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2015年4月9日(木)
若宮元朝日主筆再登場 櫻井よしこと戦後対論

ゲスト

櫻井よしこ
ジャーナリスト
若宮啓文
元朝日新聞主筆

天皇陛下と靖国参拝
秋元キャスター
「終戦の年の1945年以降、1975年まで昭和天皇が数年おきに、合計8回、靖国神社を参拝されています。今上天皇も皇太子時代には1959年、1966年、1969年と3回参拝されています。そのような中、1978年に靖国神社は、連合国軍によって、いわゆるA級戦犯に指定された人々を合祀します。翌1979年に明らかになったわけですけれど、以来、昭和天皇も今上天皇も靖国神社を参拝していないということです。まず、櫻井さん、いわゆるA級戦犯の合祀と天皇陛下が参拝されていない因果関係をどのように見ていますか?」
櫻井氏
「私は、因果関係はないと思っているんです。その理由は、最後の参拝が1975年の11月ですね。A級戦犯と言われる方々の合祀は、そこには1978年と書いてありますが、実際にそれが明らかにされたのが、1979年の春の例大祭直前でして。ですから、A級戦犯と言われる方々が合祀される以前に行かれて、そこで止まっているわけですけれど、この1975年に何が起きていたかというと、天皇の参拝が、これが憲法に抵触するのではないかというような、そんな問題提起が激しく行われたわけです。そのことが、たとえば、社会、共産の両党は、11月20日、ご参拝の前の日ですけれども、談話を出して、反対だと。それから、総評とか、その他7つの団体が当時の三木首相に抗議書を出しているんです。これによって、これまでほとんど問題というか、まったく問題なかったことが明確な政治問題にされてしまったということで、それが行かれなくなった1番の大きな原因だと思います。常陸宮殿下御夫妻はA級戦犯の合祀が明らかにされた1979年、(昭和)54年も含めて何回も行っておられるんです。御夫妻で。この常陸宮御夫妻のご参拝を、もし本当に昭和天皇がご不快に思っておられたならば、これはお止めになるでしょうし、また、常陸宮殿下御夫妻も御父上ですから、そのお気持ちを忖度して行かないと思います。このようなことがありますから、私は、昭和天皇がA級戦犯合祀、故に行かなくなったと富田メモに書いてありますけれども、私は根拠がないと思っています」

富田メモと昭和天皇の真意
反町キャスター
「いわゆる富田メモの一部ですが、こういう話になっていまして、陛下のお言葉を書きとめたと言われるものですけれども、『私は、或る時に、A級が合祀され、その上、松岡、白取までもが、筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが、松平の子の今の宮司がどう考えたのか、易々と、松平は、平和の強い考があったと思うのに、親の心子知らずと思っている。だから、私はあれ以来、参拝していない。それが私の心だ』と。これは原文のままですけれども、このように陛下が話されたという前提での富田メモというのが出ています」
若宮氏
「その富田メモの富田さんというのはどういう人かというと、宮内庁の長官です。その方が、私的にメモしたものが長く自宅に眠っていたものが、2006年だったと思いますが、日経新聞がスクープして、それで大きく報道されたわけです。これの信憑性については、日経新聞は随分慎重に歴史家に検討してもらい、間違いないということで出したものですから、相当な根拠がある。陛下自身が、昭和天皇自身がA級戦犯の合祀に、非常に不快感をお持ちで、それ以来、参拝していないと明言しているわけですから。先ほど、櫻井さんがいくつかおっしゃった(ことの)反論ですけれども、1つは時期の問題です。A級戦犯の合祀が明らかになったのは1979年ではないか、1975年以来、行っていないと。だから、この合祀が明らかになる前から行っていないではないかと、こうおっしゃるんだけれども、昭和天皇は、毎年行っていたわけではないです。だから、1975年の前は、1969年に行っているんです、6年前に。ですから、5、6年おきに行っていたという、3年ぐらいで行った時もありますけれども。だから、決して毎年ではないので、この1978年、1979年を跨いでやめようと、こう思われたんだと思うんです。それから、三木(首相)さんの時に、政治問題になったのは確かです。ただ、それでも、その時、天皇陛下は行かれているわけです。国会で質問のあったのは10月20日ですか。だけど、翌日、それを押して行かれているわけです。それで、その時は富田さんが宮内庁長官です。それで、陛下の私的な気持ちなのだから、問題ないと答弁されているわけです。だから、仮にそのあともやるおつもりがあったなら、続けることはできたんです」
反町キャスター
「先ほど、櫻井さんが言った社会党、共産党などが政治問題としてとり上げたという、天皇陛下の参拝問題。これは天皇陛下の参拝を止めるまでの政治的な力はなかった?」
若宮氏
「そんなに新聞も大騒ぎして、アレしたわけではないです」
櫻井氏
「宮内庁長官が何だと言うのでしょうか。たとえば、この方は本当に皇室のことをずっと長く勉強をしておられたのか。皇室の専門家ではありません。現在いろんな官僚の方が宮内庁長官になったり、侍従長になったりしておられます。私はそれぞれ立派な方だと思いますけれども、では、本当に昭和天皇のお心をどこまできちんと理解しているか。このような富田さんの断片的なメモです。走り書きです。本当に断片的なメモで、しかも、どのような状況でその話を聞いたのか、状況設定もわかりませんね。失礼ですけれども、これは1988年の記述ですね。8月ぐらいのアレですかね。その翌年に陛下は崩御なさっている。非常にご高齢の時におっしゃったお言葉を客観的検証もしないで、メモ書きにして、走り書きにして、それをもって、これが陛下のお気持ちであるということを言うこと自体が、これは極めて政治的な情報だと思います。たとえば、陛下はこのような昭和天皇独白録というのをお出しになっています。これは、きちんと複数の方々が聞いて、確かめて、このようにおっしゃいましたね。確かめながら検証して、これは出したものですね。(富田メモは)どういう検証をなされたんですか。誤字、脱字がたくさんあります。このような聞き書き、走り書きで書いたもの。しかも、皇室とか、そういったものの専門家ではない方が書いたものは信用できないと思っています」
反町キャスター
「若宮さん、櫻井さんの指摘はいかがですか?」
若宮氏
「大事なことだから申し上げますけど、まず富田さんのメモを誰が検証(したか)、信憑性ですね。これは櫻井さんの信頼なさっている人だと思うんですけれど、秦郁彦さん、歴史家の。従軍慰安婦の問題で朝日新聞を厳しく批判されている歴史家です。それから、半藤一利さん。このおふたりにまず十分吟味してもらい、それから、さらに紙面に出したあとは、秦さんの他に、御厨貴さんとか、保阪正康さんとか、そういう権威のある歴史家に入ってもらって、もう1度検証する委員会に入ってもらっているんですね。その結果、これは宮内庁トップの数少ない記録で、昭和史研究の貴重な資料だと評価して、それで、この富田メモは1番よく、正確かどうかは別として、こういうことをおっしゃったというのは間違いないし、この合祀に対する不快感の表明であるということは間違いないという結論を出しているんです。それが第1点。それから、何も富田メモだけではないんです。同じようなことを証言しているのは。ドンぴしゃの証言は卜部亮吾さんという侍従されていた方、この方の日記にも同じような文言が出てくるんです。靖国神社の御参拝をおとりやめになり、直接的なA級戦犯合祀が御意に召さずという記述があるんです。これはまた日記が出版になっていますけれども。それから、間接的には徳川侍従長であるとか、入江侍従長であるとか、歴代の侍従長が昭和天皇の生の声ではないけれど、自分の言葉として、A級戦犯が合祀された時に、酷いことをしたものだという主旨のことを日記に残しているんです。常陸宮殿下のことなど、天皇陛下も、実は靖国神社に参拝できないということを、すごく激しい言葉ですけれども、悩んだに違いないと思うんです。A級戦犯があるから行けない。しかし、本来、靖国神社が祀るべき兵隊さんの霊はそこにある。そこに本当は行かなければいけないんだ、自分は。という思いがあるんです。だけど、この問題がある以上、行けないと。だから、その勅使を送るとか、常陸宮さんが行くのは目をつぶろうということだったのではないかと思うんです。つまり、それは、昭和天皇は本当に兵隊さんのことは考えていたはずなので、そこに悩みが、むしろ表われていたんだと。全部やめろなんてことを言う方ではなかったということだと思います。つまり、A級戦犯が裁かれたということによって、戦後の日本の形というのができるわけです。言うなれば天皇制もそれによって持続することになった。しかし、戦争責任というのはA級戦犯を中心にして、裁かれた方、処刑された方、処刑にはならなかった方もいますけれども、いずれにしても、処刑されたことによって、しかも、この判決を受け入れたことによってサンフランシスコ講和条約ができて、日本が国際社会に復帰できたという大きなステップですね。A級戦犯というのは、要するに、戦争を指導した人です、命じた人ですよ。本来、靖国に祀られるべき、つまり、命令されて行って命を落とした人が祀られるところに何でA級戦犯が合祀されなければいけないんだ。つまり、個人に対する怒りということではなく、そういうことをした宮司に対する怒りですね。あの宮司だけではなくて、そういうことを決めてしまった人々は何てことをしたんだという思いがだったんだろうと思います」

A級戦犯合祀と靖国問題
秋元キャスター
「戦犯とは何なのかを確認しておきたいと思います。戦犯というのは、連合国側が定めたもので、A級、B級、C級というのは、罪の重さではなく、罪の種類を示しています。いわゆるA級戦犯というのは、平和に対する罪と定義されていて、主に戦争の指導者など侵略戦争などの計画、準備、開始、遂行した人々が対象とされています。B級戦犯とは、通例の戦争犯罪に定義されていて、捕虜への虐待、それから、占領地の一般人を殺害した人々など戦争の法規、または慣例に違反した人が対象とされています。C級戦犯は、人道に対する罪と定義され、たとえば、ナチスによるユダヤ人殺害のような迫害行為をした人々が対象とされているんです」
反町キャスター
「A級戦犯を合祀することの是非、合祀したことへの是非、ないしは分祀することの考え、ここの部分だけまず整理のために聞きたいのですが、若宮さん、いかがですか?」
若宮氏
「B、C級については、戦地でいろんなことをやったことについてまで、そこで裁かれたりして、現実に現地で死刑になったりしている人もいるわけです。だけど、それは戦争をやっているうえでの状況で異常な状況の中でそういうことがあったということで、広義の戦死者として認めることについては、若干、余裕があるんだと思います。ただ、東京にいて戦争に1番責任を持つべき、計画し、準備をした人達が、戦没者と一緒に祀られるということはおかしいだろうと。これは自然の感情ではないでしょうか。私だって親戚の者に戦没者はいます。兵隊さんで亡くなった。ですから、私だって、そういう人に慰霊の気持ちがあるわけで、靖国神社がそういう人達だけが祀られるところなら、素直にお参りをしたい。総理大臣が行く、あるいは天皇陛下にも行ってほしいと思います。だけれど、あまりにもA級戦犯を合祀しただけでなくて、全てあの戦争を美化するようなキャンペーンをされる、そういう神社になっちゃっているから、快く、私は靖国神社に対して素直になれないというのはそういうことなので、それは多くの国民の中にもそういう気持ちの方が多いのではないでしょうか」
反町キャスター
「櫻井さん、A級の分祀、合祀の話はいかがですか?」
櫻井氏
「そもそも論から話さなければいけないところですけれども、誰がA級と決めたのかという話です。これは東京裁判で裁かれて、私達は判決を受け入れましたので、それはそれで受け入れますけれども、そのあとに、昭和27年に我が国は独立を回復しましたね。その時におよそ全ての政党、共産党は除きますけれども、それと、およそ全てのメディア、およそ全ての国民が、あらゆる全ての戦犯の赦免をお願いしようということをしたわけですね。昭和27年4月に独立を回復して、6月から昭和30年まで、我が国は衆議院、参議院、両議院で4回の決議をしているんです。赦免を求める決議。それに全部の政党、ほとんどの政党が入っているわけです。その時に、全国で署名運動が行われました。昭和27年の時の日本の総人口は8580万人です。その当時、子供の数がすごく多かったです。子供がたくさんいて。ですから、20歳以上の大人、署名をする資格のある大人は4564万人です。4564万人のうちの約4000万人が署名したんです。すさまじい数です。病気で署名できない人とか、そういう人を除けば、ほぼ全員が署名したと考えて良いと思うんです。この国民の熱い思いを受けて国会で4回も決議をしたんです。それをもって我が国は連合国にきちんと皆、了解をとったわけです。連合国が裁いたわけですから。東京裁判の判決を破棄して赦免をしてもよろしいかというので。本当は講和条約を結びましたから、全ての罪は、この講和条約によって水に流される。これが講和条約の本来の意味ですが、日本に対する憎しみと言いますか、反発が非常に強かったため、この戦犯だけがそのまま罪を償いなさいと残ったのですが、しかし、これもきちんと連合国の了承を得ればやめてもいいという条項がありました。だから、我が国、政府は連合国にきちんと説明をして、A級戦犯も含めた赦免をしっかりしてよろしいかと。どうぞ、そのようになさってくださいということで、国の内外で、国の中では圧倒的な支持で全ての人々がと言っていいくらいの支持で、赦免をしましょうと。連合国も、どうぞ、そのようにしていいですよと。この時点で、A級とか、B級と言って、戦犯という言葉は使うことは本来やめるべきだと、私は思います」
若宮氏
「ただし、それはA級戦犯、死刑判決を受けた人はもう処刑されちゃっていて、それでなお牢獄につながれていた人達が、講和条約のあとも監獄にいたわけで、そういう状況はもう忍びないではないかということで、全党一致ではないのですが、共産党が反対していますけれど、そういう、いわば嘆願書みたいなものを出したということで、これは多くの日本国民の感情に近かったと思います。ですから、それとA級戦犯を名誉回復したということは、まったく話が違うと、私は思っています」

靖国問題と首相参拝
秋元キャスター
「時の総理大臣が靖国神社を参拝することについてはどのように考えていますか?」
若宮氏
「靖国神社は戦後、普通の神社になったわけですね。戦前は国家が管理運営した国家神道の神社で、それではまずいということで戦後普通の神社になりなさいということで、なっていた。しかし、それではいかんと。1回国家で管理して、財政的にも援助しようということで自民党から国家護持法案という法案が何度も国会に出されてるんですよ。1回は、衆議院で、単独採決で可決したことまであるんです。だけど、それはその都度、戦後の憲法で政治と宗教は一体ではないんだと。だから、そういう国家護持ということはできないと。しかし、戦後30年にあたって、そういう法案が今後出せないなら、せめて本当は公式参拝を天皇陛下であるとか、総理大臣、外国賓客に公式に参拝してもらうような制度をつくろうではないかという法律を、また自民党の中でつくろうとしたんですよ。それも潰れたんですね。それで最後に、少なくとも三木さん、あなたは8月15日に行きなさい。それまでは皆さん春の大祭だとか、秋の大祭には行っていたけれど、8月15日ということになると、大東亜戦争というか、太平洋戦争とか、一連の戦争の結末ということになるので、皆さんちょっと逡巡して、その日は避けていたんですよ。その時から、いかに日本の総理大臣がこの問題で悩み、苦労してきたか、1番問題になったのは、中曽根さんの時なのだけれど、これは敢えて公式参拝をしようということをしたものだから、それで国内でも公式となると本当に憲法の問題が出るということで、国内でも大議論になったし、さらにそこにA級戦犯がいるということで、中国が問題にしてことが大きくなってきたわけです。最近にまで到るわけだけれども、多くの総理大臣がそういう中で、ですから、憲法の問題、A級戦犯の問題、皇室との関係、それから、外国との関係ですね。何も中国に言われたからだけで判断しているわけではないですよ。いろんなことで悩みながらね。しかし、国際的に日本が戦争で敗戦したわけですね。負けたにもかかわらずA級戦犯を処罰された。言うなれば、それだけでほとんど、アメリカはもとより中国にも賠償は払わず、東南アジアには賠償しましたけど、国際社会にあたたかく迎えてもらえたと。そういう中で敢えてA級戦犯を合祀して、あの人達には何の責任もなかったんだと。人によっては、いや、あれはアジア解放のための戦争だったんだというようなことまで言いだす人がいるものだから、それで周りが騒がしくなったというのが、ことの経緯だと思いますね」
櫻井氏
「ことごとく違います、考え方が。基本的に歴史観というもの、それから、この歴史観というのは、憲法をどう解釈をするのかということ、また、政教分離ということもおっしゃいましたけれども、政教分離をどのように捉えるかということ、全て私は、若宮さんのおっしゃったこととは考え方が違うのですが、1つだけ最初に明らかにしたいのは、中国は賠償もとらずに、こんなにしてやっているのに、ということをおっしゃいましたけど、我が国は賠償という言葉は使いませんでしたからね。1978年の鄧小平さんとの合意以来、他国に類例がないほどのODAであるとか、政府援助であるとかを差し上げたわけですね。もしくはほとんど低利でお貸ししたわけです。それによって中国が現在のインフラ整備の基本中の基本をつくったということは、今さら指摘する必要がないほどです。これは事実上の賠償という意味合いがあったということは、ここで確認しておきたいと思いますね。それから、中国が、政府と国民を区分して、政府が悪くて国民は大丈夫だと。国民は悪い戦争をしたわけではない、確かに悪い戦争と言われれば、私達は負けましたから。負けるということはこの世に敗戦国として戦勝国の言うことに対して屈服しなければいけないということですね。ですけれども、戦前戦中の日本国を見ると、(ドイツは)ナチスドイツが悪くて国民も騙されたと明確に分けました。けれども、日本国はそういうことをしませんでしたし、そのような実態もなかったわけです。新聞は新聞で1931年の満州事変の時から、すごく強行でしたよ、いけいけどんどん、そうしなさいと。それに乗って、政府もいったわけで、1931年満州事変の時から大東亜戦争の時まで首相はころころ替わっているんですね。政府がすごく力を持って戦争に引っ張っていったというよりは、私は世論が果たした役割がすごく大きかったと思う。そういう意味で、我が国は政府だけをとり上げて、そこを分けてというアプローチは国民もとらなかったです、できないと思いますね。1979年春の例大祭の前にA級戦犯合祀が発表されて、そのあとに大平さんが参拝しているんです。1979年に2回、A級戦犯が合祀されている靖国神社に参拝されたあと、12月だったと思いますけれど、中国を訪問した。(大平さんは)熱烈大歓迎を受けているんです。大歓迎しただけではなく、鄧小平さんが我が国の首相に対し、軍事費の増額を示唆しているわけですね。この時点で中国は公式参拝を問題にしていなかったと思います。ところが、この6年後に中曽根さんの公式参拝がありましたけれども、これを問題にし始めた。朝日(新聞)もこの問題に火をつけようとした節がありますね。たとえば、1985年8月7日に加藤さんという北京の特派員の方が、『靖国の問題が愛国心の要として再び登場してきた。中国は厳しい視線で凝視している』と書いているんです。でも、その時点では中国は言わなかったわけですが、このように朝日(新聞)が先導するような論調を張ったと。歴史問題というものがある意味カードになるということを中国は思った。いろんな要素が混じって、中国はこの靖国問題を政治問題にした。利用し始めたということだと思います」

靖国問題 国際社会への波紋
反町キャスター
「朝日(新聞)の報道などで中国が靖国問題を政治カードとして使えるぞということに気がついて騒ぎ出したのではないかということについては」
若宮氏
「これはまったく順序が逆で、8月15日に公式参拝するんだけれども、突然したわけではなく、何か月も前から懇談会をつくって、中曽根さんが公式参拝するためにどうしたらいいかということで散々やってきたわけですよ。ですから、そういう報道は、全ての新聞がしていたわけですね。そういう中で中国がちょっとおかしいのではないかと思い始めたわけですよ。それを朝日新聞が伝えたということで、何か火のないところに煙が…、朝日新聞が出したみたいに言われるのは非常に心外です。1つのそうでないという証拠には、中曽根さんも心配して、事前にですよ、中国の反発があるなと。これはわかりますよね。それで側近だった野田毅さん、現在もいらっしゃいますね。野田さんが密かに中国に行くんですよ。当時の孫平化さんという中日友好協会の幹部、この方と会って、中曽根総理が行くのはA級戦犯のために行くのではないのだから勘弁してくれと説明したんだけれど、中国側は、そういう気持ちもあるかもしれないけれど、中国にも民族感情があると。日本の首相が国民を代表してA級戦犯に頭を下げることはA級戦犯の名誉回復につながるから絶対にこれはダメだと言われて、帰ってきたということを野田さんが証言しているんですね。ですから、その頃ですよ、この記事が出ているのは。だから、朝日新聞が火をつけたのではなくて、現実にそういう反発があったということです」
櫻井氏
「ちょっと、いいですか。その点だけに対して野田さんがそういうふうに向こうから孫平化さんのお言葉を聞いてきたと。それはそれで事実だとは思いますよ。しかし、もっと大きな事実を私達は見なければいけないのではないでしょうか。たとえば、先ほどの話とだぶりますけれども、A級戦犯を合祀した、そこに参拝をなさった、大平さんが国賓として迎えられて、しかも、その席で軍事費増ということが言われているわけですね。向こうからの提案で、こちらはすごくびっくりするわけですよ。ですけれども、こちらは全然増やさないわけですけれども、中国は増やしてほしいと思った。何故ならば、それはソビエトという敵がいたからです。では、1985年はどういった年だったかというと、中国にとってソビエトというのは、あまり敵ではなくなっているわけですよ、変な話ではないですけれど。ゴルバチョフが登場してきて、ペレストロイカを言いました。グラスノスチを言いました。ロシアは民主化でガタガタしていて、おまけにアメリカはレーガン大統領ですよ。ソビエトを悪の帝国と言ったわけです。アメリカとソビエトの対立というものが始まってくる時に、地政学で考えれば、アメリカ、ソビエト、中国。この力関係の中で、中国はこれからどこをターゲットにしたらいいのかということで、もうソビエトのことをそれほど怖がらなくてもいいということがあるわけでしょう。そのように考えれば、かつて鄧小平はもし日本が北方領土を取り戻すのだったら中国が応援すると、軍事的に応援するとまで言っているんです。そんなことを日本に言う必要がなくなったのであって、国際情勢というものがガラリと変わったんです。ちょうど現在の国際情勢が変わっているように。ですから、地政学から見ると、靖国神社に対して批判の矛を向け始めたというのは、中国の国益に従ったものでもあり、中国が明確に靖国問題、歴史問題をカードとして使えると判断したことだと思いますね。事実、そのことはそれ以降、中国政府の基本的な対日政策になっているではありませんか。これは銭其?外相の回顧録にも出てきますし、胡錦濤さんの回顧録にも出てくると。江沢民の回顧録にもきちんと書かれていることですね。日本に対して歴史カードを使えると。ですから、そのような文脈で読む方が、私は正しいと思います」
若宮氏
「中国もいろいろと戦略的に考えている。国内情勢もありますよ。だから、政治的な要素があるということは当然ありますよ。だから、中曽根さんもそれを感じてやめたわけです。大平さんの時に1979年以来1985年まであまり言わなかったというのは、中国もちょっと整合性がない部分です。だけど、大平さんは日中国交正常化のための1番の立役者だった。大平さんの時には8月15日に行っていないし、靖国神社に仰々しく行ったわけではないですよ。A級戦犯があるというのは知りながらも、どう思ったかはわかりませんが、参拝した。中国も大平さんならばしょうがないと、たぶん警戒感はなかったということでしょう。1982年頃に歴史教科書問題が起きてきて、日中友好だけではいかんぞと、鄧小平自身が感じるんですね。それが良いか悪いかは別ですよ。事実として1982年頃から日本の歴史正当化の動きが意外に根強いなと感じ始め、これは警戒しなくてはいけないと鄧小平は当時言っているんですね」
反町キャスター
「これまでの経緯を見た時に解決策というのは?」
若宮氏
「だから、中曽根さんも1度、回答を出したわけですよ、行かないという。1度は行ったんだ、中曽根さんは、自分は戦後40年の節目でとにかく公式参拝したと。そのことで英霊に対しての約束は果たしたと」
反町キャスター
「そういう決着が望ましい? 分祀論もありますが」
若宮氏
「もちろん、分祀すれば話ははやい。1番良いのは誰もがいけるような国立の施設をつくる方がいいですよ。だけども、現在の状況でどうしてもA級戦犯を合祀したままだというなら、総理大臣は(靖国参拝を)見送るべきだと。アメリカもそうあってほしいと言っているわけでしょう。それは中国、韓国だけではないわけですよ。もともとA級戦犯を裁いた主体はアメリカですから、本来、愉快ではないですよ。国際状況も考えて、本当ならば誰もが参拝できる、天皇陛下も安らかに行ける、外国の賓客も行ける、もちろん、総理大臣も行けるし、与野党含めて誰もが行けるような国立の施設をつくるのが1番だと」
櫻井氏
「中国が、政治的に歴史カードを未来永劫突きつけると言っているわけですから、そうであるならば、なおさら政治的に首相による靖国参拝はやめてはならないと思いますね。これを分祀して、無宗教の施設をつくったらいいと言うけれども、どの国に宗教なしのどんがらのような、ただのスペースの中で、御霊を慰めることができるのか。私は理解できませんね」

ジャーナリスト 櫻井よしこ氏の提言:『日本を信じて貢献する』
櫻井氏
「日本の文化、文明というのは非常に穏やかな文明だと思いますね。戦後70年の歩みを見ても我が国は本当に努力をもちろん、100点満点だったと言うつもりはありませんけれども、非常に努力をしましたよね。平和を構築しよう、そのために何ができるのかということで、この日本の文化、文明の穏やかさと公平さと、それとあわせて、戦後の私達の努力というものを合わせ鏡にして、私達が私達を信じることによって、世界のよりよいあり方に絶対に貢献できるんだという思いを、私はこれをもとにして談話を発表するなり、これからを歩むなりをするのがいいと思います」

若宮啓文 元朝日新聞主筆の提言:『熟の国』
若宮氏
「成熟の熟でもありますし、熟慮という言葉もあります。日本が戦後70年、本当は今日戦後70年の安倍談話の話をするつもりだったのですが、成熟した国柄を示すということ。それは何も周りの国が強くなったから、それに対抗して強くなるだけが能ではなく、もっとしなやかな成熟さ、成熟したさまを見せるということが大事ではないかと。それを安倍談話にも期待したいですね」