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2014年12月12日(金)
安藤忠雄と日本再建築 大手術から最前線復帰

ゲスト

安藤忠雄
建築家

安藤忠雄が語る “あきらめない”生き方とは
遠藤キャスター
「安藤さんが著書や講演などで常々訴えてきたのがあきらめないという気持ち。どんな思いからこの言葉を訴えてきたのでしょうか?」
安藤氏
「私は建築の専門教育を受けたわけでもなく、大学の教育を受けたわけでもなく、建築をやりたいと思ったんですね。1つは、15歳、中学2年生の時に、数学の先生が数学の教え方がすごく、猛烈に教えるわけです。こんなに本人が信じて教えているのだから、面白いと思いました。もう1つ、私の長屋を平屋建ての2階にしたんですね。その時に、私がちょっと設計をしてやりました。それは働いている大工さんが、昼飯も食わずにやると。すごいなと。それほど面白いんだと思って、うまく線があったんですけれども。なかなか大学に行けない。家庭の経済的な理由で行けない。学力もない。どうするかと。やりたいわけですよ。だけど、やりたいからあきらめないでいこうと。こう考えるわけですよ。だから、自分なりに勉強をして突破できるのではないかと思いました。それで下町なものですから、近所の人達は安藤さんの子供がかわいそうなことになったなと。頭がおかしくなったのではないのと。大学も行かずに、専門教育も受けずに、建築家という職業を選ぶというのはとんでもないやつだと思ったと思うんですね。ならばやってやると。そういうならばやってやると思って、これまでやってきましたけれど、偏差値教育もレベルが低いとあきらめるではないですか。一流の大学に行かなかったらあきらめる。そうではなくて、それならば、自分なりの道を、自分で切り開くことを考えた方がいいのではないかと思いますね。私はそう思ったわけですよ。もちろん、皆が相手にしてくれるわけではない、20代。ならば認めてもらうようにしたいと思いましたね。あなた、専門教育も受けていないのに一級建築士のライセンスがある。二級建築士ライセンス、通るかと。その時に、思いましたよ、大工さんの昼飯も食わずに。アルバイトに行っている先で昼飯は食わない、昼も1時間勉強できるではないですか、パンを食べながら。1年あれば365日ある。1回で通りましたよ。また、一級建築士の試験を受けると。安藤さん、ライセンスあるのという人がいるんですけれども、まだ、二級建築士をとってから、次もこういうスタイルでいくと」
反町キャスター
「完全に独学で、建築士資格をとられたのですか?」
安藤氏
「そうです」
反町キャスター
「何か予備校みたいなところには行かなかったのですか?」
安藤氏
「行かない。昼の時間、1時間ある。家に帰ってからも勉強できないです。働いているから、昼。疲れて。だから、そうしようと思いました」
反町キャスター
「野球選手になりたいという、そういう子供の憧れのレベルとは、僕は思いませんよ。だけれど、何かなりたいものがある中で、そのうちにだんだん自分の現実とか、先ほどまさに言われた大学に行けるとか、行けないとか、家庭が裕福か、貧しいか、他人の状況を見ながら自分の選択肢をだんだん削り込んでいくんですよね。あきらめるという。そういうのは」
安藤氏
「あきらめないで行こうと。だから、周りの人ははっきり言うと相手にしませんよね」
反町キャスター
「安藤さんを?」
安藤氏
「ええ。これはダメだと」
反町キャスター
「そんなところで無理するなという意味ですね」
安藤氏
「だけど、それがやりたいと思う心があれば、無理でもいけますよ」

東北復興に必要なこと
遠藤キャスター
「安藤さんが、震災の2か月後に指揮者の小澤征爾さんや、ノーベル賞受賞者の小柴昌俊さんらと立ち上げたのが『桃・柿育英会』、東日本大震災遺児育英資金と言いまして、錚々たる様々な分野の方々が発起人となりまして、毎年一口1万円の援助金を基本10年間継続するという参加方法がありまして、当初は1万人の会員を目標とされていたのが、現在は2万5400人が会員となっているという基金ですね」
安藤氏
「25億4000万円、それでいけば」
反町キャスター
「10年間でね」
安藤氏
「1年経ったら辞めたいという人が、いっぱい出るわけ。1年、3年ぐらい経てば。5年ぐらい経ったら辞めたいと。大阪でも、5年ぐらい経て辞めたという理由が出てきますからね。面白いのがいっぱい出てくるわけですよ。前の返してくれませんかいうのもね、面白いの。だけど、現在のところ、それだけあるのですが、100万円の人がいっぱいいるんですよ。現在でも一月に100万円、突然振り込んでくる人が3人はいます。44億円ぐらいだったかな」
反町キャスター
「44億円?当初は10年かけて24億円のはずなのに、もう44億円が集まっちゃっているのですか?」
安藤氏
「うん」
反町キャスター
「それを遺児の学資に分けようと」
安藤氏
「各県、3県にちゃんと送っていますから、彼らはちゃんと配布していますのでね。十分これは足りると思うんですよ。だけど、これは経済的な問題です。各県の人間が子供達を本当に大切だという思いがないといけないと思うんですよ。それが心の支援。学生にやれたのは経済的な支援ではないですか。これは大したことはない。だけど、よく1万円もずっと払い続けてくれる方々がいるということは、日本人はすごいなと思いますよ」
反町キャスター
「ワンショットの1万円ではなくて?」
安藤氏
「10年」
反町キャスター
「この10年はどういう意味ですか。なぜ10年なのですか?」
安藤氏
「だって、思い続けないと。ぱっと100万円じゃなしに、桃も柿も植えてもすぐに育たないではないですか」
反町キャスター
「すぐには、翌年から実がなるわけではないですよと」
安藤氏
「ないですよと。10年経てば、現在10歳の子供も20歳になりますからね。そのことを含めて、皆で長く支援していこうということです」
反町キャスター
「その部分のまさに、あきらめないという、たぶん持続力…」
安藤氏
「そうです」
反町キャスター
「それは、安藤さん、最初10年ということに関しては、迷い、たとえば、5年にしようとか、3年にしようとか、10年と言っても、皆嫌がって、来ないのではないかなと。そんな不安はなかったのですか?」
安藤氏
「私は、不安はなかったです。とにかく一番大事なのは持続力ですよ。瞬発力も要りますけれどもね。持続力。それから、日本人が忘れかけている忍耐力。日本人のいいところがあるじゃないですか。忍耐力もあるし、持続力もあるし。農耕民族ですからね。この良さをしっかり踏まえてできることをしたいと思っています」
反町キャスター
「その基金のお金を受けて、勉強を続けられる、ないしは上の学校に進めるようになった子供と、直接、安藤さんがお話になるような機会というのはあるのですか?」
安藤氏
「学校に何回か行きましたけれどもね。だけど、その人達が最後まで、まだ2011年からですからね。3、4年ですからね。だけど、この人達がしっかりと、各県の知事さんがしっかりとサポートをしていますから。我々は事務方がいます。事務員は皆、私が個人で払っています」
反町キャスター
「事務員は、安藤さん持ちなのですか」
安藤氏
「うん。それは事務費。寄付する人達(の寄付)が、全額子供達に行かないと。ならば、私の事務所でそれは全部引き受けると。それは責務だろうと。たとえば、我々がそういうところに行く交通費とかも、そういうのも全部出して」
反町キャスター
「それも安藤事務所持ちですか?」
安藤氏
「私ですね」
反町キャスター
「安藤さん持ちなのですか?」
安藤氏
「しょうがないね。これは。お金って持って死ねないからね。どうするのですか」
反町キャスター
「あの世に持っていけるものではないですからね」
安藤氏
「持って行けるものではないです。いいではないですか。それで」

大手術からの再起
遠藤キャスター
「今日、お会いして、本当にお元気なので信じられないのですが、今年の7月ガンで、すい臓を全て摘出するという、非常に大きな手術を受けています。日本でもかなり成功例が少ない手術だったと聞いているんですけれども、それだけの大きな手術だったのでしょうか?」
安藤氏
「いや、6月の中頃に、安藤さん、すい臓にガンがあると医者に言われ、取らないといけないと。脾臓も取らなければいけないと。どうですかと聞かれたら、これまでに、すい臓を取って生きた人はいるけど、元気になった人はいないというから、あきらめないというのも含め、ならば元気になってやろうと思いました。大阪の名門の北野病院というところでやったのですが、外科部長がそういうから、ならばやろうと、やらざるを得ないから。すい臓と脾臓を全摘しました。10時間ぐらいの手術だったと思うのですが、私は、わかりませんがね、麻酔をしていますからね。一月ほど入院していました。退院してから、一月ぐらいは、あとはこの調子で現在でも。その代わり仕事は前みたいに働くなと。だいたい半分ぐらいにしろというので」
反町キャスター
「前の半分と言っても、たぶん多いですよね」
安藤氏
「多いんでしょうね。前も多いけれども、だから、今度は、朝10時頃起きていたのを、11時にして。12時45分ぐらいまで仕事をして、食事に行くではないですか。家が近くなものですから、2時から家に帰って、4時半頃まで家にいて、また、事務所に行くんですよ。その時に本を読んだり、読めなかった本がいっぱいありますから、読んだりと。ちょっとうとうとしたりしながら過ごすのですが、人生の最期にこんな良いのがまわってくるんだと思いましたよ」
反町キャスター
「その良いと言うのは、どういう意味ですか?」
安藤氏
「良いって、本を読んで、楽しいではないですか。自分の目標がまたできるじゃないですか。ビジョンをつくらないといけないから。まだビジョンもつくれる。新しい考え方ができる。こんなに良いことはない。だから、月、水、金。3日ぐらいはアスレチックに行っていますよ」

生きることを“あきらめない”
反町キャスター
「すい臓と脾臓を全摘されて、元気で生きている人は、あまりいないんだよという話ですよね。元気で生きている、初めての例なわけですよね、おそらく」
安藤氏
「そうでもないけれど、生きていると思いますけれども、基本的にはそれを乗り越えていく気力が要るのではないですか」
反町キャスター
「たぶん、そこですよ。その源は何ですか?」
安藤氏
「やはり生きるために生きるという、生きるためには生きる。だから、しっかり生きたいと。家族のためにも、地域の社会のためにも、自分の事務所のためにも。生きるために生きると。それ以外はあまり考えていない」

自身の生きる糧とは
反町キャスター
「ハングリーさか、ないしは知的な好奇心が旺盛なのか。ハングリーな人と俗によく言われるじゃないですか。これはまだ食べたことがない、これは見たことがないからとか。まだまだ俺は稼がなくてはいけないとか。そういう物欲とか、知的な欲求が強いとか、そういうことではないのですか?」
安藤氏
「ないです。お金をそんなにもっと儲けたいとか。もっと事務所を大きくしたいとか、そういうの考えないんですよ。もう30年、同じ事務所の大きさなんですよ。東京に出てきてもっと仕事がしたいとかなしにずっと大阪にいるんです。大阪からヨーロッパやアジア各国、アメリカで仕事しているんですね。私の収入の90%は外国です。現在、東京に出てきたら便利なんじゃないかと。不便でも、大阪に育てられたのだから。この面白い大阪でずっと生きたいと思っています。だから、絶対に将来、東京に行きたいとかはないと。仕事はしますけれどもね。そういう中で自分の町。自分の地域社会、家族、事務所。そういうものを守りながら、世界と対話をしたいと思っている」

上海・保利大劇院へのこだわり
遠藤キャスター
「さて、世界的に活躍されている安藤さんですが、近年はアジアでも、精力的に仕事を手がけています。中でも、中国ですが、最近では上海保利大劇院という、アジア最大級のオペラハウスがあるんですね。こちらはどういうつくりになっているのか。話を聞いていきたいと思うんですけれども、断面図ですね。模型がありますが…」
反町キャスター
「建物全体が四角いものになっているんだけれども、中にいろんな円筒が組み合わさって建物になっていると。これを狙った意味は何ですか?」
安藤氏
「まず1つは、これまで1番重要なのは、オペラハウスでいうなら、ロビーですね。皆入ってきた時に、皆で出会って、劇場の中では話できませんからね。皆出会う場所です。私は人が集まる場所をつくりたい。教会をつくる時には、人が集まってきて、皆で会話をする。オペラハウスも、オペラを観る時は別にして、入っていく時に、こんにちはと、元気ですかと。こういう話、会話をやるのがロビーですよ。ロビーをすごく圧倒的に、ダイナミックにいこうと。それは現在オペラハウスがあっちこっちできるんですけれども、それが少ないんですね。ロビーはある程度あるが、こんな動きのあるロビーはできない。私が考えたのは、中国ならば世界中ができないものができるのではないかと。元気がいいから。要するに、現在元気のいい建築でいこうと。円筒形で、あっちこっちでぶつかっていきますからね」
反町キャスター
「円筒形というのは、この様々な円筒形がそれぞれコンサートホールになっているのですか?」
安藤氏
「いや、これはロビーですから通路みたいなものです。劇場に入るまでにドラマがあると。このドラマを楽しみに行く、自分を確認しに行く場所ですから。音楽を聴きに行く場所、自分が生きているということを感じる場所。ロビーでしょうと。上から、ドボーンと円筒形があって、横からスーッと入って、ぶつかり合うと。この建築を発想した時に、日本の建設会社の方々、トップの企業ですけれども、どうだろうと。安藤さん、これはあかんと。日本の建築業は世界一です。技術的にも。職人さんのレベルも世界一です。非常にスケジュール管理も、品質管理もよろしい。ですが、先がよくわかっているから難しいことに挑戦をしない。1964年のオリンピックの時に、代々木に体育館がありますよね。丹下(健三)先生が手がけた」
反町キャスター
「尖っている。三角形の」
安藤氏
「うん。あれは大変難しい。現在でも難しい、あの工事は上から吊ってあるやつに、横からもう1つ吊ってあるんですよ。2階にするというのがもちろん、難しいのですが、1960年代は、国民もあれをやり遂げようと。技術者もあれをやり遂げようと。丹下先生のチームもやり遂げようという勇気。技術はなかったと思いますよ。だけど、勇気とチーム、組織がやり遂げたんです。世界の人達は、あれを見て、こんなことができるのかと思ったそうですが、私もそう思いました。よし、それならばというのでお見せしたら、やはり難しいと。日本の場合はまず品質管理ができるから、スケジュール管理ができるし、コスト管理もできるから。収まり過ぎですよ。いわゆるプラスアルファ、可能性にかけないですよ。難しいなと」
反町キャスター
「ごめんなさいね。本当に建築を全然知らない素人の質問だと思って、勘弁してください。その設計図を引かれて、こういうものをつくろうということで、業者の人達、建設会社と話をする中でプラスアルファとは何ですか。設計図の通りできること以上のことという意味ですか?」
安藤氏
「設計図は、非常に難しいことを要求していますから。工事は現実ではないですか。我々はいつも、たとえば、30階建てのビルがあると、現場監督がコストプランニングするではないですか。それから、技術管理もするではないですか。周辺の人と話し合いをするではないですか。現場監督の頭はどうなっているのかなといつも感心をするね。我々は図面を描くだけですよ。図面の中ではできるようにはなっているんですよ。それを現実にしなければならない。その間にすごく難しい作業があるわけです。現実に、これを現実にしなければならないわけです。だから、そういう図面を見た時に、現実的に円筒があるんですね、こちらから円筒があたります、円筒と円筒があたったら、こうなるんですね。円筒と円筒でこういう不思議な形になるわけですよ」
反町キャスター
「これが」
安藤氏
「この当たりが難しいところ、非常に思いきってやる勇気がいるわけです。どう収まるかというのがあるわけですよ。うまくきれいにできるか。日本の技術者はレベルが高いから、これは難しいから、難しいねで、終わるわけですよ。中国の技術者の達はものおじせずに言ったわけですよ。もう、やってみようと。それが大事ですよ。人生もそうでしょう。人生最期までわからないじゃない」
反町キャスター
「たとえば、尖っているところ、ピキッとなっている部分の造りというのは、安藤さんのイメージの通りになっているのですか?」
安藤氏
「うん、なっています。なっている。だから、中国の技術者達がよく造ったと思うんですよ。そのことを考えると、彼らは可能性にかけたわけです。私も可能性にかけたわけですよ。それで現場の監督、現場で働く人達とチームができているわけです。皆で勢いよくいこうと。うまくいかなかったら、またやり直そうというのでいったわけですね。よくいったなと」

韓国・ミュージアムSANとは
遠藤キャスター
「韓国ではミュージアムSANを手がけましたが」
安藤氏
「ソウルから2時間30分くらいかかりますが、クライアントはこの場所でやってほしいと。遠いねと。行ってみて私は絶望的になりましたよ、ソウルからまだ着かないのですか、まだですかと。まだですと。こんなところかと思いましたけど。だけれど、人の意欲というのは、熱意というのは一般の人には効きますね。それともう1つ、思い切ってやる、大胆にね。たとえば、大阪にUSJというのがあります。ハリーポッターの館があります。私はオープニングの前に見せてもらったんです。こんなところに?と思いましたよ。450億円ぐらいかけてハリーポッターの館。張りぼてでしょう、あれは。思い切ってやっているから、すごく客が来ますね」
反町キャスター
「それは先ほどの上海のオペラハウスは、形は全然違いますけれども、そこの部分は同じなのですか?思い切りというのは」
安藤氏
「そうです。思い切り。ここは石が積んであるんですけれど、その場所で出た石ですよ。この場所でしかできないことをやろうと。中国(の場合)は大胆にダイナミックに。(韓国の場合は)この場所にしかできない韓国の風土に沿った建築をつくろう。だから、その場所に出てきた石を積んでいるんですね。そういうことも含めて、できればアジアでつくる時は、もちろん、ヨーロッパも一緒ですけれど、その場所にしかできない建築を、その場所の風土や歴史をしっかり知って、どう新しい現代建築の中に封じ込めるかということでしょうね」

アイデアの生まれる瞬間
遠藤キャスター
「視聴者からの質問ですが『安藤さんの建築が好きで実物を見に行ける範囲で行っています。どういった場所や時間を過ごしている時にアイディアが浮かぶのでしょうか?』とのことですが」
安藤氏
「座っていても考えているし、歩いていても考えているし、いろいろなことを考えながら、それが形になるのは事務所ですけれど、考えるのは四六時中考えながら…形にしていかなければいけない。それは事務所でやりますけどね」
遠藤キャスター
「瞬間的に?」
安藤氏
「ある程度。閃く前に、私は可能な限り外国世界の建築を見てまわっているわけですよね。我々よりもはるかにすごい建築をつくっている人がいっぱいいるわけですよ。我々のアイディアも先人の人達のアイディアをうまく租借している部分もあります。自分達の考えを入れている部分もありますが、決して自分ら1人でできているわけではないのです。たとえば、先ほどの代々木体育館は丹下先生。よし、もっと面白いものをと思うではないですか」

安藤忠雄が本音で語る! 復興・大病克服・いまの若者たちへ
反町キャスター
「建築というのは、実用性と、芸術性、驚きのバランス。そこが、安藤さんが惹かれている部分ですか?」
安藤氏
「そうですね。前にアルマーニの劇場の本社の設計を依頼されましたが、何で我々に依頼されるのですかと思いますよね。聞いてみると、安藤さんの感性も良いだろうけども、何よりも日本人の感性は良いと言うんですよ。春夏秋冬、いつも美しいものを見て育ってきたと。昔の話ですよ。だけど、彼はそう思ってないわけですよ。まだ浮世絵の時代かもわからないけども。そういう文化的な力の中で生きてきた中で日本人の春夏秋冬、繊細な神経も含めて、礼儀正しい、いいものも含めてあると。だから、安藤さんに頼みたいと。いろいろな人達を見て、日本人を見て、その中で自分の感性と安藤さんがあっているからアルマーニは頼みたいとこうきたわけですね。わかりやすいではないですか。現在その美しい自然を壊してきたではないですか、日本中。私は1962年に日本グルッと見てまわったんですよね。その時の自然風景はほとんどないです。民家もない。石積みもない。風景がなくなっています。その時の風景が私の頭の中でしっかり残っているわけですよね。その時の感性は、日本人はすごかったのではないかと思うんですね」
反町キャスター
「日本人の感性はおよそ50年前に比べるとどうなっちゃってるんですか?」
安藤氏
「だから、現代的になっていると思いますけれど、いやそれは難しいと思います。両方いると思うんですね。たとえば、江戸時代に農民が野良仕事をしたあとに俳句を読むと。大変じゃないですか、それ。野良仕事というのは、それをやってみたことが私はないけれども、それは大変な作業ですよ。そのあとにまだ俳句を読むと。すごいではないですか。このことを考えると、私は昨日、一昨日かな、芭蕉が奥の細道を歩いて行くルートを見ていたら、あれを歩いていくのか、その村々に芭蕉を待ち受けている人がいた。曾良と一緒に行くわけでしょう。待ち受けて食事を出し、お互いに俳句を読みあいながら行くという文化論だから、世界でも類を見ないですよ。そのままレベルアップしてきたわけでしょう。だけど、それをサポートしてきたのは日本の自然ですよ。周囲が海であると。山があって、水が美しい。こんなにおいしいと。こんな国はないわけですよ。その中から育まれてきた文化ですから、もう1回、我々は自分達が持ってきた自然を考え直さなければならんと思うんです。だから、瀬戸内オリーブ基金をやったんですよ。これはあちこちに募金箱を置いた。その集まったお金で瀬戸内海周辺のはげ山になったところを戻していくというのを、もう15年やっているんです。もともと中坊公平さんがいたでしょう。河合隼雄さんと3人でスタートした。で2人亡くなって、最後までがんばれよと言われて、がんばりますと言ってやっているんですけれど、15年。結構いきますよ。それでずっと植え続けてるんですよ。持続力は力ですよ。15年やっている。現在オリーブを売っていますからね。オリーブオイルを。そういうことも含めて小さいけれども、何もならないようだけれど、やりたいと思ってやっているんです。たいしたことないですよ、小さいことですけど」

いまの若者をどうみるか
遠藤キャスター
「海外赴任をしたくないという若者が増えていますが、若者が内向きになっているのではないかという指摘もあります。現在の日本の若者をどう見ていますか?」
安藤氏
「日本の国は住みやすいんですよ。だから、こんなゆっくりしているのにそんなわざわざある面で自己主張の激しい国に行きたくないというんでしょうね。これではダメですね」
反町キャスター
「それは尻を叩いてでも出さなくてはいけないのですか?」
安藤氏
「だけど、自然にはなかなかなりませんけれど、出さないといけないと思いますのは1853年に黒船来ますね。あの時に吉田松陰はあの船に乗って外から日本を見なければ、日本は潰れると言うとるわけです。で、乗ったんです。交渉したけれども、行けなかったんです。その人達、坂本龍馬も含めて、ああいう人達が外から日本を見て、日本が外へ行かなければいけないと思った人達がいて、明治ができるわけですけど、現在の若い人達はその恩恵を被って、ゆっくりしているではないですか。1960年代の経済力と、1970年代も含め、豊かになりましたから、もう豊かになったのだからというので安心していますよね。子供達が安心していたらダメだと思わないと。一番大きな敵はシェークスピアが言うように安心が一番大きな敵なんですよ。心の中の安心が一番大きな敵ですよ。だから、安心を取り払わないといけない」
反町キャスター
「それは危機感をいたずらに煽るわけにもいかないですよね」
安藤氏
「いたずらに煽るのはいけないけれど、まず親の方が。このままでは社会は安定していけるはずじゃないのは、多くの人がそう言っています。私もそう思います。ならばどうするかということを考えなきゃあかん。まず動物でも、鳥でも皆そうですけれども、ある程度大きくなったらぽーんと自分で行くようにと。だから、まず責任感のある個人。同時に自立した個人をつくらなければあかん。それは18歳ぐらいまでの勉強ですよ。勉強というのは教え方ですよ」
反町キャスター
「教え方というのは学校の勉強ではないですよね?」
安藤氏
「うん。私は、小学校6年生の時に、扁桃腺のところを手術したんですよ。その時におばあさんが言いましたよ。行ってこいと、病院へ。保険証とお金持って行きました、1人で。それで切ってきましたよ。その時に、私がついて行って、痛いかと、血が出るねと言うても一緒でしょう、先生いるんだからと。1人で行きましたよ。6年生の時。だいたいおばあさん育てはダメだと、いつも可愛がりますからね。私もそうだったんですけれども、いざという時は決断せんといかん。私は行きました、それで問題ない、行けるよ、1人で。ちょっと怖いかなと思ったけれどね」
反町キャスター
「愛情ありながら突き放すバランス。日本の親が子供に対するバランスが欠けているという印象で見ていますか?」
安藤氏
「過保護でしょう。(学歴が)優秀な人ほど過保護でしょう」
反町キャスター
「現在の日本は貧富の差が激しいですか?」
安藤氏
「私はそう思います。圧倒的に激しいと思いますよ。その時に、子供を増やして、子供が増えないと、たとえば、商品も売れない、家も売れない。子供は宝ですよ。子供が宝だということを忘れてはいけないね。子供が宝なら、どうして育てるかを考えなければいかん。(子供が)増えている国もあるんですよ、フランスとか。それは、テレビでしか知らないけれど、よく考えているね」
反町キャスター
「日本はそのへんのまだ配慮が足りないということですか?」
安藤氏
「足りないと思います。国民がお互いに理解しあいながら、考えていかなければいけない。国民の問題ですよ。政治家の問題だけではないです。国家あって、会社あって、自分ですよ。国民は国家のこと考えないと。いくら地球は1つだと言っても、日本という民族はあるわけですから、そういうことをしっかり考えなければいけないですね」
反町キャスター
「安藤さんの幼き頃、若かりし頃というのはなかなか学校にも行けないとか、苦労されたわけですよね。そういう中で育った方というのは、現在の人達に対しては、そういう苦労はさせたくないと普通思うのではないですか?」
安藤氏
「私はそこが間違っていると思う。親が苦労したら子供にはもっと苦労させろと。親が苦労しているから、子供には苦労させないでおこうと思うのではないですか。そうではなしに、自分が苦労したから、子供は苦労してもらわな困ると思ったら、立派な子供になりますよ。それで知的レベルが高かったらね」
反町キャスター
「高くない場合はあきらめろと?」
安藤氏
「あきらめるのではなしに、職業はいろいろあると」

建築家 安藤忠雄氏の提言:『Vision』
安藤氏
「自分で目標を持つと。この間、iPS細胞の山中さんに言ったら、彼は、いつもVision、仕事の中からVisionを持つと。こう言うておられますが私もVision。目標をどう設定するかということは、よっぽど考え、考え、考え抜かないとVisionができませんのでね。仕事の中からVisionを持つ。私は建築の設計していますから、人が集まる場所、人が集まって生きていて良かったなという場所をつくりたい。たとえば、教会に行くと、日曜日に行くと楽しみだなというような教会をつくりたいとか、広場をつくるとそこに行くと皆がいるからあの広場に行って我々は生きていて良かったなと思えるような場所をつくりたいと思うように、私は建築の仕事ですから、それぞれあるのではないですか。そのVisionをどうつくるかということを自分で考えなきゃいかん。それで自分に対して何ができるか、社会に対して何ができるかということを考えなきゃいかん」
反町キャスター
「職業観とういか、仕事に対して、仕事というのは生活費を稼ぐものであって、それ以外のところで自分をつくっていけばいいという人もいます」
安藤氏
「そうでしょうね」
反町キャスター
「今日の話を聞いていて、仕事が安藤忠雄と言ってはいけないのですか?」
安藤氏
「私は仕事があって自分があると思っていますけれども、職業を持って、ボランティアをやる人もいます。1960年ぐらいは65歳ぐらいまでの寿命が、現在は、男性は84歳、女性は90歳。Visionを持ったら、65歳で定年になっても、85歳までボランティアができますよ。そのためには内容を問わなければ。街をきれいにするためにがんばろうとか。85歳まで楽しい人生がおくれるではないですか。女性が元気ではないですか。日本の誇りは女性が元気で美しい。だいたい8掛けです。70歳で55歳ぐらいに見えるではないですか。私は、経済力はあまり誇りにならないと思うんですよ。これからは経済力でなしに、個人個人の力と、文化力。文化は力だと思いますよ。文化は信用。たとえば、今年も3人、ノーベル賞をもらいました。iPS細胞の山中さんももらいました。こういうのは日本の信用ではないですか。日本という国はすごいなと。これは信用ですよね。信用と経済がうまくバランスしないと。個人の力がバランスすると、私は、日本という国はアジアのリーダー的国家になると思いますよ」