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2015年12月8日(火)
真珠湾攻撃を検証する 『奇襲』の背景と誤算

ゲスト

秦郁彦氏
現代史家
柴山哲也
ジャーナリスト
三浦瑠麗
国際政治学者

真珠湾攻撃から74年 日米開戦の背景
秋元キャスター
「この真珠湾攻撃に至った経緯を簡単に振り返っていきたいと思います。1940年9月27日に日独伊三国同盟が締結されて、フランスやオランダの植民地の占領をはかる南進論が盛んになります。翌年7月28日、日本軍が南部インドシナに進駐したため、アメリカが8月1日に対日石油禁輸という対抗措置に出ました。さらに4月から始まっていた日米交渉がお互い譲らず難航し、11月26日、アメリカのハル国務長官から、アメリカ側の最終提案、いわゆるハルノートが手交されました。ハルノートは、中国やフランス領インドシナからの日本軍の撤退、満州国を認めない、三国同盟を骨抜きにするなど、当時の日本としては到底飲めない内容でした。それを受けて12月の1日開かれました御前会議で、対イギリス、アメリカ、オランダ開戦を決定します。日本時間の12月8日、アメリカ太平洋艦隊の拠点、ハワイ、オアフ島の真珠湾への攻撃が開始されます。なぜ日本は開戦に踏み切ったと考えますか?どういう状況があったと?」
秦氏
「簡単ではないですけれども、いきなりある日、大国の間に戦争が起こるということは普通ないわけですね。その前の段階というのがありまして、あるところまできますと、ポイント・オブ・ノーリターンという表現があるんですけれども、あと戻りができないという、これはいったいいつの時点なのかということで、いろいろ議論があるのですが、1番多いのは1940年9月、日独伊三国同盟を結んで、ドイツを主敵とするアメリカにとって、日本はその主敵の片割れになったという認識ですね。ここが1つあります。もう1つは、1941年7月、日本軍が南仏印に進駐をしたと。それに対する報復として日本に対する石油をストップした。これだと石油なしに日本は立ち往生をしてしまうと。それならば、現在のうちに立ち上がろうというふうにジワジワある意味では追いつめられていったという、そういう過程かと思います」
反町キャスター
「1つ文章を紹介したいんですけれども、1941年11月15日、真珠湾攻撃まで1か月を切っているタイミングですよね。大本営政府連絡会議決定の、対米英蘭蒋、蒋は蒋介石の蒋、中国に対する意味ですね。戦争終末促進に関する腹案というものがあります。簡単に読みあげますと、『速に極東に於ける米英蘭の根拠を覆滅して自存自衛を確立すると共に、更に積極的措置に依り蒋政権の屈服を促進し、独伊と提携し、先づ英の屈服を図り、米の継戦意志を喪失せしむるに勉む』と。アメリカの継戦意思を喪失せしむる、アメリカの戦争意欲を喪失させることによって、戦争の終結を、もし対米英戦争が始まっても戦争終結に向けた道のりをこのようにもっていこうということだと思うんですけれども、秦さん、日本がこの戦争を始める前における、この腹案、読みですよね、締めくくりに向けたこういうビジョンをもって、戦争に臨んだということですけれども、どう感じますか?」
秦氏
「これはいろいろと評価がありまして、一応、作文に近いというのが定説になっていまして、十分議論をしたうえでできたものではないと。つまり、当時、日本とアメリカとはGDP(国内総生産)で10対1ぐらいの格差がありました。特に海軍は対米戦に自信が持てないわけです。そうかと言って、降伏するわけにもいかないということで、戦うと決めた以上はどうやって戦争を終わらせるかという、一応、腹案はつくっておかなければいけないということで、つくった作文ですね、これは結局、何を言っているかというと、さすがに勝つ自信はないからそれは書いてありません。引き分けに持っていきたいという願望ですね」
秋元キャスター
「柴山さんは、日本が開戦に踏み切った理由は何だと考えますか」
柴山氏
「日本は持たざる国です。先ほど、秦先生がおっしゃったように。石油は1対270ぐらいです。しかないですね。GDPで1対12ぐらいです。そうしますと、物量的に絶対負けるわけです。このままアメリカと戦争はしたくないというのが私は本音だと思います。その当時、やりたくて、やりたくて仕方がないということはなくて。ただ、開戦年の1941年10月ですか。近衛内閣がひっくり返ったと。近衛首相が何とかルーズベルトとハワイでトップ会談をして何とかしようとしたんだけれども。ルーズベルトもそんな気を起こしていたらしいですね。ただ、こんなことを言っていますね。日本人は肝心な時に、皆で足を引っ張り合っていると。それぞれが足の引っ張り合いをやって、大ゲンカをやっていると。こういう国と話し合いをしてもどちらに行くかわからない。場合によったら北進をするぞと。ソ連を攻めるかもわからない。それで南進をして、どこに行くかわからない。ハワイとは思っていないですけれど、まったく。東南アジアとか、マレー半島とか、どこに行くかわからないと。タイ国境とかね。ビルマ・ロードとか、危ないと思っているわけです。フィリピンとか。そうしますと、アメリカも戦争したくないです。二正面作戦なんて絶対できないと」
反町キャスター
「ヨーロッパと日本ですね?」
柴山氏
「ええ。どうせそうなると。チャーチルはたぶんそれを狙っているだろうというのは知っているわけです、ルーズベルトは。そうしますと、二正面作戦はできないから、どちらか決着がついた段階で、日本をアメリカはやるとしても、参戦をすると。だったら、もうちょっと様子を見ようと。現在、日本とやって、海軍力は日本の方が勝っていると向こうは思っていますし、そうしますと、やりたくないと。だから、私は、おそらく日本側のやり方、外交をうまく展開していれば、済んだのではないのかなと」
反町キャスター
「避けられたと」
柴山氏
「うん」
秋元キャスター
「三浦さん、どのように考えますか?」
三浦氏
「真珠湾攻撃をしなければ、南部仏印に進駐したあとでさえ、何とかなったかもしれないというのが、歴史の『もしも』でありますけれども、私は思っているんですね。と言うのは、日本が自分で自分を追いつめていった。アメリカから見ると、極東の重要性というのは大西洋と比べると著しく低いわけです。海軍が、昔からフィリピンに進出して、フィリピンを植民地、統治した経験もあり、実際に遠洋を渡っていくという展開能力を有していましたけれども。アメリカは、産業は優れているけれども、それを動員して戦争にもっていくという総動員の経験はヨーロッパほど進んでいないわけですね。そういう中で、大西洋のナチスドイツと衝突するだけの、国民の賛意を得られるかもわからないところで、しかも、ルーズベルトという、それまでかなりの人気と言うか、実力を持っている大統領が国民に訴えても、なかなか総動員にいかない中で、真珠湾攻撃がなければ、アメリカは自分達がしたかった大西洋側の戦争ですら1944年ぐらいまではおぼつかなかったかもしれない。そういう中でいくと、日本が勝手に自分で自分を追いつめて、あたかもまるで選択肢がないかのように思い込んで、突入してしまった戦争であるという、世界史的にはそういう理解になるんですけれども、世界史的理解というのが、日本だと地図の真ん中に日本を置きますでしょう。アメリカだとアメリカが真ん中にあるわけですよ。日本は極東で端っこにあるわけですから。そうした時の、自分達の重要性の低さというものを現代に至るまで日本人はわかっていないのかなと」

宣戦布告が遅れた背景
秋元キャスター
「さて、真珠湾攻撃ですけれども、アメリカへの宣戦布告が遅れたことによって、日本の騙し討ちだとされていますけれども、本当にそうなのか、あらためて見ていきたいと思います。まず日本時間の12月7日午後4時に日本側からワシントンの日本大使館へ対米覚書、いわゆる宣戦布告文書の発電が終了しました。さらに、午後5時30分に対米覚書を8日の午前3時にアメリカ側に手交するよう命じた訓令が発電されています。ところが、8日の午前3時に対米覚書が手交されないまま、午前3時25分に真珠湾攻撃が始まりました。結局、攻撃から1時間後の、午前4時26分に対米覚書が手交されたということですけれども、秦さん、このアメリカへの通告が遅れたことをどう分析されますか?」
秦氏
「東京裁判が開かれます、戦後。その時にアメリカが1番重視していたのが、これですよ。つまり、日本が意図的に覚書の交付を遅らせて、真珠湾を叩いたという、一連の思い込みです。ところが、調べてみるとどうやらそうでもないらしい。どうも在米大使館の書記官が、タイプが素人で、それでも館内では1番うまかった方らしいのですが、専門のタイピストを使うなという訓令が東京から出ているわけです。それで打っているうちにミスすると、また打ち直しをするというようなことをやっていて。と言うのは、アメリカ時間でいうと午後1時なのですが、1時にそれを渡しなさいという訓令が出ていたのですが、それが何を意味するかということについて、在米大使館はまだまだ先があると思っていたようです」
反町キャスター
「そもそも翻訳してタイプしている文書、宣戦布告の文書と知らずに打っていたのですか?理解せずに打っていたのですか?」
秦氏
「それが長いですよ。第1部から第14部までありまして、第13部までは、これは日米交渉、あるいは遡って日米関係について、いろいろと並べているわけです。こういうことがあった、こういうことがあった。それに対してどうだというようなことが。第14部というのは、日米交渉打ち切りという当時の空気からすれば、これでアメリカ側は、日本の攻撃がどこかで始まるぞと反応してもおかしくないという、この第14部が、それまでの13部をタイプしている間に遅れちゃったんです、だんだん。だから、ハル国務長官はそういう時には第14部だけ持参すればいいのではないかと。それも大変だということであれば、電話をかけて、こうだと言えば、それで騙し討ちにはならないのにと言って、回想録に書いています。その通りですけれども、実に不思議なことと言えば、故意性はなく、要するに、タイプの腕がまずかったが故にということで、連合国は皆、納得してしまったんです。だから、真珠湾攻撃で誰も処罰を受けていませんよね」
柴山氏
「ずっと13部まで読んでも、これは経済、外交経済学者の論文かなというぐらいのものです。アメリカといろいろやってきたけど、うまくいかない、わかってもらえないと。そうすると、これは非常に緊張感のない文章なので、これが宣戦布告に相当する通告文書だと、大使館の人に思えというのはちょっと無理があるかなと」
反町キャスター
「翻訳していく過程で判断するということしかないという意味で言っていますね。つまり、こういう文章だった、至急3時までにつくって届けるとか、そういう」
柴山氏
「これはメモランダムが一応ちゃんと英語で出ていますから。これをつけているわけです、英語を。と言うことは、要するに、これを読んでいても、やたら難しい文章で書いて、だらだら続くというので、しかも、14部に分けよということを指定しているわけです」
反町キャスター
「何でそんなに長文の、しかも、緊張感のない文章を送ったのか、日本政府は。秦さん、どうですか?」
秦氏
「普通、我々の間の交渉事で、手紙をやり取りする時でも、延々と前書きの長い人がいますよね。だから、はやく結論を言えよというようなことがしょっちゅうありますね。ですから、これは趣味としか言いようがないですよね。要するに、その方が見識、格式、整っていて、そういう立派な文章にしたいという気持ちが湧いたと。それで70行、80行にわたって、そういうあまり意味のないのが続いて最後の3行ですよ。そこで、これは、ということで」
柴山氏
「ただ、この3行も、通告を打ち切るような表現になっているんだけれど、これから。これでもう交渉を打ち切ると」
反町キャスター
「交渉を打ち切ると言っていても、戦争するとは言っていない?」
柴山氏
「そういうふうには言っていないですね。と言うことは、宣戦布告というような、へーグ条約で明らかに貴国と我が国は戦争状態になると、入ると。こういう文言がないとダメだということですよね。たとえば、イラク戦争、第1次の時。大使が宣戦布告文書を持ってイラクへ行くのに、フセインに会いに行く前にベーカー国務長官が、CNNを呼んで、宣戦布告をしましたよね。3日後の何月何日までにクェートから撤退せよと。これがデッドラインだとちゃんとやりました。これは宣戦布告ですよ。だから、誰がやってもいいです。ベーカー国務長官がやろう。放送でやろうと。だから、グルー大使に、30分前に宣戦布告しますと。東郷外相が駐米大使館に行って、文書を出したら、それでいい」
反町キャスター
「何もワシントンで出す必要はない?」
柴山氏
「必要はないし、ラジオで、ラジオ東京で…」
三浦氏
「だって、奇襲したかったんですよ。空母機動部隊を叩くのが目的なのだから。軍事的にはそこを全滅させる、準備ができていない時に、全滅させるのが目的なのだから、たとえば、攻撃される1時間前に知っても、何の意味もないですよね」
柴山氏
「そうそう、そういうことです」
三浦氏
「だから、結局のところ、こういった純粋に、軍事的な観点から、ここを叩いておけば、将来、戦争になった時に楽だという発想だけでやっているし、縷々と自分の想いを綴っているのも、相手からしたら関心のないことを縷々と綴ると。これは、卑怯だってわかっているからやっている部分があると思いますよ」
反町キャスター
「現在の見方。僕は現在の三浦さんの理屈立て、結果論的に、結果から類推するにはわかりやすいですよ。端から通告なしに殴り掛かることを前提にしているのだから、相手が構えていない時にやるのが1番いいのだから、長々と訳のわからない文章のうえで、なおかつそれを遅らせて出したんだという、この結果からくる類推。東京裁判にくる連合国側はそう思ってきたわけではないですか。きちんと整理する限りにおいては、秦さん、どう感じているのですか?裁判の結果は白になったのはわかります。ただ、現在の三浦さんの類推という…」
秦氏
「これもいろんな議論がありまして、たとえば、日本の武士道という観点からすると、これは1番恥ずべきことではないかという議論があります。ところが、武士道というのは抽象的な倫理は言っているんだけれど、具体的なことはあまり言っていないわけですね。そうしますと、たとえば、斬り込みをした夜、相手が寝ている時、そうすると、相手が寝たままのやつを斬っちゃうというようなことは、これは武士道に反すると。しかし、結局、落ち着くところは、枕を蹴って相手が起き上がったところをばっさりやれば、これは武士道に適うという議論に結局なっちゃっているんですね。逆に言うと、ハーグ条約で事前通告をしなさいと書いてあるんだけれども、何分前にということまでは書いていない。そうすると、1分前でもいいということになります。その議論を進めていきますと。だけど、ともかく真珠湾攻撃をやるためにはできるだけ、そこの間合いを短くしないと」
反町キャスター
「これは事実上、日本政府が午前3時に出せといって、攻撃が3時25分に始まった。25分前の手交というものを事実上、指示をしていたことになるわけではないですか?」
秦氏
「そう。その前は1時間だったんですよ。ところが、土壇場になりまして、海軍の方から1時間では、ちょっとね、前過ぎるから、30分前にしてもらいたいと」
秋元キャスター
「それだけ自信がなかったということですよね?海軍としては」
秦氏
「奇襲したかったわけでしょう。向こうが用意して準備万端怠りなく待っている時に行ったのでは、返り討ちにあうというリスクがありますね。ですから、真珠湾攻撃自体は返り討ちのリスクが7割、8割あったわけです。ですから、山本五十六以外は誰も真珠湾攻撃を相手にしなかった。だから、山本さんがいなければ、真珠湾攻撃は起きなかったということですね」

なぜ真珠湾だったのか?
反町キャスター
「初戦における、第1撃の戦意喪失を狙ったとして、それなりの成果を真珠湾攻撃においてはあげました。結果的には戦意喪失につながりましたか?」
秦氏
「いや、つながらないでしょう。何よりも騙し討ちでやられたということですね。さらに言えば、遅れて着いた宣戦布告文も明確に宣戦布告をしていないと。だから、二重の欠陥があるわけですね。だから、リメンバー・パール・ハーバーで、これは一にもなく開戦権は、アメリカは上院が持っているわけです。上院がすぐに対日宣戦を認可しましたし、国民はワーッと沸き立っているんですね。JAPをやっつけろというふうになったから。だから、五十六さんが考えたこととは正反対の結果が起きてしまったと。それを騙し討ちという、しかし、アメリカもどうですかね、これだけ欠陥があれば、間に合っていても、うまく利用をしたでしょうね」
三浦氏
「そうだと思います。つまり、卑怯だというのは、アメリカが戦略的に総力戦を、国民を動員しながら、戦ううえで利用したという部分はあって、それは個人として、政治家個人として卑怯だと、すごく日本を憎むと同時にこれを使おうという話になるわけですよね。日本が理解をしていなかったのは、自分達が民主国家でない時にさえ、日露戦争のポーツマス条約を結ぶのがあれだけ大変だったのに、アメリカのような民主国家で、全てが民意に支えられているような国で、奇襲攻撃をして向こうに犠牲を出すことの意味合いがわかっていない。そこは、山本五十六さんは非常にナイーブな人だし、ちょっと普通に考えたら、ここで講和なんかになるわけがないですよ」

日米開戦と通告遅延を再考
反町キャスター
「奇襲攻撃をすることによってアメリカの世論がこれだけ燃え上がって、一気に日本に向かってくるぞという、この流れを事前に予測していたら、果たして真珠湾攻撃はあったのかどうか?そこのところはそうですか?」
秦氏
「だけど、この時期には、いわゆる民間の世論なるものは全部封殺されていまして、新聞もそうでしょう」
反町キャスター
「いや、アメリカですよ。アメリカにおける…」
秦氏
「ですから、アメリカにおける世論の動向というものを、正確に伝えるメディアが日本にいなくなっている。どんどん狭まっていきまして、検閲を皆やっていますからね。ですから、そういう意味で、健全な日本の世論というものが生まれる余地がほとんどなくなっている」
反町キャスター
「たとえば、在ワシントン日本大使館から日本に向かって、対米開戦をした場合は、真珠湾攻撃をした場合には、という情報は現場に入っていなかっただろうと。そこも想定できないと思う。ただ、戦争した場合にはアメリカの世論が、現在ヨーロッパに向かっている世論が一気に日本に、反日に向かう可能性があるという、そういうのは、報告はなかったりしないのですか?」
秦氏
「そういう報告はないでしょうね」
反町キャスター
「対米戦をすることによる対日世論の燃え上がりを懸念するような報告は、当時のワシントンから東京にはきていなかったのですか?」
秦氏
「ですから、そういう限られた条件の中で、たとえば、陸軍内部でも戦争を始めたら、どのぐらい持つだろうかというのを、物資の側面から計算させるというのを、やっているんですね。総力戦研究所も同じようなことをやっていまして、研究を。それで物資の面では勝ち目がないというのがほぼ出ているんですね」
反町キャスター
「開戦前に?」
秦氏
「ええ。ですから、世論というものは、むしろどちらかというと、アメリカなんかに屈するなと。極端な場合、あそこで戦争を回避したら、暴動が起きたのではないかとか、いろんな話が飛び交うわけですね。だから、ちょっとアメリカの世論に対する配慮。そこまでの余裕はなかったと考えていいのではないでしょうか」
反町キャスター
「日本の軍部も指導部も、その意味において、視野狭窄とは言いませんけれども、かなり情報をきちんと広く見る感覚を失っていたという言い方でいいですか?」
秦氏
「その前に物資の面で見込みがないということはわかるわけですよ」
秋元キャスター
「現在の対日観に影響を与えたのかどうか?」
三浦氏
「あの総動員の戦争で日本は悪だということにしたことの効果は大きかったわけです。ですから、アメリカは1945年以降、自分達のやった戦争は間違っていなかったということの1番の根拠づけの1つが真珠湾攻撃から始まった日米開戦というところがあります。ただし、そのあと、アメリカは潔く負けた日本に対して割と寛大な占領統治を行うんですね。それは社会主義的な改革官僚の影響もあって、日本を実験場のようにして、ちょっと社会主義的な改革をしようと。財閥解体もしたし、農地改革もしたというところで、現在の米下院に関して言うと、ここまで我々はしたぞと。ある種、イラク戦争失敗のプライドが傷ついた部分もあって日本ではうまくやったぞと。我々は日本をここまで変えたという、何らかのお兄ちゃん的な暖かい眼差しというのはあります。それから、アメリカは原爆を落としたことによって、イーブンではないですけれど、お互いがお互いに対して言いたいことがある。というのがそれなりに…。総力戦をやるというのは、相手は悪だと。悪魔だというところですから、そこから、関係を修復するのは大変なので、アメリカが原爆を落とした効果によってアメリカは日本に占領統治を寛大にできたのかもしれない」
秦氏
「今日、真珠湾で祝典があって4000人が弔問に集まったと。日本では、これというイベントはありませんね。ですから、これは格差ですよ。何でこんな格差が生じるのだろうかということもありますけれども、日本としては、パール・ハーバーに対して後ろめたい気持ちがあるんだと思いますよ。ですから、積極的に自分から持ち出したくないという。それから、NO MORE HIROSHIMAと言って、アメリカへ出かけて行って運動をやりますと、必ず誰かがリメンバー・パール・ハーバーとお返しを叫ぶという、こういう状態で、それは先ほど、三浦さんが言われたように一種のバランスが成立しているというのが結果的には私は良かったと思いますね、日米関係の、安定的な関係。つまり、貸し借りがある程度、相殺しちゃったという、そういう関係ですね」
反町キャスター
「日米関係がこじれた時に向こうが持ち出すカードにはなっていませんか?」
秦氏
「だから、それはパール・ハーバー攻撃という、戦術的な、具体的な場面ではなく、要するに、奇襲されたということですね。現在考えてみると日本の奇襲が成功したというのは、これは確率から言うと大変なものであり、奇襲された方もよっぽど運が悪かったと。逆に言えば、日本は非常に運が良かったということになるわけです。そういうことは普通起こり得ないと。そうしますと、奇襲されるということに対する恐怖ですね。この教訓は、いわゆるパール・ハーバー・シンドロームと言われていると。ところが、そこにやられてしまったわけですね、9.11で。それでこれまでこれだけアメリカは、奇襲シンドロームに配慮してやってきたのに、ダメだったのかというようなことが、だから、いったい奇襲というのは防げるものかどうかという、また、基本的な問題に現在立ち返りつつあるのではないでしょうかね」
反町キャスター
「ポイント・オブ・リターンを通り過ぎる時に、踏みとどまれるように、我々は何か考えなくてはいけないことはないですか?」
秦氏
「それは、大いにあると思うのですが、しかし、それを強制できるかということになってくると、これはまた別の問題でありまして、私は簡単に言ってしまえば、満州事変以降の日本の暴走、これは明治憲法の構造的な問題もありますけれども、要するに、軍が実権を握っちゃったということですね。軍人は戦うということを本分としているわけです。軍人の中で、平和論を唱える人がいたら、つまはじきにされて、主流にはとどまれません。ですから、ものわかりのいい人がいたとしても、たとえば、これだけ譲歩してやったのに、向こうが応じないというなら、断固武力で叩こうと。石原莞爾にはそういう文書が残っていますけれど、寛大にして言う事を聞かないと、軍事力だと。つまり、軍人は武力で全て解決しようと。これが権力を握ったら、範囲が狭まってくるわけですね。ですから、現在で言えば、シビリアンコントロールですか、これがなぜ崩れたか。そうすると、政党政治が腐敗したからだとか、いろいろな理由がついてくるわけですよね。だから、こうすれば良かったという解答はそう簡単には出ませんよね」

現代史家 秦郁彦氏の提言:『「奇襲」に備えよ』
秦氏
「これはわざわざカギかっこをつけていますのは、いろんな奇襲があるわけですよ。戦争に関連する以外の奇襲というのもありますけれど、それに事前にちゃんと備えておくということは皆、必要だと言う。しかし、実際行われるかというと、たとえば、日本の場合で言いますと原発の事故があります。あれは全電源が止まっちゃったわけでしょう。それは緊急用に備えておいてあった、ジェネレーター、つまり、発電機が全部低いところに置いてあったから津波で被っちゃう。なぜ少し高いところに置いておかなかったのかという。これはあとになって気がつく話で、これだけの大災害を起こしたというのも、たとえば、真珠湾で言えば、81機の飛行艇、索敵用の飛行艇ですけれど、これがキンメル提督の元にあったわけです。当日、朝から飛んでいたのは2機だけです。それも南側、日本の機動部隊が来るのと全然逆の方向でしょう。なぜ81機もいるのに、やっていれば、きちんと、日本側は完全に返り討ちにあっていました。ですから、あとから考えるとなぜという、不思議なことが歴史にはちょくちょく起きる。ですから、私はそういう意味で、これからもたぶん奇襲はなくならないだろう。しかし、備えをしておくということによって、その損害は相当減るだろうと考えています」

ジャーナリスト 柴山哲也氏の提言:『自分で考える 歴史観を作る』
柴山氏
「今日はルーズベルト親電。最終的に親電を送ってきて、平和を求めるという、ここもちょっとやりたかった点があるんです。それから、もう1つは、私は権力の下降というか、上の方だけが悪いわけでなくて、東京裁判で、日本国家の総意志で太平洋戦争をやったというふうになっているけれども、これは現場が暴走していると思うんです。私は、現場の暴走と捉えていて、ある意味で、意志決定がなかなかできないと。例えて言うと、戦後故人だから名前をあげるのだけれども、瀬島龍三という方がいらっしゃいますけれど、彼は作戦参謀で、非常に作戦家で、30歳そこそこの少佐だったんだけれども、大変に力を持って、というか非常に天才的な作戦の頭脳を持っていて、彼が相当いろんな采配を振るっているんですよ。そういうことになると、上の方は知らないけれども、どんどん戦争を拡大していくという、中国戦線から始まって、そういう流れというのはあったと思います。そこと、もう1つは、開戦通告遅れ、これもいろいろ作為が働いているのではないか、偶然ではなくて。というふうに私は思っています。それから、私が現在言いたいのは、自分で考える歴史観をつくる。大東亜戦争史観でなく、かつ太平洋戦争史観でもなく、かつ民主主義的歴史観というものをつくっていけたらなと思っています」

国際政治学者 三浦瑠麗氏の提言:『経緯論はやめよう』
三浦氏
「つまり、日本は、この癖を未だに失っていません。日本の最エリートである元財務官僚の方が集って、でも、こうなっているんですと、軽減税率についてのお話。軽減税率に関しては専門家はやめた方がいいと言っています。なので、日本は変わっていないんだなと思うんです。つまり、経緯論を脱するということが必要だし、そのためには1番高位にある人間が責任をもって政策を進めなければいけないですね」