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2014年8月12日(火)
靖国問題の本質とは? 政治と神道をひもとく

ゲスト

井上順孝
國學院大學神道文化学部教授
原武史
明治学院大学国際学部教授

神道の成り立ちと変遷
島田キャスター
「日本全国の神社を統括する神社本庁によりますと日本にはおよそ8万社の神社があるということですが、非常に身近でありながら、根幹となる神道について、私達はほとんど意識せずに、神社にうかがっているという状況です。神道とは何ですか?」
井上教授
「神道という場合どうしても神社神道と言いますか、神社を中心にした信仰のあり方ということになります。これですと、だいたい社をつくって、お参りをするというのが3世紀から5世紀の間に始まったというのがだいたい通説になっていまして、神社によって神社の建て方も違いますし、いろんな説がありますが、社の前に、社のない神様への信仰形態というのもあったことが知られているわけです。それがいつぐらいかと(いうと)これが途端に難しくなるわけです。現在は神社がありますのでそこに神を祀るということですけれど、そういう常設の社ができる前は、たとえば、岩とか、樹木とか、自然のもの、神の寄ってくるところを『よりまし』と言うんですけれど、そこに神様を招いて、そこでお祀りをするということがありましたし、さらには山自体がご神体とみなされて、そこに神が住まうと考えたと」
島田キャスター
「それも神道?」
井上教授
「神道は民族宗教と言われていますので、ある時点から、この人から始まったと線を引けないわけですね。従って、だんだん変化し、ある意味で現在の形態になるわけですが、その節目がある程度わかっている場合と、わからない場合もありますけれども、古くなればなるほどわからないのは当然のことですね。文字資料がないわけですから。モノを見て、推し測るということになります」
島田キャスター
「井上さん、神道というのは、変化を遂げてきたという話でしたけれど、どういうような変遷があったのですか?」
井上教授
「いろんな形であった神への信仰が国家的に制度化されていく時代があるわけです。これはとても大事なポイントでして、これは日本が7世紀に、中国から律令制度というのを入れるわけですけれども、神を祀るやり方もその制度の中に組み込むんですね。古代神祇制度とも言いますし、律令神祇官と呼ばれる、この公のものができまして、日本中の神社を、国が管理をするという形になります。そういう意味では、一種の国教に近い形ですね。古代はご承知の通り、国分寺とか、国分尼寺というものができますから、日本は神道、仏教を2つとも国教的にしていたと。しかしながら、神祇制度というのは、律令制度が衰えることによって、有名無実になっていきます。武家政権になって、また、武家が神社をどう管理をするかという問題が出てきまして、そういう時代、いろいろ変遷を経て近代の明治維新以降のいわゆる近代神祇制度、こういう時代に入るわけです。当時、日本の状況の中で精神的な支柱の1つを神道に置こうとしたわけですね。特に、神社政策というのに力を入れて、明治維新に官国弊社の制度といいますけれども、官弊社、国弊社という、制度でもって国が主たる神社を管理する」
島田キャスター
「また、戻ったわけですか。つまり、古代も国が管理していたわけですよね。1回廃れて、また明治に戻したと」
井上教授
「そうです。明治維新から戦前までずっと続く、神社のうち主たるものは、国の管理のもとに置くという、こういう時代が続くわけですね。それで太平洋戦争で敗戦ということで、ここで新しい宗教政策が入ります。政教分離というものがなされます。信教自由の原則ができる。新しい宗教に関する法律、宗教法というのができて、その次に宗教法人法というのができますから、その中で今度は神社というものが、特別な地位ではないと。他の宗教法人と同じ宗教であるという、そういう時代に入ったということになります」
反町キャスター
「神道というものが、国家権力の側から見た時に、当時のツールとして、何というか、便利だったという言い方は変ですかね」
原教授
「便利だったというか、当然、明治維新は天皇が出てきますよね。つまり、天皇の支配を何によって正当化するのかという、いわゆるイデオロギー的な」
反町キャスター
「根拠づけみたいな」
原教授
「その問題があるわけではないですか。19世紀になると水戸学という学問が水戸藩から出てくるんです。その水戸藩も19世紀になると、たとえば、会沢正志斎という学者が『新論』を書きまして、その中で、国体ということを新たに唱え出すわけですね」
反町キャスター
「国体というのは、いわゆる、国体護持の国体ですね」
原教授
「そう。国体というものの中核に天皇があって、天皇の祭祀を行うという、天皇が祭祀を正しく行うことによって、当然19世紀ですから、西洋列強が迫ってきているわけですよね。それに対する危機感が背景にあるわけですけれども、西洋列強はキリスト教を奉じていると。このままだとキリスト教によって侵略されてしまうと。それを防ぐためには、天皇が中心となって祭祀を行うということが、つまり、国の体たる国体というものを保つための方法だということで、そこで天皇や、言われた祭祀というものが出てくるわけですね」

皇室との関係と宮中祭祀
島田キャスター
「皇室では神道に則って様々な宮中祭祀が行われているのですが、天皇陛下の行為の中には、公のものと、私的行為があって、宮中祭祀は非常にプライベートな部分、私的な部分ですが、こういうものというのは古来の神道行事から続くものですか?」
原教授
「いや、そうではないんです。だから、これらの宮中祭祀の全てが古代にあって、それが復活したとか、そういうことではないんですね。多くは実は明治になって、新たにつくり出されたものですね。こういった祀りは、つまり、明治政府が定めた祝祭日の名称と一致しているわけですよ。そういう祝祭日をたくさんつくっていくということは、当然、国民に対して周知徹底させるわけです。要するに、こういうお祀りが宮中で行われているということ、これを国民に周知徹底させることで、まだ大多数の国民というのは、明治の少なくとも始まる段階では、天皇を知らないですから」
反町キャスター
「自分の国の領主が殿様ですものね」
原教授
「そういう天皇の存在というものを知らしめるために、特に学校で徹底的に教育をするわけですね。ですから、学校の教育を通して、何でこの日は祝祭日かということを教えるわけです。そうやって天皇に対する崇敬の念というものを、小さい段階で植えつけていくと」
反町キャスター
「明治の時にスケジュールとして新たに加えられた祭祀については、第二次世界大戦が終わるまでは、それはそのままずっと続いてきたわけではないですか。それが戦争後も続けるということに関しては、たとえば、いわゆる神社の中にせよ、国民世論的にせよ、疑義があがったことはなかったのですか?」
原教授
「ないです。戦後もちろん、祝祭日そのものも再編成されるわけですよ。だから、結果的には、同じ日が祝日になっている日もありますけれど、たとえば、11月23日が勤労感謝の日となっていますけれども、だけど、もはや勤労感謝の日では、全く、宮中でその日、新嘗祭が行われていることはほとんど、誰も知らないわけですね。だから、宮中祭祀そのものは温存されていますけれども、それを現在もなお宮中でやっているということはほとんど知られていないわけですね」
反町キャスター
「そうですね。知らないですね。たとえば、実際の祭祀を執り行う歴代の天皇陛下は、祭祀についてどういう姿勢で取り組まれてこられたというのは何か聞いている部分はありますか?」
原教授
「明治以降ですか?」
反町キャスター
「はい」
原教授
「いわゆる宮中祭祀の体系がだいたい明治の中頃ぐらいまでにはでき上がっているのですが、たとえば、明治天皇は熱心に祭祀を行ったのかというと必ずしもそうではないですよ。日清戦争ぐらいまではそれなりにやっているんですけれど、日清戦争の後ぐらいになるとあまり出なくなってしまいますね」
反町キャスター
「新嘗祭は今年はいいや、みたいな感じになってきちゃったのですか?」
島田キャスター
「江戸時代から明治時代というか、明治天皇が天皇になる前は、そんなにやっていなかった。そこまで別に思い入れというか、それはないという判断をなさっていた?」
原教授
「鋭い視点ですけれども、そういう可能性もあると僕は思っていますけれども。ところが、大正、昭和となるにつれて、それはある種伝統化していくわけですね。特に、昭和天皇は、たとえば、戦争中は必ず祭祀は自ら行っていました。戦後になって今言ったように、その祭祀そのものは継続、温存されるわけですけれども、しかし、平成になって天皇皇后2人がほとんど必ず一緒に祭祀に出るというのはそれまでになかったことですね」
反町キャスター
「より熱心になられた?」
原教授
「そうですね。それで今日に至っていると言ってもいいのではないかと思います」

伊勢神宮と出雲大社
島田キャスター
「伊勢神宮、出雲大社ですけれど、伊勢神宮の祭神が天照大御神ですね。こちらは天皇の祖先神ということで皇祖神ですが、出雲大社の祭神が大国主ということで、もう少し詳しく教えていただけますか」
原教授
「日本書紀の中に、顕と幽というのが出ているんですね。スサノオが出雲に追放されて、地上で大国主が生まれると。大国主はこの地上を国造りと言って、人間が住めるような国土に変えていくわけですね。それを、高天原(タカマガハラ)という、天上世界で、天照大御神が見ていたわけですけれども、この天照大御神が、この地上世界である、大国主の住んでいる葦原中国(あしわらのなかつくに)に、使者を遣わすわけですよね。その使者を遣わした時に、ここはもともと自分の孫である(ホノ)ニニギが治めるべきと」
島田キャスター
「天照の孫、ホノニニギが治めるべきところ」
原教授
「治める土地であるということで、国を譲りなさいという使者を遣わすわけですよね。実はこの国譲りの神話というのは、古事記と日本書紀で、実は微妙に内容が違うんです。同じではないです。古事記とか、あるいは日本書紀の中でも本文と一章で、また分かれるのですが、日本書紀の本文とか古事記では、素直に大国主がそれに応じて、多少記述と違いがあるのですが、古事記であれば、自分が住む、いわゆる出雲大社にあたるものをつくってくれれば、そこに引退しましょうと書かれていて、その要求を飲んで引退したことになっているわけです。ところが、日本書紀の中の一章には、本文とはちょっと違う記述が書かれてある。その中に顕と幽という言葉が出てくる。大国主は交換条件を出すんですね。顕という見える世界については確かにお譲りしましょうと。しかし、その代わり、私に幽というもう1つの世界を治めさせてくださいというふうに、交換条件を出したわけです。正確に言えば、高御産巣日神(タカミムスビ)という、高天原の司令塔にあたる神ですけれども、それに対してこの要求を飲むわけです。と言うことは、どういうことかというと、大国主は素直に引退したのではなく、もう1つの幽という見えない世界であると同時に、死後の世界という場と、平田篤胤は解釈するのですが、この幽ないし、幽冥、冥というのは冥土の冥ですが、幽冥界という、この世界を大国主は支配することになったというふうに平田篤胤は解釈をするわけです」
反町キャスター
「そうすると、天照大御神と大国主神子の間で現世と来世を、そういう言い方でいいのですか?」
原教授
「そうですね。大きく言えば、そういうことだと思います」
反町キャスター
「領土分割がはかられた。こういう理解でよろしいのですか?」
原教授
「なぜ大国主が出てくるのかというと、つまり、明治の新政府は当初、神道を国教化した時には、天照を前面に押し出したわけですよね。天照を中心とした、新たな国教というものを考えていたわけですね。ところが、それに対して、それはおかしいぞと異を唱えたのが、80代の出雲国造にあたる千家尊福という人です」
反町キャスター
「80代の千家さんという人は、明治維新のその時にいわゆる皇室の神格化といっていいのかな、そういう神道の祭祀としての皇室というもの、国家の権力の集中するところとして持っていこうとする時の政府に刃向ったのですか、それは違うだろうと」
原教授
「刃向ったというか、実は明治維新政府に採用された人達の中にも、たとえば、平田篤胤の弟子にあたるような人達も入っていたんです。ただ、そこに入っていた人達は必ずしも平田篤胤の考え方に全面的に賛同はしていなかった。つまり、平田篤胤の考え方にもし忠実であるならば、大国主こそを、いわば幽冥界を支配している神ですから、これを重視しなければいけなかったはずではないですか。ところが、大国主を重視してしまうと、たとえば、極端な例ですけれども、天皇も死ねば、大国主の支配下に入って、実際、平田篤胤の弟子の中にこういうことを言う人までいるんですけれども、大国主が絶対的な権限を持って、生前の天皇の行いを裁くと。裁いて、いわばこの世を乱したような、そういう悪い天皇はいわゆる地獄に落ちてしまうということまで言い出す門人まであらわれるわけですよね」
島田キャスター
「それは明治政権にとって困りますよね。どう収めたのですか?」
原教授
「そうですよ。だから、実際には明治政府に採用された人達は、そういうことを言わないんです。逆に、天照大御神を幽冥界の主祭神として持ってくるとか、そういう、ある種の変更というか、修正をするんです」
反町キャスター
「だって、それをやったら大国主大神が自分の島だからダメだよという話になりますよね」
原教授
「だから、それに対して、千家尊福は、それはおかしいぞと」
島田キャスター
「だから、大論争に」
原教授
「大論争の話というわけですね」
井上教授
「ちょっと簡単な話ではないですけれども、これは1つは、本当に政治レベルの話と、信仰上の問題もあるわけですね。原さんもおっしゃいましたけれど、死後の問題をどう考えるかとか。本当に神々が果たしている役割とは何だろうかということを国学者の中に非常に真面目に考えている人がいたわけです。当然のことながら。そうすると自分達の考えを貫くためには、こういう配置にしてもらわなければ困るという論争になるわけです。そうすると、神学論争になってくるわけです。こうなるともともと神道の神の体系から言って、まとめることは無理ですね。それで、最終的には勅裁を仰ぐということで、要するに、天皇陛下に決めていただきましょうということで、天神地祇全てをということで決着をつけたわけです。日本の神様を全部祀りましょうということです」
反町キャスター
「それだと、大国主大神の部分は、天皇家の範疇の外になっちゃって、結局自分達の権限の及ばないところが世の中にあるぞと。陛下が亡くなられたあと、もしかしたら、あの世で別のジャッジを受けるかもしれないと、その議論が残る決着をした?」
井上教授
「いや、それは避けたと言った方が正確だと思います。それ以上の論争に発展すると、実はその当時、神社界をどう区分けするかでも議論になっていたわけです。伊勢派と出雲派というのは対立もありましたし、その他にも3つに分けろというのがあったんですね。こうなるとさっきの話ですけれども、まとまりがつかなくなる。そもそもの目的であった、神道をもって精神的な支柱にしようという、その大元が崩れちゃうわけですよ。だから、それは避けようということで」
反町キャスター
「政治的な妥協がはかられたということでいいですか。そういうふうに聞こえてしまうんですけれども」
井上教授
「ええ、そういう面もあるかと思いますが、結果的に、それがある意味、神社神道と教派神道がわかれていく原因にもなっていく」
反町キャスター
「神社神道と教派神道とは何ですか?」
井上教授
「簡単に言いますと、神社は国家の宗祀である、政であるという方針で、そうしておけば、あまり信教の自由とか、宗教の自由の問題に突っ込まない。つまり、日本人全体が政にかかわるべきだから、そういう場としての神社。神道の教えはどうなるのですか、教義もあるではないですかという話がありますが、そうした部分は今度、教派神道というカテゴリーが出てくるんですけれども、各派に、それぞれの派に任せるという形で、最終的に13派できますけれど、教えの部分とか、民衆教化の部分、いわゆる宗教性の部分はそちらに移していくという動きが出てくるんですね」
反町キャスター
「神道によって国家統治をはかろうという、当初の理念からは後退したものになるのですか?それともちょっと縛りを緩めて、融通をきかせるようにしたのかという」
井上教授
「微妙な効果になりますね。原さんがおっしゃいましたけれども、神道国教化みたいなのは失敗するわけです。それはインフラがなかったから当然と言えば当然ですね」
島田キャスター
「神道は国教化されなかったわけですね」
井上教授
「国教化されなかったわけですけれども、神社が国教に近いような形ですよね。国教ではないというロジックですけれども、しかし、実際には神社崇敬は国民の義務になるわけですから」
島田キャスター
「なるほど。そうですね、明治は近代国家を目指していたわけですから、建前上は信教の自由というのはもちろん、謳ったわけですよね。だけど、根っこのところで神道というものが国民に浸透していったという考えなんでしょうね。国教にはせずに」
井上教授
「そうですね。いわゆる神社非宗教論というんですけれども、神社は宗教ではないというロジックが浮上してくるわけですね、そこで」

靖国神社と戦争
島田キャスター
「国家のために亡くなった方々、戦死した方々が神社と結びつくというのには何か理由があったのでしょうか?」
原教授
「実は先ほど話した出雲の話と、靖国神社の話とは一見関係ないように見えるのですが、実は結構関係あるんですよ。どういうことかと言うと、祭神論争で出雲派が伊勢派に対抗して、先ほど言った千家尊福が大国主神を幽冥界の主催者として、宗教化しようとした。ところが、結果的に祭神論争に破れる形になって、それ以降、先ほど申しましたように国家神道が急速に確立されていくのですが、出雲派が破れて、出雲大社が後退していくのと、それに代わるようにして、靖国神社が浮上してくるんですね、歴史的に見ると。つまり、東京招魂社が靖国神社とあらためられたのが1879年だった。祭神論争はだいたい1880年ぐらいがピークなのですが、ほぼ一致した時期ですね。この時期に靖国神社が出雲大社にとって代わるようにして、ある種の宗教性を獲得していくわけですよ」
反町キャスター
「それは死後の世界を束ねるのは出雲から靖国に移っていったと。こういう理解でよろしいのですか?」
原教授
「そうですね。だから死後というものに対して、靖国というのはある種の答えを用意しているわけではないですか。つまり、国のために死ぬことにより神として祀られるということですよね。もちろん、出雲大社と全く違う考えですけれども、全く違いますが、ある意味でそういう宗教性というものを出雲に代わって靖国が一手に引き受けていくと、そういう見方もできるのではないかという」
島田キャスター
「こんなに多くの方々が祀られるというのは他とは違うなという印象を受けますが」
原教授
「まったく違います。伊勢と出雲というのは同じ神社界での対立だったわけです。ところが、靖国神社というのは軍が関係しているわけですよね。つまり、陸軍、あるいは海軍が結果的には神社を所轄するというか、そういう形で国家神道の外側に独立した形で確立されていったわけです」
反町キャスター
「最初から靖国神社は国家神道の外にあるものとしてつくられたのですか?」
原教授
「国家神道はあくまでも伊勢神宮を頂点として官弊社、国弊社というランクづけを。それは頂点には伊勢神宮があって、出雲大社も官幣大社として下に入る。靖国神社というのはできた時から別格官幣社という位置づけです。別格という名前がついているように、その体系に必ずしも入らないと言うか、別に位置づけるという、そういう発足の仕方をしている」
島田キャスター
「戦争が大きくなるに従って、死者が増えてきたと。戦う人の心理に何かしら影響を与える。つまり、死んだら神様になれるというようなことが広まることで、心理的な変化を呼び起こしたのでしょうか?」
原教授
「教育勅語には有名な一節があって、戦争のような非常時になった場合に進んで国のために犠牲になるという、それによって、永久に続く天皇の支配を助けなさいというふうに書かれている。靖国神社の性格がマッチしている。学校教育の場ではそういうことをかなり小さい段階から教えられる。昭和初期になると暗誦までさせられるわけですよ。そのことと靖国神社の祭神が増えていくということとはかなり整合性があるんです」

靖国問題の本質
反町キャスター
「A級戦犯分祀論がありますよね。それをどう感じていますか?」
井上教授
「もちろん、技術的にというよりは、そのように靖国神社が判断すればできることです、それは」
反町キャスター
「よく蝋燭の火の話で、1回一緒にしたものは分けられないんだよという方もいます。靖国神社からそういう説明を受けたという方ももちろんいるのですが、それはどうなのですか?」
井上教授
「それはちょっと誤解もあるんですけども、分祀という言葉と廃祀という言葉、それがちょっとごっちゃになっているところがあるので、実際に祀ることはなくなったということはいくらでも例があるわけです。奉るのをやめる。しかし、靖国神社の立場は、あるいは神社本庁の教学もそうだと思いますけれども、あそこの祭事に関してはそういうことをしないということなので…」
反町キャスター
「分祀も廃祀もしないのですか?」
井上教授
「分祀は可能かもしれません。つまり、本来の意味の分祀ですよ。それはそこに奉られている神をまたもう1か所別につくるということですから、それはあり得ると思いますけど、もともとそこに祀られていた神の一部を祀るのをやめるということはしないという立場ですので、神道の歴史でそういうのはあるかと言えばあるのですが、そういうことはしないというのが現在の教学なり、神社の立場であるとすると、それ以上言えないというか。これはそれこそ宗教の自由ですから、自分達の祭事に対する考え方というのはこういうものだと言われたことをあれこれ言うのは逆の意味で宗教の自由を侵犯することにもなると思うんですね」
島田キャスター
「8月15日に総理大臣、歴代の総理が参拝するとか、しないとか様々な問題があって、その問題というのは近隣の韓国や中国がしてほしくないと言ったりする、外交問題にまで発展してしまうこともあると。そのような中で、靖国はこういうふうにはしないんだと。このあたりをどう私達は捉えていいのか?」
原教授
「靖国神社の成り立ちというのは、かなり普通の一般の神社と違うわけですよね。そもそも軍が直接関わった神社であるということは事実なわけではないですか。戦後GHQはもちろん、陸海軍を解体したわけですよ。民主化政策の一環として、それは日本国憲法のもちろん、第9条にもつながっているわけですけれども、他方で靖国神社だけではないですが、つまり、神社というものは国家神道を解体したけれど、神社そのものはもちろん、残すわけですよ。神社はどうして残すかというとそれは1つの宗教法人として宗教の自由という、原則にいわば合致する形で、一宗教法人として存続を認めたわけですけれども、しかし、戦前以来の靖国神社の基本的な性格そのものは全く変わることがないまま今日に到っているということはどういうことかというと、陸海軍を解体したけれども、しかし、いわば軍事施設としての靖国神社は残したという見方もできるわけです。ですから、戦後、民主主義の日本は確かに日本国憲法の中で平和主義というものを謳っているわけですが、靖国神社の存在というものがその原則と矛盾して見えてしまうということもあるわけですよね。つまり、靖国神社が存続し続けるということは、その点について戦前とつながっているように見えるわけではないですか。そこに1つの日本の戦後憲法体制との矛盾と言いましょうか、ズレというものが生じているという見方はできるんです」
島田キャスター
「総理大臣が参拝する、しないが話題になる一方、天皇陛下は長いこと参拝をやめている。この点については?」
原教授
「これは2006年の確か7月ですけれど、当時の日本経済新聞の記者がスクープをしましたよね。富田メモですね。あれは宮内庁長官がずっとつけていたメモで、その中で昭和天皇の発言と見られる筆説があって、要するにずっとA級戦犯を合祀してこなかったんだけれども、松平永芳という宮司がA級を合祀したと。それ以来参拝しない、それが私の心だというようなことが書かれていたわけではないですか。それが他の資料によっても実は証明されたんです。たとえば、卜部亮吾という侍従の日記が朝日新聞から出ましたが、卜部の日記の中にそれと合致することがきちんと書かれていたわけです。それによって、これは単に富田という1人の人間が私的にメモしたということではなくて、他の資料とも整合性があるということでほぼこれは確定したんです。と言うことは、現在の天皇もそうですが、一度も天皇になってからは参拝していないわけですよね。それはたぶん昭和天皇から受け継がれたものであって、この状態が続く限りは多分永久に参拝はないだろうと思っています」

井上順孝 國學院大學神道文化学部教授の提言:『神道は日本文化や日常生活に深くかかわっていることをもっと知って欲しい。』
井上教授
「特にこれから日本はいろんな外国の人と付きあう、国内外で接する機会も増えますので、その時により適切な説明をするということが誤解とか、いらぬトラブルを避けることにもなると思うので、今一歩是非皆さんに学んでほしいと。それが第一歩だと感じています。7割の人が初詣に行くんですよね。でも7割以上が無宗教だと考えていることをどう説明するかを考えてみるといいと思うんです。もう少し緩やかに考えて、いろんなところで関わっていて、知らぬうちにその文化を自分は実は使っているんだということを自覚していただくと、文化交流もスムーズいくと思います」

原武史 明治学院大学国際学部教授の提言:『現在だけでなく過去からの視点を!』
原教授
「今日も限られた時間の中で神道の移り変わりについていろいろ説明させていただきましたけれども、なかなかこういう歴史的な視点というのがないのではないかと。皆は現在だけを見てきて、たとえば、首相が靖国に参拝したか、しないか。それに対して中国や韓国がどう言ってきたかとか、そういう現在だけを見て熱くなっている傾向があるのではないかと思うんですね。ところが、それぞれの神社には歴史があって、靖国神社には靖国神社の歴史がありますし、たとえば、正月三が日には明治神宮は全国一の数の参拝客がありますけれど、そういう人達は明治神宮がいつできたのかをちゃんと知っている人がどれだけいるだろうかと思うんです。大正時代になって、あれは明治天皇と昭憲皇太后を祭神としてできたわけですけれど、明治神宮と言うから、まるで明治時代にできているみたいに考えるような人もおそらくいるのではないかと思うんです。そういう神社の由来なり、歴史なり、そういうことを知ることでもう少し深い議論なり、見方なりというものができていくと思うので、過去からの視点というものをもっと身につける必要があると、私は思います」