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2015年3月9日(月)
“首相談話”とは何か 村山元首相に聞く真実

ゲスト

村山富市
元内閣総理大臣 社民党名誉党首
東郷和彦
京都産業大学教授 世界問題研究所長

村山元首相に聞く“村山談話”誕生秘話
秋元キャスター
「村山談話について話を聞く前に、その基礎となったのが1994年6月に合意されました自社さ連立政権樹立の際の3党合意です。その中に戦後50年と国際平和という項目が入っています。『新政権は、戦後50年を契機に、過去の戦争を反省し、未来の平和への決意を表明する国会決議の採択などに積極的に取り組む。このため戦後50年問題について協議する機関を国会及び政府に設置する。戦後50年を記念して平和のための国際貢献に役立つ記念行事を行う』などとなっているのですが、村山さん、戦後50年と国際平和というこの項目。この合意がなされなければ総理にならないという、それぐらいの気持ちを持っていたのでしょうか?」
村山元首相
「僕が総理になるということは、通常では考えられないことなの。それは、第一に50議席ぐらいの歴史しか持っていない社会党の委員長ですから。それが、総理になるなんてことはあり得ないことです。だから、こういう内閣が(節目の時期に)くるというのは、これは歴史的必然性があったのではないかと。もしそうだとすれば、この内閣でなければできない何らかの役割が働いていたのではないかと。それは何かと。ちょうど50年の節目だから、50年の節目で、内政問題やら、外交問題等についてけじめをつける。新しい日本の姿というものをつくり出していくということがこの内閣の使命だと。これだけが済んだら、この内閣は終わりだと。短命で良いと。これだけやらせてもらおうというので、腹を決めてやることにしたわけだから。そうでなければ総理なんてやる意味がないです。村山総理が生まれてくるなんてことはあり得ないことですから」
反町キャスター
「過去の戦争を反省する国会決議などをすることに関しては、3党合意をとりまとめる時に、先々は良いかもしれない。自民党から嫌だ嫌だという話はなかったのですか?」
村山元首相
「あったんだと思いますけれど。(会議に)出ていないから」
反町キャスター
「それは(首相になる)条件としても、こちら(戦後50年と国際平和)は譲れなかったと?」
村山元首相
「うん」

国会決議による歴史認識
秋元キャスター
「翌年1995年6月9日にこのような国会決議が採択されました。『本院は戦後50年にあたり、全世界の戦没者及び戦争等による犠牲者に対し、追悼の誠を捧げる。また世界の近代史上における数々の植民地支配や侵略行為に思いをいたし、我が国が過去に行ったこうした行為や他国民、とくに、アジアの諸国民に与えた苦痛を認識し深い反省の念を表明する』となっているんですけれども、村山さん、2か月後に村山談話を出されることになりますが、国会決議のこの文言では不十分だったと感じていたのですか?」
村山元首相
「これは決議の中身が不十分だというだけではなくて、決議のやり方、半数近くが欠席しているとか、それから反対票とか、参議院では全然議題にもならなかったというような扱い方が、だいたいこの決議を無視しているということになるんです。これはいかんということで、設けたわけ」
反町キャスター
「半分欠席した中で決議した経緯というのは、未だにわからない部分もあって、衆議院の議長はあの時、土井(たか子)さんですね。あの日のことというのは、僕も覚えているんですけれども、国会決議はするかしないかわからないまま、夕方になり、今日は決議はしませんという情報もいったん流れ、たくさんの人が地元に向かって帰ったあとに予鈴と本鈴が鳴って急に決議をやるということで本会議を急に召集されたような」
村山元首相
「その時のことはよく覚えていないな」
反町キャスター
「要するに、何を言いたいかというと、僕は自民党の中にいるこの国会決議に対する反対者にうまい欠席の理由を与えたのではないか?」
村山元首相
「それはわからん」
反町キャスター
「それは総理のマターではなくて、官房長官と国対委員長と議長サイドの間で?」
村山元首相
「それは国会の中の話だから」
反町キャスター
「自社さ政権、まだ発足して1年ちょっとぐらいの時にあまり国会決議をテーマに政権がバラバラになっている印象が与えたくないものだから、いろいろ自民党と社会党で知恵を出すプロフェッショナルの方が集まっていたし、こういう形で、本会議でやるかやらないのところで急遽やる形にすれば、嫌なやつは帰っていればいいんだと。そんな雰囲気は?そこまでは総理には?」
村山元首相
「いや、わからん、わからん」
反町キャスター
「その情報は、国対委員長を経験したことのある村山さんとしてそこまでの知恵はなかったとか」
村山元首相
「違うんです。国会の中で、干渉しないからね、総理はね」
反町キャスター
「この国会決議には現在の総理、安倍総理は本会議欠席していたという話があるんですけれど」
村山元首相
「欠席していた。それは、僕はあとで聞いた」
反町キャスター
「これは村山談話以前の、村山さんが内容的に既に内容で納得できないものですらも、安倍さんは欠席をされているわけです。村山談話に対しては、言うまでもなく、さらに、村山さんから言えば、踏み込んだ総理談話を出しているわけだから、この決議に欠席された安倍さんは、当然、村山談話に対しては」
村山元首相
「反対でしょう」
反町キャスター
「気持ち的には納得できない部分もある。安倍さんが、欠席されている理由は、僕はそこを聞いていないんですけれども、知らずに、そのまま帰ってしまったということであれば、それはまた別なのでしょうけれども」
村山元首相
「それは、その後の安倍さんの発言を見ていると、なるほど、欠席するだけのことはあったなと。それがなかったら出るよ。重要な、1番関心が持てるところだから。安倍さんはね」
反町キャスター
「そこは、そういうことになってしまったということで」
村山元首相
「それは、わからん」
反町キャスター
「僕もわからないんです」
村山元首相
「推測だから、わからないですけれども」
反町キャスター
「東郷さん、この国会決議をどのように感じますか?」
東郷教授
「現在、村山元総理がおっしゃったように、本当に、国民の意思、国会を1つにして表すのとはほど遠かったです。ですから、村山談話が出たあとの国際的な反応も、結局、国会決議からくる、いろいろな日本の中にたくさん意見があって、村山談話という、これほどまとまって立派なものがあっても、そういういろんなものの中にある1つとしかとられなかったというのが、当時の感じだったと思います。それは外から見て、だんだんわかってきたんですけれども」

“村山談話”に込められた想い
秋元キャスター
「先ほど、国会決議の話を聞きましたが。そのあと1995年の8月15日、終戦の日に、村山談話が発表されるのですが、その重要と思われる部分を抜粋しました。『我が国は遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大な損害と苦痛を与えました。私は、未来に過ちなからしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて通性な反省の意を表し、心からのおわびの気持ちを表明いたします』と。戦後50年の総括を村山内閣で行いましたけれど、村山さん、この意義ですとか、当初からどういった思いがあったのでしょうか?」
村山元首相
「若い時から、僕は政治活動に入る時に、アジアというのは何たってアジアの一員なんだと、歴史的にも。地政学的にもそうだし。アジアから孤立したら日本の立場はないと。連帯が大事だと。隣の韓国やら中国というのは、長い歴史があるんですから。その意味では、もっとアジアから信頼される国になることが大事だということ、これが1つです。それから、総理になってから、アジアの国を、ずっとまわってきた。韓国、中国を。韓国や中国をまわった時に、韓国は歴史問題、植民地支配に対する、怨念がありますから。その後始末をしてほしいと。それから、中国に行ったら、江沢民が、それこそくどく歴史に対する反省というものを強調するというようなことがあって、まだまだ日本に対する、本当の意味での理解がされていないなら残念だなというようなことを思いましたね。それから、アジアの国をまわってみると逆なので、まったく日本に対して敬意を払うと。日本という国は素晴らしい国だと。あの廃墟の中から、短期間のうちに世界第2位の経済大国になった。日本の国民は素晴らしいと。そのおかげで、我が国の開発が進んでいると。ODAの援助をもらって、いろんな協力をしてもらって進んでいると。これは日本のおかげですと。日本はもっとアジアに腰を据えて、1つ努力をしてほしい。期待をしているということでいっぱいだったと。どこの国に行っても異口同音に。それは占領した期間が短かったというのもあるし、それから、日本はすぐに負けて引き揚げているわけですから。そういうこともあるだろうと思います。思うんだけれども、そうは言いながらも、腹の底の方では、日本は戦争に対する後始末をしていないと、反省もしていないと。経済大国になった国が、またぞろ軍事大国になるのではないかと。過ちを繰り返すのではないかと。こういう懸念を持っているんです。これは言葉では言わないけれど、感じます。それは、1つは安保条約が、アメリカが日本の蓋になっている。ビンの蓋ではないけれど、なっている。だから、その限りにおいては心配ないと言って安心している。その意味で、安保条約の功罪もあるわけです。これは中国の毛沢東と周恩来がキッシンジャーに会った時に、キッシンジャーがその話をしたんだと。それで中国が安保条約はいいじゃないかと言って、評価された時もあるわけだ、安保条約が。そういうようなことを果たした時代があったと思う。だけど、そういう国々をまわってみて、皆さんが持っている不信感というものを何らかの形で符丁する必要がある。そのためには、過去の反省に対するけじめというものをきちんとつける必要がある。だから、歴史的にあった事実というのは、これは否定できない事実だから、率直に認めて、悪かったと謝ると。そこで、一応のけじめつけると。それが日本の戦後における出発だと。こういう気持ちが強くあったから、国会決議をしてもらったけれども、国会決議はああいう話で終わってしまったと。これは、かえって出さない方がいいぐらいだと言うので、内閣としての談話を出す必要があったと思った」
反町キャスター
「安倍総理の談話ですと、第1回の会合があったんですけれど、有識者会議というのを開いて、有識者の皆さん16人を集め、座長が西室(泰三)さん。座長代理が北岡さんみたいな感じで決まって、皆さんでお話をしてくださいと。その内容を、総理が70年談話をまとめる参考、材料、頭の考える材料にするという位置づけだと思うのですが、村山談話をまとめる時にはそういう有識者会議みたいなものはつくったのですか?」
村山元首相
「つくっていない。それは僕が総理になってから記者会見をしたり、国会で演説をしたり、そういう機会が増えてきているから。そういうことが若干増え、まとまったものじゃないけれども、それできているから。野坂官房長官が非常に関心が強くて、そういうことも考えていたからね。だから、2人で相談をしてみて、これは何らかの談話を出す必要があるのではないかというので、当時、外政審議室長の谷野さん。加えて官房副長官の石原さんに加わってもらって、そこで相談して、何とか談話を出そうという話になったわけ。それで外政審議室長の谷野さんが中心になって、学者にも何人か加わってもらっている。だけれども、公式的に、今度のように集まるとか、そんなことはしていない」
反町キャスター
「それはなぜ?必要がなかったから?」
村山元首相
「それは必要がなかったから。そういうことをする必要がない。内閣の方針がきちんと決まっているわけだから」
反町キャスター
「3党合意が続いていますからね」
村山元首相
「その筋に基づいて、何らかの談話を出すと。はっきりとしたものを」
反町キャスター
「自社さの三党合意の中では、国会決議など、ということになっていて総理談話を出すということにはなっていないわけです」
村山元首相
「だから、国会決議でもっときちんとしたものが出れば、それは出す必要はなかったという話で」

談話作成へどう動いたのか
反町キャスター
「村山談話の中身ですけれども、閣議決定をするということは全閣僚から了解を得なくちゃいけませんよね?」
村山元首相
「それは閣議で了解をとればいいんだよ。個人個人了解をとったりしないよ」
反町キャスター
「それは、たとえば、事前に、主な閣僚という形でいくと、当時の村山談話発表時、これは8.15の発表時のもので、たとえば、8月の8日に改造しているので、まだ1週間しか経っていない8月15日に発表している談話なので、1週間ではあるのですが、発表するにあたっては、閣議決定をするにあたっては、皆さんの了解を得ているはずですよね、村山さんは?」
村山元首相
「僕は直接、了解をとっていますが、河野さんは副総理ですから、河野さんと高村さんには相談している、意見も聞いている。だけど、他の閣僚については、僕は橋本さんに電話しただけだ。あとは野坂官房長官。当時、閣議決定は官房長官が変わっていましたから、五十嵐さんから野坂さんに。野坂さんが、島村さんや、難しそうな平沼さんやら事前に説得に行ったと僕は聞いています。これはもし閣議決定ができなかったら総理は辞めるつもりだということも言った」
反町キャスター
「野坂さん、そういう形で説得していったのですか。飲んでくれなければ村山さんは辞めちゃうよと」
村山元首相
「うん。それは、僕が言った」
反町キャスター
「そう村山さんが言ったんですか?」
村山元首相
「うん、そういう閣議決定ができなければ、もう僕が総理をやっている意味がないと。総理は辞めるからと」
反町キャスター
「たとえば、平沼さんとか、島村さんは、野坂さんにお任せしたと?」
村山元首相
「うん」
反町キャスター
「村山総理自身が説得にいったのは橋本龍太郎さんだったと。なぜ?」
村山元首相
「(日本)遺族会の会長をしていた。そして、次は、橋本さんが総裁になるのではないかという話もあったからね」
反町キャスター
「自民党の」
村山富市元首相
「だから、敬意を払う意味で僕が橋本さんに電話をかけ、了解をとろうという電話をしたんです」
反町キャスター
「と言うことは、橋本さん、つまり、ここに村山談話がありますけれども、村山談話の内容を事前にお渡しをして」
村山元首相
「事前には、皆さんに。閣僚には配ってあるから」
反町キャスター
「橋本さんとはどういう話だったのですか?」
村山元首相
「あの談話の中身を見てくれたかと。そうしたら、拝見したと。それから、意見を聞きたいと。そうしたら、言うことは何もない、よくできていると。こう言った。そうか、それは良かったと。電話を切りかかった。ちょっと待ってくださいと言われた。何と聞いたら、文書を読むと、中には敗戦と終戦という2つ言葉が使われている。どちらかに絞った方がいいんじゃないですかと言うから、それは良いことに気がついてくれたと。どちらが良いと思うかと聞いたら、いや、それは敗戦の方がいいのではないですかというわけ。それは良いことだ、賛成だと言って(電話を)切ったんだよ」
反町キャスター
「それだけと言っては悪いけれども、遺族会の会長からだったのなら、激しい抵抗が」
村山元首相
「あとで聞いた話だけれども、遺族会の中にも、そういう意見を持っている人が多いと言っていたよ」
反町キャスター
「そうですか。いわゆる痛切な反省とか。国策を誤ったとか。ああいう文言を遺族会としても入れてほしいという声が強かった?」
村山元首相
「いや、入れてほしいというのではなくて、そういう考え方を持っている人が多いというようなことを聞いたよ」
反町キャスター
「平沼さんは?」
村山元首相
「平沼さんなんかは、現在でも反対だろうけれども」
反町キャスター
「そうですね。現在でも反対でしょう、でも閣議では?」
村山元首相
「やむを得なかった。だから、閣議は官房副長官が読みあげたんだよ。案文を」
反町キャスター
「園田さんが?」
村山元首相
「園田さんではないよ、古川さんが読みあげた。それで異議ありませんかと。そうしたら、もう静かなものだった」
反町キャスター
「それっきりですか?」
村山元首相
「うん。それっきり。発言なし。じゃあ、満場一致で決定しますと」
反町キャスター
「それはどう見たらいいのですか?」
村山元首相
「それは賛成だろう。それ以外にはない」

“村山談話”誕生秘話
反町キャスター
「村山さんが言われたみたいに、その頃は全く異論がなかった?」
東郷教授
「いや、ですから、1990年代の前半というのは、冷戦が終わって、国内的には、まさに55年体制が終わって、その中でアジアとの和解がすごく大きなテーマになっていたわけです。いろいろな意見があって、もちろん、それまでの1980年の中で、右の人の意見もあったけれども、このへんで1回集約しようと、これだって、まさに、社会党の村山元総理と、メンバーはほとんどの自民党で、しかも、タカ派が入っている本当に異例な構造ができたわけです。その構造ができたことによって、右と左で本当に苦しんできた1つの流れがここで1つになったということで、ここで1回、落ち着いたと、私も思ったんです。私は、その時、1995年、モスクワの日本大使館の次席公使を務めていまして、それが電報で入ってきて、これが出て、読んで、現在、(村山元)総理の気迫を感じました。これはすごいと思いました。直接謝る勇気を感じたんですよ。すぐ知りあいのロシアの新聞記者に電話して、日本はこういうことをやったと。ちょっと記事を、スペースを新聞にくれと言って、それで、私はロシア国民に新聞を通じて、日本は、こうやって勇気を示したと。次は、ロシアが勇気を示す番だぞと。だから、北方領土を還せということをちょっとオブラートに包んだけれども、書いたんです」
村山元首相
「1998年に金大中(韓国)大統領が日本に来て、当時の小渕総理と首脳会談をやっている。共同宣言を出しているけれども、共同宣言の前段については、(村山)談話の記事をお互いに確認をしあう。これを確認したうえでこれからの日韓関係は新しい時代に入っていくというので、文化活動なんかも、輸入を自由化して、韓流ブームが生まれてきたんだよ。日韓関係は非常に新しい時代でうまくいくということになったわけだ。それから2008年に、胡錦濤国家主席が日本に来て、早稲田大学で講演しているんだけれども、その講演を僕は聞いた。それは1時間近くの講演だけれども、終わりの方で、これまで聞いたことのない良いことを言っているんだよ。胡錦濤氏が。それは何かと言ったら、3つ言っているだけれど、1つ目は、戦後日本が歩いてきた、この平和国家建設の歩みというのは評価に値すると。これは評価をしていいと。こう言っているんだな。それから、もう1つは、日本が経済大国になったおかげで、中国も協力し、援助をもらって、今日の経済発展があったと。これも評価していい。評価すべきだと言っている。それから、3つ目は、これからも日本の進んだ科学技術に学ばなければいかんと。特に、省エネ問題や影響についてはそうだと。これからの中国経済の発展のために学ばなければならないと、こういうことを言っているんだよ。これは良いことを言ってくれたなと思った。いまだかつてそういうことを僕は聞いたことがないから。そんなことは」
反町キャスター
「現在の日中関係においてはそういう言葉が飛び交っていないですよね」
村山元首相
「ないよ。そこまでくれば、その宣言の中では、戦略的互恵関係という、新しい日中関係を結んで、これから日本と中国は新しい時代に入っていくと言って、宣言をしているわけだから、これは良かったと思った。ここまでお互いに心が通じ合ったのなら、これは、今後はうまくいくだろうと思っていたんだよ。そうしたら尖閣の問題が起こって、第2次安倍内閣で、村山談話を見直すというような話になって、これはまたおかしなことになったなと思ったけどね。これはしょうがないね。そういう歴史があるんです。歩みが」

日本の歴史認識どうあるべき “村山談話”への評価は
秋元キャスター
「村山談話にどのような感想を持ちましたか?」
東郷教授
「個人的には非常に勇気がある、これをもって和解が始まるのではないのかと思っている。ところが、良い評価もあったのですが、いまいち世界がそのあとこの談話をちょっと忘れていくようなところがあったんですね。それは先ほどの国会のこと、これに反対だという声が出たりしてね。僕は最初にこれはしまった、マズいと思ったのは、2010年、2005年に私はプリンストン大学で先生をしていまして、そこに韓国の専門家だという、結構有名な女性の研究者が寄って来て日韓外交の外交文書を説明するという仲間内の議論をしたんです。ずっと聞いていても村山談話は出てこない。私は、その人にどうして村山談話のことを言わないのですかと言ったら、ああ、そう言えばそういうのがありましたね…と。これはすごくマズいと思ったんです。なぜかと言うと、村山談話は2005年の時点で、すごく重要な意味を持っていたんですね。それは先ほど元総理がおっしゃいましたけれども、まず外交的に外務省がこの談話があったことによって、それ以降、つまり、1995年から20年間の、いわゆる和解の話というのは、皆この談話をベースにやってきた」

“村山談話”の必要性
東郷教授
「これは1998年の天皇陛下のイギリス訪問、それから先ほどおっしゃられた金大中の訪日ですね。江沢民の訪日ですらそうです。私が直接交渉したんですけれど、天皇陛下のオランダ訪問前の小渕総理とコック首相の和解の話です。それから、小泉総理の北朝鮮訪問。小泉総理のアジア、アフリカ首脳会議における演説。それから、アメリカとの和解。韓国とのさらなる和解、皆です、村山談話の言葉があることによって政府はキチッとモノを言ってきた。だから、生命力を持っていたわけです。もう1つ、私にとってこれは非常に重要な意味を持つ。なぜかと言うと、これは右と左の議論が難しくなっている、東京裁判から発信している。私は東京裁判の多数決判決は絶対に認めない、認められない。あれは事後法による判断で勝者の判決。ところが、絶対に認めないと言っても。次の問題は、日本はサンフランシスコ条約の11条で東京裁判を受諾していますから、その状況の中で日本人として何を考えているのですか、日本人として戦争の問題をどう考えているのですかという問題にくるんですね。東京裁判の判決から村山談話が出るまで約40年。日本人は右と左でいろんな議論をやった、魂の遍歴があった。それが先ほどの奇跡的な村山総理という社会党の総理と自民党の中のそういう状況で、この談話が出てきたんですね。私はいわば右と左を一緒にした国民的なベースに十分なるのではないかと思い、この談話を失ってはいけない、かつ現在言ったように生命力を持って意味を果たしてきたものですので、これをベースに今後しっかりやっていくと」

談話発表前後の変化
反町キャスター
「そうすると、村山談話以前は、外交の1つの指針となるようなものはなかったのですか?」
東郷教授
「歴史認識問題が議論の表に出てきたのは1980年代になってからですね。それまでこの問題は表にあまり出ていなかった。1980年代になっていろんなことがありました。たとえば、中曽根総理が靖国を訪問、それをどうするかとか。それから、国際的な議論で初めて東京裁判についての国際的なシンポジウムが開かれたと。南京事件をどうするか、どんなものかということについてもいろんな議論がありました。おしなべて悪かったことは悪かった。その中でアジアの諸国の気持ちも理解していこうという流れがあって、それが1990年代前半のいろんな謝罪につながっていったのですが、はっきり政府の歴史認識のポジションでこれだというものはなかったです。右と左のいろんな議論が錯綜している中で、右の人ももっと満点がある、左の人ももっと満点があるという中で、行き着いた最高ポジションが私は村山談話だと思うんですね」
村山元首相
「ドイツの場合と日本の場合を比較されるんだけれども、ドイツの場合には連合軍が占領してやってきた。だから、その米ソの対立というものが、直接的には刺激をしないんですよ。ところが、日本の場合には米ソの対立が非常に大きな重石になっていた。中国は国が建設される、朝鮮戦争が起こる、その時には連合軍が日本を占領するわけですから、アメリカが実際にやっているけれども。このままにしていたら、日本はアメリカの言う通りにならない。連合軍が占領しているのだから。これは日本をはやく独立国にする必要があるというので朝鮮戦争の最中にはダレスが走りまわって、日本が主権を回復するわけ。だけれども、それにはもちろんソ連も中国も参加していない、それで日本は独立国になった。それだけに、そういうものが重りになって、あまり戦争の責任とか、歴史問題というのは問われなかったんですよ。だから、ある意味では、棚上げされたまま今日までずっと歩いてきたわけで、1990年ぐらいになって強制労働の問題とか、慰安婦の問題が起こってきて、それでまた歴史問題を振り返る形になった。そういう歴史的な背景があるということが1つ。それから、日本の場合には戦後に近代、現代の歴史を教えていないですよ、学校で。なぜかと言ったら国の方針が決まっていないから。あの戦争が良かったのか、悪かったのかという見解が違うんだからね、決めようがないんですよ、教えようがないんですよ。それでずっときているわけだから。そういう違いがあるんですよ」

“安倍談話”のあり方
反町キャスター
「70年談話をこの夏に出す予定ですが、どういうものが出てくるのか?」
村山元首相
「それはよくわからんけれども、僕が言ったようなことの中身に彼の考え方があるとすれば、それに沿ったような表現に変えたいというようなこと、前段の戦争中の反省というものはできるだけ薄めて、これまで日本は平和国家をつくるために歩いてきた、これからも継続してやりますというようなことを言うんではないですかね」

戦後70年安倍談話 安倍政権の歴史認識は
反町キャスター
「小泉談話では『国策を誤り』がなくなっています。70年談話ではキーワードに対する想いは何かありますか?」
村山元首相
「小泉さんがジャカルタに行って、あの演説をする前に僕はたまたま京都の迎賓館の開所式で一緒になった。小泉さんが総理の横に座っている。その隣に僕が座っていた。そのちょっと始まる前に2人で話したんだけれど、その時に私はこれからジャカルタに行くことになった、演説するんだけれども現在、村山談話の勉強をしていると。それは良いことだねと言って別れたことがある。それで演説を見たら、談話と変わらないことを言っているわけだね。これはいいことだと思った。安倍さんの考え方というのは、これは世界が注目していますよ、この70年の談話というのは。それはなぜかと言ったら、僕が20年前に談話を出して、その談話を皆さんが受け止めて、これで良かったと皆が認めているわけです。しかも、後継内閣は全て継承すると言ってきて、波風立てずにむしろ良かった。。それで治まっていた。それを今度70年談話を出すというので、しかも、全部継承するわけではないと言うから何を考えているのだろうか、どうするつもりだろうかと言ってみれば不審に思うわけですよ、アメリカも含めて。それは良くないので、せっかく歴史的に築いてきて皆がもう納得して治めているものを、またここで呼び戻して。モノを蒸し返していくようなことはすべきではないと思うし、皆不審に思いますよ」

村山富市 元内閣総理大臣の提言:『歴史的事実ははっきりすべきだ』
村山元首相
「謝ることは謝る、そういうふうにやった方が良い」

東郷和彦 京都産業大学教授の提言:『村山談話を引き継ぐ 文化大国としての世界へのビジョン』
東郷教授
「これからの国のビジョンで、本当に深い意味、広い意味での文化大国日本になるということだと思うんですね。それに対して現在、安倍総理がやっていること。特に2020年オリンピックということは決まって、そのあと東京で起きていること。まったく逆の方向にいっていると思いますね。どうしたら文化大国になれるのか。これは日本が先祖から受け継いだ自然、それから、伝統文化。この2つを日本の技術によって活かしていく。これが1番大事なことだと思うんです。豊かになった日本のビジョンです。オリンピックが決まった、嬉しかった、ところが、それで1番必要なことは自然と伝統を活かしたような町づくりを東京でやることによって、東京に風の街道をつくることになりますね、あの暑い夏に。ところが、東京に何でこんなにいっぱい建物が建っているのか。それに1番の悪の象徴は、今度の国立の競技場。あの神宮外苑という、素晴らしい緑を現在どんどん壊して、これまでの倍のような大きさ…。もう1つは、高輪泉岳寺の山門の横に8階建てのマンションをつくる。これは忠臣蔵ですね。その風景を壊す。こういうことが止められないんですね。それで本当の日本のビジョンがつくれるのかというのが、すごく不安です。田園都市構想みたいなものをつくらなければいけないのに、自民党はビルばかりつくっている。どうしてですか?と。もう1つは、現在の中国ですよ。中国はアジア人のアジアだということを言い出した。それに対して日本は何と答えるのか。そこのところを考えないとアメリカと一緒になってやっていればいいということはないです。私達だってアジア人ですから。しかし、アジア人のアジアということに対して日本は何と言うのか。こういうところをちゃんと見据えた未来に向かっての日本の国家像。その国家像が世界にどう貢献するのか。そこまで言わなかったら70年談話は、本当に過去に捕われた談話になるんですよ。それではダメだと思いますね。それではアジアの安倍、世界の安倍になるには不十分。まず国立競技場と、それから、泉岳寺を7月、8月までに止めてくれたら、談話は要らないですよ。これは外国のマスコミも皆見ていますからね、この2つを」