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2015年8月11日(火)
70年総括と靖国の行方 日本人の『性質』とは

ゲスト

稲田朋美
自由民主党政務調査会長 衆議院議員
秦郁彦
現代史家
佐藤健志
作家・評論家

戦後70年を考える 先の戦争をどう総括すべきか
秋元キャスター
「戦後70年にあたる今、日本はあの戦争を総括できているのか、いないのかということから聞いていきたいと思います。まず佐藤さんから、いかがですか?」
佐藤氏
「結論から言えば総括できていない。これには構造的な理由があるというのが私の考えです。つまり、先の戦争、あるいは昭和の戦争というものがどういうものであったかと。一言で申し上げれば、近代日本のパラドックスに立ち向かおうとして、かえって、そのパラドックスに飲み込まれた戦争であると私は思います。これについては日本が近代化を始めた19世紀後半というのは、世界的に見れば、帝国主義の植民地の時代であって、要するに、近代化にいちはやく成功した欧米列強が世界の勝ち組であって、それ以外の国々は植民地になって当然というような弱肉強食的な時代です。その中で日本が本来であれば、どちらかというと、ひょっとして負け組になるのではないか、植民地にされるのではないかという立場の国だったにもかかわらず、なぜか日清戦争、日露戦争に勝ち、いわゆる欧米列強の一角に入り込んだと。負け組から勝ち組へとのし上がった奇跡の国です。実際、この時は有色人種の希望であるということで、トルコなどで非常に評判が良かったりするわけです。そのあとで、のし上がったのはいいが、何をするかと。負け組の意見、これは、要するに、非欧米諸国の意見を代表する形で、勝ち組である欧米列強と対抗をしていくのか、あるいは勝ち組の一員に完全に成り切ってしまって、負け組、他の国々、隣の弱い国々を仕切っていくのか。両方の道があって、どちらにいくか。結局のところ、日本は判断がつきかねたというのが私の印象です。つきかねたまま、世界荒恐によって国際情勢が非常に不安定化した時に、それを整理できないまま戦争に結局、突っ走ってしまったと。その結果、負けたと。私はそのように思っていますが、問題は戦後、また、非常に似たことが起きる。普通に考えますと太平洋戦争で日本が負けたわけです。降伏したわけです。占領をされているわけです。ですから、あの戦争の日本は負け組です。常識で考えればあまり戦後の世界で良い思いはできませんが、冷戦…アメリカとロシア、当時のソ連との対立が深まったおかげで、アメリカは日本を、これは敵国、負け組は敵国ではなく、自分の陣営の仲間、ないしは子分として取り立てようという話になる。こうやって日本はまた負け組から勝ち組へと、のし上がるチャンスを掴み、もちろん、それに乗るわけです。その結果としては現在の繁栄がもちろん、あるのですが、この冷戦によるどんでん返しに1つ条件がありまして、つまり、アメリカの代表する価値観、アメリカを表す価値観、それは自由民主主義であるとか、自由貿易であるとか、それは正しいのだと。この前提を受け入れるのは当然。しかし、それは同時に、日本は第二次大戦でアメリカと戦ったわけですから、日本は間違っていたということを受け入れるということも必然的に前提の中に入ります。となると、本来、非常に複雑なパラドックスを持っていたはずの昭和の戦争というものは、簡単には総括できなくなってしまう。日本は悪かったなと。反省して、後悔して、正しい国々の仲間に入れてもらったから、現在は良くなっているんですという、かなり一面的なモノの見方で割り切るしかなくなってくると。それで現在まで来てしまったということに、70年も前のことが、なお、国の在り方の根幹にかかわるものとして尾を引いてしまった大きな原因があると私は思っています」
反町キャスター
「戦争に負けたということをきちんと認識できていないということですか?」
佐藤氏
「私はそのように思います。本当に負けたという現実を噛みしめる前に、うまく冷戦の流れに乗って、アメリカとの協調路線をとってしまえば、そこをあまり直視しないまま今度は自由民主主義陣営の一員ということで、今度、半ば勝ち組の方にうまく入れるのではないかと。そこに乗ってしまったのではないかと。もちろん、それが当時として、非常に賢明な選択であったということを私はもちろん、認めるのですが、それによるツケというか、しわ寄せというのが現在、きているのではないかと思います」
反町キャスター
「そのツケというのは何ですか?」
佐藤氏
「つまり、本来この国は、第二次大戦に関する限りは負け組であったということです。それがうまく勝ち組のふりができた。実際、冷戦はアメリカ率いる、いわゆる自由主義諸国、西側の勝利に終わるわけですから、冷戦の勝ち組には入ったわけです。しかし、冷戦が終わってしまえば、第二次大戦後の国際秩序というのは、本格的な変更というものを迫られたことは、今だかつてないわけです。そこにおいては、日本は負け組である。ここでの条件というのは、つまり、それまでの歴史。1945年以前の歴史について多面的に見るということをやめると。アメリカとの協調では、絶対にはずせない条件になってしまったと。もう1つ、自国の安全保障については善くも悪くも自国で担っていないという状況が成立してしまったまま、現在に至ると。そういう意味で、国として基本的なところ、足腰が弱いまま、非常に発展してしまったと。そのアンバランスなところが今後、日本の衰退を促す要因になりかねないというふうに私は思っています」
秦氏
「よく総括していないではないかという声が高いんですね。しかし、総括というのはいったい何なのかと、具体的にはね。ということと、それから、これは誰が総括するかという問題があるわけで、極端なことを言えば、1人1人、皆違うと思うんですね。従って、私は総括というのは、実質的にできないか、あるいは非常に困難であると。これは独裁国家ですと、トップが決めた歴史観をこの通りに守れということで、それ以外の言論が出ませんからね。だから、上が総括した通りに人民が全部総括を承知していると。そういう形態になると思いますよ。だけど、ただ、もうちょっと絞りこんで、たとえば、戦争責任を追求する観点から考えますと、だいたい負けた国は体制がガタガタになって、王政が潰れて共和制に変わるとか、とにかく戦争責任を追及する過程で体制が変わっちゃうんですね。日本の場合、体制は天皇を中心とする天皇制、これは変わらなかったわけです。ただ、終戦直後には恨み、つらみの声が高くて、人民裁判でもやろうかという空気が…」
反町キャスター
「天皇陛下に対する?」
秦氏
「を含んでですね。当面は東条以下ということですがね。それから、政府側もそういう国民の声が出てくるというのを期待して、自分の手で戦争犯罪人を裁こうと。米軍がやる前にですね。と言うことで、戦争調査会というのをつくり、戦犯らしき、つまらない小さな罪を犯した連中を処罰したりしたんですけれどもね。途中から横槍が入りまして、戦争犯罪人の追及は、これは連合国がやるんだ、お前達余計なことをやるなと。戦争調査会はすぐ解散ということになりまして、要するに、戦争についての、一応、総括をやろうとした試みはあったんですけれども、アメリカがそれを許さなかった」
反町キャスター
「なぜですか?」
秦氏
「それは既にポツダム宣言の中で、戦争犯罪人を我々が裁くんだと。実際、日本人が裁くのはできないんですよ。いろいろなしがらみがあってですね。これはB、C級戦犯でよく言われているんですけれども、利口な人は部下に(責任を)押しつけ、自分は逃れたというような例がたくさんありますね。ですから、日本人がやると、たぶんそういうことになる、もう少し大規模な格好で。それを免れたわけですね。米軍は、あるいは連合国は全部、東京裁判でやってくれたわけです。ですから、そういう意味で、東京裁判に対する怨嗟の声は、当時は全然なかった」
反町キャスター
「そうすると、時の政府、当局側のやろうとした戦争調査会に代わって、GHQ、占領軍が東京裁判という形で、責任の徹底、徹底かはわからない、戦争責任を究明したことが良かった?」
秦氏
「良かったと言いますか、良かったとは言いにくいですけれど、皆、まあまあ納得できる、ほぼ納得したと。それから、一方では、食料の援助をやるとか、そういうことで、アメリカの占領体制というのは悪くないと。それから、徹底抗戦派だった人も1年か2年経ちますと、民主主義というのも悪くないなと思い出したと言っているわけですよ。私も、直接、そういう告白を聞いたことがありますけれどもね。ですから、これは史上稀にみる成功した占領ですね」
佐藤氏
「もちろん、それに乗っかったことは何も悪いとは思わないのですが、ただし、そのことによってもちろん、本当に自分の手で戦争を総括するとなったら、大変しこりが残ると、秦先生は前からおっしゃっていて、私もまったく賛成ですが、その代わり失われたものはおそらく自分の国のあり方について、自分の手で主体性を持って決めるということが失われたのではないかと」
反町キャスター
「それが先ほど言ったツケですね?」
佐藤氏
「そうです。だから、責任を追及するとか、どうこう言うのではなくて、自分の国のあり方について主体性を持たなくていい、いや、持たない方が、メリットがあると。それに慣れてしまったことが今後、日本にとってデメリットをもたらすのではないかと。そう私は危惧しているわけです」

靖国神社と戦没者追悼
秋元キャスター
「先の大戦の戦没者についてですけれども、靖国神社に祀られているのですが、靖国神社は侵略戦争において指導的立場に立ったとする、いわゆる平和に対する罪を犯したA級戦犯が合祀されているということから、中国や韓国からの批判が出まして、特に、政治家の参拝が外交問題に発展しかねない情勢になっています」
反町キャスター
「本当に日本の、たとえば、右傾化とか、日本の再軍国主義化に対しての懸念を強く持っているのであれば、総理だけではなくて、閣僚とか、いわゆる皆で靖国神社を参拝する会というのは百何人ぐらいでドカッとくるわけではないですか。そういうものに対して、もちろん、現在だって中国、韓国は、文句は言うけれども、その量的なことについてももっと徹底的に文句を言ってもいいのではないかという印象も僕は持っているんです。それを、たとえば、言わなくて、総理だけ、ないしは総理、官房長官、外務大臣に絞って、日中韓で、かつては会談があって話合われたという報道も一部ありましたけども、そういう形をやっているということは、つまり、靖国参拝ということが、政治カードでしかないのではないかと」
秦氏
「まあ、そうだと思いますね」
反町キャスター
「実際の中身の問題ではなくて、そこで行かせなかったという、行くのをやめさせたというところのポイントの取り合いだけにしかなっていないのではないかという、そんな印象はないですか?」
秦氏
「それが案外効くんですよ。日本の世論をかき混ぜるでしょう。そんな嫌がることはやめればいいではないかということと、本来、A級戦犯合祀に違和感を持っている日本人がたくさんいますからね。そういう共鳴をしちゃうんですね。というようなことがあって、向こうはカードですから。今回は総理大臣の公式参拝に文句を言う程度にとどめておこうとか。総理が行かないなら、閣僚が行ったことにこの際、言っておこうとか。その時々の情勢によって変わってくるわけですよね。だから、あまり深刻に考える必要はないのかもしれません」
佐藤氏
「結局、あの神社が戦前の、日本の正義というものの象徴になっちゃったからだと思うんですね。戊辰戦争のあとにつくられ、本当は国内の戦争の死者を祀るということだったわけですが、そのあと、近代日本の戦争の戦没者を祀っていたし、実際、軍人、特に、兵士は死んだあとに靖国に祀られるということが唯一心の支えになっていることも否定できない事実だと思います。ですから、そういった戦前の正義というものに対して、現在、戦後になって、我々がどう評価するのか。確かに、最後に行った昭和の戦争は日本の敗北に終わったと。しかし、敗北に終わったから、正義がなくて終わるか。これは別の話ですね。ですから、その時その時の日本の正義がどこまであったかは別にして、それについてどう評価をするのか、現在になってですね。我々はどこまでが正しく、どこから先が間違っていたのかと。あるいはもし正義があったとしたら、にもかかわらず、あれだけ負けたということに対してはどう判断をするのかと。こういったことについて十分、腰の定まった判断がなされていないと。それと、その中で戦後の靖国神社は、一民間宗教法人ですから、そんなに特別な存在ではないわけですが、確かに戦前は別格官幣社ということで、政府の手厚い保護を受けていた、これは事実ですから。そういった戦前の日本というものと現在の日本とどこまでつながっているのですか。あれは否定をしたのですか、あるいは否定をしていないのですか。それについて曖昧であり続けたと。これは我々の問題であって、それ故に、あの象徴的な場所に政府、閣僚、公人が行くということが一種、政治カードになってしまったのではないかと思います」

靖国神社…A級戦犯合祀
秋元キャスター
「靖国神社に合祀されているA級戦犯をまとめているんですけれども、東条英機、それから、広田弘毅ら14人のA級戦犯が祀られています。稲田さん、靖国神社におけるA級戦犯の合祀についてどのように見ていますか?」
稲田議員
「まず基本的に、私は、東京裁判自体は、サンフランシスコ平和条約で、東京裁判を受諾して国際社会に復帰をしたので、東京裁判自体を争うということはしていないです。ただ、自分自身も弁護士ですし、東京裁判自体が侵略戦争を遂行した指導者という、当時、国際法上は罪になるということではなかったことを、自国法で裁いたという問題点があると思っています。そういう意味で、私はA級戦犯が靖国神社に合祀されていることを問題視して、たとえば、分祀をするという考え方には反対をしています」
反町キャスター
「少なくとも合祀問題がなくなれば、つまり、分祀すれば、陛下が靖国神社をお参りできるようになるのではないかと。だから、何よりも遺族の方、ないしは、また、英霊という言い方ですると具体的なものではなかなか難しいものもあるのですが、そういう皆の気持ちに応えるためには、陛下のお参りが1番大切なのではないかと。そのために環境を整えるべきではないか。だから、分祀すべきではないか。この理屈についてはどう感じますか?」
稲田議員
「確かに靖国に祀られている方々は、陛下が参拝をされるということは、非常に遺族を含め、喜ばれるのではないのかなと思います。私の叔父も靖国神社に合祀されていて、21歳の若さで特攻隊に入って、訓練中の事故ですけれども、終戦の直前の2か月半前ですから、そういう遺族の気持ちはあると思います。ただ、A級戦犯が合祀をされているということではなく、靖国神社自体が政治的にとか、外交的に取り沙汰されるということは非常に悲しいことだと英霊も思っていると思います」
反町キャスター
「秦さん、この話はグルグルまわる可能性があるので、あまり長くやるつもりはないのですが、秦さんから見た時になぜ天皇陛下が靖国神社をお参りにならないのか、参拝をされないのか?理由は何だと思いますか?」
秦氏
「これはズバリ申し上げますと、松平永芳さんという宮司が1978年に突然、宮司になったわけです。神職の資格などは全然なかった人なので、ご本人も無免許宮司と言っていたのですが、就任すると2か月するか、しないかのうちA級を合祀しようと。その動機は何か。ご本人の説明によれば、東京裁判を否定するのが目的であると。それから、戦争は昭和27年の講和成立まで続いていたんだと。だから、これは、死刑になったと言っても、戦死と同じことだということで、昭和殉難者という枠をつくって、それで一応、天皇陛下のご内意を伺おうとしたわけです。直前にですね。そうしたら、そんなことをしたら陛下がお参りになれなくなりますよということで、普通ならそこで考え直して、延期をすれば良かったんです。ところが、これが松平さんという人の何とも言えない人柄、一種の宗教的信仰ですね。要するに、東京裁判に対する非難、批判。そのために、この14人のA級を利用したと言えなくもないと。かつ天皇陛下に参ってもらわなくても結構だというのが、この松平さんの言い分ですよ。ですから、そこは少し延期をするとか、裏工作をいろいろするとか、いろいろなやり方があったと思うんです。それは信念に基づいて行動するわけですから、天皇陛下に参ってもらわなくて結構だと。間違っているのは天皇の方であるというのが松平さんですよ。そうしますと、これは現天皇にしてみても、その後にしてみてもお参りなんか来てもらわなくても結構だと言われて、こちらからお参りしたいと言い出せないでしょう。だから、何よりも前提は、靖国神社が宮司の不明を詫びるという。そこから始めないと、これは全て始まりませんね」
佐藤氏
「問題の本質は、東京裁判にどこまで普遍的な正義というものを認めるかということです。これは判決を日本は独立回復にあたって受け入れているか、受け入れていないかとは別個の問題です。これは秦先生がおっしゃるように、今度はこの問題ではあの裁判が行われた時は戦後なのか、あるいは厳密に言ったら戦争中かという問題と絡んできます。もし、これを国際法的に見れば、戦争状態というのは講和条約が発効するまでは続きます。その意味で、東京裁判というものは戦争中の敵側の軍隊が行った裁判です。そこにおいて死刑の判決を受けた。あるいは獄中死した方々がいるとか、それは国家を指導したクラスであると。これを考えた場合、これは戦死と同格ではないかと考えるというのは松平宮司の論理、そのものは真っ当なところはあると私は思います。ただし、同時に、そういったものを含め、大方の日本人の理解は、戦後というものは1945年8月15日、ポツダム宣言受諾のこの日、ないし遅くとも同年9月2日、降伏文書の押印をもって始まったと。その段階で、いわゆる戦前の日本というものが終わったのであって、また、連合国軍との戦争状態も事実上終わったのであって、それが全部チャラになった状態で、普遍的な国際連合とか、この時には完全に出てきていませんが、国際連合の普遍的な正義と権威をバックにした公正な裁きであるかの如く受け止められた、東京裁判も。という傾向が強かったと。これは果たしてどこまで妥当な認識かというのが当然残ると思います。それは、つまり、日本というのは、その時にはまだ国際的にどういう立場に置かれていたかということに関する認識が実は案外いい加減である。もし戦後というものが、連合国との戦争という状態というものが、1945年8月、ないしは9月をもって終結したのであれば、その時に少なくとも理屈のうえでは、日本とアメリカは対等なはずだったんです。あるいは日本と連合国は対等な国同士の関係のはずなのですが、実際はもちろん、そうではありません。占領をされています。日本は外交権がないわけです。主権が非常に制限された状態で、しかも、敵側の軍隊で行われた裁判であると。ですから、そういう事実を踏まえて、その判決を受け入れるとしても、そこにどこまで普遍的な正義をみなし得るかと。それはいったん合祀された方々を分祀しなければいけない。そこまでの優越性を持ったものであるか。そこについてきっぱりとした判断ができずにいるということ自体が、私は戦後日本の基盤の弱さというもの、思想的、理念的基盤の弱さというものを表していると思います」

“侵略”は盛り込むべきか
秋元キャスター
「報告書の中の『侵略』に注釈がついています」
反町キャスター
「日本が中国に対して行ったこと、これは侵略戦争であったのかどうか。はっきり言う必要はない?」
稲田議員
「侵略という言葉が入っているかどうかにこだわる必要はないと思います」
泰氏
「あれを侵略でなかったという人はほとんどいないでしょうね。実際に、数にいろいろ問題はありますけれども、非常に大きな人的損害を出している。これは他の地域とは比べものにはなりません。最大の問題は満州事変が起点だということを忘れないでほしい。満州事変はまったく日本側には弁明の余地はありません。そのあと、日中全面戦争に拡大していくわけですから。これは部分的に弁明できる材料があるのですけれど、満州事変はまったくないわけですね。だから、こういう形で出てきて、認めないということになってくると、これは大きな論争になってしまう。私は、この懇談会が出した3つのキーワード(侵略、植民地支配、痛切な反省)はおそらく総理は踏襲されるだろうと予想していますが、それが自然だろうと思うんです。問題は謝罪だけですね」
反町キャスター
「お詫びですね」
秦氏
「はい」
反町キャスター
「もし侵略を入れなかった時の問題ですが」
稲田議員
「満州事変以後という言葉は、陛下も今年の初頭に使われました。満州事変の発端は関東軍がやったということも歴史が証明しているところであります。まったく日本に弁明の余地がないかと言えば、いろんな排日行動ですとか、アメリカにおける排日法案ですとか、移民の問題ですとか、いろいろな問題がある中で、満州事変は考えるべきだと思っています。中国にとってはそこが戦場になり、大きな被害が起きたことは疑いのない事実で、その意味において痛切な反省は必要だと思います。ただ、ある人は、たとえば、中国、韓国に対しては侵略で 英米に対しては違うとか、いろいろな使い方をしますよね。この報告書の中でも、委員の中に侵略という言葉は当時の国際法上、曖昧でもあり、使うべきでないという考えもあります。そういう中において、侵略という言葉が絶対に入っていなければダメかどうかでいうと、その文言がどうかということにこだわることはないと思います」

“おわび”は盛り込むべきか
秋元キャスター
「お詫びを盛り込むべきかどうか、いかがですか?」
稲田議員
「私は、戦争の終結は平和条約、講和条約が全てだと思うんです。今回の談話においてどうなのかというと、私は、先の戦争で240万人の軍、一般市民も80万人犠牲になって、人道に反する原爆投下、東京大空襲で無辜の市民が約40万人犠牲になって、そのうえで当時の領土から45%になり、住宅は270万戸焼かれ、世界にあった日本の財産は全て没収されて、過酷ともいうべき賠償も払い、日本は国際社会に復帰したわけであります。総理はこれまでの談話を引き継ぐとも明言をされていて、未来永劫謝罪を続けるというのは違うと思います」
反町キャスター
「いつまで謝罪すべきなのか、その見極めは?」
稲田議員
「未来永劫というのは違うと思います」
反町キャスター
「70年談話というのは、お詫び、謝罪のステージから脱却するべき時代に差しかかっているという理解でよろしいですか?」
稲田議員
「だと思います」
秦氏
「私も原則として不要だと思います。これまで18回と計算している人もいるし、21回と言う人もいる。60回というのもこの前見ました。どういう計算をしたかはわかりませんが。アメリカとの関係で不要だというのは、何を今さら仰々しくね、言わなければいかんのか。そういうものだと思うので」
佐藤氏
「安易な謝罪を繰り返すほど不誠実な印象を与えるものはありません。それから、謝罪をするというのは、自国の過去の世代の人間がやったことにして悪く言うことです。これをしょっちゅうやっている国、ないし国民というのは、本当に外国から尊敬されるか、これは疑わしいものがあります。誠実な印象を伝える、日本は誠実であると伝えることがポイントであり、それは謝罪とか、お詫びということと必ずしもイコールではない。それどころか謝罪やお詫びがマイナスになることすらあるというのが私の意見です」

中国・韓国との和解は?
秋元キャスター
「中国と韓国と歴史認識についてはどのように向きあっていけばいいと考えますか?」
稲田議員
「今回、有識者懇談会で報告も出ました。何を反省するかということをきちんと誠実に日本が発信をしていく。ただ、事実に基づかないことについてはきちんと反論もし、当たり前のことではありますけれども、日本の反省をどう活かしていくかということをちゃんと発信をすることに尽きるのかなと思います」
反町キャスター
「日本の名誉と信頼を回復するための提言で『慰安婦問題をめぐる事実誤認やいわれなき批判等に対し、客観的な事実に基づく反論を行い、誤りを正すとともに、慰安婦問題に対する、今日までの取り組みを丁寧に説明する』とあります。韓国との関係を改善するのは大切だけれど、言うべきことは、過剰行動、過剰報道に対して厳しく対応していくということですよね?」
稲田議員
「はい。朝日新聞が吉田証言の虚偽を認めましたね。それは秦先生がずっと前からおっしゃっていたことで、皆が嘘だとわかってからも、30年以上虚偽を正さなかったわけですよね。それがいかに日韓関係において悪い影響を与えてきたのか。それは日本にとっても、韓国にとっても、両国にとって虚偽に基づくいろんな反応があるということについては、吉田証言を誤りだと朝日新聞が訂正したのは遅きに失しましたけれども、これを機会に何が事実であるかということはきちんと発信するべきだと思います。それを歴史修正主義とは呼ばないと思います」

現代史家 秦郁彦氏の提言:『植民地支配の謝罪は不要』
秦氏
「植民地支配の謝罪は不要だと私は強調したいですね。中国と韓国と使い分けするのか、しないのかという話がありましたが、これは謝罪の対象とした場合、性格がまるで違うんですね。片方は侵略ですよ。片方は植民地支配です。そうすると、これまで歴史上、植民地支配に対してお詫びをした国はどこにもありません。だから、日本がするとすれば、実際これまでしたことはあるのですが、これは例外中の例外であったわけですね。植民地支配に対する謝罪がないというのは、植民地にされた方も要求をしていないです。なぜかと言うと、植民地時代よりは良くなったという自信を持っているわけですね。ですから、そんなに前のことを攻め立てようという気はない。それにしても植民地時代の過酷な状況というのが記憶に残っているのかどうかという点なのですが、韓国に対する日本の植民地統治というのは他の国と比べ、私は決して過酷に過ぎたと思っていません。そういう2つの理由から、それ以外にもいろいろな理由がありますが、韓国に対して、私は不要だろうと思います」

作家 佐藤健志氏の提言:『自分の視点で歴史を語る』
佐藤氏
「これが戦後70年で、日本が1番やってこなかったことだと思います。ズバリ言ってしまえば、アメリカの視点で自分達の戦後を、自分達の近代史を語ってきた。しかし、日本とアメリカがいかに緊密な関係であろうと一体ではない。当然そこには視点の相違もあり、利害の対立もあります。それを認識するには自分の視点であらためて戦後史、及び近代史全体を語り直すしかない。そういう意味で、自分の視点で歴史を語るということが必要であると私は思います」

稲田朋美 自由民主党政務調査会長の提言:『道義大国』
稲田議員
「私はなぜ検証にこだわるか、なぜ過去の歴史を直視するのかというと、直視をすることで、日本は何を目指すべきかということを世界に向けて発信すべきだと思っています。満州事変以後、この報告書にも書かれているように、法の支配であったり、民主主義であったり、政治がまったく機能しない状況にあったのも事実です。しかし、振り返ってみると、明治維新の五箇条の御誓文がそうであるように、民主主義は何もアメリカに教えられたものではなくて、明治以降の日本の歩みは民主的な国家であったし、大正デモクラシーもそうです。人権も守ってきた。明治維新の時に福井から松平春嶽公、横井小楠が発信したのは、四海に道義を発信していこうということだったんです。日本らしい良い発想ですよね。痛切な反省のもとにこれから先、日本が何を目指すかというと、まさしく国際協調主義のもとにおいて、日本の良さを発信して、世界から頼りされる国、たとえば、総理がおっしゃっている人間の安全保障というのは、日本は自分達だけ幸せで自分達だけが平和であっていいと思う国ではなく、世界中の子供達がちゃんと学校にも行けて、女性の人権も守られ、災害から守られている、そういう貢献をしていきたいということを発信していく意味において道義大国という言葉を出しました」