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2014年10月7日(火)
典子さま慶事と心配事 皇籍離脱影響は

ゲスト

西田昌司
自由民主党参議院議員
所功
京都産業大学名誉教授
百地章
日本大学法学部教授
武田佐知子
追手門学院大学教授

皇室の存続を考える 皇位継承のあり方
秋元キャスター
「皇室がどうすれば存続するかということについて聞いていくのですが、まず皇位継承について考えていきたいと思います。現在の皇位継承は、皇室典範第1条で、『皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する』となっていますので、皇位継承順の1位が皇太子様、2位が秋篠宮様、3位が悠仁様で、4位が常陸宮様、5位が三笠宮様となっています。あらためて確認です。男系男子というのはどういうことなのでしょうか?」
所教授
「その秩序を辿っていきますと、天皇がお父さんのご子孫であるということが、男系ということですが、それが皇統譜によれば、神武天皇以来、一貫してお父様が天皇であられる方のご子孫が継いでおられるということが男系ということです」
秋元キャスター
「一方で、天皇の系譜ですけれども、紀元前の神武天皇以来、今上天皇まで125代続いているのですが、その中に飛鳥時代の推古天皇を始め、8人、10代の女性天皇がいます。女性天皇の存在というのをどのように考えたらいいでしょうか?」
所教授
「これはいろんな言い方がありまして、たとえば、男系の男子が一番大事だから、そういう適任適齢の方がいらっしゃらない場合、中継ぎとして、リリーフとして出られたという考え方があります。それは一面、そうなのですが、ただし、それだけかと言うと、推古天皇の時もそうですが、当時、男子がおられたにもかかわらず推古天皇が敢えて推戴されたというのは、その方がその当時の政治なり、社会なりを治めていくうえで、非常に有能な方だったということで、おそらく東洋世界では初めて女帝としてお立ちになられるわけですね。それから、最後の後桜町天皇にしましても、確かに、中継ぎですけれども、お立ちになることが皆からも求められて、天皇の役割を果たされて、しかも、その実績を次へ伝えられたということで、単なる中継ぎという言い方には当たらない。それと、必要があってお立ちになり、役割を十分に果たされたという方々だと思います」
反町キャスター
「百地さんはいかがですか?現在の女性天皇」
百地教授
「女性天皇というのはあくまで例外であって、男系の皇位継承者が定まらない場合、若くしてまだ成長されておられない場合とか、あるいは推古天皇の例、私も専門ではありませんけれども、男子の後継者がおってもどなたに継承すべきか定まらない場合、つまり、現在のように明文の根拠がありませんから、そういう時に、一時的に女性が皇位につかれたと、私は理解をしています」
秋元キャスター
「皇室典範で皇位継承の有資格者が皇統に属する男系男子と定められたのは、明治維新以降ですが、なぜ明治政府は男子と定めたのでしょうか?」
所教授
「これもいろんな考え方があるのですが、まず事実として、男系の男子が長らく継いでこられたという事実は非常に重いと思うんです。確かに8人、10代の方がおられたにせよ、それ以外は全て男性であられたということで、そうすると、男性が皇位を担っておられることがふさわしいという考え方もあったと思います。ただ、一方で言いますと、明治時代に限りませんけれども、その表に立って公の仕事、男性がふさわしいという、敢えて女性にはそれが難しいとか、できないのだという、極端に言えば、男尊女卑的な考え方もなかったわけではない。現に、明治時代にそのことを議論した時も、明治10年代の初め頃までは、後の大正天皇がお生まれになっていませんでしたから、万一に備えて女帝も女系も認めようかという議論があったのですが、幸いに大正天皇がお生まれになりましたから、それでは男子でいこうということに変わっていくわけですけれども、そういう意味で、事実として長らく男系の男子でこられたということをなるべく維持したいということが明文化された、大きな背景だと思います」

天皇の衣服と歴史
秋元キャスター
「武田さんは、衣服を通して日本史の研究をされているということです。実は、天皇の衣服から興味深いことがわかるということですが、どんなことが読み取れるのでしょうか?」
武田教授
「これは仮説なのですが、749年に東大寺の大仏開眼会が行われた時の、天皇は孝謙女帝だったんですね。父親の聖武天皇と光明皇后とお三方で、この大仏開眼会に出席なさったのですが、その時にお三方が着用された衣服と冠がずっと正倉院に残っていた。それがもともと誰のものかというのがすごくわかりにくくなっていたのですが、孝謙女帝の頭上に、浮世絵なので、あまり時代考証はないのですが、冕冠という、板の上から12本ぐらいの宝石の、ビーズの糸を垂らす。そうした冠です」
反町キャスター
「これは、どういう儀式の時に、どういう意味を持った冠なのですか?」
武田教授
「即位礼と元日と、非常に大切な儀式の時だけに着用する天皇の衣服ですね。それを、孝謙天皇が被っておられたということがはっきりいたしまして、その冠というのは、彼女が天皇になるまでは聖武天皇のものだったんですね。それから衣服の方はお三方とも真っ白い、白の御礼服というのですが、下に褶というスカート状の裳をつけた、そうした同じ衣服を3人が着ておられたと。ここでは女帝でも冕冠を被ればということがわかるわけですけれども、ですから、聖武天皇と全く同じ格好をして、孝謙女帝は、民衆の前に姿を現したということがわかるんですね。そうしますと、日本の古代の女帝の衣服とか、冠というのは、男性の天皇だとかの区別がなかった。そのことが実際どういうことを意味するかと考えますと、天皇というのは男性とか、女性とか、そうした性差を超越した存在になるのではないのかと。男の天皇でも、女の天皇でも、天皇になった時には性を超越された特別な存在になるのではないかという、推定が可能になってくるわけですけれど、それが崩れましたのは、9世紀に嵯峨天皇という天皇が即位なさった時に、非常に中国好みの天皇だったもので、中国の制度を入れ、赤い、袞冕十二章と申しまして、日月とか、北斗七星とか、様々なものを縫い取りした模様がそうなのですけれど、黄色い服に刺繍がしてあるということになっているのですが、そうした模様をつけた衣服を着ることになったわけですね。それで女帝はどうかというと、女帝は古い形に残したと。ですから、白い衣服を着ることに、どうもなっていたんですね、規定では。それでここで初めて天皇に男女の区別ができたというか、天皇は本来、男性であるべきだという考え方が、9世紀にできたのではないかと考えられますね。そうすると、古来には6人8代の女帝が出ましたけれども、それが天皇というのは、性を超越しているものだという意識だったのですが、ここで一種変わる。それから、もう1つ変わってくるのが、明治天皇の時だと、私は踏んでいるのですが」
秋元キャスター
「和装と軍服があるのですけれども」
武田教授
「明治天皇は明治6年3月に御座のところから表の御所に行って、そこで髪を切って、お化粧をやめて、こうしたヨーロッパから導入した軍服を着用するようになって、それから、日中全てこの洋服で過ごしたということが言われるんですね。この洋服というのは、全く軍服というような男性に帰属するものですよね。それで皇后の方は、実は天皇がこうした姿だったんですけれども、皇后の方は袿袴姿というか…」
反町キャスター
「和服なのですか?」
武田教授
「そう、それが明治19年でしたか、そこまでずっと続くんですよ。和服でいられるわけです。ですから、お出かけの時も全て和服で行っておられるのですが、初めて、皇后が洋装をされて、人前に出たというのは1890年でした。明治憲法、大日本帝国憲法の発布の日で。その日に、その記念式典に、天皇皇后が出席なさって、そのあと午後に青山の練兵場までガラスの馬車に乗ってパレードをする。その時に、初めて皇后、美子皇后が洋服を着るんですね。それで同じ馬車に2人揃って乗るという、これも画期的なことですけれども、それ以前はないですね。天皇は皇后と同じの乗り物に乗るのを好まれなかったということが随員等に言われているんですけれど。その時に初めて国民はどう認識したかというと、天皇夫妻は男性と女性のカップルである。天皇というのは男性であって、以前の関係では、男女を超越した存在だったのに、実は、男性になったというか、男性に閉じ込められたから、それのペアの相手である女性が必要になって、皇后が表面に表れてこられたのではないかと。その日こそ、大日本帝国憲法の発布の日こそが天皇は男子に限るという皇室典範が発布された日でもあるという、全く偶然でも何でもないのではないかと」
所教授
「まさにその通りだと思うので、明治維新以降の近代化ということは、イコール西洋化ということでしたから、実は皇室の中で衣食住というのも西洋化されて、徹底した西洋化でして、現在でも一部、たとえば、皇后さまが和服を召されることがありましても、基本的には洋装ですね。ですから、たとえば、応接間でも私どもは普通、玄関から靴を脱いで入りますけれども、応接間で靴を履いておられるというぐらい徹底した西洋化が明治以降に行われていて、その一環として、国王のような在り方を日本の天皇に求めるということであり、特に、当時のヨーロッパは女帝も、女王もおられましたけれど、男性の国王を前提とするような考え方もありました。結果的に、憲法の、あるいは典範の検討をした人々は男性の天皇であってほしい、あるべきだというところへ、つまり、広い意味で西洋化、近代化の一環として、そういうことへ収斂した可能性はあると思います」
反町キャスター
「西洋文化を導入すること。それが結果的に男系男子の流れを強化するということに、これは使われたというイメージで聞こえちゃうんですけれども、要するに、明治政府が、洋服、軍服を着る、和服から軍服に変わるということを、それを西洋文化の導入ということだけではなくて、結果的に、それを男系男子にするんだと。その流れで、結果的に傍らにいる皇后陛下に洋服を着ていただいて、しかも、同じ箱に乗ってカップルとして、役割分担をはっきりさせることを狙ったのかという、そういう政治的な意図の、西洋化だったのかなという、こんな感じもするのですが。これはいかがですか?」
武田教授
「そこまで政治的な意図があったかどうか、わかりませんけれど、たぶん皇室典範を決めた方達というのは、そこまできちんと見据えていたかどうか。私は、ちょっと疑わしいと思いますね」
百地教授
「ヨーロッパの、いわば影響を受け、男性と女性の役割を分けて、天皇は男性にしたという、そういうお話だったと思うんですけれども、当然、ヨーロッパの王室にも、2つのパターンがありまして、イギリスだと早くから女性がなっていますよね」

皇位継承と男系男子
反町キャスター
「富国強兵を目指すというのならば、何も男性に限る必要は全然なく…」
百地教授
「そうです」
反町キャスター
「女王陛下の下に、富国強兵、強い国をつくり上げたイギリスという国だってあるわけではないですか。なぜその時に明治政府は男系男子というこの筋を決めたのか。ここはどう見たらいいですか?」
百地教授
「1つはヨーロッパでも女王を認めてきた、そういうイギリスのような国があります。他方で、プロイセンとか、ベルギーとか、フランスのように、サリカ法というのがあるのですが、男性しか国王にはなれない、そういう国々があったわけですね。日本は、プロイセンの影響を過分に受けていますから、明治憲法は、ベルギー憲法の影響を受けているんですよね。ですから、そういうことで、そういう男子しか国王になれないという国々の影響を受けたこともあるのかもしれないし、それと同時に、本則に戻ったと。つまり、女性の子供は必ず存在してはならないと。だから、女性が天皇になられる時には、未婚の方か、ずっと天皇の間には結婚してはいけないわけですね。それから、未亡人の方、推古天皇もそうです。未亡人の方もその皇位にある間は、結婚をされないんです。つまり、お子様が誕生したら、女系になってしまうから。と言うことは、そこのところ、きちんと男系でなければいけないということを、強く意識していたからこそ、こうなったと」
秋元キャスター
「先ほども触れましたけれども、皇室典範では第1条で『皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する』と定められていまして、また、9条で、天皇及び皇族は養子をすることができないと定められているんですね。西田さん、現在、女性皇族が多くを占めていて、男性皇族の数が少ないという中で、この皇室典範で男系男子の継承を守ることというのはできるのでしょうか?」
西田議員
「まずは旧宮家の方々が、その中で、独身の方が9人ほどいらっしゃるということですから、まずその方にもう一度、皇籍を復帰していただけるかということも含めた、私は現状回復論が第一だと思うんですよ。その中で養子がとれないのですが、そのうえでそういう方々が、たとえば、天皇陛下がお選びになって、たとえば、この方とこの方にはご養子になっていただこうという形でね」
反町キャスター
「男系男子の系統を継いでいる子供、皇子は?」
百地教授
「皇子ではないです。民間人ですから。男子ということですね」
反町キャスター
「その方を養子に迎えると?」
西田議員
「そうそう。それで皇籍になっていただくとか」
反町キャスター
「旧宮家の方からの養子縁組もどうだろうかと、ここはいかがですか?」
百地教授
「そうですね、そこで旧宮家、つまり、そうすると、男系になるためには旧宮家が、中に男系男子の方がいらっしゃると。9名近くいらっしゃると言われる。戻る方に、その方々に皇族になっていただく方法としては、1つは養子というのは有力なんですよね。この養子案については皇室典範の9条で、養子を禁止していますから、これを、たとえば、養子を可能にするような条文にあらためる、天皇まで養子というのはちょっと考えにくいですから、そうすると、皇族に関しては養子を認めるということがあるかもしれませんが、ただし、これは法律ですから、一般的な規定ですね。その時にお相手は、旧宮家ではなくてはいけませんよ、と書き込むのは果たして、法律として可能なのかどうか」
反町キャスター
「民間に戻った人達に、なおかつ、その中で過去の枠をはめるというのですね」
百地教授
「そうでないと、ただ、養子を認めるだけだったら、一般の民間人、男系男子でない方まで入ってくる可能性が出てきますから、そこのところを、憲法にどう定めるのかということがあります」
西田議員
「昭和22年ですけれども、皇室典範がなった時にはまだ憲法になる前で、朕籍降下されていないですよね、皇室典範で。要するに、皇族として、現在の昭和憲法は施行された時にも、皇族ですよ。要するに。皇族の方々が、後に皇籍離脱されたので、だから、効力の発する、(昭和)22年5月3日現在、皇族に属している方々は、男系男子はですよ、もう一度、養子で皇族に宮家を養子縁組できると、そういう文面でやっておけば、限られた方しかならないし」
反町キャスター
「直すべきは、養子の部分、養子縁組の」
西田議員
「そうそう、そうすべきです。その対象者は、昭和22年5月3日現在、皇族に属していた、皇統男子という形の、考え方はまた専門家の方が…」
所教授
「その方々は、実は、現在70代以上の方々ですから、結果的に対象になるのは、その方のお子さん、お孫さんということになりますね」
反町キャスター
「本人の希望も当然あります」
百地教授
「だから、養子制度の大変なところは、ご本人と、それから養子を受け入れる、その両者の合意というのが必要でしょう」
反町キャスター
「そこは一般家庭と同じルールが、そこに入るんですね」
百地教授
「そうです。だから、不安定です」
西田議員
「もっと言えば、結局、現在の皇室典範の中には、かつては、天皇、皇族は、天皇がこれを監督する、ですか、そういう文面があったそうですけれど、天皇陛下が皇族に対して何の権限もない形になっているんですよ。だから、この際そこのところを含めて、要は、天皇陛下がふさわしいと思われる方を選んでいただけるというのも皇室の中の伝統として、あるべき」
反町キャスター
「養子をするにあたってと?」
西田議員
「そうです」
反町キャスター
「でも、相手方の意思も必要でしょう」
西田議員
「そうですよ。もちろん、それもそうだし…」
反町キャスター
「来なさいと言って、無理やり来させるわけにはいかないですよね」
西田議員
「もちろん、それもありますが、要するに、先ほど、知恵の出しどころというのはそういうことも含めて、あるのではないかということだと思いますね」

女性宮家創設の是非
秋元キャスター
「典子さまと千家国麿さんの2人の衣装は、皇室の伝統に沿ったものであったのでしょうか?」
武田教授
「たぶんつくられた伝統に沿ったものだと思うんですね。皆さん、たぶん非常に奇異に思われた方もいらっしゃると思うのですが、出雲大社の拝殿へお二人が進まれている時に、典子様が履いていらっしゃるお靴ですが、ヒールのある袴と同じ布の靴ですね。皆さん、なぜ靴なのと考えられると思うのですが、切り袴というのは、明治以降になって創出された服装なので、その時に切り袴にあわせて地面を歩く時に何を履くかということで採用されたのは、草履でも何でもなく、ヒールのある靴だったんです。初めは黒い革靴だったのですが、それが共布の繻子の靴になったという経緯がありました」
百地教授
「男系の後継者を確保するということですから、養子案が出ましたけれども、私は特別措置法というものをつくって、然るべき方々、何人か皇族にふさわしい方を本人の意志、あるいはお若い方であれば、ご両親の同意とか、もちろん皇室のご意向、さらに、一般国民の感情とか、そういったものを配慮して何人かの方に皇族になっていただいて、将来宮家をつくっていく。お若い方にはやく皇族になっていただいて、将来成長されたらちゃんとした宮家をつくっていただく。これが一番の解決策だと思っています」
反町キャスター
「皇族の活動をするにあたって人手が足りない部分を手伝っていただくという意味ですよね?」
百地教授
「そうです。とすれば、もともと宮家というのは男系の皇統の危機に備えて、皇位継承を確保しておく。これが宮家でしたから、歴史的に女性宮家は存在しなかった、当然なんですよね。ここで女性宮家をつくるということになりますと、制度的に、非常に無理な制度設計になっているということですね。それから、もう1つは、これは日本の歴史を考えても女性宮家をつくるということは、つまり、結婚する場合にはお相手は、皇族男子はいらっしゃらないということを考えなくてはいけないわけですね、現状から見て。民間の青年の男子が突然ということを批判する方もいますけれども、突然入って来られるわけですね。しかも、それは全く無条件で皇室と全く無縁の方が突然入ってくる。旧宮家の場合にはちゃんと由緒正しき家系の方で70年と言いますけれども、2000年の歴史から考えれば僅かな期間という見方もできるし、また、女性も結婚して皇族になられた女性の方は入られたら、ちゃんとした皇族になられているわけでしょう。だから、70年ぐらいの期間というのは十分塗り替えられると思いますから、従って、女性宮家をつくるということは特に危険が伴う…」
所教授
「百地先生がおっしゃるのが不思議なのは、実は皇族男子に一般女子が入られる時も当然ふさわしい方をいろいろお考えになって結果的にゴールインされるわけですね。当然、皇族女子に一般男性が入られる時も誰でも良いということはなく、当然ふさわしい方がお入りになられるように選ばれていくと思うんですね。最終的には皇室会議によって決められるわけですけれども、手続き的に言うなら皇族のところへ女性が入られるケースと男性が入られるケースと、そんなに天と地のいうことのようにはできないという意味で、いわゆる女性宮家ができる場合に、皇族女子を当主とするところへ一般男性がより適切な方が入られるということは、制度的には可能だと思います。ただ、実際上、百地さんも心配されますように、そんな方が本当に現在の一般国民の中にいるのか、あるいはできるのかということになりますと、未知数ですね。けれど、同じことが皇族男子に一般女子が入られる場合に、その方は原則、皇位も宮家も男子がすることになっていますから、一般女子は皇室に入ったら必ず男子を産まなければいけないという制度的な前提がありますと、ひょっとすると、そんな方がなかなか得られなくなるという心配もあるわけですね。そういう意味で、男子を確保するために努力するのは大事だと思うのですが、女子を排除する理由はないと私は思います」
西田教授
「2つに分けた方がいいと思うんですよね。まず皇位継承は男系男子という歴然たる事実があるわけですから、女性宮家をつくってもそこは変わらないと思うんですよね。所先生もそうお考えだとは思うのですが、その前提で、女性の皇族がどんどん皇籍を離脱されていくと、どうするんだ?という話。これはちょっと別で、たとえばですよ、かつての皇室典範でも、女子が皇籍から離脱する。ただし、その後も皇女となることはあるべし、という形で、要するに、皇族の一員として、たとえば、和宮様がそうですよね。嫁がれたら皇族ではないんですけれども、宮さんというか、王女様ですということで活動できると皇室典範にもかつてあったわけですよ。同じように清子さんもそうだし、典子様もそうですが、嫁がれたあともれっきとした皇族の内親王だったわけですから、そのあとも、そのお名前をお使いになって皇室の活動をしていただくことが私は可能だと思うんですよ。ただ、皇室典範でかつてそういう規則があったわけですから、そこを戻せばいいと思うんですよね」
百地教授
「女性宮家がなかったのは理由があったわけです。それがまず前提です。女性宮家をつくった場合、制度として果たして成り立つのか、一代宮家という言い方をされていますから、それによれば女性皇族のところに結婚された民間人は皇族になられる。戸籍という点では、戸籍を抜いて皇統譜に入られるわけですね。だけど、当然お子様の誕生ということも想像しなくてはいけない。その時にはご両親は皇統譜、お子様だけ民間の戸籍に1人ポツンといらっしゃるということですね。皇室に入ったら、苗字がなくなるんです。ところが、お子様は皇族ではないですから、何らかの名前を名乗らなくてはいけないと。親子別姓ですね。会計はご両親は皇族費が出ますけれども、しかし、民間人のお子様には出ない。だから、親子別姓、親子別会計、これで家族と言えるのでしょうか。無理がある。そこでお子さんを持つと言ったら、それが女系の誕生になるわけです。つまり、女性皇族のところに男子が入ったわけでしょう。お子様は女系ですよ。しかも、女系が誕生したら、その時点で日本人ですから、皇位継承という問題も必ず出てくるでしょう。明治の時に、一代宮家をつくった時も結局はそういう形です。流れが続いているわけですね。そうすると、女系の皇族が誕生しただけではなくて、その方が皇位継承権まで持てば、女系天皇の誕生ということですね。従って、極めて我が国の皇室の伝統から外れたというか、それを否定しかねないような制度だから、私には認められない」
西田議員
「百地先生が説明した通りですけれども、新たな問題を生んでしまうんですよね。本来これまでなかった制度をつくることによって、それがうまくいくとしたら結局は、実際上は女性宮家に、元皇族の方が配偶者としてなられた。そうすると、その方は、皇位継承権を持たれますよね。と言うことは何かと言いますと、元におられた旧皇族の方々の独身男性のいずれかの方が、天皇陛下に認められて旧皇族に復帰していただくと。その方々ができたら女性宮家と結婚されたら全く問題ないですし、もしされなくても、そちらの方が男子の方が皇族復帰されることによって民間から、たとえばお姫様をもらわれても皇統はつながる。結局は皇族から離脱させられたあの方々にもう1度戻ってもらうという原状回復が一番、具体的には正しいということになるのでしょうね」
所教授
「はっきりしていることは、現在の皇室のご子孫がついていかれることがベストだと思うんですね。それがたぶん難しくなっているから、もう少し広げて言いますと明治天皇のご子孫が皇室を担っていかれるのが望ましいと思うんですね。その場合、だんだん直接、大正天皇、昭和天皇、今上陛下ときた流れが少なくなりますから、明治天皇の4内親王が4宮家に降嫁されています。そう言う意味で、たくさんありました旧宮家の4宮家は特別重い意味がある。つまり、辿っていけば明治天皇につながる方、お家、そういう方々が将来皇族に戻られるような措置が可能であれば、いわばそういう方々は母方を辿っていけば明治天皇につながりますけれど、明治天皇の血を引いていることは間違いないのだから、そういう意味で、私は旧宮家のご子孫のそういう方々が皇室に入られることを具体的に検討したらいいと思っています」

西田昌司 自由民主党参議院議員の提言:『原点回帰』
西田議員
「皇室の皇位継承の原点に戻って、男系男子の皇統は守らなければいけないということと、そもそもなぜこの事態が起きたのか。GHQの占領政策の結果、こういう危機が出てきているんですね。憲法問題も皇位継承問題も占領中にされてきた毒が現在回ってきたということですね。だから、そこを国民がほとんどご存知ないんですね。それを国民が広く知って、どうするんだということを考えて、そこで初めて伝統精神も蘇ってくるし、いろんな知恵が湧いてくると思うんです。だから、まず国民の皆さん方に、なぜこういう問題が起きたかということも含めた原点回帰を提言させていただきたいと思います」

所功 京都産業大学名誉教授の提言:『本質的 現実的 解決に英知結集』
所教授
「物事を本質的に考える、それは同時に歴史的に考えるということとして、これは戦後だけとか、明治以降だけではなくて、1000年、2000年の歴史に立ち返って、全体の中で、いったい皇室はどのように受け継がれてきたかということが本質的だと思います。しかし、現在我々は平成の御世に生きていますから、現実的に現在の皇室がどうであるか。これから20年、30年先はどうなるのかと現実的に考えて、本質に外れない形での、先ほども言いましたが原則は大事だけれども、例外も排除しないで、どうしたら具体的な解決策ができるかということを皆で考えて、英知を結集して、現状が少しでもよくなるような、第一策を考える。しかし、20年後、30年後、次の策を考えるということをステップバイステップで進んでいく必要があると思っています」

百地章 日本大学法学部教授の提言:『“君民一体の国柄”の自覚を』
百地教授
「言葉としてはちょっと古いというイメージを持たれる方もいらっしゃると思いますが、これが最もふさわしいと。皇室の存続の制度的な解決策は申し上げたつもりです。しかし、唯一大切なのは国民の自覚、意志の問題だと思います。その際、大事なのは皇室と国民の一体感をもう一度、取り戻すということだと思います。我が国の国柄の特徴は、たとえば、国家の危機においては、天皇は国家国民のためを思って決断をされて、国民もその皇室を慕う。たとえば、終戦の時に昭和天皇が自分の身はどうなってもいいということで終戦を決意された。あれによって国民は救われたわけですが、他方、国民も皇室のために一生懸命身を尽くしてきた。現在の陛下も東日本大震災の時に被災者を見守るために、度々行かれて、ビデオメッセージまで出されました。あれによって被災者や国民がどれだけ勇気づけられて慰められたか。そういう国民一体の国柄というもの、そういうのが我が国の特徴だと思いますから、これを取り戻すことが、皇室を存続させる一番大事なことではないかなと私は考えています」