者 少なし。是をもって、或いは 君父に順わず、また隣里に違う。然れども、上和ぎ下睦びて、事を諭ずるに諧うときは 則ち事理おのずから通ず。何事か成らざらんということですけれども、まず頭の部分、和を貴びなさいという部分を強調しているのですが、渡部さん、1番に和を貴びなさいと持ってきている。これは、どういう意味なのでしょうか?」
渡部氏
「これは、ご自分の経験だと思いますね。用明天皇の前の敏達天皇は儒学みたいな学問が好きだったけれども、仏教は信じない。お父さんの用明天皇は神道を尊んだけども、仏教を信じたと。そこから始まるわけですからね。異国の宗教が、ずっと神道できた朝廷に入ったというのは、すごく大きい衝撃だったと思うんですよ。それで、聖徳太子は一応、武力では勝ったわけです。聖徳太子というのは平和の象徴ではない、戦争で勝った人ですよ」
反町キャスター
「勝っておきながら、和を以って貴しと為す、おかしいですよね?」
渡部氏
「だから、せっかく勝って仰いだ天皇が、崇峻天皇が暗殺される悲劇を見ているわけですよ。だから、とにかく仲良くしてもらいたいというのが、すごく強かったと思うんです。それまでは天皇が憲法みたいなものをつくって諭すということはなかったけれど、1つ文章で諭してやろうかという感じですね。そうしますと、当時一般国民に言葉をかけるということはないですよ。官僚にかけるより仕方がないです。ですから、私は、本質的に、これは明治時代に引き写せば、官僚に対する教育勅語ですね」
反町キャスター
「堺屋さん、現在の話いかがですか。官僚に対する教育勅語という渡部さんの指摘は」
堺屋氏
「その通りで、官僚制度をどうやってつくるかということを考えたと思うんですね。官僚制度を築かなければ、仏教に伴って入ってくる文化。これはちょっとやそっとではないです。医学から、建築学から、工芸から、流通まで、一連の大技術ですね。これを受け入れるためには、我が国は、日本国は官僚制度がしっかりしていますということを言わなければいけない。それで第一に、聖徳太子は官僚基準をつくられた。和を以って貴しと為すは、精神規定ですけれども、あとの中を見ていくと、勤務規定があるとか、会議の規定があるとか、ことごとく官僚の規定です。現在で言う憲法と同じで、現在の憲法も、本来は権力者を取り締まる法律ですね」
反町キャスター
「現在の憲法もですか?」
堺屋氏
「そうです。現在の憲法も権力者を取り締まるんです。国民を取り締まるのではないです。国民は、権力者が勝手に取り締まれますから。権力者を取り締まるために憲法があるんですよ。これも権力者である豪族とその師弟。当時の官僚はだいたい豪族とその師弟ですけれども。それを取り締まるために、これをつくったんです。それで、我が国は、こういう具合にきちんとした官僚制度がありますよ。だから、皆さん、安心して技術導入をさせてください、こういう話です」
反町キャスター
「現在、導入させてください、導入させてくださいと言っている相手は隋?」
堺屋氏
「相手は、最初は百済だったのですが、百済では支店だ、飽き足らんと。だから、本店の隋に行こうということを、聖徳太子はその次に決断をするんですね」
反町キャスター
「そうすると、十七条憲法というのは、その意味で言うと、国内統治のツールであると共に外交文書でもあった?」
堺屋氏
「そうです。同時に、外交というか、相手国、つまり、隋に対して、我が国は、こういう具合にきちんとした国ですよという、官僚制度というか、統治機構を示して安心して技術導入をさせてくださいと、こういう条件ですね」
反町キャスター
「この十七条憲法の2条、3条のところには、いわゆる2条の頭のところで、篤く三宝を敬えと。三宝とは仏と法と僧なり。仏法僧と。こういう話ですよね。こういうことが書いてあります。つまり、仏教を敬いなさい、大切にしなさいというふうに、第2条で言っているわけではないですか。第3条では何を言っているかというと、今度は詔を謹んで受けるべし。つまり、天皇陛下を敬いなさいと言っている」
堺屋氏
「ここは、聖徳太子が一番悩まれたところですね。と言うのは、天皇家が、天皇を出す理由というのは神道神話ですよ。だから、神道神話を否定したら、お前のところ、何で天皇になっているんだと。俺に代われと、蘇我氏みたいなやつがすぐに言い出す」
反町キャスター
「天皇たる拠りところが神道神話になるわけですね」
堺屋氏
「しかも、その頃、中国では易姓革命思想があって、易姓革命というのは、徳の高い人が出てきたら、どんどん王朝を変わるべきだという思想ですね。すごく革命的思想。それが蔓延、それで、六朝時代、どんどん王朝を変わったわけです。そういう時代だから、日本も天皇家をやめて、俺がやる、というやつが必ず出てくる。そうすると、どうしても神道は捨てられないと。しかも、仏教を入れないと技術が進まない。この矛盾をどうして解決するかというのが、聖徳太子、生涯の悩みです。それで、両方、それに儒教を加えて、3つを一緒にして皆、信仰をしようと。だから、聖徳太子はお寺に参って、仏教を一生懸命に勉強して、しかも、百官を連れて神社にも参るんです。同時に1人の人間が複数の宗教を信じていいという、途方もない哲学を考えたんですよ。聖徳太子は世界中にいない大天才です」
反町キャスター
「それは、この場においてはすごいなという話になるんですけれども、たとえば、イスラム圏とか、キリスト教圏においては、それは自慢できる話ですか?」
堺屋氏
「一神教は絶対に相容れない。だから、一神教をまず否定したわけですね、聖徳太子は。仏教と神道と儒教を合わせて信じていいと。これを日本国中に広げるんですよ。これが大天才たる所以です」
反町キャスター
「日本ではうまく折り合いをつけたから、宗教戦争が起きなかった?」
堺屋氏
「用明天皇は仏を拝されたのだけれども、これは現在で言うと個人参拝ですよ。それを公式参拝にしろと言ったのが蘇我氏の意見ですよ。それを公式参拝にするというのが、聖徳太子の最大のポイントです。公式参拝にするけれども、神道もやめないと。これが大事なところです。あわせて生活基準である儒教も入れた」
反町キャスター
「現在の我々はクリスマスを祝って、神社に初詣に言って、お寺にお墓参りに行きますよ。それは聖徳太子から?」
堺屋氏
「そう。聖徳太子がそれをやったんです。だから、日本には宗教戦争がないです」

聖徳太子『日本外交』の先駆け
秋元キャスター
「聖徳太子の功績として、遣隋使の派遣があります。当時の隋は世界においてどういう存在だったのですか?」
渡部氏
「聖徳太子は勉強していまして、随がどうしてできたのかを、歴史を知っていたわけです。だから、隋の文明は尊敬するけれども、王室としては俺の方が立派ではないかという自信があったんですよ。それはなぜかと言うと、王朝が続いているんです。随は続いていないではないですか。ポッと出た皇帝ではないです。ずっと神話の時代から続いているんですね。そうすると、そこが聖徳太子の偉いところで、平等の外交文書を出すわけです。これが重要です」
反町キャスター
「遣隋使に託した隋の皇帝・煬帝宛の手紙には『日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや』ですが」
渡部氏
「東帝が西帝に出すという、東の方の皇帝が西の皇帝に手紙を出す、という書体をとったわけです。平等です。だから、煬帝が怒ったわけですよ。それは隋の方の本に書いてありますから、日本人が勝手に書いてつくったわけではないです。当時の大陸の支配者に、平等で皇帝と言ってくるやつはいないですよ」
堺屋氏
「隋の煬帝は、楽しまずと書いてあるのですが、喜びはしなかった。けど、この手紙を喜びはしなかったけれども、朝鮮との戦争もありましたから、日本まで征伐するという気概はなかった。それよりも大文化をつくってというような国内政治で手一杯だったんですよ。そこへうまい具合に周囲の国から何十という使者が来ている中で、自ら天使と言ったのは日本だけですね」
反町キャスター
「技術がほしかったのに、同じ立場だよというのはどうなのですか?」
堺屋氏
「同時に、我々は官僚制をつくったよと言いたかった」
反町キャスター
「それが十七条憲法?」
堺屋氏
「はい。官僚制度もできたし、我が国は、おたくと同じくらいに受け入れ体制ができていますよと。情報流出はしませんよと言いたかった」
反町キャスター
「見栄を張りたかった?」
堺屋氏
「見栄を張っている。まず見栄を張って、日本を進歩させる。過大評価させる、そういう手を使ったんですね」

聖徳太子と『官僚制度』
秋元キャスター
「賄賂はダメと、わざわざ憲法に明文化するというのは、裏返せば当時の役所、役人にはいろいろ問題があった?」
堺屋氏
「非常に問題がありました。豪族が勝手に、税金、国税をかすめとることが非常に多かった。だから、こういうことを定め、それで隋に対しても、世界に対しても、日本はこういうきちんとした官僚制度があるんですよ、と言いたかったんです。実際どうあれ。とにかく言いたかった。それでこの『日出ずる国の天子』はこんなにいい官僚機構をつくってしっかりやっていますと、だから、皆さんもこの国を援助しなさいと言いたかったんです」
反町キャスター
「実際に全国に広がっていったのですか?」
堺屋氏
「かなり広がった。だから、官僚がどんどん強くなるんです。それで聖徳太子の子孫や蘇我氏は全部殺されちゃうんです。それで官僚独裁です。ちょうど明治維新の時に初めは薩長の藩閥が強かった。それと山縣有朋とか、伊藤博文のような偉い人が強かった。それがだんだんいなくなると官僚独裁になるんですよ。それで軍人と官僚が独裁していくと。そうすると、歯止めが効かなくなるんですね。それでとうとう大東亜戦争まで、責任をとるやつがいないから、ちょうど日本の戦争責任者を追求しても、誰も出てこない。皆、あいつだ、あいつだと言うだけで、誰も出てこないという事態になるんです」
反町キャスター
「堺屋さんの指摘はいかがですか?」
渡部氏
「要するに、教育勅語ですから。だから、言うことはだいたい聞かなかったと思いますよ。しかし、そういう立派なものをつくったものですから、記憶、DNAとして残るんですよ。だから、武家でも、聖徳太子偉いのだ、と。17条だけれど、うちはそれを3倍にしようかなんて、51条など、北条氏がつくるわけです、武家の心得として。だから、聖徳太子の遺伝子というのは、DNAというのは何かにつけて出てくるような私は気がします」

聖徳太子『憲法』の日本論
反町キャスター
「大日本帝国憲法の話、ペリー来航で、日本が近代化をしなければならない時に大日本帝国憲法をつくって近代化、富国強兵をやった。この時も日本の官僚機構の増大というのはあったのですか?」
渡部氏
「それから、30年。憲法発布から20年、明治維新から30年が経った時に、まず明治の元勲が次々と亡くなりました。政党もいろいろ排除されると、結局、官僚と軍人の独裁が始まるんです。それと同じように17条の憲法をつくられたあとに、豪族を追い出し、聖徳太子の子孫も追い出し、天地、天武、それからというような時代になって、官僚独裁が確立するんですね。ちょうど聖徳太子から70年目に白村江の戦い、明治維新から72年目に太平洋戦争。似たような感じで進行していますね」
反町キャスター
「70年と言ったら、今年も戦後70年ですよ。どう見たらいいのですか?」
堺屋氏
「だから、最近の官僚独裁は危険であると」
反町キャスター
「現在、日本国憲法を全面改訂してでも、我が国の方向性を変えるべき大変革期にいると考えますか?」
渡部氏
「日本国憲法というのは、私はできた頃をよく知っています、昭和21年ですから。あの憲法ができるのに日本人は一切タッチしていないです。1人も日本人が加わっていない日本国憲法というのはあり得るか。それから、それに対して褒めることも、けなすこともね…あれは憲法ではないので」
堺屋氏
「私も憲法は改正すべきだと思います。日本が改正したからと言って、日本から戦争することは絶対にあり得ません。それは日本という国の成り立ちから見ても、国土の構成から見ても、戦争のできる国ではありません。むしろ日本の問題はガッツがないこと。むしろそちらの方が問題です。変革期として、憲法を、もっとガッツの出る国にしないといけないですね」

評論家 渡部昇一氏の提言:『和が第一』
渡部氏
「確かに戦後は、知能、頭を良くする教育。優しい子供をつくる。確かに優しくなりました。しかし、ガッツ、腹、これはダメですよ。なぜかと言うと、これは堺屋さんのおっしゃっていることとちょっと僕は矛盾していくのではないかと思うんですけれどね。日本が悪い国で侵略国家と決めつけられたものですから、この前の戦争は、悪い戦争だと教え込まれたものだから、日露戦争で戦ったお爺さんも、この前の戦争で戦ったお兄さんもお父さんも、戦争については恥じて口を開かないことが多くなったわけです。そういうところで男の子にガッツを持てなんてことは無理です。ところが、ガッツを持てる、これは本当の魔法の言葉があるんです。これは僕、本当にバカの1つ覚えみたいに言うんですど、東京裁判は日本を悪い国だと言いました。侵略国家であると。しかし、東京裁判というのは世界の連合国からマッカーサーが全部委託されて、日本を裁いたのは国際法ではなくて、マッカーサーの条例でした。だから、東京裁判はマッカーサーそのもの。マッカーサーも日本にいたりして、朝鮮戦争を見たりして、アメリカに帰って、軍事外交委員会の上院でやった時に、あの戦争に日本が入ったのは、主として自衛のために余儀なくされたものであったと。どうしてこの言葉を日本中に増やさないのですか。そうすれば、あの戦いは、敵の大将は自衛戦だと断ってくださっている。だから、日本の中ではもっと皆、仲良くして、それはガッツもできるような教育をしなければいけない」

作家 堺屋太一氏の提言:『詔承必謹』
堺屋氏
「これは聖徳太子の憲法の第3条に出てくることですけれど、承ったことは必ずやれ。これが最近は承らないこともやって、承ることもやらないという、官僚独裁というのはそういうことですよ。戦争の時も承らないことをどんどんやって、法律に書いてないことをやって、書いてあることをやらないと。公務員たるものは、政治家、国家の決めたことを守らなければいけない。それを踏み外すのは1番良くないと思うんです。たとえば、法律にこう書いてあるけれども、通達でこうだということがいっぱいある。その類が非常に多くなってきて、これが過剰な取締りと、俗例になっているんですね。法律より厳しい条例ができ、それが警察官なり、検察官なり、あるいは取締役官なり、指導者なりという人が勝手にどんどん厳しくやっていると。自らが正義感を持って、厳しくやって、喜んでいると、こういうのは非常によくないから、謹んで必ずやれということを言いたいですね」