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2015年5月7日(木)
『昭和90年』の肖像④ 松下幸之助信念と成長

ゲスト

野田佳彦
前内閣総理大臣 民主党最高顧問 衆議院議員
渡部昇一
評論家 上智大学名誉教授

教え子と知己にきく“経営の神様”
秋元キャスター
「松下幸之助の生涯を簡単にまとめさせていただいています。明治27年、1894年に和歌山県で生まれました。小学校を4年生の時に中退し、9歳で大阪の火鉢店、10歳で自転車店に奉公しました。15歳で大阪電灯、現在の関西電力に入社しています。22歳で独立、松下幸之助の起業家人生がここにスタートします。翌年に松下電気器具製作所、現在のパナソニックを設立し、有名な二股ソケットや自転車ランプの製造で成功。また、アイロンやラジオなど、ヒット商品を生み出し、事業を拡大します。戦後、GHQによって制限会社に指定されるなど苦しい時期もあったんですけれども、日本の戦後復興、高度経済成長と歩みを同じくして会社も成長、日本を代表する電気メーカーに育て上げてきました。一方で、昭和21年、1946年には、PHP研究所を設立しています。昭和55年、1980年には、松下政経塾を設立するなど、経営者としてだけでなく、日本の社会全体を考えた取り組みも行ってきました。昭和が終わり平成元年の4月、94歳で亡くなっています。野田さんは、松下政経塾の一期生として入塾されていますけれど、本人に実際に会われたのはその時が初めてですか?」
野田前首相
「はい。1980年が松下政経塾の開塾ですね。第一期生の募集があって、面接でお会いしたのが1979年の秋です。大学4年生の時に、割と順調に試験を合格して、最終面接が松下さんだったんです。面談ではコンコンと叩いて入っていくではないですか。立ってお迎えいただいて、笑顔で迎えてくださるんです。でも、笑顔と言っても目は笑っていない。射抜くような目で、見抜いてやるぞという目です。もう1つ印象的だったのは耳。耳が大きいです。大きな耳が立っているんです。ピンと立っている。立っているうえに、相手に向いているんです。アンテナを張っているようですね」
反町キャスター
「形としてそういうもの?」
野田前首相
「そういう耳です。聞き上手という話がありましたけれども、本当に、いろんな話を聞いて吸収する人ですが、すごく機能的な耳だと思いました。それが第一印象で、吸い込まれるような目と、吸い込まれるような耳ですから。面接は全部、いろんなことは見抜かれていたのではないかと思います」
反町キャスター
「実際に話をした印象としてはどういう感じだったのですか?」
野田前首相
「その時はそんなに難しいお話をされるのではないですね。君はお父さんと親類は政治家かと言うから、いえ、違いますと言ったら、ええなあと言うんです。お金持ちかというから、いや、どちらかというと中の下ですと言ったら、なお、ええなあとか、言いましたね」
反町キャスター
「自衛官でしたね?」
野田前首相
「そうです。自衛官のせがれでしたから。そういう面接でした。それが最初の出会いです」
渡部名誉教授
「僕は、昔から学校でできるくせに、愚かな奴を見てきました。それから、学校ではできないけれども、すごく賢く成功する人も見てきました中で、どういうわけかといって不思議に思った時に、ハマトンという人が書いた本の中で、IntelligenceとIntellectを区別しているんです。Intelligenceというのは、IQテストというのがあります。あれは、Intelligence QuotientでIQで上の方です。あれは人から計ってもらえるような知力です。計り得る知力です。Intellectというのは、全然、計れない知力です。計りようがないです。それでハマトンが比喩で言っているんです。Intelligenceというのは勉強して、積み上げて、一歩一歩どんどん進んでいくと。たとえば、ダチョウの足のように進んでいくという知力であると。ところが、Intellectの方は、それが全然なく、鷲がスーッと飛ぶように飛んでいってしまうんだと」
反町キャスター
「それを松下幸之助は持っていた?」
渡部名誉教授
「ということを使いまして、おそらく松下幸之助さんほどの知力は、上の方ではなくて、下の方であるというようなことを書いたんです。それを松下さんがお読みになったんじゃないかなと思うのは、私に伝記を書けというようなことが遠まわしにきたからです」

“企業は社会の公器” その真意は
秋元キャスター
「当時、社長時代の松下幸之助が新入社員に宛てた訓示。『松下電器は公の機関である。私の機関ではない。社会の公器である公の製造機関』。この言葉ですけれども」
反町キャスター
「野田さんはいかがですか?私の機関ではなく、公の機関であるという企業論。どう感じますか?」
野田前首相
「これは有名な話でありますけれども、戦前にこのことを悟っているんですね。ある暑い時です。人の家に行って、がぶがぶと水を飲んでいる人を見かけたんです。誰も咎めない。それは水道の水が安いから。それは暑い時、水を飲んでもしょうがないと。それを見て悟るんです。すなわち水道の水は本当に必要でタダではないですね。だけど、必要なものも潤沢にあれば、無尽蔵につくっていけば、皆に行き渡って、そうやって享受することができるという。それは電気製品でも同じなわけで、無尽蔵にいっぱいつくって、潤うようになれば、それで貧困を撲滅していくことは、それは社会のためになることではないかと。皆が喜ぶんだと。そういう楽土をつくるんだと。それが自分達の企業であるということを悟るんですね。昭和7年には、それが明知元年と言って、松下電器の使命だと言って、それのための第1回の創業大会をやっているんです。使命を自覚したのが昭和7年。その創業大会で、いま言った考え方というわけですね。使命として、社会のために役に立つんだということ。戦前から染みついた哲学です。水道の水を飲んでいる人を見て、哲学をしたんです。というところは、経営者としては…」
反町キャスター
「それは、端っから、企業経営ではなくて、政治に向いていた。社会的な公正とか、社会的な繁栄とか、社会的な豊さというものを視野に入れていたという印象ですよね。起業家として、何かをやって、利潤を上げて、さらに、事業を拡大してという、普通のベンチャーを立ち上げた人達の感覚とは違う印象をいまの話から受けるのですが、どうですか?」
野田前首相
「企業も社会的な存在であって、社会のために役に立たなければ、逆に成功をしないということだと思うんです。松下電器はよく朝礼をやる時に、私も工場実習とか、やりましたけれど、産業報国の精神というのがありまして、産業活動、生産活動を通じて、国を発展させていく。社会のために役に立っていく。これは理念です。理念をしっかりと経営者も、社員も押さえていることによって、大義があるではないですか。単なる金儲けではないと。単なる日々の生活を送るために働くのではないと。社会のために役立つ存在であるということを皆で自覚をしながら、働くことによって成果が出てくるということだと思います」
反町キャスター
「競争理念はその中に入っているのですか?たとえば、業界において他社との競争において、それを打ち負かして、自分達が勝つとか、負けるとかという、それは普通、企業間の自然な競争において、市場のメカニズムが働くではないですか。何かそういうのではなくて、目線はもちろん、高いところにあるのはわかるんですけれども、それと企業の激烈な市場における競争社会とどうもイメージが重ならない。それを企業の中で、ないしは松下政経塾でも結構ですけれども、それはちゃんと消化されていたのですか?」
野田前首相
「自由主義経済で生きていくわけですから、もちろん、競争はあるでしょう。でも、そこが突き抜ける瞬間ですね。松下幸之助さんと言うのは、たとえば、ラジオの開発なんかをやっていて特許をとったと。特許をとったら自分の独り占めではないですか。特許料をとれるから。せっかくとった特許をタダで公開するということをやるんです。タダで公開することによって、参入する人がいっぱい出てきます。参入することによって市場が大きくなることの方がプラスだと考えたのでしょう。だから、ちょっと常人では考えられない人でしたね」

企業と従業員 どうあるべきか?
秋元キャスター
「企業形態や働き方について松下幸之助は先進的な考え方を持っていたんです。独立採算による事業部制は、戦前の1933年に導入しています。週5日制は、まだモーレツ社員が美徳とされていた時代、1965年、現在から50年前に既に導入をしていて、時代に先がけて、これらとり入れていたんですけれども、渡部さん、事業部制ですとか、週5日制、現在では当たり前になっている制度ですけれども、松下幸之助は、これを他社に先がけて導入していたというのは、どういう狙いがあったのでしょうか?」
渡部名誉教授
「僕は、それも松下さんは戦前の小さい時から、小さい町工場の時代から、実行されていたと思うんですね。松下さんはどちらかというと体が弱かった、若い頃は。だから、仕事を任せなければならなかったんです。それが、独立採算性につながったと思うんです。週5日制ですけれども、当時、モーレツというのが流行っていまして。とにかくモーレツにやればいいんだと。皆がいいと思ったし、企業側もいいと思ったし、働いている人はモーレツにやろうと、やった時に、待てよと考えたんです。それは人間、モーレツにやるだけで進むものだろうという、そのへんが同じ知力でもちょっと先が見える知力です」
反町キャスター
「野田さんから見た時、松下幸之助流の人材活用術はどう見えていたのですか?」
野田前首相
「政経塾で、松下さんの講演をいただいたあとに、塾生が質問をしました。それは信長と秀吉と家康のリーダシップ論、人生論にかかわる、ホトトギス句で比較したのがあります。鳴かぬなら殺してしまえホトトギスが信長。鳴かせて見せようホトトギスが秀吉。鳴くまで待とうが家康。松下さんはどれを選びますかという質問です。その時に、即答だったのですが、どれも違うとおっしゃって、鳴かぬならそれもなおよしホトトギスとお答えになりました。いつも考えていたということでしょうね。ちなみにどこかの経済誌が、この三択で聞いた時に、昭和40年代ぐらいの企業経営者で三択で答えなかったのは、松下幸之助さんと本田宗一郎さんだけだったんですけど、本田さんの答えはわかりませんよ。松下さんは、それもなおよしと。鳴かないホトトギスがいてもいいではないか。それは適材適所です、鳴かないホトトギスは。ただ、ホトトギスでどう使うかを考えるんです、人材育成って。ただ、とてもいつも暗い表情をしている社員がいて、どこでも使えず、皆困ったといった時に、俺に任せろと言って、使ったところが冠婚葬祭担当でしたと」
反町キャスター
「本当ですか、妬みだけではなくて?」
野田前首相
「本当です。というぐらいそういうエピソードが残っているぐらい、鳴かぬならなおよしホトトギス。人の使い方に徹していたということだと思います」
反町キャスター
「その発想でいくと、要するに、リストラはないはずですよね?」
野田前首相
「基本的には避けようとしていました。と言うのは、中小企業から始まっていますから。経営の神様の原点は零細からスタートして、学歴がなくて、体力もなかった、病弱だったというハンデキャップからスタート。ハンデキャップを抱えながらスタートをした零細企業に、いろいろと大阪のドン達を入れていくわけです、少年達を。次は、明日来てくれるかなとか心配をしながら入れていった少年達を育てながら、大きな企業にしていくわけです。だから、人材をありがたいと思っているわけです、人を。好況の時は、人はどんどん入ってくる。不況の時は、勝手に首を切るのではないですよ。苦労をしながら、募集をして入れて、育ててきた経験があるから、だから、苦しい時にすぐに首を切るのではないですね」

未来観と国際化の現実
秋元キャスター
「続いて、松下幸之助が会長を辞任し、相談役として活動した1980年の言葉です。『中国が発展すれば日本も発展し、共存共栄のアジアが生まれる。21世紀以降、世界の繁栄はアジアに訪れ、そのリーダーは日本で、中心は中国となる』ということですけれど、渡部さん、現在から35年前、既に中国の時代が来ると予見をしていたというのは、これはすごいことですね」
渡部名誉教授
「正しいところがありますけれども、1番大きく間違ったところの1つだと思います。それは、共産党政権というものの本質がわからなかったのではないかと思うんです。大東亜の共同の繁栄というのは、戦前の日本人皆が言った言葉です。だから、おそらく松下さんもそれが頭にあって、たとえば、現在では過去になりましたけれども、日本が満州に入った時には、満州も栄え、日本も栄えたわけです。それが中国に行けば、中国も栄えるはずだという頭はあったと思うんです。ところが、共産主義というものは別です。現在中国が、総選挙ができる体制である国であったなら、松下さんがおっしゃったことはその通り正しいです。100%正しく、アジアが栄えて日本がリーダーみたいになって、中国も中心になって、皆、万歳です。ところが、松下さんが見落としたのは、当時の中国、その後の中国は総選挙ができない国です。総選挙ができない国というのは独裁主義です。と言うことは、恐ろしいのは独裁主義だとすごくバーッと進むんです。それは第一次大戦のあとの、あれだけやられたドイツが、ヒトラーが出てきたら、数年にして、フランスもイギリスも追い越したんです。現在やっているのがそうですね。その矛先が明らかに日本とアメリカに向いているわけです」
反町キャスター
「野田さん、松下幸之助の中国観をどう見ていますか?」
野田前内首相
「中国観といいますか、今のお話は、文明論の推移の話だと思っています。世界の繁栄はメソポタミアとか、エジプトに端を発し、ナイルの文明が始まって、それが地中海を渡って、ギリシャ、ローマの時代を迎える。それがヨーロッパ全体に行き渡って、大英帝国の時代を迎える。そのあとアメリカの時代だと。ずっと西まわりに行くと。文明の繁栄の中心が21世紀は間違いなくアジア太平洋の時代だと。アジア太平洋の時代は中国も台頭してくる、日本もリーダーとして。日中は、そこは繁栄の受け皿として共存共栄でいかなければいけない、東南アジアも含めて。そういう大きな時代観を持っていたと私は思いますし、でも、それは間違いないと思います。いわゆる文明の推移を見ていると戦前は大西洋の時代ですね。大西洋憲章があった通り。現在は太平洋の時代。だから、生臭い政治をするつもりはないですけれど、TPPを含めて、アメリカも巻き込んで、アジア太平洋のルールメイキングをやる。あとから中国が入ってきてもいいわけですけれども、そういう、何か大きい大局観を持って、現在、国際化の時代をやっていかなければいけないのではないかと」
反町キャスター
「松下幸之助の考えていた中国観というのは中国がWTO(世界貿易機関)加盟とか、彼らがどう産業を起こしていくのか、どう知財とか、知的財産権に対する感覚を持っていくのか。技術移転したら、そのままパクられてしまう懸念がある国だなんて、たぶんご存知だったかどうかはわかりません。ただ、そういう前提がもし入っていれば、こういう話にならなかったのではないのかなと。ないしはあってもこう言う人だったのか。そこはどうなのですか?」
野田前首相
「たとえば、そこまで日本に対するバッシングがきつくなって、日本で最初に中国に投資をしたパナソニックが暴動の対象でモノを投げられたと、そんなことは想像していなかったと思います、いくら何でも。そうは言いながらも、大局観で言うと、それは世界第2位と第3位の経済大国同士がうまくやっていかなければいけないという想いは、現在ご存命だったら持っていらっしゃったと思うので、その中でどういう知恵を出されるかだと思います。三十数年前に中国の現状が見えていないところももちろん、あったとは思います。ただ、松下さんの場合は常にいわゆる信念を持って理念を持つ。一方で、常に柔軟に対応をする人ですから。それは、あれから三十年経って、現在の中国はという議論はできますけれども、松下さんが生きていれば、それは都度、違った対応は常にされていると思います」
秋元キャスター
「もし現在ご存命で、現在見ていたら、どういう感想を持つと思いますか?」
野田前首相
「こうならないような、いろいろな知恵を出されたと思います」
秋元キャスター
「松下幸之助はここまで中国が台頭して日本の製造業が厳しくなることというのは予見されていたのでしょうか?」
渡部名誉教授
「僕は晩年、京都座会というのを、松下さんがおつくりになって、その時、月に1度ぐらいお会いする機会があったんです、そのグループ。その時いつでも松下さんがおっしゃったのが『どうもわからなくなった』と言うんです」
反町キャスター
「何がですか?」
渡部名誉教授
「行く先が。何か恐ろしい、困ったどうしようもないような時代がくるのではないかということを、会う度おっしゃっていたんです。我々はもちろんわかりませんよ。わかりませんけれど、松下さんが何を考えておったのかなと言うと、現在から考えるとこれは推測ですが、おそらく松下さんが何となく考えておられた、直感されておったのはグローバル化だったと思うんですね。グローバル化が進みますと、製造業でグローバル化に勝とうと思えば給料を下げなければならないではないですか。必ず下がりますよね。グローバル化という言葉は当時まだ流行ってないし、出てこなかったけれど、ソ連が解体しまして、世界中の市場がある意味で1つになったわけです。ソ連解体後の1つの市場というのは、世界というのは松下さんにははっきり思い描くことができない。ただ、非常に恐ろしいような状況がくるのではないか。困ったような話にいくのではないかということをお感じなさった。具体的なことはおっしゃらないから、毎回そう言われましたもので、我々も何か悪い時代がくるのではないかと思っちゃったですね」
反町キャスター
「松下幸之助的経営、もしかしたら日本型経営と言い換えてもいいのかもしれません。それが通用しなくなってきた。だからこそこれだけ日本の電機業界というのは苦戦してきたんだという見方についてはいかがですか?」
野田前首相
「時代の波というのはありますし時代の潮流があるので、厳しい局面になることもあるし、逆に好調になることもあるのですが、現在確かにモノづくりは苦しい局面だと思います。賃金の引き下げ競争をやっても、世界に比べれば人件費で見ると勝てない。だから、海外に出ざるを得ないところがあります。ありますけれども、日本の持っている技術、モノづくりでこれまでつくってきた土台というのはすさまじいものがあると思うんです。いわゆる100年企業というのがありますよね。100年続いた企業は、世界で何万社ですよ。(そのうち)半分以上が日本ですから。日本の企業は関東大震災も乗り越え、戦争で負けたことも乗り越えて、ニクソンショック、石油ショック、大恐慌といろいろとありました。全部乗り越えて、いろいろな波を乗り越えて、生きてきている。その土台というのは松下さんのいわゆる松下電器、パナソニックだけではなく、多くの中小企業を含めて持っていると思います。そこは自信を持たなければいけないところです。それはライバルが出てくると、恐れたり、怖がったりすることはありますよ。でも、日本の持ち味というのはすごいものがあると思うんです。何でこんなに日本がすごいのかと思ったのは、工場実施に行っている時に、松下さんが工場に来ると、古い工員さん達が言うんですよ、困るんだと。危なくてしょうがないと。ラインで製品が流れていますよね、触るんだそうです。掴みだして手触りの感覚、それを見て何がわかるのかというと、そこに奥行きがあるのか、優しさがあるのかとか、手触りで判断をするんです。その感覚を持っている経営者というのはたぶん日本(だけ)だと思います。技術者からスタートした経営者は日本にいっぱいいますから、それを持ち味にしながら、どうやって世界と伍していくのかということだと思いますので、私は必ずしも悲観ばかりはしません。厳しい波はありますよ。だけれども、乗り越えていく日本の力、日本の中小企業の力、大きな企業の力はあると思います」
反町キャスター
「経営者の感覚は大切かもしれないが、たとえば、雇用形態とか、生産拠点をどうするかとか、率先して柔軟な対応をしなくてはいけない時期にきている、そこはどうですか?」
野田前首相
「それはそうだと思います。常に時代に適応した経済合理的な対応が必要。企業もそうです。あと押しできる環境をつくれるか、政治の責任もあります」

“私心をなくす” その真意と現実
秋元キャスター
「松下幸之助の言葉で『一国の首相となる人はまったく
「私心」
のない人やないとといかん。そうやないと、本当にうまくいかない』とあります。私心というのはどういうことだと思いますか?」
野田前首相
「私心をなくそうと、総理になる前に、民主党の代表選をやる前に、座禅を組みに行ったんですけれども、煩悩ばかりが出てきましたね。現在の話を聞いていると、私心をなくすというのは本当に難しいということは強く感じますけれども、でも、大事な決断の時は消えるんですよ」
反町キャスター
「何が消えるのですか?」
野田前首相
「私の心が…。自分の名誉とか、自分のこれからをどうするかとか、もっと言っちゃうと党利党略も消えるんです。という瞬間を経験したことがあります」
反町キャスター
「安倍さんとの党首討論の時に、野田さんの胸にあった私心としてどういうものがあるのかといろいろ考えたのですが、解散すれば、民主党は200人以上の仲間を失うかもしれない懸念?」
野田前首相
「ありました」
反町キャスター
「もしかしたら党首としての責任だったのかもしれない。それを捨ててまでという部分について逡巡はありましたよね?」
野田前首相
「それまでの葛藤はあります。だけど、NEXT ELECTIONよりNEXT GENERATIONを考えた時に、ああいう行動で前に進めていかなければいけないと思い立ったということです」
反町キャスター
「党内で事前にこういうふうに切り出すよという根まわしをしていたのですか?」
野田前首相
「解散の話は討議するものではない。結果については自分の責任ですから。結果は敗北ですから、その責任は生涯負っていかなければいけないと思います」
反町キャスター
「それを背負ってまでやるかどうかの判断はどうつけたのですか?」
野田前首相
「これは松下政経塾一期生として教えを受けた、そのことの責任です。松下さんがやりたかったことは、無税国家と新国土創成という壮大なビジョンがあるんです。無税国家というのは、現在単年度制の予算ですけれど、使い切っちゃっていつも借金していくのではなく、お金を貯めていく。貯めていったあと、金利でまわせば税金はとらなくてもいいのではないかという壮大な考えですよね。それは松下さんの頃から平成2年まではいいです。税収も伸びて、日本の財政も良くなって、その議論は十分成り立ったのですが、私が財務大臣、総理大臣をやった時は財政発散するような寸前ですから、そうすると、将来の世代に借金を残さないために財政の健全化をはかっていくということが松下幸之助翁に学んだ塾生の責任でしたから。それを自分の代でどうしても道筋をつけたかったと。借金はすぐに返せませんよ、だけれど、2020年までにプライマリーバランスを黒字化するためにあの時点で消費税を上げるという決断を、苦しかったけど、やらざるを得なかったというのが歯を食いしばって決断した背景です。松下さんには現在もちろん、お会いすることはできないけれど、お会いできてよかった人と、会わなくてもよかった人もいっぱいいますけれども、会ったことで責任が生ずる出会いというのは(ある)。私は、松下さんの呼びかけた政経塾に入ったおかげで、政治家になって、総理大臣まで務めたわけですから、それに対して生涯を通じて答えを出さなければいけない中の1つが、無税国家はあまりに迂遠でできなかったですけれども、財政健全化の道筋は自分の代で必ずつけるというのは強い決意でやったということです」
反町キャスター
「消費税の引き上げには納得します。ただ、定数削減のロジックとしては、国民に痛みを強いる以上、我々も血を流さなければいけないというロジックで皆さん議論されていました。それは私心ではないのですか?ポピュリズムでしょう?」
野田前首相
「ポピュリズムではない。それは政治家の覚悟です。覚悟の強さがあることによって賛同者が増えるというのが松下さんの考え方です。私もそう思いました。それはポピュリズムではなくて、実際切るわけですから、血を流すわけですから、当人達は大変ですよね。松下さんの場合は、政治の生産性をおっしゃった方です。よく比較されたのは、日本の参議院とアメリカの上院です。人口がアメリカは(日本の)2倍です。でも、上院は100人で、日本の半分。日本は国土が狭いし、ほぼ単一民族。アメリカは人種のるつぼで、国土も広い、生産性は定数と人口比で言うとアメリカは4倍だぞとおっしゃっていましたね。そういうことも含めて、定数削減はいろんな意味で大義があると思っていますので、決してポピュリズムではない」
反町キャスター
「野田さんは今後を見た時、どういう方向を見ているのですか?ただ、背負っていくだけでは、バッジをつけているのは違うと思いますよ」
野田前首相
「一方で、大事なことは二大政党制です。自民党が一強ではなく、きちんと牽制して、ライバルになる政党があるということが、日本の健全な民主主義につながると思っていますから、それが壊れてしまったことは残念です。戻すことが自分の責任だと思いますので、少なくとももう1回政権をうかがえるような政党に民主党をする。一強他弱の状態を脱却して、緊張感のある政策論争をおくれる政治をつくるための責任は、後半の政治の人生で果たしていきたいと思いますね」

“経営の神様”に学ぶ日本の活路
反町キャスター
「松下幸之助という人は性善説で話を進めている印象があるのですが、政治の世界で政治家が私心を拭い去ることなんてできないのではないですか。私心は必要なもので、利害の調整をする以上、それぞれの私心がわからなければ調整できないではないですか?その意味でいうと、いささかきれい過ぎると思うのですが」
野田前首相
「清濁わかっている人がおっしゃっていることで、松下幸之助はリアリストですよ。それはビジネスの世界も厳しい競争があります。政治の世界も権力闘争ですね。そういうことはよくわかったうえで、そこはあるけれど、それだけで終わってしまったら、ただの政治家で、ただの実業家です。それを越えるところというのは、それは私心をなくして、無心で判断した時に大局に立ったいい決断ができる。そこには人間に対する信頼があるんです。生臭いことはいっぱいあります、それは。人を蹴落とすという世界がビジネスでも、政治でもあります。そういうことは十分わかっていらっしゃると思うんですけれど、それでも人間は万物の王者であるということをおっしゃる。人間観というのを大事にしろと。その人間観をおさえていくならば、人間は日々新たに成長していくんだということを信じていらっしゃるというところが究極の哲学ですよね。究極の哲学です」

野田佳彦 前内閣総理大臣の提言:『素志貫徹』
野田前首相
「松下政経塾の朝礼で5つの誓いというのをいつも唱えるのですが、そこで最初に出てくる素志貫徹。常に志を抱きつつ、賢明になすべきをなすならば、道は必ず開けてくる。成功の要諦は成功するまで続くところにある。というのが、松下さんの哲学が詰まった言葉だと思いますね。零細から始まり、病弱で学歴もないけれども、成功したというのは、諦めずにやってきたこと。成功の要諦というのは自分が諦めないということ。よく人のせいにしたり、時代のせいにしたり、他人のせいにしたりしますけれども、自分が諦めた時が失敗だという非常にねちっこい考え方です。落選の経験もありますし、地盤、看板、鞄なしからスタートしたので、しみる言葉ですね」

渡部昇一 上智大学名誉教授の提言:『学校の成績万能でない知力がある』
渡部名誉教授
「松下さんに興味を抱いた1番の根本の動機は、どうして学校での勉強ができなかった人が、ああいう偉大な知力を発揮なさったかということなので、どうしても知力というものが、現在の学校で計れるような勉強、世界では非常に重要であって、そういう知識のレベルが高いことが文明国だけれども、それとは違う知力があるんだよということを、学校の先生も頭の片隅に置いておくべきではなかろうか。また頭が良いと思って、難しい入学試験やら、登用試験に通る人も、この試験は要するに採点されるようなもので良い頭であって、もっと重要なのは採点のしようがないことでの良い頭というのがあるのではないかなということを、頭の隅に常に持ってもらいたいと思うんですね」