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2014年12月18日(木)
総選挙結果で現実味? “憲法改正論”を議論

ゲスト

百地章
日本大学法学部教授
小林節
慶應義塾大学名誉教授 弁護士
石川健治
東京大学法学部教授

閣議決定による解釈変更は
秋元キャスター
「今年7月、安倍政権が閣議決定した憲法解釈の変更について、お話を聞いていきたいと思います。来年の通常国会では、この閣議決定を受けまして、安全保障関連法案の審議が始まる見通しですけれども、その主な項目。まず1つ目が武力攻撃に至らない侵害への対処。2つ目が国際社会の平和と安定への一層の貢献。3つ目が憲法第9条のもとで許容される自衛の措置となっています。これらの項目に関連しました憲法解釈の変更。これを閣議決定しました、その運びなどをどのように評価されていますか?」
石川教授
「問題の中身と決め方と2つに分けて考える必要があると思うんですね。問題の中身についてはいろんな意見が当然、在り得るということですが、1番、今回問題だったのは決め方だったのではないかということですね。集団的自衛権というのは、国際法上は日本にちゃんと認められているけれども、しかし、それは行使しないんだという形で政府が自分を縛ったわけです。その自分を縛ったことの意味についてあまり深く考えておられなかったのではないかなということです。第1には自分で縛るというのは義務付けの仕方としては最も強い義務付けであるということを知っていただきたいということです。他人に言われて嫌々したのではなくて、自分が自分に対して約束をするというのは、義務付けの力としては最も強い、そういう約束ですね。ですから、これは簡単に変えられるものではないのだと考えていただく必要があります。約束には名宛人というのが必ずあるわけです。誰かを念頭において約束をするものだということがあると。だから、自分自身を縛ったとしても、想定されている名宛人というのがいるわけですね。それは将来の国民と、周辺国、とりわけアジア諸国。それ以外のアメリカその他の国際社会。こういったものを念頭において約束をすると。この約束というのは約束の結果を受けとるのは、自分達ではなくて将来のいくつかの名宛人なわけですね。ですから、逆に言うと、将来の名宛人に対して縛られているはずだということです。ですから、自分自身の問題ではなくなっている。こういう理屈に本来なっているわけですね。と言うことは現在の私達の問題として現在の自分達のレベルで簡単に変えてしまっていいというような問題ではなくなっていたはずではないだろうかと。そう考えてもらいたかったわけですけれども、かつて自分達が決めたことなのだから、そのまま変えて何が悪いんだという、非常にシンプルなものの考え方をされたということです。自分に対する約束の重さというものをもっと考えるべきだと。だとすると、そういう重い約束を変更するには、政府解釈以外のもっとしっかりした手続きが必要だったのではないかとなるはずだというわけです。それが何であるかというのは特定されていないのですが、国民投票であるとか、それに準する手続きをとるということしか、さしあたりは考えられなかったのではないかと。ところが、この論点については一切、国民に問うことはしないで、決定がなされ、今回の選挙戦では、逆に争点としては隠されてしまったということがあるわけですので、その決め方に最大の問題があったと。中身以前に、決め方に問題があったのではないかと思います」

どう示す?日本のかたち
反町キャスター
「よくある憲法解釈が必要だという皆さんからは国際情勢を考えると、急いでやらなければならない。だから、そのロジック、時間的な緊急性をどうするかというところはいかがですか?」
石川教授
「それは危機というものに対する論じ方の問題だと思いますね。危機というのは突然現れるわけで、それは本当に突然のことであるわけですけれども、危機をどう受け止めるかという構えの問題というのがあると思うんですね。具体的に尖閣問題をイメージさせて、危機の存在と解決の必要性というのを、ことさらに強調したというのは、不当なプレーマップだったのではないかなと思いますね」
百地教授
「まず手続きですが、私は今回だけなぜこれだけ問題にされるのか、逆に疑問です。と言うのは、政府見解というのはこれまでも度々変更されてきました。9条について言っても、当初もう一切武力を持たないとされていたのが、必要最小限度の武力を持つとなって、現在の自衛隊が存在をするわけでしょう。これについて国会で議論をしただけであって、別にそれを閣議決定したわけでもないし、国会でのやりとりで決まってしまったわけですね。それから、多少手順を整えて解釈を変更した例としては首相の靖国神社参拝を巡る解釈の変更があります。これにつきましては中曽根内閣が昭和60年に、首相の靖国神社参拝についても合憲的な参拝の道があるんだということを、これを決めましたけれど、その時も従来、昭和55年までは首相の靖国神社参拝には違憲の疑いあり、憲法上問題ありという解釈をずっと続けられてきたわけですよ。そこで中曽根内閣としては、かなり丁寧に議論をしようということで、靖国懇という名前で公人の靖国参拝に関する懇談会でしたか、正確ではないからわかりませんが、靖国懇をつくりまして、賛成派、反対派、中立派を集めて、時間をかけてしっかりと審議をした。今回は同じく、有識者の会議を開いて、慎重にしてきました。それを受けて、しかも、閣議決定までしているわけですから、解釈変更の方法としては、私は非常に丁寧なやり方をしたことは間違いないと思っています。少なくとも従来のやり方と比べると。憲法は確かに立憲主義というものを考えれば、権力の濫用とか、これを防ぐ。それがもちろん、一番大事なところです。成り立ちから言えばね。しかし、憲法というのは制限規範。権力の交渉を制限するだけではなくて、権力を与える基盤、つまり、授権規範でもあるわけですね」
反町キャスター
「制限でもあり、授権でもある?」
百地教授
「そうですね。実は裏腹の関係もあるんですけれども。たとえば、国会が立法権を行使できるというのは、憲法41条で国会に立法権を与えたから、だから、国会が立法権を行使できるわけですね。あるいは国民に納税の義務がありまして、それに対応をして、国が国民に課税するでしょう。この課税権利を、行政権の一種ですけれども、これも憲法によって内閣に行政権が与えられている。また、そういう意味で制限規範でもあると同時に授権規範でもあると。この2つの面が両方あるわけでありまして、もちろん、立法権を行使する時にも人権を侵害してはならないという制限規範的な意味もありますから、裏腹のところありますけれども、少なくとも2つの面があるわけです。それをただ権力を縛るものだけというのは、一部を誇張したものであって、私は議論としては不正確ではないかなと思っています。ちなみに権力を縛るものというならば、他方で国民も縛っているのも事実です。たとえば、国民に納税の義務を課し、教育の義務を課しているでしょう。これは国民を縛っているとも言えるわけですよね。だから、そういう憲法にも、いろんな意味がありますし、もっと言えば、憲法と言う場合には本来、国柄を示すものであると言われてきた。国体とか、国柄です。つまり、我が国の国家論が非常にかけていると思うんです。戦後は、国家というと、ただ統治機構、権力だけを問題にしてきたと思いますね。政府だけを。しかし、国家と言う場合には、政府権力機構だけではなくて、歴史的、伝統的な共同体の国家というのがあるんです。それを教えないと、国家が権力であり、必要悪であるとか、そんな一方的な議論に終わってしまうんですね。しかし、たとえば、国を愛するとか、国を守るというのは世界の常識ですね。どこの国でも国を守る。国を愛するということを、憲法でも謳っている場合もありますし、常識です。そのへんの議論は権力機構だけを相手にしたら、生まれてこないと思うんですよ。たとえば、時の権力を愛するのが愛国心なのかという議論になってしまうわけですよね。だから、そうではなく、その時の権力と、つまり、政府に統治機構の部分と、それを含む共同体の部分がありますから、歴史的な運命共同体もありますから、それを、我々の先人達が血と涙と汗でもって伝えてきた。それが国家である。だから、そのような国家だからこそ、我々も守らなくてはいけない、国を愛する必要があるという議論で、一番よくわかると思うんです。これは常識的な議論だと思うんですよね。ところが、憲法は権力を縛るものであるという議論は専ら統治権力のことだけ、政府のところだけ着目している。しかも、その一面だけを着目していますからね。非常に議論をして、私は不正確な、あるいは敢えて言えば、タメにする議論じゃないかと思っています」
秋元キャスター
「小林さんはいかがですか、これまで」
小林教授
「まず論点がすごく拡散しちゃった。授権規範と制限規範はあとにしましょうよ。今回の閣議決定は三権分立ですから、それぞれの権力機関が仕事をするにあたって、憲法をかみ砕く、有権解釈権を持っているわけで、そうなった限りで、最高裁が優先するはずですね。だから、内閣が目標設定として解釈変更することはあり得るし、あり得たし、いいと思うんです。私は、内容が決定的に問題なのは、好き嫌いは別として憲法9条2項は軍隊と交戦権を日本に認めていませんから、自衛隊という第2警察が海の向こうで戦争に参加する。これが集団的自衛権の本質的行動ですから、となると、それは海賊か山賊になっちゃうんですよね。国際法上の戦争としての扱いを受け得ない。これは一見奇異ですけれども、敗戦国日本が閉じ込められた時の憲法という点では当たり前で、だからこそ、もう少し真っ当な憲法に改正すべきだと昔から私は言っているんですけれど、現在の憲法を守っているのも結構だと。これはまさに授権規範としてよりも、制限規範として現在のところ守っていかなければ困る」
反町キャスター
「今回の憲法解釈はこれまでよりもより丁寧ではなかったのではないかという話と、それともう1つ手続きと中身。どちらの将来世代に対して責任を負うべきか。この2点についていかがですか?」
石川教授
「この約束の中身というか、約束が持つ形に注目していただきたいのですが、国際法上は認められている集団的自衛権を敢えて自ら縛るという自己拘束をやったということの約束の形が他と違うんですね。9条、あるいは集団的自衛権に関する政府解釈の在り方というのは、とにかくこれは自分で縛って、変更しないという中身を含んでいますので、その約束は、そこで変更される規範のレベルでは変えられない、より高いレベルの規範を、自分でつくってしまったことになるわけです。これは、たとえば、96条のような憲法改正手続きを敢えて憲法の中に設けているのと同じですけれど、ある同一のレベルにある規範の中で、変更しないといけないのをつくってしまうということは、変更そのものに対するルールを自分でつくってしまったことになるわけですから、その下でゲームが展開されていかなければ、法に従ったゲームとは言えないわけです。変更するという規範そのものを今回破壊してしまったという格好になりますので、従って、それまで維持されてきた政府解釈のレベルでの法規範というのを政府自らが破壊してしまったことに他ならないということです。つまり、法を破壊する形で決定をしたということを、ここで問題にしているというわけです。ですから、小さなクーデターが起こったと法学的には言える」
百地教授
「確かに、国家の自己拘束というのは、国際法上認められた権利であっても、国家が自ら主権を持っているからこそ自己制限、自己拘束というのができる。これは事実ですね。だけど、問題は国家が自己拘束する場合の限界というのがあるはずだと思うんです。つまり、国家は自らの独立と安全を守る。国家が滅びても自己拘束というのは自己矛盾でありますから、当然自国の独立とか、安全保障を守るという大前提のもとに自己拘束がなされていると思うんです。そうすると、従来の解釈は、そのままではとても日本が立ち行かないし、守れない。だから、一定の解釈変更した。ただし、自己拘束をまったく取り払ったわけではない。それが集団的自衛権の限定的承認です。つまり、確かに9条はありますから、他の国連加盟国と同様にまったく同じ集団的自衛権を認めるかどうか、これはちょっと疑問もあります。だからこそ安倍さんも一般的な自衛権までは認められないと、普通の国並みの。しかし、我が国であっても当然、独立国家で、主権国家であるし、従って自己拘束に限界があるわけですから、日本の国が立ち行かないような状態にまできて、なおかつそれを固守するわけにはいかないと。だから、日本の国を守るために、安全を守るために、一定の範囲で限定解釈を認めようということですから。私は、これは筋が通っていると思っているし、真っ当な議論だと思っていますけれども」
小林教授
「抽象論的には、そういう議論は成り立つと思うんです。でも、現在そういう哲学論争に入るよりも集団的自衛権の政策が賢い政策かどうかという議論をした方がいいと思います。安倍総理というよりも、むしろ公明党は個別的自衛権に等しい集団的自衛権しか認めなかったから安心ですといいますけど、だったら、個別的自衛権でいいじゃないですか。他国が襲われたことによって我が国が沈没し、我々の人権が全否定されるような場合(なんて)あり得ないですよ、現実的にも。安倍総理がよく例に出す、朝鮮動乱から逃げてくる日本人母子をアメリカの船に乗せている。それを守ってどこが悪いのですかと。悪くないですよ、日本人母子を守るのは日本の権利であり義務であるんですから。だから、日本国民もたまたま乗り物が何であれ、これは個別的自衛権で守れるのではないですかと。アメリカに向かうミサイルが日本上空を通過した時に友好国として撃ち落とさなくていいのですかと、技術的にどうかは別として姿勢の問題として日本の領空に北朝鮮が危険物を投げ込んだ。これは危険除去の権能でいうと警察権です。消防の、警察権の排除。たぶん物理的には自衛隊の能力を使うしかないと。これは別に集団的自衛権でも何でもないですね。家の空間にゴミを入れるな、この野郎というような話ですから。だから、詰めていくと集団的自衛権という本来、国際法上、集団的自衛権というのは同盟国が襲われた時に、こちらも押っ取り刀でそこへ助けに行く。つまり、海外派兵戦争権ですよね。これがどうして必要なのかが説明されていないと。だから、抽象論の話ではなくて、具体的に政策論として集団的自衛権を現在掲げることが正しいかどうかの議論をきちんとしてほしいと思います」
反町キャスター
「ただ現在自公の議論とか見ていても、7月においてもそうだったのですが、全面的なフルスケールの集団的自衛権を認めるかと言えば、そうではないですよね」
小林教授
「国内的には公明党が個別的自衛権しか認めなかったと言っておきながら、直後、安倍総理は、我々の税金を使って、たくさん外遊をしたではないですか。どこに行っても集団的自衛権、改憲しました。世界の安全保障に積極的に責任を果たしたい。あなたの国ともいろいろ協力をしたいと。これは軍事同盟を提案して歩いて、様々な補助金などを出して、外交儀礼で賛成するはずないですよね。事前に打ち合わせして行くんです。いやあ、賛成されました、外で、まさにフルスケールの集団的自衛権を、彼は語り歩いていて、帰ってきたら、絶対言わないじゃないですか、国内では絶対に触れずに、外国に行ったら、普通の人が普通に理解する国際法上の集団的自衛権を言って歩いている。これはおかしいですよ」

解散総選挙と国民の信任
秋元キャスター
「今回の衆議院選は経済政策が争点になりましたが」
石川教授
「解散権の行使はどうあるべきかをもっと真面目に考えるべきだったと思うんです。解散権というのは吉田内閣が最初に抜き打ち解散というのをやってしまって、いつでも行使できるということにその後なっていったんです、いろいろ争いがあったわけですけれども、なっていったわけです。しかし、解散権を内閣に自由に行使させていいのかということは、衆議院が自由に好きな時に不信任決議案を出していいかということと並んで戦後の憲法の歴史の中ではかなり議論されてきたところで、一方で、ただ単に内閣を倒すことだけのために不信任決議案を出していいのだろうかという問題があるわけです。これはナチスの頃に、つまり、ワイマール共和国の末期に、倒閣のためだけに共産党とナチスが手を組んで不信任決議案を出すということがあったわけですね。でも、この2つは絶対政府をつくれないわけです。その結果として体制がどんどん壊れていってしまったということがあった。だから、とにかく新しい内閣を用意できなければ不信任決議案を出してはいけないという議論になっていったわけです。それに見あう形でいつでも解散できるわけではない、解散権は制限されなければいけないんだという問題意識ができる。ですから、戦後の西ドイツの憲法は、一方では、内閣を新しくつくれる要因がないのなら不信任決議案を出しちゃいかんということを言うのと同時に、解散できるのは信任決議が連邦議会によって否決された時に限られるという議論をやっていた。これは戦後のトレンドですよ。ですから、一方で、菅内閣の末期に現れたように、菅さんを引きずり落とすためだけに不信任決議が成立されそうになったわけです。これは鳩山さんの不思議な行動によって回避したわけですけれども、非常に大きなことだったと思うんですね。そこでもし倒閣のためだけで、新しい内閣を用意できない状態なのに不信任が通ってしまった。これは取り返しのつかない前例をつくってしまった。同じように解散権というのをいつでも行使していいというわけではなくて、行使されるべきというのを実際の運用上定めていかないといけない。特に、日本国憲法の場合は、解散権がいったい誰にあるのかということについての明示的な規定を持っていないんですよね、厳密に言うと」
反町キャスター
「総理とは書いてない?」
石川教授
「書いてないです。解散があるということは書いてあります。69条には不信任決議案を通った場合に解散される場合があると書いてあります。それから、7条には天皇には解散を宣言するということは書いてある。ただ、解散は絶対あるわけです。誰が解散権を行使するかは書いてないです。69条も受身で書いてありますので解散される場合があるとは書いてあるんですけれど、誰が解散するのかわからない。ここは解釈と運用で埋めているわけです。この点参考になるのは国会の招集権で、国会の招集権は内閣が持っていると書いてあるんです。だったら、おそらくバランスからいって相応しいのは合議体としての内閣が解散権を持つということだろうと。ここまでは1つの議論としてはあり得るわけです。しかし、当然、内閣総理大臣が解散権を持つという議論にはなってないわけですよね。それは非常に飛躍があるわけです。つまり、罷免権を行使して、言うことを聞かない大臣をどんどんクビにしていけるから、最後は総理が決められるんだと、そういう非常に飛躍がある議論ですけれども、逆に言えば、そこまで罷免しないと解散ができないということは、解散権は総理にあるのではなくて、あくまでも内閣にあるということを意味しているわけです」
反町キャスター
「議会制民主主義とか、国会をあらためるべきところは?」
石川教授
「オープンスペースになっているんですね、そこは。どう決めるかは議会政治の力量でもって決めていくんだということになっています。イギリスの憲法史では不文でやってきたと。条文をつくらないで議会の運用でやってきた。オープンスペースになっている以上は、我々がよい政府をつくっていかなければいけないということになるはずですね。その過程でできたのが現在の政府の形であり、解散権の行使の仕方だけれども、より良い政府、より良い統治をつくるためには、もっと必要な場合に限って解散権を行使する。あるいは党利党略の解散をしないということがあっていいのではないのかということは、議論としては繰り返し行われてきたことで、これは現在のままでいいということではなく、むしろ運用によって、こういう場合に解散するのが相応しいとしていかなければいけない。もっていくのが議会政治の力量だし、議会政治家の力量だと考えるべきだと思いますけど、残念ながらその逆で、ですから、これが解散権の濫用でないならば、日本の政治はやはりあまりいいものではないなということになりますし、そんなことはないというのであれば、今回の解散権行使は濫用だったと批判されるべきなのではないか」
百地教授
「他方で今回、大儀なき解散ということは盛んに言われた。これが私には非常に異常に聞こえたんですね。つまり、これまでは大儀なき解散なんて議論そのものが出てこなかった。先ほども出ましたけれど、第2回の解散が抜き打ち解散ですよね。こんなのはまったく大義もなにもないでしょう。鳩山一派ですし。それを抑えるためにやったわけでしょう。中には死んだふり解散もあったでしょう。郵政解散だっておかしな話ですよ。郵政民営化法案が衆議院で通ったけど、参議院で否決された。やけっぱちですよ、衆議院を解散するなんてまったく筋がないでしょう。そういう意味ではいいとは思いませんが、過去にもそういう首相の解散権というのは自由裁量ですから、従って、その是非はまさに国民投票によって決めるわけですから。つまり、選挙によって国民が判断するわけです…あまりにも酷ければ国民も反発するでしょうし、そういう意味では自由裁量と言っても、それなりに国民の抑制が働いているはずですから。ただあるべき姿はそうかもしれませんが、過去の経験からすれば、それが解散権として行われてきたわけだし、それからまた、それなりの抑制は働いてきたのではないかと思っています」
小林教授
「私は百地先生に近いのですが、理由は、フランスとかドイツはそれぞれ歴史的事情が違うし、我が国の議会制度は主にイギリスの真似をしたと言われていますから、イギリスの憲政史で見る限り解散権というのは、典型的な自由裁量。つまり、好きな時に好きにやる。嫌な勢力は論争で勝って総選挙で審判を下す。もう審判は下っちゃったではないですか。だから、私は国民の下した審判は悪趣味だと思いますけれど、悪趣味も趣味のうちでね。ここの解散権について、立法論を議論するなら別として、現在ここで解釈論争、大学の講義みたいにやっても始まらないと思いますけどね」

改憲発議と国民投票の行方
反町キャスター
「憲法改正をする時の手続きで、96条から手をつけることについては?」
小林教授
「これは論外な話になりまして、つまり、憲法というのは先ほど来、お話していますように、国家権力を拘束するものですから、国家権力を持っている人というのは、国会の過半数を持っているわけですから、それを過半数に落としてしまったら、権力を持ったら発議できるし、権力者から発議されたら大衆は弱いものではないですか、総選挙においては。だから、権力者をもってしても超えられない大原則として憲法はあるわけですから。それを硬性憲法と言って、成文憲法では多かれ、少なかれ、皆、硬性憲法。これは触ったら、いけないと思います」
百地教授
「確かに96条改正は、権力者が自らを縛っているものを緩めていいのかという議論はわかりやすいです。しかし、実態としてそうかと言うと、そうではないんですよ。実態としては国民の過半数、6割ぐらいは憲法改正を支持していますね。世論調査ではそういう数字が出てきています。一般論で考えた時に、過去には6割ぐらいの国民が支持して、衆議院でも3分の2を占めた頃もあるわけですよ。ところが、参議院で3分の2いかない。必ず3分の1以上の護憲派がいました。そのために国民が賛成し、衆議院でも3分の2が賛成しても、参議院で3分の1超というのは81名です。僅か81名が反対したら、国民が望んでも衆議院が望んでも憲法改正発議もできない。これはいったいどうなのだと。これを使って、護憲派は戦後3分の1を確保することを目的としてきたんですよ。たとえば、中選挙区時代にはわかりやすく言うと3名の定数があるでしょう。1議席を確保しておけば憲法改正は阻止できるという発想できたわけで、96条はむしろ憲法改正を阻止するために使われてきた。現実にも阻止というか、憲法改正の歯止めになっちゃっているわけですね」
石川教授
「それは憲法論ではないですね、政治論ですね。私は先ほどから何となく理屈ばかり言っている役まわりになっちゃっているんですけれど、それは理屈にあわないことは立憲主義から外れているというのを明らかにするためですね。逆に言うと、同じルールのうえでゲームをしてくれない勢力、ゲームすることを破壊しようとしている勢力が一見すると、立憲主義のような顔をして憲法を変えようとしている。そこに厳しい目を持ってもらいたいと思うということがあるわけです。たとえば、先ほど憲法の定義について百地先生が授権規範であるということを強調して、制限規範ばかりを強調する議論というのはおかしいのではないのかということをおっしゃいましたけれども、授権規範という議論をおっしゃるのであればまず憲法論上、国柄は語れなくなりますし、それから、96条の改正はできなくなります。つまり、授権規範として憲法を捉えるという、法学的な見方をすることによって、ウェットな国柄に拘る憲法論がひとまず棚上げ…と言うか、それは憲法論ではない政治論、情緒を持ち込んでいるのだと。憲法は立憲主義の議論と違うものを持ち込んでいるんだということを炙り出してしまうんですね。逆に、授権規範という観点から言えば、憲法改正規範も授権規範である。その憲法改正規範をつくるのはどこからきたという議論になっていって、結局、それは改正できないという話になるわけですね。これはちょっと省略しますけれど。ですから、授権規範であるということを強調すればするほど、ウェットな憲法論から、政治性、あるいは情緒性が消えて、立憲主義のルールに基づいた共通の土俵ができる、そういう話ですが。先ほどから繰り返しそれを破ろうとされているのは、私にとっては非常に気になるところです」

これからの改正論議は
秋元キャスター
「憲法改正で、緊急事態条項、環境権、財政健全化規定、どれから審議に入ればいいですか?」
小林教授
「自民党的には環境権をお勧めします。つまり、公害企業の方は財産権や職業選択の自由は憲法上、活用の根拠がありますが、破壊された環境の中で命を害される国民の前では明文の根拠がない。ただ、これは社会の憲法の常識ですから、環境権というのを入れておいた方が座りいい。これについては異論がないと思うんですね。もちろん、環境というのは公害企業にとっても環境ですから。権利、義務としてうまく区分できないから国家の環境保持責務みたいな形で収まるかもしれないけれども、これは異論のないところだと思うんですね」
反町キャスター
「加憲についても、先ほどのスタンスと同じですか?」
石川教授
「つまり、まっとうな改憲論ができる環境があるならば、どんどん議論すべきだし、直すところはたくさんあると思いますね。問題は改憲をすると、つまり、立憲主義の土俵に乗って変えていくという、そういう名目でゲームそのものを壊そうとしているという議論が多発しているわけですね。96条改正もそうですし、至るところでそれをやってくれと。だから、とてもではないけど任せられないということだと思うんです。小林先生がおっしゃったように、立憲主義のルールのうえでまっとうな改憲論をしてくれるのならば、直すところがない法はどこにもないわけですから。細かいところを言えば、いっぱいあるわけです。自民党も挙げていない情報だっていっぱいあるわけですよ。だけど、そうではなくて、そのことによってゲームのルールを壊そうとしているということを、ここで強調したいわけです」

百地章 日本大学法学部教授の提言:『日本の再建のため憲法改正を急げ!』
百地教授
「本日の議論はもっと憲法の中身、改正の中身に入ると思ったのですが、なりませんでしたけれども、国家にとって重大なこと、しかも、緊急性を要すること。これが憲法改正のテーマだと思います。まず第1点は緊急権、緊急事態。たとえば、首都直下型地震が発生して、それにどう対処するか。憲法に規定がありません、諸外国にはどこにもありますから。もう1つは、9条論ですが、現在の自衛隊は警察組織であって、実態は軍隊ですが、法制上では警察であって軍隊ではない。軍隊にしないとこの国は守れないと。9条1項は堅持します、平和主義を守る。もし日本が攻撃を受けた場合どうするか。そのための改正であって、9条改正ではありません。9条2項改正だということを申し上げて、それをしないと日本が立ち上がれないと思っていますので、このように書きました」

小林節 慶應義塾大学名誉教授の提言:『フェアプレー』
小林教授
「昨年の96条先行改正も、ゲームの前にゲームのルールを変えようとしたり、今年も集団的自衛権を一番大事に思っていながら、総選挙でも争点隠しをするとか、何か胡散臭いというか、手続き無視のアンフェアな気がするんですね。先ほどの石川先生の話になりますけれども、こういう雰囲気でこういう人々に改憲のリードをさせていいのかという不安が残ります。まずはフェアプレー」

石川健治 東京大学法学部教授の提言:『重層性 通訳可能性』
石川教授
「今日話したかったことは、話せないまま終わってしまいそうなので、これを説明するのに時間がかかっちゃうのですが、重層性と書きましたのは、物事をあまり単純に考えないでもらいたいということです。たとえば、先ほど9条論に入りかけて終わってしまいましたけれど、9条に限りませんが、憲法の授権規範というのは、実は非常に重層的にできていて、権限を与えるか、与えないかということだけではなくて、なぜそれを行使するのかという議論、それに財源を伴っているような議論がいいかという議論。常に複層している形で議論が進められているわけで、その中の上澄みだけをとって、適当な話に持っていかないでもらいたいということを本当は詳しく話そうと思っていました。通訳可能性というのは、一言で言うと、外国語にして通用する議論をしてもらいたいと。つまり、内輪の議論ではなくて、先ほどの9条に関する議論、あれは集団的自衛権というのは外国に通じないとおっしゃいましたけれども、翻訳すれば説得できると思います。ですから、いわば日本固有の議論であっても、外国に説明できるような通訳可能な議論に持っていくという冷静さというものが、今後の改正論議には是非ほしいということを本当は申し上げようと思ったわけです」