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2015年5月8日(金)
『昭和90年』の肖像⑤ 無双の宰相…田中角栄

ゲスト

石破茂
地方創生担当大臣 自由民主党衆議院議員
鳩山邦夫
元法務大臣 自由民主党衆議院議員
後藤謙次
政治ジャーナリスト

無双の宰相…田中角栄 “異名”の本質
松村キャスター
「田中元総理の生涯をおさらいしておきましょう。1918年新潟県生まれです。15歳で尋常小学校高等科を卒業後に上京。25歳で土建会社を創設して社長になっています。29歳で衆院選に初当選。以来、39歳で戦後最年少となる郵政大臣。40代で大蔵大臣、幹事長などの要職を歴任して、54歳で第64代内閣総理大臣に就任します。日中国交正常化などの実績を残しました。しかし、2年後に、田中金脈問題で内閣を総辞職します。さらに、ロッキード事件で逮捕、起訴されましたが、それでもキングメーカーとして君臨し、脳梗塞で倒れ、政界を引退。75歳の生涯を終えました。田中角栄元総理と言えば、様々な異名がつけられました。『緻密さと突破力を兼ね備えたという意味のコンピューター付きブルドーザー』『立身出世して権力を掌握していた今太閤』『表舞台に立たずに実権を握る闇将軍』『飾らない気さくさは庶民宰相』その他、『選挙の神様』『キングメーカー』など、様々あるんですけれど、後藤さん、当時から答弁、会見などでは数字に強かったのですか?」
後藤氏
「答弁というよりは、演説も長かったんですけれども、飽きない。当時、テープレコーダーなどあまりなかったですから、メモをとるのが大変だったのですが、1番すごいと感じたのは取材ですね。1時間ぐらい、今日は1時間ぐらいだということになると、質問はせいぜいできて2問で、1問に対する答えが30分ぐらい。あらゆる数字、歴史を駆使しながら、我々に諭すように語ると。そこで持論をぶつと。それは次から次へと、何年何月、あの時に、俺は、福田にこう言ったんだということがどんどん出てきます。果敢に実行する。そこで思いついたら、すぐ秘書を呼んで命じるとか。そういう意味では、せっかちな面もあったと思うんですけれど。ただ、どんどん頭に湧いてくる、口をついて出てくるという、そこがブルドーザーという所以ではないですか?」
反町キャスター
「要するに、記者懇談みたいなところで、喋っていながら、自分で記者に喋りながら、自分の中でアイデアが浮かんできて、懇談を中断し、電話をかけて、そこで政治的な指示をする。そんな感じ?」
後藤氏
「そんな感じですね」
鳩山議員
「数字は好きでしたね。好きというか、数字の記憶力というのは。田中先生は、昔は馬を持っておられて、競馬が好きなんです。私も当時、競馬狂だったんだわ。200円券です。現在思うと3連単とか、3連複なんかないですよ。連勝、複式。売る馬券、レースは特別レースだけとか、そういう時代だったけれども。後楽園で馬券を買ってから、よく私は総理官邸に行った。土曜日の午後になると、田中先生は、田中事務所に引き上げます、午前中で。田中事務所で田中先生と一緒にテレビを観て、競馬を観ているわけです。田中先生は目白の書生さんに買わせた馬券をどっさり持っていると思う。私はほんのわずか200円券を…。その数字は、この馬、何とかというのは1600mを1分35秒3で走っただろうとか、数字でやるんですよ。全然当たらないですよ。だから、競馬のコンピューターは、数字にこだわり過ぎて当たらなかった感じはするけれども、とにかく数字には本当に強い人だとは思っていました」
石破地方創生担当相
「昭和61年の総選挙に出ることになったんです。その時にこれから地元に帰りますと暇乞いに行った、目白に。そうしたら『いいか、お前』と。『お前なんかは単なる政治好きのあんちゃんなんだ』と。出ろと言ったのあなたでしょうと言いたいんだけれども、そんなことは言えるわけがない。『お前なんかは単なる政治好きのあんちゃんだ。何でお前なんかが選挙に出られると思うのか。それは、誰も知らなくてもお父さんのおかげで、名前を知ってもらっている。あの親の倅だったらばという信用もある。だから、出られるんだ』と。そうですなと。『いいか、お前は1億8000万円、安く出られるんだ』と言われました。その時に『お前の鳥取県全県区は、面積3700平方キロ。人口60万人、有権者四十何万。だから、1億8000万円』と言われたんです。何のことかよくわからないです。でも、名前を売るのに普通の人であれば、山田であろうか、鈴木であろうが、中村であろうが、名前を売るだけですごくお金がかかる。あいつだったらやれるかもしれないと信用を勝ち得るまでにすごく時間とお金はかかると。老舗の羊羹やお饅頭みたいなものです。それが『お前たちはタダだと。だから、お前の場合は、1億8000万円も安いんだ、わかったか。そう言われてくやしかったら…』と。私は、辻説法3万回、個別訪問5万件と言われました。私はできが悪かったですけれども。だけど、そういういう1億8000万円という数字を出すのに、当時は五当四落と言われた時代でしょう。5億円使えば当選する。4億円だったら落選だという、現在では考えられないような、そんな時代でしたよね。その時に1億8000万円安いんだと言われた。その数字の根拠も全部挙げられる。そう言われてくやしかったらと、こうくるわけです。だから、私は、若い議員さん達によく言うんだけども、歩いた家の数しか票は出ないよと。握った手の数しか票は出ないよ。そういうことをよく言うのですけれども、その時、田中先生に言われた、歩いた家の数しか票は出ない。握った手の数しか票は出ない。私は、第1回の選挙に出る時に、名刺はひと箱100枚ではないですか。何箱なくなるかで数えたんだけれども、確か、5万4000軒歩いて、出た票が5万6534票でしたから。そうなんだと思いました。だけど、それは単なる精神論で言っているわけではなくて、きちんとした数字の裏づけがあって、ご自身も、それを実行されて、だから、説得力を持つんですね」
反町キャスター
「田中角栄という存在の1つの物差しとして議員立法の数が、よく話に出ます。33本でしたか?」
後藤氏
「33本」
反町キャスター
「この数をどう見たらいいのですか?」
後藤氏
「これは無名の10年という早坂茂三さんがよく言っていましたけれども、最初に、昭和22年で初当選して10年間の間に、黙々と33もやったんですけれども、それはたぶん、自分が雪深い越後の片田舎から出てきて、雪国に克雪という言葉があるんです。雪を克服する。そういう言葉があるぐらい、非常に雪と戦ってきた。それが田中角栄という政治家で、それをとにかく暖かい(ところの)人間に、雪のことを言ってもわからないと。そのための法律をつくることによって、それを解消していく。つまり、閉ざされた雪国を解放する。そのために議員立法という、これまた戦後の民主主義の具現化でもあるという信念があったとか、それから、時間があるんだし、とにかく立法をしようということで、それが習い性になって、どんどん次から次へと。そこにはもちろん、事業家としての顔もあるわけです。田中土建工業をつくった。道路や鉄道、あるいは郵便局とか、こういうものと一体化していくんですね。そこに田中角栄さんのある種のお金と田中政治という関係も生じてくると。つまり、法律によってそういうものが介在しながら、モノが動いていくということを、たぶん自分が努力した中で、肌身で、自分で獲得をしていった技術だと思います」

“政治は数 数は力”
反町キャスター
「その延長線上に、こういう言葉、僕らはよく聞いていたんですけれど、『政治は数であり、数は力』、自民党における田中支配の1つの基本的なルールであるかのような説明の仕方に、よく使われる言葉です。この言葉。をどう感じますか?」
後藤氏
「これはたぶん田中角栄さんが大きな勢力を持ったが故にあとでつくられた理屈だと思います。ただ、理論的には、中選挙区で、130選挙区ありましたから、1つの派閥で130人の当選は可能だと思ったわけです。最後、田中角栄さんが倒れたあとに、実際、当時の木曜クラブは140人行きましたから、それぐらいの力があるわけです。政界全体、定数全体の半分を獲れば、政権がきますね。その党内の半分を押さえれば、総裁がきますね。そうすると、政権が獲れる。これが単純に言う田中角栄さんの数の論理です」
反町キャスター
「ただ、その半分、過半数、そのまた自民党の半分を獲れば、政権を動かせるという、その理屈はわかるんですけれども、そういう意欲というか、野望というか、想いを持った田中角栄のもとに、それだけの人が集まってくるにはちゃんと理由があったはずです。なぜ衆参あわせて140人という、現在の自民党では考えられないような巨大な派閥。なぜそのような巨大な派閥がつくれたのか、それが運営できたのか。どうですか?」
後藤氏
「1つは人間的な魅力もあっただろうし、お金がかかるということもありますし、資金力も当然だと思うんですね。あと、これは竹下登さんが言っていましたけれど、囲碁や将棋と同じように、政治に天才がいるとすれば、田中角栄氏はまさにその天才であると。それは選挙を知っている。強いということだけでなくて、130選挙区の、全ての道路のあそこには誰が、どういう実力者がいるんだということが全部頭に入っている。つまり、選挙の指南番として最も頼りになる。その人の門を叩こうと」

石破大臣が語る実像
反町キャスター
「日本全国の選挙事情に精通していた部分というのは事務局にいた立場としてはびりびり感じる部分はあったのですか?」
石破地方創生担当相
「それはありました。最初に入った、その日に言われたことは砂防会館の、もう取り壊すらしいですけれども、3階に、田中派の事務所があったんです。最初に入ったその日に、いいか、7月は衆参同日選挙だと。壁一面に北海道1区から沖縄全県区まで全ての候補者の名前を書けと言われました。社会党まで入れて。田中派のところだけ赤い枠で囲えと。こいつだけ当選する仕事をしろと言われました。その次は、日本地図の大きなものを買ってきて、選挙区ごとに小さく分け、田中派が獲っているところ、獲っていないところ。獲っているところを赤く塗る。これが全部赤くなるまでやれと言われて。その時、現在みたいに世論調査がそんなにも精密ではなかったけれど、全部の新聞、これを全国から、北海道なら北海道新聞、沖縄なら沖縄タイムス、広島なら中国新聞。これをとり寄せて、選挙情勢を全部切りとって、1枚の紙にまとめるという仕事もやりましたね。だから、北海道から沖縄までの選挙情勢を全部頭に入れろと。次に言われたのは、そこの市長が誰であり、県会議員が誰であるか。それも頭に入れろと。選挙になると、田中先生の秘書だけでは足りないので、我々、派閥にいる、派閥秘書までが、田中角栄の名刺を持ってあちこちをまわりました。県会議員さんや市会議員さん、町会議員さん。田中の親父がよろしく言っていますと…。いいか、地方議員を大事にしろと。自民党を支えているのはこの人達だと。そういう選挙区情勢から、誰が選挙区を動かしているのか。誰を大事にしなければいけないか。支えてくれる人達を大事にするんだということ。これを徹底して教わったんです」

人身掌握術
松村キャスター
「田中元総理は、与野党の政治家だけではなく、官僚を動かすことに長けていたと言われています。44歳で大蔵大臣に就任をした時、職員に向けて行った有名な訓示がこちらです。『私は小学校高等科卒業である。諸君は日本中の秀才代表であり、財政金融の専門家だ。私は素人だが、トゲの多い門松をたくさんくぐってきて、いささか仕事のコツを知っている。われと思わんものは、誰でも遠慮なく大臣室へ来てほしい。上司の許可を得る必要はない。できることはやる。できないことはやらない。全ての責任はこの田中角栄が背負う』というとても力強い訓示ですね。鳩山さん、田中元総理の官僚の操縦術というのをどのように見ていますか?」
鳩山議員
「これは大蔵大臣になったあとで、特に、大蔵省の官僚を大事にして、誕生日には全部いろいろ配っていたんでしょう、役人の誕生日に。それから、誰の年次も全部覚えているし、そうやって自分のことを知っていると思われることは、役人にとって嬉しいことだから。だから、即、大蔵省の役人が全部ついてきたわけじゃない。中にはエリートの人達で、この野郎と思った。それは何年か経つうちに、田中先生の人柄等に寄ってきたのでしょうね。最初の反発はすごかったですよ」
反町キャスター
「それは、学歴に対するもの?ないしは、たとえば、田中角栄なるものに、非常に悪名が高い部分があったのでしょうか?」
鳩山議員
「いや、それは学歴でしょうね。それは、モノ言い、僕は中学2年だから正確な記憶はないんだけれども、宇宙人を呼んできたら聞いたらわかるかもしれない。兄貴も覚えている。というのは(大蔵官僚だった父は)ぼろくそに言うんですよ、とにかく。小学校しか出ていない人間に大蔵大臣が務まるはずがないと」
反町キャスター
「その反感、反発。ないしはもしかしたら、見下し感みたいなものを、どうやって1枚、1枚めくって、剥がしてやる。ないしは巻き返して、逆に惹きつけているのか。それはどういうふうなものなのですか。秘書として、傍にいた時にも、何か感じる部分は?どうやって自分に敵意を持っている人間、ないしは反発している人間を切って、捨てているというところまでは政治家の方もやられるではないですか?」
鳩山議員
「それはやらないでしょう」
反町キャスター
「逆に、抱え込んで持っていきますよね。これはどういうことですか?」
鳩山議員
「それは石破二郎先生の言葉、『親切と優しさ』。田中先生というのは、現実的な人の心理というものを汲み取るのにすごく長けているわけでしょう。だから、そういう人間に、親切心を、優しさ、巧みな心理作戦のようなもので測っていったのではないですかね」
後藤氏
「たとえば、郵政大臣になった時がありますね。これも実は逸話があるのですが、この時、当時、郵政省というのは、狸穴にあったんです。その時に、郵政省の正面玄関にかかっていた看板の1番大きいのが、全逓、つまり、労働組合の看板が1番大きかった。つまり、店子が大家より大きな看板を出すのは何ごとだと言って、その看板をまず大臣になって剥がすんです。当時、大出書記長とか、そういう全逓の猛者がいっぱいいるんですけれども、大出さんとか、宝樹さんとか、そういう有名な全逓の大幹部がいる。とにかく、その人達を、ある面で労働組合を黙らせた。それによって、官僚達が、田中角栄という、すごい大臣が来たと。これまで誰も手を出さなかった労働組合の真正面に向かっていったと。そこで、ある面で官僚の中で、田中角栄というのは、ただ者ではないぞという神話ができる。あるいは我々の言葉で、骨を拾うというのがあるんです。つまり、官僚を辞めたあとに、第2の人生をどう面倒見るかということでは、これまた頭の中にあらゆる組織のマップがあって、彼はここがいいなとはめ込んで。それは、竹下さんもそれを引き継いでやるんですけれども、そういう人心掌握術をやったのではないですかね」
石破地方創生担当相
「法律が好きでした。田中角栄先生は。暇な時があったのでしょうね。私が呼ばれて、『いいかお前』と。『この世の中、森羅万象。森羅万象という言葉を使われました。全ての法律があるんだ。川には河川法、山には森林法、海には海岸法、道路には道路法。この世の中、森羅万象全てのものに法律がある。これを変えるんだ。こんな面白い仕事は他にあると思うか、お前。法律をつくることほど、面白いものはないんだ』と言われました。そうなんだと思いました。官僚達も、法律をつくり、予算をつくることが仕事ですよ。日本の国をこうしたいという想いを共有する。もちろん、枕元に国会便覧を置き、官庁の名簿を置き、それは天才だけれど、努力があっての天才ですよ。一生懸命覚えられたはずです。課長以上は、入省年次も顔と名前も全部覚えた。だけど、それだけではなく、法律というものによって、世の中が変わる。法律というものに対する感がある。単に、法学部で法律を学んでいればいいというものではない。そこのところに当時の日本に対する夢を抱いた官僚達と田中角栄さんのすごく共鳴する部分があるんだろうと、私は思います。だから、官僚達は田中さんの議員立法に、一生懸命に知恵を貸したのでしょう。だけれども、田中さんの力とあの発想がなければ、それは議員立法として世に出ることもなかったでしょうし、世の中を変えることもできなかったのではないでしょうかね」

日本列島改造論
松村キャスター
「日本列島改造論ですけれども、交通、情報通信網の整備、工業地帯の再配置。これをテコに、一極集中から地方分散への転換をはかるというものですが、後藤さん、田中元総理がこの政策に託した思いというのはどうなのでしょう?」
後藤氏
「これは日本海側から太平洋側に大きないろんな交通網を整備して、国土の均衡ある発展という発想がすごくあったんです。当時から、東京一極集中はけしからんという想いが非常に強くて、現在でも覚えていますけれど、上越新幹線ができた時に、これから東京の人が新潟に働きに来るんだという言葉を残しているんです。つまり、田中角栄さんには、そういう発想があったのですが、結果は、逆にどんどん東京一極集中してしまったという、ある意味で皮肉があるんですけれども、この時も、各省庁の課長クラスを集めて、都市調査会かな?」
鳩山議員
「都市政策調査会を、自民党の中につくって…」
後藤氏
「まさに、幹事長を辞めて、結構、暇な無役の時代につくって…」
鳩山議員
「最初、選挙に負けたか何かして、幹事長を退くんですよ。それで、次は総裁選挙しかないと思ったんでしょうね。それで、都市政策調査会というのをつくって、猛烈に議論して、役人をフルに使って、書いたのが日本列島改造論。いわば総裁選挙用だったんですよ。その日本列島改造論を読んで、私はますます田中先生の秘書になりたくなって、先ほど申し上げたような話になっていくんですよ。私があの本を読んで、この人の発想はすごいなと。そこには、まさに、石破大臣の現在のお仕事のことが書いてある。それは、一極集中から地方分散へと書いてあるけれども、都市の過密と農村の過疎の同時解消と書いてあるはずですよ。だから、一極集中というか、都市の過密の問題ですね。これはふるさと創生の竹下先生につながるし、現在の地方創生の原点がここにあるんですよね」

列島改造論と地方創生
反町キャスター
「競争条件の整備がまずインフラだとすれば、その先に、現在、まさに、石破さんがやられているような、それぞれの地方で知恵を絞って、道路もつながりましたし、新幹線も一応できました。鉄道網も整備されました。ネットもあります。電力も供給されます。では、そこから先は東京、大都市に人を吸われないように地方の知恵の出し方がこれからの勝負だよというところまで、当時の田中さんは、そこまで見越して、世の中を見ていた。ないしは、もしかしたら、インフラを整備して、条件を、いわゆるイコールフィッティングにすれば、地方は負けるわけがないと思っていたのか。そこはどうですか?」
鳩山議員
「そこだけは、これは難問すぎて、そこにとどまっていたのか、先を見据えていたのかはわからないけど、現在の石破大臣がやっている地方創生、私も委員長をやっていますから、関係が深いけれども、これは地方にもっと魂を入れるという意味が強いけど、田中先生の原点があったと思いたい」
石破地方創生担当相
「それはありますよね。思いたいし、それはいろいろあったけれど、同じ田中派の流れを組む竹下登先生がふるさと創生、1億円をばら撒きだとよく言われますよね。どんな小さな村でも、どんな大きな町でも、1億円だと。これこそばら撒きの標本だみたいなことを言われた。その時、竹下登総理が、私は当時、当選1回でしたが、『それは違う。自ら考え、自ら行うんだ。これで、地方の知恵と力がわかるんだ』とおっしゃったんですよね。だから、竹下内閣、これも、たられば、ですけれど、単に金さえ配ればいいのではないと。そのことによって、それを活用するところと、できないところとが間違いなく出るはず。あの時、竹下先生が言われた。これで地方の知恵と力がわかると言われたのを、私は一生忘れない」

政治とカネ
松村キャスター
「田中元総理の辞任の引き金になったのが、1974年11月号の文藝春秋です。この記事は当時どのようなインパクトがありましたか?」
後藤氏
「当時、我々の先輩方に聞きますと、これは一般メディアが取り上げなかったんです。田中角栄さんにまつわるお金はずっと取り沙汰されながら、それを立花さんが非常に事実を克明に集めて、これが後に外国特派員協会、日本に来る特派員の皆さんに、田中角栄さんが現職総理として記者会見に臨んで、ここで徹底追求をされ、ここから火がつき始める。もう1つ、この他に『淋しき越山会の女王』というもう1つのノンフィクションがあったんです。そちらは田中角栄さんの、児玉さんという人が書かれた、女性の問題をとり上げた。田中角栄さんにとってはそちらの方が精神的には結構ダメージが大きかったのではないかと言われているのですが、いずれにしてもこの2本の文藝春秋の記事によって田中角栄さんは退陣を決断するということになったと思いますね」
反町キャスター
「権力を振るい過ぎていたが故の引退、皆が黙って我慢していた部分が、蓋を誰かがとったので一気に吹き出したみたいな、こんなイメージ?」
後藤氏
「そんな感じですね」
反町キャスター
「それに至るまでの権力の使い方があまりにも周りからの反発を買う。反発を買うのが、圧が高まり過ぎていたが故に、本来の効果以上の効果を持って田中角栄研究とか、越山会の女王の本とかが、政権に対するダメージを与えてしまった。こういうことになりますか?」
後藤氏
「これは早野透さん、朝日新聞出身の、『田中角栄』という立派な本があるのですが、その中にも書かれているのは、自分はふらふらのロバ、荷物がいっぱい、ロバの背中に乗っている。ロバはふらふらだった。自分はその上に藁を1本乗せたら倒れたと。つまり、それまでめいっぱい田中角栄さんはがんばり過ぎていて、いろんな批判もあって、そのうえに藁1本を自分が乗せたことによって倒れたということを、早野さんが紹介していましたから、たぶんそういうことだったと思いますね」
石破地方創生担当相
「昭和47年の田中内閣ができた時の熱狂というのは、日中国交回復がピークだったと思うんですよ。これは誰にもできなかったことだと思いますね。北京の青い空(の下)、大平さんと田中さんがこれでダメだったら帰ろうというところまで決めて、それでも最後に周恩来との会談で日中国交回復につなげたと。あの時の日本国民の熱狂はすごかったですよ。でも、それはあっという間に冷めていったんですよ。潮が引くようにね。サーッと引いていった。そして狂乱物価があり、オイルショックがあって、いわゆる一般国民はモノがどんどん高くなっていく。インフレが加速する。暮らしが苦しくなる。これは皆、田中が悪いんだという方に世の中の流れが逆転したんですよ、あの時に。それまでの持て囃していた人達が手のひらを返したという感じを私は持ちましたね。いろんなことを考える、細かい心の持ち主だったと思うんです。だから、人の心の変わり方というのに、強そうに振る舞っていても内心傷ついていた部分もあったんでしょう。そこへ金脈のお話と、『淋しき越山会の女王』が出た。それはもうトドメだったかもしれない。藁1本だったかもしれないけど、ギリギリのところにおもりを乗っけちゃったというところはあったと思います」
鳩山議員
「石破大臣が田中角栄という人は極めてナイーブだと。だから、ああいう演説なんか見ていると、すごく強い、物事に動じない人のように見えるけれども、実際は非常にナイーブで喜怒哀楽が激しくて…タイプだったと思うんですよ。対する福田赳夫先生という方は飄々としていて何事も全然堪えないというタイプだったと思うんですよ。だから、田中角栄先生の、カムバックかどうかは知らないけど、マッカーサーかもしれないけども、とにかく非常にナイーブだったものが、どこかでガラス玉が割れるように割れて、それが辞任表明になったのでしょうね」

ロッキード事件
松村キャスター
「ロッキード事件が表面化して以降、田中元総理をとり巻く環境はどう変化したのですか?」
後藤氏
「政治的目的がやや変わったんだと思うんですね。前は、復権を目指すというのが1つの大きな目標でしたけれども、同時に政治闘争と平行して、裁判闘争を続けていくと。そのためには政治権力を握り続けると。その2つの目的を同時に追っていくところに、心身ともに非常に苛烈な状況に身を置いていたと思います。我々も、刑事被告人になってから担当しましたけれど、常におっしゃっていたのはとにかく自分は自分の無罪をはらすということが目的ではないんだと。総理大臣の権威と名誉を守るんだ。そのために戦い続けてるんだということを絶えず言っていましたね。それは屈辱的だったし、それから直接は言わないんですけれど、自分はアメリカに対し、ある面で楯突いてきたことをやったということもおっしゃっているんです。たとえば、日中国交正常化。これは大陸の脅威を減らすということで、防衛費が減るんだと。そういう言い方もしていました。あるいはエネルギー外交で、それまではアメリカのメジャー、エクソンとか、オイルメーカーの支配下だった日本勢は結局うまくいかないということで、独自に北海油田をやろうとした、あるいは中東に行って、外交したり、ソ連へ行ったりと。様々なエネルギー外交をやった。皆、アメリカの琴線に触れることだったんです。それは中曽根さんも回顧録の中で語っているんですけれど、そういう意味でアメリカという大きな、ある面で敵に対して立ち向かったという背景に、このロッキード事件も生まれてきたのではないかという1つの見方もあるんですね」

日本政治に遺されたもの
松村キャスター
「田中元総理は日本の政治家にどのような影響を与えたと思いますか?」
後藤氏
「私は、政治家というよりは、日本の国民にある種の夢を与えた人だったと思うんですね。私も貧乏人の子沢山の家に生まれましたけれども、長く長くコツコツ努力していけば、最高トップまで行けるということを証明したというのは、田中角栄さんがたぶん戦後初めて、戦前の年で初めてなのかもわからないですね」
石破地方創生担当相
「とてもああいう人には近づけないです、天才ですから。私みたいな凡人には引き継げない。だけれど、たとえば、田中派としての徹底した選挙のやり方、まったく手を抜かない選挙のやり方、選挙に強くなければ、強い政策はできない。選挙に強くなければ国民に向かって苦しいことは語れない。現在そういう時代ではないですか。選挙だと思う。それは金や権力だけでできるものではない。人の心をどう捉えるか。私はそれを田中先生から教わったし、できるだけ多くの人に引き継げたらいいと思っています」
鳩山議員
「現在の政治家にはほとんどいないと思いますが、ああいうスケール。それは毀誉褒貶あるけれど、あれだけのスケールがあって、それは政策上の成功も失敗もあったと思うけれども、(昭和で思い浮かぶ人物で2位という)数字はすごいですよ。これは政治家にこんなにすごい人もいるんだなということを遺してくれたのではないですかね」

石破茂 地方創生担当大臣の提言:『魔神に学ぶもの無し』
石破地方創生担当相
「ごめんなさい。ちっとも答えになっていませんが、田中先生は、人ではない、魔神だ。学ぶようなものはない。ただ、私達は、田中角栄先生というものに、私はたぶん最後の弟子になるんだと思うんです、それに接することができた。それだけでも幸せなことです。だから、やろうとしたことをどれだけ伝えていくか。すごく多いけど、これは1つでは言えない、私には。だけれど、本当に学ぶなんていう僭越なことを言える立場ではないので、少しでも学んだものや、接したことを1人でも多くの人に伝えたい。最後に田中さんが私に言われたのが『俺もいつまでも権力はない。派閥はいつまでも永遠ではない』と。それが田中先生の本音だったのかもしれません。それも含めて学ぶというよりも生き様に接したものとして1つでも多くを伝えたいと思います」

鳩山邦夫 自由民主党衆議院議員の提言:『先を見る力』
鳩山議員
「オリンピック目当てに首都高速道路をつくる時に、これからは車がどんどん増えるから2車線ではダメ、片側全部4車線なくてはいけないと。土地がないと言われたら、こちら側が2段、逆側が2段で、2車線、2車線で4車線にすればいいということを、自民党の中でも強く主張したけれども、皆、そんなのは笑止だと。高速道路は日本にないわけだからと言うので、誰も相手しなかったけれど、その時から田中角栄先生は先を見ておったんでしょうね。それから、小選挙区論者であったかどうかは私にはわからないけど、晩年に小選挙区制はどうですかと聞いたら、『金のかからない政治はできるかもしれない。自民党は政権を1回か2回かは失うよ』と断言された。何でかわかっちゃうんですよね、先のことが。それから、私が田中先生の絶頂期に総理官邸で秘書をやっておったら、私にこうおっしゃったんですよ。『鳩山君、君はわしの良いとこだけ見ておってもダメだ。俺はすごく無理をしてこの総理官邸まで来たから、いろいろ出てくるかもしれん。君は無理をしちゃいかんよと。君の家は金があるのだから、自然体で行け』と言われた。それがあるからロッキードとか、金脈が出てきた時に田中先生は予見していたのかなと思った。現在、思うと」

政治ジャーナリスト 後藤謙次氏の提言『明朗闊達』
後藤氏
「私は、現在の政治に欠けているもの。田中角栄さんが持っていた明朗闊達さ。とにかく反対意見も、何でも思ったことはぶつけて、党内でも、あるいは党外でも、国会でも、どんどん意見を明朗闊達に意見を交わすというのが、現在日本の政治全体に、一強他弱と言われる中に、その言葉の中に、政治家個人個人が自らそこに身を潜めてしまっている。それが1番いけないところですね。田中角栄さんは刑事被告人の立場にありながら、いわゆる明朗闊達さを失わなかった。そこに多くの人が集まったと思うんです。是非そういう明るい政治をやってもらいたいと思いますね」