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2015年1月16日(金)
阪神・淡路大震災の教訓 復旧復興の原動力とは

ゲスト

亀井静香
衆議院議員 元運輸大臣
小西庸夫
元兵庫県知事公室次長
中邨章
明治大学名誉教授

阪神・淡路大震災から20年 自衛隊派遣要請はなぜ遅れたのか
遠藤キャスター
「当時、初動対応の遅さに批判が集まりましたが、国と兵庫県の当日の動きをまとめました。地震の発生直後には、気象庁や消防庁など国の機関が情報の収集と送信を行っています。県の対応が始まるのは発生からかなり時間が経っていたという印象があります。まず知事が登庁したのが8時20分。それを待ってようやく8時30分、災害対策本部会議が開催されます。地震発生からおよそ3時間後のことです。さらに1時間30分。午前10時にようやく自衛隊に災害派遣を要請し、その20分後に自衛隊のヘリが県庁に到着したという動きですけれど、県の要請がもう少しはやければ、自衛隊への要請がもう少しはやければ、被災者をより救出できたのではないかという批判もありましたが、小西さん、まず自衛隊の派遣要請の遅れというのは当時どうして起きたのか。どのような状況だったのでしょうか?」
小西氏
「県の職員というのは、神戸市内はスプロール現象ということで、人口が周辺にいっています。だから、神戸市内に住んでいる人は非常に少ない。神戸市内でも北区とか、西区とか、ちょっと離れたところに住んでいる人が多いですよね。明石とか、加古川とか、西宮とか、そういう形で住んでいる人が多いものですから、そういう時に出てくるのが、電車が遅れる、動かなくなるので、通勤ができないという状況になります。知事の宿舎は、県庁から4キロほど離れたところにあるんです。知事ははやく起きて対応していたのですが、自分が動いたら、また余計に、当時、携帯電話というのがなかったのですが、だから、動くにも動けない状況で、ちょうど7時過ぎに都市住宅部の部長が来られて、それで知事を迎えにいかなければいけないということで、知事に連絡をとって初めて迎えに行ったと」
亀井議員
「おっしゃっていることも、それはあるけれど、一番の問題は、これはトップ、知事ですよ。あるいは周り、何も会議を開かなくても、自衛隊に対して派遣要請はできる。知事なり、市長なりがやれば。そうしたらサッと動きます、それは。村山総理は6時過ぎにはもう伊丹に自衛隊を集結させるように指示していたんだ。指示していても、出るようにしていても、県からも、神戸市からも自治体から要請がないから出せないですよ。当時、そういう仕組みになっていたのだから。おっしゃるような、交通機関がどうだったとかも、あるけれども、そんなことよりも、これは大変だから、自衛隊に出動しろと。頼むということを知事が総理のところにでも電話すればいい話でしょう」
小西氏
「ただ、そういうことを言われますけれど、昔は自衛隊に要請をするということは、まずどこで、いつ、どんな事件があって、何人ぐらい派遣が必要だと。そういう形のものがないと要請できないですよ」
亀井議員
「それは知らなかっただけだよ。それだったら、村山さんは命令を出せたんだからさ」
小西氏
「ただ、自衛隊は周辺で宝塚、伊丹が、自衛隊は伊丹に駐屯基地がありましたから、だから、そこへは7時過ぎにはもう行っているんです。だから、近隣については自衛隊が動くことができたんですけれども、大きな形で動くことはできない」
亀井議員
「違う!それは、そういう言い方をしてはダメですよ。それは自衛隊が具体的に動くということは、要請した以降は知事の命令ではない」
反町キャスター
「要請までは知事で、動き出したあとは…」
亀井議員
「それは自衛隊が助けるために、独自に判断をして、どんどんやるだけの話で、そんなことは、あなた、おっしゃったらダメですよ、それは。まず要請しなかったことに問題がある」
中邨教授
「私も関西出身ですが、関西では昔から台風はあるけれど、地震はないという、1つの(ことが)長く信じられたんです。だから、どうも過少に、地震が起こった時もまさかということで、たとえば、貝原俊民知事が要請されたのも、当初は自衛隊員500名の出動で2週間という要請を出されたんですよ。ところが、現実には、2万人が関わっていまして、それで実際に関わられたのが3か月。だから、初めてということもあったし虚を突かれた。最近の言葉を使うと想定外であったということもあって、たとえば、6時2分頃に自衛隊がヘリコプターを出しているのですが…」
反町キャスター
「状況把握のために?」
中邨教授
「そうです。出ているのですが、この時も上から下を見るわけですから、下の状況が見えなかったということも当然ありますが、最初の報告は、確か私の調べたところでは30名ぐらいの被害が出ているという話だった。ただ、最初は過少評価をしていたのではないかなという気がするんですよ」
亀井議員
「過少評価とか、あの時のことから言うと、兵庫県も、神戸市も自衛隊なんかに頼ってはいかんと。災害訓練を毎年やっているでしょう。あれも自衛隊の参加した災害訓練をやらなかったんですよ。やっていなかったんですよ」
反町キャスター
「亀井さんの言われたような政治的な自衛隊に対する距離感、拒否反応というのは?」
小西氏
「それは先生言われたけれど、それはないです」
反町キャスター
「それを政府は感じていて、地元はないという…」
小西氏
「自衛隊は何かセレモニーがあったら、それは幹部が行って、出席されましたし、それから、県庁の庁舎の前には自衛隊の地方本部があって、隊員募集のことも応援体制をとったりしていましたから、自衛隊に対する、そういうのはなかったですね」
亀井議員
「災害の訓練の日に自衛隊に要請して合同でやった例があるか。あなた、説明しなさいよ」
反町キャスター
「費用の件と先ほど言われた、何人で何週間ほしいとか、その具体的な要請内容は、要請した場合の費用負担の問題とかというのはあったのですか?」
中邨教授
「そうです。なぜ知事が500名で2週間と言ったのかは、当時のルール、法律では要請したら費用は全部県が被るということになっていたんですね」
反町キャスター
「自衛隊の費用は県持ちだったのですか?」
中邨教授
「そうですよね」
小西氏
「それはちょっとわからない」
中邨教授
「だから、どうしても過少に抑えないと、2万人も要請をしたら、その分、財政的にもたないというか、それだけの費用負担になりますから」
亀井議員
「村山さんが偉かったのは何でもやってくれた、金に糸目はつけるなと。法律だって、規則は関係ない、事後立法だってかまわないからやってくれと。それでどんどんやれたんですよ」
反町キャスター
「そういうことを、中央政府の総理や亀井さんやら、当時の野中さん、自治大臣らいろいろいた。官邸側の想いというのは、兵庫県の方には金に糸目はつけないで、何でもやるからというのは…」
小西氏
「伝わっていないです」
亀井議員
「伝わるわけがない。先ほどから話を聞いていたら。伝わるたって、あとから、かかったんだからよこせと言えば済む話じゃない、そうでしょう?」
中邨教授
「亀井先生のおっしゃることも一理あると思うんですけれども、ただし、当時は知事にしか出動依頼はできないという規定がありました。それから、私の調べたところでは文書でしか出動依頼できない。だから、電話とか、FAXではできないというルールがあったんですよ。だから、これはその通りですよ」
亀井議員
「それはね、学者、先生が研究室の中でいろいろしている。だって、現実に人が死にかけている、助けるのが先決でしょう。あと助けることについて費用がどうだとか、手続きがどうだとか、あとから考えればいいではないですか」

官邸の危機意識はどうだったのか
遠藤キャスター
「国の災害対策本部会議ですけれども、地震から6時間以上が経過した。正午から行われて、政府調査団が出発するのも午後2時30分でした。発生直後の政府官邸の震災に対する被害状況の認識、危機意識はどうだったのか?」
亀井議員
「いや、国の機関を含めて、消防と警察にしても、消防庁にしても、自衛隊にしてもちゃんと動いているから、それなりの情報というのはどんどん入ってきているわけよ。だから、やきもき自治体が動かないから何しているんだよと言って、村山総理はじめ、カッカきちゃって。我々もそうだけけれども。だからと言って、我々が良かったというのではないですよ、我々もやらなければいけないことがたくさんあったけど、現在になって考えれば良かったということもあるけれども、しかし、我々はスピーディーだったのではないの」
反町キャスター
「ただ、初動という意味でいうと、少なくとも時系列的にいうと会議が開かれたのが12時だった」
亀井議員
「あなたがそういうことを言うから、マスコミが。何時に開かれた?そんなことよりも中身が大事だよ。会議を開いたら良い結果が出る?素人の大臣が集まって雁首揃えてどうしましょうかといって良い結論が出るの?そんなものではないよ」

国の初動体制にどんな問題が
反町キャスター
「総理、知事、市長と見た時に、それぞれのトップの対応というのは、組織とは別にもっと別の人として、リーダーとしての真価が問われている場面でもあったわけですよね」
中邨教授
「たとえば、笹山幸俊(元神戸市長)さんで言いますと、事後に笹山市長に対する批判があったんです」
反町キャスター
「どんな批判があったのですか?」
中邨教授
「横浜市長。当時、高秀市長だったんです。建設省出身の方。本まで出されて、市長たるものはちゃんとテレビに出て、状況を説明して住民を安心させるのが市長の役目だと。ところが、笹山市長はそれよりもいろいろテレビに出る時間があったら、他のいろいろな決定をしなければならないというので、実はほとんど出てこられなかったですよ。それも貝原知事がいろいろやっておられたと。現実には瓦礫の処理という問題があった。この瓦礫の処理を神戸市は当時2兆円だったんです。予算が」
反町キャスター
「年間予算がですね」
中邨教授
「年間予算2兆円だった。ところが、瓦礫の処理に3000億円かかるということがわかったんですね、当時は、国の方も地方交付税か特別地方交付税で、それを手当する話はありませんでしたから」
反町キャスター
「発生直後ですよ。瓦礫の話だったら、数週間経ってからですよ」
中邨教授
「そう。だから、それでも3000(億円)やれと。先ほど亀井先生おっしゃったように、その決断力でやれと言って、やったために復興が促されたというのはあります。だから、リーダーというのは決断力と一貫性。朝令暮改ではダメです」

村山首相の指導力は?
反町キャスター
「村山総理の危機管理対応というのか、あの時のリーダーシップをどう思い出しますか?」
亀井議員
「私は素晴らしいと思う。戦後の総理の中でズバ抜けているんじゃないの」
反町キャスター
「ただ、前線に行って、こうしろ、ああしろ、ピッ、ピッというタイプの総理ではないですよね」
亀井議員
「なくてもね…」
反町キャスター
「村山流のリーダーシップとは何だったのですか?」
亀井議員
「だから、先ほども言ったように、こういう緊急事態の時には、スジ、スジ、スジがそれぞれあるわけですよ。そのスジのない人間があれや、これや言ったって、混乱するだけだから。スジのある人間からきちんと情報をとって、それに対してきちんとした命令を出せば、これはサッサーと結果を生んじゃうの。村山さんはそういうことで、当時の自民党と社会党は水と油みたいだったんですよ。安保反対の社会党と我々と。だけれども皆、村山狂いをしていたんですよ」
反町キャスター
「亀井さんも?」
亀井議員
「私も。というのは、あの震災が起きた時から、その前から総理に対しては、自民党の連中は皆、村山狂いをしていたんですよ」
反町キャスター
「それはどういうことですか?村山さんの人柄?」
亀井議員
「人柄だけではついていかないでしょう。それはいろんな知事にしてもそうだ。函館のハイジャックの時もそうでしょう。私と野中で、これは現地決着、妥協をしないと。官邸に行ってどうですかと。結構です、それでやってくださいと。一切妥協をしないと。だから、総理はその時、もし死者が出れば、自分が責任をとると覚悟をしていたんですよ」

災害復旧・生活支援は
遠藤キャスター
「阪神・淡路大震災が起きた当時は災害対策基本法と災害救助法という2つの法律がありました。災害対策基本法は災害の応急対応の一義的責任。警報の伝達などは市町村で行い、国と県は後方支援をすると定められた一方、災害救助法では、国が災害救助の業務を行うとしており、たとえば、実際の救助の実施、被災者の救出や救援物資の供給などは都道府県に機関委任すると法律で定められていました。2つの法律では、責任、役割分担が市町村が主体、国、都道府県が主体と分かれているというのが1つの特徴ですけれども、中邨さん、当時、被災者支援について制度上の問題というのはあったのでしょうか?」
中邨教授
「1番の問題はまず被災者に対する、基本法では各都道府県、市町村が地域防災計画をつくるということになっていたのですが、この地域防災計画というのは非常に問題がありまして、これは東日本大震災のあとも現在でも問題になっていますが、1つは災害をずっと並べますと、それに市町村の担当部局をあてるという、水害は土木課とか、鳥インフルエンザは農政課とかいうふうに振り分けるということをしていまして、しかも、災害ごとにマニュアルをつくっているんです。だから、どうしても災害対策基本法が出てきた地域防災計画というのはすごく厚いんですよ。ほとんど役に立たないです、正直なことを言うと。だから、もう1つは、災害対策基本法というのはもともとは伊勢湾台風で、それを受けてつくられたものですから、どうしても土木とか、護岸工事とか、そういうことに非常に重きを置いていて、ハードではなくて、ソフト、行政の対策というものについてはあまり力を置いてこなかったというようなことが私は問題かなと思いますね」
反町キャスター
「市のレベルの対応なのか、県ないし県の横断的なものなのかによって、全然対応が違うにもかかわらず、一律のルールで縛ろうとしているように見える」
中邨教授
「日本の地方にかかわる法律は、全部そうです。ワンフォーオールということとして、1つのもので横浜もそうだし、あるいは小さな町もそうです。村もそうですけど、同じような内容を想定していますので、今後はどこかでモデルをいくつかつくって、人口規模によって対応策を考えるとか、そういうことをこれからはちょっと考えないと、これまでのように1つ災害対策基本法をつくって、全部にあてはまるというのはおっしゃられたように非常に無理があると思います。これが、我々が阪神淡路大震災から学ぶべき、1つの大きな教訓だろうなと思います」
反町キャスター
「国、県、その基礎自治体、いわゆる市町村も権限の問題については、当時こういう発言があったと、貝原知事は『責任者の1人として震災対策にあたった私は、その経験の中から分権体制こそが、最終的に危機を克服するものであると確信している』と、その後振り返って話しています。当時、市長だった笹山さんは『防災行政は、住民と密着した行政、第一義的には市町村長に責任があると、今回の震災には、責任に対応した権限の面で必ずしも十分ではなかった』と。このへんの知事や市長の思いはどういうふうに感じますか?」
小西氏
「貝原さんは普段からそういう対応を取っていかなければいけないと。普段からね」
反町キャスター
「震災前から」
小西氏
「震災前からそういう形で。だから、権限は知事に与えてくれと。そういう対応もそういう形でしていきますという形でね。特にこういう災害に対する大きな想定はしていませんでしたけれど、知事にしたら、そういう形でやっていくのはやりやすいと。復興庁の問題が一時途中で出ていたそうですね。国がやるというような形で。ところが、それをやると、住民の意向を汲んで、地域としてはやらないといけないから、そういう段階で、国が出てきてやられると、住民がついていかない。復興復旧が進まないと。それがあるので、知事は地方で、強権でやりますという形で言っていたんです」

大量のがれきどう対応
遠藤キャスター
「阪神・淡路大震災の方が東日本大震災に比べると、瓦礫の撤去などがはやいイメージがあるんですけれども、それというのは何か違いがあったのですか?」
小西氏
「それはまず公費でやってもらえることは、国と折衝して、1つ公費でやるということ。それから、自衛隊等によって搬出してもらうとか、そういう形がうまく進んだということで。ただ、そこまでいくのはなかなか大変だったんです」
反町キャスター
「先ほど、中邨さんが話していたように、笹山市長は市の予算から3000億円。(市の)2兆円の予算で3000億円も瓦礫に充てるというつもりで、覚悟を決めたんだけれども、おそらく公費が出るとわかった時点で展開が変わってきてしまう?」
小西氏
「変わってきますね。ちょっと詳しいことはわかりませんけれど。そういう形で国がある程度、そういう了解をしてくれないとできないということが1番大きな問題ですね。激特法(激甚災害特別法)の適応について、地方公共団体として認めるのかどうかというのがあって、それについても折衝をして、災害対策基本法が適応になるような形で話ができたということが大きなものだと思いますね」
反町キャスター
「中邨さん、阪神・淡路大震災の時は公費が入った。東日本の時には、瓦礫の除去を国が直接やるような形に代わっているような気がするんですけれども、そのスピードの違い、どう見ていますか?」
中邨教授
「それは距離、被災地が東西200の南北400キロあるんですよ。そうすると、阪神・淡路大震災は神戸を中心にして、面ですから、非常にエリアが限られています。東日本(大震災)の場合にはエリアが膨大ですから、それはなかなか資本投下をしても一挙に解決はしないと私は思いますね」
小西氏
「その集まったやつをどこに持っていくか、その集積場所がちゃんと確保できたということが一番大きかった」
反町キャスター
「それはボランティアという意味ですか?」
小西氏
「ボランティアではなしに、要はゴミをどこに持っていくかという。瓦礫をどこに持っていくかというのが神戸港の底へ埋めて、持って行けたというのがあって。だから、現在、東北の場合はそれはない。どこに持っていくというのがないですね。それが1番難しい問題だろうと。まずそういうところがあったということ。それに伴って、たとえば、道路上のやつであれば公共でできるし、それから倒れかかっているやつは、道路に入っていない場合は、これはダメで、要は、家の人が対応しなければいけない。だけど、危ないから、倒れそうだと。その時は公費でやろうということになったんです。そういうことがあるんですね」

被災者支援の課題とは
遠藤キャスター
「当時の被災者の問題、支援する側としてはどのように?」
小西氏
「まず避難所が最初にできたんです。避難所は環境が悪くて寒いし、できるだけ毛布とか、そういうのを提供できるやつにしようと。集めてまわったんですね。最初の第一段階で、7万5000枚集めて、それを各避難所に配布した。それで第一義的には、各市町がやるべき仕事ですけれども、県としてもそういう形で対応をしていった。次にやったのがそこにいる人達の健康管理。それも本来的には市町がやるんですけれども、県も保健所の職員を派遣して、それにかかった。お医者さんに頼んで、そういう形でまわってもらうとか、そういう形のことを進めていった。避難所からできるだけはやく、環境が悪いから次のところに行ってもらわなければいけないということで、仮設住宅の建設を急がせたんですね。被災のあったあくる日の19日から仮設住宅の建設にかかろうということで、あの時は1万戸建設しようということで始まったわけです。はやく進めていかないと、被災者が1番大変ですので、そのへんの急を要するということはかかったということですね」
反町キャスター
「何が必要なのかという情報収集というのは特に必要もないぐらいに、これをやってくれ、あれをやってくれというのは、どんどん上がってきたという感じですか?」
小西氏
「まず避難所に対して県は20日の日から警察官2人と県の職員を3人、パトカーをまず50台出して、それで拠点をまわって、それで住民の皆さんから要望ありませんかということを聞きまわって、それを市の担当者につなぐ。3日ほど遅れてから今度パトカーを100台にして、より細かくまわるような形をとったということで、一応避難所の住民の意向をある程度つなぐ役をするということを」
反町キャスター
「あの頃、全国の警察官が応援に来ていて、北海道警とか、鹿児島県警の車が走っていましたよね」
小西氏
「それは避難所を巡回するという形でね。もう1つは、警察がまわると治安にもいいわけですね。だから、ほとんど犯罪がなかったということも、そういう形で良かったということになっているわけです」

国主導で進められた神戸港復旧
遠藤キャスター
「なぜ神戸港の復旧を重点課題とされたのでしょうか?」
亀井議員
「神戸というのはまず地域にとって大事ということもさりながら、これはもう世界の神戸港だもん。はやく機能を持たないと。しかも、元通りのものをつくっちゃダメだと、これが基本方針。大型化する。20m以上のもの、そうしたんだよ。だから、あの時言ったのは復旧じゃない。復旧は元に戻すことだ、復旧じゃない復興だと。世界の中の冠たる都市として機能するような港にすると。それを当時は3年ということになってたんだよ。もともとの計画は。それを2年に短縮した」
反町キャスター
「政府の当時の方針の中には、焼け太りを許さないという話もあって」
亀井議員
「誰が言ったの?」
反町キャスター
「誰だったかな?」
亀井議員
「そんな大臣即座にクビだ」
反町キャスター
「そういう話は聞きませんでしたか?要するに、震災前のところまではやるけれど、それ以上に予算つけようとすると、それは復旧でなくて、それより焼け太りはダメだよと言ってブレーキがかかったという話はありませんでしたか?」
亀井議員
「あなた、根拠のないことをそんな」
反町キャスター
「聞いたこともあると、ここに県の方も…」
亀井議員
「誰から聞いたの?」
小西氏
「それはもう…」
反町キャスター
「予算の査定において、そういう話があったという話が…」
亀井議員
「ない」
反町キャスター
「それはないですか?」
亀井議員
「ない」
反町キャスター
「兵庫県の方から、神戸市の方から言わせるとガチッとした港をつくりたかったんだけれども、ちょっとブレーキがかかったもので、だから、あの時、復旧ではなくて復興のレベルをもっと上げたかったのにできなかったから…」
亀井議員
「ありません、そんなことは」
反町キャスター
「上海に負けたんだという人が…」
亀井議員
「ないことをつくって言っちゃダメだよ、あんた」
反町キャスター
「それを理由に上海に負けたという人がやっぱりいたんです」
中邨教授
「神戸というのは、昔から神戸株式会社という名前があったぐらいに宮崎市長さんの頃に非常に有名な開発をやっていましたから、そういうノウハウといろいろな能力は非常に高かったのではないかなと私は個人的に思います」
反町キャスター
「その意味で、神戸という土地柄、要するに、国のテコ入れもあって、港湾機能の復旧は素晴らしくはやく上がっていった?」
中邨教授
「そう思いますね。復旧で止まっているとおっしゃいましたけど、新神戸からずっと港の方に行くと、これはもう全然昔の神戸とは違いますからね。相当いろいろあの震災をきっかけにして、神戸の町というのは明らかに変わりましたから。そういう意味では復旧で止まったというのは、ちょっと私の評価とは違いますね」
反町キャスター
「亀井さんおっしゃるように、そこまで力を入れて神戸の港の復旧復興に努めたのにも関わらず、神戸の港としての世界的な地盤沈下、これはどういうことなのですか?」
小西氏
「そのためにあと観光も含めて、進めていくということで、それと…」
反町キャスター
「その面の復興というのが、なぜうまくいかなかったのか、それはどういうことなのですか?」
小西氏
「難しいところです。人が変わってきているから、それと神戸株式会社がだいぶ破綻しかかっているという問題もある」
反町キャスター
「それはどういう意味ですか?」
小西氏
「株式会社ではないですけれども、これまでずっと山の土砂をとって、埋め立てして、そういう形で経費をずっと貯めているわけです。要は、そういう形でまわしていくというのをやっとったんですけれども、それができなくなってしまった。だから、復興の収入源がなくなったと。港湾を埋め立てしていって、そこへ企業を入れるというのがなかなか難しくなった。そんなことも含めてやった。それと港湾がだいぶ破損してですね…」
亀井議員
「反町さん、あなた言っているのは1つの視点だ。だけど、港湾だけをいかに世界一のものにしたって、世界一の港になるかって、ならないんだよ。問題はそこに荷が着き、荷さばきされる、それは神戸が経済都市として繁栄してなければダメなんだ。現在だってあれでしょう、東京一極集中でしょう。東京一極集中だからさ、ああいういい港があってもそこに着かないで、こちらに来ちゃっているわけですよ。そういうことだよ」

本当に必要な震災復興とは
遠藤キャスター
「そもそも何をもって復興と考えているのですか?」
小西氏
「1つは地域の振興がいかにできるかという形。本来的には住んでおったところに戻るというんですけども、それが高齢化してしまうと、なかなかそういう形ができない。お金がかかることですから、そういう形にしにくい。現在自分の代でそういうことをすると、あとを次いでやってくれるかという問題もある。そのへんは中小企業の事業者は大変だったということですね」
反町キャスター
「2か月で復興計画を出してくれと。出した結果がこういうことになったんだけれども、震災前に比べると客足は減っているようだと。自治体にしてみたら商店街に対してはやく出してくれ、予算をつけるから。とにかくやろうよ、急いでくれと言った結果が現在こうなっているという、これはさすがに県としても見通しは当然してなかった。こうなるという事態は想定していませんよね?」
小西氏
「そういうことかもしれませんね」
反町キャスター
「現在思うと、あの時どうすれば良かったという部分はありますか?」
小西氏
「ある程度そういう後継者育成が十分できていないという問題もあるのですが、人を得るということはなかなか難しいので、そのへんのことと、ただ一時的にお金を貸してもらったって、収入がどれだけあるかという形がない。購買そのものが大型スーパーの方に移りかかってしまって、地元で買うというのがほとんどなくなってしまった。だから、新長田をまわってきたのですが、人々はスーパーとか、そういったところに入っていますが、普通の店屋さんで買うというのがなくなってしまっている。皆さんのそういう購買の仕方が変わってきているということを、地域の人も認識していかないといけないだろうと」
反町キャスター
「それは震災によるものではなくて、需要の流れと言っては何だけれど、そういうものはもともと震災があろうと、なかろうと起きていたかもしれない流通の変化みたいな…」
小西氏
「それも大きいですね」
反町キャスター
「たとえば、こういう被災地、神戸にしても東日本にしても復興の基本的な計画の立て方。復旧ではなくて復興ですよ。立派な町をつくったら人が来るだろうと思ったら、来ていないということが実際起きているわけではないですか。何を考えて青図をつくったらいいのですか?」
亀井議員
「それは日本全体の、地域によって特徴があるわけだから、それぞれの地域にあった、その地方に人が住んで、モノをつくって、消費をしていくという、外国に売ればいいということをやっているからさ、日本でモノをつくらないって。売るのも神戸の商店街で売らないで外国で売ればいい、全体として。そういう基本的なことを、政策を、安倍総理が変えていかにゃいかん」
反町キャスター
「コンパクトシティでいいものをつくれば、また出て行った人も帰ってくるだろうという想定で進めようとしているところが多く見られますけれども、必ずしもそうではないという可能性もありますよね。帰って来ないという前提で、復興しなくてはいけないとか。そういうマイナス思考とは言いませんけれど、現象を前提とした復興計画。そういったものも必要なのではないか。敢えて逆向き、後ろに下がるような後退の計画になるんだけれどもね。何でもかんでもつくれば戻ってくるとか、呼び込むためにどうするかという話ではなく、減ることを前提とした計画とか、そういうものも必要なのではないか。そのへんはいかがですか?」
中邨教授
「私はそこが日本経済、日本の国が非常に弱いところだろうと思うんですよ。何でも非常に悲観的になるという非常に悪い癖がありますので、こうだからチャンスだという発想の転換が必要だと思います。だから、これまでのようなやり方とは違ってまさに点ですから、それこそ住民を中心として、いろいろなコンパクトシティをつくるというのは可能だと思いますよ」

教訓は活かされているのか?
遠藤キャスター
「災害対策基本法の改正された法案は実際に活かされていたのですか?」
中邨教授
「まず自治体に防災監のポスト新設というのがありますが、確かに多数の市町村が危機管理課、あるいは少なくとも防災課をつくるようになってきました。これはそれだけ見ていると、非常に良いことですよ。ところが、問題は現在、市町村、特に市の場合は皆さん職員の方がだんだん減ってきて忙しいものだから、文書がまわってきて危機管理と書いていると全部丸投げするという状況が出ています。だから、つくったということはいいことだけれども、危機管理課、あるいは防災課の守備範囲をちゃんと決めないと、何でもかんでもそこに送ればいいんだという雰囲気が無きにしもあらずだと思います。ディーマットというのがつくられたということは非常に重要なことですよね。簡単に説明しますと、神戸の時に瓦礫で800人近い人が、本来は命を落とさなくてもいいのに、命を落とされた。だから、これをきっかけにして、救急救命の特別なチームがつくられた。これをディーマットと呼んでいますが、これがつくられたというのは非常に大きな意義があろうかと思います。もう1つ申しますとこれから派遣した職員の皆さんも帰ってきます。トラウマとか、ストレスもありまして、私は現在そういうところの協会に関わっているのですが、そういうことも今後の大きな問題として、考えられた方がいいのかなと思います」

亀井静香 衆議院議員の提言:『自然に対するおそれを持つ』
亀井議員
「自然に対する恐れの気持ちを持って生きていくという」
反町キャスター
「どういう意味ですか?」
亀井議員
「結局、偉そうなこと言って、あなただって生かされているに過ぎないですよ、地球という小さな惑星の中で。自然の力というのは、我々は制御できない、基本的には。そういうことです。だから、それに備えて我々はどういう生活の仕方をするかと。だから、危ない住み方をしないだとか、そういうこと考えなきゃいかん」

小西庸夫 元兵庫県知事公室次長の提言:『小さなコミュニティづくり』
小西氏
「阪神・淡路大震災でもそうですけれど、最初に近くにいる人が助け出している。2割ちょっとの人が最初に助け出されているのは家族、近隣の人が助けていると。これだけ日本の国も高齢化すると、皆が年寄りになってくるから、行政、消防や警察が来てくれての救出までなかなか待てない。第一義的にまず近くの人が助け出すということが1番大事だろうと。そういう意味でこう書かせていただきました」

中邨章 明治大学名誉教授の提言:『自助と情報』
中邨教授
「自助、共助、公助とありますが、今日の話はほとんど公助、公の助けですが、7割以上が自助と言われています。だから、自分のことは自分で守るという癖を、考える、つけるということが重要だろうと思います。ただ、時間がありませんので申し上げませんが、いろいろ調べますと、日本人は頭でわかっているんです、自分でやらないといけないということはわかっているのですが、なかなか。たとえば、タンスが倒れないように固定する、そういう行動に結びつかない問題があります。従って、これから自助ということを共通する必要がある。それから、もう1つは阪神・淡路大震災で1番大きな問題は、情報が重要だということはわかりましたから、今後情報をどういうふうに収集し、それをいかに住民に伝えるか、こういう方法を再度いろいろな角度から考える必要があるのかなと思います」