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2014年12月19日(金)
道徳教育と国家の尊厳 戦後価値観と歴史認識

ゲスト

下村博文
文部科学大臣 自由民主党衆議院議員
西部邁
評論家

安倍政権の教育改革 その姿勢と方向性とは
遠藤キャスター
「今日のテーマの道徳教育に入る前にまず安倍政権の教育政策について振り返っていきたいと思います。第2次安倍政権の発足の翌月、教育再生実行会議が発足しました。21世紀の日本にふさわしい教育体制を構築するための目的ということですが、今日のテーマである道徳の教科化の他にも、学力テストの成績を公表したり、教科書検定基準の見直しをしましたり、さらには教育委員会改革や、今後、小中一貫教育の制度改革や大学入試改革なども、安倍政権の教育改革として行う予定ですけれども、実は安倍政権は非常に様々な教育改革をこれまで行っているのですが、一連の教育改革に流れる精神、統一精神というのはどういったものなのでしょうか?」
下村文科相
「これから日本は少子高齢化でどんどん人口が減らざるを得ない。高齢者の方々の占める割合が増えてくる。そうすると普通、衰退国家で活力がなくなると。しかし、現在我々安倍政権が目指しているのは、そういった衰退国家であっても、もう少し元気な国にできると。それが経済再生、成長戦略ですね。それは2つによってできる。1つは科学技術イノベーションによって新たな産業を創っていくと。それから、それを支える人ですね。人という意味では、高度な教育力をつけるという意味での教育もあるし、それから、現在の子供達1人1 人の子の能力を引き出すような教育制度環境のなかで生きているかというと、そうではなくて、端的に言うと、現在の高校1年生に、日本、中国、アメリカ、韓国の意識調査の中で、日本の高校1年生は自分はダメな人間だと思っている子が84%もいる。中国、韓国、アメリカはそうでもない。だから、それを変え、自分が生まれてきたというのは社会、家族、地域、国に役に立って、自分は生きていくための使命感を持って、人の役にも立っているし、人生、自己充実して、幸せに生きているんだと思ってもらえるような教育をしていくという意味で抜本改革をしているんですね」
反町キャスター
「84%というのが残るんですけれども、たとえば、現在の学校に通っている人達が社会に出る時に、自信を持って社会に出られるようになって、抽象的な言い方ですけれども、そういうものを目指しているということですか。それとも、もうちょっと俯瞰的に国家全体を見た時に、日本という国をどうしたいんだという、そういうビジョンにもとづいたものなのか、そのあたりはどうみたらいいのですか?」
下村文科相
「それは、よく安倍政権は国家主義教育を進めているんだと言われていますよね。そうでなく、結果的に国の豊かさというのは、我々は国の豊かさをつくっていこうと思いますけれども、1人1人が豊かさを享受できるような環境をつくっていくと。それが国の豊かさになると。1人1人の豊かさは、何によってつくられるかというと、私は、教育だと思うんですね。これは厚労省の調査ですけれども、残念ながら学歴とか、結構、影響していまして、高校卒業と大学卒業で、生涯獲得する平均年収だと9000万円も違いがあるというんですね。つまり、中卒よりは高卒、大卒、大学院を出た方がそれだけ能力を磨くことができることによって就職、それから、自分の能力を表すことによって、収入も多くなると。やはり教育ですね。しかし、現在格差社会の中で、全ての人が本当に志、能力があって、そういうチャンスを得ているかというと、残念ながらお金持ちの家庭の子供は、そうかもしれないけれど、それ以外はそうでもないというのがすごく広がっているんですね。ですから、格差社会を是正する意味では、負の連鎖ではなく、教育によって、どんなハンディキャップのある子であってもチャンスを提供するということが、結果的に豊かな人生、国の豊かさにつながると。そう考えて応援していきたいと思いますね」

国の道徳教材作成の狙い
遠藤キャスター
「今年の4月、全国の小中学校に、文部科学省が作成した『わたしたちの道徳』という教本が配布されましたけれども、これまでの道徳教材と何が違うのでしょうか?」
下村文科相
「これは民主党政権の時は教材が何もなかったんですね。それ以前の自民党政権の時には『心のノート』という教材がありまして、書き込む、これも書き込む部分もありますね。ただ、非常に中身がなかったと。端的に言うと。私は、これをこのまま道徳の教科書にしてもおかしくないものとして、『わたしたちの道徳』という教材をつくりました。教科ではないので、教科書ではないんですけれども、教材です。これを是非使ってもらいたいと思っているのですが、目的は、国を超えて、歴史を超えて、人が人として生きるための社会におけるルールとか、マナーとか、規範意識はあると思うんですね。それは子供達の発達段階において、きちんと教えるということは必要なことだと思います。戦後の70年の中で明らかにモラルハザードになっている部分はあるんですね。本来、日本人は徳高きというか、倫理高き国民性がある国だと思います。聖徳太子の時代から和の精神。そういう意味で、本来、日本人が持っている集団的な慣習です。それをきちんと教えるということは、これは時代を継承していく教育の中で必要なことだと思います」
反町キャスター
「これまでもありましたね、道徳教材。副読本みたいなのがありましたよね。これまでと何が違うのですか?」
下村文科相
「確かに、自治体によっては副読本、これと同じものを教育委員会が、民間会社がつくっているのを、自治体がそれを副読本として使っているのもあります。これは、そういう使っていないところに対して是非これも使ってくださいと。あるいは併用して使ってくださいと。ところが、私はこれをこの4月から、小中学生1000万人に配ったんです。使われていない、授業で。3回、教育委員会に文部科学省として是非、使ってくださいと。つまり、教科書ではないから、要するに、使わなければいけないという強制性はないです。3回に渡って是非使ってくださいと。それから、これが子供だけの問題ではないので、家に持ち帰って親御さんに読んでもらってくださいと。3回お願いして、その結果、9月の調査の中で、それでも4分の1ぐらいですね、使われているのは。15%も家に持ち帰らせていないとか、教育委員会に問題があるところもあるし、学校長に問題があるところもあるし、あるいは担任に問題もある。それぞれの教育委員会とか、自治体によって皆バラバラです。逆に言えば、教育現場というのは、道徳に対して相対的に拒否反応がありますね。でも、本当にそれでいいのかということを問いたいですね、私は」

なぜ道徳教科化が必要なのか
遠藤キャスター
「今年10月に中央教育審議会が道徳教育の改善策を答申しました。その中身ですが、道徳の時間を『特別の教科道徳』として位置づける。指導方法を多様で効果的なものに改善する。検定教科書を導入する。評価について充実をはかるということの4点ですけれども、特別の教科というのは、他の教科とは何が違うのでしょうか?」
下村文科相
「何が違うのかというのは、評価を1、2、3、4、5みたいな、通信簿では評価できませんというところが違うところですね。現在は教科ではないんですね。教科にするというのは、1つは教科書を決めると。だから、検定教科書ですね。これは教科ではないから使わなくてもいいんですね、使ってくださいとお願いして、使わなくても、別に法律違反ではない。今度教科書にしたら必ず使ってもらわなければいけない。それが1つですね。あとは先生を教えると。これは担任ですけれども、しかし、道徳の特別の先生というのはなかなかいるわけではないから、担任の先生が道徳を教える。つまり、教師が決まるということですね。もう1つは評価ですが、評価については、1、2、3、4、5というのは馴染まないので、よく現在の子供達の通知表でも、右側に子供の良いところについては○をつけたりね、あるいは記述式で褒めて書いたりしますね。そういう形で他の教科と違う、子供に対するコメントですね。いいところをコメントするようなことをするという意味での特別な教科です」
反町キャスター
「親から見た場合にテストの点がつくのかとかね。内申書に影響するのかですね。そういう非常に下世話なレベルで気になっちゃう部分があるとする場合、今後、たとえば、『特別の教科道徳』となった場合には、公立の中学校や高校、小中高においては、どういう扱いになるのですか?」
下村文科相
「評価は今後、さらに議論をすることになっていますので、まずはどういう形にするのかというのを決めているわけではありませんが、私は、担任の先生から見て、その子の良いところを記述で書いてあげるというような形が望ましいのではないかと思うんですね。それというのも、昔の道徳と、それから、これから考える道徳の違いは何かというと、教師が、たとえば、この物語があって、これはこんなふうに読みとるものということを、一方的に押しつけるようなことではいけないんだと思っています。この物語を読んで、子供達に議論をさせて、私は、主人公のAさんの立場から見ると、道徳についてはこうだと思う。一方で、Bさんの立場から見るとこう思うということで、つまり、絶対的な価値基準というのは、道徳においては人によって違う部分があると。もちろん、反社会とか、非社会的なのは別にして、見方によって、いろんな見方ができる部分がありますよね。それを教師が一方的に、この物語はこういう価値があるんだというよりは、子供達に議論をさせることによって、それぞれ考えると。それが今後の道徳の在り方だと思います。ですから、先生が先生の道徳の価値観で、この子供はこれがダメだとか、これがいけないという書き方の評価ではなく、それぞれの子供の良い点を記述でやると。ですから、それをそのまま、たとえば、高校入試の中に入れるというのはなかなか難しい話だと思いますね」

道徳教科化へ どう評価するのか
遠藤キャスター
「道徳を学校で教える。全体的に、ここまで聞いて、どう考えますか?」
西部氏
「僕が言いたいのは、価値観といい、道徳規範といい、相当矛盾、葛藤を含んだことをまず承知しておかなければいけない。聖徳太子の時は蘇我氏と物部氏との間に戦いがあって、戦いが絶えない。だから、和を、平和、仲良くしなければいけない。争いごとが続くからですね。争いがあればこそ和が大事になる。逆に言うと、和を言っても、争いが絶えないという、そういう矛盾の中にあるということを、しっかりと押さえておかないといけない。第2点は、教科書をつくるのは男性なんですよ。男性だから、教科書というのは、委員会があって、たぶんできるのは、先ほど言った一例ですけれども、モラルとは何であるかとか、慣習とは何であるかと。それと道徳の関係がどうなるのかということは、言ってみれば、道徳というものについての抽象的、一般的な、論理というものは、たぶん子供達は、小学生は無理でしょうけれども、中学、高校までくれば、人々の根本において共有の価値、規範がなければ、国家がバラけ、国家がバラければ、個人の生活も成り立たないということをいわば理論として語ることはできない。もう1つ語れるのは一種の道徳の系譜学ですね、歴史学。これがお釈迦様でも、孔子でもいいけれども、二宮尊徳でも、福沢諭吉でもいいのだけれども、これまでにどういうふうに道徳を論じられてきたのか。それを歴史、系譜として述べれば、おそらく道徳を巡る、上から見たらこうなり、下から見たらこうだというような総合的な姿が、言ってみれば、振り返ることができるんですね。それを簡単に超えてやると、確かに道徳の押しつけになって反発も招く。ところが、抽象的、一般的に道徳とは何ぞやと。これまでどうやってきたかというのでは、子供達の活力に役立たない。ところが、その時にたぶんこれが大事なのでしょう、教科書が。こういう状況があったとしようと、たとえば、教材なんかがあったとしよう。状況が特定されれば、たとえば、長男として生まれたものは、妹、弟達の面倒を見ざるを得ないし、見るべきだというようなことは、状況が指定されれば、物語として、子供といえどもすぐ了解できるんですね。状況を特定せず、あれをせい、これをせいというから押しつけになるのだけども、こういう状況では、こんなことはいじめに当たるということは、おそらく多くの子供達は理解できるんですね。そういうのを含め、そういうことを教科書で、本当にちゃんと書ける知識人がどこにおるんだと。知識層におるのかいといったら、クエスチョンマークがつくことは確かでしょうね」
下村文科相
「だから、先生がおしゃっているのは、そういうそれぞれの状況です。状況。場面、場面」
西部氏
「そう。だから、そういう意味で、僕は大問題と思っているんですよ」
下村文科相
「いじめで、それをどう考えるかですね」

日本人にとっての『道徳』
遠藤キャスター
「道徳というのはこの教本を見ていても、挨拶をしましょうとか、モノを大事にしましょうという、生活指導的な部分と、あと心を豊かにする、心を育てる部分と混在しているようにも感じてしまったのですが」
下村文科相
「混在と言いますか、それにさらにプラスして、ここに偉人伝とか、有名人のエピソードをたくさん入れているんですね。それは人が人として、どう生きるかというモデルだと思っているんですね。現在の子供達に、是非こういう道徳という教材を使って伝えたいのは、夢とか、志を人生で持つことの大切さですね。つまり、最初からあの人は頭が良いとか、あの人は自分達とは違う偉人ではなくて、そういうような人も普通の人間だったわけだけれど、1つ1つの努力の積み重ねで何とでもなってきたというのが、夢とか、目標とか、ビジョンがあって、志ですね。それを小学生とか、中学生の頃から持っているという意味では、スポーツ選手も相当入れているんです。単に偉人ではなく。たとえば、小学5、6年生の、『わたしたちの道徳』の中には、イチロー選手の小学校6年生の卒業作文で、自分は将来プロ野球選手になって、家族や近所の人達を球場に招待したいと。もう小学生の頃から、そういう将来、どういう自分になりたいと。そういう夢を持つことは大切だねと。そういう意味では、人が人として生きる、最も参考になりそうな資料をたくさん、この中に入れているということですね」
反町キャスター
「小さい子供が将来、何になりたいのかの統計をよくこの番組でもやるんですけれども、プロ野球選手になりたいのか、現実的な堅実なサラリーマンになりたいとか、公務員になりたいという小学生がいたりするわけではないですか。それがダメとは言わないけれど、もう少し気宇壮大というか、そういうものを持ってもらいたいみたいな、そういう願いがこもっているという理解になるのですか?」
下村文科相
「いや、気宇壮大ではなくて、ビジョンというのは具体的であればあるほど実現できると私は思っているんですね。その人の持っている能力以前の問題として。ですから、私は、スポーツの担当でオリンピックとパラリンピックの大臣でもあるので、結構、スポーツ選手に会う機会も多いわけです。オリンピックでメダルを獲っている選手というのは、小学生ぐらいから自分は将来スピードスケートで金メダルが目標だとか、フィギアスケートで金メダルが目標だという、そういうことが結果的にメダルを獲っているんですよ。小学生から。だから、たまたま散歩をしていて、気がついたら富士山のてっぺんに登っていたというのはあり得ないですね。富士山のてっぺんに登ろうと思って準備したからこそ、てっぺんに登れる。それと同じように、気がついたらノーベル賞を獲っていたとか、気がついたらオリンピックで金メダルを獲っていたということはあり得ないです。つまり、小学生の頃から、夢とか、目標を持ってがんばるということが、人生においていかに大切なのかということが、いろんなエピソードで、必ずしもトップを目指すということでなくて、より明確な目標が、自分はお花屋になりたいとか、美容師になりたいとか、小学生だと芸能人になりたいとか、ありますが、具体的であればあるほど、夢に可能性があるのを、こういうところで、それが国語とか、英語とか、算数で教えられない部分ですから、こういうところでしか教えられない部分ですから。でも、子供達にはそういうことを語る大人が周りにいないですね。ですから、こういうところを通じて、子供達の夢を育むような、そういう場をつくってあげないと、道徳はそういう時間でもあると思いますね」
反町キャスター
「だったら、教室ではなく、何かいろんな人の話を聞くとか、そういう形の方がいいのではないですか?本から学ぶべきものですか?」
下村文科相
「いや、いろんなことがあってもいいと思いますよ。でも、だからといって、本を否定することはないですよね。反町さんも小学生(の時)、道徳というのは好きだったんですよ」
反町キャスター
「僕はそんなに好きじゃない」
下村文科相
「私は、偉人伝とかをちょっと読んで、この人は面白いなと思って、それで、よく学校の図書館に行って、その人の偉人伝を、野口英世とか、小学生の頃に読みましたよ。だから、それはすごく刺激になりましたよね。子供の頃に、人が人として突き詰めていくというのはどういうことなのかということをたくさん知るというのは、子供にとってはすごくクリエイティブな人生を歩むうえに、プラスになると思いますね」
遠藤キャスター
「西部さんは道徳というものをどう捉えているのですか?」
西部氏
「これはギリシャの四徳と言われ、日本語に訳せば、正義、思慮、勇気、節制というのが節約でしょうか、限度をわきまえると。実は、道徳が複雑なものだというものの例として、これは男の場合ですけれど、女の人も同じかな、勇気というのが大事な徳だけれども、これを過剰に、特にこれだけを追い求めると、非常に野蛮な、蛮勇になってくるわけですけれど、勇気は、もう1つの節制というかな、分限を知るという、その節制がなきゃダメだと。ところが、節制が過剰になると、非常にあれもかれも控えめになって臆病になってくる。そうすると、この臆病というのは不徳でしょう。蛮勇も不徳でしょう。不徳に耐えられないから、臆病は勇気を奮い起こす。蛮勇をやり過ぎてはいけないとわかったから節制しようと。問題は、本当の勇気と節制という、2つとも徳だけれども、これをバランスをとらなければいけない。具体的に、下村大臣がおっしゃられたように、僕もちょっと言ったように、ある具体的状況で、ここに喧嘩を吹っかけるような場合もあるし、じっと親の言うことを聞かなければいけない場合もある。あるいは1週遅れでいった方がいい場合もある。そういう状況を示されなければ勇気と節制のバランスを具体的に示すことはできない。が、しかし、子供達に、お前達は勇気も必要だと思うだろうと。でもね、分限を知ることも必要だと思うだろうと。これですぐにわかるから。でも、この間に矛盾があることもわかるだろうと。わかりますよ。ですから、大げさに言ったということで。それから、この教科書に書かれている偉人伝でも状況ですけれども、ある程度、具体的な状況が示されれば、両者の具体的なバランスが何であるか、大げさな例で言うと、アメリカの、ごめんなさいね、属国まがいのものとして仕方がないと。70年も続いたらね。アメリカの言うことをとりあえず聞いて、TPPをやるかというのが、実はバランスである場合もあるんですね。逆に、ある状況が来れば、どうしてもここはアメリカの言うことは聞けませんということが1つ、2つなければ、日本は国家としての勇気も節制もなくなる。それは状況論がなければ、具体論はできないですよね。そういうことをたぶん大臣は子供向けにいろんな偉人伝だとか、状況を示しながらやろうとなさっているのだと思うんです」
下村文科相
「おっしゃる通りですね。これはなかなか西部先生だから説明できますけども、学校の先生が誰でも説明できるわけではないんです。ですから、こういう道徳の中の短いエピソードの中に、たとえば、『キミ婆ちゃんの椿』とか、こういう短いエピソードの中で、子供達に議論をさせて、その中で、自分や、このバランスですよね。あるいは葛藤ですよね。という中で、この中でA君は、勇気の方をこの場合は重視するのではないかと。B君は、この場合、蛮勇を重視するのではないかという、先ほど言ったみたいに、つまり、教師はこの場合は勇気だけが求められるのであって、人の見方によっては結構、それだけ、これだけが正義で、これだけが道徳で、これは非道徳じゃないという部分があるんですよ。今後、道徳の教材として提供をして、子供達が議論をしながら、より目指すべき勇気は何なのかとか、節制は何なのかという場を提供する」

道徳と歴史の関係性
遠藤キャスター
「著書に『国民のルールは歴史のなかに自生する。道徳の基礎は伝統にあり』とありますが、道徳と歴史にどのような関係が」
西部氏
「前半で言うと、もちろん、ルールがなければ、社会国家も成り立たないのですが、ルールについて2つの考え方があって、典型的には社会主義もそうです、現在のアメリカの個人主義もそうですけれども、ルールを合理的に設計できるとするという考え方。ルールをつくる知識人なり、役人なり、政治家なりがある種オールマイティに素晴らしくなり得るという、知識に対する過剰な信頼からルールは生まれる。それに対して知識人だろうが、有名政治家だろうが不完全なものだから、今後の何十年、何百年を支配するかもしれないルールを、その時の気分で設計されたらたまったものではない。どこからくるかと言うと、神、仏を出せば簡単なのですが、バイブルにもコーランにも頼れないとすると、何はともあれ何百年、何千年の歴史というものがあるじゃないか。歴史の中には成功も失敗もあるけれども、この場合、自生というのは植物のスポンテニアス。自ずと長い時間をかけて少しずつ成長してくるという意味ですけれども、そういう意味で、歴史というものを踏まえてないと、宗教に頼らないのでなければ、歴史に頼らなければルールの根本というものを求められないということで。問題は次に伝統ですけれど、伝統と慣習の違い。因習と言うと悪習ですよね。慣習だから守りなさいと、得てして間違った右翼はそういうふうに言いがちだけれど、確かに慣習は大事だけど、慣習の中でも、現在の状況の中で良い効果を出す慣習と、悪く作用する慣習もあるだろうと。そうしたら基準がないといけない。簡単に見つからないけど、それもまた歴史の中に指し示されるだろう。もっと言うとサジェストかな。示唆されるだろうと。そういう示唆されたものを慣習、カスタムと区別して、トラディッション、伝統というのであるとしないと、慣習を守れというのと、伝統を守れというのはイコールでないのだと。慣習の中に、いわば示唆されている道徳の基準、物事の基準、そういうものを伝統と呼ぶのだと。これはすごく複雑で難しいようだけれども、うまく教えれば子供にだってわかることであるという」
反町キャスター
「具体的に言うと、たとえば、植民地支配とか、太平洋戦争とか、そういう部分における記述、ないしは歴史の教育における記述にどのような問題、どのような深みがあってもいいのではないかという具体的な提案、アイディアとかはありますか?」
西部氏
「それはこの短い時間で僕がですよ…僕は大東亜戦争を基本的に肯定している者ですけれども、どうして肯定するかと言ったら、10時間ぐらいないと説明できないから…。でも、僕が言いたいのは簡単に、自分達の歴史というのは、自分達の頭脳のみならず振る舞い方のベースにあるものですよ、与えられたものとして。皆制度改革なんて言っているけれど、制度というのは実は長い歴史が自分達に与えてくれたもの。それを改革するとか、その制度が疲労していると言って、と言うことは自分達自身が衰弱していることを認めることでしょう。衰弱している人間に道徳を語られたら、歴史を記述されたのではたまったものではないと考えると、自分達は歴史の流れによって生み出されているのだと。まずは、それを制度として迎え入れる以外に人間の国家も生きようがないのであるというね。そういう意味では、歴史観における、歴史を壊そう壊そう、進歩だというのは単にアメリカ、ソ連だけではなくて近代そのものがそうですよね」
下村文科相
「歴史観がない国家は滅びると思うんですね。ですから、歴史観をきちんとつくっていく。ただし、国家がつくるものでもないですから。しかし、私は教科書検定・採択は見直しすることにしたんですよ。これまでの歴史教育というのは、光と影の部分があると思うんですけれど、影の部分だけを特に近現代史は強調し過ぎている記述が多いのではないか。歴史には影も確かにあるかもしれないけれども、光もあるんですね。子供達が日本史なら日本史を学んだ時に自分達の反省ばかりではなくて、自分達の祖先も立派なことをやってきて、だから、自分はここに存在しているのだ、日本というのは素晴らしい。その素晴らしいというのは単なる狭い愛国心ではなくて他国の存在を認めながら、しかし、日本は日本で素晴らしい部分があるということをバランス良く教えなかったら、子供達に対する歴史教育にはならないということで、教科書検定・採択を今度変えることにして…それがバランス良くという意味ですね。それは是非していきたいですね」
遠藤キャスター
「歴史や文化というものも今後、道徳を教科化するうえでリンクさせていくのですか?」
下村文科相
「道徳とまたちょっと違うけれど、道徳の中では当然歴史が関係してきますから。たとえば、武士道というのは、なぜ武士道ということが語られるのかと言う時には歴史に関係しますよね。だから、道徳は道徳、歴史は歴史と分ける話ではない部分もあると思うし、これまでの経緯の中で、たとえば、聖徳太子の和の精神はそうは言っても日本的だと思いますよ。和の精神というのは、他の国の、憲法17条はある意味では道徳律ですよね、現在の時代で言えば。なぜ日本でそういう道徳律を聖徳太子の時代につくったのかと言ったら、他の国から見たら非常に特異現象だと私は思うんですね。そういう意味では歴史を通じて道徳とはどういうものだという絡む部分はあるけれども、全部一緒にするということではもちろん、ないです」

4年後にも道徳教科化へ 指導教員はどうあるべきか
遠藤キャスター
「道徳を教えることについて、教師の資質、価値観に左右されると思うのですが」
下村文科相
「おっしゃる通りですね。道徳教育を充実させていくためには実際に教えていく教員の指導力の向上とか、それから、指導改善をどうはかるかということが必要だと思うんですね。実際調査をやりまして、平成24年度に実施した道徳教育実施状況調査結果において、道徳について効果的な指導方法がわからないと先生が答えているのが、小学校の先生が33.2%、中学校の先生が38.9%。それから、指導の効果を把握することが困難、小学校の先生で48.3%、中学校の先生が42.7%。適切な教材の入手が難しい、小学校28.1%、中学校37.3%。いずれにせよ、学校の先生方は実際道徳をどう教えていいのかわからない、難しいと思っていることが非常に多いということが事実です。ですから、今後、子供達に対しては、先生の1つの価値観ではなくて、多様な子供達の意見を吸い上げながら一緒に考えていくという意味での道徳の指導書。教師が使う指導書とか、あとは、現在全国でも道徳教育のモデル校というのがあって、都道府県ごとに道徳教育を推進する教員が中心になって、他の先生に対する指導していくことも進めているんです。ですから、特定の価値観をこうしようとか、そういうことではなく、道徳という授業をどう教えていったらいいかということを先生方に教えていく。そういうことをしていくのが必要ですね」
反町キャスター
「専門の人が必要になってくるのですか?」
下村文科相
「基本的に学校というのは知育、徳育、体育がありますね。徳育というのは、学校の全ての教育に影響するものだと。朝の朝礼から、給食から、これ自体が徳育という位置づけですから、道徳だけ教える先生が別にいればいいという話ではなくて、小学校で言えば、担任の先生が全てにおいて子供達に対して知育、徳育、体育の視点で指導するのが前提ですから、小学校の道徳は担任の先生が教えるということです。学校の先生も自分達が全て知っているということではなくて、子供達に教えながら、本当にこれが一番道徳的に正しいのかどうかというのを悪戦苦闘しながら、悩みながらやっていくことだと思うのですが、未熟だから教える必要がないとか、先生としてはダメだとか、そういうふうにはならないのではないですかね」

下村博文 文部科学大臣の提言:『お天道様が見ている』
下村文科相
「これはお婆ちゃんの言葉です。でも、私は日本の道徳というのは究極的には『お天道様が見ている』と。つまり、法律に違反しているとか、違反していないとかではなくて、お天道様が見ているんだよと。人が見ているとか、見ていないとかではなくて、自分自身が生きていて恥ずかしいことをしちゃダメだ。見ている、見ていないに関わらず、法律を犯している、犯していないに関わらず、恥ずかしくない生き方をしていきなさい、お天道様がいつも見ているよというのはお婆ちゃんが言った言葉。これが日本の道徳の究極ではないかと思いますね。それを1人1人が気づく、感づくと。そういう教育というのが道徳の理想ではないかと思います」

評論家 西部邁氏の提言:『現代のフランスは自由と平等に狂える瘋癲病院なり』
西部氏
「中江兆民というのは、日本では近代民主主義の元祖の方、ついては社会主義の元祖とまで言われている中江兆民が千八百七十何年に、そこに書いてある言葉ですけれど、『現代のフランスは自由と平等に狂える瘋癲病院なり』、つまり、僕が言いたいのは、自由と平等も大事だけれど、自由は行き過ぎると放縦放埒になるし、平等は行き過ぎると画一になる。そういう単純な価値観に舞い上がるのではないということを民主主義とか、社会主義の元祖と言われている人物ですら、明治の人は気づいていたのだ、戦後の日本はそれと比べたら、随分頭が単純で子供っぽくなっていると。子供っぽい人間達に道徳を語ってもらいたくはないという」