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2015年11月24日(火)
時代をデッサンした男 横尾忠則と『芸術論』

ゲスト

横尾忠則
美術家
山下裕二
明治学院大学文学部教授 美術史家

美術家・横浜忠則氏に聞く 『Y字路』が目指すもの
秋元キャスター
「こちらに3枚ありますけれど、横尾さんが2000年から発表されている『Y字路』です。三叉路をモチーフに、現在まで様々な作品を書き続けているんですけれど、まずは横尾さん、なぜY字路をモチーフにしようと思われたのですか?」
横尾氏
「偶然ですよね。これもね。この場所がY字路になっているなんて知らなかったんですよね。僕の郷里の兵庫県西脇市のところです。最初の1点目を描いた時に、この絵で言えば、中央です。真ん中です。真ん中に模型屋さんがありまして、その模型屋さんはよく行っていたんですけれども、それである時その模型屋さんを見に行ったら、壊され、なかったんですよね。記念写真を撮りまして、次の日に見たら、何か不思議な場所だと思ったんですね、その時ね。これはもしかしたら、絵のモチーフにならないかなというのが、最初のこのシリーズの発端ですね」
秋元キャスター
「山下さん、『Y字路』というのは、日本美術史的にはどういうものなのですか?」
山下教授
「Y字路をシリーズにして描いた人なんて横尾さん以前にもちろん、いないわけだけれども、だから、横尾さん、頭で考えて、こういうテーマを思いついたのではなくて、まさしく、そこに行った時にパッと向こうから降りてきた感じだと思うんですよね。自分にとっての現体験の場所なわけではないですか。子供の頃によく行っていた模型屋さんがあったと。そこのY字路が、横尾さんの中で、あっ、これはモチーフになるというふうに成立をしたんでしょうね、その瞬間にね。そこから、もう15年ぐらいですか?」
横尾氏
「そうですね」
山下教授
「ずっといろんなところを行かれる度にY字路を探して、写真を撮って、それを画にするというのを続けていますね。前に、横尾さんと話をした時、山下もイニシャルY.Yだよねと。一緒にY字路に行かないなんて誘われたことがありましたよね」
反町キャスター
「たとえば、この町にしても、ここを右に行くか、左に行くかによって、人生が変わってしまうみたいな、そんな問いかけもあるのですか?」
横尾氏
「ありません」
反町キャスター
「ない?失礼しました。そうすると、この道の奥には何があるかなんて、どういうふうに僕らは考えたらよろしいのですかね」
横尾氏
「どちら行っても地獄があるのではないですかね。僕は冗談で言っているんですけれども。こんな暗いところに歩いて行きたいと思いませんよね」
反町キャスター
「何か引きずり込まれるような印象を、僕はこの画から感じるのですが」
横尾氏
「僕はY字路が好きで描いているのではなく、Y字路をモチーフにして画を描くことが問題ですよ。テーマですよ。言ってみれば形ですよね。前に向かって来る。向こうからこちらに向かって来るスピード感と、左右が向こうへ走っていく。その逆でもいいんですけれども、その運動にも興味がありますし、それから、普通、美術では消失点が1点なのだけれども、遠近法的に、こう…」
反町キャスター
「この画で言うと?」
山下教授
「提起を表す点が奥に行くに従って狭まっていって、それがぶつかるところが消失点」
反町キャスター
「こちらの道の行った先が消失点。あちらの道を行った先も消失点」
山下教授
「2つあるわけです」
反町キャスター
「それぞれの道の行った先に消失点がある?」
横尾氏
「うん」
反町キャスター
「これが、たとえば、1つの画の中に消失点が2つある。Yに分かれて、2つあるというのは非常に特殊な構図なのですか?」
山下教授
「特殊ですよね。考えてみたら」
横尾氏
「うん」
山下教授
「このY字路以外にはちょっと、なかなかないですよね。考えてみたらね」

芸術の世界
秋元キャスター
「続いて、この『Y字路』の3枚の中の真ん中ですけれど、思い出劇場という題名がついていますけれども、横尾さん、これは特に中央の救急車が、非常に印象的ですけれども、これはどういう意味なのでしょうか?」
横尾氏
「僕は山梨に、温泉の取材に2年ぐらい、ずっと日本中の温泉をまわっていたんですけれども、この時はたまたま山梨に行きまして、その時、そこの旅館で食べた山菜で食中毒になったんですよ。それで救急車に乗っけられた」
反町キャスター
「ご自身が乗った救急車なのですか?」
横尾氏
「そうです」
反町キャスター
「救急車に乗った時の、じゃあ、思い出劇場というのは、腹を痛くした思い出の劇場という意味なのですが?」
横尾氏
「いろんな意味が、全部思い出ですよね」
反町キャスター
「救急車に関してはそんな想いであるとして、三島由紀夫さんがここに(中央に)いますよね?ここにもいますよね」
横尾氏
「これは湖があって、三島さんの文学記念館ですか、温泉の帰りに寄ったんですよね。たまたま、ここが僕のテーマのY字路になっていたんです。それは本当、偶然です」
反町キャスター
「それは三島記念館の門を入るとY字路になっている?」
横尾氏
「2つに分かれている。それでこれもモチーフになるというので、Y字路シリーズの1点として描いたんですけれどもね」
反町キャスター
「これは、三島さんがまさに市ヶ谷での演説の様子を彷彿とさせる…」
横尾氏
「ええ、そのままですね」
反町キャスター
「あとで三島さんの思い出話を聞ければと思うのですが、それは、たとえば、このヘリコプターも、三島さんが市ヶ谷で演説していた時の…」
横尾氏
「あの時に空を飛んでいましたよね。そのイメージですよね」
反町キャスター
「そういう三島さんの思い出。あと自身が腹をちょっと悪くされた時の思い出の他に、ここにある石和温泉劇場というのは?」
横尾氏
「ここは三島さんとも交流があって、僕も交流があったんですけれど、深沢七郎さんは石和出身ですよ。それでストリップ劇場でギターを弾いていたんですね、深沢さんが。そのことを知っていましたから、実際このストリップ劇場は石和にある。石和かな。どこかな。その近くですよ。その建物をそのまま描いて」
反町キャスター
「そのストリップ劇場でギターを弾かれていた深沢さんもここにちゃんといる?」
横尾氏
「そうです」
反町キャスター
「これは石和温泉に行った時の思い出がここに散りばめられていると。こういう理解でよろしいですか?」
横尾氏
「そうです。ここに棺桶がありますよね」
反町キャスター
「棺桶の上に腰をかけて歌っている?」
横尾氏
「ええ」
反町キャスター
「それは、要するに、何か?」
横尾氏
「いや」
反町キャスター
「全体の意味でお墓とかですね。ここに性行為らしきものがあったり、女性の人達がいたりです。何か生と死、ないしは性行為、ないしはストリップ劇場というのも性的な1つの象徴ですが。これはどういう思い出が?」
横尾氏
「いや、たいした思い出ではないですけれども、以前、石和に、深沢さんと一緒に行ったことがあるんですよ、深沢さんの車で。その車の中で御詠歌を深沢さんがかけるんですよね。その御詠歌は自分が死んだ時に流す御詠歌で、今日は皆さん、足元のお悪いところをわざわざ私のお葬式のため…という挨拶があって、ギターがジャンジャンとあると言う話というか、そういうことを聞いていましたし、実際にそれを聞かされていたので、それが強烈なイメージだったんですよね。それでここに描いてみようと思って」
反町キャスター
「描いてみた。そうすると、もう1つ、反対側の、このやたらと影が大きい…」
横尾氏
「これは、山梨美術館が持っているミレーの」
反町キャスター
「種を撒く人?」
横尾氏
「種撒きの人」
反町キャスター
「それを持ってきた?」
山下教授
「山梨県立美術館はミレーの美術館として有名なので」
横尾氏
「非常に有名なコレクションですよね。それをここにちょっと描いてみようと」
秋元キャスター
「数多くある思い出の中で、これは描く、これは描かないという、取捨選択みたいなことはどうやって決めているのですか?」
横尾氏
「それは過去かな、みたいだから描いているんです。難しい理由はないです」
山下教授
「ただ、描いていくうちにイメージがどんどん連鎖していく感じなのだと思いますよ」
横尾氏
「まさに、そうですね」

三島由紀夫から受けた影響
秋元キャスター
「横尾さんは昭和40年代に三島由紀夫の本の挿絵も手がけられたということで、親交があったということですけれど、三島由紀夫という方はどういう存在でしたか?」
横尾氏
「難しい質問ですよね。これは僕でなくたって、難しい質問だと思いますよ」
反町キャスター
「思い出というか、そのお付き合いでいうと、たとえば、横尾さんの方から三島さんの方にアプローチされたのか。たとえば、三島さんの方からこういう作品が良かったねとか。どちらだったのですか?」
横尾氏
「最初は僕が単に三島さんのファンだったですからね。一目会ってみたいというね。ただ、最初はそれだけだったんですよ。それが最初の展覧会、東京でやった展覧会を見に来ていただいて、三島さんが気に入って、会ったんです。それを差し上げたんですよ。そこから、交流が始まったんです」
反町キャスター
「その最初の出会いから、1970年に市ヶ谷で自決されましたよね。その間というのは」
横尾氏
「いやいや、4年ぐらいだったという気がしますね」
反町キャスター
「4年の間に、三島さんの変化というものは、近くにいて感じましたか?」
横尾氏
「全然感じなかったですね」
反町キャスター
「市ヶ谷でそのようなことをやるような決意というのは、何かやろうとしていると、そういうものは感じるものですか?特にそういうものはないままに、普通に」
横尾氏
「危険な方だなという。だから、あまり三島さんにこれ以上、接近したら、何か自分をどうして守ればいいのかななんて、そんなことを考えていましたね」
反町キャスター
「それはどういうことですか?」
横尾氏
「何か僕のその論理でわからない、考えられない、非常に不条理な存在に見えたんですよね。だんだんそれが強くなっていったような気がするんですよね」
反町キャスター
「それは何か生き方とか、何か物事の決め方みたいなものが、横尾さんと三島さんというのはすごく違うもの?何が違うというふうに1番、感じられたのですか?」
横尾氏
「ことごとく違いますよね。小さな趣味からも、随分違いましたよね。だから、僕の画はどちらかというと、ポップ的な表現をとっているんですけれども、三島さんは、そういうポップ的なものよりも、少しロマン派的な画が好きだったですしね。映画でも、僕はゴドアールが好きだと言ったら、三島さんはビスコンティだという。僕が、高倉健が好きだというと、いや、俺は鶴田浩二だと」
反町キャスター
「高倉健と鶴田浩二の違いがわからないのですが?」
山下教授
「反町さんは以外と若いんです。僕よりうんと下ですから」
反町キャスター
「鶴田浩二さんと高倉健さんの違いというのはどういうふうに?」
山下教授
「それはすぐわかりますよ。だって、鶴田浩二は特攻隊のイメージですよね。三島さんはもちろん、念頭にあったと思う。横尾さん、これまで描いていらっしゃいますけれども、現在となってみれば、三島さんが言っていたことは、遺言だったかもしれないということをおっしゃっていますよね?」
横尾氏
「そうですね」
山下教授
「自決する3日前に電話で話されているんですよね?」
反町キャスター
「3日前に話している?」
横尾氏
「そうですね。その時ですら、わからなかったです」
反町キャスター
「その時は横尾さんがかけられたのですか、向こうからかかってきたのですか?」
横尾氏
「僕が三島さんに電話するということはなかったんですよ。初めて、僕が電話をしたんですね。何で電話をしたのか、よくわからない。何となく夜中に電話をしたんですよね。三島さん、まだ帰っていらっしゃらなくて、10分ぐらい奥さんとお話をして、三島さんが帰って来られて。それはパレスホテルで、切腹のリハーサルをしていらした、その翌日ですよね。雨が降っていましたね」
反町キャスター
「その時は、三島さんは、その3日後のことを横尾さんには何も言わずに?」
横尾氏
「僕はその頃に、ちょっと前に入院をしていたんですよ、足が悪くて。その日記を書いていたんですよ。雑誌に連載をしていたんです。その日記、その入院の時に健さんと浅丘ルリ子さんが見舞いに来てくれたんですよ。三島さんも来てくれたんです。だけど、健さんと浅丘さんが見舞いに来てくれた、と書いてあるけれども、俺が行ったとは書いていないではないかと。亡くなる3日前ですよ」
山下教授
「怒っているわけですよね。結構、真面目に怒っていたでしょう」
横尾氏
「うん」
反町キャスター
「真面目に怒っていたのですか?」
山下教授
「何で俺のことを書かないのかと」
横尾氏
「そうですよ」
反町キャスター
「それに対して、横尾さんはどうされたのですか?その時」
横尾氏
「何か際どいことを言ったような気がするんですよね。三島さん、ちょっと言い方は違ったかもしれないと思うんですけれども、三島さんの近くに自分がいるということがね。何か怖いような気がするというようなこと。どんな言い方だったかは知りませんけれども、そういうようなことを言ったような気がしますね。これは割と本音を言ってしまったのかなと思うんですけれどもね」
反町キャスター
「それは先ほど言われたような、あまり近くにいると、自分がどこかに引き込まれていきそうな気がするという話があった。そのような主旨の話を、三島さんに、直接に言った?」
横尾氏
「そうですね。僕には三島さんのような思想はないですからね」
反町キャスター
「そういう話をされると、三島さんというのはどういう化学反応というか、なぜなのだと言う話になるのですか?それとも…」
横尾氏
「なぜなのだと、まさになぜなのだで、三島さんが人斬りという映画に出られたんですね。勝新とか、裕次郎が出たようですけれどもね。その時、三島さんは、竹光で、映画の物語の中で切腹するシーンがあるんですよ。その映画、試写が終わって、三島さん、ちょうど僕の後ろにおられて、横尾君、生きているのかという。僕はショックを受けて死んでいると思われたのではないですか。冗談ですけれど。俺の切腹を見て、びっくりしただろうと言われた時、いや、三島さん、本当に映画の中で腹切っちゃって死んでしまえば良かったのではないですかと言ったんですよね。そうしたら、三島さんが、すごく怖い顔をして、睨み付けましてね、どうしてそういうことがわかるのだと。僕はわかっていないですよ」
反町キャスター
「でも、向こうにしてみれば、わかっている発言ですよね?考えていることをズバリ言い当てられたという感じですよね」
横尾氏
「だったのかもしれませんね。だから、三島さんのその言葉に、僕はすごく疑問を持ちましてね。三島さん、現在の言葉どういうことなのか。わからなかったですよね。現在になったら、わかりますけれどもね。その当時は全然わからなかったです」

『Y字路』と『死生観』
秋元キャスター
「この『如何に生きるか』というタイトルに込められた想いというのはどういうものなのでしょうか?」
横尾氏
「レールの枕木に書いているんですよね。1番上は、何を書くかですね。その次は如何に書くか。下はその2つでもない。如何に生きるかということが重要だっていうことで、僕の歩んできた絵に対する考え方を書いているんですけれども、前の2つは僕の過去の考え方、それを否定しているわけです。現在は何を書くかとか、要するに、どんなふうな表現をするか、そういったことはどうでもいいではないか。どう生きるかという方が僕にとっては重要だということを言いたかったんですよね」
反町キャスター
「過去の2つの『Y字路』と比べると、強くYが出ていない。1本の道がドーンと通っているように見えるんだけれども、Yかもしれないみたいな、過去のYとは違うYをどういうふうに我々は受け止めたらよろしいのですか?」
横尾氏
「YというのはY字路という主題ですね。そこに現在3本の言葉を入れたように、そこは、主題はどうでもいいという、その岐路になっている、このYはそこではそれは失われている、破壊されてしまっていますよね。自分がこれまでこうだと思っていたものをそこでは壊している、否定していこうとしているというような気がしているんですよね」
反町キャスター
「これは、真ん中は線路ですけれども、右と左には横断歩道を置いて、道2本が出ているように見えるんですけれども、そういうことでよろしいのですか?」
横尾氏
「2つの風景をダブらしているんですよ、この絵の中で。もう1つの風景の名残り、というか、残像が見えているという感じですね。これは真ん中の位置が、端の道ですよね。こういうふうになっている。それを真ん中に道をつけることによって、それをもう1度壊しているというのかな」
反町キャスター
「これまでの『Y字路』というのは右か左で迷っていたY字路ではなく、真ん中にしかも道路ではなくて線路を、鉄路を引くというところが何かこれまでとの2つのYとは違うYになっている。真ん中に道が、線路が通っているYになっている?」
横尾氏
「そうですね」
山下教授
「如何に生きるかというまっすぐな線路。それを表しているメッセージなのではないですか」

アンディ・ウォーホルの存在
秋元キャスター
「昨年、アンディ・ウォーホルをモチーフに描かれた作品ですが、この作品にはどのような想いが」
横尾氏
「これは美術館の展覧会で、ファンタジックアンドロマン、ちょっと忘れました。そういうテーマを与えられたんですね。僕はこれまで自分にとってのファンタジーとか、自分にとってのロマンを書いてきたと思うんですけれども、自分が介在しないで、誰かのロマンとファンタジーを一緒に書けないかと思って、この場合シリーズで何点かつくったんですけれども、この場合アンディ・ウォーホルがマルセル・デュシャンをミスしている。日本語にしたら何て言うのかな。それをモチーフにしてつくってみたんです。この他にもピカソと分かれた女性、何人か。それから、ジョルジョ・デ・キリコとベニス、ニーチェとかのシリーズとか、何点かつくっているんです。そのうちの1つですね、これは」

横尾忠則氏『芸術の世界』 衝撃だった『少年マガジン』
秋元キャスター
「どういう影響を受けられたのですか?」
山下教授
「忘れもしません、僕が12歳、小学校6年の時、1970年。それまでもずっと『少年マガジン』を買って、読んでいました。毎号欠かさず。そうしたらいきなり、何だこれはというような表紙に出くわしたんですよね。たとえば、そこにある中で言うと、1番右下の全面ほとんど緑だけ。上にドラキュラがいて、下でキャーッと叫んでいる女の人がいて、何の説明もなしというね。それとか、真ん中にあるやつは桃太郎の戦前の絵本ですよね、講談社の。それの図柄をそのままコラージュして。そこに横尾さん自身が手書きの文字を書き加えているんですね。何だこれは?と思いましたね。極めつけはこの1冊で、これも横尾さん自身のデザインですけれども、この巨人の星はわかりますよね。これは敢えてモノクロにして、カラー特別企画横尾忠則の世界という特集があるので、横尾という三文判がここに押してあって、開くと何の説明もなく、横尾さんがデザインしたポスターとか、このベロを出したページが延々と続くんです。こちらはものを食べている横尾さん自身が、これは1番有名な腰巻お仙のポスターですね。延々とこれが続く。これは万博の時の繊維館、横尾さんがプロデュースした。これがですよ、少年向けのマンガ雑誌で…」
反町キャスター
「『少年マガジン』ですよね。当時大学生が読むようになって、横尾さんが手がけたことで、確実に読者層で(年齢が)上の人が増えましたよね。確か100万部を突破したんですよね」
横尾氏
「そういうことで頼まれたんですよ。80万部ぐらいだったかな。とにかく表紙を変えることで100万部にしたいと、そんな表紙をつくってくれと。どうやったら20万部増えるかがわかりませんからね。増えたんです」
反町キャスター
「20万部増やすために、どういう姿勢で臨まれたのですか?一貫性を持ったものだと理解した方がいいのですか?」
横尾氏
「1つのものですね。考え方は、僕が一切手を加えない、努力をしない、考えない。そういうものをつくってみたいと。あるものを持ってくることで、最小限の努力しかしていないんですよね」
山下教授
「ある意味でぶっ飛んだいい加減さというのかな。いい加減だけれども、どれにも通ずるセンスを子供心にも感じたんですよ」
反町キャスター
「中の漫画が何だかこれではわからないですよね?桃太郎の絵や幽霊の絵は何かをモチーフにして、これをいかに自分なりに飲み込んで、出してみたということを試されたイメージですか?」
横尾氏
「そういうことも考えていなかったですね。20万部を増やす、増えたとしても、僕にはまったく関係ないことで、逆に20万部を減らす、1冊も売れなくてもいいではないか。逆に売れないものをつくる方が少しでもいいではないかという。売れないにはどんなことすれば売れないのかもわからない。考えなかったね」
山下教授
「現在の計算式のマーケティングみたいなものとは全然違うことをやっていたから、田舎の少年にまで大きなインパクトを与えたわけです。現在の世の中ではこういうことがなかなかなくなってしまったんですよ。真逆をやらなくてはダメですよね。それがイメージ的なインパクト、子供を子供扱いしない。僕達も熱狂的に受け止めたんですよ」
反町キャスター
「デジタルアートとかがあるではないですか。デジタルで処理したもの。現在の芸術、美術と呼ばれるものをどう感じていますか?」
横尾氏
「あってもいいとは思いますけれども、僕のやるべき仕事ではないなというのははっきりしていますよね。別にそれはダメだ、やめなさいと、僕はそういうことに関しては無関心です」
反町キャスター
「それは手法として、ああいうデジタル的なものを使うことに関して無関心なのですか?」
横尾氏
「現在でも僕は本の装丁をたまに頼まれたりすると、印刷場が製版技術を飛び越えていきなり刷版と言うんですか、だから、そういうデータか、データで入稿しなければいけないですからね。使いますよ、そういうパソコンは。僕自身は使えないですけれども、うちのアシスタントがそれはやってくれますからね」
山下教授
「横尾さん自身の作品でも早い時期にコンピュータを使った作品も手がけているんですよ、実は」
反町キャスター
「コンピュータを使うことは、否定されないけれど、いわゆるデジタル処理したデジタルアートというものは自分のやるものではないという、そこの部分ですね」
山下教授
「コンピュータに従属しているみたいな感じの作品をつくっている人が多い。若い子で結構リアルな絵を書こうとしている人達はデジカメで撮った写真をディスプレイでそのままなぞっているだけ、みたいなね。フォトショップで加工した映像を、そういうの見ると何かもう人間が手を動かして書くというのとまったく別次元の話になっちゃったなという気がしますね、僕は。だから、コンピュータがダメということではないですよ」
横尾氏
「昔からそうですけれども、あまり考えないでやっていましたね。考えると、考えるの嫌いではないですけど、だんだんそこに意味を持たせ、理屈っぽくなってしまって、人間が本来持っている原始的な力と言ったらいいのかな、自立と、もう1つ他力という。他力も実は自分の中にある力だと思うんですよね。それを引っ張り出そうとした時には、論理とか、言語とか、そういったものが全部邪魔になっちゃうんです。だから、なるべくそういったものを排除した状態でモノをつくっていかないと、僕が本当にしたいことが、いきそうでいかないというのがありますね。だから、スコーンといってしまわないとダメです。そのためにいきそうでいかないというところには論理が入ったり、知識が入ったり、教養が入ったり、思想が入ったり、そういったものでがんじ絡めになって、いかしてくれないですね。だから、できるだけ、モノをつくる時は頭の中を空っぽにして、できれば、自分という存在も完全に消せませんけれど、個人から個、自分のことを考えている、エコとか、考えているのは個人ですね。ところが、それが個になった時に初めて普遍的なものに到達すると思うんです。その普遍的なものに到達する時に論理とか、言語的なものとか、そういったものが全部邪魔になっちゃうんですね。だから、極力考えないようにしてつくっていきたい。妙な努力はしたくない。あるものは使っちゃう、人のものでも。あるものは使うと。自分のものも自分のものとして使わないで、他者との自分として使っちゃおうみたいな」

美術家 横尾忠則の提言:『分かりません 判りません 解りません』
横尾氏
「だから、わからないから創作していると思うんですね。わかってしまえば、別に芸術をやる必要もないのではないかな」

山下裕二 明治学院大学文学部教授の提言:『言語化できない“真空地帯”を表現する』
山下教授
「僕は美術芸術に関して言葉で人に伝える仕事をしているんだけれど、1番核心のところというのは絶対に言語化できないと思っているんです。だけども、僕には言葉しかツールがないから、真ん中の真空地帯みたいに絶対に言語化できない表現の核心があるんだよということを、外堀を埋めるように言葉を使っているにすぎないです。その1番核になる真空地帯みたいなところというのを作者と共有した時に、僕は本当にその芸術を理解したことになるのかなと思っています」