プライムニュース 毎週月曜~金曜よる8:00~9:55(生放送)

テキストアーカイブ

2015年4月21日(火)
過激派“イスラム国” 米を敵視の根本と宗教

ゲスト

井上順孝
國學院大學神道文化学部教授
臼杵陽
日本女子大学文学部教授

なぜ“宗教”対立は続くのか キリスト教を知る
秋元キャスター
「世界人口72億人のうちのおよそ30%を占めますのが、キリスト教です。およそ20%を占めるのがイスラム教。およそ14%を占めるのがヒンズー教。7%弱が仏教です。今夜、その中でもまず人口が多いキリスト教について見ていきたいと思うのですが、キリストの教の主な教派と信者数を見てみますと、カトリックがおよそ12億人。そして、プロテスタントがおよそ4億4000万人、正教会がおよそ2億8000万人となっています。まず、井上さん、カトリック、プロテスタント、正教会。それぞれどういう特徴があるのでしょうか?」
井上教授
「カトリックはローマ教皇という、法王とも言いますけれども、ローマ教皇を頂点にする世界で、いわば1つの宗教ですね。ですから、カトリック信者といえば、だいたい何を守るというのがわかります。それから、どういう儀礼をするというのもバチカンの方から、こういうふうにしろといえば、世界中で皆そうします。正教会のわかりやすい方から言いますけれど、正教会はオーソドックスと言いますが、ほぼ国ごとにまとまってということです。ロシア正教会ですとか、ギリシャ正教会とか、ウクライナ正教会というふうに。だいたいその国が自治的に動くということですから、これを議論する時はどこの国の正教会かということで見ると。1番、厄介なのはプロテスタントです。プロテスタントがいくつあるかというのは正直、私もわかりません。たぶん少なく見積もっても数百。人によっては数千という人もいます。いろんな派に分かれまして、どこで切るかによって、その1つの派の単位ですね。なので、これは内実といえば、教派ごとに相当違いがあると、そこだけは認識していただきたいと思うんですね。これはまずこれからキリスト教の問題を考えた時の基本になると思います。現在の分布をあてはめますと、だいたいヨーロッパの南の方はカトリックが多いと。北に行くとプロテスタントが主流になってくると。東に行くと正教が支配的に、東欧というのはだいたい正教の国が多いです。ラテンアメリカは基本的にカトリックが多いのですが、アメリカはだいたい半分がプロテスタントで、4分の1がカトリックの国です。カナダは拮抗しています。ややカトリックが多いということです。それは事情があって、どこの国の人がそこに移ってきたかということによって…」
反町キャスター
「どこの国の植民地かということですね。それは」
井上教授
「植民地というか、それもありますし、そもそも南米はイエズス会とか、修道会がやってきますから、どこの国の修道会がやってきたかによって違うわけで、アフリカでも一緒です。アフリカの植民地時代に、宗主国はどこであったかということによって、その宗主国の宗教、キリスト教の派が結構、考えてみればわかるんですけれども、布教のうえで有利になりますね。だから、多くなると。そういうことです」
反町キャスター
「南アメリカの宗教的なキリスト教の分布というのは、現在のお話ですと、たとえば、スペインが入ってくるとスペイン。ポルトガルが入ってくるとポルトガル?」
井上教授
「スペインとポルトガルからですね」
反町キャスター
「その違いによって大きく変わってくる?そういうことですか?」
井上教授
「はい」
反町キャスター
「現状において、たとえば、南アメリカの宗教、キリスト教というのは、両方カトリックですか?」
井上教授
「カトリックの国がほとんどですね。最近、ちょっと注目されているのはプロテスタントの、特に、ペンテコステ派というのが伸びてきて、国によってはかなりの割合があると出ています。それはペンテコステ派というのは、これはもともとアメリカで起こった派ですけれども、日本人から見ると少し熱狂的に見えるかもしれません。聖なる霊がその人にやってきて、場合によっては、異言といいますけれども、何かわからないことを発するとか」
反町キャスター
「どういう字を書くのですか?」
井上教授
「異なる言葉。グロストラリアというのが専門ですけれども、タング、舌というふうにも言います。何かその国の言葉かどうかわからないようなのを発する。それはその人に聖霊がやってきて、ミサ、お祭りの時に割と元気よくハレルヤと叫んだりとか。日本人のプロテスタントの教会のイメージからすると割とおとなしいところだと思いますけれど、すごく元気がいいというか、そういう派があって。それは本当に聖書の通り信じるとか、そういうことで割と布教を熱心にやるんです。南米のみならず、世界各地に布教しているということで、結局、宗教がどう広がるか。現在、こういう分布になったのはいろんな要因で、当然決まるわけです。人が動くというのが1つですし、そこに定着した時に、いわば風土に合った宗教になって、伝統的に受け継がれるという場合もあります。しかし、宗教史を見ると時々、インドもそうですけど、スイッチしたりしますが、ヒンズー教のところにイスラムが入ってきたりとか。それは支配の力が入る場合と、それから、アフリカがそうですけれども、支配プラス宣教活動、布教活動、伝導活動。そういう言葉がありますけれども、もともとあるものを変えていこうとする。すごくパワーを持った集団がやって来る、人がやって来る。そうすると大きく変わることがあるということ。放っておくとそんなには変わらないですよね」
反町キャスター
「そうすると、たとえば、スペイン、ポルトガルから入ってカトリックがキリスト教のメインストリームであった南米に入っていく時に、先ほど言われた、ペンテコステ、そういうプロテスタントで、非常に活発で、ある意味、話を聞いているだけだと、陶酔型の宗教のような印象を、話を聞いていて思ったんですけれども」
井上教授
「お祭りだけ見ていると、そういう感じがすると思いますけれど、これを言うと、宗教の本質の話みたいなことに入っちゃって。よろしいのですか?」
反町キャスター
「わかりやすく」
井上教授
「習俗とか、儀礼を受け入れている宗教もあるんですね。たぶん日本人の7割は初詣に行くでしょう。社会習慣とか、そういう感じでやっています。多くの人は。だけども、本当に魂があるとか、死後に蘇るのだとか、そういうことを信じたうえで行動している人もいるわけです。それは形式的な何々教を信じたというのとは別に、もっと深くて。そういうものを広げるタイプと、習俗として、親もそうだったし、周りもそうだったから、というのがあったとします。ぶつかった場合には、反発されてダメになる場合もあるし、本当にそうなるというのがあるかもしれないというよりは力を持つこともありますよね。本当に神を信じることによって、あなたは絶対に救われますという言葉がすごく響いて、そちらに行く人もいるわけです。昔も、現在もそういう現象はいくらでも見つけることはできます」
反町キャスター
「それなら、ペンテコステ派の人達というのは皆で祈ったり、踊ったりしている時に、先ほど、聖霊が降りてくるとおっしゃいましたけれど、それを共通ないしは個人でも、皆さん、体験しようとするから熱狂するわけですよね」
井上教授
「体験しようとする」
反町キャスター
「体験しようとするか、しないかは別ですよね?」
井上教授
「いや、そういうことがあると思うことが大前提ではないですか。やったら、そのうちくるからなとか。この牧師の言っていることは本当だと周りに(言って)、信じている。私もそれを受け入れる。一生懸命にお祈りをしている。何か異言が出てきたりすると、これは間違いなく自分にも聖霊がきたというふうに捉えるわけです」
反町キャスター
「それを救いと感じて、さらに熱心に布教活動に入っていく。そういう人も中にはいる?」
井上教授
「はい」
反町キャスター
「南米で広がっている?」
井上教授
「南米だけではない。アジアでも広がっている」
反町キャスター
「それは政治的な勢力にまでいくぐらいに大きくなっているのですか?そこまではなっていないのですか?」
井上教授
「それはどう使うかだと思います、それぞれの国が。実際にアメリカなどは、それはあらゆる宗教勢力と政治と結びつけようとしていますよね。日本ではたぶん、そういうことをやると非常に反発が出たりしやすいですよね。実際にやっていても。だから、その結びつきが深くなるか、軽くなるかの、それぞれの国の、それまでの文化のタイプと言いましょうか、かかわりますから、一概には言えない。それは本当に1 つ、1 つ、事情を調べて、なぜここまではそれが広がったのか。政治とどれぐらい関わっているのかと、調べないとダメだと思います」

イスラム教を知る
秋元キャスター
「中東や東南アジアを中心に世界の人口のおよそ20%を占めるイスラム教ですけれど、大きくはスンニ派とシーア派に分かれていて、その割合はスンニ派が9割で、シーア派が1割ということですけれども、中東におけるスンニ派とシーア派の分布を見てみます。スンニ派が多数を占めるのが、エジプト、シリア、サウジアラビアなどです。シーア派が支配する唯一の国がイラン、イラクも、シーア派が多数を占めています。臼杵さん、スンニ派、シーア派、この違いは何なのでしょうか?」
臼杵教授
「一言で言えば、後継者の選び方、指導者の選び方の違いということでしょうね。スンニ派の場合には基本的には選挙と言いますか、皆から推されてなっていくというシステムを採っているんですね。ところが、シーア派の場合には、これは血統なわけですね。つまり、血でずっと続いているという考え方をとっているということになりまして、シーア派の方が説明すると、シーアというのはもともとが統派という意味で、正確に言うとシーアアリーテ、アリーの統派ということになるわけですね。アリーと言うのは第4代のカリフ、これまでの後継者ですね。4代目のカリフの、アリーの後を継ぐ人達だというのがシーア派ということになっているわけです。ですから、彼らはアリーのあとの指導者のことをイマームと言うんですけれど、そのイマームというのが何代まで正統かということで変わってくるんです。それがイランの場合は12イマーム派と言って、12番目のイマームというのが正統と考えていて、そのあとは御隠れになってしまう。つまり、いなくなってしまうんです、この世から。イマームが消えてしまうわけです。それでこのあとキリスト教によく似てくるんですけれど、今度はマハディ、いわゆる救世主、救い主として、再び現れるというのがシーア派の考え方」
反町キャスター
「一方のスンニ派は選挙で選ばれると」
臼杵教授
「制度的に、要するに、皆さんの合意で選ばれていくということになるんですね。ですから、たとえば、今回“イスラム国”みたいに、私はカリフであると…」
反町キャスター
「そこです。僕が聞きたかったのは。バグダディ氏が自分のことカリフと言っているでしょう。あれはどうなのですか」
臼杵教授
「基本的には認められないということになりますね。あれ自称ですから」
反町キャスター
「でも、“イスラム国”の中で選挙で選ばれて…」
臼杵教授
「しかし、他の“イスラム国”が認めないとダメだということになりますからね、基本的には多くの人が認めてくれないということになるので、これは多数決です。だから、それが“イスラム国”の原理、イスラム民主主義的原理で認められるものであって、1番多数を得た人が1番、そういうふうに後継者として認められていくということになりますので、少なくとも、“イスラム国”のバグダディさんは、カリフとしては、少なくとも自称であって、認められてはいないということになるわけです」
反町キャスター
「スンニ派における継承者というのは1人しかいないのですか?」
臼杵教授
「基本的には、1924年にトルコ革命で、トルコでカリフがいなくなってから、不在のままのわけですね。そうかと言って、それではその前のオスマントルコ、オスマン帝国ですね。このカリフが本当にずっと続いているかというと、実はあれも捏造だという話ですよね。ですから、フィクションとして、ずっとこれまで機能してきたということがありますね」
反町キャスター
「現在のスンニ派のカリフというのはいないのですか?」
臼杵教授
「いないです。1924年以来、不在ということになっているわけです」
反町キャスター
「それでもスンニ派というのは成立しているのですか?」
臼杵教授
「そうです」
反町キャスター
「教祖様がいないのにスンニ派は続いている?」
臼杵教授
「もともとスンニ派というのは、法の解釈によって成立していく。ですから、私はこういうふうにイスラムの宗教法を解釈しますよというところでみんな集まってくるというシステムになっていますから、教会という組織を持っていないですね。それがキリスト教との大きな違いということになって、それぞれ宗教指導者、法学者ですね、法学者の解釈によって集まってくるという形になってくるから、いわゆる法解釈の多数決というのがスンニ派の考え方ということになるわけです」
秋元キャスター
「イスラム教にとって、コーランというものがありますけれども、これはどういう存在なのですか?」
臼杵教授
「コーランというのは、絶対に解釈を変えてはいけないというか、文字通り信じなければならないというもので、あともう1つ、予言者ムハンマドが生前で言ったり、行ったりしたこと。これをスンナと言うんですけれども、スンニ派のスンニですけれども、スンナと言うんですけれども、これを文字にしてまとめたのがハディースという、予言者の言行録というのがあるんです。この2つが絶対の前提条件になるという、これに関しては一切、一字一句変えてはならないという立場なわけですね。ですから、これについては、触ってはいけないということなので、全てこれに基づいて解釈をしていく。これが法解釈の出発点ということになるわけですね」
反町キャスター
「コーランは生活の指導書みたいなものなのですか?」
臼杵教授
「そうですね。唯一の予言者がその時々に言ったことをまとめたものですから、あとになってから。ですから、極めて生活指針から、神についても書いてある。いろんなことが、全てのことが書かれているということになるわけですから、その文脈で言えば、いわゆる政治とか、あるいは信仰というのは切り離せない形で、1つのものとして、体現をされているということになりますね」
反町キャスター
「変えてはいけないということですけれど、たとえば、憲法をイメージした時に、憲法がこうなっています、現在解釈によっていろいろな議論に分かれますよね。そういう問題というのは起きないのですか?」
臼杵教授
「実際、それがきちんとイスラム法の解釈として、制度として、きちんと整備をされているんです。ですから、その解釈というのをやって、なおかつイスラム法学者の間で議論をし、そこで多数派を得たものが、その問題の解釈の1番正しいものということになっていくということで、そういう形で、イスラム法学者の間で議論をしながら、1つの解釈を積み重ねていった結果、4大法学派という4つの法学派が出てくるんですね」
反町キャスター
「具体的に教えてもらった方がいいかもしれませんが、たとえば、1つのコーランにこういう文章があって、それが解釈によっては、こうとも、こうとも解釈が分かれるというのは、具体的にわかりやすい例がありますか?」
臼杵教授
「たとえば、ベールの問題です。それは人間にとって恥ずかしい部分は出していけないというので、具体的にどこかというのは書かれていないわけですね」
秋元キャスター
「女性が被るものですか?」
臼杵教授
「そうです。ですから、それぞれの判断に任せるということになるわけですね」
反町キャスター
「それはまちまちなのですか?」
臼杵教授
「そうですね。ですから、イスラム教徒を名乗っていながら、着けていない人もいますし、着けている人もいる。全体を隠している人もいると。それはぞれぞれの解釈の問題になってくるのだろうと思いますね」
反町キャスター
「コーランの解釈は、その土地の解釈に従わなければいけないものなのですか?私はそうではないのだから、そこに行っても私の住んでいるコミュニティでは被らないものだから、イランに行っても被らないというのは許されないなのですか?」
臼杵教授
「その場合には、女性の方はそうなっちゃうわけですね。つまり、それぞれの主権国家の中で生きているということで…」
反町キャスター
「そこで国家の枠が働くのですか?」
臼杵教授
「働くんです」
反町キャスター
「それはおかしいですよ」
臼杵教授
「おかしいと言いながらも、実際、政治的な運営もやらなければいけないので、1番重要なことは何かと言ったら、時間の決定ですね。たとえば、これは礼拝をしなければいけないんだとか、ラマダン月、つまり、断食月はいつかと。そういうのを決める。そのような具体的な仕事があるわけです。それから、具体的な問題が出てきた時にそれぞれが決めていく時、国家の枠の中でやるというのが現在、1番主流になってきているわけですね」
反町キャスター
「地域に住む人達はそれでいいんですけれども、外から入ってくる人達というのは、その強制力を持つわけですね。それに関しては」
臼杵教授
「基本的には、異教徒であれば、問題ないですね」
反町キャスター
「同じスンニ派で、解釈が違う4つの学派によって被る、被らないの話に戻すと、被らないところの人が被るところにいて、被らなかった時には、同じスンニ派でもペナルティの対象になるのですか?」
臼杵教授
「宗教警察みたいな、そうやって取り締まりの対象になるわけですね。イランもそうです。それは国ごとによって違って、寛容なところもあれば、そうでないところもあると。いろんなバリエーションがあるということですよね」
反町キャスター
「それは釈然としないんですけれども、そういうものなのですか?たとえば、秋元さんが行っても、被っていないからといって宗教警察に逮捕されませんよね。異教徒ということで」
臼杵教授
「着けろと、強制的にさせられる、その場合には。要するに、サウジアラビアの場合は。ただ、たとえば、一般の女性がモスクとか、要するに、神聖な場所に入る時には着けろと言われますね。普通の時には問題ないです。それは国によって全然違っているということでありますね」
反町キャスター
「ただ、同じスンニ派の場合には、着けていないと怒られてしまうわけですか?」
臼杵教授
「あまり奨められたことではないということになりますね」
反町キャスター
「厳しいスンニ派と緩いスンニ派があるとした場合に、緩いスンニ派の人達を厳しいスンニ派の人達はどう見るのですか?堕落しているという話になるのですか?」
臼杵教授
「そうです。だから、そこで争いが起きてしまう。つまり、これはイスラム法解釈の中での論争が始まるわけです」
反町キャスター
「僕らの番組でやる、スンニ派とシーア派との戦いではなく、スンニ派の中においても、その緩さときつさによって、それぞれの間に言い分があって、対立している。こういう理解でよろしいですか?」
臼杵教授
「そうですね。だけど、1番、ここでイスラムと言ったら、すぐに思い出されるんですけれども、スーフィーという、スーフィズム。これはイスラム神秘主義と言われるのですが、これがよく聖者信仰をやっているんですね。聖者というのは、神の英知を体現する人ということで、聖者を、要するに、亡くなったら廟を造るんですね。お墓ですね。聖者廟というのをサウジアラビアは一切認めていないわけです。ですから、破壊したわけです。それはなぜかというと、偶像崇拝にあたると。ところが、一般の人達というのは、それを信仰しているわけですね。だから、そういうズレが出てきてしまうということです。ですから、そういう問題も出てきますので、人それぞれということになっちゃうんですね」

オスマン帝国滅亡と欧州文化
秋元キャスター
「ヨーロッパ列強による中東オスマン帝国領の支配、これはイスラム教にどのような影響を与えたのでしょうか?」
臼杵教授
「オスマン帝国をめぐり、ヨーロッパ列強がどんどん侵略してくる問題は、東方問題ですよね。東方問題はちょうど列強が清朝の中国を支配するのと同じようなパターンで入ってくるわけですね。それでだいたいそれぞれのヨーロッパ列強というのは、先ほどのキリスト教の話で言うと、ロシアがオスマン帝国内のギリシャ正教徒を保護するという名目で入ってきますし、フランスがカトリックを保護するという名目で入ってくる。イギリスは英国教会なのでプロテスタントではないので、たとえば、パレスチナだけとると、ユダヤ教徒を攻撃するというような形で入ってきて、要するに、オスマン帝国内部がバラバラになっていく。それが内戦のような状態になっていくというのが、かつて1990年代、旧ユーゴスラビアの紛争がありますね。ああいう状態が19世紀末ぐらいから起こっていて、どんどんとヨーロッパの方の、つまり、バルカン地域の民族が独立してオスマン帝国から離れていくということが進んで行ったことになるわけですね」
反町キャスター
「独立していく中で当然、西側からの自由主義、民主主義が入ることについてはあまり抵抗がなかったのかどうか、ここはどうですか?」
臼杵教授
「近代に入ってから、ヨーロッパから進んだ技術が入ってくると。それをイスラム法がどう解釈していくかという問題が出てくるわけです。それがイスラムの中で改革運動という形で、イスラム法の解釈を緩めていこうという動きが出てくるわけです。専門用語で言うと、イジュティハードというイスラム法を解釈する努力のことは、ジハードと同じ言葉です。イジュティハードの門が開けられたという言い方をするのですが、要するに、イスラムの解釈がどんどんと自由になっていくわけです。そうなってくると、これはパンドラの箱を開けたことになるわけです。つまり、何でもイスラムの名のもとにおいて正当化されちゃう。そこから出てくるのが、現在のイスラムの格好つけテロリズムという問題が出てくる」
反町キャスター
「何でオスマントルコの話がジハードにつながるのですか?」
臼杵教授
「実は19世紀末に全部遡っていくわけですね。現在の人達の考え方というのは」
反町キャスター
「現在のジハード、いわゆるイスラム過激派と呼ばれる人達の理屈的な、理念的な根拠というのは1880年とか、そのぐらいの時代なのですか?」
臼杵教授
「そうです。要するにアフガーニという人がいまして、この人が登場してからいろんなことが起こりだした。つまり、ヨーロッパから現在、侵略されていると。それに対応できる形でイスラムが自らを変えていかない限りは変わらないということを言い出すわけですね。だから、イスラム法の解釈を変えていくということになるわけです」
反町キャスター
「もともとイスラム教には殺人とか、異教徒を殺害するとかを是とするものがあったのですか?」
臼杵教授
「ジハードは、大ジハードと言って、自分の邪悪な心との戦いを優先するわけです。もう1つは、小ジハードと言って、これはイスラムの共同体が外側からやられて、これを守らなければいけない、防衛ジハードという。防衛ジハードは義務なわけですね。ですから、異教徒にやられた時には戦わなければいけないと。現在で言えば、たとえば、パレスチナの問題、チェチェンの問題、中国の新疆ウイグルで、もう1つ問題が出てくるのは、戦争ジハードというのがある。小ジハードの中の戦争ジハード。これは異教徒との戦いということになる。ところが、これを出せる権限を持っているのはカリフしかいないです」
反町キャスター
「カリフはいないという話ではないですか?」
臼杵教授
「それは本来、できない、戦争ジハードは。それを解釈によって何とかしようというのが現在のテロリスト達になりますね」
反町キャスター
「誰の指示で戦っているのですか?」
臼杵教授
「イスラム法学者を自前でつくって、彼らに解釈させて、お墨付きをもらって、我々がやっていることは、これは防衛ジハードであると言いくるめながらやっている」
反町キャスター
「ISILも自前のイスラム法学者を持っていて、彼らの許可を得て、多数決を持って、捕虜を殺害したりしているのですか?」
臼杵教授
「そうです。バクダディという人が法学者ですから、彼がやっているわけですね。ただ、“イスラム国”の中では揉めているというようなことがありますから必ずしも1枚岩ではないですけれど、いずれにせよ、ああいうことはイスラム法的には正当化しないとやれないということになるわけですね」
井上教授
「原理、原則をこうだ、教えはこうだと言ったところで、たとえば、汝の敵を愛せよという言葉があったとしても、何をするのがというのは全然違うでしょう。具体的な場に則して解釈するわけですし、時代が違って、その人の考えが違って、環境が違えば、それを行う内容は当然、違うわけです。それを宗教皆、同じような原理で根本は一緒のはずだから、いつも同じように動くはずだという、それは思い込みであって、実際は違うわけですよ。むしろそう考えることは、こういう宗教の理解の第一歩になると思うんですね」
臼杵教授
「たとえば、空気を読むということがありますよね。空気というのは、まさに、言葉に書かれていない規範ですよね。ところが、一神教というのはそれが言葉に書かれている。日本人であれば、空気を読まない人は排斥されていく。書かれていない掟を破ったから排斥されることになるわけで、ちょうどそういう構造になっています。宗教と呼ぶか、呼ばないかは別として。ですから、イスラム教徒の社会に入れば、イスラム法という名のもとにおける規範を守らなければ排斥されます」

宗教と経済活動の関係
反町キャスター
「何でユダヤ人というのは迫害されたのかという、そこからの話を」
臼杵教授
「もともとイエスというのはユダヤ教徒です。そのユダヤ教徒のコミュニティの中で、改革運動を始めたわけですね。要するに、当時既得権益を持っていたユダヤ教徒の指導者達というのが、イエスの活動を快く思わなかったと」
反町キャスター
「現在の話の様に聞こえてくる…どうぞ」
臼杵教授
「それで、彼らにとってはイエスの活動というのが、この当時はとりわけ神殿を中心としながら、いわば神殿に来る人達からお金を巻き上げていたわけで、それをどんどんと蓄財していたわけですね。そういうのはおかしいと言って、とにかくユダヤ教徒の場合には、ユダヤ人だけが救われるという考え方はおかしいのではないかとイエスが言い出したわけです。つまり、彼は、イエスという人は、ユダヤ教徒の1人として、1人の宗教指導者、ラビとして中で変えようとしながら、いろいろなことを始めたと。それを快く思わないのが既存の宗教指導者達ということで、当時、ローマ帝国の支配下にあったということで、彼らはイエスをローマ帝国に訴えて、彼は自分のことを新しい神だと言っていると。それは非常に怪しからんことであるというので、十字架にかけろと言ったということになっていますよね。福音書の中に書かれているということで、結局イエスはそれで十字架にかけられてしまうということになって、そこで、今度キリスト教教会が、教会として成立する、イエスその人とは違って、教会として成立したあとに、彼が要するに目撃して十字架にかけられて3日後に復活すると、彼こそ神であるというのがキリスト教の考え方ですね。そのあとずっと出てきたのがイエスを殺したのがユダヤ人だと、そこだけが1人歩きし始めていくという形で、それがずっと中世以来、宗教的レベルにおける差別ということにつながっていく」
井上教授
「ユダヤ教の戒律というのは非常にある意味、1番厳しいと思います、宗教の中で。ですから、ユダヤ教とそれ以外の障壁というのはとても高いと思うんです。たとえば、安息日の決まりにしても、その日は仕事をしてはいけないわけですし、食べてはいけないものというのも、イスラムの場合、豚肉が有名ですけれども、それよりはるかに多いわけです。豚肉ももちろんダメですし、親と一緒に料理をしちゃいけないとか、血を食べてはならないとか、鱗がない魚食べるなとか、となってくると、それを忠実に守ろうとすると、日常生活そのものが他の人達と相当違うわけです。価値的な部分というか、見てはっきりわかるのが多いわけですね、服装もそうですし、髭を伸ばしている、いろいろ。そうすると、どうしても障壁が外から見た場合に非常に篭もっているように見える場合もあったと思います。これだけでは説明できませんけれども、1つの要因だと思いますね」
反町キャスター
「ユダヤ人達はどういう仕事に特化していったのか?」
臼杵教授
「中世のヨーロッパには封建領主がいたわけです。それぞれ孤立した形でいて、その間を結ぶ役割というのはキリスト教徒はできなかったわけですね。利子を取る活動は禁止されていますから。ユダヤ教も禁止されているんです。ただし、ユダヤ教の場合は抜け道がつくってあって、異教徒から利子を取るのは構わないと。共同体を結ぶ役割をしていたのがユダヤ教徒だということで、もっとあとの時代になっていくと、ドイツを中心としながら、宮廷ユダヤ人といわれるような人達がいて、王族とつながりながら彼らにお金を貸してやっていた。王族と関係をつくりながら、お金持ちになっていったユダヤ教徒がいるわけです。それの代表的なのはロス・チャイルド家となっている。そういう人達が目立っちゃって、その後も歴史的にも影響を与え続けると。一方、東ヨーロッパの人達は、キリスト教徒の民衆の中で高利貸しをやって、キリスト教徒に嫌われちゃうということで皆から迫害を受けるみたいな構図になっている」
秋元キャスター
「イスラム教から見て資本主義はどういうふうに見えるのですか?」
臼杵教授
「資本主義そのものは否定していませんよね。産業資本よりも、商業資本ですよね、イスラムが発展したもとになっているのは。つまり、モノを動かすという貿易差額主義で儲けたわけですから、基本的に資本主義に関しては否定的ではないわけです。ただ、何が問題かというと、資本主義というのは放っておくと金持ちと貧乏人が出てきてしまう。これは無条件には許さないということになって、公正の概念に反するというのがありますから、そこで押さえようとするということになる。だから、経済的な意味での自由主義は、イスラムは否定的になっていくということになるわけです」

井上順孝 國學院大學神道文化学部教授の提言:『まずは、宗教文化の基礎的素養を』
井上教授
「今日、いろんな話題が出ましたけれども、宗教というのは、本当に多様で、時とともにドンドン変わるんですね。それで宗教学の専門家でも、本当に一部しか、把握できないです。けれども、現在の日本の置かれた状況、いろんな国の人、いろんな文化を持った人と付きあううえでは、これまでのように、日本では宗教があまり関係ないので知らなくていいとか、脇に置いといていいやという態度はちょっと考え直してほしいと。少なくとも基礎的なことを踏まえて、自分と向かいあったことについては深く調べるという態度を是非養っていただきたいと思います」

臼杵陽 日本女子大学文学部教授の提言:『イスラムは法である』
臼杵教授
「井上さんのご提言の応用問題というか、イスラムに関して言えば、イスラムというと、我々すぐに過激だと考えてしまうんですけれども、過激なのもイスラムであると、寛容なのもイスラムである、すごくいろんなイスラムがある。それは全て法の解釈によるんだという、だから、イスラムというのは全て法によって運用されている宗教であると。もちろん、皆、天国に行きたいと思います。最後の審判を受けて天国に行きたいと、宗教的な感じはあるんですけれども、現実の生活の中ではイスラム法によって動いているということなので、法によって全て何でも説明しなければならないということが異文化の理解という観点から必要なのではないか、つまり、日本人の持っている宗教という考え方とはいささか違っているというのが、イスラムだということで、井上さんの言うところの基礎的素養ということになるかもしれません。それは、イスラムは法であるということ。簡単に言えば、そうなっちゃうんだということをなかなか日本の人は理解していないかなという感じがします」