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2015年5月5日(火)
『昭和90年』の肖像② 大宅壮一とメディア論

ゲスト

大宅映子
評論家 大宅壮一文庫理事長
植田康夫
読書人代表取締役
大澤聡
近畿大学文芸学部専任講師

大宅壮一は何を残したのか
秋元キャスター
「大宅壮一は明治33年、大阪府富田村、現在の高槻市で生まれました。大正4年に、川端康成も通った、府立茨木中学に入学するんですけれども、教師とそりがあわず、自主退学します。大正8年には試験に合格し、旧制第三高等学校、いわゆる三高に入学します。大正11年に東京帝国大学に入学。後に中退してしまうんですけれど、昭和元年には『新潮』から文芸批評家としてデビューしています。昭和19年から昭和23年頃までいったん文筆活動を中断し、農業に従事するのですが、その後、評論家として、新聞、雑誌、ラジオ、テレビで活躍されます。昭和32年に、ノンフィクション・クラブを結成。昭和42年、大宅壮一東京マスコミ塾を開講し、人材の育成にも力を注ぎました。昭和45年、70歳で亡くなるんですけれども、葬儀は5団体による、マスコミ合同葬となりました。それほど、マスコミ界にとって大きな存在だったわけですけれども、大澤さん、これは、一言で言いますと、大宅壮一は何をした方だと言えるのでしょうか?」
大澤氏
「僕は大宅壮一の生前を知らないんですね。大宅が死んで8年後ぐらいに、僕は生まれているので、まったく知らない。映像なんかを見ると、ああ、こんな感じで喋っていたと、結構、驚きですけれど。1つ言えるのは、現象に特化した批評をたくさん残したという人で、社会で起きている出来事を克明に記録する。それを残していくということを、淡々と続けた人だと思うんです。歴史を知ろうとする時、自分のことばかり喋っている人がいます。ああいうのはあまり役に立たないです。社会について克明に記録してもらっているほど、僕達はすごく役に立つんですね。なので、各時代の皮膚感覚を追体験するのに極めて有効な書き手であったなというのが僕の率直な印象です」
秋元キャスター
「植田さんは、大宅壮一東京マスコミ塾の1期生ですが、師匠としては、どういう方だったのですか?」
植田氏
「私が大宅先生と初めてお目にかかったのは、昭和39年でした。その当時、僕は、週刊読書人という週刊誌で、入社して2年目だったんですけれども、4人の方をインタビューする企画をやったんです。その時のお一人としてお尋ねしました。その時、現在の大宅壮一文庫ではなくて、私達の雑草文庫というような形で呼ばせていただきましたけれども、そこに訪問をして、いろいろとお話を聞いたんですけれども、その時、先生、非常に造詣が深いなと思ったんですけれど、たとえば、ルンペン的な本も貴族的な本も民主的に扱うというようなことをおっしゃっていました。そういう言い方、なかなかできないですけれども。それから、読書は、買い物的読書と、散歩的読書がある。買い物的読書というのは、ある必要があって、あの本を読めばいいということで読む。散歩的読書というのは、気ままに本当にぶらぶら読む。そういう読書です。そういう区分けをしていました。さらに、当時、大宅先生が『炎は流れる』の連載をやっていたんですけれども、4巻のうち2巻が出ていました。大宅文庫はとにかく、それを書くためにできたようなものだということをお話になっていたんです。100円の雑誌を買っても、それを整理するのに、本当に1日がかりでかかる。要するに、索引をつくるんです。そうすると手間暇がかかる。それで、また、100万円本を買うと、100万円、それを収める書庫にかかる。集めた本や雑誌を整理して索引を作るのに200万円かかる。そういうことをその時、おっしゃっていました」
反町キャスター
「植田さん、先ほどルンペン的な本と貴族的な本と共に民主的に扱うということですけれども、ルンペン的な本というのがどういう本かわからないのですが」
植田氏
「要するに、ルンペン的な本というのは、本当に古本屋で1冊10円とか、安い本ということです」
反町キャスター
「貴族的な本というのは高い本?」
植田氏
「高い本です。そういうことです」
大宅氏
「だから、安くなくても、たとえば、三流の週刊誌とか、それを赤鉛筆を持って読んでいました。線を引いて。うちの旦那、こうやっていた時、家に来て、びっくりして、あんな週刊誌を大宅壮一というのは赤鉛筆を持って読むのか。私の覚えは、情報に規制はないという言い方をしました」
反町キャスター
「正誤はありますよね」
大宅氏
「だけど、皆がこんなものと思うものの中に、何かがあるという。宝があると。だから、私達は困ったら、世界の文学全集みたいなものではなく、裏話みたいなのばかりです」
植田氏
「すごい方だなと思ったのは、我々だったら、本を買ってもそれだけですよね。書庫に金をかけるとか、それを整理することに金をかけることはしないわけですけれども、それをちゃんと3つやらないと資料は役に立たないということをおっしゃっていて、それをちゃんと実行なさっていた」

評論家・大宅壮一とメディア
秋元キャスター
「大宅さん、家庭ではどんなお父さんだったのですか?」
大宅氏
「毒舌で、豪放でというイメージがありますでしょう、すごく。それもありますけど、実は努力家で、小心家で、涙もろくて、かわいそうなドラマとかを観ていられないですよ。テレビを一緒に観ていて、何か娘が売られていくみたいな、こんなものを観るな…」
反町キャスター
「娘が観るのも禁止する?」
大宅氏
「と言うか、(チャンネルを)まわせと言うんです。観ていられないです。『太陽がいっぱい』というのがあるでしょう。あの映画、初めから犯人がわかっているじゃない。アラン・ドロンが港に着いたらばれるとわかっているんです。怖くて観ていられなかった。途中で出てきたと言っていました…というところもある」
秋元キャスター
「繊細な方だったのですか?」
大宅氏
「見かけによらず。だから、すごく努力をする。家業もやりながら、勉強もしているというのがあるからかもしれないですけれど。すごく努力家、見かけによらない努力家、勉強家です。水面下で足をかくというところを、家で見ているから。勝手に、好きなことを言っている評論家はいい商売だなと私はすごく同級生にいじめられました。でも、やっていることはやっていた。でも、理不尽なことがいっぱいあって、母が、父が亡くなった時に書いたタイトルが、大きな駄々子というんです。まったくそのままです。耳がかゆくなって、耳かきを探して、ない。耳かきの10本や20本を買っておけというわけ」
反町キャスター
「20本も耳かきを家においている家なんてないです」
大宅氏
「買っておけと。こうです。下りようと思っても下駄を上げたがらない。また、始まっちゃったという感じで」
秋元キャスター
「仕事の愚痴を家で言うことはないのですか?」
大宅氏
「そんなことはないです。私は、家に同居していると思いましたから。お父さんらしいことはあまりしてもらった覚えがなくて。その切り替えもできないです。よその人に挨拶するのと自分の娘に挨拶するのも。いや、どうも、なんて言ってしまうんですね、娘達に。できないです、切り替えが。不器用で」
反町キャスター
「授業参観に来たら先生は驚くのではないですか?」
大宅氏
「授業参観なんて…どこの学校に行っているかを知らなかった。だから、私は、いじめていましたもの。どこの学校に行っているのか知っているか言ってごらんと。都立だろうみたいな。そういう感じです」

造語の名人・大宅壮一
秋元キャスター
「大宅壮一は造語の名人として広く知れ渡っていますけど、その1部がこちらです。お茶の間に広がり始めたテレビを揶揄した『一億総白痴化』に始まりまして、駅弁大学、恐妻、太陽族、阪僑、緑の待合、雑草教育など、多くの流行語を生んでいるんですけれども、大宅さん、お仕事を間近で見ていて、これらの造語が生まれるというか、誕生した時を覚えていますか?」
大宅氏
「あの人は本当に中学ぐらいから、何は何みたいなものだと言ったり、そういうの全部、論にしちゃうの好きだったんです。先ほど言いました時に、家業が忙しいので、毎日(学校に)行けなくなっちゃったので、しょっちゅう休むわけです。先生に文句を言われる。隔日登校論という論文にして、家業が忙しい生徒だっているのだから、1日おきでいいのではないかと」
反町キャスター
「隔日というのは、1日おきですか?」
大宅氏
「1日おき。そうすれば、学校も2倍使えて生徒も倍増えるとか、ずっとそういう発想をしてきた人です」
反町キャスター
「中学校で学校に行けない、登校日数すら足りない子供がそういう論文を学校に提出をするのですか?」
大宅氏
「そう。だから、世相という言葉が好きだと、要するに、世の中ですね。動向を見て、パッと掴むところがうまかったんです。うちでも何か思いつくではないですか。何とかみたいだと言って、例示をしていくでしょう。それが1つずつ当たっていった時の顔は本当にしめたという感じ」
反町キャスター
「たとえば、主な造語の例を7つ挙げていますけれど、何か1つ、大宅映子さんの前でつくった瞬間というのは…」
大宅氏
「それはない」
植田氏
「2つ知っているんです。と言うのは、一億総白痴化に関しては、小谷正一さんという電通に関係されて、もともと毎日新聞出身の方ですけれど、戦後の新聞、放送、マスコミでプロデューサーだった方。この人が喋っていらっしゃるのがあるんです。『大宅壮一と私』かな。あるんですけれども、要するに、大宅先生は、小谷さんに『君は放送と新聞、両方をやっているけれども、どちらが良かったか』と聞いたら、『新聞の方はそうでもないですけれど、放送に関しては、放送は送りっ放しで人間を無思考に追いやる無責任な作業に加担をしていったと感じています』と。そう言うことを小谷さんはおっしゃっているんです。そうしたら、その談話を発表され、ちょっと経ったら、これは、確か『週刊東京』の時評だったと思うんですけれど、大宅先生が一億総白痴化という言葉を使われたんです。小谷さん、自分のそういう談話が出て、それからすぐです」
反町キャスター
「無思考、無責任という言葉から総白痴という言葉をつくり出した」
植田氏
「そういうことをおっしゃっていました。おそらくそれは確かなアレと思います。それからもう1つは、駅弁大学に関しては、これは青木彰さんという大宅先生のお弟子さんの評論家が、『無思想の思想』で書いていらっしゃるんですけれど、大宅先生は若い頃、日本フェビアン協会という団体の世話役をやって。その時、フェビアン協会では、地方に講師を派遣して、その世話役を大宅先生がやっていたらしいんです。その時、駅に着いて、駅弁を調達するのが非常に重要な仕事だったということだったらしいんですね。おそらく青木さんの推測ではその時、駅弁というものに対して、非常に関心を持って、そのことが戦後、駅弁大学という言葉をつくったきっかけになったのではないかとおっしゃっていたんです」
大宅氏
「こっちとこっちを結ぶんですね。それがうまくいった時の。恐妻も、うちの母は学校の先生をしていたから、しっかりした人で、全部、家のことを任せて自由にできた、本当にラッキーな男だったと思うんです。なのに、恐妻と言われたら、まるで鬼婆みたいな…」
反町キャスター
「これはご主人のことを言っていたのですか?」
大宅氏
「そうです。自分も含めて。もっとすごい人もいましたけれども。俺なんか比ではない。あそこはもっとすごいと。こう言っておくと、地方に行って女中さんにモテるんだよみたいな、バカなことを言っていましたが。母は母で怒るから。怒ると女はユーモアがわからんと言っていましたから。私は母親をなだめて、強い妻と言われているわけではないです。恐れているのは、あちらに脛に傷があるから恐れているだけなんだから、怒るな、怒るなと言って母をなだめたりしましたけれども」
大澤氏
「造語は、批評の極限形態だと思うんです。先ほど、離れているものをつなぐという話がありましたけれども、大宅の批評の真骨頂は情報の圧縮化ですよね。世間にある膨大な量の情報をグッと圧縮して、一言にまとめるとか、あるいは分類化してくれるとか、パターン別に分けるとか、あと序列化するとか、これが上で、これが下みたいな、レベルを分けているとか、世界に広がっている情報を整理してくれるというのが、1つの役割だと思うんです。それって批評の本来の機能の2つあるうちの1つと僕は思っていて。批評の機能は、1つはクリティシズム、批判です。社会に対して批判する、分析する。もう1つは、インフォメーションだと思うんです、批評の機能は。インフォメーション、紹介したり、交通整理をしたりするわけです。2つのうち、たぶんどちらもあわせ持っている批評家は数が少ないと思うんです。大宅はその2つを愚直に体現したと思うんです。クリティシズムとインフォメーションの両方。インフォメーションのレベルで言うと、造語というのは、まさに、それの極限形態だと思うんです。世間に知るべき情報を伝えていく時に、造語というのがうまく機能していくということを、感覚的によくわかっていた」
反町キャスター
「父親の発信力というのは?」
大宅氏
「能力あると思います」
反町キャスター
「家族全体の快感として受け止めるものですか?」
大宅氏
「それほどのこともないけれども、能力はあったと思います。そういう掴み力」
大澤氏
「広がるというのは大衆の側に視点を確保できたんだと思うんです。大衆を代弁するというと、たぶん大宅は嫌がったと思います。代弁ではなく、大衆の側に視点を持つことによって見えてくる見立てであるとか、枠組みというのを提示すると、スッと大衆に入っていけます。それはたぶん一貫していたと思います」
植田氏
「造語に優れていらっしゃったわけですが、その発端は、昭和の初期に、新潮社から社会問題講座という講座ができまして、これは大宅壮一が編集したわけですね。その時、社会問題講座を宣伝するために、キャッチフレーズを考えなければいけなかったらしいです。それから、一言でずばり表現をして、人も心にグサッと刺さるような、そういうキャッチフレーズを考えるようになって、それが後に造語のうえでは、非常に役に立ったということをおっしゃっていました」
反町キャスター
「コピーライターの走り?」
植田氏
「コピーライターです。まさに」
反町キャスター
「そういうことですね。漢字ばかりでやっちゃうから造語って言われていますけれども。いわば、そういう現在の代理店のコピーライターの人達が考えるようなものを、本を出す、何か意見を出す時の、1つの掴みとして、ずっと考えて、そういうものがバチッとあたった時に、こうなったということでよろしいですか?」
大宅氏
「俺は、生まれるのが、ちょっとはやかったと、生まれる国を間違えたと言っていました」
反町キャスター
「広告代理店の発想ですよね」
大宅氏
「広告だったら、すごいですよね」
大澤氏
「これは現在、大宅壮一が存在したら、どういう受け取られ方をするだろうかと、いつも考えるんですけれども、うまく機能しなかった可能性もあるんですね。専門的に、何かのデータに基づいてはっきりと分析してほしい。だから、専門家を求めているんですね、社会が。大宅は言ってみたら、自分の専門領域ではないんです。だけれど、とにかく、いろんなところに首を突っ込んで、いろいろ発言して、それぞれうまいことを言う。大衆はそれぞれに納得をしていくという形になっている評論家なので、もしかしたら、現在の時代にはあわなかったかもしれないというのは常々思います」
大宅氏
「現在みたいに細分化されてしまっていると難しいと思います。傾向を表すことが、皆。大掴み。いわゆるヒットソングの番組はないでしょう、現在。みんなバラバラで、こちらのジャンルでは100万枚売れていますと言っていても、こちらの人は知りもしないみたいな話。この時代は皆、同じ曲を聴いていたんです」
大澤氏
「全体について考えていたんです。全体を大掴みする」
大宅氏
「全体を現在は掴めない」
大澤氏
「じゃないと出てこない言葉だと思います、これは。個別のジャンルに特化していると出てこない」
植田氏
「それで、私は被害を被ったことがあるんです。被害ではないけれども…と言うのは、大宅先生にインタビューをした時に『ところで植田君、書評新聞というのは、どういうものか知っているか』とおっしゃった。何かなと思ったら。『あれはジャーナリズムの草野球だ』と言うんです。ジャーナリズムの草野球と言われると、ちょっとガクンとしたんですけれども、要するに、普通のジャーナリズムよりも、ちょっと少しまだ劣っているという意味になるんでしょうけれども、だけど…」
反町キャスター
「プロ野球ではないという意味ですよね。どう見てもプロでないと」
植田氏
「ええ。でも、こんちくしょうと思ったけれども、うまいことはうまいですね。だから、そういうことで、目の前でやられたわけです。それが、パッと言葉が出るんですね。だから、一生懸命に考えたものではなくて、当意即妙で出てくるんです」
反町キャスター
「たとえば、もう少し何かやって部数が伸びたとか、評判が良くなったとか、あとの時代に、2軍になったなとか、1軍半になったなとか、そういう同じ野球ネタでどんどん評価が上がっていくという、そういう話はなかったのですか?」
大宅氏
「そこまではないです。その時々のアレだから。瞬発力です」
大澤氏
「その瞬間、最大力を出せばいいんです」
植田氏
「その瞬間ということです」

一億総白痴化の帰結
秋元キャスター
「一億総白痴化という、この言葉が生まれてもう60年近く経ちますけど、テレビは国民をまさに『一億総白痴化』したと考えますか?」
大宅氏
「できて2年目ぐらいですかね。現在思えばすごくかわいい話ですけど、どちらがどちらか忘れましたが、早慶戦で早稲田の応援席に慶応の旗を持って、振って、つまみ出されるという状況をそのままハプニングとして流したんです。現在思ったらかわいい話ではないですか。だけど、こんなことをしていると、受け手の側はモノを考えなくなるぞと。しかも、視聴率というものがあって、より刺激を強くすると。どんどんエスカレートしていくと、観ている側というのはほとんどお茶の間でボーッとしている状態になって、一億総白痴化なんです。白痴のような番組をつくるという話ではない。観る側の思考能力が停止して、一億総懺悔とまだ引っかかっている。残っているから、白痴化をくっつけただけで、私からするともう20年ぐらい前から化は取れたのではないか」
反町キャスター
「一億総白痴ですか?」
大宅氏
「化が取れたと言っているだけ」
反町キャスター
「何とか化というのは、それは進行しているという意味ですよね?」
大宅氏
「傾向を表す言葉だから…」
反町キャスター
「それがもう結果として…」
大宅氏
「現実になっていると思う」
反町キャスター
「その言葉を受けて、テレビづくりの人達は、俺達は無思考、無責任なテレビをつくっていると…」
大宅氏
「そうは言ったって、スポンサーはいるし、視聴率の数が数がと次の日から数がとれたか、とれないかでやっているわけではないですか、皆。いろいろな怪しげな番組がいっぱいできて…」
反町キャスター
「視聴率はダメですか?」
大宅氏
「縛られ過すぎていません」
大澤氏
「ちょっとつなげると、大宅はたぶん画一化のベクトルに対して批判的だったと思うんです。映子さんがおっしゃったように、皆が同じものを消費していくというやり方自体に対してかなり否定的な考えを持っていて、だから、総白痴の総はまさに画一ということですよね。皆が同じように扱う。もちろん、読者とか、消費者に対して個別の対応をするのではなくて、数で処理していく、まさに視聴率はその典型だと思いますけれども、そういった行為に対しての否定的なイメージをずっと持っていたと思うんですね。だから、大衆が先ほどから繰り返しになっていますけれども、大衆の側につくというのは大衆の顔を見ることだと思うんですね。それを全部数値で処理していくということは良くないと。だから、画一というのも結局そうですよね、個々を見ずに全部一色単にして扱ってしまうと」
植田氏
「それと、白痴を、博士の博、それから、智恵を知る、そういう形で言った人もいるんですよ。大宅さんだったかはちょっとよく…それも自然だと思うんですね。テレビというのは活字媒体ではやれないことをやれるわけですね。動く映像でもって、音もあるし、これは活字媒体ではできないことですからね。そういう可能性を、知るという形で表現しようとした人もいることはいるんですね」
反町キャスター
「大宅壮一は、テレビに対する警鐘を鳴らしておきながら、テレビに出続けましたよね。これはどう見たらいいのですか?」
大宅氏
「この主義主張が要らないから捨てるということはないです。全部呑むんですね。だって、言った以上、自分がその中に入ってやらなくてはしょうがないのではというのが彼の…」
大澤氏
「大宅の1つのキーワードには野次馬根性というのがあるのですが。全てに顔を出していく、1度は。そこで与えられたパフォーマンスをキチッと発揮していくというのが大宅の特徴ですね」
反町キャスター
「一億総白痴化に代わる、ネット社会に対する警鐘を鳴らす言葉が出ているのかなと。そういう印象はないですよね」
大澤氏
「ないですね」
反町キャスター
「ないというのをどう感じますか?」
大澤氏
「一億総白痴化という言葉自体がニューメディアバッシングの典型例だと思うんですね。メディア有害論というのですが。どのメディアも生まれた時には絶対批判されるんですよ。紙芝居も出てきた時にはバカになるメディアだと言われたんですね。小説も読めばバカになると言われたわけですよね。テレビも出た時には同じように批判されたと。これは1つのパターンですよ。ネットも出てきた時はテレビの人達が散々批判しました。新しいメディアが出てくることによって旧来のメディアの役割がはっきりするとも言えるんですよ。テレビからネットへ移行する時、ネットが生まれたことによってテレビの良さがだんだんわかってきたんです。なので、現在、総白痴化みたいな言葉が必要だとすれば、ネット批判ではなくて、テレビの良い部分を表現するような言葉が出てくるべきだと思います」

ジャーナリズムと権力の関係
秋元キャスター
「当時と比べますと現在のジャーナリズムと権力の関係というのはどうなっていると感じますか?」
植田氏
「最近ちょっと気になっているのはね。たとえば、送り手の人達がトップ層ですが、意外に簡単に安倍さんとか、政治家と食事を共にしたんですね。あれで果たして本当に批判ができるのかなという感じを持ってるんですね。それから、これを言うとちょっと差し障りあるかもしれないと思うのですが、日本の場合、マスコミという言葉は実態あるけれども、ジャーナリズムというのはあるのかどうかはちょっと疑問ですね」
反町キャスター
「あっちゃいけないのですか?」
植田氏
「いや、あるべきですよ」
反町キャスター
「いや、記者が政治家と会うのは…」
植田氏
「それは遠慮してもらいたいというのはありますね」
反町キャスター
「それはなぜですか?」
植田氏
「直接会うとそこで仲良くなることはいいのでしょうけど、これだけはちょっとやらないでくれよということがまかり通るというかな、何かそういう可能性もあるんですね。特に、日本人というのは一緒に食事すると、何かツーツーカーカーになって、そこを外国人のようにはっきりと区分けができないと、そういう危険なところは残念ながら日本人にはあるんですね。だから、そういう面では一緒に食事するというのはちょっとよしていただきたいなという感じはあるんですね」
大宅氏
「ある程度しないと情報がとれないわけですね、政治評論家というのは。だから、私はある程度別に構わないですよ。ご飯を食べさせてもらったからと、へえへえって諂うなんて、そんなのでは記者をやってもらっては困るわけで、ただ、あまりに頻度がすごい人がいますよね。ちょっとあまりじゃない、ゴルフも凄いし、会食も凄いって。ちょっと嫌だなという気がします。でも、情報をとるという意味で、ある程度必要。先ほどの父が批判しながらテレビに出ているのと同じで、政治家は批判しますけれども、ご飯も一緒に食べますけれど、だからと言って、矛先を変えるつもりもありませんというのをわかったうえで政治家とご飯を食べる。それでいいのではないですか」
大澤氏
「ある種のいい加減さが大事だと思うんですけれども、真面目になり過ぎたのだと思うんです、ジャーナリズムは。もともとジャーナリズムは怪しいモノ、いかがわしいモノだったはずで、そもそもご飯にならないもの、体に身につかない、役に立たないようなものをとって金にしているわけですから、怪しいですよね、そもそも。だけれど、いつからか大企業になり、首尾一貫性、論理一貫性を求めるようになってしまったと。誤報を出してしまっても、その誤報に気づいた人達も、誤報のラインに沿って論理一貫性を追求するあまり、引っ込みがつかなくなることがよくあるわけですよね。昔のジャーナリズムはもっと適当でしたよ。たとえば、僕は本を最近書いたのですが、本を書くにあたって、戦前の1920年から1945年までの25年にわたる主要10雑誌と日刊の新聞全てに目を通すという作業をやったんですね。その中でわかったことが幾つかあるのですが、昔はかなり適当でしたよね。たとえば、巻頭論文ですっぱ抜きだ、海外の要人のコメントを一挙掲載みたいなので20ページ使っている号があるんですね。こんなのがあったのかと思って見ていくと、次の月に、適当に誰かがでっち上げたデマでしたみたいな、現在考えたら、その雑誌一気に廃刊ですよね。だけど、のうのうと現在もその雑誌は続いている、有名な雑誌なのですが、残っていると。事ほどさように昔の新聞とか、雑誌は結構誤報もあった。あるいは連載ずっとやってきたのを突然連載中止、あるいはこれまでは200字ぐらいのコラムだったのが、急に800字の大コラムに変化するとか、伸び縮みは結構自由にやっていたんですよ。その自由さが消費者にもうまく伝わって、一緒に何かつくっている感覚を生んでいたと思うんですよ。ところが、現在そんなことを絶対やらないではないですか。800字のコラムは先月800字だったら、今月も800字ですよ。その窮屈さはまず先ほど言ったような論理一貫性とか、首尾一貫性というのはあまり持ち過ぎてはいけないというのは、ずっといろいろなところで言っていることですが、そういう意味で言うと、先ほどの政治家との付きあいというのもちょうど良いバランスというのは皆わからなくなってきているというのが僕の感触ですね」
反町キャスター
「メディアリテラシーが現在の日本にはないですよね?」
大宅氏
「ないですよね。全体を俯瞰したうえで、偏らないで全体を見たうえで、自分で考えて、自分の意見を突き詰めるということを言われ続けた」
反町キャスター
「それはすごく大変で、何紙も読み比べるなんて家は普通ないですし」
大宅氏
「家にはきていましたから、週刊誌、雑誌が束になってくるわけですから、全部読み飛ばしていましたから、読むのも速くなるし」
反町キャスター
「そういうものを現在の人達に求めるというのは」
大宅氏
「それは無理ですね」
反町キャスター
「現在の人達はどういう姿勢でメディアに臨んだらいいのか?」
大宅氏
「少なくともこれはこの新聞の意見だなと思って一歩離れて読むと。埋没しないよう、もしかしたら違う見方もあるかもしれないぞと。いつもチェックするという気持ちを持って見ていたら変なところを見つけられると思うんです。ほら、ここ論理があわないのではないかと」
大澤氏
「大宅のキーワードに層というのがありまして、どの面から見るのかという話で、多面的に物事を見ることを一貫して、戦前からそうだったと思うのですが、追求していたと思うんです。彼の書くものにはいろいろ残っていて、彼自身も画一化に対抗するということがあったと思うですが、いろいろなところに顔を出すのもそう、モノを見るにしてもいろんな角度から見るということが大事ですよと言うことを一貫して訴え続けた人でありましたね。だから、テレビを観る方々も新聞とネットとテレビといろんなメディアを横断的に見ていく、かつ他の文章とかを突きあわせることで、全部見ろとは言いませんが、2つ、3つ、複数を比較することは絶対どこかに担保しなければいけないと」
大宅氏
「1つだけを信じ込むということはしない」

大宅映子 大宅壮一文庫理事長の提言:『偏らず、タテヨコナナメから物を見て 自分の意見を構築する』
大宅氏
「人の意見とか、メディアの意見というのを信じ込まないで、俯瞰して、全体を見る。偏らないで。縦横斜めからモノを見て、考えて自分の意見を構築する」

植田康夫 読書人代表取締役の提言:『精神的異種交配で人間は成長する』
植田氏
「とにかく同じような人間は集めないで、違った人間を集めて、それでこう切磋琢磨をやった方が成長になるということですね。大宅さんが非常にすごかったのが、マスコミの発言は非常に派手な伝わり方しているけれども、地味なところであの人は努力しているんですね。たとえば、石川三四郎というアナキストがいますけれども、この人に毎月果物を届けて、慰めていた。果物をお弟子さんに届けるんですけれども、その果物の下に千円札を必ず入れて届けていたそうです。石川さんが亡くなった時に枕元から名刺が出てきて、そこには、大宅君ありがとうという言葉が書いてあったそうです。それから、石川さんの娘さんに対しても非常に心配されて、何か困っていることがあったなら私に言ってくださいよということをおっしゃっていたそうです。そういうことはマスコミに伝わっていないです。だから、マスコミに伝わってないようなことをちゃんとやってらっしゃったという、その優しさというものを見ていかなければいけないと最近思います、大宅さんに関しては。それで精神的な異種交配、これも雑草教育の原型ですけれども、異なった同士が集まって切磋琢磨するというか、この大切さを認識してほしい。そういう感じがします」

大澤聡 近畿大学文芸学部専任講師の提言:『ヒントは自分たちの履歴のなかに!! 掘れ!!』
大澤氏
「歴史を調べる時、大宅みたいに記録してくれている人がいることによっていろいろわかることがあったんですね。未来を予見する時に、何も道具がないわけですよ。過去に遡るしかないですよね。過去に遡って見ると先ほど言ったような同じパターンが何度も繰り返されているのではないかという話もそうですし、ヒントがいっぱいあるんですよ。そうした時に、先ほどのキーワードの1つにアーカイブという問題があると思うのですが、アーカイブしてくれている人が何人かいます。その人にアクセスすることによってもう1回、未来に対して準備をしておくことは大事。未来をつくるためには過去に1回ちゃんと遡る。履歴を大事にするということは大宅から学んだことであります」