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2014年9月15日(月)
『昭和天皇実録』続論 終戦そして戦後の真相

ゲスト

泰郁彦
現代史家
山内昌之
東京大学名誉教授 明治大学特任教授

昭和天皇実録後編 太平洋戦争終盤の動静
島田キャスター
「『昭和天皇実録』は、昭和天皇の生涯にわたり、日々の活動を記録した公的な年代記です。先週9日の公開日には、この番組では昭和10年の天皇機関説や二・二六事件、太平洋戦争開戦前までを伝えたわけですが、今日は終戦のご聖断に至る経緯から実録を紐解いていきたいと思います。まずは戦況が悪化の一途を辿る昭和20年2月の実録に注目しました。昭和天皇が歴代の総理大臣と立て続けに会っているんです。平沼騏一郎、広田弘毅、近衛文麿、若槻礼次郎、岡田啓介、東条英機。こういった方々と本当に、立て続けに会っているのですが、多くの歴代総理が日本の敗戦が濃厚であると報告をする中で、近衛文麿さんと東条英機さんは違いました。近衛文麿元総理は『此ノ一味ヲ一掃シ軍部ノ建直ヲ実行スルコトハ、共産革命ヨリ日本ヲ救フ前提先決条件ナレバ、非常ノ御勇断ヲ』と昭和天皇に話したということですが、これはどういう意味なのでしょうか?」
秦氏
「此ノ一味というのは、陸軍の中に巣食っている共産主義分子だと。これが日本を引きずって、戦争をやらせているんだという認識ですよ、近衛さんはね。それで、これを何とか一掃しないと、彼らの目的は、日本の敗戦によって共産革命を実現することにあると。従って、その野心に乗ぜられてはいかんから、早く戦争をやめるべきであるという。非常に、ちょっと奇妙な」
反町キャスター
「早期終戦論なのですか?」
秦氏
「ですけど、問題は軍の実権を握っている、共産党の分子というのは、これはまた非常に奇妙な発想なのですが…」
反町キャスター
「本当にいたのですか?」
秦氏
「いや、それが統制経済とか、そういうようなことを推進している文官も、軍人も、官僚も見る人によっては、これは共産主義実現のための、共産主義者ではない社会主義者ではないかと」
反町キャスター
「でも、戦時下の経済といったら、当然そうなりますよね」
秦氏
「そうなのですがね」
反町キャスター
「それをもって共産主義だとしたら、全員共産主義者になっちゃうわけではないですか?」
秦氏
「そうなのですがね。首相を3回もやった近衛がこういう変な考え方に取り憑かれちゃったんですね。一掃して軍部を建て直すべき人がいるか、いないかということを一応、聞いてみた、昭和天皇がね。そうしたら、いないので、苦し紛れに、山下奉文という名前、阿南惟幾という名前を出すんですね。これも思いつきなものでね。山下奉文は当時ルソン島の山の中で米軍に包囲されて、連絡もつかないんですよ」
反町キャスター
「20年2月といったらそうですよね」
秦氏
「ですから、そういう戦況を把握してないということになりますね。だから、呼び返そうとしたって、呼び返しようがないわけです。もう山の中で。ですから、非常にリアリズムから遠い考え方で、これはありありと陛下におかれては落胆の色が見えたと、侍従長が書いていますけどね」
島田キャスター
「東条元総理大臣はこのように答えました。『陛下ノ赤子今尚一人ノ餓死アリタルヲ聞カズ。但シ楽デナイコトハ事実ナリ。我ハ正義ノ上ニ立ツ戦トナリ皇国不滅ノ精神ニ立ツナラバ、悲観ニハ及バス』と強気の姿勢を崩していないということなのですが、2月のことですけれども、この前に、ミッドウェイで敗北し、サイパン島が玉砕して、東条内閣は総辞職しているわけですよね。それなのにこの考え方というのはどういうことなのですか?」
秦氏
「非常に強気ですね。『陛下ノ赤子』で『餓死アリタルヲ聞カズ』とありますけれど、この前の戦争では古今東西の歴史にほとんどない、全軍の戦死者の約4割が餓死者だと、広い意味でのですね。という非常に悲惨な負け戦だったわけですね。特に、ガダルカナル島では餓死者がたくさん続出したのを東条はよく知っているんですよね。それでとにかく、その時は何とか撤退させたわけですけれどもね。戦死者の半分以上は餓死者だったんですね。知らないはずないですね。それを『一人ノ餓死アリタルヲ聞カズ』というのは、陛下に対して嘘をついているとしか言いようがないですね。『但シ戦況ハ楽デナイ』と。それで、1月に陸軍は、大本営ですが、本土決戦の計画を立てているわけです。ですから、昭和天皇としては危機感があって、これでいいのだろうかということで、重臣を呼んでみたのですが、皆さん知恵がないんですよ。どうしていいかわからんということでね。今度の実録にだいたいの概要が出てきますけれど。いくら読み直してみても、結局打つ手がありませんという中で、特異なのは、近衛さんと東条さんですね」
反町キャスター
「昭和天皇がこの6人、もしくはそれ以外にいたかもしれないのですが、その6人の元総理に立て続けに話を聞いたのは、何かアドバイスがほしかったからなのか。ないしは自分の考えの裏づけがほしかったか。ないしは元総理、首相からの言葉によって、何か政治的な発信をしようとしたのか。狙いは何だったのですか?」
秦氏氏
「広い意味での終戦を見据えて、重臣達がどう判断をしているかということを聞いてみようと。それで向こうの話し方によっては、昭和天皇ももうちょっと突っ込んだ、言い方もできるということですけれど。皆ダメなんですよ」
反町キャスター
「このやりとりだと、たぶん昭和天皇も、たとえば、先ほどの『軍部ノ建直シ』は誰がするんだと言ったら、現在ルソン島で戦っている山下奉文です、では会話にならないではないですか?」
秦氏
「会話にならないですよ」
山内教授
「その前年、昭和19年9月26日に、内大臣の木戸(幸一)に、確か前年ですね、9月。内大臣の木戸に、武装解除や戦争責任者の追及なくして、引き渡しを除外して、戦争終結を迎えられないかどうかについて検討せよということを指示したというのが実録に出てきますね」
反町キャスター
「昭和19年9月?」
山内教授
「昭和19年9月26日の実録の記事に。そこでは領土はどうでもいいと。非常にリアルな発言をしているわけですね。ですから、19年9月ぐらいに戦争終結ということが浮かび上がってきたんです、昭和天皇の中では。そういう流れの中で、この一連の総理経験者に対する諮問のような形、あるいは聞いているということだと思うんです」

ポツダム宣言受託の聖断
島田キャスター
「太平洋戦争は昭和20年8月15日に、昭和天皇による終戦のご聖断によって幕を閉じることになるのですが、では、どのような経緯で終戦のご聖断に至ったのかを実録から読み解いていきたいと思います。まず時系列で確認していきます。終戦に至るまでの数日間を見てみますと、6日、広島に原子爆弾が投下される。翌々日8日、天皇陛下はなるべく速やかに戦争を終結せしめるよう希望されました。9日にソ連が満州国への侵攻を開始。長崎にも原子爆弾が落とされます。10日の最高戦争指導会議で、連合国が日本に無条件降伏を求めるポツダム宣言を受諾するという昭和天皇の1回目のご聖断がありますが、この時ポツダム宣言を受諾するうえで、日本が求める条件について意見が2つに分かれていました。2つあるというのは、外務大臣案と、陸軍大臣案ですが、外務大臣案は天皇の国法上の地位存続。つまり、国体維持を条件にしようというような案でした。それに加えて、陸軍大臣案というのは日本軍の自主的撤兵及び内地における武装解除。戦争責任者の自国における処理。保障占領の拒否、この4つを条件にしようということを求めた。このように(意見が)2つに分かれていました」
反町キャスター
「その部分、昭和天皇実録にはこのように書いてあります『天皇が外務大臣案を採用され、その理由として従来勝利獲得の自信ありと聞くも、計画と実行が一致しないこと、防備並びに兵器の不足の現状に鑑みれば、機械力を誇る米英軍に対する勝利の見込みはないことが挙げられる。ついで、股肱の軍人から武器を取り上げ、臣下を戦争責任者として引き渡すことは忍びなきも、大局上、三国干渉時の明治天皇のご決断の例に倣い、人民を破局から救い、世界人類の幸福のために外務大臣案にてポツダム宣言を受諾することを決心した旨を仰せになる』と。こういう文章が昭和天皇実録の中にあるのですが」
秦氏
「これは際どい綱渡りですよ。つまり、既に本土決戦で米軍を迎えよう、一億玉砕まで戦うという、国としての方針が決まっているわけですね。それを原爆投下という事態、ソ連参戦もすぐ続きましたが、それによってポツダム宣言を受諾して、戦争を終わらせる以外ないということですが、連合国、特にアメリカは公に無条件降伏だと。言ってみれば、煮て食っても、焼いて食っても文句を言わないという解釈の仕方があるんですけれども、無条件降伏だということを、条件として言っているわけですね。ですから、条件をつけているわけですよ。従って、さすがに阿南陸軍大臣の(案は)、これは負けた国の軍隊が言うような要求ではないんですね。ひょっとしたら勝っているのではないかと。とにかく、これを持ち出すのはいくら何でも無理だということで絞りたい。しかし、これだって非常に際どかったんです。つまり、トルーマン大統領は、前会議を開きまして、それで日本がこういうことを言ってきたと。無条件降伏だというのに、条件をつけてきたと。どうするかということで、その時にバーンズ国務長官は法律家ですから、こんなもの譲歩する必要は全くないと。スチムソン陸軍長官はここまで言ってくるのならば、認めてやってもいいのではないかと。結局トルーマン大統領は、アメリカの宣言している原則と」
反町キャスター
「日本側の要求?」
秦氏
「ええ、これをうまく妥協させるような案をつくれないかと。そうすると、グルー国務次官が、それはつくれますということになった。それが有名な、将来における日本国の政治形態は日本国民の自由意志によって決まると」

終戦の聖断までの経緯
島田キャスター
「連合国は無条件降伏を求めている。これがポツダム宣言ですが、日本は国体維持を、1つ条件をつけました。それに対する答えが、先ほど秦さんが言うバーンズ回答というものですね。概要を詳しく見てみますと、『天皇は連合軍最高司令官の制限下に置かれる』ことになるという、バーンズ回答ではですね。そして『最終的な日本国政府の形態はポツダム宣言に遵い日本国国民の自由に表明する意思により決定』という条件が、バーンズ回答で出されたわけですけれども、外務大臣らは即時受諾論と、こういうものを採りました。しかし、陸軍大臣らは、これは受け入れられないというところで14日に昭和天皇に再びご聖断を仰ぐべく、御前会議が開かれるのですが」
秦氏
「この『制限下に置かれる』というのは、日本の外務省の訳でして、英語はSUBJECT TOです。つまり、陸軍の連中は従属すると訳したわけです。そちらの方がたぶん正しいのですが。陸軍の将校というのもその程度の英語はできたわけです。だから、どちらという議論になったわけですね。それから、この『最終的な形態は自由意志だ』というと、占領軍が日本にやってきた時から、日本人を洗脳して、それで天皇制廃止の方向に持っていくかもしれない。だから、そこはきっちりと連合国の保障が必要だということで、そうすると東郷外務大臣は反論しまして、天皇制をアメリカに保障してもらうというのはおかしいのではないかと。昭和天皇が密かに言われたのは、そこですけれども、国民の意思が天皇制はいらないというのであれば、それでいいのではないかと言われたと。これは非公式な話ですが。昭和天皇のモノの考え方からすれば、当然そういう言い方になってもおかしくないと」
島田キャスター
「ポツダム宣言は無条件だという話だったのですけれども、先ほどの秦先生などの話ですと、1つ条件をつける。それが国体護持だと。その中で、アメリカでも、何とかできないかというような議論もあったと。私達は、学校で無条件降伏というふうに習いました。しかし、実際には、蓋を開けてみたらですけれども、国体は維持されたと。このあたりは、条件つき降伏だったのか。それとも無条件だったのか。いかがでしょうか?」
秦氏
「アメリカの本国では、天皇は逮捕をして流刑に処せとか、極刑に処せとか、世論調査でそういう数字が非常に高かったんですね。だけど、マッカーサー元帥とワシントンの首脳部は、昭和天皇の能力を見抜いて、国民は皆、昭和天皇への支持率は9割を超えるんですよ。世論調査をやりますとね。それで、もし昭和天皇に連合国が触れるということがあれば、これは大変な反乱が起きると。これはマッカーサーがそう電報を打っています。従って、ここは天皇を立てて、占領政策をスムーズに進めると。それがアメリカにとっての国益である。こういう判断ですね。それは国民は直感的に本土決戦にならずに一億玉砕から免れたのは昭和天皇のおかげと。ですから、この天皇を盛り立てて日本再建をやろうという機運が非常に強いわけですね」
島田キャスター
「でも、それは受諾後の話であって、先ほどの話だと、バーンズ回答の時点でも、アメリカ国内でそれを受けてもいいのではないかという議論があった?」
秦氏
「それは、もう1つ隠れた要素がありまして、8月10日に、世界中を飛び交うわけです。もう日本しか残っていませんから、戦争の相手は。日本との決戦に備えて、ドイツの戦争が終わって、アメリカ軍が今度は輸送船で続々とパナマ運河を通って、太平洋に向かっている。その途中だったんですね。それでポツダム宣言受諾。戦争が終わりだという話がワーッと広まって、アメリカのあちこちで花火を上げたり、爆竹を鳴らしたり、そういう騒ぎになったんですよ。そうすると、いったん終わったというのに、ここに拘って、日本の。それで本土決戦をもう1回やるから、お前達死んでくれとはちょっと言いにくいなと。その配慮が、私は非常に大きかったと、アメリカ側もね」
反町キャスター
「あれは結局、無条件降伏だったのですか?無条件降伏ではなかったのですか?」
秦氏
「有条件ですよ。だって、国体は日本国民の自由意志で決めるということですからね。ただ、無条件降伏だと日本人の多くは思い込んでいた」
反町キャスター
「僕らもそう教わったし、これはどう思ったらいいのですか?」
秦氏
「それは、占領軍もその方が都合がいいからですよ。日本人がそう思ってくれたら、占領軍の命令に従順に従うからです。敢えて違うよとは言いませんよね。それで、外務省も、法律専門家達はいろいろ議論をしていまして、有条件だということを言っていましたが、それをアメリカ人の前で言うと刺激的になりますから」
反町キャスター
「現在の日米関係を見た時に、日本の教科書に無条件降伏ではなかったという表現。もしくは無条件降伏という表現自体を全部消して、ということで日米関係が悪化しますか?」
山内教授
「それはちょっと難しい問題ですが、とにかくポツダム宣言が無条件降伏だということでは、日米関係がそもそも成立しにくくて、天皇は象徴制という形で維持されていくと。この大きな流れ、枠組みがあるわけです。ただ、その無条件降伏の内容については、学説上、法理上、十分に議論される余地はありますよというところで、現在は納得をしていると。ですから、教科書で読むのであれば、これは無条件降伏であるとされている。しかしながら、その内容については様々な実質的な、どういう解釈かによって様々な見解があるというようなことは書かれるかもしれませんね」

マッカーサーとの会談秘話
島田キャスター
「昭和天皇とマッカーサーとのやりとりでどんなことが読み取れるのでしょうか?」
泰氏
「これは実は抜けている部分が実はあるんですね。天皇とマッカーサーの第1回目の会談の時は、外務省の奥村勝蔵さんが通訳で立ったんですね。奥村さんが終わったあとに会談録をまとめて報告書を提出したわけですけど、ここのところで、この戦争については極力これを避けたいと。しかしながら、それによって私が自分の責任を逃れようということではない、私は全部の責任を引き受け、あなたのご採決を待ちたいと」
島田キャスター
「このやりとりの中でマッカーサー元帥が初めて対峙するわけですけど、どういう両者の関係だったと推察されますか?」
泰氏
「マッカーサーは最初、昭和天皇が命乞いに来るものだと思っていたらしいんですよ。ところがそうではなかった。全部責任を引き受けるということで非常にマッカーサーは信頼感を強めたんですね。日本の占領を成功させるためには。ご本人は次の大統領選挙に出るつもりでいたわけですね。ですから、花道としては成功したという事実がなければいけない。昭和天皇を相手に占領、統治をしていくというのが一番確実でいい方法だと瞬時に判断したと思います。11回、天皇、マッカーサー会談がありまして、だいたい半年に1回なんですけれども、これは天皇のリアリズムが結局マッカーサー元帥を抑え込んだという側面がありますね。たとえば、憲法第9条はマッカーサーの発案と言っていいと思います。そうすると、その後の日本の安全保障は国連がやってくれるという、楽観主義ですね。ところが、昭和天皇はそうではないんですよ。最初に最初の難題としては食糧を何とか輸入してほしいと。1000万人の餓死説が出たぐらいですから、天皇家の財産を全部出したいということも打診した。とにかく全部財産を差し出したい、宝石とかいろんなものですね。そうすると、マッカーサーは、私の面子でそれをお受けすることはできないと言って断っていますね。結局、最終的には天皇家の財産の大部分は国有財産になりましたけれども、一番多きな項目は食糧ですよ、その次は、日本の安全保障です。日本の安全保障をどう考えているのか、としつこくやっているんです。ところが、マッカーサーはずっと楽天的ですね。昭和25年ぐらいになっても日本は東洋のスイスたれなんていうのを新聞発表していますけれども、昭和天皇はそこでいろいろな現実的な日本の安全保障を考えて、いろいろ手を打つわけですね」
島田キャスター
「戦後になって、昭和天皇が昭和天皇たり得たと聞こえるのですが?」
秦氏
「その通りだと思いますね」

人間宣言 昭和天皇の思い
島田キャスター
「昭和21年1月1日に昭和天皇は自らの神格化を否定して、人間宣言ということを行いました。どうしてこのタイミングで陛下は出されたのでしょうか?」
山内教授
「神格化を否定する、現人神ではなくなったということは戦前と断絶している、陸軍等のミリタリズムと。新しい政治がこれから行われる。それは後に、明治天皇、民主主義の精神があったという。こういうことは日本の流れの中でちゃんとあったんです、と言うことを自分の言葉と姿で示した。すなわち象徴天皇となる自らを可視化する。見える形にしていく。そのための1つの具体的な表れ。もう1つは、実際に姿を見せないと行けないんですよ、新たに人間となった天皇の。そのために使われて行くのが巡行およそ3万2000kmに及ぶという、人間天皇が人間宣言をすることによって各地で大歓迎されていた。これが天皇のリアリズムでもあってGHQがそうした姿を見ていて、日本国民の中に天皇に対する尊敬心や信頼心があるのかということを見せつける意味になっていくんです。天皇ご自身はそういう卑しい考え方をしなかったかもしれないけれども、そう段取りした側近や、天皇自身の経験も含めてリアリズムがあるでしょう。人間天皇という姿を占領政治の中で、日本人としての、日本としての主体性、あるいは自分の感覚というものを明らかにマッカーサーや占領者に対して示したかった」
島田キャスター
「これは、昭和天皇のご意思でこういったことを発表しようということなのでしょうか?」
泰氏
「もとはGHQ、占領軍です、人間宣言は。それで天皇の側近がいろいろと手を加えて、その中で昭和天皇は、五箇条のご誓文を入れてくれということを強く要請をされた(明治天皇の)。これは人間宣言ではなくて、私は五箇条のご誓文を再確認するのが目的だったと昭和天皇は言っていますけれどもね」
 反町キャスター
「昭和52年8月23日の那須御用邸における宮内記者会とお会いになった中で、五箇条のご誓文を国民に示すことが第一の目的であったとされて、民主主義の精神は明治天皇の採用されたところであって、決して輸入のものではないことを示された。昭和天皇の人間宣言の狙いはそこにあったのだと」
泰氏
「ところが、人間宣言の名前がいつの間にか定着してしまった。昭和天皇としては、本当は日本型民主主義の発揚としたかったと思うんです」
反町キャスター
「それが五箇条のご誓文」
秦氏
「そう。アメリカ型民主主義がどんどん入ってきている時に、昭和天皇は1つ釘を刺しておきたい。日本にもちゃんと民主主義の伝統はあったんだということですね。これは、しかし、占領軍にとってみるとあまり有り難いお話ではないと思いますけど。日本型の民主主義があるということは言われたくないわけです。だけど、五箇条のご誓文ということになるとダメですとも言えない」

沖縄占領継続 希望したのか?
島田キャスター
「戦後、ほとんどの都道府県をまわられた昭和天皇ですが、唯一訪問の希望がかなわなかったのが沖縄です。沖縄訪問のネックの1つになったのは、昭和22年に昭和天皇がGHQの幹部に伝えたとされる、米国による沖縄等の軍事占領を継続することを希望するという、沖縄メッセージの存在です。アメリカの公文書でのみ確認されて、日本の裏づけのものがあまりなかったとされていた。今回実録にこういったことが掲載されたということは、ある程度こういった事実があったと判断されたと認識していいのでしょうか?」
山内教授
「こういう発言、あるいは希望と目されるようなことがあったということが、ここで認められたのではないでしょうか。ただ、内容の解釈ですよね、これがどのように解釈されるのかというところで、これから意見が分かれてくると思いますね。1つは、沖縄というものにこれ以上、これまでもそうだったけれども、一番の犠牲は沖縄が担うことになった。それがずっと続いていくということに関して天皇は是とするというようなことをどうして受け止める…しかし、同時に別の読み方をすれば、現に沖縄はアメリカによって占領されている、この占領という形というものは望まないことだけれど、ひとまず日本に主権が残っていずれ返還というものを担保していくということで戦略的に考えれば、ソ連や中国といった国々が日本との係争領土、後にソ連は北方四島、千島を占領し、あるいは日本からそれを当時においては奪っていたわけですね。そういうものと比べた場合、違いがあるのではないかと。返還というものに対しての考えなども含んで、このような発言をされたのか。あるいは別のいろいろなお考えがあるのか。これからこれは専門家によって議論していくところだろうと思いますね」

沖縄への思いとは
反町キャスター
「寄り添う姿勢を示される天皇陛下もいれば、リアリスティックな外交戦略家的なところも見せる。沖縄に関してどういう思いで沖縄を見つめられてこられたのか、どう感じますか?」
泰氏
「一部の人達が言うように沖縄を犠牲にするという考え方ではなくて沖縄にとっても決して悪くない、沖縄を守られるわけだし、本土もアメリカ軍によって守ってもらえる。そのあとの日本の独立回復後、そのあとに返還の糸口をここにつくっておくという…この展望は大変なものだなと思いますね。実際その通りになったわけですよ」
山内教授
「海軍ということで言えば、戦前に戻りますが、最初の欧州訪問ですね。沖縄県に寄って、そこに寄留して出かけておられる。しかも、その時の香取という御召艦の艦長は沖縄出身の海軍の大佐で漢那憲和という人でした。後に、この人は民政党から代議士になる人で、非常に立憲政治に近かった立場の人で昭和天皇も好意的だとされる。そういう最初から沖縄に対するご関心はお持ちだったんですね。ですから、そこを冷たさ、冷徹さだけというふうには捉えられない複雑なものがあるというのが実録から読み解いていける部分かなという気がします」