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2014年6月4日(水)
天安門事件25年後の闇 民主化運動指導者語る

ゲスト

陳破空
中国民主化活動家
石平
拓殖大学客員教授
古森義久
産経新聞ワシントン駐在客員特派員

天安門事件から25年 当時の民主化運動
島田キャスター
「今日のゲストの陳破空さんがどういう方なのかというのを、簡単に、紹介しておきたいと思います。主な経歴ですが、1963年に、教師のお父様、医師のお母様のもと四川省に生まれました。1985年に上海にて民主化運動を始めました。これは大学院在学中でした。1987年に広州で民主化を訴えるということですね。1989年の6月4日、天安門事件が起きて、逮捕、投獄されると。これ以降は逮捕、入獄を繰り返すことになりまして、その後1996年にアメリカに亡命しました。もう1人のゲストの石さんも、この頃、民主化運動に参加していたということですが、こうした経歴の陳さんは『赤い中国消滅』という著書に詳しく中国当局の激しい弾圧などについて書いています。今日は天安門事件から25年という節目ですけれども、あの天安門事件というのは何だったのでしょうか?」
陳氏
「簡単に申し上げますと、天安門事件は中国の歴史で、最大の民主化運動でした。また中国の政府による大虐殺でもありました。胡耀邦総書記の死というものが、その前にあったわけです。その人は改革家の人でした。中国の学生、また知識人、文士達が学校から出て民主化を訴えたわけです。しかしながら、中国の民主化運動は、それよりも前から起こっていました。1980年代にはもう始まっています。1986年、上海でも始まっていました。そこでも大規模な民主化運動というものがありました。その時の結果ですけれども、保守派、また長老派が、胡耀邦氏を辞任に追い込んだわけです。ですから、それが民主化運動の基礎にあります。1989年の民主化運動は、300あまりの都市に広がりました。2か月も続きました。それぞれの都市において数十万人ですが、そういった人達、また100万人に及ぶ人達がデモに参加しました。私も広州にいました。広州で運動に参加していました。しかしながら、85歳の老人、鄧小平が大虐殺を命じたわけです。何も武器を持たない学生、市民に銃を向けたわけです」

中国共産党の深層
島田キャスター
「25年前の天安門事件の経緯を振り返ってみます。1989年、中国の改革派の指導者だった胡耀邦元総書記が、4月15日に亡くなったことを受けまして、胡耀邦元総書記を支持していた学生らによる天安門広場での追悼集会が、やがて民主化を要求する運動へと発展しました。6月4日、民主化を求めて北京の天安門に集結した学生や一般市民に対し、当時の最高実力者といわれていた鄧小平ら指導部が、軍を投入し、武力によって封じ込めた。それが天安門事件です。事件による死者を中国当局は319人と発表しているのですが、1万人を超えていたという説もありまして正しい数字は現在もわかっていません。当時、民主化運動に理解を示していた趙紫陽総書記が失脚したりだとか、江沢民が、その後を継ぐなど中国共産党の内部にもいろいろな動きがありました。結果的に、この民主化運動というのは失敗というか、制圧されて終わったわけですが、当時、胡耀邦さんの他にも中国の共産党内にそういった民主化の動きというものはあったのでしょうか?」
陳氏
「天安門事件後の民主化運動がなぜ失敗したかというと、まず、当時、民主化運動を行った学生、市民と私達の組織は皆楽観的に考えていたんです。これだけ多くの人が立ち上がったのだから、共産党内部でも支持している(人がいる)んだからと思いました。趙紫陽氏も開明な人だし、学生達と話をしてくれるから、楽観的に考えていたんです。中国の前途も明るいと思っていました。デモをしていましたが、とても楽しいパレードのような、そんな気持ちで参加していたんです。すぐに中国は民主化すると思っていました。でも、あまりにも楽観的だったのが、そのあとわかります。中国共産党内には、様々な状況があったんです。もちろん、1980年代は、胡耀邦氏も、趙紫陽氏も開明な人だと言われていました。人々と対話し、民主化を進めたいと言いました。しかし、本当の政治というのは長老の手に握られていたのです。長老グループと言っていますが、鄧小平を師とする長老グループがあったんです。8人の元老と言っていますけれども、実際には100人近くいます。中央の国民委員会というところがありまして、中国の政治はその人達の手に握られてしまっていたんです。統制をとって、指導者、あるいは指導者の人達を罷免したりすることもできるわけです。たとえば、胡耀邦氏、趙紫陽氏らはそのような影響を受けてしまった。1986年に民主化運動が発生します。中国の民主化進展の最も大きな阻害、抵抗勢力というのが、この長老政治だったんです。それが民主化を阻害するものとなっていると思います。天安門の外に中南海というのがあるのですが、鄧小平を既に人々はほとんど支持していませんでした。しかし、天安門の内部で最大の権力を握っていたんです。軍の権力を握っていることが大きかった。それによって軍隊を動かすことができたんです。しかも、人民に対して銃を向けたんです」
石氏
「現在から見ますとあの天安門、民主化運動の失敗、共産党政権が鎮圧に出てきた。ある意味、歴史的な必然性もありまして、結局、政治は、長老であろうと何であろうと、最後のところは、要するに、政権は自分達の権益、権力を守ることが至上の命題でして、この権力を守るために最後はどんなことでも平気でやってしまうというような体質が現在でも中国共産党政権にあるんです。むしろ、私自身はあの時分で気がついたことですが、要するに、胡耀邦氏であろうと、趙紫陽氏であろうと、鄧小平であろうと、結局、共産党の体質そのものが変わらない限りにおいては中国の民主化運動はあり得ないということですね。要するに、問題の一番の核心は、共産党の体質そのものです。独裁体制です」
反町キャスター
「胡耀邦さん、趙紫陽さんもそうかもしれない、胡耀邦さんが民主化に対して理解を示していた。でも、その胡耀邦さんも、石さんが問題だと言っていた、共産党の長老に支持されて総書記になっているわけですね。つまり、胡耀邦氏を総書記に押し上げた時、長老は胡耀邦氏がそういう政治性を持っているということはわからなかったのか。それとも、このぐらい民主化に対する理解がある人間をトップに据えないと、人々の不満をこなしきれないのではないかという、そのへんの妥協案として胡耀邦氏を担ぎ上げたのか、そこはどうなのですか?」
石氏
「胡耀邦さんは晩期になれば民主化運動に対してある程度の理解を示した。しかし、彼も筋金入りの共産党幹部ですから、毛沢東の時代に一緒に戦って、天下を取ったんです。要するに、胡耀邦さんにしても、彼の本心は決して共産党の独裁政治そのものを失くすんではないんです。むしろ、新しい形の共産党の統治を今後しやすいように、そうするために一定の改革もやらなければならないと」
反町キャスター
「つまり、共産党の中の権力闘争があった?」
石氏
「私は、そう思います」
反町キャスター
「いわゆる若手と長老派の間で、改革、政治路線の権力闘争があって、その胡耀邦一派というのは民主化というものを武器にして、長老派を追いやろうとした?」
石氏
「まさに、その通りです」
反町キャスター
「その見方でいいのですか?」
石氏
「と言うのは、本当の権力は、陳さんがおっしゃったように、長老達が握るんです。彼らは本来、力がないんです、長老達に反抗するために若者達を味方につけた。しかし、結果的に失敗に終わったという」

当時の民主化運動
反町キャスター
「陳さんは、当時、学生をやっていたのかな、民主活動家として。広州にいたわけで、その立場として、学生の民主化運動を通じ、共産党の中にも手を突っ込んで、国の形を変えられるのではないかという、そんなことまで考えていたのですか?」
陳氏
「そのようなはっきりした考えはありませんでした。自分が政治をやりたいとか、政治で役割を果たしたいというような考え方も少しはありました。しかしながら、それは、二次的なものでした。また権力闘争だとかも二次的なもので、当時、中国の社会ですけれども、民主化をしたいというような雰囲気に溢れていたわけです。他の共産主義の国とは違っていました。もし中国の党の中に長老政治というものがなければ、民主化は実現していたかもしれません。開明派の人達もいましたし、民主的な声に耳を傾けるだけの余地はあったと思います。しかしながら、長老グループの様々な迫害を受けてしまいました。保守的な長老グループが、このような新鮮な力を抑えこんでしまったというのが実情でしょう」
反町キャスター
「ただ、その胡耀邦さんを起用したのも、趙紫陽さんを起用したのも、鄧小平ですよ。鄧小平は改革派、少なくとも経済的には改革マインドを持っていた人だと僕はそう勝手に思っています。その意味でいうと鄧小平が中国を何とか変えなくてはいけないと思っている中で、胡耀邦さんを使ったり、趙紫陽さんを使ったりしたんだけれども、結局、失敗をしたという、つまり、天安門事件というのは何だったのかというと、中国の改革をしようとした鄧小平が失敗したのがこのケースであって、そのあと、このやり方ではダメだというので、別の改革の仕方をやるための、鄧小平の学習のプロセスだったのではないかと。そんなことはないですか?」
陳氏
「鄧小平は、たとえば、ブリッジをやったり、プールで泳いだりしていました。実際にやっていたのは胡耀邦さんだったわけです。社会の変化というものには敏感ではなかったわけです。毛沢東の文化大革命というものには反対をしていました。経済改革を行ったのは正しかった。しかし、1つの党が大きな国というものを治めていくということを考えた場合、8000万人の党員が共産党にいるわけですから、そういった人達を使うということは、非常に便利だと思っていたわけです。ですから、それを維持しようとしました。ですから、経済改革というものを行っていました。しかしながら、胡耀邦さんや趙紫陽さんは考え方が違っていました。改革がもう始まっていましたので、いろいろな政治体制などについての障害などに打ち当たるわけです。しかしながら、鄧小平はあまりにも年を取り過ぎていました。そのために民主化運動を鎮圧してしまったわけです。鎮圧には成功をしたわけですけれども、これがもし鎮圧が失敗したとしたら、鄧小平もパキスタンに逃げようと思っていたんですね。しかしながら、この鎮圧が成功したということで、そのまま中国に留まったんです」
石氏
「鄧小平が昔から死ぬまで変わらなかった1点があるんです。彼も毛沢東と一緒に戦って現在の政権をつくった人間の1人。要するに、彼らの基本的考え方が、政治、経済の改革をいろいろと試みるのですが、政治は共産党の一党独裁を死守することが至上命題です。それがもしダメか、原則を揺るがすならば、鄧小平は絶対に許さない。ですから、最初は経済改革のために胡耀邦さんを起用した。胡耀邦さんが原則から少しでも外れれば切る。それで、鄧小平は今回、経済改革を進めるために、継続させるために、趙紫陽さんを起用した。趙紫陽さんも多少でもここから外れる素振りを見せれば切るんです。だから、死ぬまで支持をしたのは江沢民さんです。要するに、この国で経済改革で何をやろうとしても構わないが、政治を絶対触ってはいけない。だから、政治、共産党の一党独裁を絶対死守する。それさえやれば、老人達の支持を最後まで得ることができる。ある意味では、江沢民さんが最後に、胡耀邦さんと趙紫陽さんの失敗から教訓を得て、それで長期政権ができたんです。そういう経緯です」

事件後の日本の対応
島田キャスター
「天安門事件で、中国が自国の人民に銃を向けた。人を殺していった。それについて、世界は反応をして、一斉に批判をするわけですが、日本はその後どうしたのかというのはいかがでしょうか?」
古森氏
「日本は、事件直後は一応批判をしたわけですけれども、すぐに時の政権が軟化していって、1年経たないうちにヒューストンの、その頃G7だったと思うけれども、西側諸国とのサミットがあって、私も暑いテキサスに行ったのを覚えているのですが、この時に日本の海部首相が、それまで各国が経済制裁ということで、貿易まではやめないが、援助を皆止めていたわけですよね。日本も巨額のODAを中国に与えていたわけだけど、それをやめたわけですよ。ところが、1年も経たないうちに、6月のヒューストンサミットで、再開するということを言ったんです。各国はうーんと、あまり面白くないふうだったけれど、日本は日本でやるということでね。この時の海部さん達の言い分は、中国を孤立させてはいけないと。皆が制裁をかけちゃうと孤立しちゃうという。このへんが基本的な認識が違ってですね。だから、中国に対して非常に甘い。甘いだけで、甘いことによって、日本が何か実益を得るならばいいけれども、それがない」
石氏
「結局、最後、日本は中国、当時の江沢民政権に救いの手を差し伸べたんですよ。江沢民政権がこれで蘇ったんですよね。元気づけた。蘇ってから、最初に叩いたのは日本ですよ。江沢民政権が」
島田キャスター
「そこはどういう関係ですか。でも、日本が世界の中で最初に開いたと。それを喜んだんですよね、中国は?」
石氏
「それは今日の話題にはならないかもしれませんが、要するに、天安門事件のあとで、先ほどのお話のように、中国共産党は人民の前で若者達を虐殺したということで国内でも共産党の求心力は完全に落ちたと。崩れたんです。それで江沢民政権になってから、もう一度共産党の求心力を取り戻すために、愛国主義という旗印を掲げたんです。要するに、愛国主義のもとでもう一度、国民を共産党の周辺に団結させると。国民の愛国主義の情念を煽り立てるために、外敵がないとダメですね。それが日本ですよ」
島田キャスター
「日本に対する感謝の気持ちみたいなのはどこにいったのですか?」
石氏
「江沢民氏という人間には最初から感謝という気持ちはないです。あくまでも冷徹に政治的判断をする。江沢民さんへ感謝を求めること自体がもう…」
古森氏
「指導者、個人個人の傾向というよりもシステムとして、この国がこういうことをしてくれたから、ありがたく思って、その分お返しをしなければいけないという、そういうメカニズムは政治的に中国共産党の中にはないですね」

中国共産党の本質とは
陳氏
「江沢民氏というのは、若い頃、第二次世界大戦の際に、父親が日本の軍に協力をしたという過去があるんです。そのために、この危険を避ける必要があったんです。そのために、他の人よりももっと愛国だということを出す必要があったと。毛沢東の時代にもイデオロギーがありました。天安門事件の際には中国の共産党のこの意識が崩れています。再度、イデオロギー、いわゆる愛国主義、ナショナリズムを打ち出す必要がありました。反日、反米、反西欧、反民主国家というのを行う必要がありました。北朝鮮がどんな悪いことをやっても友好的にする必要がありました。北朝鮮が中国の漁船を拿捕しても、それを報道しないんですね。しかし、日本で何かあったり、アメリカで何かあったりすれば、大きくそれを報道するんです。反日、反米という雰囲気をつくり上げていくんです。それは政治の権力としてのやり方です。大量に援助しても、多くの中国人はそれを知りません。たとえば、北京の首都空港と上海の空港は日本の支援によるものです。しかし、中国人のほとんどは知りません。胡錦濤氏が2008年に日本を訪問した際に言ったんです。『日本の経済援助がなければ、中国の近代化はなかった』と言われました。しかし、実は、これは中国国内では報道されていません。そのため、中国人は知らないんです。私は、資料を探してやっと見つけたんです。しかし、ほとんどの中国人はそれを知らないんです。ですから、日本の経済援助というのはまるで石を水に投げたように無駄だったんです」
島田キャスター
「天安門事件のあと、各国に先駆け日本が最初に支援した。この知らせは中国国内で報道されたのか。それを聞いた時、陳さんはどういう思いで、その知らせを聞いたのですか?」
陳氏
「当時、私は監獄、刑務所でその情報を知りました。日本が大きな間違いを犯したなと思いました。日本政府はあまりに我がままだという気がしました。日本の経済を発展させるために、中国との貿易を確保しようとして勝手に中国の制裁を解除したのではないかと考えました。本当のことはわかりませんが、しかし、中国政府は宣伝しました。既に国際的に私達の政権は認められたんだと。天安門の制圧は正しかったんだと、認められたんだ。日本はトップを切って経済制裁を解いた。海部首相が中国を訪れるということで、中国の人達は、中国政府が国際的に認められたと認識しています。ですから、2つ間違った情報を流してしまいました。1つは中国の政府が国際的に認められたということを中国人に与えたこと。日本人は我がままだと思ってしまったことがありました。助けたとは思っていない」
石氏
「結局、江沢民政権に救いの手を差し伸べたことで喜んだのは、江沢民政権だけであって、逆に中国の一般の人々の日本に対する反感を買ったんです。要するに、お前達のあれで共産党が助かったのではないかという話です。要するに、日本のやっていることは、江沢民氏を助けただけの話で、日本の国益になること何もないです」

中国民主化運動のいま 世論と当局の取り締まり
島田キャスター
「現在の中国の民主化運動はどうなっているのでしょうか?」
陳氏
「中国の民主化運動はずっと行われています。しかしながら、政府がいろんな鎮圧を行っているために、現在分散しています。国内であれ、海外であれ、基本的にそれぞれがそれぞれでやっているということです。たとえば、人権弁護士がいたり、地方の人々が自分達の権利を守るために立ち上がったりとか、そういうことです。天安門事件の再評価等を呼びかけるような運動もあります。江沢民氏はかつてこう言いました。『全ての不安定の要素というものをなくしてしまおう』と言ったわけです。要するに、そういう芽が出たら、すぐにそれを潰すということです。ですから、北京の交通の要衝などは、そういったものを現在も全部塞いでいるわけですね。中国にいると全然安全な感じがしません。25年が経ったわけですけれども、中国の政府は治安維持のための費用をたくさん使っています。それが防衛費を超えているぐらいです。ですから、全然安全な感じがしません。新彊ですが、あそこではいろいろな爆発事件が起きています。また全国の各地においてもいろいろ切りつけ事件等も起こっています。こういったことは25年前までは考えられませんでした。それから、香港は既に中国に返還されて長く経ちますけれど、たくさんの人が中国の政府に反対しています。一番穏健派であった人達でも、習近平事件において逮捕されたりしています。たとえば、浦志強氏ですとか、徐友漁氏等、現在の人権弁護士の人達が捕まっています。家の中で天安門事件について討論をしていただけであったのですけれど、胡錦濤時代には捕まらなかったような人達でも、習近平政権のもとで捕まっています。国家安全会議というものがありますが、11の安全について書かれています。そのうちで一番重要なものが政権の安全と見ています。要するに、政権の安全をはかるということ。それが他の安全を全部抑え込んでいるような状態」
石氏
「中国共産党が直面している危機は、天安門事件以上のものでありまして、天安門事件の時は基本的に、要するに、政治理念を掲げて民主化を求める、若者達の反乱です。現在、中国は数十年間の中で経済成長に従って、貧富の格差が拡大して貧困層の裾野も広がって、特に格差に対する一般国民の不平不満も昔より信じられないぐらい高まっている。あるいは現在の中国の社会的状況が国民全体的に、あるいは政治に対しての不満が昔より高まっています。と言うのは、我々の時代は若者達が一種の理想、理念を掲げて反乱を起こしただけの話。現在いろいろな中国の普通の労働者達が、自分達が置かれている苦しい状況に対して不平不満を持つことになっていますから、その不平不満の裾が広がっていることと、もう1つは、天安門事件の当時なくて、現在あるのはインターネットでしょう。その変化が中国の言論の世界に徹底的な革命的変化をもたせたのです。インターネットが発達する前は、中国には厳密に言えば世論というものがなかった。全て官論、要するに、政府がつくった官論です。民衆が自分達の意見を表明する手段がなかった。現在インターネットを中心にして、民衆自身の世論があり、形成されています。現在、政権のやること、民衆のやることはかなり断絶していまして、結構危険な状況です」
陳氏
「中国政府はいろんな手段を使い、(天安門事件の)歴史を抹殺しようとしています。中国の3分の1の人達は1989年以降に生まれた人達で、その人達は全然知らないわけですね。1989年前に生まれた人でも知らない人が多いわけです。ですから、このことについては抹殺されているわけです。現在はインターネットの時代です。難しい時代です。天安門事件は中国の中での重大事件であるということだけでなく、人類の歴史の中での重大事件であります。現在はインターネットがあります。どんなにフィルタリングし、遮断しようとしても、ファイヤーウォールを乗り越えるような技術が海外にもある。ですから、何か方法があるわけです。教科書、テレビ、ラジオ、新聞など書籍では、民主化運動の記憶を消すことができます。しかしながら、これを防ぎとめることができない部分もあります。あと10年、20年経ってこういった歴史を消すことができるでしょうか。政権を維持しようとするのも難しいと思います」

中国共産党のいま
石氏
「市場経済が発達すると政府に迎合しなくても自分達の力で市場経済の中で生きる、いわゆる自由の人が増える。そういう人々がしばらく政治から離れただけで、政治には無関心。しかし、だんだん皆気がつくんです。いつまでも政治に無関心であれば、自分達の権益も保障されていないんだと。たとえば、中国でそういう人々が環境問題を提起するんです。環境問題、たとえば、PM2.5。いくらお金を儲けたとしても、子供達にあんな空気を吸わせたら大変なことですから。しかし、そういう問題を解決するには結局、政治問題を通して解決しなければならない。皆気がついたのは、要するに、市場経済の中で自由の立場を勝ち取った人々が徐々に政治的権力を求める、政治的発言を求めていく。それは、陳さんのお話の中にあった、権利を維持する運動。維持というのは日本の維持とは多少ニュアンスが微妙で、自分達の権益、人権、そういうものを守る。ただ、現在、民主化運動は別の形になったんです。我々の時代がただ純粋に理想、理念だけを掲げて、一夜にして理想的な社会をつくろうとした。現在の民主化運動は、いわゆる理想理念とは関係なく、むしろ自分達の日常生活の中の権利を1つ1つ求めていく。それは公民運動、我々公民として、市民として当然の権利を中国共産党運動に求めるんです。中国共産党に楯突くわけでも何でもない。我々の権利をくださいと」

日中関係の現状と課題 中国の暴走をどう止める
島田キャスター
「中国と日本の緊張は今後続いていくと思いますか?緩和されることはあるのでしょうか?」
陳氏
「日本と中国の緊張は今後悪化していくことが考えられます。短期的に緩和しないでしょう。中国共産党内部で先ほども言ったように安全観が欠けているということがあります。長老政治がまだあるんです。習近平国家主席は、この後継者と言うことができますから、彼は自分がどういうことをやるかを長老グループに見せる必要があるんです。外側に向けては、領空、領海で隣国を押さえつけているということを見せなければなりません。今回の副総参謀長が言ったことは利にかなっていないと思います。中国は他人が挑発した際にだけ反撃するのだと言っていました。しかし、ベトナムの120海里のところで石油の掘削を行っていた、これは中国が他国を挑発しているのではないのでしょうか?数年前にフィリピンから100海里の黄岩島と言われるところですけれども、そこに中国が行って、そこを占領しています。中国の海南島から500海里も離れているんです。フィリピンからは100海里。どちらが挑発しているのでしょうか?」
石氏
「習近平政権の1年半の行いを見ていますと、かなりタカ派的な、ナショナリズムな方向性に舵を切ったのですが、たとえば、胡錦濤政権時代に建前上では、平和的台頭という言葉でよくとらえたでしょう。しかし、習近平政権になってから、平和的台頭という言葉が、たとえば、習近平氏自身の口からも、中国共産党、あるいは政府のいかなる政治文書からも完全に姿を消したんです。平和的台頭は誰もとらないんです。その代わりに、中国で流行っている言葉が、民族の至らぬ不幸。要するに、中国が近代以来失った権益を中華帝国の栄光の権益を取り戻す。しかも、どうやって成し遂げるかとなりますと習近平氏がよく口にするもう1つの言葉が、強言。平和的台頭というキャッチフレーズにとって代わって、現在は強言。信じられない話かもしれない」

中国民主化活動家 陳破空氏の提言:『硬実力+軟力実力』
陳氏
「ここに書いたのはハードパワーとソフトパワーです。ハードパワーですが、日本は自分の軍事力を高めて、軍事費を増やし、平和憲法を改正し、自衛隊を国防軍にすべきです。集団的自衛権といったものも許可すべきだと思います。それはハードパワーです。同盟関係もハードパワーの中です。中国ですけれども、現在、軍隊が鉱山資源とか、そういったものをたくさん中国政府が持っているということで、そこに無限の資源があります。これから軍事力を高めることができると思います。ですから、ここまでお金を持っている国はアメリカでも日本でもないわけです。中国です。ですから、軍事費はアメリカや日本にはいろんな制約があって、そう簡単に増やすことはできません。ですから、これに対抗するには現在はまだまだ足りません。70年間、日本が使ってこなかったのがソフトパワーです。アジアの中での民主大国なわけです。平和な民主的大国ということですから、日本は、アメリカやヨーロッパのように民主の価値というものを中国に輸出すべきです。普遍的な価値というものは輸出すべきです。たとえば、人権問題が起こった時に、日本の政府も、民間人もこのようなことについて公開でオープンな場で批判すべきです。また、政治犯等についてもその釈放を求めるべきです。このようなことをすると中国政府を怒らせるかなと思いがちですね、日本政府は。しかし、それは間違いです。ヨーロッパの小さい国だとかも中国に対して様々な意見を言っているわけです。しかし、ヨーロッパや中国との関係はいいわけです。でも、その中で中日関係が一番悪いわけです。ですから、いろいろなやり方があるわけです。民主、人権という価値というものを輸出すべきです。民主的な中国があって、日本も安全になるわけです。それでまた世界と共に平和に共に過ごすことができるわけです。司法の独立、言論の自由等です。日本がソフトパワーにおいてさらに力を尽くすべきです」

石平 拓殖大学客員教授の提言:『為天行道』
石氏
「天の為に道を行うということは、実は陳さんがおっしゃったことと全く同じです。要するに、天安門事件の時に、日本の政府がひたすら日中関係を良くする、壊したくないために中国の人権侵害に対しても批判しない。普遍的価値も強調しない。しかし、結果的に日本は常に中国に叩かれる。中国は結局いわゆる歴史問題を利用して、道義の高みに立って、日本を上から叩くということでしょう。日本はそれに対抗するために、民主主義、人権、そういう普遍的価値の高みの上に立って、それこそ天の道ですよ、天の道をもって、中国を上から見下ろすことができるんです。それが、日本の正しい対中外交になるのではないかと思います」

古森義久 産経新聞ワシントン駐在客員特派員の提言:『沈黙は毒にも』
古森氏
「簡単に言えば、日本が中国の言動に対して沈黙ばかり保っていると結局、自分達を傷つけ、自分の国内を毒することになるぞということで、発言する場合には、普遍的な価値観ということから、たとえば、チベットの人達が民族絶滅のような目にあっているよということ、普通の主権国家、民主主義の道義的な国が言うべきことを、外に向かって言うということと、もう1つは日本と中国との関係で実利的な言いたいことを言わずに、じっとうなだれちゃっているというのがこれまでの日本の中国に対する態度。歴史認識、歴史認識と言うけれども、たとえば、文化大革命の歴史を中国はどうしているんだ。今日お話に出た天安門事件の歴史も全く直視していないではないかと。だから、沈黙していてはいけませんということです」